
例のヤブ医者ながしツイートを見て
私が思ったのは「ここまで言われるのなら私もリミッターを外してもいいのかな」ということ。
リミッターを外すとはどういうことかというと、本格的に読者に向かって「医療役立たず宣言」をしてもいい時期がきたのではないかということ。私がそういう宣言をしようとアンチには影響はないし、花風社クラスタは自分の頭で考える人が多いのだから本当に医療が役立たずかどうかは私がなんと言おうとそれぞれが自分で考えるだろうから影響は軽微。だからこそ「医療役立たず宣言」くらいはしてもいいのではないかと思ったのである。
元々『感覚過敏は治りますか?』の帯を考えるとき

「感覚過敏が治った人はたくさんいます。
治した医者はみたことありません」
だったのを「え? 神田橋先生は?」という意見があり
「そういえば神田橋先生のところに行って色々なことが治ったあげく感覚過敏が治った人はいるであろうから、神田橋先生も感覚過敏を治していないというのはウソである」と判断して「めったにいません」という表現に変えました。でもこの本を読んでもらえばわかるとおり、栗本さんも「治るけど治すのは自分じゃない」と言っている。そして神田橋先生だって「技術移転」を大切にしているのは拙著『発達障害、治るが勝ち!』を献本したときにいただいたコメントの通りである。皆さんから見ると「神田橋先生が治してくれた」「栗本さんが治してくれた」と思えるかもしれないが、お二方から見ると治したのはあくまで親御さんやご本人。この点が花風社の本を読まずに「治る」という言葉に過剰反応しているアンチにはわかんないところですね。
ま、ともかく、一部にいいお医者さんはいても、たいていはダメなわけだから、ここでは嫌われ者になるのをいとわない花風社としては「医者役に立たないじゃん」ってはっきり言っていいのかなと思ったのです。
でも実はそう乱暴には言い切れない。役に立つお医者さんもいる。別に神田橋先生ほどかっとんでなくても先日KeiさんがコメントしてくれたようにKeiさんのおうちなどはヤブ医者ながしと違って知能指数が上がっていくことを知っているお医者さん、しかも複数、と出会っているし、花風社の本を熱心に読んでくださっているお医者さんたちもいる。そういう人は、あやしいおっさんである栗本さんからも積極的に学ぼうとされている。なぜなら患者さんが中心にあるから。自分の医師免許が中心ではないから。そういう心あるお医者さんがいるのは確かだし、先日私が「発達援助の非医療化を推進する」と宣言したとき「それはいい!」と言ってくださったドクターもいる。患者中心に考えている人はながしのように医者だからって威張って55歳の女性をつかまえて生意気な口を利かないものなんである。
そしていぬこさんのコメントにあるとおり(注:いぬこさんのおうちは発達遅滞が治り正常知能になりご本人の希望でお受験し見事成功しました)
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ヤブ医者ながしのツイートを見て、コメント
しようにも腹が立つやら、呆れるやら、怒り狂って文章がまとまりませんでした。
今日のkeiさんのコメントを拝見し、一言一句、
心の底から腹の底から同意です。
そして治れば、発達検査、IQを測定する機会も無くなります。普通に学校のテストを受けれるようになるから。
あんな見方をされるなら、二度とヤブながし
には罹らないでしょう。
あれで、専門医。
しかも、仕事したくないとまで書いてある。
健診で初めて指摘され、不安とドキドキで
辿り着いた医者がこんな人間だったら…。
ゾッとする。
患者に対し、あまりに無礼過ぎる。
専門医語るな!やりたくないなら別の診療医
になればいい。治ることにあれだけ歪み精神
をお持ちならなれないでしょうが。
治りたくない方々が、治せない医者ながしと
治らない談義に花を咲かせるのは結構。
でも、それ、医療じゃないから。
そして、国から自己負担以外の医療費が出てることを忘れるな。
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そしてみならい怪獣さんがコメントしているとおり
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Keiさんが書かれている通り、こんな見立ての医者だったらおかしいと思った患者は居なくなるから、治った人、IQが上がった人を見た事ご無いのも無理ないなぁと思いつつ、有害なのは、まだ安全性も確立できていない薬を人体実験よろしく処方が出来てしまう事。
少しでもおかしい、納得できないと思ったらさっさと逃げないと廃人になりますね。
また、治る事を社長が返信されていますが、親ならそれで十分どと思います。
親ではなくて、何もない人でも当たり前の成長後の理想の姿ではないでしょうか?
医療的な治るとは関係無い所でいいのではないでしょうか?人間の幸せって論文で説明できるものでしよか?
親は論文を見て子育をしているのではなく、子供の様子を見ながら育てます。
論文のネタ、メシのタネにする医者は必要ありません。
仕事をしたくないならご自由に。
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医学的な基準やなんかをヤブ医者ながしは知っているのかもしれないけどやつが1ミリもわかっていないことがある。
それは、親心だ。
こいつは「なんとか少しでも不便をなくして幸せな人生を送ってほしい」という親心を1ミリもわかっていない。きっとこういう人間的に破綻したやつが医療には多いんだろう。だから平気で無礼な振る舞いをするし医者の元ではこんなに治らないんだろう。
私は赤本こと『自閉っ子、こういう風にできてます!』を作って以来、自閉っ子たちに「なんとか週に五日働けるようになってほしい」というその一心で本を出してきた。そのために
・感覚過敏
・睡眠障害
・季節によって体調が翻弄されること
から解放してくれる知見を求めて黄色本芋本人間脳その他の本を出した。私に
・家でできて
・金がかからなくて
・できたら身体の中に何も入れない
方法の必要性に目覚めさせてくれたのは『発達障害は治りますか?』だった。その結果ヤブ医者ながしがディスるように
感覚過敏が治り睡眠障害が治り季節によって体調に翻弄されなくなり
その結果として脳みそに余裕ができて
社会性が出てきて
その結果人とうまく付き合えるようになって
家族を思いやれるようになり、彼氏彼女ができ、生活が楽しくなり
その結果一次障害と見なされていた
学習障害、知的な遅れ
も正常域になる人、近づいていく人が増えた。
これを私たちは「芋づる式」と解釈した。「治しやすいところから治す」と芋づる式に治っていくのだと。
それが医学的な治るではないのなら、私たちは医学的な治るなどに用はない。ヤブ医者どもが勝手に論議していればいい。当事者の人生をそっちのけにして。
私は自分の影響力()の及ぶ少ない範囲で医療に無能宣言をすることもできるけれど、実際にはいいお医者さんもいるのでそこまではしない。
でもことあるごとに問いかけたいと思う。
医療的に見て治るとは言えないとか医療的なガイドラインとかそういううるさいことを言われたら
「医療が何をしてくれた?」
と問いかけ続けたいと思います。
おそらくこう問いかけられたら多くの人が
「なんにもしてくれなかった」ことに気づくだろうから。
そこで「医療によって助かった!」と言える人が非常に少ないのが今ここ。
花風社クラスタだけじゃない。猿烏賊にさえ医療は役立たずと言われている始末ですからね。

その現状をみんな今一度思い出すといいですね。
だけどみんな「診断だけはしてくれる」と思っているでしょう。
それも私はウソだと思っている。
それを私に思わせたきっかけはもちろん、内山杉山包囲網(敬称略)だっていうことを、読者の多くは知っているだろうけれど、ここのところの炎上で新しく読者になった人たちは知らないでしょう。そもそも医師の診断がどれだけいい加減なものか。
だから次回はそれを改めて書きましょうね。
それと、故佐々木正美先生がその人格者としての顔と裏腹に、こよりさんにどんなひどいことをしたかももう一度書いておいた方がいいかもしれないですね。
ヤブ医者ながしも佐々木先生も、医者じゃない人をバカにしているという意味では同じかもしれない。
そんな自分たちを見下す医者という人種に、人生託しますか?
私ならごめんこうむります。
続く(不定期
まして発達障害の場合は、診察と薬の処方だけでは治るはずもなく(発達するはずもなく)、でも治す気がある患者は、自己流でいろいろ試しているうちによくなると診察を受けに来なくなる。医者からすれば、来なくなった人はよくなったのか、別の病院に行ったのかはわからない。一方で、延々と通院してくるのは治らない人ばかり。
医者にしてみれば、本気で治そうと研究するほど、治るとはどういう状態なのかをまず考えるでしょうから、たどりつくのは医学的定義。結果、「発達障害は治らない」というのが定説になるのでは。
うちの24歳の息子は、自閉症が治ったとはとても思えない状態ですが、でも毎日生き生きと通勤しています。社会的にやるべきことを与えられる機会に恵まれました。医者との接触はこれまで、診断書をもらうときぐらいでした。
医者や支援者が治らないと言っても気にしません。障害が治らなくても、本人が「自分は必要とされている」と、充実感のある生活を送っているのであれば。
一部の(治らないのだから)障害(と認定するだけ)の診断マシーンでよしと思っている医師。
(上から目線…カッコだらけですみません)
治るって使ってはいけない、とか、エセ科学だ、と騒ぐ自称専門家。
どちらも悪い意味の研究者目線で、冷たい感じで、ちっとも人間味がないですね。
言葉は熱や深みがないと伝わらないと思います。
医療側の逃げに、用語をこねくりまわしているように思えます。