治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

自閉っ子と感謝

2011-01-31 07:51:48 | 日記
さてさて、昨日は滋賀の講演会。
ニキさんと一緒でした。
実は今回は、自閉っ子にとって、他人に感謝するというのがどういう脳みそ労働なのかニキさんから聞き出すというのが密かに心に決めていたテーマのひとつで、
それは成功したと思います。
ニキさん滑らかでした。
今日あたり疲れているかもしれませんが。
来週、岩手でもこの感謝というテーマについては取り上げます。

たくさんのご来場もいただき、「自閉っ子と未来への希望」も完売。
皆様ありがとうございました。
これまでネット上オンリーだったお友達にも何人も会えました。

終了後、福岡に移動。
今日はここで講演会です。
今日も素敵な出会いがありますように。

満員御礼御礼

2011-01-30 07:35:17 | 日記
さて、巡業一日目、千葉の講演会が大盛況のうちに終わりました。
たくさんの方に来ていただきありがとうございました。
これから新幹線に乗らないといけないので、詳しくはまた後日ここでご報告しますが
とても特徴のあるいい会でした。
本もたくさん売れました。

お越しいただいた皆様
スタッフの方々
書籍販売にご協力してくださった若いASDの方たち

ありがとうございました!

ふだんネットでやりとりしている方にもお会いできました。
今日も明日も、リアルで初対面の予定の方々がいます。
楽しみです。

行ってきます!

3万人も自殺をする時代

2011-01-28 09:47:04 | 日記
先日、とあるお勉強会で経験したこと。

講師はお医者様(精神科医)。
質疑応答の時間に保護者の方が立たれて、こんな趣旨の発言をされました。

「障害を治す治すって、そっちの方向ばかり議論して(ていうほどでもなかったんですけど:浅見注)
社会が変わるっていう方法はないんでしょうか。
健常者だって生きづらい社会でしょう。
3万人も自殺をするんですから」

聞いていた私は

「出たっ! 3万人も自殺をする時代! いよっ!」と
はやし立てたい気持ちになりました。
不謹慎ですみません。でもあんまり方々でよく聞く言葉なんで、はやし立てたい気持ちになっちゃうんですよね。

たしかにいろんな意味できつい時代ではありますよ。

でもさあ、自殺するほどのことはないんじゃないの。

なんだかんだゆるい社会だし、日本社会。
先進国だし。
他の先進国に比べてだって便利な国だし。

欧米の競争社会の厳しさ・生活の不便さを知らないんだろうな。

発展途上国に生まれたやるせなさを知らないんだろうな。

日本人に生まれたことの有利さを知らないんだろうな。
もうスタート地点が違うんですよ、皆さん。

ただその有利さを知らない人多いけどさ。
視野の狭さと、反日教育の賜物で。

もちろん景気とかはよくなってほしいけど
いろんなマイノリティに対する支援は進んでほしいけど。

でもこのゆるい社会でたとえ破産しようと子どもに障害があろうと失業しようと
自殺することはないんじゃないの。

まあ世の中が変わったほうがいいとは思うけどさ
このままでいいとは決して思わないけどさ

でも社会を変えるのと同時に

私は「自殺をしない人間に育てる」方向に
教育が変わっていったほうがいいと思います。

っていう話をしてたら小暮画伯がこんなことを言ってましたよ。

=====以下小暮語録・ダジャレ注意=====

なんか会合に出たって、これの話ですか。
そりゃ”不毛”の話合いだから、”ふー、もう”いいやって感じですね~・・なんて、ウフッ♪

ひとつには自殺するのは、脳がヒマだからかもしれないですね。
逆に発展途上国の子供は自殺しない(データがないだけかもしれないけど)。

拙著「インドのアチャールくん」を描くので、
昔コルカタのストリートチャイルドに張り付いたことがあるんだけど、
けっこう彼ら食うのに忙しいんですね。
生きるのに必死だから、自殺しようなんて思わないみたい。

小人閑居して不善を成す、というのは良く言ったと思います。

=====ダジャレ注意報解除=====

だよね~。
食べるのに必死な人は自殺なんか考える余裕ないよ。
で、私は鳥で話を返しましたよ。

=====以下浅見語録・暴言注意=====

そうそう。プーケットには私が勝手に「ちっち鳥」と命名し観察する鳥がいっぱいいる。朝ちっちちっち鳴いて起こしてくれるのよ。鳥インフルエンザにもめげずに大量に繁殖してよく朝礼やったり人間様のプールで水浴びしたり水飲んだりしてる。ときどきケンカもしてるけどたいていそれは餌の取り合いで、とにかく一日中食べること考えてるみたいなんだな。野生だからね。で、いろんな性質のヤツがいて人間が食べ終わるのを待っておこぼれをちょうだいする消極派もいれば人間の食べている横で席を立つのを待ち構えているがめついヤツもいる。
まあそいつらを観察してわかるのは、普通の生き物っていうのは、一生を食べ物確保と繁殖で終えるのだなということ。人間は進化した脳で余禄を生み出したけど、その余分な時間がまた病みを生み出すのだなということ。
それでも進化が素晴らしいとしたら、ちょっとは先人に感謝する教育もしたほうがいいんじゃないかと。命はどっちみち借り物だ。時期が来れば天に返す。その時期を自分で早めるなんていうのはおこがましいことだね。
鳥といえば。
ベルリンの壁が崩壊した直後に、東ベルリンと西ベルリンを一日の間に何回も行き来して、東ベルリンのすずめがやせこけていることに気づいたよ。西側のすずめは丸々してるのに。うちら日本人は西ベルリンのすずめよりいい思いをしているわけです。

=====暴言注意報解除?=====

というわけでですね、学校の先生方には、ひどい日本社会を嘆く前に、ぜひ日本のよさを教えていただきたいですね。
小さい頃からちっちゃい世界に生きていると、日本のよさにも逆に気づいてないかもしれないですけどね。
小暮画伯のように旅をするのもいいでしょう。

特攻隊の人々が命を賭して守ろうとした国に私たちは住んでいる。
その恩恵を自ら捨てるようなまねはやめろ。
散華した方々のような勇気がなくてもいい。
自分の器にあった社会貢献をしなさい。この国のためでも、もっと広い世界のためでもいい。
そういう教育をきちんとしていただきたいですね。

命は自分だけのもんじゃないでしょ。
たくさんの人の恩恵でつないできたわけでしょ。
その中には当然、すでにこの世を去った人たちも含まれていて。

だったら自分で寿命を決めるのは、おこがましいことです。

写真は小暮画伯がインドのストリートチャイルドを描いたマンガ「アチャール君」。
こういうのを読むのも、見聞を広げることになりますね。

卑屈なヤツにつける薬はない

2011-01-27 08:20:00 | 日記
昨日ブログご紹介したebifuraihanさんがまたブログを更新していましたよ。

誤解のないように書き記しておきます

いやあ、こういう追記をいちいちしないといけないのが大変だね、この世界は。

ebifuraihanさんによると

なぜわざわざこのようなことを書いたかといいますと、言葉の上っ面しか見ない者が、
「心身ボロボロになって働けない体になった人もいるというのに、その人たちに『働け』とは何事か」
 などとイチャモンをつけてくる可能性があるからです。そうなる前に、私の言い分を書いた次第です。
 
ってことだけど、ああいうイチャモンは「言葉の上っ面しか見ない者」がつけてくるのか。
これはまた、新しい発見。たしかにそうかも。
 
私はつまんないイチャモンつけられると
「なんでこいつらデフォルトで卑屈なんだろう」と思っていました。
自分が勝手に卑屈になっておいて、こっちに慰め役を求める人多いでしょ。
白くま母さんの言葉を借りるのなら
「浅見さんは療育者ではありません。活字を通して発信する出版社です。本を作るのが仕事です。
療育や治療はしません。カウンセリングはしません。」
というのが真実でしょ。

で、私は療育家でも治療家でもないので、デフォルトで卑屈なやつらにはすっぱりと気を使わないことにした。
だってコスパ悪いんだもん。
いくら気を使ったって仲良しにはなれそうもないしさ。

それなら最初から友だちになれそうな人と仲良くする努力をするよ、私は。
その人たちが喜ぶ本を出すよ。
卑屈な人の慰め役は、それが得意な他の誰かがやればいい。

そして思いますよ。ebifuraihanさんと同様。
他人への攻撃が本業になっている人には「働け」って。
心から思います。

心身ボロボロになったのならまず心身を治せばいい。
まずはそのために時間を使えばいい。
そして心身を癒すために必要なのは他人を攻撃する時間じゃありません。
まずは外に出てウォーキングでもしたらどうでしょ。
体力つけるだけでも生きやすくなりますよ。

本当は全員自衛隊に入れてもらえたらいいんだけど
自衛隊もそんな余裕はないだろうからね。
あそこは療育施設じゃない。国防のための組織だから。

キティちゃんは軍神にもなっちゃいます。
今日は謙信公。

「自閉症をわかってほしい」のに

2011-01-26 08:47:35 | 日記
さてさて、ついっ友のebifuraihanさんが「自閉っ子と未来への希望」を読んでくださったようです。
ブログに感想が。

この中でご自分のことをカミングアウトしていますね。

そう、服巻先生の本でインタビュイーになっていただきましたが
それは別に、空から沸いた話ではなく
それまでにアプローチしてくださっていたから
「なるほど、そういう経過で仕事についたのね、ふんふん」とこっちが情報を手に入れることができて
それでインタビューを申し込んだわけです。

で、ご縁ができるASDの方とはだいたいそういう関係であるわけですが
なぜかほぼ100%の確率で
まったく近づいてくることのない人から
当事者として発言する人にはバッシングが起こるわけですね。

「自閉症をわかってほしい」と言いながら
わかるための活動をする当事者に誹謗中傷を浴びせる。
これは症状の一つなんでしょうか。

不思議なのは支援者の人たちが
これをどうにかすべきこととは思っていないようなところかな。

今度の千葉の講演はね
「知的障害のない発達障害と診断されてよかった人別によくなかった人」の話をしようと思います。

そのうちの一つはね
よそのASD者への攻撃を本業としてしまうタイプの人がたまにいることで
これって本当にエネルギーの無駄遣いですね。

まあこれ以外にもたくさん
診断ついてよかった人とよくなかった人の違いはありますけど。

あと、自閉症観とか
対処方法だとか
そういう点で意見が違う人に対する攻撃を本業としてしまうと
かえって診断ついたことが脳みその無駄遣いにつながりますね。

私的に言うと
「自閉っ子、閑居して不善をなす」(ニキさん談)って
こういうことだと思うんです。

ebifuraihanさんもよく「働け」ってつぶやいてますけど
仕事をしてれば、もっと建設的に脳みそ使えるでしょう。
そしてそのほうが健康に近づけると思いますよ。

ちゅん平のケースにしろ
ebifuraihanさんのケースにしろ
私の周囲には健全な社会人生活を送るようになった人が多いわけです。
ebifuraihanさんも『自閉っ子、自立への道を探る』でインタビューを受けていただいた頃と今とでは社会人としての余裕が違う。

その人たちは「完全に立ち直って」から社会に出たんじゃない。
社会の中でこそ、癒されたように私には見えるのです。
社会は教育の仕上げをしてくれるところだからね。

人は人の間でしか癒されない。
私はそう思っています。

そういえば大笑いされたなあ

2011-01-25 07:25:15 | 日記
さて、土日月と大事な出張に出ている間に
小暮画伯が「自閉っ子と未来への希望」についてご自分のブログに感想を書いていてくれました。

先日お相撲見に行ったとき、画伯から
「僕は浅見さんは仏教の本来的な意味で他力本願を実現している人だなと思ってた」と言われて
うん、そうかも、と思いましたよ。

なんというか、根っこのところで「人は自分のために生きているんじゃない」って思っているし
縁とかを実は自分で切り開いたりしない。
自然に来るのを待つというか
そのほうがうまくいく経験を積んできたからかもしれません。

必要なものは向こうからやってくる。
そういう究極的な信頼感を私は世の中に対して持っています。

発達障害を手がけることになったのも本当にたまたまだしね。

私はただ、翻訳家養成講座を開いただけ。
そこに、後に「ニキ・リンコさん」になる方がやってきて
その人の本を出したらいろんな人がやってきて
いろんなところに呼ばれるようになって
取材が積み重なって。

ちゅん平がきて、岩永先生がきて
裁判やって、もう発達障害をやめようと思っていたころに
神田橋先生がやってきて。
その本を準備している間に大地君がやってきた。

だから発達障害を続けてきた、っていうより
やめるチャンスがなかった、っていう感じが実感です。

画伯ブログの米欄で私が努力家かどうか話題になっていますが
まあそれは、私が決めることじゃないような気がします。

でもまあ、努力が必ず報われるとは信じている人ですけどね。
時に時間差はある。でも報われない努力はない、とは思っています。

そして画伯の言うように
努力のコスパがいいかも、とは思ってますけどね。

一度神田橋先生にこうお話したことがあります。

「私は巡り合わせが何かと良いんですが、現世で功徳を積んだ覚えはないので、たぶん前世の行いが良かったのではないかと」

大笑いされました。

あの大笑いはなんだったんだろう、そういえば。

写真は小暮画伯著「中学生にもわかる仏教」。
この人も博識な人。こういう本も書いちゃいます。ただの大酒のみではありません。

岩永先生からもコメントいただきました。

2011-01-22 06:05:02 | 日記
「自閉っ子と未来への希望」につきまして
岩永先生からもコメントいただきました。

=====

大変楽しく読むことができました。
これまでの浅見さんの自閉症の人との出会いが時系列で書かれていて面白かったです。

この本について感じたことは、現実的である、ということです。
きれいごとは書かれていないし、当事者や家族に対する直接的な慰めや励ましの言葉もなかったと思います(すみません)。
でも、自閉症の人とそうでない人が同じ社会で生きていくために必要なかかわり方を見出すヒントが書かれていると思います。

この本を読みながら、自閉症の人を雇い始めた事業主の方、これから雇おうとしている方にお勧めしたいと思いました。
就労支援にかかわっていると、構えすぎて腫れ物に触るようになりそうな対応をしなければならないのではないかと思っている人と出会うことがあります。
どこまでどのように注意してよいのかわからない、という話も聞きます。
そのような人にはこの本をお勧めしたいものです。

この本を読んだ人は、自閉症の人を気構えせずに自然と受け入れ、支援者的ではなくガイド的な対応ができるようになるのではないかと思います。

=====

この本を書いたのは「これから一般の人と同じ職場で働く発達障害のある人が増えるだろうな」という予感もあってのことですが、
その意図をどんぴしゃりに受け取っていただいて、ありがたいと思いました。

負けるなよ

2011-01-21 08:11:02 | 日記

さて、昨日は国技館にて大相撲初場所現地観戦。
現地観戦の一つの楽しみが、「入り待ち」だったりします。
昨日は横綱に勝ったあとですから、稀勢の里を入り待ちしている人がたくさんいました。
小暮画伯がばっちり写真をとってました。私はiPhoneで動画に収めましたよ。

小暮画伯もブログに書いていますが、昨日大横綱に勝ったからといって格下の相手に安心できるとは限らないのがわれらが稀勢の里。
順当に割が組まれれば当たるはずの大関戦をあと二枚残しているし
昨日勝たなければ勝ち越しさえあやうい。

そんな状況での入り待ちでした。

たくさんの関取が付け人を連れて通ったあとどよめきが。
稀勢の里がやってきました。
さすがに人気力士+殊勲のあと。キセ待ちの人が多かったようです。
警備の人も「コーンの後ろに下がってください!」と叫び始めます。
その中を稀勢の里は、付け人の隆の山を連れて軽い足取りで歩いていきます。

その足取りを見るだけで
調子良さそうだなあ、という感じでしたね。

そこに声が飛びました。
「稀勢の里! 負けるなよ!」

ほんとほんと、しみじみ。
大物食いの反面、ありゃりゃという取りこぼしも多いのが稀勢の里。
昨日も「頑張れ!」というより「負けるなよ!」というのが我々の偽らざる気持ちでありました。

昨日は順当に勝ってくれて、勝ち越しを決めました。いい相撲でした。
我々も桝席でビール二本とワイン二本を消費し、そのあとさらに新橋で飲んで
現地観戦の日にはありがちですが、実は勝敗とかをあまり覚えていない。
でも稀勢の里の見事な相撲はばっちり脳裏に残っております。

ああ楽しかった。

皆さんもぜひ一度、大相撲に足を運んでください。
楽しみ方がたくさんあります。

現地に行って一番しみじみ来るのは、私の場合まず土俵があまりに小さく丸いことでした。
だから相撲は面白くなる。簡単に攻守が変わったりする。
そしてお相撲さんたちは巨大な固有受容覚の塊です。
四つに組んでいても、自分の後ろのどこに俵があるか身体にしみついている。
これって実は複雑な脳みそ労働ですよね。


たまたま流れがよかった

2011-01-20 08:11:50 | 日記
と稀勢の里関(今日は敬称つき)は勝利インタビューで答えていましたよ。
横綱に二回連続勝ったあとで。

とりあえず「離して取る」ことだけは考えていたみたいですが
支度部屋での様子を見ても、立ち合いの様子を見ても
なんか深いたくらみがあったようには思えません。

昨日は朝から結びの一番のことが話題になり
ああとればいい、こうとればいい、と本人以外の人たちが色々論じていましたが
私は「本人はあんまり考えていないんだろうなあ」と思っていました。

「もっと考えて取れよ」と思うことは多々あります。
とくに格下相手に何も考えずに取って負けるときとか。
まああんまり「お利口」と称されるタイプのお相撲さんじゃないですね。

頭はね。

でも稀勢の里関は身体がとてもお利口な関取です。

だからこういう人が強くなるには
きっと徹底的に身体がお利口になるように持っていかなくちゃいけないんだろうなあと
そんなことを思いました。

じゃあ翻って仕事人としての私はどうなのか。

私の最大の強みは頭にも身体にもない。
別のところにあるなあ。

そんなことが最近わかってきましたよ。
次の「治せんといかんわな」系のお医者さんとの仕事準備をしている間にね。

頭でも身体でもないところの強みを生かしてやってきたから
「鼻が利く」とか「動物的カン」とか「悪運強い」とか言われるんだろうな。

そしてだから「受身」+「好き嫌い」で世渡りできてきたのでしょう。

発達障害を手がけたのだって、本当に受身で決めたことだし。

私にしてみれば、もっとみんな好き嫌いを優先させたらラクに世渡りしていけるんじゃないかと思うこと多いですが

向いていない人もいるんでしょうね。好き嫌いで選ぶと失敗する人もいるんでしょう。

これもアセスメントだなあ。

だからこういう人がね
「たまたま流れがよかった」と言っても
真に受けちゃだめです。

別のタイプの鍛え方をする人とは違うやり方で鍛えているんだから。
その結果なんだから。

レジュメ、レジュメ

2011-01-19 09:17:50 | 日記
毎日巡業のレジュメ書いてます。

巡業先がたくさんあるということは、書くべきレジュメがたくさんあるということですから。

2005年頃、講演活動が始まった当初は
「なんでもいいから自閉症のことを知りたい」というオファーが多かったのですが
最近は主催者の方もきっちりテーマを出してこられます。

進歩ですよね。
とてもいいことですよね。
ニーズがはっきりしてきたのですよね。

それにその地域二巡目、とかもよくありますから
前回とはテーマを変えなくては、お客様が同じ話を二度聞くことになるかもしれませんからね。

今回冬の巡業で多いリクエストは
なんといっても「社会人になるために」。

こういう視点の話が聞きたいというリクエストが多いです。

でも社会人になるための工夫を、社会人になる直前にし始めても間に合わないこともありますね。

子どもの頃からやっておかなくてはいけないこと。

その一つが金銭教育だったりしますね。

「自閉っ子と未来への希望」を読んでくださった方はご存知でしょうが
某特別支援学校にニキさんと二人で講演に出かけたとき
先生たちが総出で本を売ってくださったのですが
ニキさんが生徒さんたちに書籍販売を体験させてあげたらよかったのにと言ったことがあります。

そしてちゃんと花風社から手数料を分捕って、と皆さんの前で言って
会場が爆笑に包まれたものです。

お金のやりとりをする。
きちんとお客様にお礼を言う。
そして売り上げを喜ぶ。
そういう経験を積むことが自閉っ子にはとても貴重だとニキさんは言いたかったみたい。

ニキさんも、無職の時代にお友だちのフリーマーケットとか手伝って
そこで覚えたことが、とても多いみたい。

そういう体験を積んでから自由業になったからスムーズだったんですよね。

そして1月29日の千葉講演では、親の会の方たちが親子で販売してくださるそうです。
こういう意味でも画期的な会になりそうです。

というわけで
レジュメもきっちりきっちり作ってます。