思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

わが子にワクチンを打つのは、犯罪行為です。倫理感のある大人は、ぜひ拡散してください。

2022-02-28 | 社会批評

こどもへのワクチンは、大きなリスクをもちます。すでに6年生や中学生で多くの重篤副作用が出ています。国立感染症研究所発表。

この2年間、コロナで死んだ子どもは一人もいません。
そのこどもにリスクの大きなワクチンを打つのは、犯罪行為だとわたしは確信します。

ぜひ、「こどもコロナプラットフォーム」での医師の話を広めてください(7分30秒)

さらにこのワクチンのもつ怖さを知るためには、カナダ在住の日本人医師・研究者の説明をお聞きください。

打った後で後悔しても始まらないのですから。

武田康弘




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「こどもへのワクチンは絶対に打たないでください」ー全国の医師・歯科医師の90パーセントが反対。

2022-02-26 | 社会批評

https://www.nicovideo.jp/watch/sm40085028

5才ー11才へのワクチン接種が始まりますが、
絶対にワクチンを打たないでください。

アンケートの結果、全国の医師、歯科医の90パーセントがワクチン接種に反対しています。

心臓専門医の動画をぜひご覧ください。クリック

話しをしているのは、医師の柳澤厚生氏で、国際オーソモレキュラー医学会会長です。



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ウクライナの中立化の後は、ユーラシア大陸安全保障へ。欧州+ロシア+中国が中心となる世界再編へ。インドも。

2022-02-26 | 社会批評

中国の共産主義というのは、マルクスの唯物史観そのままではなく、思想の国である中国の伝統なので、いくらでも話し合いが可能です。思想の筋を通せばよく、妥協も知っています。

ロシアは、共産主義をやめました。

ですから、ヨーロッパ連合と、ロシア、中国は互生的な安全保障を結べます。中国との対立が目立つインドも、ユーラシア安全保障ということになれば、入るでしょう。

残るは、英米とアメリカの従属国である日本。

英米は歴史的にも現実でも、自己中心性が最も強い国ですから、どうなるか? 

また、インドと対立するパキスタン、イスラム圏は、独自の安全保障体制が組むことになるでしょうし、南米アフリカもそれぞれどうするかの課題は残りますが、ユーラシア安全保障ができれば、アメリカの力が大きく落ちるので、他国に手を入れることができなくなり、紛争も小さなものになるはずです。



武田康弘

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この戦闘はすぐ終わる。はじめからプーチンのシナリオ通り。中立化しか道はない。

2022-02-25 | 社会批評

ウクライナが、NATOに加盟すれば、長い国境を接する国、しかも多くはロシア人である国同士の緊張関係が続き、現実的でない。

ウクライナが中立国となり、東西両方でそれを保証することしか解決策はない。

プーチンの思惑さえ超えて、積極的に西側もウクライナを中立国とすべく努力することが必要だ。
それが、相互性を生み、東西が共に納得できる唯一の方法だ。

武田康弘




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テニスのジョコビッチ「わたしは、試合に出れないことにされてもワクチンは打たない」BBC放送で。さすがだ。

2022-02-24 | 芸術


テニスのジョコビッチ選手、


わたしは、もうずいぶん前のこと。偶然に近くの温泉場のテレビで、テニスのジョコビッチを見ました。わたしはふだんテニスを見ることはなく、全く知らない人でしたが、彼の腰の使い方は最高だと思い、それをこのblogでも書き、みなに言ってきました。

そのジョコビッチが、感動的な話をしています。「わたしはワクチンを打っていないし、今後も打たない。」「試合に出れないことにされても打たない」

う~~~ん、やはり身体のみならず精神もほんもの。筋が通り、ゆるぎない心、さすがだ。感動!

武田康弘

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ロシアウクライナ戦争発生させないへ解決策は2つ。簡単にできる。

2022-02-23 | 社会批評



ロシアウクライナ戦争発生させないへ解決策は2つあります。こんな簡単な事は無いのになぜしないのでしょうか。


第一の解決策  ポーランドとウクライナは連合国家になり、中立独立国になる、例としてはチェコスロバキアと同じ国家システムを作る ポーランドはNATOからは離別する、ヨーロッパユニオンの経済的つながりは今まで通りやっていく。

第二の解決策   ロシアがNATOに加入する。 こんな簡単なことでヨーロッパ戦争は発生しないし、数えきれない悲劇は避けられる。

以上は、ポーランド在住のfb友人からの提案です。

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徳仁さんへ、「もう京都御所に帰るべきと思う」と表明されるのが大切です。いつまでも他者の城では・・・

2022-02-23 | 社会批評
 2年前の今日は、『明治政府がつくった天皇という記号』の発売日でした。その1の「私と共和制ー楽しい公共社会をつくるために」が、3月3日に本になります。『令和から共和へ』という10名ほどの共著で、同時代社刊・2500円です。

 今日は、また同時に徳仁さんの誕生日でもありますが、
戦後の新憲法の後もまだ、天皇家とは全く縁もゆかりもない東国の江戸城に住み続けるのは、どうみても倫理に反することですので、
 徳仁さんは、「もう京都御所に帰るべきと思う」とご自分の気持ちを表明された方がいいでしょう。
「他者の広大な城を3名で住んでいるのは、心苦しい」と話すことが、道徳にかなった行為なのですからね。


武田康弘


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2月21日(月)は、22歳組の4名が主催するソクラテス教室の新年会です。

2022-02-20 | 芸術

2月21日(月)は、22歳組の4名が主催するソクラテス教室の新年会です。
18時から夜まで。白樺教育館で。
現役もOBもご参加ください。楽しい会になりますよ。参加費は1500円(軽食代)です。

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なぜ、競技直前になって昨年末のドーピング違反を言い出したのか? 未成年者を世界中のメディアが総攻撃!

2022-02-16 | 社会批評

未成年者を世界中のメディアが総攻撃!
なぜ、競技直前になって昨年末のドーピング違反を言い出したのか??
直前検査ではOKだったのに。
きわめて苦しい精神状態で試合に臨んでいる15才の少女をわたしは応援する。

武田康弘




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NHKで大河ドラマ「北条義時」

2022-02-16 | 芸術

わたしのfbです。
NHKで大河ドラマ「北条義時」が始まりました(ドラマなので史実の再現ではない)。
頼朝の鎌倉幕府誕生は、東国に出来た初の政権ですが、それは序曲に過ぎず、
北条政権になり「承久の乱」で朝廷が敗北し下になったことが、日本史最大の変革でした。
これを教科書では教えない。なぜでしょうか?
いまなお、水戸光圀が命じて編纂した『大日本史』(朝廷への態度を善悪・高低の基準とする「水戸学」)による明治維新の「国体=天皇歴史教育」の呪縛から逃れられないのでしょうか。
NHKは教えるかな?(笑)

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すでにある薬をなぜ認可しないのか。『イベルメクチン』大村 智(ノーベル生理学賞・医学賞)本紹介。

2022-02-12 | 芸術

大村 智(ノーベル生理学賞・医学賞)さんが著した『イベルメクチン』河出新書・850円を読むと、
だいぶ以前からある安全性が確かめられている特効薬を認可せず、使わせず、は、あまりにも理不尽で、ファイザー社が慌てて開発した薬をまた特例承認しようとしている厚労省や政府は、極めて怪しい。アメリカからの仕掛けと圧力で(日米合同会委員会)彼らを儲けさせよとしていることが分かります。

長崎大学の北 潔教授ー研究室で、すでに市販されている天然アミノ酸の5ALA(ファイブ アラ)が新型とよばれるコロナウイルスを100パーセント破壊することが確かめられ、昨年春から夏にかけての臨床実験でもすべてに著しい効果がることが確かめれて、プレス・リリースもされているにも関わらず、5ALAをいかがわしいものと消費者庁がホームページに載せるなど、極めて異常な事態となっているのも裏がなければありえないことです。

以下は、大村 智さんほか8名による『イベルメクチン』河出新書の冒頭です。お読みください。

武田康弘

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安藤昌益をめぐる Kim(金泰昌)・武田対話。1

2022-02-12 | 恋知(哲学)



安藤昌益をめぐる
Kim・武田対話。


安藤昌益 「真人」

武田 康弘

安藤昌益の「真人」という思想は、いまこそ。今は大元から真逆。そうしなければ有名人にも肩書人にもお金持ちにもなれませんから。
生きる意味が逆立ちの現代人。

Taechang Kim

昌益の真人とは

"直に穀を耕す" 衆人のことです。"衆人は直耕して転(天)道不背の真人" と強調されています。

武田 康弘

分業の成立した現代、分業自体を否定することはできません。しかし、生きる現実が異なっても、言わんとする思想の本質は現代に活かせます。そう読むのがほんとうだと思い、実践してきました。

Taechang Kim

昌益翁の文言に接して見ましょう。

"儒者-聖-賢は....亢偏知にして巧工甚だしくして私偽の法を為り、耕さず貪り食ひ衆を誑かし、世を迷はし、転の直耕道を盗む乱惑の根始なり。

夫れ真の生知と言へるは、習はず学ばざれども、耕さざる者は転に背くことを知り、安らかに直耕を行い米穀を生じて、聖-賢を始め凡て不耕盗道の輩を養ひ、悪まず反って恐れて己を慎み、転定と与に直(耕)-安食して微も私巧の罪無し、誠に転子なり".

聖人君子の学知と直耕民衆の "真の生(命)知" とはそれぞれの目的と内容が根本的に相異なるものであります。前者は直耕せずに人々を巧妙に支配するための学門でありますが、後者は人として直耕生活を通じて必要な知識を身につけるものである、という学門観の相違を示しているのです。

武田 康弘

そうですね、「直耕」という概念は、現代社会と人間の生き方・価値意識に根源的反省をせまるものです。どんなに技術が進んでも、愛し合い、子を産み育て、という原理は、不変であることを深く明晰に意識し続けることは何よりも大切と思います。

わたしが幼いこどもから学ぶのは、「直耕」概念のもつ根源性です。直観=体験という直接性ともかさなります。

Taechang Kim

更に次のようにも言ってます。"直耕する者の智は、耕して転道に背かざる故に、真知なり。孔丘、不耕貪食の智なる故に、真知に非ず、盗道を計る謀智なり。

(釈の知も是れなり。)"。

どう思いますか?

武田 康弘

「不耕」とは、心身全体で、直接、自然に関わらず・人と関わらず・物と関わらずで、それではダメ。とわたしは捉えました=40年以上前ですが、「安藤昌益」を学習したとき、そう読みました。

わたしは、身体を使い、全身で生きることを信条にしています。なんでもできるだけ自分でやってきたのです。

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脱中国古典盲信

Taechang Kim

安藤昌益の脱中国古典盲信の一面とも言えますが、"天地" というのが天尊地卑という上下二別の(中国古来の)思想と結びついているから、敢えて天地を"転定" (てんち)と表記したのです。
根拠にしたのは、《易経》の繋辞上伝にある "天は尊く地は卑しくて、乾坤定まる。卑高以て陣なり、貴賤位す。" という冒頭の一句で始まり、この天尊地卑、陰陽-上下-貴賤-二別の思想は、中国の伝統的な自然観を一貫する基幹となっていますが、昌益はこれに反対し、"転定には上下無くして一体なり"

(全集二巻100頁)と言い、"転定は一体にして上無く下無く、統べて互性にして二別無し" (全集一巻268頁)とするのです。どう思いますか?

武田 康弘

老子と根本は同じで、中国文明の底の深さをみます。

老荘思想こそが中国思想の中心になるように、中国政府に働きかけ、説得したいものです。そうすれば、欧米を超えた世界でもっとも優れた国になれるのに~~(笑笑)

武田 康弘
老子の読みは難しい(詩的作品)。道教は、あまりにも老子から離れている。親鸞も教行信証末尾で、多くを老子批判に充てている。書かれたものは、その読み手の生き方・思想・無自覚の立場により、さまざまな解釈が可能で、真逆にすらなる。
ソクラテスもブッダもだいぶ時代が下ってイエスも、話し言葉と行為・行動のみで書き言葉を残さなかったことの深い意味を想う必要がある。
それがわたしの考えです。

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聖人君子への批判

Taechang Kim

勿論安藤昌益の痛烈な聖人君子(の言行)批判です。

Taechang Kim

私法と書いて "コシラエ" (全集四巻377頁)と訓ませているように、"私のコシラエ"(制)(全集九巻90頁)であり、
支配者の私利-私欲に基づく"私の制法" (全集四巻95頁),
"私立のコシラエ(法言)" (全集三巻260頁)のこと。
つまり利己のためにでっちあげた "私術の制(コシラエ)法
(コシラエ)"(全集四巻137頁)
であり、権力者が自然に反して作為した "聖人私法の作事" (全集八巻215頁)のこと断定しています。

武田 康弘

そうです、この否定の徹底性は、新たな世界を生むために必須です。豪快にして愉快な人間性で、同時にシリアス。こういスケールは今は絶無。否定こそは、弁証法の魂であり、生産的で快活な生をつくるのです。

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法世

Taechang Kim

安藤昌益の社会像によれば、"法世" とは、"私法" に基づく上下の位階制度があり、
"王は公卿の功を食ひ、
公卿は将軍の功を食ひ、将軍は諸候の功を食ひ、諸候は諸役人の功を食ひ、諸役人は足軽の功を食ひ、足軽は諸民の功を食ひ、万民は主は奴僕の功を食ひ、是れ大は小を食ひ" (全集六巻129頁)、
まさに人が人を食う社会であると言うのです。
改めて深思熟慮するに値すると思うのですが如何でしょうか?

武田 康弘

だから、こどもにとっては、なんでもない風邪、誰も死なないという歴史上もっとも安全な風邪に、リスクのあるワクチンを打たせようと、官僚政府・製薬会社・医療関係者・・・はやっきになっているのです。こどもを食って生き延びる、儲ける。ウジ虫以下。

だから、わたしは、非妥協的に戦い続けているのです。不退転・非妥協的に。

強い立場の人が弱い立場の人を食う。権力ある者の高いびきを許してはいけません。
以前は、知識人とは、高いびきを叩きのめすために頑張りました。いま、知識人とは、支配グループの太鼓持ち、ソフィスティケートして煙に巻く、うまく騙す人間のこと。

武田 康弘

昌益を生きること、昌益を知るとは、いま、ここで、それを生きることにある。それがわたしの不動の確信。
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安藤昌益は世界思想に先行する

Taechang Kim

安藤昌益は一世紀以上前に

ニーチェの価値転倒やマルクスの唯物弁証法、そして

毛沢東(1893-1976)の矛盾論

までも先取りして実に三世紀以後のわたしたちに哲学開新への道筋を例示しています。
灯下不明、脚下照顧という言葉がそっくりではありませんか?

武田 康弘

ええ、そうですね。 「自然人」の概念もルソーに先駆けています。
わたしは、20代後半で、安藤昌益に出会い、わたしの生き方・考え方の基本に据えて、実践・行動の指針としてきました。
恋知という発想もそうです。昌益の実際のところは、あまりに資料が少なく、足跡を辿れないなので、そこが残念ですが。

Taechang Kim

たけてつ(武哲)の内奥深く安藤昌益の影響があるのではないかという気がしていましたが、やはり20代の後半の出会いは大きな意味があったと思われます。

わたくし自身は、50代になって、欧米での留学-研究教育を終えて日本に来ていろんな方々との交流の過程で安藤昌益、二宮尊徳、新井奥邃の三人の民学の先人に出逢得たことは大きな幸運であったと思うのです。

大勢の官学者たちは知的な好奇心を充たしてくれるところがありましたが、心魂深く響くものはありません。考えてみれば、安藤昌益はルソー(1712-1778)と同時代における日本とフランスの反時流の異端者であったということにも注目するのです。
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互性(安藤昌益の中心思想=Kim解釈)

Taechang Kim

"互性" とは、たとえば、天と地、日と月、昼と夜、男と女、雄と雌、生と死、明と暗、善と悪などは、それぞれ一つの事物の進と退の二つの側面であり、二つの側面の対立と依存があってこそ一つの事物の働きをなす矛盾関係にあるとされ、このような '二' と '一' との矛盾が、いわば <基本互性>というものとして、<互性>概念の基軸をなすのであります。

土田 修

ウパニシャッドのアートマンとブラーフマンもそうなのでしょうか?

武田 康弘

そこまではいいとして、それが、「絶対矛盾的自己同一」という西田になると、とんでもないものに堕ちるので、要警戒。

Taechang Kim

安藤昌益の場合は、絶対矛盾の真っ只中から自他相生への道開きが生じるという動態的-開放的対立-矛盾-葛藤であって、西田的な自己回帰-収斂-閉鎖的な矛盾観ではありません。

武田 康弘

その通りですね!
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自然世

Taechang Kim

安藤昌益の唱える自然世の特徴は無階級-無差別で法制体系が無く、無搾取の生産共働社会であると同時に、天人一和の "直耕コミューニテイ" であります。

武田 康弘

現代では、アテネ出身の指揮者・音楽家のクルレンティスは、「武器も国境もない社会を夢見ている」と言いますが、
昌益の自然世も、現実にそのまま実現できるものはありませんが、いつも始原に戻れるイマジネーションをもって事にあたることは、必須です。

Taechang Kim

 クルレンテイスじゃなくて、今の日本で全力投球しているタケテツの方に共感するのです。
十八世紀日本の安藤昌益がその実現を目指して一生一町人医者としての生涯を燃やし尽くした、その生き方が老年後期を生きているわたくし自身のいのちの深淵に響くものがあるのです。

=================

直耕

武田 康弘

「その一人は、【直耕】して業を転(天)道と同じくする。
その一人は、賢にして口才、分才、知慮、教化 盛んにして、その直耕の者の余分を貪り食うなり。」

直耕の衆人たる【真人】が、転子(天子)である、と昌益は規定しました。天子とは真人のこと。

わたしは、『明治政府がつくった天皇という記号』(pdfでネットで無料で読めます)を書きました。今月、同時代社から本になります。もちろん私は、口舌の輩ではなく、直耕の精神をもち、心身全体で仕事をしながら生き続けます。20代の時、そう決めたのです。

Taechang Kim

ようやく、やっと、遂に、タケテツとキムテツが

<共に直耕する正人=衆人=真人の哲学=哲覚=哲活>を生きて真にしているのだという共通覚醒に至ることが出来たような気がして嬉しいです。
直耕哲学の友としての相互確認!!! 安藤昌益が3世紀の歳月を経て日韓友情哲学共働実践として蘇った

と言いたいのですがどうでしょうか?

武田 康弘

「タケテツとキムテツが<共に直耕する正人=衆人=真人の哲学=哲覚=哲活>を生きて真にしているのだという共通覚醒に至ることが出来た。」

そのようですね(喜)

韓国からそして19年の先達からのエールに感謝です。

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続いています。現在進行形

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清瀬保二・仏教カンカータ「板敷山の夜」再発見に至る深い縁。建永の法難・承久の乱。白樺文学館・松橋桂子・清瀬保二

2022-02-02 | 芸術


 40年前、はじめて訪れた板敷山大覚寺

板敷山大覚寺との不思議な縁。

 わたしは、30歳のとき、40年前の1982年8月に茨城県八郷町(現・石岡市)の①如来寺、②丸山古墳、③吾国山(518m)、④板敷山大覚寺、⑤稲田の西念寺をバイクに乗り、一人で訪れました。友人の古老・八千代市の木下桂三郎さんの勧めで、親鸞の足跡を訪ねてみたのです。
 ④の板敷山大覚寺は、親鸞の法難(後鳥羽上皇による弾圧)にまつわる品があり、また、山伏の弁円(べんねん)が親鸞を殺そうとして果たせず、親鸞から念仏の深い意味について教えられ、多くの山伏たちが親鸞に帰依して浄土真宗開宗のために尽力することになった縁(ゆかり)の寺です。
⑤の西念寺は、親鸞が20年近く住み、主著「教行信証」を書き上げた寺で、浄土真宗の別格本山となっています。親鸞の遺骨もあります。

 ふと思い立ち、1年半前の2020年8月2日に、38年ぶりに吾国山、大覚寺、西念寺にかみさんの百代と二人で行ってみたのですが、その時、大覚寺で縁起を書いた一枚の印刷物をもらいました。家に帰ってから見ると、大覚寺を開基したのは、後鳥羽上皇の第三皇子(!?)と書かれていて、まったく意味が分からず悩みました。なぜ、法然、親鸞らを島流しにし、親鸞の兄弟子4名を死刑にするという恐ろしい仕打ちをした後鳥羽上皇の息子が、親鸞を助けて寺をつくり、浄土真宗の開宗に尽力したのか?

 わたしは、メールで大覚寺に問い合わせ、また、半月後8月19日に再度大覚寺を訪れて聞きましたが、「寺の開基についてそのように書かれているが、なぜかは分からない」「今井雅晴さんが真宗についての本を多く書かれています」と教えてもらいました。そこで、今井さんの著作など関連書を20冊ほど買い、読み漁りました。同時に小学生からの教え子で学習院大学の史学科に通う堀田君にも調べてもらいましたが、なぜ、後鳥羽上皇の息子が?は、分からず、途方にくれました。

 9月になり、『六十七歳の親鸞』ー後鳥羽上皇批判ー(今井雅晴著)を読みましたが、そこには、北条泰時(義時の長男で「承久の乱」の総大将・「御成敗式目」をつくり法律に基づく政治を行い名君として知られる)の依頼で、北条政子の年忌法要に親鸞が尽力したことが書かれていたのです。ああ!そうか、わたしはピンときました。

 日本史を変えた大事件の「承久の乱」は、天皇現人神の国家宗教に基づく政治を行なう明治維新政府にとり都合が悪いため、歪曲され、北条家は悪者のようにされてきました。
 水戸光圀の命で編纂された『大日本史』(天皇史観に基づく著しく偏った歴史観で「水戸学」と呼ばれる)による日本史が明治以降、学校で教え続けられ、それが戦後もなお尾を引いています。
 そのために、日本史上はじめて死刑が実行された法然の念仏宗への大弾圧「建永の法難」と、朝廷政治から武士政治への大転回であった「承久の乱」は、共に歴史のど真ん中にありながら、軽く扱われて意味が分からないままでしたが、実は、後鳥羽上皇が起こした二つの大事件は一体の意味を持つものであることが分かったのです。謎が解けました。

 1207年の「建永の法難」(親鸞は佐渡に島流し)と14年後1221年の「承久の乱」は深く関係しています。実は、後鳥羽上皇28歳の時に、お気に入りの女官二人が出家して法然の念仏宗に帰依したことによる弾圧は、上皇の私怨によるものであることが21世紀になり明白になっています。その14年後に、頼朝の直系が途絶えて妻の北条政子の弟が鎌倉幕府の執権となったのを機に、かねてから再び京都の朝廷で東国も押さえたいと思っていた後鳥羽上皇が「義時を討て!」という院宣を全国の武士に対して出して起きた「承久の乱」は、共に後鳥羽上皇の激しい欲望の所産で、そのために、日本史は大転回したのです。
 完全敗北した上皇と息子ら五名は島流しとなりますが、残りの数名は出家させられました。1221年の6月、完全勝利した北条政権ー実際上の第4代将軍・北条政子と弟の執権・義時らは、直ちに朝廷側の人間の処分を決めたのでした。上皇らは結局終身刑となりました。

 出家させられた息子の一人、周観(後、善性)は、東国にきて、念仏宗の親鸞に帰依したのです。法然が書いた「悪人正機説」を説く親鸞の誰もが救われるという阿弥陀仏への帰依=他力本願の教えは、傷心の善性を救い、同時に親の悪行への罪滅ぼしともなったのでしょう。この時に茨城の地で開宗された浄土真宗は、今は、日本最大の宗派です。善性は、大覚寺のほか、常総市大房に東弘寺、古河市磯部に勝願寺を開基しました。来年2023年は、浄土真宗開宗800年、親鸞生誕850年です。

 以上の考察は、武田によるもので、今井雅晴さんの著作では、個々の事実はよく調べられていますが、後鳥羽が起こした日本史を変えた大事件とのつながりの説明がなく、朝廷=天皇家に遠慮した?(八〇〇年前の!)ような書き方も散見されます。ただし、この本で明らかにされている【北条政権と親鸞との深い結びつき】は、極めて貴重な事実です。朝廷を全員処分し、荘園もすべて没収して天皇家(当時はすでに天皇という名称はありませんでしたが)を完全に支配下に置くことになった歴史の大転回=北条革命と親鸞の思想と行動の一致が証明されたことには大きな意味があります。本には書かれていませんが、そもそも、北条政子は法然の浄土宗で、親鸞の兄弟子にあたります。

  

親鸞像山伏弁円(べんねん)ー板敷山大覚寺所蔵。撮影・武田康弘。2020年10月4日


善性像 東弘寺所蔵 撮影・武田康弘  2020年10月28日



同年(2020年)の10月4日に、園児から80歳の方まで10数名で大覚寺を訪れ、住職から山伏弁円(べんねん)と親鸞の話などを伺いましたが、その時の写真や、貴重な「親鸞像」、後鳥羽上皇の息子の「善性像」(これは東弘寺で10月28日に撮らせて頂いた)の写真などは、白樺教育館のホームページに記事を載せています。クリックで飛びます。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

次は、
松橋桂子さんと作曲家・清瀬保二との不思議な縁。
板敷山大覚寺との縁がなければ分からなかった話で、60年以上埋もれていた貴重な作品との出会いです。


 わたしは、1999年、「白樺文学館」をつくるために奔走していました。これは、わたしの哲学塾の生徒であった佐野力(IBM営業部長→後にわたしの影響で日本オラクル初代社長)さんがオラクルの株を売り出すことで巨額の利益を得たのを機に、「志賀直哉文学館」をつくったらどうか、との話になり、彼の頼みをわたしが快諾してはじまった事業でしたが、志賀直哉の息子の直吉さんから佐野さん宛に「記念館の類をつくることは、父の遺言により一切お断りします」との手紙がきて、頓挫してしまいます。                
 
佐野力さん(1999年5月・奈良の旧志賀直哉邸で)

 そこでわたしの発案で、我孫子に集結した白樺派を顕彰する「白樺文学館」とすることにし、続きとして新たにはじまった事業でした。


 この年(1999年)の秋にまったく未知だった松橋桂子さんという方が大著「柳兼子伝」を上梓しました。白樺文学館の理念づくりに没頭していたわたしは、早速この本を知人を介して入手し、読み、唖然となりました。
 最初に我孫子に移住した白樺派の柳宗悦の夫人・兼子さんの全貌を知ると、その深みと大きさに、宗悦と同等に扱わなくてはならないと悟り、我孫子に集結した「白樺派の4人」(柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤、同伴者のバーナード・リーチ)ではなく、兼子さんを加えて「白樺派の5人」と変えたのです。その5人の画をわたしの友人の大沢治平さんの友人で、わたしの哲学塾にも参加していた周 剣石さん(現・清華大学教授)に頼んで描いてもらい、白樺文学館の初版のパンフレット(12ぺージ・発行5万部)の表紙絵にしました。

  
    2014年 7月9日             私がつくった5万部発行のパンフレット・画は 周 剣石さん。
  清瀬保二作品等の音楽会の後で。
  左から、百代、松橋桂子さん。佐藤克明(注1)さん、わたし。

 この後、松橋桂子さんとの縁は深まり、頻繁にお会いして話す仲になり、松橋さんが2017年3月31日に亡くなるまで16年間交流が続きました。病床で松橋さんは、わたしの声を聞くなり「おお!わが最強の友よ!」と言った時のことは、昨日のように明瞭です。

 松橋さんは作曲家を志し、日本最高と目されていた清瀬保二さんの弟子となり、献身的なまでに尽くし助けました。わたしは、清瀬作品を松橋さん所蔵の音源で聴き、その深み、大きさ、気品の高さに打たれました。独創的な清瀬5音階は、普遍的で、ドビュッシーや同時代のバルトークにも匹敵するものと感嘆し、なぜもっと演奏されないのか、不思議に思いました。清瀬保二の弟子の武満徹の作品は、世界でも頻繁に演奏されているのに、です。

 
清瀬保二さん(77) 
松橋桂子さん撮影
柳兼子さん(85)
最後のリサイタルのときにー1977年10月21日

 故 松橋さんが清瀬さんより預かっていた資料は、すべてわたしに譲られましたので、清瀬保二の戦前・戦中・戦後の自筆原稿もすべて白樺教育館(「白樺文学館」とは別に2003年にわたしが建造した教育と哲学の学園)に保管しています。その中に、松橋さんがつくった詳細な【清瀬保二年表】(印刷物)がありますが、それを教え子の西山裕天君と見ていて、「あれ!」と思いました。仏教カンカータ「板敷山の夜」というのが目に入ったのです。これは、弁円と親鸞のことではないか! それしか考えられない。わたしは、清瀬さんが浄土真宗の門徒であることは知っていましたし、板敷山は、大覚寺の裏山で、白樺教育館のこどもたち(成人者も含む)を連れても行っていましたから、間違いないと確信したのです。

 ただし、この年表には、1957年 仏教カンカータ「板敷山の夜」 詩・長田恒雄(T独唱・混声合唱・pf)。4月1日「板敷山の夜」初演 大谷楽苑合唱部 独唱 木下保 pf 本田暤 としか記載されていないので、
 わたしは、交流のある清瀬春子さん(清瀬保二さんの長男夫人)に尋ねましたが、驚くことに、清瀬家でもこの曲の存在を知らないことが分かりました。とても感謝されましたが、肝心の楽譜がなければどうしうようもありません。

 そこで、白樺同人の川本久美恵さんがfbに立ち上げ、わたしと古林治さんも共同管理人であるコミュ「4月8日は花祭りです。花祭りカードを送りましょうに、愚痴を書きました。「なんとか聞きたい、楽譜も入手したいが・・」と。

 それに応え、川本久美恵さんは、「板敷山の夜」で検索し続けたら、仏教音楽資料館サイトの仏教曲一覧表の最後に「板敷山の夜」があったのがヒットしたとのことです。それで、サイトの管理人木本省三氏に、白樺教育館武田館長が「板敷山の夜」音源、楽譜を探している旨のメールをしてくれました。

 「幸運にも、そのサイトの管理人木本氏が、「板敷山の夜」の初回演奏をした御堂筋合唱団のOBで、ご自身は歌っていないけれど、当時のことを知っておられた。サイトが管理していた資料の中にあったのは合唱の楽譜のみだった。それで、木本氏は、音源については当時の録音担当の遺族に問い合わせ、なかった。ピアノの楽譜は、当時、ピアノ伴奏をしていた方の遺族に問い合わせ、なかった。そこで、御堂筋合唱団の倉庫を調べてもらったら見つかった。それを合唱団の方にpdfにして木本氏のところに送ってもらった。読みにくいところがあったけれど、それを私のところにメール添付で送ってくれた。
 木本氏は諦めず、合唱団の方と相談され、合唱団の方が、年明けに教団に行く予定があるので、ついでに調べて来るとことになったが、その集まりが中止になったので、御堂筋合唱団にある楽譜を木本氏に送ってもらい、木本氏がスキャンし直してpedにした。データーが大きくメール添付できなかったので、大きいデータの輸送の中継システムを使って私に送ってくれた。」(川本久美恵)


 そういうわけで、合唱譜、ピアノ譜ともに入手できたのです。これから先はどうなるか? 来年は浄土真宗開宗800年、親鸞生誕850年です。ぜひとも再演を果たしたいものです。ご協力して頂ける方はいらっしゃるでしょうか。

(注1)佐藤克明さんは、音楽評論家で、松橋桂子さんの『柳兼子伝』の「解題に代えて」を書いています。



武田康弘

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「弱い犬ほどよく吠える」国家主義者はみなそう。昨日、石原慎太郎が死亡した。ほんとうの強さが必要だ。

2022-02-01 | 社会批評

弱い犬ほどよく吠える。
小心で欲望肥大の人間は、権力を使って、愚かな妄想を実現しようとする。
そういう人の一人・石原慎太郎が昨日死亡した。
安部晋三や橋下徹やらの国家主義者も皆同じ。それを支持する忖度国民も同罪だが、それでは哀しく不幸な国へ堕ちる。

楽しく豊かな表情にあふれた人こそほんとうのリーダーだ。日本の政治家の顔は貧しく魅力がない。哲学=恋知の精神がなく、存在感に乏しい。

仲良くしよう、仲良くしたい、たとえ話し合いがつくなくとも、棚上げにして、協力関係をつくろう。それはほんとうに強い人でなければできない。55代総理大臣の石橋湛山のような。日中国交回復をした田中角栄も芯まで強かった。

武田康弘

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