思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

天皇主義(右翼団体=日本会議)と民主主義が二律背反なのを自民党のみなさんはご存知でしょうか?石橋湛山に学びましょう。

2020-08-30 | 社会思想

イデオロギーが支配する、という政治は、民主政治ではありませんから、国を分裂させ、対立を解くことが不可能になります。

どのような国にするか、どのような政治を行うか、どのような未来象をもつか。
それは、対等な個人が自由対話により導くもので、
あらかじめ「日本の歴史は天皇の歴史」というような物語(もちろん嘘)を前提にしたのでは、元から民主政治は成り立ちません。
どうするか、は、今に生きる人が対等な権利をもって、対話により決めるのです。特定の歴史観や社会観を押しつける発想をもてば、結局は全体主義(戦前の皇国思想または共産主義)になるほかないのです。

「日本会議」というニッポン天皇主義で固まる団体に首相以下閣僚や大多数の自民党議員が所属する政治では、元から民主制・民主政・民主性にはなりません。自分たちのことは自分たち自身で話し合いにより決めるという自治政治=民主主義は、なにもアメリカに押しつけられたものではなく、すでに中世親鸞の卸同朋御同行(おんどうぼう・おんどうぎょう)という思想と実践により800年もの歴史がありますし、さらに遡れば紀元前の縄文文化は自治政治でしたので、歴史的世界的に普遍的なものです。

特定の権力者や一族を支配者としたり、あるは権威者とするような差別の構造がよくないことは、こどもでも知っていることです。民主的であること=みなが存在として対等であり、互いの自由を認め合うことを前提にして、その上で話し合いによりルールをつくるということは、時代や地域を超えた普遍的真理で、その立場で政治を行わなければなりません。日本会議 と 主権在民の民主主義は相いれません。

明治政府がつくった有無を言わせずに天皇への尊崇を求める権威主義による政治と、みなが対等な権利をもつ民主主義とは二律背反です。民主政治でなければならない、これは原理であり、イデオロギーを超えた根源的な思想です。もう分かりましょう。自民党のみなさん、理解→了解できていますか? 55代総理大臣石橋湛山(自民党第2代総裁)の考えを学んでください。


石橋湛山 第55代総理大臣

 

武田康弘


 

 

 

 

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安部さんの代りはいない!?と発言していたみなさん、どうしますか(笑笑)

2020-08-29 | 芸術

安倍さんの代りはいないから云々と発言していた方、あなたもそうかもしれませんが、

はてさて、どうしますか??(笑笑)

現実を踏まえて考えて、現実的な発言をしていると自負しているみなさんは、そう言っていましたね~~~~~

これで日本はお終いなのですか?

そういう発言をしていたみなさんは、反省しないのですか。 ダンマリでやり過ごしますか。日本人ですね~~~。そんな程度の人々の集まりです。猛省を促します。理性なしでは困ります。

武田康弘

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靖国神社の恐ろしい思想に縛りつけられたままでは、兵士たちの霊は永久に浮かばれません。

2020-08-16 | 社会思想

10年前、2010年のblogです。6年前に再録しましたが、また、載せます。極めて大切だと思うからです。

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靖国神社とは、神社でさえありません。

2014-08-16 | 学芸

『靖国神社』とは、明治政府が、従来の日本の伝統を壊して新たに政府がつくった新宗教=天皇教の施設で、明治2年に「東京招魂社」として建てたものを、10年後になし崩しに「神社」と改名したのです。

 東京招魂社(靖国神社)は、官軍=天皇側だけを祀る施設で、それまでの敵味方なく祀るという神道の思想を逆転させました。

なお、多くの戦争体験者が証言しているように、 「靖国で会おう!」などはヒドイ嘘であり、兵士はみな、故郷を夢み、先祖が眠る故郷の墓に入ったのです。当然ですが、靖国には誰の遺骨もありません。

 

以下は、4年前(2010年)の8月15日に出したblogです。

靖国神社の思想と近代民主主義の思想とは二律背反です。

2010-08-15 | 社会思想


いうまでもなく、主権在民を原理とし自由と平等の理念を掲げた『日本国憲法』と、『靖国神社』の掲げる宗教イデオロギーは、まったく相いれません。靖国神社(明治政府がつくった国家神道)の思想を認めるならば、日本はもう一度、天皇主権の『大日本帝国憲法』時代に戻る他なくなります。

靖国神社は、
天皇大権を当然のこととし、明治以降の日本の戦争はすべて「聖」なるものと主張し、
韓国・中国への植民地支配はなかった!と主張し、
敵と味方を峻別し、天皇陛下のために斃れた者だけを祀ると主張し、
個人の信教の自由を否定して、兵士は日本の軍神=集合神だと主張します。

このような靖国神社の掲げるイデオロギーは、現代の日本国家をつくっている基本理念=近代民主主義の原理とは二律背反ですが、同時に、多神教の『神道』を天皇神格化により疑似的な一神教へと変えた明治政府の所業(神道の国家神道化)は「古き日本」の伝統とも大きく異なりますので、日本の悠久の歴史を主張する人々もまた「靖国思想」には反対しなければならないはずなのです。

明治政府は、富国強兵政策を進めるために、古来の「神道」を「国家神道」へと変えましたが、その思想の下では、一人ひとりのかけがえのなさは否定され、公(おおやけ)とは滅私奉公のことだとされたのです。このような国家主義=靖国思想に縛りつけられたままでは、兵士たちの霊は永久に浮かばれません。
彼らは、戦争のない平和な日本を夢見、差別のない、一人ひとりが大切にされる社会を夢見たはずです。天皇を神として崇め、それに従う人生をよしとしたのではありません。天皇の官吏(官僚)が治める自由のない日本をよしとしたのではありません。軍人が威張る日本をよしとしたのではありません。互いの自由を認め合い、皆でつくる平等なルール社会を夢見たはずです。
死してなお、靖国思想に縛りつけるのは、戦死者への冒涜でしかないのです。政府の絶対の責任として千鳥ヶ淵の拡張整備を行わなければなりません。

65年間、その義務を怠ってきた政府に対して、わたしは激しい公共的な怒りと憤りを感じています。

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以下は、『靖国神社』の遊就館で売られている宣伝パンフレットからの抜粋です=これが靖国神社の思想ですが、これがよいと思う人は、いるのでしょうか?

小堀桂一郎(靖国神社の理論的柱、東京大学名誉教授)の談・1999年8月



「靖国神社の本殿はあくまで、当時の官軍、つまり政府側のために命を落とした人たちをおまつりするお社である、という考えで出発したのでして、それは非常に意味のあることだと思うのです。 そこには「忠義」という徳が国家経営の大本として捉えられているという日本特有の事情があるのです。 「私」というものを「公」のために捧げて、ついには命までも捧げて「公」を守るという精神、これが「忠」の意味です。

この「忠」という精神こそが、・・日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから・・命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇のために忠義を尽くして斃(たお)れた人々の霊であるということでよいと思います。

靖国神社の場合は、・・王政復古、「神武創業の昔に還る」という明治維新の精神に基づいて、お社を建立しようと考えた点に特徴があるといってよいかと思います。

あの社は天皇陛下も御親拝になるきわめて尊いお社である。微々たる庶民的な存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったということだけで天皇陛下までお参りに来て下さる。つまり、非常な励みになったわけです。
国の為に一命を捧げるということが道徳的意味をもつのは万国共通です。言ってみれば、人間にとっての普遍的な道徳の一項目なのです。

実は総理大臣が何に遠慮して、参拝に二の足を踏んでいるのか不思議でならないんです。
中共が総理大臣の参拝に文句を言ってくるのは、何も彼の国民感情が傷つけられたなどという話ではまったくない。あの国の民衆の大部分は靖国神社の存在すら知りません。・・外に問題を設けて反対勢力の目をそちらに向けさせようという国内政治の力学が働いている程度のことであって、まともに相手にすべきことではないんですね。

だから私はこの問題でも総理が断固として参拝されるのがよいと思うんです。そうすると直ちに北京から文句を言ってくるでしょうが、適当にあしらうなり、知らぬ顔を決め込むなり、いくらでも対処の仕方がある。
総理が北京からの苦情を無視して何度でも繰り返し参拝すれば、そのうち向こうも諦めて黙るに決まっている。
総理の参拝が実現し、やがて天皇陛下の行幸もできたということになると、私は国民のモラルに非常によい影響を与えることができると思うのです。」

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マーラー交響曲9番 わたしの愛聴盤は、ジョナサン・ノット指揮 バンベルク響です。

2020-08-16 | 芸術

マーラーの9番、最後の交響曲ですが、わたしは、とても好きです。1楽章から終曲(4楽章)まですべて好きです。最期の消えゆく音の美しさは、なんともいえません。

手元にあるCDは、8枚です。

バルビローリ・ベルリンフィル。
クレンペラー・フィルハーモニー。
バーンスタイン・ニューヨークフィル。
バーンスタイン・ベルリンフィル
カラヤン・ベルリンフィル。
テルソントーマス・サンフランス響。
小沢征爾・サイトウキネン。
ジョナサンノット・バンベルク響

1番よく聞くにのは、ノット・バンベルク響の演奏です。解析力が最高ですが、冷たさは皆無で、人間的な愛に溢れ、マーラーの音楽イデーがもっともよく分かります。深く考え抜かれ、誠実で、曲と作曲者への敬意を感じますが、親しみがあり聞きやすいのです。

カラヤンのは、マーラーの哲学など関係なく、見事な音響の追求と自己への耽溺があります。この自我主義の極北は、競争主義の現代人に合っているのようです。

小沢・サイトウキネンは、カラヤンの日本版(すっきり)のよう。見事な音響があり、「音楽に思想や哲学はいらない」という宣言のようでもあり、音響的なシャープさと迫力があります。カラヤンも小沢も曲の意味・真髄からは遠く、この意味に満ちた長大な交響曲を彼らの演奏で最後まで聴くのには、忍耐が必要です。小沢の悲しみは、生(なま)の悲しみで二次化(高次化)されていません。 意味を味わうという聞き方をしないで、流れゆく音としての音楽に浸るように聞けばよいのでしょうが、それではあまりに哀しい。

この曲の真髄、よい意味での恐ろしさを教えてくれたのは、クレンペラー最晩年の録音でした。クレンペラー83才、1967年の演奏です。形而上的名演というほかなく、心身の奥深くから感動し、痺れてしまいます。ただ、ノットの演奏のような親しみはありませんので、連続して聞くことはできません。ほんとうに凄い演奏です。

というわけで、ジョナサン・ノットが指揮するバンベルク響をよく聞きます。9番(2枚組のSACD)が気に入りましたので、その後で全集を買いましたが、3番も最高の演奏で、一番のお気に入りになりました。


武田康弘

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昭和天皇も政府も軍部も、最後通告の『ポツダム宣言』を無視し、原爆投下の後でようやく受諾。『明治がつくった天皇という記号』は必読。

2020-08-15 | 芸術

 75年前、主権者を天皇とした「大日本帝国憲法」の下、日本は、中華民国と英国とアメリカ合衆国による『ポツダム宣言』を受諾し、無条件降伏=完全敗北をしました。

 最後通告の「ポツダム宣言」を、昭和天皇も政府も外務省も軍部も無視して返答をしませんでしたので、アメリカ軍は、13発の原子爆弾を順次落とし、ポツダム宣言に記載された通り「日本全土を壊滅させる」作戦をはじめました。第一弾を広島に、第二弾を長崎に落としましたが、ようやくそこで、「ポツダム宣言」を受託し、敗戦となったわけです。

 明治維新(1869年)いらい、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦参戦、シベリア出兵では一番最後まで執拗にロシア革命に干渉し、満州事変から対米戦争までの15年戦争(まる14年間、手も足も出ない状態になっても続けた)という戦争の連続に終止符が打たれたのは、全面敗北による1945年でした。70数年間の皇軍の戦争。それからまた75年が経ちます。

 近代日本は、後期水戸学をもとにした明治維新政府のイデオロギー=近代天皇制と呼ばれるものにより運営されました。それは、江戸時代までの日本の伝統を壊してつくった天皇を神とする国家宗教です(=国体思想=靖国思想=国家神道)。いまの言葉で言えば、カルト宗教ですが、誰か個人がはじめたカルトではなく、政府がつくった国家カルトでしたので、全国民はその思想のもとで生きることを余儀なくされたわけです。

 いま、何よりも必要なのは、その正体=ありのままの姿を明晰に意識化することでしょう。
そのために「明治政府がつくった天皇という記号」は必読と思います。ネットでも読めますので、ぜひご一読を。
冊子の欲しい方は、コメント欄からお申込みください(表示しませんがお送りします―送料を含めて1000円です)。

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一月前から感染者が激増!?どういう意図で嘘の報道を繰り返すのでしょうか? 

2020-08-13 | 社会批評

  PCR検査で陽性とでると、それを感染者と呼び、まるで新型コロナの患者のように報道するのは、ヒドイ嘘ですが、
なぜ、あからさまなウソを言い続けるのでしょうか? 独裁国家ではあるまいし。

 7月からかなりの勢いでPCRの検査人数を増やしてきましたから、陽性者となる人が増えるのは当たり前のことですが、
陽性者は、新型コロナに感染した人ではありません。ウイルスがいた(これを曝露と呼ぶ)というだけで、そこには、曝露者と感染者と発病者がまざっていますが、陽性者の大多数は、ただの曝露者であり、感染者ではありません。

 また、感染者(ウイルスが細胞壁をやぶり増殖をはじめた人)も、大多数は、発病には至らないか、たとえ発病しても軽微な風邪程度で治っている人が多数です。

 いま、重篤者は少なく、死者は極めて少ない(通常のインフルよりはるかに少ない)のは、医師で京大医学部ビッグデータ科の上久保教授が明確に説明している通り、9割以上の人がT型免疫細胞を獲得しているからでしょう。

 なぜ、PCR検査の陽性者を、感染者だという嘘の報道を繰り返すのか?異常な事態ですが、何の意図があってのことなのでしょうか?気味が悪いです。

武田康弘

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PCRを日々使っている野村慶太朗社長が、皆が知るべき大前提を書いています。「日本は完全に狂っている!」

2020-08-10 | 学芸
以下の野村慶太朗さん(BioGaia Japan Inc.  President & COO 元チチヤス乳業株式会社 最高執行責任者 COO)のfbの記事は、
みなが知るべき大前提!


日本が完全にオカシイ。もうヤバイぐらいに変だ。
小池百合子女王の街・東京では連日数百人の「PCR陽性者」が発見されて、感染者が全国に広がっているような報道だが、チョイ待てや。
ウチは菌の専門企業なので昔から菌の種類を判別するのにしょっちゅうPCR検査を使ってきたし、PCRを普段から使う医療関係者なら知っている常識だが、あれは「感染者数」じゃなくて「陽性者数」だ。
いいか、ど素人のテレビコメンテーターども。
決して「感染者」ではない。あくまでも「陽性者」である。
その中には「感染」に至っていない「曝露者」が大勢いる。
コロナウィルスが細胞に侵入したら「感染」なのだが、その前に、ほとんどが自然免疫で処理されてしまう。更に「感染」しても普通はT細胞が細胞ごと破壊する。だから、ここまで「曝露者」と「感染者」の98%が「自然免疫」で片付いてしまう。
今の統計を正確に読み込むと分かるけど、 「PCR陽性者」(曝露者+感染者)のうち約98%が、無症状か風邪程度で治っている。
国による違いがあるがコロナは「日本人の場合」、曝露力は強いが、感染力が弱いから、重症者も死亡者も大変少ない。
1、陽性反応者
単にウイルスが「曝露」(ばくろ・体の中に入る)しただけで、「感染」(細胞の中に入って増殖する)には至っていない人。
免疫にやっつけられて破壊されたウイルスの残骸が出てきただけの人
2、感染者
ウイルスが細胞内に侵入した人。無自覚、無症状多数。
3、患者
発症してる人
そして死亡者は全然増えていない。
なのになんでこんなの国を挙げて第二波だの緊急事態宣言だのと騒いどるんだ?
なんでNHKも保健所までただの陽性者を「感染者」と呼んだり「患者」と呼んだりするんだ?
一体どうしてしまったのだ?日本は。
ノーベル賞の山中伸弥先生まで出てきて「厳重警戒」だの「元の生活にはもう戻れない」だのwithコロナだのアフターコロナの「時代」だの、なんかもう人生がめっちゃ変わるかのような報道合戦だが…山中先生…どうしちゃったの?
ワシ大ファンだったのに…。
コロナ、日本は絶対もうすぐ終わるぞ?
まるでマスコミが大騒ぎして煽って第二次世界大戦に突入していった頃の日本に戻ってないか?
日本人、テレビの見過ぎでバカになったのか?

 
ー---------------------------------
https://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/ebaf78248559c2bd5da8abb066c10970
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PCRの発明者キャリーマリス博士(ノーベル賞受賞)は、「PCRを感染症の診断に使ってはならない」という言葉を残して、謎の死を遂げました。

2020-08-10 | 学芸

大橋 眞 徳島大学名誉教授・免疫生物学専門


 
PCR検査に医師も支配されてしまい、実際に医師が症状を診るという原則が壊されている。また、無症状者からの感染という神話が広がってしまったのは実に恐ろしい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下は、このYouTubeにあるビデオの要約です(改行・下線・太字は武田による)

 PCRの発明者キャリーマリス博士(ノーベル賞受賞)は、「PCRを感染症の診断に使ってはならない」という言葉を残して、謎の死を遂げました。彼の死を待っていたかのように始まった今回の騒動においては、マリス博士の遺言に反して、PCR検査が感染症の診断に使われています。病原体は、宿主のゲノムと異なった遺伝子配列を持っているために、病原体遺伝子の検出を特異的に行うことが出来る優れた方法のはずです。しかも、感度も極めて高いために、特異度、高感度な病原体検査が理論的には可能のはずです。それでは、一体何が問題だというのでしょうか

 通常病原体検出のための診断法の確立には、病原体の遺伝子の中で、特定の病原体に特異的な配列を検出するような設計を行います。これによって特定の病原体の遺伝子を検出し病原体の存在を知る有力な手掛かりにすることが出来ます。

 しかし、今回の騒動においては、ある研究者が病原体遺伝子を特定したわけではありません。中国のあるグループが、重症肺炎の肺から取り出した液体から、ウイルスのゲノム配列を決定した報告に基づいて、世界各国でPCR検査をするようになりました。やがて、一人のPCR陽性者が無症状期に接触した人から、同様にPCR陽性になったという科学論文が数編出されました。このことから無症状の人から感染する伝搬力が強い感染症の病原体であるというイメージがつくられました。

 しかし、前検査をやっていないために、もともと各人が持っていた常在ウイルスであれば、伝染性の病原体であるとは言えないのです。しかもその後に出された論文においても、病状の進行と局所での問題とするウイルス量の増加と関連するという記述も見当たりません。動物への感染実験も同様です。感染に用いたウイルスと動物内で増殖したウイルスの同一性の確認が取れていません。すなわち、問題のウイルスが病原体であるという証拠がどこにもないのです。このような事実から、問題のウイルスは、病原体ではなく、常在性のものであると考えるのが妥当です。

 もし、中国のグループが発表した論文の遺伝子配列が常在ウイルスのものであれば、このような事態になることは容易に想像できます。しかもこのグループもこの遺伝子が病原体ウイルスの遺伝子であるとは断定していないのです。この論文を引用した他のグループが、病原体ウイルスであるという前提のもとに研究をした結果、無症状者からの感染という虚構が作られていったのです。

 もし常在性ウイルスを病原体とみなして、感染症の診断にPCRを用いると、健康な人を隔離する手段として使うことも可能になります。無罪の人を自由に監獄に送り込むような隔離社会が出来るわけです。マリス博士の遺言は、このような意味が込められていると考えられるのです。


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すでに免疫(T細胞)を獲得している。強い説得力をもつ京大学院医学部研究科特定教授・医師 上久保靖彦氏。

2020-08-08 | 学芸

https://www.youtube.com/watch?v=Mr05_0_OkD4

これは、決定的なビデオと思います。

日本人(アジア人)は、すでに免疫が出来ているという京大医学部大学院研究科特定教授で医師でもある上久保氏の説明は、極めて説得力が強い。

第2弾です。必聴・必見です。



武田康弘

 

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サルトル講義の第1回目の概略 西欧思想の異端児 12日(水)の恋知の会でも。

2020-08-08 | 恋知(哲学)

以下は、木曜日に大学クラスで行ったサルトル講義の第1回目の概略です。

12日(水)の「恋知の会」では、以下の内容を分かりやすく絵画や音楽も使ってご説明します(白樺教育館で午後1時30分より4時30分)。



 サルトルの西欧哲学における特殊性。 ソクラテス・プラトン、 アリストテレスと、 ヨーロッパの中世神学と近代西欧哲学の意味、大きな相違。

 ほんらいのソクラテスの実存思想は、西洋ではなく、ブッダとの親近性をもつこと。キリスト教西欧との異質性、にも関わらず西欧文明が換骨奪胎して取り込んだ経緯と理由。

 その流れ(言語=論理ゲーム)としてのスコラ哲学とその改革としての近代思想(デカルトに始まりハイデガーに終わる)とは異質のサルトル思想の特別な位置。

 実存思想のもつ根源性(古代のソクラテス・ブッダ・老子の3人が象徴・20世紀ではサルトル)。自分を知る。 実存的精神分析=根源的選択と未来への憧憬と 経験主義による通常の心理学=因果の解明を目がけて過去に遡及する事との違い。

 若き哲学チャンピョンだったサルトルは、心理学(現象学的心理学)を出発点とし、それとの関係でイマージュ(想像力)を根源的なものとする思想を、最初の哲学本「想像力の問題」(今年5月に出た新訳では「イマジネール」)で展開。 サルトルにとっての最大の位置をしめるのは想像力であることが分かる。

 1980年死の前に「いまこそ希望を」と語ったこと。友愛と希望。


武田康弘

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なぜ、全員へのPCR検査は意味がないのか? PCR検査とはどういうものなのか? まず知りましょう。

2020-08-04 | 教育

以下の二つは、必見・必聴です。

全員へのPC検査がまったく意味をなさないこと(医師の説明)と、

PCR検査とはどういうもかを説明したウイルス研究者の話で、

こういう基本知識がないために、今のような異常な心理に陥るのでしょう。

テレビがきちんと報道しない=説明しないのは、どういう意図なのか、理解に苦しみます。

ぜひ、ご覧になり、囚われから解放されてください。


PCRの基礎知識ー悪用されると騒動になる。クリック


現役の医師が解説ー全員に新型コロナウイルス検査をしても意味がない理由を医師国家試験問題を例にとり解説。クリック


武田康弘

 

 

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恋知1、2章の新装版出来! 工事寄付金は200万円を超えました。とても感謝です。もうすこしで工事にとりかかれます。

2020-08-03 | 恋知(哲学)

恋知1、2章の新装版です。

古林印刷製本所による冊子で、恋知の核心の2章=恋知とは何か?が分かります。

白樺教育館に取りに来られる方には、500円でお分けします(印刷代金は古林さんの寄付ですので、500円は白樺活動への寄付金となります)。


なお、「白樺教育館」の外壁と屋上再防水への費用寄付は、200万円の大台を超えました。とてもとても感謝です。
あと30万円で、工事にかかれますので、みなさまのご支援、よろしくお願いします。

郵便局 振替口座 00110-1-124812  名義人  白樺教育館 



武田康弘



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