治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

続・おまわりさんにつかまるよ

2010-12-31 07:05:01 | 日記
12月28日のエントリー「おまわりさんにつかまるよ」に関して
国家資格を持って地域支援に当たられている読者の方からこういうアドバイスをいただきました。
色々謎が解けた思いがしますので、皆様とこれを分かち合いたいと思います。

=====

自閉症スペクトラムの男性で、多動や自制が困難などの理由で、(おそらく知能面で
問題がある人の方が多いと思いますが、)自分の男性器をいじってしまう人はわりと
います。

そして、自閉症スペクトラムは、遺伝が関連していると思われる人が、もちろんすべ
てではありませんが、いくらかの割合います。
そのため、発達や知的障害の人の支援に関わっていると、両親のいずれかが、どこか
変わっている面があって、一緒に関わっていくことが難しいと感じさせられることが
あります。
自閉症スペクトラムの本人は、むしろ純粋な人が多いのです。

> 自分の見方が世界で唯一だと思い込んでいるらしく、

これも、おそらく何らかの障害による認識の偏りではないでしょうか。違う見方が極
端にできない人っています。
また、その概念が、歳をとっても現実的になるということが難しい人もいます。

> いい加減自分の「想像力の障害」に気づけばいいのに、と思って見ていた。

そういう人は、自分の思い込みや予想と違っても、自分の見方が間違っていたと、そ
う簡単には気づけません。
あと、「一部にはそういう人もいるという意味の文を、全員がそうだと思い込む」よ
うに、一部と全体との違いを区別することが苦手な人は、普通の人でもいるのです
が、その程度が極端という人もいます。
例えば、「この例がそうだから、このような障害を持っている人は、すべてそうであ
る」というように思い込んでしまい、それと矛盾する考えを受け入れないといった具
合です。

そして、本人の意識では、おそらくそのような矛盾した考え、予想と違った事情を受
け入れられる余地がなく、自力では、いつまでたってもその不快感を解消できないの
だろうと思います。
そのような場合、いわゆるパニックになって、混乱がなかなか止まらなくなるという
人もいますが、中には、自己を正当化すべく、他人を非難するという方向に向いてし
まう人もたまにいます。
そのような非難で、そう簡単に解決されるはずもなく、その攻撃が執拗になってしま
います。
そうなると非難された人は、ものすごく困ります。
また、このタイプの人の中には、どこか子どもじみた部分、例えば、普通の大人なら
しない意地悪をしたり、ズルをしてまでも自己を正当化しようとするという気質を持
ち合わせている人もいます。

あと、このタイプの人は、現実の世界は、自分の思い込みに反し、生きづらいもので
あることも多いはずので、社会に適応が難しく、二次的にうつになる人も多いわけで
す。

それらのことが、自力ではコントロールできないからこそ、障害なわけです。
お子さんが性器を出すことを抑制できなったのと、同様かどうかはわかりませんが、
とにかくお父様も、自制困難ということでは、共通しているのでは?

それよりも、多くの人が、花風社の本によって、実のある情報を得ているという現実
が、桁違いに素晴らしいのではと思います。
私も、花風社の本をきっかけに、感覚統合などの知識を得て、それによって今までの
疑問が説明できたというようなことも多いのです。

来年も、ご活躍を期待しております。

=====
なるほど。
「なぜ司法という手段を選ばなければいけなかったか」については新刊にも書いたけど
今度も私が裁判を起こした相手と同じパターンだな。

その他にも、このメールでのアドバイスをいただいてわかったことが大きく言って二つあった。

一つはうつになりやすい人ってどういう人か。
脳内理想と現実に齟齬がある人はうつになりやすいんだな。

私がうつにならないわけだなあ。
自分が邪魔されなければ、人はどうでもいいからね。
社会は思い通りにはならないのは知っている。
でもだからといって「社会がひどいところだ」とは思っていない。
自分は自分にできることをやる。
邪魔をされればやり返す。それだけ。

もう一つ。
親の側に、あまりにかっちりした自閉症療育へのこだわりがあると
地域支援の人たちにとってはやりづらい面があるのかもね。
柔軟な提案ができにくくなるのかもね。
ここのうちでも「父親が足を引っ張っている」って周囲から見えるのは、そういうことなのかもしれない。

この父親がうちを攻撃していたとき
「よそんちはよそんちだとほうっておけばいいのになんであんなしつこいんでしょう」という意見を多数いただいたが
どうもそういうことができにくい脳の人がいるんだな。

そしてそういう人たちは、こちらの主張が自分に押し付けられていると思うのかもね。
本を読みもせずにね。本を読まずにあてずっぽうで難癖つけられても、こちらとしては反論の仕様がない。
藤居が「立ち読み」して大地君の本を批判したときのように
「一体何食ったらああいう思考回路になるのかね」(友だちのぶんパパの名言)としか思えない。
読まなかったり立ち読みしたりって、要するにお客じゃない。
なのにどうして相手にしてもらえると思うのかしら。不思議。

でももちろん読めということではない。

民間企業の出す本なのだから、いやなら読まなければいい、実践に取り入れなければいいだけの話。
読んで喜んで成果をあげている読者の邪魔をしなければそれでいい。
この性器露出少年の父は、今年私の話し相手もさんざんいじってくれた。
大地君までもね。

私が「支援者じゃない」と断言するのは、私にはこういう人たちが支援では救えないからです。
取れる手段は支援じゃない。以前は司法だった。とにかく支援以外の手段でしかこういう横暴な行為をストップできない。

自閉症にかかわる人だからといって、うちの本が全員を救えるわけじゃないから。
私が出版する本によって多少なりとも支援みたいなことができるとしても、それは本を読んでくれて賛同してくれる人だけ。
それ以外の人はアウト・オブ眼中。はっきりいって、どうなってもいい。っていうか、どうなっても自分の力の及ぶ範囲ではない。
別の方法が見つかってよくなるならそれでハッピーだろうし、うまくいかなくても私にはどうにもできない。
版元っていうのは。そこが支援者との違い。

もう一つ、特別支援学校の先生から簡潔な的を射た反応をいただきました。

=====

浅見さん、人前で性器を出してはいけない、当たり前のことです。
我々は指導します。
罪になるからです。

=====

そうですよ、先生。
それが私たちが公教育に期待していることなの。

来年も官民協力して共存しやすい社会を作りましょう。

頑張れる人を増やします

2010-12-29 08:00:00 | 日記
来年の目標。
頑張れる人を増やします。
それに寄与できる活動をします。

でもそれは、ただの精神論じゃできないよね。
頑張る人を増やすための柱は三つ。

1 一本目の柱
頑張っている人の話を伝える。
これは今までもやってきた。
他人の体験談を自分に生かせる人向けの本になると思いますが。
そして、他人の成功体験から元気をもらえる人向けの本になると思いますが。

2 二本目の柱
頑張れる基盤づくりとなる「アセスメント方法」「対処法」を勉強し、伝える。
だって頑張るには、まず現状を見定めて、
それから「どれくらいならできるのか」「どこから先が無理なのか」を見極めないといけないでしょ。
じゃないとぬるま湯もしくはやりすぎになってしまう。
たとえば大地君が修行できるのは、栗林先生や白くま母さんが「どれくらいなら手が届くか」「どこから先は無理か」細かく見極めて修行内容を調整しているから。
そういうアセスメント方法を勉強し、対応策を伝えます。新年一回目の仕事はこれ。
治せんといかんわな系のドクターとのお仕事です。脳神経のタイプについて色々と詳しい先生です。

3 三本目の柱
頑張りがいがあることを伝える。
障害のある人の活躍の場がどんどん広がっていること。
広げることを自分のミッションにしている人々の存在。その仕事。
職場づくり。職場での環境づくり。
そういうことを伝えます。

必ずしも発達障害の本にはならないかもしれません。
でもこれまでの読者にも役に立ててもらえる仕事をします。

それでは皆さん
今年もお世話になりました。
よいお年をお迎えください!

おまわりさんにつかまるよ

2010-12-28 08:00:00 | 日記
信じられない話を聞いた。
中学生の自閉っ子(男の子)が、福祉の会のクリスマスパーティで、長いスピーチにうんざりして
自分の性器を出して遊んでしまったらしい。
まあそこまではともかくとして、なんと
その出来事をその子の父親が、下ネタまじりで面白おかしく自分のブログに書いたらしい。

はっきり言おう。
私の感覚だと、これは父親による子どもへの人権侵害。
父親が子どもにする障害者差別である。
「差別」の意味が違う人にはそう思えないかもしれないけれど。

そして何より、私が最初にこの話を聞いて思ったことは
「その子のお母さんが気の毒だ。公の場で子どもがそんなことになっただけで苦しかっただろうに、夫のブログのネタにされるなんて」ということだった。

ちなみにこの父親は、今年私にも、執拗な攻撃を仕掛けてきた。
縁もゆかりもない人なのに、うちがこれからどういう本を出すかも知らないのに
花風社など、まともな専門家が相手にするわけがないなどと暴言をネット上で吐いていた。
花風社の本が嫌いなら嫌いでいい。嫌いと言われるのはかまわない。
でもどうして、こういうウソを確かめもせずに書くのだろう。私の周囲の人間関係もよく知らないみたいなのに。

そしてなぜまだ出ていない本をあれこれ憶測し、妨害するのだろう。
心底わからなかった。
ただ攻撃を受けた以上、戦うことに決めた。
専守防衛が私のモットー。でも、売られた喧嘩は買う。経営者として、当たり前のことだ。

もっとも、この人物の戦い方は不毛だった。
自分の見方が世界で唯一だと思い込んでいるらしく、ぐぐると自分の記事がトップになるくらい一生懸命うちの妨害活動を行っているのに、
どうして人々がまだ花風社の本を買ったり、私に講演のオファーがくるのかどうしても理解できないらしく、何かあるたびに大騒ぎだった。
そういえば藤居学も大地君の本をぐぐると自分のブログがトップに来るとブログのコメント欄で喜んでいたなあ。
背筋が寒くなるような暗い情熱だ。
他人の不幸が好きな人種なんだろうなあ。

神田橋先生の本を出すときの騒ぎ方もひどかった。
だが、この男の予測は結局一つも当たらなかった。ただの一つも。
いい加減自分の「想像力の障害」に気づけばいいのに、と思って見ていた。

でもちゃんとわかる人がいる。応援メッセージもたくさんいただく。
だからうちの本は売れるし、講演にもお声がけいただく。

それがまた不思議で仕方ないらしい。

いい加減恥をさらしているのは自分のほうだと気づけばいいのに。
小さいアンチなサークル井戸の中にいるから、気づかないのだろう。

ともかく、なんでこんなに攻撃されるのかわけがわからなかったが
障害のある自分の子どもの性器露出のエピソードさえ、自分のチンケなブログのネタにするほど品性下劣だということを知り、まあ仕方ないなと思った。
そのわりに、ちょっと反撃するとものすごいビビるのが不思議なんだけど。
まるで自分が被害者のような顔をして。
まあ(幸い)私の周囲にはいない人種だね。理解不能。すごい弱虫なんだと思う。
「浅見さんに甘えているみたい」っていう意見も結構いただいたけど
甘えられる筋合いもないしなあ。知らない人だし。

この男、うつ病を患っているらしいので
結果的にうちの読者の間にうつへの偏見が広がってしまった面もある。
「あの人本当に異様ですね。気持ち悪いですね。ビョーキですね」と。

気持ち悪くない、真摯に養生に取り組んでいる「うつ」の人もたくさんいるからね。
皆さん。
こんなキモくないうつの人もいるからね。
これはこの人独自の問題だからね。うつに対する偏見はやめようね。

じゃあ、なぜこういう攻撃を仕掛けてきたか。
理由はたくさんあるようだ。
その一つは、花風社が感覚統合の本を出したこと。
色々なものが嫌いな人らしいけど(ていうか何が好きなのかよくわからない)
エビデンスがあいまいだっていう理由で
感覚統合も嫌いなものの一つみたい。
私が感覚統合に興味を持ったのは自閉っ子の自立のために身体感覚を整えるのが重要だと思ったから。だから岩永先生に本を書いていただいたんだけど
岩永先生の本を花風社が出したとき、藤居学やこいつは「まともな研究者に相手にされないから」という見解だったようだ。

花風社だけでなく、岩永先生にも失礼千万。
岩永先生は世界OT学会でも評価されている。論文審査が二つも通って発表された。
おそらくASDの方の身体感覚においては世界的な研究者になられるだろう。
ここでもまたヤツの予測ははずれる。

そしてもう一つの理由が私が「自閉症を治す」という表現を使ったこと。
治したくないなら治さなくていいけど
人前での性器露出はやめたほうがいいね。

それに杉山先生の本の帯でも「治る子、治らない子、その違いはどこに?」とあった。
豊富な臨床経験のある杉山先生の実感がそうならば

治したくない親の子が治らないという夢はかなえられるんじゃないでしょうかね。
よその子がたとえ治っても。
安心していればいい。
治らないと信じたいうちの子は治らないですむかもよ。
望んだとおりにね。


そしてその杉山先生が「畏敬の念を禁じ得ない」と表現していらしたお医者さんの本を花風社が出すと聞いたときには「花風社の出す医者の本なんて誰にも相手にしない」と言っていた。
今や「神田橋先生の本を主治医に勧められて読みました」という人たちが他の本も買ってくれるようになった。
神田橋先生が花風社で本を出されたから、と企画のお話もどんどんいただくようになった。
またヤツの予測ははずれた。

とにかくはずし、はずし、はずしまくっているのだ。

感覚統合で自閉症が治せるか治せないかはともかく
感覚のアセスメントをしっかりやれば
身体感覚に基づく問題行動には対策が取れるんじゃないかしら。
OTさんに相談すればいいのに。
評価軸としての身体感覚を知っておくのはとても大事だし
QOLを上げるのに役立つしね。
でもまあ、作業療法とか感覚統合とかが嫌いだったら仕方ない。
どんな療育をするかは
それぞれのおうちの裁量だもの。

でもまあ、私はいくらよそんちの子だって、
自閉症だからって人前で性器を露出してほしくないです。
だって人間だもの。
獣じゃないもの。

自閉っ子は獣の子じゃない。
人間の子だ。
だから人前では性器は服の中にしまっておかなければいけない。
自閉症だから性器を露出していいというのなら、それは障害者差別だね。

皆さんはどうですか?
ご自分のお子さんに関して。
「障害があるから性器露出も仕方ない」って思いますか?

って問いかけたら答えをくれた読者の方が。
年頃のカナータイプの息子さんを持つ方です。
「性器いじりが当たり前の様に言われるのは他の人には迷惑です。自閉圏の子が皆がそうではない。そういう人は極少数です。
普段はしない子なら何故にこの日はしてしまったのか。やっぱり親のアセスメント能力が問われると私は思います。」

そうだね。
自閉症者は性器を露出するのが普通、なんて世間に誤解されたら他の自閉症者が迷惑。
それに、子どものうちならまだ大丈夫かもしれないけど
福祉の会のクリスマスパーティならみんな大目に見てくれるだろうけど
学校を出て、外で性器を露出したら
おまわりさんにつかまるよ。
そうしたら「差別だ! 障害があるんだから仕方ない!」とまたブログで大騒ぎするのかな。

これを報告してくれた方によると
この自閉っ子のママはやっぱり、パパが自分の息子のこういう行動をブログのネタにしていることを怒っているんだって。
そらそうだね。怒っていいよ、お母さん。怒るのが当たり前。
で、この自閉っ子ママは、お子さんを就労させるのにとても熱心に活動していらっしゃるらしい。
周囲の人の見る限り、その足かせになっているのは父親なんだって。
お母さん頑張っているのに、父親が足を引っ張っているよね、ってもっぱらの評判らしい。

まあ本当のことは誰にもわかんないけどね。でも
今年その父親のブログで、間違った推測とゆがんだ伝聞ばかり書かれた御礼に、私も推測と伝聞を書いておく。
お母さんは頑張っていて、父親が足を引っ張っている(らしい)。
ついでに言うと、このお母さんは夫がブログで私をあしざまに書くのをいやがっていた(らしい)。
妻が止めても花風社をけなしまくりたかったみたいね。

でも、う~ん、難しいと思うなあ。ここにはもう一個問題がある。
それはね、父親と母親の温度差。

先日大掃除していたら、日本自閉症協会が今年の啓発デイのために作った冊子が出てきたけど
障害のある人を大きくなっても面倒見るの、どうしてもお母さんになる。
父親はあの療育はいかん、この療育もいかんと好きなこと言ったり
重度の子は就労はしなくていい、というのが主張で、就労にこだわる出版社をけなしまくったり
会ったこともない他人の未確認なデマを書いておちゃらけていても
つまり、子どもの障害をダシにネット上で仲間を作り会ったことのない他人を貶め遊びまわっていても
お母さんはもっと切実なんじゃないかしら。日々世話をしているんだから。
そして息子の行き場所が将来なかったら、お母さんはずっと世話をしていくんだから。

だからここのおうちも、お母さんは熱心に親の会の活動をしているんじゃないのかな。
夫が他人のみならず、自分の息子をブログのギャグにしている間に。

結論。
おまわりさんにつかまらないためにも
きちんと就労して維持するためにも
感覚のプロフィールはアセスメントしておいたほうがいいね。
「目の前の子がよくなったという事実。これに勝るエビデンスはありません」
ってうちの読者の方たちは言ってくれますよ。


じゃあ、明日は今年最後の更新。
来年の抱負です。
花風社がどういう方向に進んでいくか。
発達障害とかかわっていくかどうか。
興味ないかもしれないけど、一応今のところの方針を表明することにします。

和解と別れ

2010-12-27 08:00:00 | 日記
で、まあ栗林先生は公教育の方なので
頑張らない人も見捨てない。

公教育の目的って?
ききましたよ。民間人として、納税者としてね。

私はね、一部の特別支援教育が
「二次障害回避原理主義」になっているのを見てこれでいいのかよ、と思っているから。
読者からそういう声も聞くしね。

栗林先生はちょっと違うみたいだ。

でも栗林先生だって、大地君みたいな頑張りやさんだけ教えているわけじゃないからね。

そのへんの会話は「自閉っ子と未来への希望」に書いてあるけど
さすがーと思った。

で、なんで私が教師の世界と和解した(しつつある)かというと
こういう先生たちがちらほら出てきているからですね。
まだまだ数は少ないのかもしれないけど
将来を見据えている先生。

「続自閉っ子、こういう風にできてます!」で岩永先生に布陣に加わっていただいたとき
読後、メールをくださった教師の方がいました。

「今後花風社はレベルの高い人たち対象の仕事をしていくんだと思う。
色々叩かれるでしょうが、踏ん張ってやってください」

正直、そのときには何を言われているかわからなかったんです。
読者にレベル低いも高いもあるのかな、って。

花風社の本は、最初親御さんたちが読者層でしたね。
親御さんたちが読んで、「目からウロコ」って言って、先生たちに勧めてくれた。

最初の数年間はそうでした。
そしてその頃、保護者と教育現場では温度差があったと思う。

講演会行っても歴然とわかるくらい。
何しろ教育委員会の主催だって親御さんでいっぱい。
教師ちらほら。来ても居眠り。

そういう様子を見ていると
「保護者向けに作ったほうが売れる」って思うのは当たり前ですよね。
第一単純に計算しても
一人の自閉っ子には一人ないし二人の親がいて
支援級に居たって先生は数人に一人しかいないんだから
保護者の方たちが喜んでくれる本のほうが売れるでしょ。

その前提となっていたのは
「親と教師の間に対立構造がある」っていうことですね。

それがなくなってきているでしょ、近年。
講演会にも先生たちがいっぱいやってくるし、居眠りしない。

でも、代わりに違う対立構造が明るみに出てきましたね。

「自閉症って恥ずかしいの?」
「自閉症は恥ずかしくないよ」
「大地、自閉症は恥ずかしくないよ。恥ずかしいのは大人になっても自分でご飯が食べられないことだ」

このフレーズに奮い立つ人(多いですよ)と怖気づいたり、被害者意識を持つ人(これもまた多いらしいね、周囲にはいないけど)。

保護者とか教師とか関係なく、今その違いが私の目に見えています。

そしてね、小さい頃から「社会に送り出す」という視点で教育してきた親御さんたちは
しばしば周りから心ない突っ込みを受けてきたんですね。

「そんなに頑張らせると壊すわよ」とかね。
「○○なんて無駄よ」とかね。
「どうせ福祉が面倒みてくれるんだから」とか。

そう言われながら、支援者の助けも得られるとは限られない状況の中
自分の子どもをじっと見つめ、アセスメントして、少しずつ少しずつやってきたんですね。
カスタムメイドの療育を。個別性の強い障害で、対処方法も個別性が強く、
しばしば「エビデンスもないのに」と非難されながらね。

「どうしてよそんちのことに口出しするんだろう。自分ちの子に専念すればいいのに」
そう思いながら、つまんないこと言われても、自分の信念に基づいて教育してきたんですね。

そうすると、小さい頃には差がつかなかった発達段階が、もう中学生くらいになると歴然と差が出たりする。
IQ測定不能だった子が50を越える。
医者が「一生字が読めません」と断言していた子が作文を書き始める。
すると「頑張らせたらかわいそう」と言っていた親たちは、口もきかなくなるんだそうです。
やったかやらないか、その違いがあるのに。
自然発達以外の促進をしないという方法を選んだのは、自分たちだったのに。

頑張る親は、案外孤独だったりします。

こういうことがわりと日本中あちこちで起きているから、
今年花風社(大地君)が受けたわけのわからない言いがかりにも
「負けないで!」という声が多かったんですね。
「そんなに頑張らせてどうするの?」って突っ込まれていやな思いをしてきた人が多いから。

「どこにでもああいう人たちはいます。
自分の子は自分のやり方で育てればいい。でも人のうちの方針にまで口を出すのはお節介。
結果は子どもが出すでしょう。親としてその責任を引き受ければいいだけのこと」

こういう意見をよくいただきました。

私と意見の合うこういう方たちが、全体として少数か多数かは知りません。

ただ私は、この人たちの希望に沿った仕事をしていきます。

「自分でご飯が~」というフレーズに、ひるむ人ではなく励まされる人を応援する本を出します。

ところで「自分でご飯が食べられない」云々と言ったって
私がちゅん平の現状に大変喜んでいるのを見ればわかるとおり
私は福祉就労は否定していません。
いい制度だと思う。
とにかく「何かやること」があることが心身の安定をもたらす。

だから障害の重い人が福祉就労+年金で暮らしていくのはいいことだと思うし
だからこそ、私たち健康な人間が頑張らなきゃいけないと思う。お金回していかないとね。

でも大地君の場合には。

あれだけの能力がある子が、早期介入を受けて
大きくなって一人前の賃金を得られる仕事につけなかったら恥ずかしいです。

誰が恥ずかしいの? 大地君親子? 先生たち? それもあるけど
国が恥ずかしいです。
私も含めた日本の国が恥ずかしいです。

そしてそういう子は、大地君だけじゃない。

その人たちに向けて、メッセージを打ち出した本です。「ぼく、アスペルガーかもしれない。」は。
努力の必要性だけじゃなく、支援の必要性も含めてね。

ふだん花風社の本を「エピソード主義」とけなしている人が
どうしてあそこだけpersonallyに受け取って大騒ぎしたのかフシギで仕方ないんですけど。
他人のエピソードに過ぎないのなら、自分には関係のない話だと思えばいいだけの話でしょ。よそんちの話を好みの本を最近出さない出版社が出した、それだけ。

でもね、白くま母さんも考えたみたい。色々言われて、家族とか、周囲のお友だちと話し合ったみたい。
色々な障害があるお子さんをお持ちの親御さんたちとね。
もちろん重い知的障害のあるお子さんの親御さんも含めてね。

そして出した結論。

「大人になっても一人前の賃金が得られないことは、挑戦した結果なら恥ずかしくない。
でも親が最初から施設に入れるつもりで育てるのは、やっぱり親として恥ずかしいこと」

これが白くま母さんたちの結論です。
そして花風社はそれに賛同します。
賛同しない人がいるのは知っている。賛同しなくてもいい。それぞれ信じる道を行けばいい。

親御さんでも教育者でも
「社会に送り出す」という視点がある人とない人がいる。
そして花風社は「社会に送り出す」という視点がある人に向けて本を出します。

今まで私は安易に「社会適応」という言葉を使っていたけれど
その言葉だと一部の人にミスリーディングなようですね。

だから私はこれからは「社会に送り出すという視点」という言葉を使おうかなと思っています。

また新刊から抜粋しますね。

=====

 だって、社会はそこにただあって、個人を支配するものではないでしょう。社会は私たちが、日々形作っていくものです。
 だからといって、思い通りに行くわけじゃない。
 でもそれは、「社会がひどいところだ」と決め付ける理由にはなりません。
 様々な希望のパワーバランスが働く。だから、必ずしも希望どおりにはならない。でも、自分がそこに入っていって変えることはできるはずです。
 私が望んでいたのは、障害がある人もそこに参加することだったのです。

=====

教師でも支援者でも保護者でも、社会に送り出すという視点を持つ人たち。
その人たちに寄与する本を作りたいと思っています。

もしその分野にじゅうぶんな需要がなかったら、生まれて初めて専業主婦にでもなろうかな。
別に専業主婦という生き方は恥ずかしくないからね。



浅見さんって謙虚だね

2010-12-25 08:00:00 | 日記
って言ったのは栗林先生です。
私が「自分は支援者だとは思わない」って言ったとき。

いや、私が自閉症の本を出し始めたときは
自分が支援者かどうかとか、何も考えていませんでした。
たぶん支援者という意識はなかったとは思う。
あくまで編集者として仕事をしていたと思う。
ただやっぱり人間だから、自閉っ子に愛着は出てくるけどね。

ただ、「ああ、私は支援者じゃないんだな」って感じさせられた出来事があったのです。
ある日、一本の電話がかかってきたんです。

相手はなんとかセンターの方。
行政委託されて発達障害者と保護者の支援に当たられている方です。
こういうご相談でした。

「花風社の本は読みやすい。
専門書がとっつきにくいお母さんたちでもよく読んでいる。
理解が進むと思う。
なのにこんなに読みやすい本さえ読もうとしない人たちがいる。
どうしたらいいだろう」

正直な話、私の脳裏にまず浮かんだのはこういう言葉でした。
「それを考えるのは私の仕事じゃないなあ」
うーんと、もっと強い気持ちかも。
英語で言うと
None of my business って感じ。

だって本を読まない人は出版社のお客じゃないでしょ。
支援センターにとっては支援の対象であっても、出版社の客じゃない。本を読まないんだから。
でしょ?

だから私に聞きに来るのって筋違いなんじゃないかしら。

まあそういうことを、オブラート一万枚くらいに包んで言ったんだが。

そのときに私は
公費が入って給料もらって支援している人と、私のように民間でリスクとってやっている人の違いをはっきりと自覚したんですよね。

私が自分が出す本で、なんらかの影響を与えられるとしても
それは本を読む人たちに限られます。
いいえ、それだけではなく
数多い本の中で花風社の本を読む人たちに限られます。
私の仕事はその人たち、つまり読書の習慣があって、前向きに取り組む気がある人の中でしかも花風社のテイストが嫌いじゃない人に向けて情報を出すことで
同じように自閉っ子の親でも
読書をしない人は、なんとかセンターの支援の対象ではあっても、私の顧客ではない。

どれほど私に支援したいという志があっても
うちの本を読まない人たちに私の思いは届かない。
そのへん、自分の限界をちゃんと見つめることにしました。

逆にね、自分の客層が見えてきた。
頑張る人たち。
前向きな人たち。
この人たちに役に立つ本を出す。

民間人の私は思い切ったことがやれる反面
公費が入っているところは思い切ったことが言えない。
私と顧客は選んで選ばれる関係である反面
公費が入っているところは支援する人を選べない。
やる気がない人にやる気を持ってもらうところから始めないといけない。

それは大変な仕事だなあと思ったのでした。

私にはできないや。
やる気がない人たちって、気持ちがわかんないもん。
いつかわかる日がくるかもしれないが
今の私にはわからない。だから、その人たち向けの本は自分には作れない。
そういう人を救うのは、できる人がやればいい。
そのかわり私は私にできる仕事をやる。
それはやる気のある人に有益な情報を提供すること。

それにね、やる気がある人だからこそ味わわなければいけないつらさもある。
たぶん私、そのつらさには寄り添える。
やる気があるがゆえに、つまんない突っ込みに合うこともある。
どうしてそこまでやるの、って言われたり
そんなことやっても無駄よ、って水差されたり。
そのタイプのつらさはわかるのよ、私にも。

福澤先生の教えどおり、民であることに誇りを持って仕事をしよう。
一身の独立なくして一国の独立なし。
民としての道を究めることによって、この国に貢献しよう。

「道理がある相手とは交際し、道理がない相手はこれを打ち払うまでのこと。一身独立して一国独立する、とはこのことを言うのだ」
(学問のすすめ 福澤諭吉著 齋藤孝訳 ちくま新書 36ページ)

(まあ福澤先生がここで「打ち払う」と言っているのは他国のことなので、別に療育の世界ではそこまで物騒なことはしなくていいんだが。)

自分が支援できる対象はかくも限られている。
それを自覚させられるその一本の電話以来私は「自分は支援者ではない」ことを強く意識するようになったのです。
自閉症の人の支援になるような本は出したいと思う。
でもすべての自閉症者を支援できるわけじゃない。
うちの本が合わない人たち。
その人たちは私の仕事の対象ではない。つまり、私の力の及ぶ範囲ではない。

その話を栗林先生にしたら
「同じような立場でも、自分を支援者と勘違いして我々教員の世界を批判する勢力もあるでしょ」と言われて

「いや先生、私だって教師批判はさんざんしてきましたよ。
なにしろ公立の小学校時代、真っ赤っ赤な先生たちに思想教育されるような時代だったし。
それがいやで中学から私立に行ったくらいだし。元々教師は嫌いな人種だったんですよ。
この仕事始めてからも『教師って三つ組みの障害あるだろ』って思わされるようなことたびたびだったし。
ただ最近、あまり教師そのものは批判しなくなったんだけどね」

そう、教師批判しなくなっちゃったよなあ。

以前は教組の仕事は受けなかった。
嫌いだった。赤いし。反日だし。だいたい「差別」を取り違えて自閉っ子に対する気遣いないし。
でも最近受けるしなあ。

それは私の変化じゃないんです。
教育現場の変化だと思う。

次回はそんな話。
私と教員の世界の和解のお話ね。

それを語ることによって
私が自分の仲間だと思っている「前向きに頑張っている人々」の定義もはっきりするかもね。

いつから頑張り屋だったんだろう?

2010-12-24 08:00:00 | 日記
1995年の終わりに勤め人を辞めた私は
1996年2月に花風社を立ち上げて、出版社を営業で回った。

まだまだ版元をやるだけの資金も実績もなかったけど
とにかくまずはできることをやろうと思った。
まずは営業をいっぱいやって
前職の年収を上回る翻訳と編集を受注することを目標にした。
今よりはましな時代だったし、がむしゃらに営業したら
これはすぐに達成された。

ご祝儀相場もあって、皆さん本当にたくさん仕事をくださった。
あのときに仕事をくださった方々、本当にありがとうございます。
すでにあの世に旅立たれた方も、中にはいらっしゃる。
色々な方に縁をいただき、あのとき食いつなげたから、会社は生き延びて、後年、花風社はなんとか版元になり
「自閉っ子シリーズ」を世に出すことができました。

編集にしろ、翻訳にしろ
受注したらこなさないといけない。
一日14時間働いた。
半年に一日くらいしか休みがなかった。

翻訳書も二年弱で14冊出した。
とにかく仕事・仕事・仕事だった。
傍らで編集の請負もやり、翻訳家養成講座も開いた。
そこに来ていた一人がニキ・リンコさんだ。

14冊翻訳書を出したあと、気がついた。
私は翻訳という仕事が嫌いだ。
だってじっとしてなきゃいけないんだもの。

やっぱり版元にならなくちゃ。

そう思ってまた業界内を駆け回る。
個人資本の出版社が取次口座を取るのは難しい。
そういわれていたけれど、なんとか実績を作り、人を訪ねて話を聞き、聞いてもらい
多くの人々に助けられて、取次に通いつめて口座を開いてもらった。

やっと自社で本が出せることになった。
今度は資金調達に駆け回る日々。
編集・営業・事務。手伝ってくれる人はいるけど監督するのは当然私。
ニキさんに翻訳を依頼することにした。

でもニキさんは、私と違って
翻訳という仕事が好きだった。
だってじっとしていられるんだもの。

最初は知らなかった。
ニキさんがアスペルガーだなんて。
ていうかアスペルガーが何かも知らなかった。

だってニキさん黙ってたしね。

ようやく打ち明けてくれたのは、アスペルガー者の手記を訳したいと言ったとき。

それまで、ニキさんは私にとって、ユニークで熱心な翻訳家の卵。
ときどき自分で自分の頭をぼかすかぶったりしてたけど。
なんか変わった人だとは思ったけど
べつに気にならなかった。
だって翻訳すごく勉強するし。
勉強以外の本だってたくさん読むし。
かわいいし。
本が好きだという共通点があったし。

そういう出会いだった。
ニキさんが自閉症だからじゃなくて、「頑張り屋」だから気が合った。

でもニキさんが生まれつきの頑張り屋だったかどうかは今となってはわからない。
社会参加に挑戦しては挫折して、世の中を観察して、わかったのかもしれないと思う。
「そうか、頑張らないといけないんだ」って。
ある時点で認知を正したんだと思う。
その後に出会ったから私たちの仕事はスムーズだったのだと思う。

アスペルガーだと打ち明けてくれてから「世の中をどう誤解していて、どう誤解だと悟ったか」はずいぶん話してくれた。
それは自閉っぽい認知のせいのようだった。
聞けば聞くほど異文化だった。あまりに面白かったので
それをどんどん本にしていった。

先日ちゅん平が、いきなり、思い出話として
「大学出れば誰にでも平等に仕事が用意されているかと思っていた」と言い出して、ああやっぱりそうなんだ、と思った。
だから6・3・3・4という説明では不十分で
6・3・3・4+就活 だと最初から教えてくれればいいのに、と。

ああ、なるほど。自分で就職活動しなきゃいけないんだよ、って自然にはわからなかったのね。
どうもASDの人には世の中がそういう風に見えていることあるみたい。
「用意されていて当然」と思うみたい。自分が動かなくてもね。
だから不要に世の中を恨むこともあるし
本人としては悪気がないのに怠慢に見えていることもある。
だから誰かが教えてあげないといけないのね。

ニキさんもそれがわかってから私と出会ったのかもしれない。

まあ、自閉症と私の出会いはそんな感じなので。
今度の新刊から抜粋するのなら

=====

 そう。
 私の自閉症とのつきあいは「療育」から始まったのでも「保護」から始まったのでもないんです。
 社会経験のあまりない人たちに、いかに社会人として機能してもらうか。
 いかに対等な社会人としての絆を築いていくか。
 私と自閉症とのつきあいの、原点はそこなのです。

=====

というわけなので
私は自分を「支援者」だと思ったことは生まれてから一秒もないのです。
どうして未だに私のことを「支援者」と見なす人がいるのか不思議で仕方ない。

私の役割をわかっている人ももちろん多くて、その人たちは本当のところを見ている。
「福祉の人じゃないのに理解しようとしている人」
「私生活では自閉症と関係ないのに仕事の上で自閉症を理解しなきゃいけない立場に立たされて奮闘してきた人」と思っている。
あるいは
「外の視点を持ち込んでくれる人」だと思っている。

いただく応援メールを見ると
本を買ってくださる方たちのニーズはそこにあるのがわかる。

浅見淳子は支援者じゃないときちんと認識している人。
その人たちが本を買ってくれる。講演に呼んでくれる。
そしてその人たちは、私に腹を立てる人のことはあんまり理解できないみたい。

改めて。
私は支援者ではありません。
支援者だと見えるのならあなたには「社会性の障害」があるかもしれません。

私は支援する人ではありません。
私は「支援者のサークルの外、現実社会の入り口付近に立っている人」です。

そういう立場でこのブログを書き、本を書いたのです。
そういう人が自閉症と接することは、まだあまりないからです。

読みたい気がするけど、うちに申し込みたくない方。
スペース96さんにも年内若干在庫持っていただいています。
よろしかったらご利用ください。

頑張った大人は

2010-12-23 08:00:00 | 日記
さて、今日から私的冬休み。年内一杯当ブログも予約投稿です。

今のところの予定。

24日 発達障害との出会いあたりのこと。
25日 浅見さんて謙虚だね、ってある人に言われた話。(まあほんとにそうなんだけど。←これが謙虚じゃないか)
26日 未定(津波の日につき)。もしかしたら更新なし。現地での脳みそのとろけ具合で決めます。
27日 私が教師批判をやめた(ていうか緩和させた)理由。
28日 「おまわりさんにつかまるよ」
29日 来年の抱負

ていう感じの内容です。更新は日本時間午前8時の予定。

「PCとかあんまり見ないだろうから大地君にもあまり返事できないかもって言っておいて」と白くま母さんに言ったら
「浅見さんは冬休みです。頑張った大人は遊んでいい」と教えてくれているんだそうです。
さすが母さんナイス。
そういうこと教えるのが大事だって栗林先生も言ってたよ。

そろそろ早い方のもとには本が届いたころだと思います。

感想送ってくださいね。

いってきます!

もう一人の光君

2010-12-22 08:20:44 | 日記
さて、戸部先生と一緒に光君が天国に行ってからも
全国で「元気に働く大人」を目指して修行している自閉っ子はたくさんいる。

そのうちの一人、天野光君が
修行仲間の大地君に自分の書いた本を送ってくれた。

どりょくきん vs いやがりきん

という絵本。
「わーっ」ってパニックになってしまうときの気持ちと、その収めかたを自分で分析して絵と文で表現している。

光君親子は主治医の先生に
大地君の二冊の本を薦められたそうだ。

おお
大地君の本を薦めてくださるなんて
男前のお医者さん。

ところが男前はここで終わらなかった。

光君の書いた「どりょくきん vs いやがりきん」を読んだ先生は
「これはぜひ世に出すべきだ」とお母様に自費出版を勧め、ご自分も費用を負担されたのだという。

よく本を出すことを薦めるお医者さんているみたいだ。
「花風社で出せば?」って。
で、その人たちがやってきて「出せない」って私が言うと怒り出したりすることよくあった。
「○○先生が出せって言ったのに!」って。
社会性の障害があるからね。指揮系統が見えない。

だから私はいつも思っていた。
「お医者さんたち、ちゃんと世の中の仕組みを説明してから送り込んでくれればいいのに。
こうやって医者自らとんちんかんな行動を増やしているんだよね」と。

全国の先生。
本を出すっていうのは費用がかかります。おわかりでしょうが。
患者さんに出版を勧めるなら、自分が費用負担する覚悟でやってください。
せめて、費用がかかることをきちんと説明してください。
費用がかかるということが見えていないと
患者さんは出してもらえないことで不当に扱われたと誤解します。

ちなみにうちは自費出版はやっていません。
私の性に合わないので。
自分がリスクとってなんぼ。
だから逆に信念に反するものは儲かりそうでも出しません。
今でいうと「二次障害回避原理主義」なんか受けると思うけど
絶対絶対出しません。

ともあれこれは
主治医の先生が費用負担しても世に出したいと思ったくらいの本だ。
修行の仲間。
光君、主治医の先生、そして大地君。
男前の輪である。

白稀時代

2010-12-21 07:47:28 | 日記
さてさて、昨日新刊第一弾が届きました。
思いもかけないほどたくさんご注文をいただき
厳正なる先着順で送り出しています。

ご注文とともにいただくメールを読むのも楽しみです。
時節柄(?)、花風社、そして大地君への「心ない妨害に負けないで!」という応援が多いですね~。
もちろん神田橋療法でこれだけ効果が出ました、っていうご報告もあるし
「修行系どんどん出してください」とか
「うちの子も修行しています」とか
そういうメッセージも多いです。

お母様が買って読んだ大地君の本を、今度は小学生のお子さんが読み始めたとか
「僕も書いてみれば先生にわかってもらえるかな?」とお子さんが言い出したとか
全国に修行仲間がいるのがわかります。

そして各地の巡業に来てくださるという方たちも多いです。

1月29日 千葉
1月30日 滋賀
1月31日 福岡
2月6日 岩手・花巻温泉

に行きます。
1月29日、30日の詳細は、このブログの12月10日、11日のエントリーをごらんください。
残りの詳細は、追って発表します。

中には白鵬の連勝を稀勢の里が止めたときまず浅見さんを思い出したというありがたい方も。

そして私と同じ大相撲ファンの読者の方からは

「きせのんが本格的に覚醒して白稀時代が来るといいですね」と。

ああ、白稀時代・・・。
なんて美しい響き・・・。

本当に早く来てほしいです。

考えてみれば今年は二回負け越されてしまいましたが
九州場所の好成績でなんとなく自分の中でそれまでの不満が帳消しになり
つくづく能天気だなと思います。

そして本日番付発表。
初場所は東関脇に復帰。活躍を期待します。
でも期待するといつも(以下略)。

さて、「自閉っ子と未来への希望」
本日受け付け分まで年内発送です。
お正月に読みたい方は本日中にご注文お願いいたします!
ニキさんの自閉っ子通信という豪華なおまけつき。どうぞお楽しみに!

就労支援セミナー

2010-12-20 07:18:42 | 日記
冬の巡業に急遽もう一箇所加わりました。
1月31日、就労支援セミナーの講師として福岡に呼んでいただきました。
国の事業です。

数年前は何回か、就労支援のセミナーに行きました。
早く私が呼ばれない時代がくればいいなと思っていました。

なぜ?
こういうイベントでは、企業の方にも来ていただき
「発達障害の人と働くってこんな感じですよ」
とご説明したり
「ぜひ雇ってください」
という働きかけるのがお仕事ですが
私は発達障害の人と雇用被雇用の関係ではなく
受注発注の関係です。
だから早く、発達障害の人を雇用してハッピーな雇用主が増えて
その方たちが講師になる日がくるといいなと思っていました。

でも今度は喜んで行きます。
一つは先方から強いご要望があったということを光栄に思って。
もう一つは私自身があのとき以来見たものがたくさんありますので、それについてお話できると思うからです。

障害の軽重にかかわらず
最初から就労を視野に入れて育てられているお子さんがいます。
どこかへ通う習慣・体力・体調管理・金銭教育など、重度の方でも周囲がちゃんとアセスメントに基づく支援をしてできている人もいます。
一方で、親も本人も就労に乗り気ではないおうちもあります。
最初から「福祉の中で生きる」と決めているおうちもあります。
どちらで育ったお子さんがが企業にとって有用な人材になるか
それは明らかです。

こういう情報は、正確に伝えないと。
どうせならきちんと最初から家庭が意識を持ってトレーニングしているお子さんを雇っていただきたい。
「いいな」と思っていただくことで後の世代につながるでしょ。

発達障害者の雇用に成功した企業が増えれば
それがさらなる雇用につながります。
そのための微力が尽くせればと思います。

現在チラシ作成中です。
詳しくはまた出来上がったらここにアップします。
取り急ぎ、予定をお知らせしようとこのエントリーを書きました。
1月31日の午後、福岡市内です。