思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

サルトルの創造的フィロソフィー【実存的精神分析】へのご案内2弾。驚きの新訳『イマジネール』も使います。

2020-07-30 | 恋知(哲学)

以前にお知らせした通り、サルトルの実存的精神分析及び倫理についてお話します(大学クラスでは、8月6日の木曜日夜7時30分より。恋知の会では、8月12日水曜日午後1時30分より)が、

第1回では、キーワードである「想像力」(イマージュ イマジネール)について、音楽と絵画も使い、分かりやすく面白い授業をします。

先々月に出たサルトルの処女作「想像力の問題」の新訳「イマジネール」は、2005年にフランスで出た新装版によりサルトルの養女による序文と、訳者の澤田 直さんの明晰な解説もついた優れもので、驚きの新訳です。

初の哲学論考「イマジネール」は、初の長編小説「嘔吐」と共に、大著「存在と無」に直結するもので、サルトルの思索の旅立ちが、心理学(土台から間違っている経験的心理学ではなく哲学的心理学)であったことが明瞭です。新訳「イマジネール」の副題は、≪想像力の現象学的心理学≫です。

「存在と無」を日本的現実の中で読んだ「サルトル哲学序説」(わたしが師事した竹内芳郎さんの処女作)の第4部・実存的精神分析を了解するために不可欠な「想像力の問題」の新訳「イマジネール」の登場は、なんともありがたいものです。 澤田 直さんと水野浩二さんに感謝です!


武田康弘

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新型コロナ 過剰反応 「ウイルスとの戦いというより社会との戦い」 国立病院機構仙台ウイルスセンター長・西村秀一氏談

2020-07-25 | 社会批評

「戦時中のようだ」

 では、実際には、われわれはどう怖れるべきなのか。国立病院機構仙台医療センターのウイルスセンター長、西村秀一氏が言う。

「現状の新型コロナ対応は、まるで負の宝くじです。高額は滅多に当たらないのに、CMを見て、もしかしたらと思ってみな買います。同様にいま専門家がテレビで“あなたも当たる可能性がある”と言いますが、当たる人はわずか。しかし、宝くじレベルの確率のために、みんなが不安がって無駄な対策をしていては、社会への悪影響は大きくなる。感染者が出ていないところでアクリル板越しに食事するなど、一般社会での過剰な対策は意味がありません」

 そして、ゼロリスクを求める風潮を斬る。

「人間ずっと緊張してはいられず、メリハリある対策が肝心です。たとえば、ウイルスが散らばる屋外に出たら、マスクは要りません。専門家はよく“可能性がある”と言いますが、それなら明日隕石が落ちて死ぬ可能性だってある。私が“これは気にしなくていい”と言うと、“可能性がないと言えるのか”と怒る人がいますが、ないものは証明できません。結果、全国にたくさんある学校のごく一部で感染者が出たからと、教師がフェイスシールドを着けたり、机をアルコール消毒したりしていますが、換気をしていれば十分。休校の必要もなく、子供たちから教育機会を奪うほうがずっと問題です。いまは、おかしいと思っても反対できなかった戦時中のようだと思うことがあります。“そんなに気にすることはない”“感染する可能性は極めて低い”と言うと、人命を軽視しているとか、ウイルスの怖さをわかっていないとか、すぐ攻撃されます。ウイルスとの戦いというより、社会との戦いです

 そんな戦いが必要なのも、操作された数字や、根拠がない扇動的な試算に、われわれが踊らされているからだろう。過剰な不安と無用な対策による犠牲をこれ以上生まないためにも、冷静な目をもって、根拠が示された正しい数字を求めていくしかあるまい。

(デイリー新潮よりシェアー)

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新型コロナ、日本人は皆すでに免疫を持ち、従って、今は死者もゼロに近い状態です。(京大医学部ビッグデータ科)拡散を!

2020-07-22 | 社会批評

https://www.youtube.com/watch?v=hF0HBmIFWMs

日本ではすでに、新型コロナは終わっていて(皆が獲得免疫Tを持っている)、死者もほとんど出ない状況とのことです。

極めて明快で、誰もが納得できる説明が、このビデオでされています。

テレビの報道は、どういう意図で、嘘報道をしているのでしょうか。

京都大学医学部ビックデータ科のトップ研究者・医師が、明瞭に解説しています。

多くの人にPCR検査をすれば、陽性者はたくさん出ますが、それは、ただウイルスが付着している事実を示すだけで、日本人はすでに免疫を獲得していますから、ほぼ発病しません。病人ではないのです。免疫が獲得されたメカニズムが明瞭に解説されています。

ぜひ、ご覧下さい。拡散してください。




武田康弘



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ウイルスの側に立って考えてみると。

2020-07-21 | その他

わたしは、ウイルスの側にたって考えてみようと思います。

コロナといわれるウイルスは、どの動物にも寄生していて、人間の場合、数万種類のコロナウイルスが、兆の単位で細胞内にあるとのことです。

動物は、長い生命進化の過程で、コロナのみならず膨大な種類のウイルス(どんどん変異する)と一緒に生きているわけですが、ウイルスは、菌とは異なり、それ自体では生命活動(自己増殖)ができず、単なる物質と生命体の中間の存在だと言われます。

動物の体内に入り、細胞壁から細胞中に入ることで、増殖=寄生が始まり、共存してきたとのことです。

そうすると、ウイルス側からすれば、感染力を強めるのは利がありますが、毒性を強めるのは損です。寄生する動物が死んでしまえば、ウイルスも生命体としての活動ができなくなりますから困ります。

新型コロナも、すでに1万以上に変異しているそうですので、毒性が弱く感染力は強い、というふうに変異したものが生き残るのではないでしょうか。風邪を起こす従来のコロナウイルス程度に毒性を落としたものは、人類と共存できますから、有利です。

おかしな言い方ですが、賢いウイルスならそういう方向で変異する、というのは逆で、そのように変異したウイルスが残る、のではないでしょうか?

以上は、まったくの門外漢のわたしの勝手な空想です。失礼。


武田康弘




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「もの」は、命をもちます。「白樺教育館の生きているものたち」写真集

2020-07-18 | 芸術




もの・モノ・物は、を持ちます。

命の希薄な物=単なる商品」で溢れているのが、現代社会文明ですが、それは実に不幸です。

愛にあふれ、人間味豊かな「もの」と共に生きないと、豊かな人間性は育ちません。即物的でいやらしい価値意識をもった単なる「事実人」に堕ちます。

内から湧くファンタジーが広がらず、ステレオタイプの夢もどきの世界に支配されます。所有を価値だと思うまでに頽落します。

それとは無縁な「もの」があり、人も「もの」も存分に生きているのが白樺教育館の魅力です。

写真で見る「白樺教育館のいきているものたち」をホームページにアップしましたので、ぜひご覧下さい。

アップの労は、いつも通り古林治さんです。

写真は、わたし、武田康弘です。

 

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マスクの危険性=夏場にマスクをすると危ない。

2020-07-10 | 社会批評

https://news.yahoo.co.jp/articles/e956fdf30b1123b852dfbc8dc6f52df7806a7372?page=1

 

東京では連日数十人の新規感染者が確認され、感染拡大が再び懸念される状況のまま、夏に突入しようとしている。すでに気温が30度を超える日もあり、マスクをして外出するのは暑苦しく感じる。これからさらに気温が上がっていけば、熱中症になるのではないかという不安が頭をもたげてくる。

 実際に、中国では学校の体育の授業でマスクをつけたまま運動をさせられた生徒が死亡する事故が相次いでいるという。

 厚労省が各自治体に周知した「令和2年度の熱中症予防行動の留意点について」によると、〈夏期の気温・湿度が高い中でマスクを着用すると、熱中症のリスクが高くなるおそれがあります。このため、屋外で人と十分な距離(少なくとも2m以上)が確保できる場合には、熱中症のリスクを考慮し、マスクをはずすようにしましょう〉としている。

 日本の新型コロナ感染による死者数は956人で(6月26日時点)、一方、熱中症の死亡者数は、厚労省の最新統計によると2018年で1581人だ。ただ、2018年は猛暑で、例年になく熱中症の死者が多く、通常は500~1000人前後である。熱中症の死者のおよそ8割を65歳以上の高齢者が占めている。単純に死者数と年齢層を比べれば、新型コロナ感染と熱中症は、日本人にとってほぼ同じくらいのリスクと言える。

 そのなかで、どちらに重きを置き、どう行動するのが正解か。大阪府監察医で千葉科学大学危機管理学部の黒木尚長教授に訊いたところ、意外な回答が返ってきた。

「マスクで息苦しくなったり気分が悪くなったりするのは、(体温上昇によりさまざまな症状を引き起こす)熱中症ではなく、呼気に含まれる二酸化炭素(炭酸ガス)がマスク内に溜まって、それを吸い込むことで起きる『高炭酸ガス血症』であるケースのほうが多いと考えられます。いわば二酸化炭素中毒で、血中の二酸化炭素濃度が高くなり、これが重篤化すると呼吸困難や昏睡を引き起こします。血液が酸性になったために致死性不整脈を起こし、急死することすらあります」

確かに、ハフィントン・ポストの記事(2020年5月5日付)によると、中国・河南省の才源中学校で15歳の男子生徒がマスクを着けてランニングをしていて死亡したケースでは、父親が〈気温は20度くらいだったはず〉と証言している。気温20度で熱中症になるとは考えにくい。

 熱中症ではないとすると、高炭酸ガス血症は気温や湿度とは関係なくリスクがあるということか。

「季節に関係なく、運動や負荷の高い作業をしているときにマスクを着用することに問題がある。運動中はただでさえ酸素が欠乏しがちなのに、マスクで空気の吸入が抑えられ、かつ、二酸化炭素濃度の高い自分の呼気をまた吸い込むことで、こうした障害が起きる可能性があります。

 熱中症の場合は、本人が体温の上昇に気づかず、その状態が続くことで起きますが、マスクをしていて息苦しくなった場合は、まず本人が気づいて普通ならマスクをはずします。そうして新鮮な空気を吸えば(高炭酸ガス血症は)回復します」(黒木教授)

 気づかないうちに進行する熱中症ほどリスクは高くないが、マスクをして運動や負荷の高い作業をするのはやめるべきだという。加えて、炎天下でマスクをしていると暑さが倍増した感があって耐えがたいし、口周りの汗や唾液で濡れて不衛生でもある。マスク着用をやめてはいけないのか。

「そもそもマスクには(ウイルス感染の)予防効果はほとんどなく、他人にうつすのを防ぐためのもの。知らないうちに当人が感染している可能性があるのでマスクをするわけですが、咳やくしゃみが出そうになったら肘の内側で鼻と口を覆う“咳エチケット”で本来なら十分です。
暑いのに無理をしてマスクをし続け、倒れてしまっては元も子もない。ただ、マスクをしようがしまいが、真夏に熱中症のリスクは依然としてあり、こまめな水分補給や塩分補給、十分な睡眠、外出時の日傘、帽子の着用などに注意すべきであることは言うまでもない。

●取材・文/清水典之(フリーライター)

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惑星直列!?で何かが起きる(笑)天文学に対するあまりの無知に驚きます。

2020-07-04 | 社会批評

惑星直列と言うのは、、一直線にならぶというのではなくて、扇形の90度以内に並ぶときに、そういういう言い方をするだけのことです。

太陽の質量は、地球の質量の30万倍以上という桁違いの大きさで、太陽とは比較にならない小さな質量しかない惑星が並んでも、影響などゼロに等しいのです。

引力は、質量に比例し、距離の2乗に反比例するので、最大の惑星である木星も、月の4000分の1程度しかありません(距離が最短の時でも)。逆に言えば、月は、木星が地球に及ぼす力の4000倍もあるのです。地球ー月は、約38000kmで、地球ー木星は、約38億km(面白いことにちょうど1万倍の距離-木星との距離が最短の場合)、質量は、地球 対 月は、80:1。地球 対 木星は、1:300ですから、木星は月の約2400倍の質量です。

また、月と地球の距離(楕円軌道)は、接近時に比べて約10パーセントも遠くなりますから、その引力の違いには注目してもよいのですが(笑)。

太陽と地球の距離は約1億5千万km(楕円軌道)で、もっとも近づくのは1月で、遠ざかるのは7月です(それゆえに南半球の方が北半球よりも寒暖ともに厳しい)。距離は3パーセント強変わります。


今月(7月)は、なかなかないチャンス、一度に惑星が見れて楽しい、それが惑星直列?の価値(笑)です。ほんとうに直列したら惑星がみな重なってしまい、惑星食食食です(笑笑)。

武田康弘(元 天文少年)

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予告 8月よりサルトルの実存的精神分析と倫理を学びます。白樺大学クラスと恋知の会。西欧哲学を超える可能性をもつ唯一のフィロソフィー。

2020-07-01 | 恋知(哲学)

白樺の大学クラスと恋知の会では、8月より実存的精神分析と倫理を行います。

基底となる現象学的存在論は難解ですが、それについては、進行の中でその都度分かりやすく説明します。
サルトルの存在論は、物と意識の二元論だとふつう言われている(解説書に書いてある)浅薄な理解では、サルトルの従来の哲学を超える革命性を理解→了解することはできません。

「弁証法的理性批判」の翻訳者である故 竹内芳郎氏に直接師事してきたわたしは、できるだけ明瞭・分明にサルトル哲学の根本を明らかにし、その未来性についてお話します。

へーゲルの他者承認の哲学に留まれば、思想は生きた意味を失い、講談哲学あるいは趣味の講座に堕ちるしかありません。現状の変革は、古代ギリシャの「汝自身を知れ」の20世紀版「実存的精神分析」に支えられなければ、はじまりません。

「存在と無」Ⅲ(サルトル著・ちくま学芸文庫)と「サルトル哲学序説」(竹内芳郎著・ちくま叢書)を使います。


お問い合わせは、白樺教育館(shirakaba2002@k.email.ne.jp) まで。武田康弘

※参加される予定の方は、「新サルトル講義」(澤田著)を読んでおいてください。
簡明的確で、全体像がつかめます。

 

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