大久保さん@てらっこ塾が、「じじばばのための発達障害講座」をYouTubeにて展開されている。
これで思い出したことがあったので、書きます。
若干ネタバレになってしまうかもしれないが、この中で大久保さんは、かつて神田橋先生がおっしゃったあの言葉を使ってくださっている、と思う。
「発達障害者は発達する」というあの言葉だ。
当時の私はあれに感激したのだが
花風社の治そう路線のアンチだった人々も「発達障害者が発達するなんて当たり前じゃん」と私をせせら笑ったものだった。
でも私が、あの言葉に涙したのには理由があるのだ。
当時、私は自閉症者の迷惑行為に悩まされていた。
彼がうちの家族に被害を与えていることは、周知の事実だった。
けれどもふだん「社会との共存」をうたっている支援者たちは、誰も手を差し伸べてくれなかった。というか、どちらかというと、面白がってみていた。彼らは障害者萌えで、障害者が障害者らしい行為をしているのは絶好の観察の機会なのである。
彼には立派な主治医がついていたが、その主治医も同様だった。
最近の読者の人は知らないかもしれないが、私の根強い医療不信、支援者不信の根っこにはあの事件があるのだ。
医療も福祉も頼りにならなかったので、司法をたのんだ。
その経緯については本にまとめてある。電子書籍版はお得だ。
共存を目指したからこそ、私たちは刑事訴訟に訴えた。そしてきっちり有罪判決を出してもらった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/ba/3295a22ff7644f8f1a7c1ddd1c23d266.jpg)
この事件を抱えていた時、神田橋先生との出会いがあった。
それまで発達凡医に話をしても「治らない」と言われるだけだった。
でも神田橋先生はおっしゃったのだ。「医者なら治せんといかんわな」と。この言葉に私は救われた。
発達凡医たちが「発達障害者は二次障害を背負っているから仕方がない」と匙を投げたのに対し、神田橋先生は「医者なら治せんといかんわな」とおっしゃったわけである。
けれども田中伸明先生は考えが違う。
田中先生は「精神科の先生たちはきちんと仕事をしている」と言う。
ただ、統合失調症モデルを忠実にやっているのだと。
そして発達障害(developmental disorder)が日本に入ってきたとき、なぜか「発達障害」と訳してしまい、一生治らないことになって、統合失調症モデルが適用されたのだと。
とは言っても統合失調症も治っているんですけどね。
ま、ともかく。
ならば統合失調症モデルというものはどういうものか。
ま、一言で言うと、隔離政策だ。
統合失調症の症状が強い時には、大変な迷惑な人となる。
その迷惑をまず受けるのは家族だ。家族が疲弊する。
だから家族を遠ざけるため、隔離して施設にいれ薬漬けにする。
特別支援教育にある基本思想もこれだろう。
だけど親たちに受け入れさせるために、その子にあった教育とかいうきれいごとは使われるだろうし、現場に志と力のある先生がいたら、それも実現することもあるだろうけど。
でも元々、国に、そして医療と福祉にあったのは、統合失調症モデルのようなんである。
最近こう考えるのは、交流はしていないけどXで子どもを切り離したい親たちのポストをよく見るからだ。
わが子なのに、一緒にいるのがつらい。
なんとかして一晩でも別々に過ごしたい。じゃないと家族がもたない。きょうだい児にも悪影響。
必死にショートステイを探す。児相に相談する。
支援がない。支援がない。支援がない。
要するに「わが子を隔離したい親」がほしいのはギョーカイモデルなんである。ギョーカイは彼らの役には立っていたのだ。
治さず、隔離する。それを彼らはたしかに、見事にやってのけている。
だけど、隔離したくない親もいる。なんとか手元で育てたい。少しでも育ってほしい。
そういう人が花風社の本を読んでくださった。
なーんだ、それだけの話だったのか~。という感じである。
これは夏祭り第一部で私がしゃべったこととちょっと関係あるけど
とりあえずギョーカイのベルトコンベアーに身を任せていたら、統合失調症モデルなんだけど
そうじゃないコースもありますよ、っていうことがじじばばの皆さんにも伝わるといいですね。
昭和の時代には、ちょっと変わった子が普通に自立できる大人になるなんて当たり前のことだったので、案外伝わりやすいと思います。
あと、最終的には全員隔離したいと思う。
だってそれが自立でしょ。
皆さん親から隔離されて住んでいるでしょ。
でも家族から隔離されるためには、訓練が必要なわけで
最終の目的が隔離でも、でもやっぱり育てなきゃ、っていう決断をする人も多いと思います。
先日お祝いごとのあった味噌ぴ家でも30で外に出すと決めていらしたみたいで、それを実現していたし。
身柄的には親許にいても、扶養家族ではないというのもありだろうし。
ま、ともかく
ギョーカイに身を任せていたら「家族のためにどっかいって」モデルです。統合失調症じゃなくて認知症モデルとも言えるかもね。で、認知症の高齢者を育てようとはだれも思わないわけで。
そっちの路線をとるか
治る路線をとるか
それはそれぞれのおうちが決めることですね。
これで思い出したことがあったので、書きます。
若干ネタバレになってしまうかもしれないが、この中で大久保さんは、かつて神田橋先生がおっしゃったあの言葉を使ってくださっている、と思う。
「発達障害者は発達する」というあの言葉だ。
当時の私はあれに感激したのだが
花風社の治そう路線のアンチだった人々も「発達障害者が発達するなんて当たり前じゃん」と私をせせら笑ったものだった。
でも私が、あの言葉に涙したのには理由があるのだ。
当時、私は自閉症者の迷惑行為に悩まされていた。
彼がうちの家族に被害を与えていることは、周知の事実だった。
けれどもふだん「社会との共存」をうたっている支援者たちは、誰も手を差し伸べてくれなかった。というか、どちらかというと、面白がってみていた。彼らは障害者萌えで、障害者が障害者らしい行為をしているのは絶好の観察の機会なのである。
彼には立派な主治医がついていたが、その主治医も同様だった。
最近の読者の人は知らないかもしれないが、私の根強い医療不信、支援者不信の根っこにはあの事件があるのだ。
医療も福祉も頼りにならなかったので、司法をたのんだ。
その経緯については本にまとめてある。電子書籍版はお得だ。
共存を目指したからこそ、私たちは刑事訴訟に訴えた。そしてきっちり有罪判決を出してもらった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/ba/3295a22ff7644f8f1a7c1ddd1c23d266.jpg)
この事件を抱えていた時、神田橋先生との出会いがあった。
それまで発達凡医に話をしても「治らない」と言われるだけだった。
でも神田橋先生はおっしゃったのだ。「医者なら治せんといかんわな」と。この言葉に私は救われた。
発達凡医たちが「発達障害者は二次障害を背負っているから仕方がない」と匙を投げたのに対し、神田橋先生は「医者なら治せんといかんわな」とおっしゃったわけである。
けれども田中伸明先生は考えが違う。
田中先生は「精神科の先生たちはきちんと仕事をしている」と言う。
ただ、統合失調症モデルを忠実にやっているのだと。
そして発達障害(developmental disorder)が日本に入ってきたとき、なぜか「発達障害」と訳してしまい、一生治らないことになって、統合失調症モデルが適用されたのだと。
とは言っても統合失調症も治っているんですけどね。
ま、ともかく。
ならば統合失調症モデルというものはどういうものか。
ま、一言で言うと、隔離政策だ。
統合失調症の症状が強い時には、大変な迷惑な人となる。
その迷惑をまず受けるのは家族だ。家族が疲弊する。
だから家族を遠ざけるため、隔離して施設にいれ薬漬けにする。
特別支援教育にある基本思想もこれだろう。
だけど親たちに受け入れさせるために、その子にあった教育とかいうきれいごとは使われるだろうし、現場に志と力のある先生がいたら、それも実現することもあるだろうけど。
でも元々、国に、そして医療と福祉にあったのは、統合失調症モデルのようなんである。
最近こう考えるのは、交流はしていないけどXで子どもを切り離したい親たちのポストをよく見るからだ。
わが子なのに、一緒にいるのがつらい。
なんとかして一晩でも別々に過ごしたい。じゃないと家族がもたない。きょうだい児にも悪影響。
必死にショートステイを探す。児相に相談する。
支援がない。支援がない。支援がない。
要するに「わが子を隔離したい親」がほしいのはギョーカイモデルなんである。ギョーカイは彼らの役には立っていたのだ。
治さず、隔離する。それを彼らはたしかに、見事にやってのけている。
だけど、隔離したくない親もいる。なんとか手元で育てたい。少しでも育ってほしい。
そういう人が花風社の本を読んでくださった。
なーんだ、それだけの話だったのか~。という感じである。
これは夏祭り第一部で私がしゃべったこととちょっと関係あるけど
とりあえずギョーカイのベルトコンベアーに身を任せていたら、統合失調症モデルなんだけど
そうじゃないコースもありますよ、っていうことがじじばばの皆さんにも伝わるといいですね。
昭和の時代には、ちょっと変わった子が普通に自立できる大人になるなんて当たり前のことだったので、案外伝わりやすいと思います。
あと、最終的には全員隔離したいと思う。
だってそれが自立でしょ。
皆さん親から隔離されて住んでいるでしょ。
でも家族から隔離されるためには、訓練が必要なわけで
最終の目的が隔離でも、でもやっぱり育てなきゃ、っていう決断をする人も多いと思います。
先日お祝いごとのあった味噌ぴ家でも30で外に出すと決めていらしたみたいで、それを実現していたし。
身柄的には親許にいても、扶養家族ではないというのもありだろうし。
ま、ともかく
ギョーカイに身を任せていたら「家族のためにどっかいって」モデルです。統合失調症じゃなくて認知症モデルとも言えるかもね。で、認知症の高齢者を育てようとはだれも思わないわけで。
そっちの路線をとるか
治る路線をとるか
それはそれぞれのおうちが決めることですね。