思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

安倍首相は、いつも長州自慢。一番大事にしている米軍基地は、地元につくるのがベストです。

2019-02-25 | 社会批評

辺野古の海は、軟弱地盤で、もうとてつもなくお金がかかり、自然破壊の程度も半端ではない。

民意は、7割越えで、ノー。

まともな国なら、建設は不可能です。

アメリカ軍を最も大事に思い、何兆円もの税金で大量に武器を買い、うなぎ登りの防衛費。

安部首相は、過去のどの総理より、桁違いに米軍贔屓。

なので、新基地は、いつも自慢している地元の長州(山口県)につくればよいのです。


なぜ、そうしないのでしょうか?

わたしは、学生時代に1週間ほど山口県を訪れたことがありますが(梅光学院で従弟が英語の教師をしていたので)、広い土地があちこちにありました。

武田康弘
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優れた見解がfbの友人より寄せられましたので、一部をご紹介します。

佐谷 絵美

私も武田さんと同じことを、ずっと言っています。
真剣に国防を考えるなら、日本本土、しかも安部政権は、中国やロシアを仮想敵国にしているようなので、基地は山口県に造るべきです。それでこそ、国を愛する総理大臣というものです。
「本土が嫌だから沖縄に」なんて、それこそ平和ボケだと思います。

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北朝鮮の脅威をあれほど言うのなら、日本海側に基地があるべきと、私は思っています。岩国だけでなく、長門に造るべきです。辺野古なんていう、誰も攻めないような所に基地があっても、国防にはならないと思います。

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私はヘイトで「長門」と言っているだけではありません。実際に長門に何度も行き、対北朝鮮、対中国の基地に、正に長門はうってつけと思いました。地元は荒廃し、錆びれきっているので、基地になれば、安部総理が常々、沖縄に対して言っている「基地のお蔭で潤う」ことが、長門もできるでしょう。
国防からも、地域興しからも、長門は基地にすべきと、私は真面目に考えています。

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笠野 寿治

少なくとも海兵隊はどこにいても構いません。現状でもローテーションで動いており、沖縄に「定住」しているわけではありません。また、その任務、装備からして対中国、対朝鮮の防衛には何の役にもたちません。攻撃能力も迎撃能力もない、かえってミサイルの的になるだけです。そんなのを脅威に思ってはいないでしょう。それを「抑止力」だと根拠のない情報を垂れ流すメディア。あえて防衛というなら嘉手納基地です。沖縄の人もそれをなくせとは一言もいっていません。日本国民、特に「本土」の人たちが事実を知らなさすぎます。


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国土を壊して、米軍の新基地をつくる日本という国の行く末は暗い。 石橋湛山・田中角栄・小沢一郎の路線こそ。

2019-02-25 | 社会批評

沖縄タイムスより

「新基地建設は2013年の埋め立て承認後に発覚した新たな問題を複数抱える。特に、大浦湾側の軟弱地盤は地盤改良のため世界で実績がない水面下90メートルに砂(すな)杭(ぐい)を地盤に打ち込む工事や、7万7千本の砂杭の材料となる650万立方メートルの砂利の調達方法が不明などの問題が指摘されている。必要な砂利は県内の年間採取量の数年分に当たる。」



(東京新聞より)

国土を台無しにして、豊かで美しい海を破壊して、アメリカ軍の訓練基地をつくる。属国のような日本、沖縄犠牲。わたしは、何があってもそういう政府は支持しません。

アメリカのオバマ前大統領も、沖縄の基地の一部は米国内のグアムに移転すべき、と言っています。

40年以上前の田中角栄による日中友好の路線を復活させることで、米国との関係も正常化(属国路線ではない対等に近づける関係)します。外交は、保守革新派の石橋湛山ー田中角栄ー小沢一郎の路線がよいのです。安倍晋三のウヨク路線(明治維新の尊王思想による)は、何の得もない能無し外交です。愚かで危険で、あまりにもお粗末。


武田康弘


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こどもを躾けることはできません。 体罰という暴力の思想は、愚かで恐ろしい。

2019-02-21 | 教育



体罰がしつけ?


躾ける? こどもは「ペット」とは違い「主体性」をもった人間ですので、躾けることはできません。

一緒に遊び、学び、対話することを子育てというのです。子供を躾けることができると思うのは、愚かな妄想です。

何より必要なのは、視線や表情、ボディーランゲージを含む広義の対話です。

親(先生)と子は、心身全体で遊び、お話をするのです。ともに考え、学ぶのです。躾けるのではありません。

子どもを躾けようとする大人は、最低です。常習的な犯罪です。大人は見本や手本を示すことができるだけです。愛ある目をもつこと以上はありません。

子どもを大人のよいと思う型にはめる権利など誰も持っていません。

体罰という名の暴力を容認する思想をもつ人は、人間として終わっています。

 

武田康弘




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クルレンツィス・ムジカエテルナとコパチンスカヤ 墨田トリフォニーホール公演での演奏感想 文字通りの革命に感嘆!

2019-02-12 | 芸術

 

文字通りの革命と言える。

とんでもないレヴェルの弱音から、もの凄い厚みの強奏までダイナミックレンジの広さと躍動感は、ウィーンフィルにもベルリンフィルにもない美質。

ファッと浮き上がる音と沈み込む音の凄味。...
全身に鳥肌が立ち、熱が出る。
異次元の音楽で、通常の批評をしても意味がない。従来のオケとは別もので、再現芸術のクラシックの世界を超えている。曲がいま、新たにこの場でつくられたように聞こえ、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、自分が何を聴いているのかさえ分からなくなる。現代曲のようでもあり、ジャンルを超えた音楽のようでもある。超がつくほど音が生きている。細かく分析的に批評しても意味がない。

チャイコフスキーの交響曲4番は、今まで聴いたことのない強烈なまでの迫力をもつが、品位が高く、音は汚れない。いつまでもこの音楽の中にいたいと思った。自発性に富み、自由に羽ばたく音は、従来のオケにはない。ドイツ・カンマーフィルに近いが、うねるような柔軟性と音量の大きさには茫然としてしまう。粗削りな個所がある、という批判は可能だが、それは、彼らの主張・自由な音楽のつくり方が理解できない証拠だ。

コパチンスカヤのアンコールは3曲、

オケのアンコールは、なんと幻想序曲「ロメオとジュリエット」全曲で、明後日のサントリーホールでの演目の一つ。
これまたとんでもないレベルの演奏で、もう感動で頭も心身も満杯の大満足。古代アテネからの使者・クルレンツィスとムジカエテルナとコパチンスカヤ、世界中で革命を起こして、大騒ぎなのは当然だ。なんとも言い難い「夢のような時間」を過ごした。

組織人、団体人、国家主義者、「常識人」、既成秩序に囚われた人は、否定しないと自分がなくなってしまうと感じる彼らの音楽=存在でしょうが(笑)、聴衆の歓呼は、日本人を含む人間に希望を与えます。

感謝、ただ感謝あるのみ。

演奏後、なんとサイン会。おそらくホール始まっていらいの長蛇の列で、建物の最上階まで人がビッシリ。諦めた。いったいどのくらい時間がかかるのか。クルレンツィスもコパチンスカヤもスサマジイばかりの超絶演奏の後、全員にサイン!恐れ入る。

(以上は、昨日のfbをコピーしたものです)

武田康弘

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「クラシック音楽はつまらない」クラシック界の革命家 本日テオドール・クルレンツィスが初来日。関係者席を当日券で一般に。

2019-02-10 | 芸術

明日の墨田ホールと13日のサントリーホール共に完売ですが、関係者席を当日券で一般に発売するとのことです。
会場にお問い合わせください。武田

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「クラシック音楽はつまらない」クラシック界の革命家 テオドール・クルレンツィス待望の初来日

2018年9月首席指揮者就任コンサートの様子 SWR放送交響楽団提供

現在のクラシック音楽界に新しい風が吹き始め、もう無視することは出来ない。その台風の目である指揮者テオドール・クルレンツィスが、いよいよ2/10から自身のオーケストラ『ムジカエテルナ』を率いてはじめての来日ツアーを行う。

「クラシック音楽はつまらない」と現在のクラシック音楽界に疑問を呈し、音楽を通じて『人間革命』まで目論む夢追い人のクルレンツィスとは一体何者なのか。彼の来日は日本に何をもたらすのだろうか。

クルレンツィスとは何者か?

1972年アテネに生まれたテオドール・クルレンツィスは、母と叔父が教鞭をとるアテネの音楽学校の校舎内で育った。4歳でピアノを始めるが、ピアノの音はあまりにも身近にあり過ぎて、オーケストラの響きに惹かれ、8歳でヴァイオリンを始める。作曲もするが、そのうち、「自分は人と違ったことをオーケストラ譜から読み取れるらしい」と気付き、指揮の道に進む。敬愛するロシア人指揮者イリア・ムーシンに師事するためサンクトぺテルブルグに留学した時、既に晩年のムーシンにはヴァレリー・ゲルギエフやユーリ・テミルカーノフなどの優秀な弟子がいたが、「クルレンツィスは唯一の天才」と特別視していたと言われている。

クルレンツィスの革命

そんな「天才」が最初に活動の拠点として選んだのは、サンクトペテルブルグに残ることでもモスクワから西側を目指すことでもなく、シベリア鉄道で栄えた過去の街ノヴォシビルスクだった。それは、「真実が少ないクラシック音楽界を改革するには古い体制を破壊しなければならないが、既存のシステムが固まっていない土地では破壊せずに改革できるから」だと言う。そこで自分の求めている方向の音楽を実現してくれる仲間を集めてムジカエテルナというオーケストラを作り、徹夜で練習したり、録音したりする自由を得るためにノヴォシビルスク国立オぺラ・バレエ劇場の芸術監督になったのだろう。そうして世に送り出した録音がソニークラシック社長の目にとまり、ソニーと契約。《フィガロの結婚》全曲録音は2014年エコー・クラシック賞を受賞した。

2017年にはムジカエテルナのザルツブルグ音楽祭デビューを果たし、3年連続で当音楽祭の目玉公演を任されている。2018年にはドイツSWR放送交響楽団の首席指揮者にも就任し、今年の夏は彼らをザルツブルグデビューさせる予定だ。

クルレンツィスの何が特別か

まずは、再現芸術であるクラシック音楽が「伝統的な演奏」に縛られている限り、再現する意義を失うと、彼は確信して憚らない。音楽に大切なのは「今、生きている」音楽として生かしてあげること、そのためには、過去に生まれた音楽を、その後の時代の影響をふまえ、発展させたものとして演奏することによって、現代に再現されることの意義を与えられる。大切なのは、常にリノヴェイションしていくことだというのだ。彼の指揮する19世紀のイタリアオペラにビートが効いていて、ロックみたいな部分があったとインタビューで振ると、「音楽に対する愛から湧き出て来るエネルギーのなせる技。ロックはエネルギーがあるけれど、エネルギーがなくなると、クラシックになっちゃうから」と皮肉る。代々受け継がれて来た演奏規範を簡単に覆し、「これが現代に蘇る僕たちの解釈だ」と呈示する姿は、当然反感も買うが、魂に届くと心が震える効果を呼ぶのは嘘がないからだろう。彼ならば、新しいクラシック音楽ファンを生み出せるかもしれない。

音楽はミッション

彼は「音楽はミッション」だと言い、そのミッションには2つのポイントがあるという。1つは彼の音楽によって聴衆を幸せにすること、もう1つは、それによって聴衆をより良い人間にし、自分をより良く知れるように自分自身と対話する機会を与えることだという。彼は「一人ひとりが周りにより良く接することで、それが世界を変えていく力になる」と確信しているのだ。言葉で聞くと「それは理想論だ」と思うのだが、実際に彼の指揮する音楽を聴くと人類愛のようなものを感じる時がある。日本の皆様にも、是非その感覚を味わって頂きたい。

クラシック音楽を使った街おこし

現在彼が芸術監督を務めるペルミ国立オペラ・バレエ劇場はディアギレフ・フェスティヴァルを通して活気づいている。ソ連崩壊後中央集権的になっているロシアの音楽界に一石を投じて、寂れた鉱山の街だったぺルミを「音楽の首都」にする野望を抱いているという。そして本当に、フェスティヴァル期間が終わっても、「ここで音楽を聴いていたい」と移住してくる人が増えているというから驚きだ。その「音楽を通した街おこし」のアイディアは日本でも有効だと彼は話す。今回の初来日は彼の日本での革命の幕開けとなるかもしれない。

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従軍慰安婦の真実  元日本兵の娘さんのお話。

2019-02-09 | 学芸

FBの泉水さんの投稿をシェアします。
自民党や維新の会など保守の政治家は、とくによく読んでください。



泉水 美和子

5年前、従軍慰安婦が話題になり、めちゃくちゃなことを言う政治家に腹を立てて、わたしが父から聞いた話を投稿しました。
今年も何人かの方が、その時のものをシェアしてくださいました。ありがとうございます。当時、投稿したのが【本文】です。でも、その時、いろいろな方が教えてくださったことから、【捕捉】を付けたくなりました。その都度、シェアしてくださった方のところには送りましたが、まとめて再度投稿します。よろしかったら、読んでください。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
【本文】
写真は、私の父が18か19才。
徴兵されたときの軍服姿です。

父のアルバムで、この写真を見つけ、かっこよかったので、父の日の贈り物に絵皿に焼き付けてもらいました。白黒写真をカラーにしてもらいました。
でも、絵皿を見た父は、複雑そうな顔でお礼を言ってくれて、当時はなんでもっと喜んでくれないのか、不思議でした。今は、父の気持ちがわかりますが。

父に戦争の話を初めて聞いたのは、中学生の頃。
兵隊で中国大陸、ビルマまで行った父の話は、楽しい話でした。ビルマでは、「日本の兵隊さんが来てくれた」と村で大歓迎を受け、いろいろな料理でもてなしてくれ、中にカレーがあって、でも、これは辛いから日本人には無理と言われ、意地になって食べたら、気絶してしまったとか。
銃撃戦の中、後方で車の用意をしていたとき、流れ玉がスネをえぐり、倒れながら、「やった!野戦病院送りだ。看護婦さんにやさしく看病してもらえる」と思ったら、恐い軍医さんに「玉は貫通してるから、消毒して、あとは唾付けとけば治る」と、すぐ戦場にもどされ、あと一歩、前に出てればなーと、へこんだスネを見せながら、笑ったり。

高校3年の時、世界史のレポートで第二次世界大戦についての課題があり、関係資料を漁っていたら、従軍慰安婦問題の資料に出会いました。
高校生のわたしには、衝撃的な問題でした。
父に、これは本当にあったのか尋ねると、「あったよ。」

日本から来た女郎さんや芸者さんは、偉い人の愛人として迎えられていた。一般兵士には、朝鮮人の女の子たちがあてがわれ、粗末な小屋の前には、兵士が列をなしていたそうだ。
父に「お父様も並んだの?」と聞くと「可哀想でそんなことできなかったよ!」

まあ、聞く娘もなんですが。

「かわいい子たちだったねー。時々、休みがあり、その時は朝鮮の女の子たちを河原に遊びに連れて行ってあげたんだ。お礼にって、みんなで朝鮮の歌を唄ってくれた。看護婦募集に応募した子や、河原で洗濯していて、誘拐されたって子たちだった」

「野営地を移動する時、自動車(トラックの荷台)に具合の悪い女の子たちを乗せたら、上官からお父さんたち、死ぬほど殴られて、その子たちは、歩いてこれるならついて来いと、そこに捨てられた。可哀想でね。生き延びてくれていたらと思うよ」

父が語ってくれた戦争。

事実として、存在した拉致され朝鮮人の女の子の従軍慰安婦。

少なくとも父は、きっと亡くなるまで、彼女たちに申し訳ないと思って生きてきた名もない日本の少年兵士でした。

大阪市長で維新の共同代表は、どの立場でしゃべったのか知りませんが、非常時兵士には従軍慰安婦が必要だったなんて言われると、父まで侮辱されたような気になり、不愉快極まりないです。
人として、無理やり慰安婦とされた女の子たちに同情し、せめて自分たちは加わらないと決意をしていた兵士もたくさんいたのです。
年のいった兵隊さんで、「自分の娘と同じくらいの女の子たちが可哀想だ」と言って、加わらない人もいたそうです。
女性は性の道具のように、平然としかも、戦争を知りもしない人が、なぜあんな発言を公共の電波でするのだろう。なぜ、彼を支持し続ける人がいるのだろう。同じ日本人として、情けなさすぎる。

軍がやったのか、民間がやったのかなんて、わたしにはわかりません。

ただ、戦地で、朝鮮人の女の子の従軍慰安婦に出会ったわたしの父は、今、存命ならば、心からの謝罪をしたに違いない。何もできなくて、申し訳なかったと。
きっと、話を聞いていた17才のわたしと父の会った朝鮮人の女の子たちは、同い年くらいだったことでしょう。子を持つ親として、娘を持つ父として、この時の父は、どれほど思うことがあったろうか。
親となったわたしは、娘に事実を伝えようと語ってくれた父の勇気を誇りに思います。口をつぐむこともできたのだから。この事実を語ってもらえて、感謝しています。わたしは、謝罪の心を持てるから。そして、人に語ることが出来るから。

最後に、
父が河原に遊びに連れて行った女の子の中で、河原で拉致された子が話ったことです。
「こういうところで、洗濯していたら無理やりさらわれて車に乗せられ
、ここに連れて来られた。きっとお母さんは、わたしが川に落ちて死んだと思って、泣いているだろう。生きていることを知らせたい。でも、今の自分は見せたくない。どうすればいいんだろう。戦争が終わったら、お母さんに会いたいのに。」

この少女たちと、今、街中ですれ違う中学生や高校生との違いは、産まれた時代と場所だけ。同じ女の子です。
隣を歩いている女の子が、突然、拉致されて、不特定多数の男性の相手をする慰安婦にされてしまうなんて、考えられますか。
怯えて泣き叫ぶ女の子たちを殴りつけ、力ずくでレイプする。あきらめて抵抗しなくなった女の子たちを来る日も来る日も、集団レイプする。
それが従軍慰安婦の実態ですよね。
喜んで自分が兵隊さんたちの役に立ってるなんて、考える女の子がいると思う人は、いるのでしょうか。
他の国もやっていようがいまいが、そんなこと言う必要はない。
自分たちのやった行為のみを考えるていくべきです。そして、言い訳やごまかしをするのではなく、人と人の感情でお詫びすることは、しなくてはいけないと思います。

これは、私の創作ではありません。
日本軍に従軍した今は亡き父が、語ってくれた事実です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
【捕捉】
この投稿の中で、18、9歳のぺーぺーの新兵だった父が、休みの日に慰安婦の女の子たちを河原に遊びに連れていった話があります。どうやって、連れ出したのかを聞いていませんでした。普通に考えたら、あり得ないことです。
でも、この投稿に韓国人の方が、父が聞いたのと同じ状況で拉致された元慰安婦の方をモデルにしたアニメーションを送ってくれました。
それを見て、分かりました。
父は、軍の中で自動車部隊として、物資や人を乗せた車の運転をしていたといっていました。
アニメの中で、慰安婦たちは月に1回、車に積まれ、街中の病院に性病の検査に連れていかれていたというシーンがあったのです。
ああ、これだなと思いました。
父は、そのトラックの運転をする時があったのでしょう。
そして、帰り道、ちょっとだけ、バレないように河原に寄り道していたのだと思います。
多分、わたしの投稿を読んだ方で、同じ「なんで女の子たちを連れ出せたの?」と疑問に感じた方がたくさんいたと思います。
投稿後に、教えてもらった以上のことを捕捉しておきます。

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日本の歴史で、天皇という名(言葉)が使われたのは、500年間ほどに過ぎません。

2019-02-06 | 学芸

 天皇という名称(言葉)は、中国から輸入したのですが、最初に使われたのは「壬申の乱」で勝利し、『日本書記』の編纂を命じた天武です。ここから○○天皇という呼称が始まったいう事実はかなり知られていることですが、

では、その後はそのまま今日まで続いたのでしょうか? いいえ。



「名前でよむ天皇の歴史」遠山美都男著(朝日新書)に詳細に記されていますが、300年にも満たない短期間だったと知り、驚きました。平安時代前期の村上天皇までで、その後は、天皇という名称(言葉)は用いられなくなり、「○○院」に変わったとのことです。

 「天皇が、かつての権力を喪失して、せいぜい京都周辺に君臨する都市王権の首長になってしまった以上、その呼び名も対外的に通用するグローバルなものである必要はなくなり、天皇にゆかりの京都とその周辺の地名でいったローカルなもので十分」(286ページ)となったことを反映して、「○○天皇」から「○○院」へ。

 口語での呼び方は、みかど(御門)、おかみ(御上)、しゅじょう(主上)、こんじょう(今上)、とうぎん(当今)などだったとのことです。

 「天皇」という言葉が復活するのは、平安時代から800年以上経って、徳川幕府の力が衰えてきた江戸時代後半で、光格天皇からとのことですので、その後今日までの240年間は「○○天皇」と呼ばれる人物がいたわけです。

 神話上の人物を含めて時間を引き伸ばし、
しかも、すべて天皇という呼び名に変えて、
「紀元は2600年」と宣伝した明治-昭和前期政府は、日本を「天皇(現人神)を中心とした神の国」としたわけですが、
このデタラメを今日でも主張するのが、安倍首相ら閣僚もみな加盟するウヨク団体の「日本会議」です。幼稚な人々が政治の表舞台にいる国には寒気がします。

 

武田康弘
 

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NHKの時論・公論=国会からの行政監視こそ!との結語は、正鵠を射るもの。デタラメな厚労省の統計調査

2019-02-01 | 社会批評

 消えた年金のような展開を見せるインチキな労働統計の問題で、昨晩のNHK時論・公論では、結語として、国会(国権の最高機関)からの行政監視が重要と言っていましたが、

 まさにその通りで、わたしのblogの影響かどうかは分かりませんが(笑)、三権分立の民主制において、肥大化する行政機関を国会が監視する任務は極めて重いものです。

 それをないがしろにしてきた為に、行政機関の不祥事は日常的となり、正常に機能していません。とりわけ参議院に設置された行政監視委員会は、日常的に各行政機関の実態を調べ監視するもので最も重い仕事ですが、それを支えるスタッフがわずか数名というのでは、お寒い限りです。開店休業のような行政監視では国民の信託には応えられません。意識と制度の改革が急がれます。


10年前 行政監視に情熱を傾けた故・山下栄一委員長


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員)

 

 

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