
■この記事は、祭囃し編直前に携帯から上げた記事を多少編集したものである。
先に述べた現代の風潮、さらには「トリック」という人気ドラマのおかげで「神の解体」という方向性はプレイヤーにとって理解しやすく、それほど説明を要しなかった。しかしながらその逆、つまり神の創造・肯定が行われるに到り、そうもいかなくなった。というのも、それは我々にとって一般的な考え方ではないため、「神の解体」をしてみせた時以上に多くの、しかも説得力のある説明が要求されたからである(もし始めから神がいるという「設定」なら、それほど問題にはならなかっただろう。「神ありき」と「やはり神はいる」では大いに異なることに注意を喚起したい)。そして残念なことに、事件の真相と解決策の模索が描写の中心となった皆編において、羽入の存在に関して十分な説明が行われたとは言い難い。それゆえに、「説得力が無い」などと感じて幻滅したり批判したりする人間が増えたのはむしろ必然的であったと言える。
しかも「神の解体」から「神の創造」へ方向転換した波紋はこれだけに止まらない。繰り返して言うが、「神の解体」は私たちにとってわかりやすい方向性であり、そのため「それによって最終的に何を主張したいのか」(例えば無神論、科学万能主義など)という点までは良くも悪くも追求されなかったのだ。だが神の創造は違う。その思想が支配的ではないため、それを行うにあたっては「それによって何を主張したいのか」という、今まで等閑視されていたひぐらしの(推理ではなく作品としての)方向性が問題になってくるわけである。つまり、オヤシロさまを肯定して神を創造することによっていったいひぐらしは何を言いたいのか、したいのか?ということに、プレイヤーの疑惑や関心が向いたと推測される(※)。
それゆえ、祭編ではまず羽入に説明が必要になる。ループ構造・梨花の能力(時を止めるなど)との関係、圭一たちが他の世界の出来事を「覚えている」という奇跡との関連、症候群の問題など少し考えただけでも説明のいりそうな項目は多いし、また羽入を出したことで何を言いたいのかか、という根本的なことも問題となるだろう。ちなみに、皆編の梨花の発言(「ボクは宗教のことはよくわからないのですよ。」)が作者の考え・立場を代弁しているのなら、宗教に触れる気はないようである(これは全く正しい判断だろう。中途半端な宗教知識はやぶえびになりかねない)。
羽入の説明としては単にループ世界を成立させるための道具だとも考えられるし、本編のテーマと何かしら有機的な繋がりを持たせてある(神を目指すあの御方[笑]との絡みなど)可能性もある。しかしいずれにしても、祭囃しの真価が問われる重要なポイントにはなるだろう。
まあ、ハッピーエンドになれば何でもいいっつー輩には関係ないんだろうけどね(悪笑)
※しかしまた、これらの疑惑や関心についてある人たちは言うだろう。「そもそもホラー小説なのだし、存在にいちいち意味などあるものか」と。なるほど確かにひぐらしが始めから「ホラー小説」と銘打っているか、もしくはどう考えてもそういう方向性を持っていると考えざるをえないような明明白白たる根拠があったというのなら、その意見は正しい。しかし鷹野スクラップ帳に提示された神解体の論理や「お疲れさま会」の「人為vsオカルト」という煽りを考えれば、ひぐらしの方向性が今述べてきたような「神の解体」にあると想定するプレイヤーが多かったのは無理もないことであった(その方がその人にとってわかりやすいから、だ)。
先に述べた現代の風潮、さらには「トリック」という人気ドラマのおかげで「神の解体」という方向性はプレイヤーにとって理解しやすく、それほど説明を要しなかった。しかしながらその逆、つまり神の創造・肯定が行われるに到り、そうもいかなくなった。というのも、それは我々にとって一般的な考え方ではないため、「神の解体」をしてみせた時以上に多くの、しかも説得力のある説明が要求されたからである(もし始めから神がいるという「設定」なら、それほど問題にはならなかっただろう。「神ありき」と「やはり神はいる」では大いに異なることに注意を喚起したい)。そして残念なことに、事件の真相と解決策の模索が描写の中心となった皆編において、羽入の存在に関して十分な説明が行われたとは言い難い。それゆえに、「説得力が無い」などと感じて幻滅したり批判したりする人間が増えたのはむしろ必然的であったと言える。
しかも「神の解体」から「神の創造」へ方向転換した波紋はこれだけに止まらない。繰り返して言うが、「神の解体」は私たちにとってわかりやすい方向性であり、そのため「それによって最終的に何を主張したいのか」(例えば無神論、科学万能主義など)という点までは良くも悪くも追求されなかったのだ。だが神の創造は違う。その思想が支配的ではないため、それを行うにあたっては「それによって何を主張したいのか」という、今まで等閑視されていたひぐらしの(推理ではなく作品としての)方向性が問題になってくるわけである。つまり、オヤシロさまを肯定して神を創造することによっていったいひぐらしは何を言いたいのか、したいのか?ということに、プレイヤーの疑惑や関心が向いたと推測される(※)。
それゆえ、祭編ではまず羽入に説明が必要になる。ループ構造・梨花の能力(時を止めるなど)との関係、圭一たちが他の世界の出来事を「覚えている」という奇跡との関連、症候群の問題など少し考えただけでも説明のいりそうな項目は多いし、また羽入を出したことで何を言いたいのかか、という根本的なことも問題となるだろう。ちなみに、皆編の梨花の発言(「ボクは宗教のことはよくわからないのですよ。」)が作者の考え・立場を代弁しているのなら、宗教に触れる気はないようである(これは全く正しい判断だろう。中途半端な宗教知識はやぶえびになりかねない)。
羽入の説明としては単にループ世界を成立させるための道具だとも考えられるし、本編のテーマと何かしら有機的な繋がりを持たせてある(神を目指すあの御方[笑]との絡みなど)可能性もある。しかしいずれにしても、祭囃しの真価が問われる重要なポイントにはなるだろう。
まあ、ハッピーエンドになれば何でもいいっつー輩には関係ないんだろうけどね(悪笑)
※しかしまた、これらの疑惑や関心についてある人たちは言うだろう。「そもそもホラー小説なのだし、存在にいちいち意味などあるものか」と。なるほど確かにひぐらしが始めから「ホラー小説」と銘打っているか、もしくはどう考えてもそういう方向性を持っていると考えざるをえないような明明白白たる根拠があったというのなら、その意見は正しい。しかし鷹野スクラップ帳に提示された神解体の論理や「お疲れさま会」の「人為vsオカルト」という煽りを考えれば、ひぐらしの方向性が今述べてきたような「神の解体」にあると想定するプレイヤーが多かったのは無理もないことであった(その方がその人にとってわかりやすいから、だ)。
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