治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

ギフテッドは天才なのか?

2010-01-31 09:07:33 | 日記
「名は体を表してなくてよかった」本を読みました。
つまり、タイトルを見たら違和感感じたけど、中身は素晴らしかった本です。

「ギフテッド 天才の育て方」(杉山登志郎・岡南・小倉正義著 学研)
です。

私は自閉っ子天才論とは一線を画したい人です。わりと。
才能なんてないほうが幸せな面もあるし
なんの才能もなくても幸せに生きていける社会がいい社会でしょう。
第一アインシュタインより週5日間40時間コンスタントに働けて協調性のあるのほうがつぶしがきくよ。

だからこの本のタイトルを見たときは、激しく引きました。
「・・・たまひよ?」とか思って。

でもこれが、とても深い深い深い本だったので、本当に読んでよかったです。
たぶんこの本については、これからもこのブログでときどき書くと思いますね。

で、この本を読んでわかったのは、
そもそも「ギフテッド」→「天才」という訳の仕方が(私にとっては少なくとも)ミスリーディングだっただけなんだなあと。
だから食わずぎらいを起こしていたのでしょう。
でもまあ、きっと版元がこういうタイトルをキャッチーと考えるからには、「天才=すばらしー」というのが一般的な感覚で
たんに私のほうが、ちょっと変わっているんでしょう。

まあ、自分の子は天才なんかじゃないほうがラクだと私は思いますが。
でも子どもを天才にしたい人も中にはいるんでしょう。ていうか多いんでしょうね。

ただし、そういう方には、この本ちょっとニーズがずれているかもしれないです。
別にこの本読んでも天才じゃない子を天才にはできないです。
でも杉山先生いわく、「発達凸凹の子を発達障害にしない」ことはできる!
まあ詳しくは買って読んでください。最後のE君の手記だけでも買う価値あり。杉山先生はE君の手記に反論があることを予期されているようですが、私個人の意見を言えば、E君の言っていることは100%納得です。
あたりまえのことをやり遂げただけで大げさにほめられる世界に違和感を感じたところからE君の成長が始まったのだと思いました。

この本を読んで一番先に思ったのは、実は
「なんだ、ギフテッドっていっぱいいる人たちじゃん」っていうことですかね。
たぶん私が今本を作るお仕事をする諸段階でかかわる多くの人がギフテッドです。何かしらの偏りを抱えている。

次に思ったのは
「ギフテッド教育って、昔からやられてきたことじゃん」っていうことですかね。
もちろん最新の脳科学の知見に基づいたものではなくても、親たちがわりと普通にやってきたことなんじゃないかと。
ただし、それにはいくつか条件があります。

1 親にそこそこ教養があること(学歴とは別。また、すごい教養じゃなくてもいい。自分の頭でモノを考える習慣があること)
2 親にそこそこ生活の余裕があること(お金持ちでなくても、ある程度教育費を割く用意があること)
3 親が子どもの将来を中立的に見ていること(自分が医者だからどうしても医者にしたい等の思い込みがないこと)
4 親が利用したいサービス(学校も含めて)のオプションが割と豊富にあること(人口密集地のほうが有利?)
5 学校が親の教育方針の邪魔をしないこと。

ていうことは、要するに、都会の中間層以上の家庭で、あれこれ余分なことに口を出さない進学校に進んだ子にはわりと普通に与えられてきた教育じゃないかと。この日本でもね。今でもね。っていうか何十年か前でもね。
そして学校は、その教育のごく一部として、親の選択の対象に過ぎなかったでしょう。
ギフテッド教育を全面的に託す場じゃないんじゃないでしょうか。

でもそれだと、家庭による格差とか、地域による格差が生じてしまうから、それをどうにかしようということで学校におけるギフテッド教育は始まったんじゃないでしょうかね。
まあ本家本元のアメリカも「人材開発=国益追求」をベースにやってきたわけで、それにしてもここまでくるには紆余曲折がすごかったみたいで、これを急ピッチで日本に導入するには相当な軋轢があると予想されます。第一現場に負担がかかりすぎるでしょうし。ていうか教員養成から変えないといけないみたいだし。

著者の先生方が望むように「特別支援教育をさらに豊かにするためにギフテッド教育の視点を採り入れる」ことが目的なら、まずわれわれぱんぴーが抱きがちな「エリート教育」との混同を防がないといけないのではないでしょうか。

そして、
やっぱりある程度家庭で分担しないと実現不可能では? ギフテッド教育。

逆に言うと、学校が万端やってくれなくても、家でできる部分も多いってことかもしれませんね。

今回はここまで。この本についてはまたいずれきっと触れます。

光君が見本だったんだって

2010-01-30 08:59:31 | 日記
昨日の朝、ブログを読んで驚いた白くま母さんから電話。
戸部先生の件。

大地君は「光とともに・・・」のマンガもDVDも
繰り返し繰り返し見ているそうです。
そして光君をお手本にしてきたとのこと。

「元気で働く大人になる」

そうか。
それは光君から学んだことだったんだね。

天国の戸部先生。
ここに勇気をいただいた少年がいます。

放送大学

2010-01-29 08:52:16 | 日記
戸部先生は藤家さんが放送大学に学んでいることに興味を感じていらしたようでした。

マスプロ大学を要領よく卒業した身から見ると
放送大学でお勉強するって結構努力を要したと思います。

でもちゅん平はやり遂げました。

最初に入った通学の大学は二次障害で中退せざるをえなかったけど
放送大学でこつこつお勉強して
ちゃんと学士になりました。

「こつこつ」は財産です。

「こつこつ」を財産に生きていく。
ASDの大人の中には
そういう人もいます。

ご冥福をお祈りいたします

2010-01-29 00:14:30 | 日記
明石洋子さんからお知らせいただき、戸部けいこ先生の訃報を知りました。
とても悲しいことです。
一ページ、一ページ、精魂を込めたお仕事にいつも感動していました。
あの一ページを描くために、どれだけの人と会い、取材を重ねられたことでしょうか。

おめもじできたのは一回だけでしたが
(藤家さんと一緒でした)
三人でけらけらと笑いのこぼれる楽しい時間を過ごさせていただきました。

訃報に接し
つくづく、健康に気をつけなければいけないこと
そして
仕事ができるうちは手を抜いてはいけないな、ということを考えさせられました。

大人になった光君に会いたかった・・・。

先生のこれまでのお仕事に敬意をささげ
心よりご冥福をお祈りいたします。


浅見淳子

教育委員会はすばらしい

2010-01-28 08:15:06 | 日記
教育委員会から電話がかかってくると「どき」とするんだけど。

「アスペルガーの人に講演してもらいたいんですけど」とか頼まれたらどうしよう、とか。

教育委員会で意気揚々と講演してくれそうなアスペルガーの人の持ち合わせがあまりありませんので、キャスティングに困る。

でも、中にはすばらしい教育委員会があります。

たとえば「ぼく、アスペルガーかもしれない。」(中田大地著)を選定図書に選んでくださった教育委員会があるそうです!

ありがとうございます。
これから愛想良くすることにします。

=====

講演会といえば

藤家さんと私で2月13日沖縄県うるま市に行きます。

ニキさんが2月28日に滋賀県安土市に行きます。これはソロ。

申し込み先等知りたい方、花風社までメールでご連絡をお願いします。

社会の理解力を見積もる

2010-01-27 09:12:10 | 日記
社会の理解という観点から見ても
さまざまな考え方の人がいる。
同じように啓蒙活動をしつつも。

社会の理解力を高めに見積もる人。

「社会の理解には限界がある」と見通し
本人の社会適応力を最大限引き出そうとする人。
福祉が整ってたって、適応力はあるほうがトクだ。
作業所も小さな社会だ。入所施設も小さな社会だ。
そして障害者枠での就職だって、倍率ゼロじゃないもんね。

どっちの路線を選ぶかは、それぞれの方針次第だ。
それぞれが自分で選べばいい。

支援者も両方のタイプがいる。
そして保護者も両方のタイプがいる。
当事者にも、両方のタイプがいる。

っていうかいろんな考えの支援者がいることは
支援者同士の意見が一致しないことは
むしろありがたいことなんじゃないだろうか。
いろんな当事者がいるんだから。
いろんな支援者がいたほうがいいだろう。
これが一億二千万人の国に住むメリットかもよ。

写真は北の富士勝昭さんの著書のポスター。
両国駅で撮りました。
世界の他のどこに貼るよりここに貼るのが正解のポスター。
支援者もいろいろあったほうがいいけど
解説も、北の富士さんと舞の海さんがそろっているから成り立ってるんですよね。
ちなみに国技館の隣の江戸東京博物館では本場所の時期「モンゴルの至宝展」をやってました。
江戸東京博物館もおちゃめで商売上手ですね。

支援者は一枚岩でなくていい

2010-01-26 09:35:48 | 日記
昨日「申し入れ主体としての業界団体があってよかったですね」と書いたのにはわけがある。

発達障害当事者の幸せを願う先生方。
けれどもそれをどうやって実現するか
その先生方の方針はらばらだからだ。
はっきり言って、仲悪いですよね、たいていの場合。

私はよい子民主主義の人ではないので
意見の対立なんていうのはあって当たり前だと思うし
「話し合えばわかる」なんていう幻想はもっていないので
それぞれの先生方がそれぞれの方針で支援に当たっていらっしゃる現状が別に悪いとは思わない。

むしろやり方が違っても、いざというときに固まれるのが、マチュアなあり方ではないかと思う。

保護者のほうが
「支援者は一枚岩だ」という幻想を持っていないことを祈る。
まさかそんなもの、持っている人はいないでしょうけど。
まともな大人ならね。

万が一持っていたら腹が立つと思う。
で、その怒りは行き場のない無駄な怒りだ。

支援者は一枚岩ではない。
そして一枚岩ではないからこそ、進歩がある。

矢切の渡しキティちゃんです。

民主党政権と発達障害者支援

2010-01-25 09:10:46 | 日記
内閣府の障がい者制度改革推進会議のメンバーに発達障害者の関係者が入らなかった問題について、JDDネットの方たちが福島大臣に申し入れをするらしい。あらら、無視されましたか。

私は民主党政権が誕生したときから、なんとなく発達障害者支援とは相性悪そうだな~と思っていた。

上手にその理由を言語化できないのだが。

民主党が主張する政策、たとえば高校教育無償化とか時給1000円とか製造業への派遣労働禁止とか、そういうのを見ていると、民主党の考える「平等」ってものがなんとなく浮かびあがってくる。

で、そういう「平等」意識って、発達障害を理解するときの邪魔になるような気がしたのかもしれない。今にして思えば。
平等が悪いんじゃないよ。平等であるべきなのは当たり前。でも、どうやったらその平等が実現するかの考え方は人によって違う。

よい子民主主義系の人たちには、発達障害のある人が置かれた苦境が理解しにくいような気がする。
理解できない、のではない。理解しにくい。

たとえば、私の経験では、わりと先生方の中に「感覚過敏」とかをいやがる方がいる。
「そんなわけないでしょう」と否定するんじゃない。なんというか、そういうものの存在が許せない、っていう感じ。
教組系の集まりに呼ばれたときとかは、とくにそうだったな。

「五感が違う子がいるみたいですよ」と告げると、「なんてひどいことを言うんだろう。子どもは平等なのに」とか思うようだ。

なんか、自分の考える「平等」とかに反する生き物がいる、ということを認めたくない、みたいな感じ。「浅見さんは違いを強調するんですね」とか言われる。

「いや、この子たちも同じ人間です。同じようにみんなの輪の中で仲良くやっていればいいんです」と私がしゃべることを期待して呼んだのに何言うんだよ、ていう感じ。

同じ人間なのは当たり前。平等なのは当たり前。
でも、認知とか身体感覚とかが違うから支援しなきゃいけないんじゃないんじゃないだろうか。

それに、子どもは先生たちの信条を体現する道具じゃないんだけどね。
本当に五感の違いで、みんなと同じ空間を共有することが難しい子たちがいるんだけどね。

そういう「事実」がお気に召さないタイプの先生って、ときどきおられます。
とても子ども思いの心ある先生の中に。

またいつもの暴論かもしれないが、左に寄っている人は、発達障害を理解するのがあまり上手じゃないような気がする。
でも弱者保護の意識が強いのは左に寄っている人たちだ。
そこが難しいと、いつも思う。

「平等」をあまり声高に叫ばない人のほうが「多様性」は理解しやすい。
だから案外、企業人とかのほうが、発達障害への理解力があったりする。

でもまあ、民主党政権のもとでも発達障害者支援が途切れないことを祈ります。
たぶんどういうものなのか、まだじゅうぶんに理解されていないのでしょう。
だから呼ばれなかったのでしょう。
申し入れ主体としての業界団体があってよかったですね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

昨日はまったりと過ごした。
ほぼ完全オフ。結構珍しい。

カウチ相撲。
テレビではどうしても、現場で一人一人の力士に感じるオーラが伝わらない。不思議。

きせのんの取組だけ正座して見た。勝った。よかった。これで来場所は三役復帰だろう。

結びの一番は、白鵬が意地を見せました。

それにしても初場所はいい相撲が多かった。九州場所とは大違い。やっぱりお客の入りは、パフォーマンスに関係してくるよね。

持つべきものは

2010-01-24 13:13:20 | 日記
初場所十四日目は本当にすごかった。
結びの一番は事実上の優勝決定戦だったが
そこにいたるまでも(十両からもう)すごい相撲が多かった。
ジムで走ってから国技館に行った私は
すっかり水を飲むのを忘れていた。

途中からおかしくなった。
胃がむかむかして生あくびが出る。
取組は最後まで見たが、飲みにとか行けそうにない。
友人が「脱水症状だろう」と判断。ポカリスウェットを一本買ってくれて駅で見送ってくれた。

ふだんは私はあまりスポーツドリンクを飲まない。水のほうが好きだ。
でもこういうときはスポーツドリンクのほうがいいのだという。
本当に、不思議なほど立ち直った。

ジムに行ってビールを飲んで
というライフスタイルの同じ友だちはいいもんである。

☆☆☆☆☆☆☆☆

稀勢の里は勝負では魁皇のうまさにやられたが、見に行ってよかったと思う。
なんというか、テレビでは伝わらないものが生ではある。
オーラっていうか。
土俵上のたたずまいっていうか。
それがもう、これまでとは違うのだ。
星で見る以上に、変わってきたのかなとあれを見て思った。
風格ではすでに大関である。

オーラといえばやはり朝青龍。
一度生で見ることをオススメします。
白光しています。
優勝を決めて花道を下がるときの国技館の大歓声。たくさんの人がスタンディングオベーションしていました。

一晩寝たら、地元の福祉関係者の方からメールで
「ぼく、アスペルガーかもしれない。」の追加注文をいただいていた。
すでにかなりの数を売っていただいているのにありがたいことだ。

「評判が良いです。読みやすく、分かりやすいです。」

とのお言葉。
ありがとうございます!

大地君には国技館のおみやげを買ってきた。
お相撲の字で作ったお名前シールだ。国技館の売店で申し込むと一時間で作ってくれる。
字体の面白さからお相撲に目覚めた大地君は喜んでくれるだろう。
縁起のいい四文字熟語を入れられるというので「大願成就」をチョイス。
大地君の大願とはもちろん「働ける大人になること」だ。
そのためにこそ、支援級でお勉強しているのだ。

友人撮影の太鼓やぐらの番付表。

早期介入した方からも反応が

2010-01-23 07:46:50 | 日記

「大丈夫、すくすくのびたよ自閉っ子!」の著者竹島尚子さんが
「発達って、何?」のエントリーを見てメールを下さった。

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ブログを大変興味深く拝見しています。
スルーできるようになっていく脳、というのは桃にも当てはまることがあって、最近よく「忘れた」と言うのです。昨年ホテルで何を食べたかとか、何月何日に何を食べたかとか、以前は本当によく覚えていたのですが。ある意味おもしろくなくなってしまいましたが、生きていく上では楽になったはずです。この一年、こだわりがぐっと減りました。すべてのことを一つも忘れないようにするというのは山口弁で言うと「ぶちえらい」ですからね。
ブログを見て感動したのでメールをしました。

=====

桃ちゃんは保育園のころ高機能自閉症と診断された女の子。
ふつうの子ができることが苦手な場面が多かった。
竹島さんはステップバイステップで少しずつ少しずつ成長を促してきた。
それがあまりに上手なので、「すくすく」を出させていただいた。

桃ちゃんは、たしか大地君と同じくらいの年。
山口県に住んでいる。
自閉っ子には珍しく、地元の方言が上手にしゃべれるそうだ。
私はママとはお会いしたことがあるけど、桃ちゃんとはまだお会いしたことがない。
桃ちゃんにとって東京は「羽田→ディズニーランド」という公式になっており
知らないおばさんと会うところじゃないからね。

そのうち、ふぐでも食べに下関に行くか。
桃ちゃんにも会えるし。

桃ちゃんの早期介入は、かなり効果があったようだ。
私の地元の支援者は本を読んで「これくらいの子に、これくらい介入すればこれだけ効果があるのね!」と感動していた。

桃ちゃん就学時には情緒級の設置を働きかけたけど
予算が下りなかったらしい。
今桃ちゃんは普通級でなんとかやっている。
お友だちもたくさんできたらしい。

桃ちゃんと大地君はけっこうタイプが違う。
でも竹島さんは大地君の本も楽しんでくださったということです。

どっちの親御さんも、お子さんの特性をよく見て伸ばしている。

実を言うと、私はタイプとして桃ちゃんに近いです。と思ってます。