
4月1日。
船出の日を迎えられたみなさん、おめでとうございます。
新元号発表と重なっておめでたさもひとしおですね。
新たな出発を迎えられた若い方のおひとりに、長年お世話になっているおからさんのお嬢さんもいらっしゃいます。
ついっともで花風社クラスタで、かつてはローカルギョーカイメジャーとしてニキさんと私の講演会を主催してくださったこともありました。
ご子息は知的障害がある自閉症。超のつく虚弱体質とされながら見事に治られて専門学校を卒業されたあとは官公庁のチャレンジ雇用。その後今年一月から念願の週五日八時間の仕事につかれています。
そして下のお嬢さんが今日から社会人なのですね。
社会人生活スタートの前に鹿児島と小田原に行くという実り多い旅をなさったようです。
お嬢さんもうちの本を熱心に読んでくださって、今日医療従事者としてのスタートを切られます。
このお嬢さんが不登校予備軍だったと昨日おからさんがつぶやいていらっしゃいました。
毎朝が闘いだったと。
けれども決して不登校を許さなかった。
そしておからさんのことですから、お兄さんを治したときのように、身体についてよく観察されたでしょう。
そうやって義務教育時代を不登校なく乗り切ったお嬢さんは高校に進まれ、そこからは自主的に登校。そして大学に進まれ、国家試験に合格され今日の日を迎えたわけです。
義務教育はたった9年なんです。
第一次猿烏賊騒動からこれまでと変わらない長さ。
その間、一日一日子どもが登校できる条件を整えればいいだけです。
高齢引きこもりニートが話題になっていましたが
親も子も将来がこの9年で決まるのです。
いや、もちろんあとからだって取り戻せないことはないですが
この9年を、おからさんのように必死に子どもが学校行くように配慮するか、えいちえすなんとかかんとか理屈を並べて子どもの不登校を正当化したり学校を罵倒して学校に行けない子こそギフテッドだとかいうふざけた言論を並べ立てて同じようにメンタル弱い親や支援者にちやほやされているかでお子さんの一生のかなり大きな部分、社会人としての滑り出しの部分が違ってきます。
何度でも書きます。
ちゅん平世代の人たち。
不登校は一般的ではありませんでした。それでもしていた人はいたでしょう。ちゅん平さんは虚弱体質で学校を欠席したことはあるものの、そういう自分をふがいなく思い、行けるときは学校に行こうと努力する人でした。
私は20年見てきてはっきり言えるのですが
非正規でもアルバイトでも自由業でも、とにかく正社員以外の形でもいいからなんらかの職につけている人は、不登校しなかった人、したとしても短期間で切り抜けた人です。
アメリカでは不登校は親の義務遂行をしていないとして親が逮捕の対象になるそうです。
日本は優しい国ですからそこまではなりませんが、それに甘えて学校に行けないことを正当化してどうするんですか。結局は理解がないと罵倒してきた社会の世話になるのです。
「学校に行きなさい」と言葉で言って無理ならば、それはその子にそれだけの身体が育っていないということ。
だったら言葉以前を育てればいいのです。
たった9年の義務教育。
今日始まりの方も多いでしょう。
勝負の9年です。ムダにしないでください。
言って聞かせてもだめなとき、支援者が役立たずあるいは現実的でなくお花畑のとき、花風社はオプションを用意しています。
神田橋先生が著書の中でお褒めくださった「人間脳の根っこを育てる」もその一つです。

初出勤を無事終えてブログを読んだ娘が、いま余裕なくてコメント書けないけど~と言いつつあらためてあの頃をチラリと振り返り「お母さんに手を引かれて学校に行ってた時はガチめに辛かったし学校に通う意味が全く分からなかった。高校受験で初めてまともに勉強して、やったら分かるって事が楽しくなった。高校でようやく自分の行く道を見つけて、大学入ってちょっと迷走したりあったけど、卒論に取り組んでまた勉強が楽しくなった。国家試験の勉強はマジ苦しかったけど自主的に取り組めたからみんなと頑張れたし先生も助けてくれた。そういう全部が辛かったあの9年間につながってたと思ったよ。不登校してたら分からなかったしできなかったと思う。」と言ってくれました。
不登校児の親を敵に回す発言なのですが、親も諦めた方が楽なのです登校させる事を。これは障害児の子育ても同様で、諦めるほど楽なことは無い。だから支援者がこぞって私たちに治りませんと言うのでしょうね。
けれど諦めたその先にあるものを想像せずにはいられない性格ゆえ、そして長男も娘も等しくひたすらに「幸せに」なってほしいので諦めるわけにはいかない。花風社クラスタの皆さんもおそらくこの一点で頑張ってらっしゃると思うのです。
障害のある子を受け入れられない人たち、等とほざいていた輩もおりましたが、むしろ周りの誰より我が子の現状を理解するからこそ、私たちはその問題の根源を取り除いて楽にしてやりたいと思い立ち向かっているし、社長はその親心を分かるからこそ一緒に治せる手立てはないものかと奔走してくださった。そうして現在の私たちがあるのだと思っています。
余談ですが、めでたく同時に扶養が二人抜けました。特定扶養と障害者の扶養だったので、二人合わせて百数十万円の扶養控除が今年からなくなるわけで、夫と大爆笑しました。とうとうこの日を迎えられたね、来年から頑張って税金いっぱい払おうね、と。二人とも納税者になってくれましたこんなに嬉しいことはありません。