治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

言語表現秀逸

2010-08-31 07:43:05 | 日記

昨日は久々にニキさんと長電話。
いつものように、iPhoneの電池が切れました。
相変わらず言語表現秀逸なニキさん。
おしゃべりを楽しみました。

でもまあ、言語表現秀逸なASDの人は他にもいるようです。
最近私の中で流行語になっているのが「ジェラシっ子パーク」
「発達障害界隈はジェラシっ子パークだ」
読んでゲラゲラ笑ったブログのご紹介です。

http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-221.html


Twitterについて

2010-08-30 07:58:42 | 日記
さてさて、旅行中非公開にしていったTwitterですが
このまま非公開を続けることにしました。

私がこれまでより自由にRTしたり話しかけたりすることによって
「修行系」の人々がお互いを見つけてフォローしあったり
お話がはずんだり、という効果が見られたからです。

考えてみれば私は、一回本を出せば数千、売れれば数万の方々にメッセージが届けられる幸運なポジションにいるのですから
あえてちくちくとあそこで知り合い(とも呼べない知り合いが多数)を増やす必要もないでしょう。

もちろんフォローリクエストはご遠慮なく。
よほどのことがない限り拒否はしません。
フォロー返しもこれまでより気軽にすると思います。
卑屈な発言と反日発言が著しく苦手ですが
それ以外はあまり苦手なものはありません。

スポーツ好きな人やお料理のレシピを交換できる人なんかだといいなあ。

昨日iPad入手しました。
これからもTwitterは楽しく続けていきたいと思います。

「漂流する発達障害の若者たち」を読んで考えたこと

2010-08-29 08:08:58 | 日記
さてさて、日本を離れていた間には発達障害の本を一冊も読まなかった私ですが
ついったーを見ていて気になる本がありました。
帰ってきて早速入手。読みました。

「漂流する発達障害の若者たち 開かれたセーフティネット社会を」
(高森明著 ぶどう社)

です。

いやあ、これはエポックメーキングな本です。

というか、この本がエポックメーキングにならないようでは、今後の高機能やグレーゾーンの人の支援に有効な手が打てないんじゃないか、そう思わせるくらい画期的な本です。

実際、今の社会で(つまり日常の、臨床でない現場で)、中途診断の(あるいは未診断の)発達障害の若者たちがどういう困難に直面しているかを誠実に描き出し、それを解決するための社会政策を提言しています。

著者ご自身今の結論を「暫定的」と書いているし、「私が出した答えに必ずしも賛成していただく必要はありません」と書いています。

そのとおり、私自身が今「暫定的」に出している答えも、実は著者がこの本の中でしている提言とは130度くらい違います。
呼びかける対象も違います。

それでもそういう意見の違いなどささいに思えるほど、この本の持っている問の立て方は重要だと素直に認められます。

では、著者と私の暫定的な結論はどう違うのでしょうか。

たとえば不安定就労の問題。

著者は発達障害の若者の多くが労働市場で不利な立場にあり、不安定就労を余儀なくされていると指摘しています。
この傾向には、私も気づいています。

著者はこの状態を解消に向かわせるための社会政策を提言するという立場ですが、私は違います。

不安定就労が解消する世の中になればいいというのには私も異論がありません。ただ、それほど易しくないと思っています。グローバル経済の時代、国内の労働者は国内だけではなくより賃金の安い国々と見えにくい競争をしています。この傾向が弱まるとはどうしても思えません。

つまり、今後の世の中でも、雇用を確保するためにこそ、ある一定数の不安定就労の若者を、社会が必要とすることは、残念ながら変わらないと思います。

ならば、
・自分が育てている子の能力を最大限引き出すには
・不利に置かれがちな労働市場で、それでもできるだけ労働市場で有利な立場を確保するには

私はそれを追及したいと思います。

つまり

・このままだと不安定な職場にしか居場所が見つからないかもしれないけど、なるべく安定した職場に居場所を確保するためにやっておけることはないか
・重度の人に最低賃金を保証している職場とはどういうところか。そこの経営者はどういう人材を求めているか

そういう情報をほうぼうで求め、本にまとめ、それを自分の読者に提供する仕事をやっていこうと思っています。

社会政策の提言が無駄なことだと思わないし、自分のできることをやっていこうと思っています。

ただ社会はゆっくりとしか変わらない。理解力だって、みんながみんな持っているわけじゃない。
でも個人は今日からでも変われます。

というのが私のスタンスなので

・発達障害の人に経済的自立を強いるのは政治的に正しくない
・社会を変えないで本人を変えようというのは政治的に正しくない

という考え方の人は「発達障害者の当事者・保護者」であっても「花風社のこれからの読者」とは想定していないのです。

社会を変える、発達障害への理解を促すという視点をもちつつも「今ある現実社会でどう生きていくか」を考えるための本を提供することをメインの仕事にしていこうと思っています。

だから
・修行系
・治せんといかんわな系

に力を入れていくことになるのです。

「脳を楽にする。身体という環境を整える。それが一次障害の改善につながるはず」という神田橋先生の仮説に惹かれたのはそのためですし

大地君が診断を受けたときにくれたメールのこの言葉がとても好きです。

「何にもしないであきらめるよりも、みんなが楽しい修行が一番です」

写真はハウスキーピングのお姉さんがタオルでこしらえてくれた座り象です。

脳みそが楽になると

2010-08-27 08:12:27 | 日記
さてさて、6泊8日の南の島臨海学校の間
私は自分のPCを一切開きませんでした。
数年前と違い、ブロードバンドでつなげるようになりましたが、まだまだ高価。
おまけに一部屋いくらではなくPC一台いくらで課金されるので
家族のPCに居候することを早々に決めました。

最低限の連絡にネットを使うと
あとは一日一回日本のニュースを見て
ついったーを開き、これまで巻き込むのが申し訳なくて話しかけられなかった人に話しかけたり。
ほぼオフラインの生活を送りました。

そうすると今までネットで情報拾っていた分、脳みそが楽になるので
本がさくさく読めます。
発想がどんどんわいてきます。
これからのラインナップの編集方針も、稲妻のように頭に飛び込んでくるのでした。

考えてみたら、今年まだ一冊しか本を出していない。
増刷は五点あったし
「発達障害は治りますか?」の好調に伴い、他の本もつられて売れているので
年内にまた何か増刷はありそうですが
新刊は一冊しか出していません。

まずいなあ。

そろそろ仕事しないとな。

ていうかぼやぼやしていると秋場所だし。

というわけで24日の朝に戻ってから
PCをオフラインにして、編集作業を始めました。

本当は今年中にあと二冊出したかった。
でもちょっと厳しいかな。

拙速に作りたくないし。
ていうか、秋場所が終わればまた二ヵ月後には九州場所があるし。

次に出す本のタイトル決まりました。

「僕たちは発達しています」です。

その次に出す本のタイトルも仮題をつけました。

「世の中捨てたもんじゃない」です。

今後も、花風社の方針に興味のある人はときどきここを覗いてください。

いやな人は、ここは見ないほうが精神の安定につながると思いますけど。

オフライン生活、本当に実り多いですよ。

写真はホテルのハウスキーピングのお姉さんがタオルで作ってくれた折り象。
何種類もあって楽しませてくれます。

ラインナップ決まる(持っていく本)

2010-08-16 05:10:28 | 日記
旅行に持っていく本のラインナップが決まりました。
精神医学の分厚い資料をたくさん持っていった年末の旅行とは違い
今回は発達障害に関する本はただの一冊も持っていきません。

新旧の「論者」の本を持っていきます。
どっちかというと天下・国家系。

旅行中、このブログ、あるいは遊び用ブログはもしかしたら更新するかもしれません。
ついったーは暫定的に非公開としておきます。
毎日遊びまくるのでつぶやくかどうかわかりませんけど一応。
もしかしたら、ふだんより自由にどなたかに話しかけたりするかもしれませんが
再公開したときには削除しますので安心してください。

これから出す本のラインナップは
帰ってきてから発表ですね。

行ってきます。

横綱白鵬、天皇陛下よりお言葉を賜る

2010-08-15 10:06:58 | 日記

「この国の横綱として、賜杯は戴きたかった」
名古屋場所千秋楽、相撲協会のストリーミングを見ていた人たちだけが生で聞けた白鵬の神発言です。
ついったー相撲部のTLは、涙涙の嵐でした。

三場所連続全勝優勝。
この快挙を成し遂げながら、賜杯を抱くことができなかった横綱。。
横綱審議委員会の鶴田会長も賜杯の返上について「するべきではなかった」と発言されたようですが
私もこれには激しく同意します。

総理大臣杯、返上すればいいでしょう。
NHK杯、いりません。
でも賜杯だけは別。
天皇陛下のほうから召し上げると仰せられるのならともかく
賜杯というのは大御心で下されるものであり
民から返上すべき筋合いのものではないはずです。

悪人も善人もその中間の人たちも
等しく日本国民であることにかわりありません。
悪いことをすれば、罰を受けたり、会社を解雇されたりします。
でも国民であることは剥奪されない。
国家というのはそれだけの懐の深さをもつものだと思うのですが
最近の世論はなんか余裕がありません。

モンゴルから来た25歳のこの青年が、なぜこういう深いことに気づいていたのか不思議でした。
「日本の横綱」という言い方ではなく「この国の横綱」という言い方も、実に考え抜かれています。
もちろんそれだけの器があっての横綱。
白鵬は、祖国にいても、どんな職業についても、必ずや立派な仕事をした人でしょう。
でも日本に来てくれて
大相撲の世界に入ってきてくれて
この困難な時を覚悟をもって支えてくれて
本当に感謝したいと思います。

ただ一つ、白鵬が有利だったなと思うのは
日本の学校教育を受けていないこと。
虚心坦懐にこの国を見られたこと。だから
国家というものの本質をつかみやすかったかもしれないと思います。

先生たちも悪気はないのだと思いますが
私の目から見るとしばしば、学校教育で植えつけられる日本の姿は国家観をゆがめるほうに作用します。
国家というものは、なんでも言うことを聞いてくれると甘えていい存在でもなければ
そのふがいなさをただただ恥ずべきものでもありません。
私たちの存在の本質に深くかかわり、そして私たちが形づくっていくものであります。
教育現場はアプリオリに反日的だと感じることがよくあります。
セルフ・エスティームの大切さはよく説かれるけれども
自分の国家に対する敬意(いいところも悪いところも含めてその存在を大事にすること)は学校では教えられません。

この知らず知らずの反日教育は
ASDの人にはとくに打撃が大きいこともあるようですよ。
ずっと前に読者の方が、行き過ぎた反日教育がいかにつらかったか訴えたいので
「よかったら使ってください」と送ってきてくださったURLを、終戦記念日の今日、やっとご紹介。

こういう例もあるのだと知っておいてください。

http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-81.html


13日の金曜日

2010-08-14 06:16:17 | 日記

8月13日の金曜日。
世間はお休みである。都会は人がいなくなった。倉庫もしまっている。
私は朝ゆっくりと出かけた。

まずは銀行へ。
知的障害者のサッカーW杯派遣費用を寄付。
よりによって南アフリカ。お金がかかる。
なんとか派遣は可能になったものの、あと1500万円ないと赤字になるそうなので
私はせめて1000分の1をと思い、15000円送金した。

寄付をしたい方、下記に詳細があります。

http://www.plus-blog.sportsnavi.com/nhfs/article/25

活躍を期待したい。
ていうかブブゼラはどうなるのかな。

それからお盆でいつになくすいた電車に乗って九段下へ。
靖國神社に参拝。
神保町や九段界隈は出版人のはしくれとして歩きなれた場所ではあるが
この時期に参拝するのは生まれて初めて。
閣僚が全員参拝しないという体たらくに気持ちが駆り立てられたのである。

かといって喧騒うずまく8月15日に行くのは疲れそうだ。
というわけで13日に参拝することにした。
せみの大音響が響く九段の杜。
厳かな雰囲気の中、さすがに携帯を出して大鳥居を撮影するバカの姿もない。
日本人の民度も捨てたものじゃないと思った。

善男善女の列にまざって、英霊に手を合わせる。
今日の繁栄の礎となられた方々に感謝の念をささげてきた。

事務所に行くと、誠信書房さんから献本が届いていた。
「アスペルガー症候群への解決志向アプローチ」
E.V.ブリス、O.エドモンズ著
桐田弘江、石川元訳
神田橋先生が帯を寄せられている
「ヒトは程度の差こそあれ 発達障碍の部分を抱え
日々発達しつづけている 自己実現の道
当事者としての 援助者としての
知恵とヒントがてんこ盛り」

という本だそうです。
私も旅行から帰ってきたら読もうと思います。

小暮画伯が打ち合わせに来社。
終わってこれから六本木という画伯を見送り、ふと見ると帽子を忘れて帰ってしまったようだ。
電話して「帽子忘れたでしょう?」ときくと、画伯はすぐに言った。

「ぼうしよう・・・」

そしていつものように自分のおやじぎゃぐに自分で受けていた。
どっと疲れて、いつになくすいた電車で帰宅したのでした。

途中とある大型書店に寄ると
いつのまにか発達障害ミニミニコーナーができていて
うちの子たちもそれなりに大きな顔をしていた。

仕事に関係のない本を三冊買った。

・きみのかみさま 西原理恵子 角川書店
・これからの「正義」の話をしよう マイケル・サンデル 早川書房
・ヤンキー最終戦争 本当の敵は日教組だった 義家弘介 産経新聞社

というばらばらなラインナップ。まあこれはいつものこと。

昨日読み終わったのは「サラリーマンだから貧乏ですが何か?」(大村あつし PHP)
これは成人ASDの人が世の中の仕組みを知るのにとてもいい本だと思いました。
会社というものの成り立ちをしれば
立ち回り方が理解しやすくなるかもしれません。

それからジムに行きました。

で、ビール→焼酎(神田橋セレクション)→熟睡

といういつもの一日でした。


往復葉書

2010-08-12 07:15:18 | 日記
二週間ほど前に、「発達障害は治りますか?」を読んだという方から往復葉書が届いた。

その方のお子さんがもう長年精神科にかかっている。
一向によくなる気配がない。
このままでは気がかりで先に死ねない。
神田橋先生に診ていただくことはできないか。

という内容の達筆の葉書であった。

哀しさが伝わってきた。

別に花風社が特別なルートを持っているわけではないが
一般的な連絡先等を書いて返信した。
もしかしたらネット環境にないのかな、と思ったのだ。

何か起きているといいな。

ところで、精神科の入院期間が諸外国に比べて長いとか、問題になってきましたけど
これほど精神科が治らないのは日本特有の事情があるのでしょうか?
医療側か、もしくは社会の側に。あるいはその両方に。

あるいは患者の意識の中に。

愛甲さんもおっしゃっていましたが
神田橋先生のところに行くと治る、って言っても信用されないと。

でもよくなっているんだけどね。
本を読んだだけでもよくなる人いるんだけどね。

ある読者なんて
あまりに急激によくなったので「どうしてよくなったんだ」って親仲間に詰問されて
神田橋先生の本を出したら「こんなもので治るわけない!」と罵倒されて
あげくの果てに家(新築三年目)に「インチキ!」って落書きされたんだって。

立派な器物損壊だと思うんだが。
その読者が法的措置を取るかどうかは知りませんけれど。

まあ
信用されないくらい
普通は治らないんだろうね。

焼酎(神田橋セレクション)

2010-08-11 06:15:11 | 日記
さてさて、「発達障害は治りますか?」出版直前に鹿児島に打ち合わせに伺ったとき
神田橋先生に桜島につれていっていただきました。
私と桜島は似ているらしいです。
活火山ですしね。

桜島でおいしいお魚をいただいて
本土に帰ってきて焼酎やさんで
何種類かの焼酎を選んでいただきました。

「神田橋処方」ならぬ「神田橋セレクション」の焼酎はもう、とてもおいしくて
それ以来鹿児島に焼酎をまとめ注文するようになりました。

神田橋先生は、その人に合った薬物やサプリを選ぶ名人でもあるようですが
そして日常生活の中に養生のコツを取り入れる先生なので
もしかしたら選んでいただいた焼酎は私と相性のいいものなのかもしれません。
あるいは「一般的においしいもの」なのかもしれません。
でもまあ、薬物やサプリの投与には慎重を期しますが
酒飲みはもっと単純に個体差なくできているような気がします。

でも同じときに黒糖を選んでいただいたら
愛甲さんと私には別々の黒糖を選んでくださいましたから
もしかしたら相性もみてくださっているのかもしれません。

まあとにかく(少なくとも私的には)おいしい焼酎のラインナップです。

不二才(ぶにせ)
岩蔵
明るい農村
南乃方(みなみんかた)

そして決定的なのが



これはもう、至福の時を過ごせます。
ただし度数が44度。
お酒の弱い人には薦められませんし、私たちも毎日飲めるものではありませんが、ちょっとその美味しさは桁外れ。

下記にファクスして取り寄せています。

株式会社 山形屋
ドルフィンポート店
ファクス 099-227-2270

先日も13本取り寄せました。
3本は贈答用です。
そして残り10本は(以下略)。

写真は読者の方が鹿児島まで先生に診てもらいに出かけたときのおみやげ。
九州名物白くまキティちゃんハンカチです。

コミュニケーションの不思議

2010-08-08 05:10:02 | 日記
白くま母さんから不思議な話を聞いたことがある。
大地君は、同じクラスの重度判定のお友だちと
かなりコミュニケーションができるらしい。
大人の目から見ると、発語のないお子さんとでも、「会話」を交わしているらしい。
そして前の日にそこのおうちで何があったかとか、詳しく知っているんだそうだ。
親同士でも交わしていない情報まで。
そして「誰からきいたの?」ときくと
「○○くんが言ってた」と言うそうだ。
大人たちはそれで戸惑う。
そのお子さんは言葉のない子ということになっているから。

この話を賢ママさんにしたら
「当たり前ですよ」と言われた。
「文化が同じなのですから、言葉を発しなくてもコミュニケーションはできます」

そういうものなのか。

私たちのうかがい知れない内面がある。
その内面がどういう手段で表出するか
人によってきっと違うんだと思う。
(中には、適切な表出方法と出会えず一生を終えてしまう人もいるのかもしれないけど。)

と考えていたほうが楽しくありませんか?
「内面なんかないんだ。インチキなんだ」って思うより。

神田橋先生のこの言葉好きです。
 
「希望がないということが確証される研究」なんかつまらん。そういうものじゃなくて、その目の前の人を救うにはどの方法が合っているか、を探ったほうが楽しいし役に立つ。」
(「発達障害は治りますか?」 P293)