治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

来年の今日

2010-07-30 06:16:50 | 日記
来年の今日、横浜で岩永先生の講演会が開かれます。

思えば岩永先生とのご縁をつれてきてくれたのはニキさんと藤家さんです。
ニキさんと藤家さんと一緒に仕事をするうちに、「この人たち、身体さえしっかりすれば社会適応可能なんじゃないか」と思ったのが「自閉っ子、こういう風にできてます!」の着想の元でした。

私の周囲には比較的、いわゆる「堅い勤め人でない人」が比較的たくさんいると思います。
そういう立場から見ると、「学校で適応できたかどうか」って社会に出るとあまり重要じゃないです。
学校時代に強調される社会性と、社会に出てから必要な社会性って結構違います。
だから逆に、学校に適応できない=社会でうまくやれない、ではないと実感しています。
相当な変人でも社会は受け入れる度量の広さがあります。これはいつも私が講演で話すことです。

ただし、周囲の「堅い勤め人ではないけれども社会適応している人」を見ると
ある程度の体力が必須だとわかってきます。
だから身体の問題に興味を持ち「自閉っ子、こういう風にできてます!」を出しました。
それを読んで長崎に呼んでくださったのが岩永先生たち。ここからご縁ができて「続自閉っ子」「続々自閉っ子」につながりました。
そして岩永先生のお仕事に興味を持たれた神田橋先生につながりました。

人の縁というのは面白くありがたいものであります。
来年の今日。岩永先生の講演が横浜で行われるとき。
私は新たにどんな方たちと縁ができているでしょうか。

「発達障害者は発達する」をマンガにしました

2010-07-26 13:10:03 | 日記
「発達障害は治りますか?」初版が出てから、起こったこと。

それをマンガにしてみました。

画伯に週末作業していただき
つい先ほど神田橋先生のご許可が出たので、アップします。

はがきでも作ろうかな。

「先生の本を読んでよくなったと喜ぶ親御さんに対してもバッシングがあるんですよ」という私のご報告に対し、神田橋先生はたった一言でバッシングの仕組みを教えてくださいました。

内容はもちろん秘密。

ただ私的には大納得の一言でした。

使い分け

2010-07-25 07:00:14 | 日記
年に三冊でも、数年本を出していると
それなりにバラエティが出てくる。

そろそろ使い分けを考えるようになった。

たとえば6月に呼ばれた京都府・南丹市での講演会。
ここではニキさんから話を引っ張り出すことに専念した。
事前の主催者様とのやり取りから
「This is ニキ・リンコ」という内容がいいだろうなと思ったからだ。
ニキさんも張り切ってしゃべってくれた。
書籍販売もニキさんの本しか持っていかなかった。

先日の茨城の講演では、事前に主催者様と打ち合わせをして内容を詰めた。
ここからの最初のオファーは「保護者でも支援者でもない立場で話をしてほしい」
(これって実はセンスのいいオファーだ)

前もってレジュメを提出し、検討していただき
「治りますか?」系の話を入れたほうがいいかどうかお尋ねしてみた。
入れてほしい、とのことだったので、当日藤家さんの話をして
「治るか治らないかは『自閉っ子的心身安定生活!』を読んでから決めてください」
とお話した。
神田橋先生は「発達障害は治りますか?」のあとがきで藤家さんを「エビデンスの証人」と形容されている。

先週は障害のある方の就労に詳しい方に会いに行った。
持っていったのは「ぼく、アスペルガーかもしれない。」だ。
「毎日学校に行くのは小学生のお仕事です」
こう育てられている大地君の話をした。
就労の現場を知っている方から見ると、しごくまっとう、正しい育て方だということだった。
そらそうだよね。

年に三冊でもバラエティは広がっていくのだが
このまま私が長々と夏休みを取ったら
今年は果たして何冊出るのでしょうね?

三刷り決定しました!

2010-07-23 09:28:55 | 日記

「発達障害は治りますか?」
三刷り、昨日決定いたしました。
皆様に感謝いたします。

書評に出ても動かない本はありますが
この本は書評がプラスに働いたようです。

三ヶ月で三刷り。
三冊作ったのも同然だ! と言ったら
「違う違う」と突っ込まれましたが。

ともかく私は三刷り分、ゆっくり夏休みを楽しみます。

書評が朝日新聞のHPにアップされていました。


あ、こんなところに私がいる!

2010-07-22 07:30:50 | 日記

http://www.fvp.co.jp/business/entrepreneur/intro/

ちょっと違うような気もしますが、まあいいか。

まあ、ここに載っている私以外のメンバーはすごい方たちですよ。

障害のある方の職場作り(あるいは「儲ける」場作り)をしている人たちって
実はいっぱいいらっしゃるんです。

「なんとか働く場を与えたい」
FVPさんはそういう人たちをお手伝いする会社です。

そして、工賃を少しでもアップして
障害のある方たちの生活を豊かにしようとしている会社です。

「遊ぶ金ほしさ」の悪事はよくないです。
でも「遊ぶ金ほしさ」の労働は尊いです。いいことです。

 


満員御礼のワケ

2010-07-20 08:18:14 | 日記
さてさて、連休の真ん中の日曜日、茨城県古河市に講演に出かけました。
お話をいただいたのは今年二月。
啓発運動不毛の地なのでぜひ講演会を開いてみたい。
でも初めてのことで集客に自信がない。
そういうご相談から始まりました。

ならばリスクを抑えた形でやりましょう、ということで
遠くからニキさんや藤家さんを費用をかけて呼ぶことはせずに
スイカで行ける範囲に住んでいる私が一人で行くことにしました。

主体となって最初に動いたのはお母様方です。
ところがそれから、地域の病院のリハビリ部のOTさんやPTさんがスタッフに加わり
行政にも働きかけ
最初思っていたよりずっと本格的な講演会へと成長を遂げていたのでした。

というわけで、出かけた私はびっくりです。
自治体のえらい方の来賓挨拶もあったし、取材カメラもあったし。
第一大ホールがぎっしりなのです。

とくに印象に残ったのは
連休とはいえ父親らしき男性たちの姿です。
聞けばこの地は、核家族ではない家庭も多く
親戚が固まって住んでいることも多く、お子さんの預かりっこも盛んで
一人の自閉っ子に多くの親族がかかわることが多いのだそうです。

そこで家族ぐるみの理解を進めるために、主催者様がとった方法が思い切っています。
「受講料1000円。家族四人まで同料金!」
これが功を奏したのか、パパママ、ジジババ、ときにはおじさんおばさんまでやってきたということなのでした。

頭イイ!
っていうかこの手って、同じような事情のよその地域でも使えるのではないでしょうか?

あとでスタッフの方に伺ったのですが
本当に「目からウロコでした。これからはやたらと叱らないようにします」との感想を残して帰られたおばあさまなどがいらしたらしいです。
主催者の方の工夫が、見事に実ったといえましょう。

今回は、ただ講演をして帰るのではなく
早めにいってランチをご一緒し
講演をして
帰りには懇親会、と現地の方と交流する機会がたくさんありました。
そこで私も色々勉強させていただきました。
何回かにわけて、またこのブログでも触れていければなと思います。

写真は読者の方にいただいた古河市の桃まつり限定桃むすめキティちゃんです。
このブログを見てくださっている方が多いので
最近キティちゃんをよくいただきます。

さて、この講演が終わったので
私も夏休みに入ります。
もちろんぱたっと仕事を止めることは難しいですし、人と会う予定等は入れていますが
今年は五年ぶりに、ちょっとゆったりめに夏休みを取ります。

皆さんも楽しい夏休みを!

7分で起こったこと

2010-07-17 10:03:38 | 日記
さてさて、近所の親の会の方から「発達障害は治りますか?」の追加ご注文をいただき、私は意気揚々と集金に行きました。

会合の途中ですから、お金をいただき領収書を渡すという短いやりとりのなかでしたが

「横浜で岩永先生の講演会を開きたい」というお申し出を受けたので、その場で岩永先生にお電話。日程を仮押さえさせていただきました。

来年の夏です。いらっしゃりたい方も多いと思います。詳しく決まりましたら花風社MLでお知らせします。

写真は7分の短い打ち合わせの間に保護者の方にいただいたハワイ土産のハワイキティちゃん。
かーわいい~。

来月には私も真っ黒になるのです。

明日は講演会。今日はまったり過ごします。

賢ママさんって鋭い

2010-07-16 08:31:24 | 日記
さてさて、大相撲中継の中止が決まった日の夕方
私は悲しみのあまり、行く予定がなかった名古屋場所の切符を予約してしまった。
そうしたらその夜、賢ママさんからメールが来た。
「今年は名古屋にいらっしゃいますか? だったらお会いしたいです」

おおおおお。
そう、私もお会いしたかったんです。ほんとは。
でも多くのアスペルガー当事者にとって辛い季節。出てきていただくのも大変かも。
お誘いしようかどうかためらっていたんですよね。
賢ママさんからお声がけいただいたので、ありがたく、ランチをご一緒させていただくことにしました。

アスペルガー当事者で二人の発達障害の母でもある賢ママさんとは長年のメル友。
ようやく初めてお会いしたのが、やっぱり去年の名古屋場所を見に行ったときでした。

それからもメールでいっぱいお話していました。
てんかんや書字障害のある上のお子さんは今や大学生。
ちゃんと字を書いて課題を提出しています。
自閉症の下のお子さんは足が弱く、まっすぐ走れなかったのに
賢ママさんの地道な自家製トレーニングの成果があり、いまや交流級のリレーの選手として優勝に貢献したそう。
校長先生から表彰されたそうです。

こんな楽しいお話を伺いながら、二時間弱のランチ+お茶タイム。
そして私はタクシーに飛び乗り、愛知県体育館に向かったのでした。
ここでは「稀勢の里母の会」のメンバーとジョイン。
なぜ「稀勢の里母の会」と呼ぶかというと、私たちは母の気持ちで稀勢の里を応援しているからです。
もちろん勝ってほしい。でも私たちは相撲取りとしての稀勢の里が好き。
「私たちは稀勢の里を見捨てない。どんなに勝てなくても。だって母だから」というノリの会。

相撲はやっぱりダイジェストじゃだめ。
久々に仕切りごと取組を幕下から楽しんで、稀勢の里が合口の悪い相手を倒したとき大歓声をあげ
楽しい相撲観戦をして、家路についたのでした。
もちろん新幹線の中でもずっとお相撲の話。
九月場所での再会を期して別れました。
いやあ、楽しかったです。

そういえば賢ママさんは単独でも講演されることが多いですが
佐々木正美先生の対談相手として呼ばれることも多いですね。
だから佐々木正美先生のMLに入っているそうですが
そこであるとき佐々木先生が手に入れた稀勢の里の手形とサインの写真が送られてきたとの事。
佐々木先生も稀勢の里がご贔屓だそうで
これは意外な共通点とうれしくなりました。

写真は賢ママさんにいただいたキティちゃんのポーチ。
夏らしいさわやかな青です。夏休みの旅行に重宝しそうです。

ありがとうございました!

信用できますか?

2010-07-14 21:00:00 | 日記
さて、私は前回「私は嫌いな人とは付き合う気がない」と書きましたが
大きな組織でもまれている人や、ママ友の中で仲良ししている人には、眉をひそめるような言動でしょうね。

まあそれでいいんじゃないかな。

基準が違うんで。

たとえば私にとって、悪口言われるのも商売のうち。
とくに「花風社は自閉症を治すという主張に走ってけしからん」という喧伝活動。
これなんか実はありがたかったりします。

どうして?

「治すなんて方向を志向するのはけしからん!」という人は「花風社の本はトンデモ!」と読まないでしょうが
「治るのかな?」「治せたらいいな?」という人たちは
興味を持ってくれるでしょう。

「エピソード主義でけしからん!」と書いてあったら
エピソードから学ぶのが好きな人たちは「とっつきやすそう」と思ってくれるでしょう(私自身このタイプ)。

「治らないという考えは治りませんか?」
神田橋先生の本の帯のあのコピーを見て、涙した親御さんもいるんです。
「今まで誰一人こんなこと言ってくれなかった」って。

そういう人が「治すなんてけしからん!」というネット上で息巻いている人の発言を読んで
「え、治せるって本が出るの?」ってうちにたどりついて、本を買ってくださったり。
そんなことはしょっちゅうあります。
だから私は「ああ、告知協力してくれてるんだな」と思ってます。

だって治すことにこだわっている出版社、今のところ他にないでしょ?
零細なのに寡占企業というありがたい立場。

まあ実を言えば「治す」ことにはこだわっていないんですが。

「治す」ことよりも
「治せんといかんわな」にこだわっているんですけど。

というわけで

著者・編集者一同が、最初に読んだとき身体が震えるほど感動した神田橋先生のあとがきから特別にお蔵出ししますね。

=====
元に戻す治療法などはないのです。あるのは未来に向けての援助です。
(「発達障害は治りますか?」P316)
=====

そうです。
こういう本なんです。
「発達障害は治りますか?」は。

「治療法」じゃなくて、「発達援助」の本なんです。

だって今の医療ではまだ、「マジック・ピル」は発見されてないでしょ?

医療の限界を受け入れる。
これって当事者として、保護者として、かなりきつい体験だと思います。

今の医療の限界を、ちょっとでも越えられるのなら
あまりお金がかからなくて、害が少なそうなものなら試してみたい。
そう思う方がいても、不思議ではありません。

でも検証されていない方法は「代替療法」と呼ばれます。
それを受け入れる人と受け入れない人がいます。

私は神田橋先生の本を作ることになってから
代替療法と検証済みの療法の線引きがどこにあるか、色々な方に聞いてみました。

鼎談の前日も、長崎のとある居酒屋で、
EBM志向でお仕事されている岩永先生にお聞きしました。

「検証済みのものがEBMで、検証されていないもの、検証の結果効果がないとわかったものが代替療法です」

というのが岩永先生のお答え。

はい。
それは色々な方から聞きました。

でも私が腑に落ちる答えではなくて。

と申し上げたら愛甲さんが「神田橋先生に伺ってみれば? もしかして一言で解決なさるかも」と。

で、翌日、伺ってみました。

そのときのやりとりが本になっています。

=====

神田橋 ただね、精神医療全体に、そもそも検証自体がまだ全然追いついていない。発達障害の分野はとくにそうでしょう。
浅見 ていうか私のような素人には、そもそも、EBMと代替療法のはっきりした線引きがどこにあるかわからないです。
神田橋 そらわからんよ。
浅見 岩永先生はどう区別なさっているんですか?
岩永 なんらかの科学的な検証をされたものが正規の医療で、それがまだされていない、あるいは検証がうまくいかなかったものが代替療法だと考えています。
神田橋 僕は違うと思う。検証法がまだ届かないもの、見つかっていないものが代替療法だ。検証法が見つかって無効だと検証されればそれは消える。
(「発達障害は治りますか?」 P291)
=====

そう。

「検証法がまだ届かないもの、見つかっていないものが代替療法」

これはすとんと腑に落ちる説明でした。
しかも神田橋先生が提唱されるのは、身体に悪い害があるようなものじゃありません。
しかも、安価。
しかも、家でできる。今すぐに。

だからまあ、なんとかして状態をよくしたいと思って
検証されていない方法を取ろうとしているとき「そんなこと手を出さないほうがいいよ」と親仲間に言われたら

見極めたほうがいいです。

親切心なのかな?

だったらその意見を聞けばいいよね。

あるいは

「もし効果があったら抜け駆けされる!」という気持ちからなのかな?

どうしてこう思ったかっていうとですね、やっぱりぶんパパの件。

なんで発達を喜んでいるお父さんをいじるんだろう。その存在にさえ疑義を投げかけるんだろう。

抜け駆けすんなよ、みたいな気持ちがもしかしたら(一部の)親御さんの中にあるのかな?

だから、トイレトレに成功した、言葉が出た、九九を覚えたと無邪気に喜んでいるぶんパパを
「架空キャラだと思いたい」という気持ちが(一部の)親御さんの中にあったのかしら。

ずばり、
親同士の嫉妬ってあるのかな?

こんなに苦労してるのに、そんなに成功しているヤツが実在してるわけない、みたいな。

でも実際にこういうことあるんですよ。
そういうことを可能にしてきたから、神田橋先生の治療は名人芸と呼ばれるわけでしょ。
名人芸を本にするのは難しいといわれているけど
この本は読んだだけの人の間でも、喜ばれています。

それだけ。

もちろん反論もどうぞ。メールでもついーとでも。

ただし、他人の土俵には行きません。

あと、明日いっぱいはお返事できません。

同じ土俵なら名古屋場所。というわけで明日は日帰りで名古屋に行ってきまーす!

というわけで、おやすみなさい。

追伸:ぶんパパ見学ツアー、絶賛受付中です。

抜け駆けは許せませんか?

2010-07-14 17:00:00 | 日記
お友だちのぶんパパのご子息ぶんちゃんは、「こんな重い子はいない」と医師に宣告されたそうです。

まあ実は私、それ自体は大したことじゃないんじゃないかと思ってるけど。

どうしてかって?

いや、「発達障害は治りますか?」を出してから
「よくなりました!」等のお声がとても多いですが
その方たちの多くが言われてきたそうですよ、医師に。
「こんな重い子はいない」って。

私たちは最初あの本を
成人で二次障害がある人なんかに役立つかな、とか思っていました。

でも出してみてわかったのは
神田橋先生の提唱するやりかたは
お子さんにも
しかも知的障害のある方にも効果があるということ。
ていうかそういう方たちからの反響のほうが大きいです。

まあそれだけのびしろが大きいということかも。
そして一つでも二つでもできるようになったことの喜びが大きいから、知らせてくださるのでしょう。

こういうお便りをいただいていると
「こんな重い子はいない」って宣告されている人って
全国的に見たらすっごいいっぱいいるんだな、というのが私の実感。

もしかしたらお医者さんたちは「(今日外来に来た中では)こんな重い子はいない」とか
「(午前中見た限りは)こんな重い子はいない」って言っているんじゃないかな、と思うくらい。

あるいは「こんな重い子はいない」っていう言葉が、何かお医者さんたちに有利な状況を作り出すのかな。

よくわかんないです。

まあとにかく、ぶんパパもそう宣告された親の一人だった。

「こんな重い子はいない」といわれるようなお子さんがいると
親戚にはさげすまれ
近所では迷惑扱いされ
一家心中を決意したこともある。

問題行動で冷たい視線を浴び
すがるように病院に行くと
そこでは問題行動に対処する薬を処方される。

どんどんどんどん薬が増えていく。

ぶんちゃんは日中もだらーんとしてよだれを垂らし空を見つめている。

そういう状況を見て、ぶんパパは「薬を減らしたい」って思った。
このままじゃ廃人になる、と思ったそうです。
でもいきなり減らすのは危険でしょ。
ぶんパパはお勉強して、主治医と相談して、薬を減らしていった。

でもそのためには、薬を減らすための手段が必要。
それも探す。やっぱりお勉強。

そして出会ったもののひとつが「発達障害は治りますか?」だった。
そこには「脳をラクにする」いくつかの手段が提示されていた。

ぶんパパはそれを試してみた。

神田橋先生もこうおっしゃっているし。

=====

 あと最近僕がわかってきたのは、発達障害の人はなるべく精神科のお薬を多量にはのまないほうがいいということです。脳の発達を妨げるみたい。治るというのがどういうことかわからんけど、僕のところに来る患者さんはだんだん精神病の薬が減っていくね。(「発達障害は治りますか?」 P45)
 
=====
 
まあ「発達障害の人には処方量を少なく」っていう考え方自体は、発達障害に詳しい現場では常識になっているようですが
ともかくなんらかの理由で、ぶんちゃんの場合、むしろ薬の量はどんどん増えていった。
そして長い道のりを経て、減薬に成功したとき、ぶんちゃんはできることが増えていった。
それはあたかも神田橋先生が書いているように、脳が発達したかのように。
 
トイレの粗相がなくなった。
絵カードを使えるようになった。
発語が出た。
文字が読めるようになった。
九九を暗記した。
 
ぶんパパは嬉しかった。成果をついったーでつぶやいていた。
これまでの事情を知らない人には、あたかも神田橋先生が提示している「何か」を摂取することでいきなり九九を覚えた、みたいに受け取れたかもしれない。
でもその背後には、長い道のりがあったんだ。

ぶんパパは、「薬を減らすべき」という自分のカンに賭けて、そのための方策を採っていった。
そして神田橋先生の本からはその方向が間違っていないという方向付けと、薬を減らす代わり、問題行動への対処方法はどうすればいいかのヒントを得た。

それでも最初から一部で偏見をもたれている本だ。
たくさん売れているとはいえ、読んでいない人もいる。
祭りに乗っかった以上、意地でも読めない人も多いだろう。
 
その人たちにしてみれば「トンデモ本」なのだから、それでよくなった、よくなったと喜んでいるぶんパパが胡散臭く見えたのだろう。花風社の宣伝材料かよ、と思ったのだろう。
 
そして「発達障害は治りますか?」を読むのを自分で自分に禁じている人たちにとって「抜け駆け」みたいに見えたんじゃないのかな。
一生懸命「あの本は効果があるはずがないんだ。トンデモなんだ」と思い込みたいがために、ぶんパパ架空人物説が出たんじゃないのかな。
それにそらパパにたしかに、かなり攻撃すごかったし。
でもそらパパ嫌いな人は世界にぶんパパと私だけじゃないけどね。

神田橋先生が発達障害について語った本が出ても
読みたくない人は読まなければいい。
でも、知っておいてほしい。
 
ぶんパパは長い間努力してきたんだ。
多くの親御さんと同じように、世間の偏見に耐えながら
一家心中さえ考えながら
一つ一つ勉強してきて、それで今のぶんちゃんがいるんだよ。
 
小学校二年生でおむつが取れるのは
健常児の親にとっては成果とは言えないかもしれない。
でも同じ障害児の親仲間だから、それをともに喜び合えるんじゃないんですか?

なのに 
今はむしろ「抜け駆け許さない」みたいなゆがんだ空気が(ごく一部の親御さんから)上がってきているように思えます。
こういうみっともないことやっていると、障害児に対する偏見はますます強まるよ。
だってこの私が、「いちぬけた」なんだから。

昨日いただいた読者からのメールにこういうのがありました。
ベムたちのやっていることを見て
「同じ親の立場の人間がやっているということに、さらに不快感が増します」

なるほどなあ。
これは私にはわからなかった。

ベムたちははてブが世の中の指針だと思っているみたいだけど
こういう風に見ている人も多いのよ。
だから懸命な妨害にもめげずうちの本は売れ続けるのよ。

ちなみに
この読者の方はぶんパパを「間違ったことを言わない人」と評されています。
私もそう思っています。
口は悪いけどね。(って私に言われたくないだろうけど。)
 
私は、親御さん同士を争わせる気持ちはまったくありません。
まあ私自身は、嫌いな人間とは付き合わない主義だけど。
 
大きな企業でもまれている人たちやママ友とのつきあいに悩むママさんたちから見ればとんでもないことかもしれないけど
私はリスクと引き換えに自由を選んだから。
 
でも、親同士が意見を一致させる必要はないと思っています。
そしてある一定数が花風社の本が嫌いなら嫌いでいいと思っている。
巨人も大鵬も卵焼きも、万人の憧れっていう時代じゃないんだから。

花風社の本を読まない人に私が一人の社会人として望むことは
うちの本を読んでくださいということではありません。

うちの本を参考に頑張っている親御さんを集団いじめするのは時間の無駄だよってだけ。

「抜け駆け許せない」って気持ちを持つのも別に人間として自然だと思いますよ。
他人がうまくいってたら面白くないっていう気持ちも自然だと思いますよ。
ただそれで同じ障害児の親に、度を越えた情報開示を要求するのはどうかと思います。
こういう非常識なことやってもいいから匿名にとどまりたいのかな?

私はぶんパパが実在を証明する必要なんてないと思うけど。
ぶんパパはきっちり落とし前をつけるつもりだから
「来いよ、見せてもらいたいんだろう。見せるよ。そのかわり知る権利のない情報をほしがったことの責任はきっちり取ってもらう」って言ってるから
せめてベムさんに航空券を買ってあげようと準備しています。

ところで、編集者同士っていうのは、方針違いますよ、それぞれ。
それぞれ個性が作る本に出るのは当たり前。
 
でもそういう方針の違いを超えて情報交換できますよ。
障害児の親だってそれは可能じゃないの?

それともみんな、リアルではよそんちの子の発達をたたえて、家で悔しさをかみしめて
そのストレスで
ネットでは匿名をいいことに親同士で叩き合うの?
だからみんな匿名にこだわるの?
 
次の記事のアップは21時の予定。
かなり核心の情報を蔵出しします。必要なことだと思うから。
お楽しみに。

読みたくない人は、読まなくていいけどね。