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治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

他人の専門性を評価しない人たち

2019-03-20 23:14:24 | 日記
心理士の方から次のような感想をいただきました。
NEUROと3月3日の講演についてですね。

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ブログにコメントしたかったのですが、うまくいかなくて(アナログ人間です)、こちらにメールさせていただきました。
NEUROの講演会に出席し、花風社の本を読んで、今まで自分が感じていた疑問や不満や矛盾(生まれつきの障害と言うのに、障害が現れる時期がマチマチ。薬さえ常用しなければ年齢とともに不便さが治まってきて普通高校卒業して就職していく子が何人もいる。「治った」と自分で言う子もいる。ABAやSSTの効果が感じられれない・・など)が一挙に解消しました。
全身に張り巡らされた神経の発達の障害だからこその症状であり、だからこそ神経に働きかけることで治る。
大変、腑に落ちました。論理的で、今までの経験と疑問が全てつながった思いです。
そしてそれが、専門教育を受けてこなかった(ほめてます)浅見さんによるものだったことも、衝撃でした。が、専門教育受けてないからこそ、権威に惑わされない柔軟な発想ができるのですね。
花風社の本や浅見さんへの批判のようなもの(ホントはやっかみ)を読むと、地動説を唱えたガリレオに対する当時の非難を連想してしまいます。
現実に起こっていることを素直に受け取り、論理的に考えれば答えは明白なのに。
未来につながる変化より今までの認識を変えないことを優先する専門家や当事者はいつの時代にもいるけど、最終的には変えざるをえない状況になると思います。

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これがね~ありがたい感想だな~と思う反面「ああ、あくまで心理士って高飛車だな。これだから治せないんだな」とも思ったので書いときますね。

専門教育を受けてこなかったから発想が柔軟。これがもうふざけんな、ですね。
世の中で医者や心理士だけが専門教育を受けて仕事をしているとでも思っているのでしょうか?
そうじゃありません。その他の分野の人だってみんなそれぞれの分野で教育を受けてきたのです。
たとえば私からみたら、「NEURO」の5文字を無視して枕詞のように扱うとか、助動詞を訳さないとか、言語道断です。
そういうところを大事にする専門教育を私は受けてきたからです。
だからこそギョーカイのあらが指摘できるのですよ。
専門教育の欠如ではなく専門教育と職業によっての教育の両方があったからNEUROが書けたのです。そこを大きく誤解しているんじゃないですかね。

神経発達障害の定義の一文。一つも知らない単語はありません。それでも私は英和だけじゃなくOEDまでたどるのです。3月3日にそれは説明したでしょう。それが私の受けてきた専門教育の賜物です。
専門教育を受けてこなかったから柔軟な発想ができたのではなく、専門教育を受けてきたから欺瞞をつくことができて書き上げたのが「NEURO」です。

医療や支援は自分たちの専門性だけが専門性だけだと思っているみたいですね。
もうそこからダメだと思います。
ゴーマン過ぎる。世の中全般に対して。

そしてABAやSSTがなんか効果ないな~という実感の理由がわかったわけですが
それをやっている人が多いからギョーカイはこれまでの路線を変えないでしょうね。
育てた学生たちに職がなくなっちゃいますから。
だから必死に「NEURO」の5文字を無視するというわけですね。
そういう構造を私は書きました。
そして治りたい人はそこから抜けようよ、っていう話を書きました。

夜遅く更新したのは明日が大事な日だからです。
「知的障害は治りますか?」の制作が本格化しています。
というわけで明日はまた朝から忙しいので。

あ、それと、この方が指摘した薬の問題。
これは当たっていますよ。
知的障害を治したい人は、多分薬は入れない方がいいですね。

まあそれはまた詳しく。

それではおやすみなさい。

「NEURO 神経発達障害という突破口


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6 コメント

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Unknown (ヨヨ子)
2019-03-21 08:31:28
専門家と呼ばれる職種の人達が、自分が専門教育を受けてきた事を強調するのは、傲慢というよりも一種の怯えだと思います。

専門家と呼ばれる職種に就きたがる人達は往往にして頭は良いけど不器用というかいわゆる専門馬鹿気質の人が多いです。
だから自分が専門学校や大学で専攻した狭い分野に生涯縋り付きます。専門馬鹿気質が故にそれしか出来ないからです。

そういう人達は自分の専門分野が実は知識さえあれば専門的な学校に行かなくてもなんとかなる分野だとバレるのを非常に恐れます。
専門教育を受けなかった人達が専門教育を受けた自分達と同じまたは上等な結果を出してしまったら立場どころか拠り所すらも失くすからです。

医療従事者であることをわざわざ自己紹介して花風社にガーガーいう人達は医療従事者であることが拠り所な人達。
健常者だからといって障害者に何を言われても精神障害者特有の認知の歪みだと決めつける作業所や就労支援センターの職員も、健常者であることしか自慢できることがない人達。
少なくとも私はそう思います。

やたら自分が✖️✖️だということを強調する支援者は今日からでも金魚体操しなきゃいけない弱虫です。
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浅見さんは「治る」という言葉を信念をもって使っている (とと)
2019-03-21 10:47:35
NEUROが発売されてから、浅見さんや花風社愛読者の方のツイッターに、カミツキガメがたくさんリプされてましたね。

花風社苦手派のうちの一部の人は、全くのどうしようもないわからずやではなくて、「発達障害が治る」という言葉だけがどうしてもうけつけないけれども、努力や工夫によって発達障害の症状や良くない特性が改善することは認めてる人のように思いました。
実際に、そういう人たちにむけて、治るという言葉を使わないで、治る方法や社会に適応する方法を提案している本やブログを書かれてる方はいますね。

ただ、出版社社長で文章のプロの浅見さんが、なぜあえて「治る」という言葉を使うのか、どれだけ信念をもってその言葉を使ってるのか、花風社本をきちんと読んできた人ならみんな知ってるんですよね。
治らないという言葉が、どれだけたくさんの発達障害者と家族を傷つけてきたかも、治るという言葉が、どれだけたくさんの発達障害者と家族を救ってきたかも

なので、一部の人たちに納得されなくても、治るという言葉を使う、浅見さんを、わたしは支持します。
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専門性とは? (373)
2019-03-21 20:27:16
先日の講演の休み時間に、個人的に単語やセンテンスのニュアンスについて質問させていただきました。おかげで、発達障害と脳神経科学の関わりはもちろんですが、進化や発達、家系や遺伝、集合的無意識や宗教的な業などについての連想が広がりました。

治すことが目的ですから、専門性や方法論を限定することはかえってその可能性を狭めてしまいます。小さい的により遠くからより小さい玉を当てようとするのと同じで、それではまぁまず当たらないでしょう。
それよりも、いろいろな専門性のさまざまな情報を取り入れ試行錯誤し続けることこそが結果につながり、その精度を上げるプロセスとなるはずです。
ちなみにどの情報を取り入れるのか、という効率の問題もあるのですが、こここそが浅見さんの賢い無意識に感謝している部分です。

治せる実践家になりたいのであれば、専門性に拘ることはその足を引っ張ることにしかなりません。数年後、心理士ではなく体操のおじさんや占い師と言われていたとしてもまったく問題はありません(笑)
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Unknown (ふな)
2019-03-21 21:59:47
花風社の本は、うちの子が療育を勧められた当時、とにかくインターネットを検索しまくって、やっと見つけた「治す」本です。こよりさんの猫本から始め、その後どんどん発行される「治す」本を買い、読み、試し…うちの子もどんどん治っています。
いわゆる専門家(ギョーカイ)の本も何冊も買って読みましたが、あまり役立つことは見いだせませんでした。どの本にも「治す」ためのことは書かれていなかったので。(強いて言えば、杉様本で、子ども虐待が発達障害の一因となりうる、と知ったことで、へーそうなんだと思ったくらい。それでも治す方法はわからなかった…)
一般にも、「生まれつき」「脳の機能障害」「一生治らない」という謝った認識は広がってしまっている、と感じています。利用している学童保育クラブに、以前、知的に遅れのある子がいました。1年生だけど、自分の名前がひらがなでも書けない子でした。夏休み、学童保育クラブから学校のプール教室に行ったり、公園に遊びに行ったりするとき、行きたい子は朝のうちに用紙に名前を書いておくのですが、その子はその子なりに一所懸命書いていました。一~二文字くらいが、鏡文字になったり、文字にもならない線だったり。もう少しできっと全部書けるようになると私は感じていましたが、その様子を見ていた他の子が(親切のつもりで)「書いてあげる!」と、鉛筆を奪い取り、その子が一所懸命に書いた名前を×印で消し込みして、正しいひらがなで名前を書き込んだのです。
子どもがしたことですし、私もたまたま一保護者として目撃しただけで、そのときは何も言えなかったのですが、ずっとモヤモヤを抱えていました。後日、保護者で集まる機会に、このときの様子を話したら、「書いてあげる」の子の保護者が「だって生まれつきで治らないんでしょ」と言うのです。いわゆる専門家(ギョーカイ)の治さない理論が広く一般に浸透してしまっているんだなと思い、ガッカリしました。
こんな風に言われてイヤな思いをするよりも、さっさと治ってしまった方が絶対いいに決まってます。花風社の本は、新刊が出たら2冊買い(自分用とプレゼント用)、私もすっかり習慣になりました。次の新刊も楽しみです!
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Unknown (ふうりん)
2019-03-22 07:34:04
こういうとこからギョーカイ支援を見限ったんだよなと思いました。自分が感心した講演の講師に専門教育受けてないからこその発想力と言って褒めてるつもりなのが常識ない。そんじょそこらの専門家より知識があるなと感付かないおめでたさでは専門性も疑いたくなる。熱心さも観察力もある方の人でアンチがやってることは間違ってるという認識を持っている人でも好意を伝えるつもりでさらっとこれをやってしまう。
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Unknown (かな)
2019-03-22 11:10:52
この方はおそらく専門教育を「ギョーカイからの洗脳教育」という意味で使われたのかな?と思いました。
多くの支援に関わる人達は、何も疑問に思わずにこの洗脳教育を受けてきたのでしょう。
だからこそ気付くことができなかったと言いたいのでは?
浅見さんは発達障害についての本を数多く出される中で、この洗脳教育についても学んだ上で、おかしいことに気付かれているわけですけどね。
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