治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

環境調整って何それ食べれるの?

2011-07-31 06:18:00 | 日記
320席の会場で320人のお客様。
というわけで私は舞台の袖で岩永先生の第一部を聴く事になった。

私は21世紀の先進国に暮らすヒトとしてはかなり野生動物に近い。
親知らず四本あるし、怪我も病気もあっというまに治るし、内臓丈夫。
野性的な勘が鋭いし、人生のモットーは「専守防衛」だけど、攻められたときの戦闘意欲も(以下略)。
もう一つ野生動物的な特徴として「暗くなると眠くなる」っていうのがある。
だから節電中のメトロの駅におりたとたん眠くなったりする。
まあだから睡眠障害とか起こさないんだろうけどね。

そういう私なので、緞帳の陰で眠らないように適当に身体を動かしながら聞いていたが
岩永先生ってこんなに講演お上手だったっけ? っていうほどまとまりのいい講演だった。

私は行きがかり上、感覚統合とか自閉っ子の身体機能については耳年増になっているが
それでも目新しい情報があったし
二時間という時間の制限の中で不足なくわかりやすく濃い内容でした。

世の中に感覚統合の本も増えたが、牛乳パック系の本は読んでも手ごたえがない。
牛乳パック系の本っていうのは、身体づくりがなぜ必要かのWHYに触れず
「使用済み牛乳パックを切ってつなげてこういうもの作って子どもたちにこう遊ばせましょう」みたいな
HOWの情報ばかり書いてある本だ。私はそれを「牛乳パック系感覚統合本」と呼んでいる。
「これは感覚統合っていうより図画工作の本だな」と思いながらまあ何冊か読んでいる。
必要とする人もいるんだろうし。私は作んないけど、そういう本。

たぶん現場で、その場をやりすごすには便利な本なんだろうけど
あれでは「なぜ身体作りが必要か」は伝わらない。
年に三冊くらいしか本出さないからこそ
それなりに「仕組み」を伝えるものしか作りたくないのよ、私は。

昨日のエントリ(↓)になりさんがしてくださった米なんかは、そういう状況を表しているんじゃないのかな。

まあともかく。

昨日は新潟や福島で豪雨。
横浜は晴れましたが、何しろ飛行機で遠方からいらっしゃる方もいるので、主催者の方は心配していました。
でもまあやはりほとんどは地元での保護者・支援者つながりでいらした方が多いです。

先進地域と呼ばれている横浜。
医療資源にも「比較的」恵まれていて
診断がついて、一生治らない障害だけど環境調整が大事だと習って
環境調整に励む人は多い。そしてそれはとっても大事なこと、必要なことだ。

でもその子をアセスメントすることなしに本に書いてあるとおりの典型的な環境調整をしてもあんまり事態は改善しない。
そしてアセスメントの軸として、感覚・運動の問題はとても大事。
先進地域って案外これを見逃しちゃうんだよね。

そして環境調整して比較的状態が安定しても
環境調整だけでは「発達援助」にはなかなか結びつかない。
もともとの神経が発達したわけじゃないので、安定していても環境変わると崩れるよね。
その限界を知る人が多かったからこそ
三時間の長丁場にもかかわらず中座する方の極端に少ない会だったのでないでしょうか。

感覚・運動の問題っていうのは広い意味での「学習」の基本。
「コミュニケーション」の基本。
岩永先生のそのメッセージが、一人でも多くの方にストレートに伝わったことを祈ります。

岩永先生は飛行機の時間が迫っていたので終了後早々に会場を発たれましたが
私は残って本を買ってくださった方にオリジナルスタンプを押したり、おしゃべりしたりしましたよ。

主催者の方もおっしゃってましたが
晴れ晴れとしたお顔で会場をあとにする方が多かったですね。

質問もものすごくたくさんありました。
やはり問題行動の抑制にご興味がある方が多いですね。
もちろん切実な問題でしょう。

けれども今、岩永先生たちが実践している現代の感覚統合は
神経に働きかける活動なのだと
神経の発達を促す活動なのだと
それが伝わっていればよいな、と思います。

東日本大震災で被災したグループホームへの募金集めも行いました。

これは募金してくれた人へのお礼のうちわ。


作業所に発注して揃えたそうです。
これも牛乳パック。利用者さんたちが紙すきしたものです。
色とりどりできれいでした。私はこの色をチョイスしました。

お越しいただいた皆様
本を買ってくださった皆様
あれだけの大きな会を見事に仕切ったNPO法人ゆうの風の皆様
岩永先生、瀧澤先生
ありがとうございました!

私を引退させないつもりだね

2011-07-30 07:37:38 | 日記
さて、昨日岩永先生横浜にご到着。

懇親会の席に現れた先生を見て、「小暮さんの描いたイラストにそっくり」と笑いが起きました。

私も久々にお会いできてうれしかったです。
横浜の人たちもまじえて、情報交換もいっぱいできました。

レジュメを拝見したら
さっそく「活かそう! 発達障害脳」にも触れてくださっています。

「長沼先生は本当にすごい方ですね。でも浅見さんもずいぶん勉強しないといけなかったでしょう。あれだけの本を作るには」といわれましたので

「半年間、ほとんど脳みそ関係の文章しか読みませんでした。おかげで今反動がきてます」とお話しました。

実は感覚統合学会だったのですよね、長沼先生の話に感動したのは、去年の。

神田橋先生の本を作り終わったあと、「もういいや発達障害」っていう気持ちになっていたころ
北海道で感覚統合の学会があると知りました。

その前の年、岡山で行われたときには私は講師で呼ばれていて
感覚統合学会の雰囲気のよさがとても印象に残っていた。

そして勉強するつもりはまったくなかったんですが
「秋の北海道か。いいね~」っていう感じで、遊ぶ気持ち半分で飛びました。

そこで長沼先生が30分の持ち時間に100枚くらいパワポをもってきてらして
いや、結果的に90分くらいおしゃべりになったのですが

その内容を見て「これじゃん、神田橋先生が言っていた粗くない診断は」と思い、講演後先生のもとにすっ飛んでいって「本を作りましょう!」とオファーしてしまったのです。

こうやって引退が伸びた。

今年の感覚統合学会は長崎。岩永先生は大会委員長です。私はもちろん行くつもりですが、考えてみたらまだ申し込んでないんですよね。

ここのところの感覚統合学会が地域での支援等に力をいれていたのに対し、今度の大会は感覚調整障害とかEBMがテーマになるようなので(うろ覚え)
かなり専門的かもしれませんが

まあ私は長沼先生の本作りを通じて神経的なこともうっすら把握しはじめたので
もしかしたら話の内容が少しはわかるかもしれません。

まあとにかく北海道にしろ長崎にしろ、お魚がおいしいところだと行く気がしますよね。

で、帰って来たら、ちゅん平から新しい本の冒頭が届いていた。

よいです。そうとしかいいようがないほどよい原稿。

大地君も最近このブログの米欄でまだ引退するなと言っていたし

こいつらよってたかって私を引退させないつもりだな、と思いました。

解離するほどの二次障害のデパート状態から立ち直った今
次世代の自閉っ子たちのために
ちゅん平は次の本を書きたいのだと思います。

iPadにのっけました。

展開によっては本日の講演で一部ご紹介させていただこうと思います。
親御さんたちにこそ、伝えたいちゅん平の心からのメッセージ。

それではお目にかかれる方、現地で。
本日の新横浜は横浜アリーナでジャニタレ、日産スタジアムでマリノス戦、横浜ラポールで岩永先生と
人気者が集結し、混雑が見込まれます。

気をつけてお出かけください。

偽科学批判批判

2011-07-29 06:48:45 | 日記
貴乃花親方の起こした名誉毀損の裁判。
週刊新潮を発行する新潮社に対し、昨日二審でも勝訴というニュースが流れてきた。

私がこの件に注目しているのは、たんにお相撲ファンだからじゃない。
どうやら
この件の弁護士さんとうちがお願いした弁護士さんがかぶっているような気がするからだ。

前職で大手出版社とそれなりにおつきあいしていたからなんとなく事情はわかるが
大手出版社ともなるとなんだかんだ一度に複数の訴訟を抱えているものである。
で、勝ったり負けたりしている。

ベムや藤居や名大吉川は「偽科学批判」を趣味として
「訴訟」を脅しととらえて大騒ぎするが
訴訟を脅しととる時点で、彼らがたんに遊びでやっているのが見え見えだ。
つるむ連中を見ていても
仕事のないライター
本業で食べていってるのかどうか危うい犬のトレーナー
翻訳がどべたなのに自分で気づかずサイトに対訳をのっけているイタい翻訳家志望者
ポストのない院卒
ブログかどっかで偽科学批判をえんえんとやっているけれども著書を出すあてのなさそうな医療関係者

こんな感じの連中とつるんで、立場の薄いことをいいことに好き放題言い
訴えるぞと言われると「脅しだ脅しだ」と騒ぎ立てる。
子どもみたい。

先日「偽科学批判の本を出したけど売れなかった」という業界筋に会ったので
「そらそうでしょうよ」と言った。

だって偽科学批判の連中は「吝嗇」をかなりの割合でかねているんじゃないのかしら。
エネルギーとお金を限りなく節約したい人たち。

たとえばホメオパシー。
言っとくけど私は興味もなければよく調べたこともないよ。ましてや支持もしていない。

ただ聞くのは、とにかくお金がかかるということ。

だとしたら、妻の健康診断をバリウムから胃カメラに切り替えるのに5000円かかったと文句を言ったり
(バリウムより胃カメラのほうがずっとラクだと私は思いますけどね)

たいして高価ではないiPodをちまちま中古で買ったり

自分のサイトで自分が読んだ本をちまちま中古で売ったり

そういう金銭感覚の持ち主にとって、ホメオパシーは最初から選択肢には入らないでしょう。

ただよその人は金銭感覚だって違う。方針だって違う。
そこに口出しするから、気持ち悪がられるんだよね。

私があの連中を見ていて思い出すのは「ヴィスバーデンの夜」。
ヴィスバーデンっていうのはフランクフルトからアウトバーンで一時間くらいの、ドイツの温泉町だ。

あるとき仕事のめぐり合わせで
私はここで一人で夜を過ごすことになった。

観光客向けお知らせを見ると、夜クラシックのコンサートがある。
ヨーロッパでは気軽に当日券を買える。
私は行くことにした。

ホールに着いて窓口で聞いてみると、二種類の切符しか残っていなかった。
一番高い席と、一番安い席。

私は迷ったけど、高い席だって日本でクラシックのコンサートに行くことを考えたら安い。
せっかくなのでいい席で聞くことにして、窓口でそう言った。

そうすると後ろに並んでいた老婆が、血相を変えて言った。
「Das ist aber teuer!」

「ちょっと高いんじゃないの?」っていう感じだ。
老婆から見ると若くみえただろうあのころの私。
無理をするなという親切心だったかもしれない。

でもおせっかいだよね。

私は自分が旅人であることを説明し、老婆の忠告に惑わされることなく高い席を買ってコンサートを堪能した。

偽科学批判の連中のおせっかいを見ていると、私はあの老婆を思い出す。

先日ある保護者の方からうかがったお話。
高機能の方だけれども、週に一回感覚統合を受け
ぐっと情緒的に安定したという。
学習面でも伸びたという。

高機能の人に週に一回セッションを用意する自治体はないような気がしたのでうかがうと
民間の機関だった。
セッションの価格は安くはないが高くもない。
その価格をどう受けとるかは、おうちの自由な判断でしょ。
妻の胃カメラ代を惜しむのも自由だが
子どもに有料で感覚統合を受けさせるのも自由だ。ましてやそのお子さんには効果があったわけだし。

偽科学批判の連中は、こういう自由な判断にくちばしを入れるから嫌われる。
自分の財布から出る金でもないのに。
でもおそらく、脳汁的に自他の区別がつきにくいんだろうけど。

しかも実際には、彼らは本気でやっているわけではない。
たんなる趣味を他人に押し付けているだけ。
それはやられているほうにすればいやがらせにしか映らないのにそれにも気づかないらしい。

本当に彼らが誠意をもってやっているのなら、訴訟を脅しと取るわけがない。
言論を張るということは、そういうリスクを覚悟することだから。
それでも伝えたほうが世の中のためになると思い、あえて伝えて、
訴えられたら受けて立ち、真実性を争う。
それが言論だ。

だから訴訟を脅しだ脅しだと騒ぐ段階で
「世のため人のため」ではないことがわかるね。
たんなる遊び、憂さ晴らし。

だったら他人を巻き込まないで内輪でやっててほしいもんである。
世のため人のためになる偽科学批判は本物のプロにまかせればいい。
プロは専門性が高く、訴訟など恐れない。原発をめぐる議論を見てごらん。

そしてそういう専門家から、神田橋先生の本に無体ないちゃもんつけられたことは今のところないんですけど。

まあ
とくに専門家の資格だけ担保して、匿名で
いんちきではないと知りながら素人にワルノリして、嫌いな出版社をつぶすだけのために
いんちき呼ばわりする医師は最低だけどね。

まあともかく、明日は岩永先生の講演会。
彼らが「怪しげ」と断罪する感覚統合の第一人者による有料の講演会。会場は320人入りで、切符を買った人も320人です。
私も第二部でちょこっとしゃべります。

肝の据わっていない素人偽科学批判の連中がいかに騒ごうとも
人々は「自分」と「自分の子ども」への効果を最重視するのは当たり前です。
親として当事者として、正当な権利ですよ。

支援者の人間性(以下略)

2011-07-28 06:15:30 | 日記
さて、以前読者の方から
「そらパパをTwitterにスパム通報したほうがいいのではないか」とご忠告を受けたことがある。
なんでも私のついーとを執拗に拾っているらしい。

見に行ったら見事なコレクションであった。
この人は私のファンなのかしらと思ったものだ。

熱心だね~と指摘したら私のついーとは拾わなくなったが(あるいはどっか別の場所に保管しているのかも)
その代わり私の悪口をコレクションに熱心だ。
誰がどんなことを言っているのかあそこに行くとてっとり早くていい。

先日もこんなの見つけた。


まあその前後も読むと、大変口汚いが
この人は自分の仕事をつつみかくしていないので察するに臨床心理士で
どっかの地方で巡回相談なんて乗っているらしいですよ。

私は別に支援者という人々に幻想を抱いていないので、幻滅もしないけど
自分が頼りにしている先生がこういう発言を陰でしているとわかったら、がっかりする人もいるかもね。

でもこの程度のもんです。

だからね、やっぱり支援者に全面的に頼りきるのはだめ。
支援者の受容と一般社会の受容はレベルが違うからね。
支援者=一般社会では、ありえないのです。

で、私は答えることにした。

<ついーと>
私はね、人の持っているエネルギーって基本的に一定だと思う。正のエネルギー量が多い人は負に向かったときのエネルギー量も多い。私が山岸の件で色々考え仕事に転換してきたのは事実だけど、癒しは拒んでいない。RT @Basil1127: なんか、ルサンチマンをエネルギーにしないといい仕事で

これはまあ、私が自分自身に関して思うことです。
そんなはずれていないって、私の周囲にいる人なら思うんじゃないのかしら。

そして私が山岸の件で傷ついたことは確かだけど、それを癒そうとしていることは確かだけど
その癒しはどこから来るかというと

<ついーと>
でもね、その癒しは奴が有罪になってもたらされものじゃない。支援者たちが大本営発表をやめて、触法行動に真っ正面から取り組む体制を作ったとき、私は初めて癒されるだろう。当時、JDDにも介入を頼んだけど断られた。事件の報道には抗議するが起きた事件は放置 @Basil1127

そうそう。
JDDは当時、事件報道のとき診断名が同時に報道されることに対し、マスコミに意見していました。
おお、だったら事件になりそうな当事者には未然に介入してくれるかも。
そう期待した私が浅はかでした。
「寄り集まり団体でありそういう体制ができていない」のだそうです。

寄り集まり団体でも、報道を規制するほうには一致団結するらしい。
でも報道されそうなことをやらかしている当事者への介入はできないということですね。

ほほお。見事なダブスタ。

と思いました。

支援者という人々の浮世離れした感覚に気づき始めていたころです。

杉山先生の新刊には虐待の話がいっぱい載っていますが
父に虐待された子どもは、父だけではなく手をこまねいて傍観していた母も恨むようになるそうです。
まあその感覚に近いものがあるかな。私の「支援者一般」への不信感は。

もちろん例外もいらっしゃいますよ。
神田橋先生、長沼先生、岩永先生、愛甲先生という一緒に仕事をしてきた方々は言うに及ばず
地域支援でも瀧澤さんとか
そういう問題が起きたときに一方的に世間のせいにしない支援者はたくさんいるし、そういう人たちは私も信用しています。

今後も花風社が本を出す著者の中に専門家がいるとしたら
そういう方々だと思っていただいて間違いありません。
そういう人の本しか、私は作りません。

だってね
一方的に世間に求めてばかりいるのって、全然解決に結びつかないでしょ。
支援者ごと理不尽な要求しているように見えますよ、世間から見ると。

私は少なくとも、自分の貴重なエネルギーを、社会に寄与するほうに役立てたいです。
だから被害者意識たっぷりの、被害者としてしか当事者を想定しない支援者とは一緒に仕事をしない。
今後も。
本当の意味で当事者を平等に見ている専門家としか仕事をしない。
こうやって生まれる本たちに、どのくらいの需要があるかは知りません。なければこの世界を去るだけのことです。

さて呼びかけの続き。

<ついーと>
そういう体制でいる限り、社会との共存は無理。その体制が改革されたとき、私は癒されるでしょう。だからそういう主張を続けるけど、それが受け入れられないのなら、あっさりこの世界を去りますよ。選択するのは私ではなく皆さんだからね。@Basil1127

で、最後に一言安心させようと言ってあげました。

<ついーと>
。@Basil1127 ちなみに、君の発言に気づいたのは藤居がお気に入りにしてたからであって、君に粘着してるわけじゃない。それと、粘着って貶し言葉だとも思ってない。何かを成し遂げるには粘着しないとね。弱みは強みの裏にある。どうせまた長沼先生の本読んでるだろうからわかるでしょ。

そうなのよ。
粘着って別にけなし言葉じゃないよね。
ていうかもっと粘着すればいいのに。支援者は支援に。保護者は療育に。
当事者は社会参加に。

それと
ブツクサ言いながら本を読んでいる人は多いのよね~。
この人がそうかどうかは知らないよ。でも少なくとも以前は花風社の本全部持っているとか言っていたし
神田橋先生の本も発売当時は意見が今とは違ったようで
その後仲間と歩調をあわせるためにこれだけ神田橋先生のことを口汚く言い始めた。
こういう人って意外と多くて、それを見ると私は支援者も保護者も
「みんな違ってみんないい」なんて本当には信じてないんじゃないかと思うんだけどね。
結局内輪で仲間はずれにならないよう、わりと汲々とする。
その姿が見てていやだから、
あのとき「祭り」に乗っかった人とは永遠に仲良くするつもりないわけだが。

そういえばこの人は、大地君のブログも見たがったりしたなあ。
陰でこそこそ言ってるの知ってたからパスワード出さなかったけどさ。
まあある種、仕事熱心と言えなくもない。だから長沼先生の本は読むの我慢できないんじゃないかしらと思ったわけです。すぐにでも相談に役立つし。
まあそれがプロなんじゃないの? 

でもね、山岸の件に戻るけど
先日なんか女の人が見も知らぬ女の人を殺す事件が起きたでしょ。
誤った思い込みで、一方的に恨みを募らせて。
私が当時、一番恐れていたのはああいうパターンですね。

で、リサーチしたんですけどね。大丈夫そうだった。
理由は・・・

<ついーと>
でも内山医師には一つだけ感謝していることがある。山岸が物理的に暴力に及ぶタイプかどうかを調べたとき、ある人が言った。ある場所へ内山医師と2ショットで現れた姿を見る限り、薬の副作用で身体を自由に動かせる状態ではない、と。過剰処方乙。


昨日私は、山岸の強制捜査と聴取に当たった刑事さんにも同じ質問をしました。
山岸は私を物理的に襲う可能性がある人物かどうか。

「その可能性はない」との答えでした。
理由が上記のものかどうか知りません。

でも一応ここに書いておきますね。

保険です。万が一何かあったときの。
まあ山岸自身は今、ネットに接続できる状況にないようですが
それでも何かしらの抑止力になることを願ってね。

私が支援者の人々に潔く認めてもらいたいのは
「自閉症者は全員が天使ではない。極端な思い込みと社会性のなさが悪く出てしまうこともある。
権利擁護と同時に、その人たちの教育も仕事である」
ときちんと認識してもらいたいということです。

そうじゃない支援は片肺でしょ。

<ついーと>
そうだし、そういう問題が起きる可能性から目を背けて被害者意識だけ育てる支援者は無能。RT @consensive: 「二十日鼠と人間」のレニーは加害者か被害者か?立場によってどちらでもあるけれど、やった事の責任は取らなくちゃねえ。 RT:@asamijunko …私は発達

こういうことなんですよ。
当事者の中に被害者意識を育てる支援者は、信用していません。

イラストは山岸が「浅見淳子は三人いる」と言ったのに画伯が触発されて描いた「あさみギドラ」です。
前も使ったけど、画伯、またノーギャラで使ってごめん。
でも発注してないよね。


性について

2011-07-27 08:40:57 | 日記
さて、昨日のブログは方々で大評判だったようですね。
どこかの支援学校でもランチタイムに盛り上がっていただいたとか。

私も某所で某方々にお会いして打ち合わせしましたが
そこでも盛り上がりましたよ。

そこで得た、新たな講演会の情報。
これ、私は都合で出られないのですが、ご興味ある方がきっといると思い
こちらからお願いして、ここでご紹介させていただくことにしました。

=====

テーマ: 障害のある子どもと向き合おう 「性について」

子どもたちの思春期。日々変化していく子どもたちの心とからだに戸惑いを感じる親御さんも多いはずです。
今回は子どもたちの「性」をテーマに、障害児・者やそのご家族からの相談の中での経験談を軸に、子どもの視点・親の視点からお話を伺います。

講師 瀧澤久美子氏
NPO法人 ゆうの風 理事
障害者支援センター地域コーディネーターを経て、障害者貢献的支援事業あんしんマネジャー。
当事者や家族に寄り添うエキスパートとして幅広く活躍している。

日時 8月18日(木) 18:00~20:00
場所 中川地域ケアプラザ 多目的ルーム(〒224-0014 横浜市都筑区牛久保東1-33-1)
電話 045-590-5778 ファクス 045-590-5779

定員が40名と少ない会なので、電話もしくはファクスでお早めにお申し込みになったほうがいいかもしれません。

どうしてこのブログでこの情報をご紹介するかというと
やはり性に関しては、心配だ、知りたい、という読者の声がよく届くからです。

そして、瀧澤先生の話はおそらく、ものすごく現実的だろうと思うからです。
成人の障害者の地域支援ではおそらく日本一と言っていい横浜。
その福祉の世界を何十年も引っ張ってきた方ですからね。

本当は私も行きたいくらいですが、残念ながら都合がつきません。

性の問題にご興味のある方には自信を持ってお勧めいたします。

江ノ電キティちゃんです。
あじさいとさざえがくっついています。

藤居学のおばか書評にあきれた夜

2011-07-26 07:16:16 | 日記
さて、私は専守防衛の人でもあるし、基本的に後ろ向きな人とつきあうのが嫌いだし上手ではない。
勢い自閉っ子の親御さんとのつきあいにおいても、前向きな人たちと愉快につきあうのが中心になる。

で、その人たちは誰も「そらまめ式」のサイトについて語ることはなかったし
自分が噛み付かれるまであのサイトについて聞いたといえば、先日も書いたとおりニキさんが
「的外れなレビューを書く人がいる」って言ったときに「へ~」と思っただけだ。

その後「ぼくアス」に噛みつかれても放っておいた。
ただ「ヒゲ達磨」とかいう米してたやつなんかと一緒になって、私に応えを求めているのがうっとうしかった。

立ち読みしたんでしょ? 買ってないんでしょ?
それできゃあきゃあ傷ついて騒いでるんでしょ?

一句詠んだ。

「立ち読みで ぎゃあぎゃあ騒いで 顔じゃない」

「顔じゃない」がわからない方はぐぐってね。

さて、それでも私がこいつを放っておいてはいけないと思ったのはまだ生まれてもいない本について邪推して大騒ぎしたり
私が怪しげな(違法な)商売をやっていると山岸のような主張を始めたとき。

そこで初めて放っておかないことにした。

(中略)

で、まあ、こいつの考えとか本の読み方はまったく評価していないのだが
先日来私がネットでもリアルでも大プッシュしている杉山先生の新刊「発達障害のいま」をレビューするというので
どれくらい「はずす」か楽しみにしていました。

昨日出ましたね。

あきれた。

つぶやいときました。

<ついーと>
いやびっくりした。的だの枠だのを外してるどころか内容が読み取れてないよう。どう画伯、これ? @masuodono @sora_papa

うん。「内容が読み取れてないよう」というダジャレが思わず浮かんでしまうほど外しまくっていた。で、藤居に話しかけることにした。あんなに応えろ応えろと顔じゃない要求をしていたわりには、藤居は直接話しかけても絶対に応えない。

<ついーと>
.@sora_papa 君が絶対に触れないと思ってたトピックは見事スルーしたね。一部の保護者の脳汁ついて。君みたいにすぐに騒ぎ立てる親に遠慮して今まで専門家も遠慮して言わなかったけど、君たちの私への攻撃をそういう視点で見てうちに同情や励ましを送ってくれる支援者は多いのよん。

いや、そうなのよ。
保護者でも保護者に苦労している人はいるし、支援者でも保護者に苦労している人はいる。
「障害児の子を授かった」という理由で一般人にやりたい放題する人がいるからね。
権利擁護だのなんだの言う前に、自分たちが社会人としての適切な振舞い方を覚えてほしい。
じゃなきゃ子どもにSSTなんかできないでしょ。

<ついーと>
.@sora_papa あと君は徹底的に社会との関わりを書評において無視するね。どんな子もそれなりの社会に参加していく。そしてこの本は一人の臨床家が社会との相克から生み出した記録。そういう背景があってのトラウマ概念なんだ。社会との関わりに興味がないとその辺気づかないのかな?

杉山先生の本冒頭の表「発達障害の新たな分類とその経過」に私は「ははあ、なるほど」唸ったのだが
その理由の一つが、重度の知的障害を伴う人たちの併存症に「心因反応、被害念慮、うつ病」がしっかり書いてあったことだ。
わからないから苦しまないのではない。苦しいんだ。それが行動化しちゃう。
だから苦しみを取ってあげなくてはいけない。そしてそれは、真綿にくるむことではない。居場所とやりがいを作ることだ。

知的障害の重い人たちも、また社会の中に生きている。
私たちの生きる社会とは違うかもしれない。
でも社会の中に生きている。
だからどんな知的障害の重い子を育てても、社会との相克という視点は欠かせない。
別に杉山先生が精神分析に肩入れしていて、「怪しげな」と藤居が素人判断を主張する力動系精神医学に惚れこんで、トラウマ概念を引っ張り出してきたわけじゃない。
それが全然わかっていないようだから、もしかしたら落丁本なんじゃないかと思って、忠告してあげた。

<ついーと>
.@sora_papa 君が買った杉山先生の本には、45から53が抜けてるのかな?だったら講談社に言って交換してもらったほうがいいよ。いいかげんなレビュー書く前にさ。

だってそうなんだもん。
そこ読めば経緯は書いてあるんだもん。

それと実は一番あきれたのがこれなんだ。

<ついーと>
.@sora_papa それとさ、君は自分のブログの読者のリテラシーを相当低く見積もってるんだね。君が思ってるより読者はそれぞれ一冊の本を斟酌しながら読んでると思うよ。

そうそう。
ここが一番違和感を感じた点。
彼のブログの書き方を見ていると「啓蒙」だよね。
「知らない民草に知ろしめる」っていう感じ。
ベムと一緒に、「偽科学批判を理解しない親にはリテラシーがないから」って決め付けてた発言は先日ここに貼ったけど
基本的に親仲間をバカにしているんだろうね。自分が教えてやらないと悪い方向に行く、みたいな。
またバカにされても仕方ないような思考停止の信者が周囲にいっぱいいるしなあ。
彼らに言わせるとニキさんの本も神田橋先生の本も喜んで読む花風社の読者はバカ扱いなのかもしれない。
失礼な話だ。
でも私の見たところはこうだね。

<ついーと>
.@sora_papa 少なくとも私が個人的に親しくしている保護者の人の中には、子どもの不機嫌を「怒ってしまいました」で済ますような思考停止でボキャ貧の人は見たことないね。つるむ学者も青二才が多いみたいだし、実は一般の保護者のレベルの高さわかってないんじゃないの?

そう。私は藤居より、一般の親御さんのリテラシーを高く見積もっている。
その上で本を作っている。

でもさ

<ついーと>
まあこの本は読む人多いだろうから、みんな読み終わったら藤居のレビュー見て、やつの読解力をそれぞれ判断すればいいよね。

藤居の読解力を判断するにはかっこうのレビューだと思います。
あの本は読む人多いでしょうから、読んだあと「そらまめ式」のレビュー読んで自分の感想と比べてみるといいよね。

さて

ここまでつぶやいて寝て(休肝日。ただしB)起きてみたら
朝、白くま母さんからついーとが来てたから返事した。

<ついーと>
おはよう母さん。本当にそうだね。ニキさんは正しかった。RT @Shirokumakasan: @asamijunko 本当に残念な人なのね。藤居に言わせれば、私は一般の親ではないみたい。私はちゃんと理解し子育てに活かせるわ。

別に母さんが医療関係者だからこの本を活かせるわけじゃない。
普通の母さんだからだ。強い特性を持って生まれた子を持つ一人の母さんだからだ。

だいたい本の読み方ってこういうものでしょ。

<ついーと>
杉山先生と同じことをできる人は多くなくても、先生たちはあの本を読んで自分なりに何かを学ぶ。神田橋先生の本もそう。そういう本の読み方を知らない人なんでしょ。RT @Shirokumakasan: @asamijunko 決してこの先生独自の杉山流ではないわね。

いや、私は「おばかレビュー」って書いたけど
あのレビューを読んでこの杉山先生の本を読まないことを決断した人がいたとしたら

「おばか」じゃすまないね。

「有害レビュー」だね。

=====

写真は風林火山キテイちゃんですよ。
これを見て「立行司」を思い出してしまうほどの相撲脳です。

人生の構造化

2011-07-25 07:18:10 | 日記
さて、名古屋場所が終わりました。
そろそろ仕事しなくては。

それにしても面白い場所でしたね~。
魁皇の引退はもちろんさみしいですが
世代交代のシンボルといえばそうかもしれません。

これほど面白い場所だったのにお客の入りは今ひとつだったみたいですが
ずっと世の中を「流れ」という視点で見てきた私にしてみると
これさえも再生の第一歩のように思えます。

日馬富士の優勝ももちろん痛快でしたが
関脇三人二桁勝ち越しというのが次場所への期待を盛り上げます。

稀勢の里は千秋楽、やってしまうのではないかなあと思っていましたが
やっぱりやってくれました。
こういうところで勝つから華がある感じがするんですよね。

これだからきせのんはやめられない。

KYも能力ですね。
長沼先生のおっしゃるとおり。
強みは弱みの裏にある。

さて、土曜日に瀧澤久美子先生にお電話でお話したことの続き。

大地君の原稿の話です。

大地君の小学校三年生の一年間の記録です。
それを読んで感心したのは、生活そのものが構造化されているなっていうこと。

いや、スケジュールとか、トランジションとか、そういうことだけじゃありませんよ。
そういう構造化はもちろん当たり前の話ですが

きちんと告知され
知的障害のない・軽い自閉症というものが今の日本の国の中でどういう風に位置づけられているか教えてもらい

「自分でご飯を食べられる人になる」という明確な目標を持って
本人と周囲が連携している。

それを阻むものは何か
それもきちんとわかっている。

そして
・支援級
・交流級
・おうち

でそれぞれ取り組むべき課題(余暇も含めてね)をきちんとつかんでいる。

いわば本人に周囲が全部「ネタバレ」している状況ですから
報酬系が育つのは当たり前なのです。

私は横浜障害児・者を守る連絡協議会さんからミニコミ誌を毎回送っていただいていますが
その中で知的障害のあるダウン症のお子さんに告知され、ご本人の受け止めもよかったという話を読んだことがあります。

少なくともある種のお子さんにとって
「ネタバレ」はわかりやすいのではないでしょうか。
周囲の心配とは裏腹に、安堵感を与え、報酬系を育てるのではないでしょうか。

大地君のすっきりした環境を見ると
ろくすっぽ説明もないままなぜか同級生より少人数のクラスに送られ
なぜか人と違う教材を使って勉強していて、どうしてなのかまったく教えてもらっていない子どもたちがかわいそうになります。

いくら親がネット等で情報交換し
手を尽くして高価なグッズや療育を与えられても
なぜ与えられるのかわからないわけですしね。

この写真は去年の五月場所のときに入り待ちで撮った稀勢の里と当時付け人だった隆の山。
チェコから初めてやってきたお相撲さんです。



関取になる日を十年夢見てチェコに一度も帰郷しなかった。
五月の技量審査場所で十両昇進をつかみ、十年ぶりに帰ったそうです。

不祥事でたくさん穴があいたあとの番付で、いきなり十両五枚目に上がってしまい
家賃が高いかなと思いましたが、堂々の二桁勝利。優勝争いにも絡みました。
101キロの軽量ならではの工夫をしたお相撲で、館内と配信やテレビを見ていたファンを沸かせました。

今となっては貴重な付け人姿です。
関取が染め抜きを着ているのに対し、当時幕下の隆の山は一色の浴衣を着ています。

きっと来年は
美しい染め抜き姿、あるいは羽織袴で五月場所に現れるでしょう。

構造化・視覚化された世界です。

これは報酬系が育ちますね。

もちろんこれで逆に凹む人もいますね。
私がよく観察するのは
親、あるいは支援者が凹むタイプであるのを理由に、余計な配慮をしてしまい、本当は凹まないタイプのお子さんにまで
逆効果の「ネタバレしない作戦」が遂行され、発達が抑えられているパターンです。
保護者や支援者が、自分を相対化しない場合
あるいは子どもによって刺激に対する反応が違うと知らない場合はね。

あとね、「予後は悪いに違いない」とアプリオリに信じている親御さん・支援者の場合も
ネタバレは好きじゃないかもですね。
脳汁の問題なのか、もっと外部に要因があるのか、まあ色々あるんでしょうけど。

自分、あるいは自分のお子さんがどっちのタイプか
どの程度の「ネタバレ」が有効なタイプかは
「活かそう! 発達障害脳」が参考になるのではないでしょうか。


評判は人をつぶさない。つぶすのは・・・

2011-07-24 07:45:30 | 日記
さて、来週は岩永先生の講演会@横浜です。
その件で昨日、瀧澤久美子先生からお電話いただきました。

いつも保護者の方がまとめ買いをしてくださるのですが、「活かそう!」も追加でご注文。
ありがたいことです。
「あの本は浅見さんがいなきゃできなかったわね」とお褒めの言葉。

そうだと思います。
長沼先生もそうおっしゃってくださっているし。

別にこれを認めることは傲慢じゃないと思うよ。
だって基本的に仕事ってそういうものでしょ?
長沼先生がよそで本を書くこともあったかもしれない。そして、売れることもあったかもしれない。
けれど
それは私が作った本とは別のものになる。そういうものでしょ?

横浜にも、北海道にいたころ長沼先生にみてもらっていた方もいるそうです。
とてもいい先生だった、とおっしゃっているそうです。本当に助けられた、と。

たぶんそういう風に、地道に地域で一人でも多くの患者さんをラクにするために日々を送っていて
別に本を書くなんて野心のない先生が
全国じゅうにたくさんいらっしゃるのかもしれません。

そこで執筆につながる出会いがあるかどうか。
今回はその出会いがあった。
そしてあの本が生まれた。

そういうことです。
縁ですね。

藤居学は「ぼくアス」に傷ついたあと
大地君が正式な診断を受けていなかったのではないか、それは出版倫理としてどうなのか、とか
花風社が弱肉強食の社会体制をむしろ促進する立場にあるのでないか、とか
くだらない言いがかりと当たらない想像をついったーでつぶやいていました。

そして「拡散」されると大喜びで
そういう機能を利用して評判(この場合は花風社の悪評判ね)を広めるとかなんとか言ってました。
うちをつぶす計画だったみたいね。
ついったーのそういう機能を活用して悪評判をばらまくと堂々と宣言していました。黒いね。

ベムも同様。
ぐぐると自分のブログが上にくるとか喜んでいた。黒いね。

名大吉川徹は私に
「ウェブ上で影響力のある論客」である「そらパパ」との和解を勧めてきたりした。そのほうが版元として有利じゃないかと思ったみたい。アホ。

三人揃って誤った社会的認知と肥大した自己を持ってたんでしょうね。

たとえば私は最近吉川の実名をここでさらしているけど
それによって吉川の社会的な立場をつぶすつもりはありませんよ。
「名大 吉川徹」の検索でここにたどりつく人も多いけどね、昨今。

ていうかつぶせるわけがないと思っている。
吉川がちゃんと仕事をしているのなら、私の敵であることは一生変わりないけれど
このブログで私が悪口を書いていることが、検索でこのブログが引っかかることが
吉川の立場をつぶすことはない。

藤居もベムも吉川も世間知らずだから知らなかったこと。
それは
「評判では人はつぶせない」っていうことです。

私は知っている。
山岸に攻撃されてきた十年間、本はずっと売れ続けた。

誰かが誰かの悪口を言う。
それは「存在を知らせる」きっかけを作るかもしれない。
でも本を読んで、それを子どもの療育に役立てようとするくらいの読書力のある人は
自分の目で確かめてみるものです。

「そんな会社の本なら読まない」という選択をする人だってもちろんいるでしょう。
でもそういう人は追わなくていい。
追わなくていいんです。なぜなら
去るものを追わなければ、来るべき人が来るものだから。

万人受けを狙ったらつぶれる。
それが私がこれまでの職業生活で得てきた教訓です。
とくに小さな版元が生き残る道、それは万人受けを決して狙わないことです。

弱小版元、と悪口のつもりで言う人がいる。
別に悪口だと思っていません。
本当のことだから。
むしろ私の誇りだから。
弱小にもかかわらず、大きな資本が入っていないにもかかわらず
出版不況の中、やってこられた自分を私は誇りに思っています。

私が藤居たちとやりあっていたとき
「評判が大事では? やりあうのはよくないのでは?」と忠告してくれる人たちがいました。

そのうちの何人かは
「ワープア」とか名乗っていました。
本当かどうか知りません。でも「お金をじゅうぶん稼げていない」という自己意識を持っているらしい。

あああ、評判が仕事の状況を左右する、なんて思っていると
そのためにいいがかりをつけてきた連中と和解しよう、なんて他人に忠告しちゃうほど世間知らずでしかも弱腰だと
そして言うべきことも控えるような仕事の仕方をしていると
仕事で成果を上げるのは無理かもね、と思いました。

大大大博士祭りがあったり
神田橋先生が私を嫌っているという噂を立てられたりしたとき
「先生が私を嫌っていることになっているようですよ~」とご報告した私に
先生が私に教えてくださった世の中の仕組みはこれ。

「世の中には敵と味方が同じ数だけいるものです」

あ、そういえばそうだ、と思いました。
ぎゃあぎゃあ騒ぐ敵が多い私には
たしかに味方も多いです。

こういう小さいビジネスの場合、誰かの仕事をつぶすのは、悪い評判じゃないんです。
悪口では仕事はつぶれない。

変人枠で生きていったほうが有利な人たちが
なぜかそのことを知らずに、「悪い評判を立てられないこと」にきゅうきゅうとし
あるいは悪い評判で嫌いな誰かをつぶせるとカンチガイし
付和雷同しているのが不思議です。

私は夫に言いました。
「発達障害の子を持つ親御さんたちは、私の発言や行動に目くじら立てるより、私のような変わり者でも大して困らず世の中渡っていけることに希望を見出せばいいのにね」
「そのとおりだね」と言われました。

悪評判で仕事はなくなりません、
じゃあ何が仕事をつぶすか?

答え。
社会的な意義がなくなれば、その仕事は終わる。

ある仕事に社会的意義がなくなっても
別のテーマに出会った会社や人は別のテーマに出会い、形を変えて生き残っていくみたいです。
でもそれは、探して得られるものではない。
今与えられた場所で自分のやるべきことをとことんやった会社や人に見えてくる世界なのですね。
だから
評判を気にしすぎて発言や「やるべきことの追求」を控えることは、むしろマイナスに作用する。

私は二十年以上の職業生活を経て、つぶれた会社、消えていった人もたくさん見て
そういう世の中の仕組みを学んできたから
評判で人をつぶせると信じていたベムや藤居や吉川が子どもっぽく見えて仕方なかったですね。
社会の仕組みを知らないようにしか見えませんでした。

昨日瀧澤さんにした話。

「活かそう! を作るのは相当エネルギーが必要だったので、神田橋先生の本を出したあとのように、今は引退したい気分です。私はいつでも発達障害の世界から引退する用意があるし、会社は借金もほとんどないし、いざとなっても生活にはあんまり困らないと思います。こういう状況で、発達障害の世界と今のところかかわりがあるというのも何かの縁でしょう。私はいわば『いつ去ってもいい人』なので、発達障害の世界に縁がある間は、多少嫌われても言うべきことを言おうと思います。私の言うことが受け入れられないのなら、それが皆さんの自由な選択の結果でしょう。そうしたらこの世界を去ります」

「そうね」と言われました。

これが私のスタンスです。

=====
追伸

昨日は日馬富士が優勝を決めたので二回更新してありますよ↓。
夜にはシャンパンを開けました。
日馬関や稀勢関の勝利を祝って。でも実は、誰よりも若の里関の男前ぶりに乾杯!

お相撲なんかを見ていて思うのですが
本当に「他人にどうこうなってほしい」って思うのは空しいですね。
好きなタイプのお相撲さんを応援するのはいい楽しみですが、
勝敗や出世にはあきらかに「流れ」があります。
「流れ」を一人の人間が変えられるというのは傲慢だしね。
そして「流れ」が逆に向いているときは、来るべき日に備える勉強の期間なわけだし。

応援の場合でも逆のベクトル(他人の不幸を願う)の場合でも、使うエネルギーは同じ。
自分がどれだけ「この会社・人物・考え方は許せん」と思っても
その会社・人物・考え方を必要としている人が自分以外に一定数いる限り、「いなくなってくれ」という望みはかなわない。

応援、非応援、どっちも同様にエネルギーを使います。
藤居、ベム、吉川及びそれに類する人々は、他人の不幸を願う分のエネルギーを、自分のかかわる人たちの幸福を願うほうに使ったほうがいいでしょうね。

その点やつらの励んでいる「偽科学批判」という娯楽は、あんまりエネルギーの使い方としてベクトルがよくないだろうな~なんて思います。
しかも呼びかけられるほうは「なんでよそんちのことに口出すんだろ?」なんて不思議に思っているし。

本人たちはこんな風にとらえているようだけど

いやはやたいした思い上がりです。
こうやって「あなたの療育は間違っている」とか言われたら、不快に思う人がいても別に不思議じゃないと思いますね。
こいつらは自分たちの「偽科学批判」が浸透しないのは皆さんに理解力がないせいだと思っているみたいですね。
これもまたカンチガイ。イタタ。

さて千秋楽。
今日も楽しみます!

おめでとう日馬富士! とそのほかもろもろ。

2011-07-23 19:07:33 | 日記
さて、十四日目にして大地君の大好きな大関日馬富士が優勝を決めましたよ。

日馬は私のタイプのお相撲さんじゃない。でも白鵬の独占が続くより純粋にお相撲ファンとしては面白いし
第一大地君が日馬の活躍に刺激されて、なんだかまた色々頑張る計画を立てたようですよ。
よかったね!
応援している人の活躍は、誰かを元気付ける。
でもね
応援している人が活躍したって、自分の活躍じゃない。
あくまでその頑張った人の実績であって、自分の実績じゃない。

自分は自分で道を切り開いていかないといけない。
私がなでしこさんたちに人々が向ける「感動をありがとう」みたいなのが苦手なのはそこ。

今日は稀勢の里も勝ったし。うれしいことは続く。

でも今日一番うれしかったのは日馬の勝利でも稀勢の里の勝利でもなかったんだな~私の場合。

うふふ。

私は藤居学がほりのめぐみさんとか言う人に、浅見を方々が旅費とかを出して呼ぶのが許せんとか息巻いていたり

「ぼく、アスペルガーかもしれない。」を検索すると自分のブログが一番上に来ると大喜びしていたり

ベムが自分のインチキブログが花風社をぐぐると引っかかると喜んでいたり

名大吉川が「花風社に儲かってほしくない」とか堂々と発言したり

この三人の性格の黒さ(せこさ?)にはあきれはてていたが

というのは私は自分の幸福は願っても嫌いなヤツの不幸は願わなかったから
嫌いなヤツは絡んでこなければこっちからは構いに行く気はないからね。だってモットーは専守防衛だし。

でもちょっとは
私にもそういう黒い面はあるようです。うふふ。


でも、スポーツでもないところで他人の不幸を願ってばかりいるこの三人は本当に腐った人間だと思ってるけどね!
「偽科学批判」という彼らの娯楽が実を結ばないのは人々に理解力がないからじゃない。
見ているとイヤな連中で、字数を費やすわりには情報が薄い文章しか書けなくて
基本的に陳列業に過ぎず
しかも自分たちに実績が上がってないのを同時にさらしているからだ。

まあそれはともかく

明日が千秋楽です!
さみしいなあ。

うれしいことがたくさんあった一日

2011-07-23 07:05:08 | 日記
さて、昨日は朝からうれしいことがありました。
愛甲修子さんからのメール

=====

先日、神田橋先生とお会いしてきました。
長沼先生の「活かそう!発達障害脳」が座右に置かれ、「この本はよかよ」と陪席されるお医者さんにすすめられていました。

=====

おおお、これはうれしい。
愛甲さんご自身も、さまざまな研修でご紹介くださっているようです。
早速長沼先生にもお知らせ。
喜んでおられました。
長沼先生のほうは、神田橋先生から贈られた「技を育む」をご紹介して歩いているそうです。
長沼先生はそういえば、お会いするたびに大きなかばんから手品のように色々な本を出して説明してくださいます。
お勉強熱心で、しかもそれを血肉にされて臨床に活かしていらっしゃる先生です。

それから都内某所に。
保護者の方と取材という名の楽しいおしゃべり。
私が「自閉っ子と未来への希望」に書いた
「未来ごとの受容」ということがここのおうちで実現しているのは
これまでの道のりが厳しかったこそ見えている希望の光があるからなのだとわかりました。

中学生の成長段階で、社会に出られる姿を呈している子はいません。
障害がなくたって。
でもこれまでの努力と伸びてきたスケールを考えると
ある年齢に達したとき、どれくらいになっているかはかなり夢が描ける。
真正面から取り組んできたからこそ、将来に希望が持てるのですね。

お話いただいたことをここでこれ以上詳しく書くことはしませんが
最後のほうで、私が自閉症の人にかかわるスタンスについてご説明しました。

我が家には、一般の日本人より知独系な人がいます。
そして私は一般の日本人より知自閉っ子系でしょう。
ドイツ人と自閉っ子。私たちにとってはどちらも異文化で、ときにはわけのわからないことを言ったりやったりする。
でもそれには彼らなりの理由がある。
それを面白がったり、理解しようと努めたり、ときにはケンカをして、ときには仲良くする。
そういう意味で我が家において「ドイツ人」と「自閉っ子」は同じカテゴリーです。
支援の対象ではない。
一緒に世界を構成している、一緒に生きていく、異文化の人たち。
対等だから、仲良くすることもあれば、売られた喧嘩も買うわけですし、権利を侵害されたらきっちり落とし前をつける。
同じようにドイツ人だったり自閉っ子だったりしても、気の合う人と合わない人がいるのは当たり前。人間なんだから。
それが私のスタンス。
だから私は自分のことを支援者と自認したことは生まれてから一秒もないのです。
だって支援者は選べないでしょう?
あ、選べるか。
だって人気の施設やサービスには定員以上の希望者がいますもんね。もちろん就労先にも。

まあそんなおしゃべりをしたりして、楽しく過ごしました。

で、帰ってきてお相撲。
テレビとついったー桟敷です。

稀勢の里給金相撲。
なでしこの決勝のときは、最後まで勝利を確信して(とくにPKになったあとは完全に勝利を確信し)
全部見届けた私ですが
このときだけよその部屋に逃亡しました。見てられなかった。
「勝ったのは稀勢の里!」というアナウンサーの声を聞いて、安心してVTRを見たという、ちきんです。

そして夜。

このブログに感激しました。

ブログ主の方とは親しくさせていただいているので、余計うれしかったのですが
報酬系を育てるためにも、社会の仕組みを教えるためにも
こういうことをやってくださいとニキさんと二人で言って歩いていたことは
「自閉っ子と未来への希望」にも書きましたしね。

お金の問題を学校現場で扱わないことが、いえ、ときにはお金を稼ぐことを罪悪視するような教育さえすることが
多くの混乱を招いています。
大人になった高機能ASDの人も、「稼ぐ」ということに植えつけられた罪悪感を持ちながら企業社会に生きるのですから
それはそれは不適応を起こしても仕方ない面があります。
お金を稼ぐことは悪いことではないと早めに教えておいてほしいですね。

「自閉っ子と未来への希望」にも書きましたが
ASDの人たちを傷つけているのは現実ではないのですよね。
現実のわからなさ、です。
現実を受け止める力は意外とある。
そう思って見てます。