治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

二つの啓発路線

2011-06-30 08:51:00 | 日記
という話を札幌でしましたが
それをカンタンにおさらい。

支援学校に知的障害がない、あるいは軽度の子があふれ
重度の子たちが就労への準備から「区別」されているとか

あるいは普通学級の中で発達障害の子が、学習の時間を過ごせず
漫然と時間つぶしさせられているとか

そういう話を聞くと私は、それは一種啓蒙の成果なんじゃないかと思います。
逆説的に。

この十年あまり、大々的にキャンペーンやってきたでしょ。
あれができない、これができない、って。

それが浸透したんじゃないの。
だからおみそ扱いが始まっているのでは?

啓発は片肺じゃいけないと思うんです。

「これができないんです。親のしつけのせいでも本人のやる気のなさのせいでもないのです」

という啓発も大事だろうけど

「普通の教え方じゃできませんけど、こういう教え方ならできるようになります」
「できないことも多いですけど、意外なことができるようになります」

という啓発も大事なんだけど
まあ前者に偏りがちでしたよね、これまで。

「親のしつけのせいでも本人のやる気のなさのせいでもない」のは確かだけど

報酬系を育てることはできるわけだから。

今朝、カナーちゃんのお母さんが声をかけてくれたよ。
「ラインを引きながら読了しました。浅見さんがうちの子は賢いって言ってくれてた意味がわかった」と。

そうでしょ。
そこんちのお子さんは、賢い子だなあとずっと思ってたのよ、私は。

昨日ある講演会聴きに行きました。

脳の機能にも触れていたけど、まだまだ療育の世界では
脳科学を使いきれていない印象がありましたね。

左右、前後だけじゃなく、脳には表面と深部もあるからね。

知的障害があっても賢い子はいるのよ。

そこが長沼先生の治療の面白いところなんだなあ。



報酬系が育っているかどうか

2011-06-29 07:51:36 | 日記
昨日「ASDの人は達成感より途上の努力に苦痛を感じるので頑張らせることはむしろマイナスである」という大意の
紋切り型のりついーとが回ってきた。

これ、「みんな違ってみんないい」に反していると思うんですよ。

ASDの人が達成感より途上の努力に苦痛を感じるのは
一般の脳の人より「報酬系」が育ちにくいから。
「報酬系」については、「大脳基底核学習」「ノルアドレナリン」等のキーワードで、長沼先生も詳しく説明されていますが。

でも一方で、栗林先生のいう○○○などにより
報酬系が育ったASDの人たちもいて
その人たちの場合には達成感が心地よい。

なのに

支援者がKYだという話が入ってくる。

たとえば従来型の教育しか頭にない教育関係者を集めて講演するときには
上記のような問題がある、と情報を与えるのはいい。

でも
「手帳持っている人もいるし、発達障害者雇ってみようかな」みたいな雇用者を集めたセミナーで
上の主張を堂々とされると、みんなひいてしまう。
そして頑張る用意のある発達障害の人が迷惑する。

こういうこと実際にもう起きているみたいですね。

いったい「達成感より頑張る途上が苦痛」なんて支援者に決め付けられて
まこさんやちゅん平や大地君はどう思うんだろ、とぼそっとつぶやいたら
朝起きたら答えが返ってきてました。

まこさん
「達成できたなら別に嫌な記憶ではないです。達成できないと未来にもっと辛い記憶が待ち構えていることを知っているのでそのほうが苦痛です」

これはまさに「報酬系が育っている」段階の言葉ですね。

ちゅん平
「イヤな記憶に残るからって、当事者に言うのかな? そうだとしたら、お節介な入れ知恵にすぎないと当事者の私は思う。そういわれたら、失敗したときのことをリアルに想像して脳内なまはげ増産されてしまうもん」

そう。この人はそういう脳みそ。リアルになまはげ作るのがうまいのよ。でもそれは、いい方にも活かせるの。だからこういう人を生きやすくするにはどうすればいいか、長沼先生は書いてらした。「頑張らなくていいんだよ」はだから、この人にもマイナスなのよね。

ちゅん平続き
「だいたい、頑張らせてはいけないって、何で支援者が決めるの? 支援者は頑張ったことないの? 達成感を感じたことがあるなら、それを自閉っ子にも感じさせたいと思うはず。その過程でイヤな記憶が残らないように努めるのが支援者の仕事じゃないの?」

いや、そのとおり。他の保護者からも

「障害があるだけで本人の思いを通すことがこんなにも難しいかと思うことがある」とか
「答えは当事者が出すものでしょう。支援者じゃなくて」という意見が聞かれました。

当事者不在を嘆く声もありますが、私がおかしいなと何より強く思ったのは「活かそう! 発達障害脳」を作った直後だからか
「脳みその個別性無視」ですね。
「この子たちは脳みそが違う」と主張すべき人たちが
「ASDだから頑張らせてはいけない」と決めつけることの矛盾。

これはまさに神田橋先生のおっしゃる
「診断が粗い」状態から起きている現象でしょうね。

報酬系が育っている子にも育っていない子と同様の支援しかしないのなら
むしろ反「みんな違ってみんないい」だし
アセスメント不在ですね。

アセスメントがあってこその支援でしょう?

白くま母さんがこんなこと言った。

「その学校では特別支援教育が始まってないんじゃないの?」

だろうね。またこういう戯言を信じちゃう親がいる。
その親の子は達成感を味わえないと決め付けられたまま大人になるのかしら。ぶるぶる。

別の人がこういうことを言った。

「頑張らせないは時代遅れ」

結論はこれ。

報酬系を育てましょう。
育て方は長沼先生の本がヒントになりますよ。

情報というもの

2011-06-28 09:01:15 | 日記
昨日、読者の方からメールを頂戴いたしました。

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今回驚いたのは 長沼先生の発達障害の脳機能についての情報のすばらしさです。
情報の量、質ともに深くてまた的確であり、また現代の脳科学の進歩に驚き、昔
わたしが医大で学んだ脳のことは、本当にほんの一部だったんだとわかりました。
そして、子どもついても 今までなんとなく感じていた疑問がいくつも解決したようで
す。
子どもにあてはまる内容を一生懸命に読んでいます。

=====

私も長沼先生の本を作るまでは「MRIで活性化していない部分を突き止めてどうのこうの」あたりが最先端の脳科学かと誤解をしていました。
今ではもっともっと脳の仕組みが明らかになり、療育に活かせる場面も増えていることがわかりました。
逆に発達障害の人の脳の仕組みを知ると
TEACCHがどうしてああなのか、とかある子には行動療法が効いてある子には感覚統合が効いて、みたいなことが裏付けられるんですね。

脳科学を療育に活かせないと決め付けている人々は
実は最先端のことを知らずに言っている場合も多いですね。
でもまあ、仕方ないと思います。
情報を求めにいかなければいけないのが一般の人でしょう。求めきれないところもあるでしょう。
私たち版元ももちろん求めなければいけないんですが、むしろ情報が「押し寄せてくる」というのが実感です。
そういうインフラが出来上がってくる仕事なんですね。

=====

神田橋先生の本では「安心」と「希望」を、今回の本ではさらに前向きな「やる気」
をいただいた様な気がします。親だけでなく専門の先生、また普通級の先生方にぜひ読んでいただ
きたい、中学、高校の先生に読んでいただきたいです。

=====

この秋講演に行く主催者の方から先日
「何かしゃべりたいことはありますか? 参考にします」と言っていただいたのですが
私は聴衆の人々の性質を考えて「障害児の将来は消化試合ではないとお話したい」と言いました。

支援学校の高等部に知的障害軽度・無しのお子さんが増えて
重度の方が就労可能な対象だと思われていないのではないかという保護者の嘆きを聞きました。

発達障害があるから、たとえ知的障害がなくても障害者として将来を送らせようと思う方が増えたのでしょう。
私にはそれは「縮小再生産」に思えます。
知的障害のない子の関係者が「安全策」「縮小再生産」の戦略をとるから支援学校が知的障害のない子でいっぱいになり、
学校側が就労の実績をにらんで軽度の子にばかり重点を置く。
これも縮小再生産ですね。

先日札幌に行ったとき、高専で特別支援教育に携わっている先生にお会いしました。
「高専みたいなところがちょっと変人だけど仕事のできるエンジニアを育てないと、重度の子が迷惑する。頑張るように」と命令(?)しておきました。

でもまあ、本気です。
原発の安全な運用とか、汚染水の処理とか、もしエンジニアとして優れた仕事をする人が凸凹脳を持つのなら、そういう子をつぶさずしっかり育ててもらいたい。

いやいや、そんな華やかな仕事ができる才能がなくても
せめて勤勉に労働する人間に育ててほしいですね。

読書の週末

2011-06-27 09:42:11 | 日記
土曜日の夜、札幌から帰ってきて
(現地の方々! お世話になりました!)

日曜日は読書の日でした。
私が読んだのはこれ。




原発に少しでも関心がある(ない人はあんまりいないと思うけど)人には必読の書じゃないでしょうか。
そしてこの問題に対する情報の混乱とかね
驚くほど発達障害と似ています。
つまり
「まだわからないこと」が多いという点で似ているからこういう混乱が起こるんでしょう。

私のTLにはもちろんこの本を読んでいた方が多かったですね。




「ここがすごい!」というところは皆さん様々ですね。
「薬の話」とか「代償発達の話」とか。
私としては
「出力が癒していく」という場所が結構「なるほど!」と思いましたよ。

愛甲修子先生から早速感想をいただきました。

=====

「活かそう!発達障害脳」全部読んでからメールを出そうと思っていたのですが、途中まで読んで、あまりに感激したので、とりあえず、お礼のみ言わせていただこうと思い、メールさせていただきました。

これは画期的な本です。
当事者はじめ、親御さん、お医者さん、教職員や専門職の方々に読んでもらわなければなりません。希望が見えなくなっている今の日本で、「人類の未来への希望」につながる本を生み出していただいて、ありがとうございました。浅見さん、素晴らしいです。

私は今年も教育委員会特別支援教育専門家チーム委員をやらせていただいているので、研修会の際に紹介させていただきます。
大学の授業でも学生さんたちに紹介します。

=====

ありがとうございます!
そろそろ書店販売も始まってくるでしょう。リアルでもネットでも。

自閉っ子に心がないとか

2011-06-26 10:33:01 | 日記
さて、栗林先生相手の対談で
私はあるエピソードを披露した。
「修行」のやり方について詳しく栗林先生に質問したあとのこと。

ブログを読んでいるらしき(そして本は読んでいないらしき)読者からメールが来た。
どうして「修行」という精神性を帯びた言葉を使うのか。
自閉症の人たちは心がないじゃないか。

えーとね、この人自閉症のお子さんを持つお父さんのようです。

私はびっくりして、あきれて、返事をしませんでした。

そのあと脳の本を読んでいたら
「脊椎がある動物には心がある」って書いてあった。たしか池谷先生の本。

長沼先生とのお話の中でも
「情動」っていうのは別に人間独自に進化した大脳皮質にあるものじゃないと教えてもらった。
画伯がマンガにもしてくれた。

それに私は自閉っ子に心があることをよく知っている。
たとえばパニックを起こす重度のお子さん。
いやなものをいやと感じるからパニックになる。
心があるからパニックになる。

それと、ASDの既婚者に、どうやって相手を選んだかきいてまわったことがある。
面白かった。

選ぶ基準は私たちと違ったりするけど
でも心はある。好きになった相手と結婚している。

「活かそう! 発達障害脳」の中で
「どの子にもいいところがある」という長沼先生に私は言った。
「気づかれる子はいいですね。気づかれない子はかわいそうですね」

本当に、障害があるだけで
親に「この子は心がない」なんて思われていたら
本来持っている発達の力だって発揮できないんじゃないの。

昨日の講演にはシークレットゲストがお二方。

一人は長沼先生。
本来お越しになれなかった予定でしたが駆けつけてくださいました。

もう一人は大地君。
ただし二時間じっとお話を聞いているのはつらいので、うちの夫とデートしてました。
iPadで遊んだり、ソフトクリーム食べたり、ユニクロ行ったりしたそうです。

講演が終わったあと帰ってきて
長沼先生とご挨拶。
長沼先生は、大地君と会いたがっていた。
そして早速、遊びながら、神経内科医としてのアセスメントがさりげなく入っていたのを私は見ましたよ~。

大地君が私にプレゼントくれたよ。
これ。




自分で彫ってくれたんだねえ。
心がこもったプレゼントだ。

そして講演会場であるASの女性のお母様に手紙を渡されました。
お嬢さんが講演に来たかったのだけれど、体調不良でかなわなかったとのこと。
まあASDの方にはよくある話です。

お手紙はピリカキティちゃんの封筒に入っていました。
これも心遣い。

長沼先生にはとてもお世話になっている。
先生の頭の中にあることを書かれている本が読みたいといつも思っていた。
今回浅見さんのプロデュースで大変読みやすい本になったと聞き
とても楽しみにしています。

こういう文面で中にはこれが添えられていました。





大きな四つ葉のクローバー。

こういう心遣いのできる人たちを
「心がない」なんてどこの誰が言うんだろ?
私は不思議です。

チケット完売だそうです

2011-06-25 08:52:57 | 日記
関東暑そうね。札幌涼しいですよ。
今年の夏はなるべく東電管内から脱出するのが東電孝行かもしれません。

札幌は週末雨の予定でしたがまた晴れ女力を発揮しちゃいました。

ところで7月30日の岩永先生講演会@横浜
チケット完売だそうです。
遠くは岩手や島根からも来てくださるとか。
ありがたいことです。
それだけ心と身体のつながりに関心が高まっているんでしょうね。

今日もそういう話ここでします。
ビッグなシークレットゲストが登場かもしれません。

うふふ。

行ってきます。

二つの啓発路線

2011-06-24 10:02:34 | 日記
札幌にて涼しい朝を迎えています。
昨日白くま母さんから明日は教育関係の方のご参加が多いと知らされて、レジュメを書きました。
貼り付けます。
参加方法等については6月10日のエントリをご覧ください。

********

6月25日講演会レジュメ

1  二つの啓発路線

異文化として

 社会参加保障
  発達保障
どちらも大事だが…

2  支援から発達援助へ

「発達障害は治りますか?」
修行
修行の種類
 発達促進、適切な工夫  修行は根性論ではない
ある読者からの質問 自閉症者と心
特性を細かく知る→「活かそう! 発達障害脳」

3  どのようなアプローチが可能か?
脳をラクにする
身体をラクにする
浅いワケを探る(「俺ルール!」)

4 発達障害者は弱者か?
脳のデコボコ
独特の脳の状態
「~という能力」
天才説は胡散臭くても
弱者という概念の切り替わり




私は修行が足りない

2011-06-23 08:42:55 | 日記
修行が足りないなあと思った出来事を三つ。

そろそろ早い方のお手元には自閉っ子通信が届きはじめるころで
そこには電子書籍のアドレスが載っていますが
まだ工事中です。
7月には開通の予定。
どこで止まっているかというと、私のところで作業が止まってます。すみません。
来週あたり電子書籍の構想についてゆるりゆるりとこのブログに綴っていきますね。

ある地方の自閉症協会でお世話になった方からご注文をいただき
重度の自閉症の坊ちゃんがお手伝い上手になり、助かっているというメッセージが添えられていました。
このお母様はなかなかの切れ者なので
きっとお手伝いを教えるのが上手なのだろうと思い
そういえば白くま母さんも上手かも、と思って電話できいたら

・・・すごくわかりやすく教えていることがわかりました。
大地君と妹ちゃんたちに、できるようにわかりやすく。

私が修行に行きたいくらいです。
洗濯物のきれいなたたみ方とか。

長沼先生の本を作るのに、北海道在住の当事者の方にお世話になりました。
たとえば飲み会の席から長沼先生を拉致するのを手伝っていただいたり。
そこで「本買わないでね、送るから」というつもりでお電話をしたら留守電で
メールが帰ってきました。
今取り込み中なので夜9時半くらいに電話します、と。

「私そのころジムに行ってると思います」とお返事したら

その返事じゃあ、その時間に電話していいのかどうかわからない、と悩ませてしまったらしい。
だって「電話出られません」とは書いてないもんね。

あああ、私もASDの人とのつきあいがいい加減長いのに
あいまいな言い方をしてしまった。

おまけに長沼先生が「献本したい人が二人いるので著者献本から送ってください」とおっしゃるのでどなたかと思ったら
神田橋先生とニキさんだということがわかり

「先生、そのお二方は花風社から必ず送りますから著者献本は先生にすべてお送りいたします」ときっぱり言って
「そうですか! よかった」と喜んでいただいたのに
今週手配できる分はすべてお客様に回してしまい

神田橋先生にもニキさんにも来週お送りすることになりました。

あ、四つだ。修行が足りないなと思った出来事。

というわけで週末は少しはじけます。
土曜日、札幌でお会いできる方はお会いしましょう。
詳しくは当ブログの6月10日のエントリをご参照ください。

来週には書店にも並びはじめます。
近くにない方、自閉っ子通信で「一生作業所で終わりたくない」と決心して乗り出したちゅん平のシューカツについて読みたい方
こちらからお申し込みください。
来週頭に送品可能です。

神田橋先生とニキさんにも送らなきゃ。それから岩永先生にも。
瀧澤さんにも。
取次以外の卸の皆様には、倉庫入りしだい即送るように手配をすませました。
毎度ありがとうございます!

じゃ
北の国ではじけてきます!
明日の夜は飲み会ですよ。自閉っ子関係者の皆様と。
白くま母さんは大地君を産んで以来はじめての夜遊びだそうです。
いきなり私が相手とは、復帰戦にしてはレベルが高いですね。

楽しみです!

合ったやり方探し

2011-06-22 06:52:28 | 日記
さて、前々回のエントリに賢ママさんから
「それぞれ合ったやり方を探せばいいのに」というご提案をいただきましたので
それを展開してみたいと思います。

賢ママさんのように、お子さんがお二人発達障害で
ご自分も当事者となると
一人に通じたやり方が他には通じないという経験はおそらく当たり前にされていると推測します。

一方で、この考えをしない人たちもいます。
何か自閉症の療育に効果的な一手があると仮定して
それを探す人たちですね。

脳みそ先生に脳みそのことを習ううちに私は
何か問いがあったとき

その問いに「正解」を求めるタイプの学習をしがちな人と
その問いを「解いていこうとする」学習をしがちな人がいるのを知りました。

で、どっちかというと、ASDの人は正解があるほうが楽なんじゃないかなと見ていて思います。

元祖「自閉っ子、こういう風にできてます!」にも出てきますが
どうしても答えが知りたいという自閉症の人の熱い意欲に私たちは困惑することがあるでしょう?

でも世の中そういう風にはできていないので
(つまり「正解」のない問いはたくさんあるので)

私たちは「どうしても正解を知りたい」というその情熱に戸惑うわけです。
だって正解はないから。
なくてもまったく困らないから。

でね

この「正解」を求めがちな脳みそかどうかでも
適切な教育は変わってくるわけです。

そして複雑なことに

脳みそを持っているのは療育を受ける側だけではないので
療育を選ぶ側も脳みそを持っているので

選ぶ側が「正解」をほしいタイプかどうかで
選び方まで影響を受けるわけですね。

写真は昨日出てきた見本。
かっこよく仕上がってきました。

ちゅん平が早速
脳地図という言葉が好きだ、とつぶやいていました。

わかりやすい? と訊いたらそうだと。

そうなんだと思いますね。
ちゅん平の脳みそにとってはわかりやすい。
視覚の情報処理が得意で、それを三次元に再構成するのが得意ですからね。

もっとも、これはいいことばかりではないのかも。
こういう脳みそだから
フラッシュバックなんかありありしちゃうのかも。

でもこの世の謎を解いていくためにも
ちゅん平のこの能力は活かせるものなのです。
シューカツでもその能力を使ったんですね。

人の脳みそはそれぞれ。
弱みを強みにしましょう。
そのアセスメントの軸が多くて楽しいですよ。この本は。

お申し込みはこちらへ。

障害者という立場にずっと身をおく必要はない

2011-06-21 08:05:30 | 日記
週末は電子書籍を自分で買って
PCで読んだり、iPadで読んだり、iPhoneで読んだりしていました。
うん、さくさく動く。

そんなときに二つ前のエントリにコメントをいただいたので
iPadで読むという話に終わってしまいましたが
実はここ、深いですね。

=====

ちゅん平さんをはじめ当事者の皆さんの道のりが
どんどん開けて進んでいくことを希望に感じます。
私も、親兼当事者ではありますが
もうあまり自分自身が自閉の当事者であることは意識しないようにしてて(自閉っ子の親である意識はしっかりあります)
新しい方向へ、自分が本来行きたかった道へ、ただ素直に進んでいくように、頑張っているところです。
皆さんを見習って、自分も頑張ります。

=====

脳みそ先生の方針も「いつまでも障害者の立場に身をおく必要はない」ってことだけど。

(「必要はない」ですよ。「おいていてはいけない」ではないですよ)

見るからに穏やかな先生がこういうこと言い出すのに最初はびっくりしたんですよね。
でもまあ、先生は穏やかだけど芯の強い修行系ですが。

で、今大地君の三年生だった時期の記録を読んでいるんだけど
大地君の場合は
障害があることを完全に自覚しつつも、「へたでもいい、みんなと一緒にやりたい」という気持ちが強いんだなあ、と。

「僕の取り扱い説明書3」のサブタイトルだって
「友だちと一緒に頑張る工夫」だからね。

三年生になる前に、栗林先生に呼び出されて
三年生の一年を、どう過ごすかを決めたんですね。
そして「支援級でも交流級でも両方でお勉強する」ことを選んだんです。
支援級で何を学び、交流級で何を学ぶか
最初からきちんと把握しているからいいですね。
これは障害との健全なつきあい方があって初めて成り立つことなんだろうけど。

そして交流級で学ぶことは
「友だちと一緒に頑張る工夫」なんですね。

大地君は「名誉健常者」という言葉にきっちり反論してます。
すごい筋の通った話。
もう少し大人に近づけば、立派に発達障害の世界の言論の一角を担うんじゃないかな。
そうしたら私はすっきりと引退できる(?)。

それはともかく

コメントをくださった方のように
当事者であることをもうあまり意識しないという状態を目指すのも
人によっては悪くないんじゃないでしょうか。

要するに人間、生きていく上では自分の特性をつかむのが大事なわけで。
それに定型のやり方があてはまらない、そういう話でしょ?

それにさ

支援学校の高等部が知的障害のない子でパンパン、なんていうのを聞くと
それは本来の姿じゃないだろうよ、と思ってしまいますね。
その分重度の人たちからリソースを奪っているんだろうし。

で、「じゃあ雇用枠は知的障害のない人で埋まってしまうんだろう」なんて思ってましたが
「そうじゃない。むしろ軽度は嫌われている」という話も入ってくるし。
支援を受けずに育った世代は俺ルールがすごいし、雇ってみて「ああ、もう発達障害こりごり!」っていう企業も増えちゃっているというのです。

だとしたらそれは支援の方向性の失敗じゃないでしょうかね。

「障害をもって生まれてきたけれど、ずっとその立場にいる必要はない」

こういうことを言う支援者がたまにはいてもいいと思いますね。

「世間が理解すべきだ」と当事者に向かって強調し、ちょっとしたことを一緒に被害的に受け取って「理解が足りない」と悲憤慷慨する支援者だけじゃなくてね。

選べるようになるといいのにね。

あ、そういえば新刊は、まとめ買いの方とても多いです。

「花風社から出ると言ったら必ず買う仲間がいるから」とのこと。そしてどういう本を好むかで親の障害観がわかるそうです。

ありがたいことです。まあ色々わずらわしいことはありますが、キャラ立ちしてるといいこともあります。

脳みそ先生の本、お申し込みはこちらへ。