思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

浄土真宗(東本願寺派)が声明文を発表ー立憲精神の遵守を。安倍内閣の新立法は、絶対に認められない

2015-05-31 | その他

以下は、自家の宗派である親鸞開祖の浄土真宗(東本願寺派)の声明文です。
http://www.higashihonganji.or.jp/news/declaration/10924/
浄土真宗大谷派(東本願寺派)のホームぺージより転写します。なお、太字と青字は、わたし(武田)によります。
真宗は、日本の最大宗派です。

お知らせ

 

2015年5月21日更新

安全保障関連法案に対する宗派声明発表

 

 このたび、国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、真宗大谷派では5月21日、宗務総長名による宗派声明を発表しました。

 日本国憲法の立憲の精神を遵守する政府を願う
「正義と悪の対立を超えて」

 

 私たちの教団は、先の大戦において国家体制に追従し、戦争に積極的に協力して、多くの人々を死地に送り出した歴史をもっています。その過ちを深く慙愧する教団として、このたび国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、強く反対の意を表明いたします。そして、この日本と世界の行く末を深く案じ、憂慮されている人々の共感を結集して、あらためて「真の平和」の実現を、日本はもとより世界の人々に呼びかけたいと思います。
 私たちは、過去の幾多の戦争で言語に絶する悲惨な体験をいたしました。それは何も日本に限るものではなく、世界中の人々に共通する悲惨な体験であります。そして誰もが、戦争の悲惨さと愚かさを学んでいるはずであります。けれども戦後70年間、この世界から国々の対立や戦火は消えることはありません。
 このような対立を生む根源は、すべて国家間の相互理解の欠如と、相手国への非難を正当化して正義を立てる、人間という存在の自我の問題であります。自らを正義とし、他を悪とする。これによって自らを苦しめ、他を苦しめ、互いに苦しめ合っているのが人間の悲しき有様ではないでしょうか。仏の真実の智慧に照らされるとき、そこに顕(あき)らかにされる私ども人間の愚かな姿は、まことに慙愧に堪えないと言うほかありません。
 今般、このような愚かな戦争行為を再び可能とする憲法解釈や新しい立法が、「積極的平和主義」の言辞の下に、何ら躊躇もなく進められようとしています。
 そこで私は、いま、あらためて全ての方々に問いたいと思います。

 「私たちはこの事態を黙視していてよいのでしょうか」、
 「過去幾多の戦火で犠牲になられた幾千万の人々の深い悲しみと非戦平和の願いを踏みにじ
  る愚行を繰り返してもよいのでしょうか」と。

 私は、仏の智慧に聞く真宗仏教者として、その人々の深い悲しみと大いなる願いの中から生み出された日本国憲法の立憲の精神を蹂躙する行為を、絶対に認めるわけにはまいりません。これまで平和憲法の精神を貫いてきた日本の代表者には、国、人種、民族、文化、宗教などの差異を超えて、人と人が水平に出あい、互いに尊重しあえる「真の平和」を、武力に頼るのではなく、積極的な対話によって実現することを世界の人々に強く提唱されるよう、求めます。
 

2015年5月21日
              
真宗大谷派(東本願寺)宗務総長 里 雄 康 意

 

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わたしが惹かれる演奏家二人の共通点、ポール・ルイスとイブラギモヴァ

2015-05-30 | 芸術

  ピアニストのポール・ルイスとヴィオリニストのイブラギモヴァ、この二人は、生まれも育ちも大きく異なります。

  ルイスは、1972年、イギリスもリバプール生まれ(今年で43歳)で、両親とも音楽には興味がなく、ピアノを習い始めたのは12才の時、
  片や、今年ようやく30歳のイブラギモヴァは、ロシア人で、4歳の時からヴァイオリンを習い、12才の時にイギリスに移住してメニューイン音楽学校に入り、彼の最後の弟子にして、わずか14歳でメニューインの追悼演奏を任されたという早咲きの天才です。

  わたしは、この二人をいま聴くべき最高の演奏家だと思います。独創的かつ普遍的な演奏で、新たな世界を拓きます。若さ・覇気・断固たる主張は実に気持ちよい。

   二人に共通する特質は、
自分が取組んでいる作品は、どのような音楽なのか、どこにどのような魅力があるのか、それが極めて明瞭に表出される。
その曲の何を表現したいのか、見事なまでにピントが合っていて、内的明瞭。「一般的」に優れた音楽を奏でようという、だるさ・つまらなさが皆無。
自然に=内発的に湧き上がる音楽で、何度も聴きたくなり、気持ちがよい。
どのように聴かせようか、という作為がない。 外側から設計された音楽ではなく、内なる世界、主観の豊穣による自信に満ちた音楽、他者の評価に怯えるような弱さがない。

  21世紀は主観性の豊穣の時代へ! みなが自己肯定と愛に満ちた自由な世界を生きよう!というわたしの主張とピタリと符合します。二人の演奏は、どんな悲惨も乗り越える~~~

     クリックで拡大

   その二人が、今年10月、共に銀座の王子ホールでリサイタルを開きます。イブラギモヴァは、モーツァルトのヴァイオリンソナタ全曲演奏会(5回のうち3回)、ルイスは、ベートーヴェンのピアノソナタ最後の3曲です。う~~ん、いまからドキドキ。CDに聴くルイスのベートーヴェンは、初期中期は万全、最後の3曲はまだ発展の可能性があるので、当日が楽しみ。イブラギモヴァは、モーツァルトの録音がないので予想の付かない面白さ。その直前・9月27日にはモーツァルトの協奏曲を東京交響楽団と。これも聴きます。小林洋子さん設計の評判の名ホール・川崎ミューザです。忙しい!!(笑)。ああ、10月4日 はウィーンフィル(サントリーホール)も行くのだった!充実しすぎでどうなることやら(笑)

武田康弘

 

 

 

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度し難い愚かさー都教育委員会の悪役人たちー地裁と高裁の「君が代」判決後も居直る! 辞職を勧告する。

2015-05-29 | 社会批評

 「君が代」(明治天皇賛歌で皇族は歌わない)で起立しなかった教員を停職にしたのは憲法違反との東京高裁の昨日の判決は、先日の東京地裁の判決とともに、きわめて常識的で、近代民主制の大原則(互いの自由と対等ー人権思想に基づくルール社会)を確認したものですが、行政権力の乱用を繰り返す東京都教育委員会は、判決には従わず、「今後も同様に処分する」と述べています。

 これは、民主制による行政行為を大きく逸脱する言動で、独裁国家の役人と変わらぬ悪行と断ずるほかありません。
 なんの権力ももたぬ弱い立場の教師に対して、裁判所の決定を覆そうと上告するのは、「行政権力というとてつもない力」を持つ側がしては絶対にいけないことです。行政裁判で行政側が敗訴した場合は、上告せずに従う、を原理としなければ、個人は永久に凌辱され続けます。これは、民主制を基から消去する底知れぬ悪=公共悪であることを認識しなければなりません。

 ましてや、裁判所の判決には従わないというなら、即刻辞職しなければなりません。これは、わたしの個人的見解ではなく、民主制社会の原理です。
  東京都教育委員会の幹部は、きちんと返答しなさい。猛省を促します。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

FBへの追記

 民主制社会下では、行政裁判で行政側敗訴の場合は、行政は上告できない制度にしないと、個人の負担が重すぎて、民主制が機能しないですね。「行政の良識」でそうすべきですが、それができないほど劣化しているのなら制度を変えないと。

 それにしても、いったん敗訴の判決がでたなら、その判決が有効な内は、従来の方針を変えなければなりませんが、それさえしないという居直りは、到底許されるものではありません。裁判の意味が消えて、権力分立の原則まで無くなってしまいますー行政権力の独裁は、ヒトラーの戦略でしたが、戦前の天皇主権下でも制度上異常に肥大化。


  武田康弘(元 参議院行政監視委員会調査室・客員調査員・哲学講師)

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武田哲学へのインタビュー  実存とは何か?    内田卓志

2015-05-27 | 恋知(哲学)

    武田先生                      内田卓志

    一休みしたところでインタビュー・質問の続きです。
  主観性の知について、語っていただいています。今までは、その認識論的・存在論的な側面についてのお話でしたが、次にその実存論的な側面について伺います。

...

  まず、実存という言葉について伺いたく思います。一般的には実存とは、古代ギリシャからある概念と言われていますが、20世紀の思想的・哲学的成果の一つと考えられています。実存主義とか、実存哲学とか言われます。サルトルやヤスパースは、自らの思想・ 哲学 にその名を与えました。日本でも実存的不安という言葉が流行したのはいつ頃だったでしょうか。評論家の山崎正和氏が、実存(主義)的分析を自らの評論、『不機嫌の時代』で見事に応用したことを想い出します。

  それでは武田先生の考える実存について語っていただき、その後、教育と主観性の知における実存の問題、近代と実存の問題、そして、社 会と個人の問題へ話を展開できればと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 内田さん

 わたしは大学の哲学徒でもありましたから、実存(現実存在の略)の思想を哲学史の中におく見方も分かりますが、今は、それらはわたしの思索の肥料になってしまい、そのものとしては検討する必要を感じません。

 以下に、わたしの実存の定義やそこから得られる帰結についてお話します。

 わたしのいう「実存」とは、私は、一回限りの私の生を生きている、という自覚を意味します。ほかの誰でもない、ただ一人のこの「私」が生きる、という明晰な自覚をもった生を実存としての生と呼んでいます。実存の明晰な意識化は、必然に私の生の意味充実を目がけます。

 私は世界の中に生きていますが、世界の意味を汲み取るのは、私の意識です。何をどのように見、考えようと、私は私の意識を超えてその外に出ることはできません。私は外なる存在をはっきりと意識できますが、それも「私」の意識であるというパラドクスから逃れられません。この認識論の原理は、実存として生きる以外に人間の生はないことを教えます。

 したがって、私にとって意味のないことは認識の対象にはなりえません。他者が意味あるものとして遇する事象も、もし私がそう感じなければ私には存在しないも同然です。これは原事実です。人間の認識は関心がなければ成立しないので、関心が認識の出発点ですが、関心はこの一回限りの生をいきる「私」の関心ですから、実存としての生と重なっています。認識と実存が結び付いてることを知ること は、フィロソフィ(恋知)の原点なのです。

 主観と結び付いてしか客観はなく、客観それ自体を問うことが理に反するのは、現代ではすでに「常 識」になっていますが、 主観とは、抽象的な人間の主観ではなく、最後は必ずこの「私」の主観でなければなりません。それを離れれば主観は根付く場所を失い、ただの言葉=概念に陥ります。もしそうなれば、言葉や数字を概念としてだけ扱う精神疾患者(アスペルガーの一種)の意識と同じなってしまいます。 生々しい実感・ピントの定まったクリアーな意識を伴わない主観とは生きた主観ではなく、ただの言葉=概念です。要注意。

 人間の主観としての意識が、この世界を世界として定立させ、世界に意味を与えているので、各自の人間存在は、物の存在とは存在のありようが逆です。物はそれ自体で存在しますが、人間とは意識存在で、物やさまざまな事象を意味づけ価値づける主体者です。意識のない人間とは人間ではありません。ここで注意すべきは、前意識や無意識の存在ですが、意識されない意識としての無意識領域も、それが意識=自覚にもたらされた時にだけ現実的な意味をもつことです。検討・吟味(=意識化)されなければ意味をもちませんので、無意識領域を実体化させて物の存在のように見てはダメです。

というわけで、どこまでも「私」が見、感じ、想い、考え、生きるという根源的な事実から目を離さないこと、それを明晰に自覚することが「実存」という意識です。繰り返しますが、実存の明晰な意識化は、必然に私の生の意味充実を目がけます。

 

 この人間の生の原理が自覚された時にはじめて各自の私は協力や共同が可能となり、各自の実存は、 響存(響き合う存在)ともなります。各自の「対立」は、対立があるからこそ豊かな成果をあげます。対立は否定ではありません。必要不可欠な人間の生の要素です。 自己であれ他者であれ、否定したら元も子もなくなります。大事なのは「対立」で、それゆえに各自の実存は輝くのです。この話は、すでに教育論に移行していますね。では、また。



武田康弘

 

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国会の戦争法審議入りの後、きわめて意図的に中国脅威を煽るNHKという名のインチキ放送局。公正さなし。

2015-05-26 | 社会批評

いまのNHK7時のニュースは、国会の安保法制(という名の実態は「戦争法」)審議入りのニュースの後で、中国が自国の領土を埋め立てているのは、軍事的脅威だと強調するニュースをアメリカのコメントを交えて流し、そのあと連続して、中国に炭素繊維を売った会社を摘発(炭素繊維は軍事用に転用される恐れありとのことで)というニュースを流して、きわめて意図的に「反中国」熱を煽る番組づくり、明らかな国民誘導=洗脳ニュースでした。

おまけに、中国が、「日本が戦後体制からの脱却をはかっている」という発表をしたのを受けて、菅官房長官の反論ー「日本が戦後レジームからの脱却をはたそうとしている、との指摘は当たらない。」という満点大笑いのコメントを放送していました。「戦後レジームからの脱却」は安倍の基本思想で、繰り返し言われてきたこと、それを、そうではない、と言う????

あんまりバカバカしくて、政府は低能か、健忘症か、ただのおおウソつきの集まりのようですね。日本政府は、どこの国の政府よりもいい加減!!そのバカバカしさを「真理」のように報道するのがNHK。明らかに公共放送ではなく、政府放送局でしかありません。

真面目にやれよな!!体制べったりのインチキ放送は、公共放送ではありませんよ。



武田康弘

 

 

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明治神宮ーー戦前の「天皇教」を広める活動を続ける。とんでもない話です。

2015-05-25 | 社会思想

  今の天皇の明仁さんも否定している明治政府作成の「天皇教」、これを広める活動を続けるのが、明治神宮の崇敬会ですが、以下は、その【会員実践綱領+教育勅語】です。呆れ返るとしか言いようがありません。日本ってなんなの????

  戦前の異様な思想(明治政府が作成した国体主義=靖国思想=天皇教)を反省せず、これでは話になりません。世界の孤児になります。自由・平等に基づく基本的人権は侵害されます。

 ちなみに『勅語』とは、日本国の主権者であり現人神であった明治天皇より、臣民(統治される民)に対して与えられた「お言葉」です。

 

 教育勅語のシメは、「この道は、実にわが皇祖皇宗(皇室の祖先と宗教)の遺訓にして、子孫臣民のともに順守すべき所 」となっています。これほどの絶対化・「超上から目線」の言葉などどこを探してもないでしょう。神託です。あなたは、何さまなのですか?あ、そうですね、人間ではなく神の子孫でした。それで主権者!こういうトンデモない思想を今なお支持する人がいるとは、驚天動地!

 

 

 

 

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無条件降伏ーー戦前思想を【悪】として断罪しなければ、いまの市民生活はありません。

2015-05-23 | 社会思想

  ポツダム宣言受諾・無条件降伏=【戦前日本の悪】 これは、あまりにも当然のことです。

 

 「天皇現人神」という明治政府がつくった国家宗教=靖国思想をバックに、中華民国や英米ら連合国と戦った皇軍の戦争を【悪】としなければ、戦後の世界は成立しません。

  国家の主権者が天皇であり、それが軍隊の統帥権を持ち、かつ宗教上の権威者(=現人神)という国家がいまなお存続していたら、誰もが言葉も失うでしょう(これが「大日本帝国憲法」の規定だったわけです)。

  軍国日本の行為のみならず、それを支えた思想を【悪】として断罪しなければ、今のわれわれの市民生活はないのです。この当然のことの明晰な自覚化が何より大切です。

 

  以上の分明な見方さえ共有できないなら、日本人はおしまいでしょう。世界の孤児になるほかありません。

 

  武田康弘

 



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明治の旧~い道徳ー江戸以前。ようやく「春画展」開催-どこまでおバカなわが日本国。

2015-05-22 | 学芸

なんと、江戸の浮世絵師たちの春画展がようやく日本でも開催とのニュース。

あんまり遅れ過ぎで、ほんとにおバカなわがニッポンですね(嘆)。
とりわけ警察は、戦前の国民抑圧機関のまま❓いまは、民主国=市民主権のはずですが~~~警察官僚の諸君、税金で食べてることを片時も忘れてはいけませんよ!皇室をはじめ、すべての公務員も同じですから、深く自覚すべし、です。

あんまりの低レベル、「厳禁の精神」という名の歪んだ心の俗物たちに怯えるレベルの低さと弱さには、毎度毎度呆れ返るだけ。
ああ、そうか、『ポツダム宣言』の内容も知らない人が総理大臣という哀れというか、お笑いレベルの政府ですから、当然でしょうかね~~。

程度の高いのは、名もなき市民たちですが、どうも自信を持てない(持てないように教育されている)人が多く、「よさ」が広がりません。
芸術においても、ピカソやロダンに衝撃を与えた春画は、江戸時代につくられていたのです。支配層は歪み劣っていても、民はレベルが高いのです。

 
武田康弘

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日本と戦後世界にとって最重要な文書「ポツダム宣言」を知らない!安倍首相は終わり。

2015-05-21 | 社会批評

『ポツダム宣言』(米、英、中華民国の三国の宣言)1945年7月26日ポツダムにて は、わずか13項目からなり、2、3ページに収まる簡明な文書です。

これを受諾して敗戦した日本は、その再出発にあたり、ポツダム宣言を反故にする政策をとることはできません。反故にするなら、もう一度、大戦を起こして勝たねばなりません。

 

以下少し抜粋して示します。

1(全文)われわれ合衆国大統領、中華民国政府主席および英国首相は、数億の人の国民を代表し、協議の上、日本国に対し、今回の戦争を終結する機会を与えることで意見が一致した。

2、合衆国、英帝国、および中華民国の陸海空軍は、日本国に対して最後の一撃を加える態勢を整えた。

3、われわれの軍事力の最高度の使用は、日本軍隊の不可避かつ完全な壊滅を意味し、また、日本本土の完全な破壊を意味している。

6(全文)われわれは、無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまでは、平和と安全および正義の新たな秩序が実現できないことを主張する。したがって、日本国の国民をだまし、彼らに世界征服の虚に出る誤りを犯させた者の権力および勢力は、永久に排除されなければならない。

8(全文)「カイロ」宣言の条項は履行されなくてはならない。日本国の主権は、本州、北海道、九州、および四国ならびに、われわれの決定するいくつかの小島に限られる。

13(全文)われわれは、日本政府がただちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつその行動における同政府の誠意について、適当かつ充分な保障を提出することを要求する。これ以外の道を日本が選択した場合、迅速かつ完全な壊滅だけが待っている。

 

安倍首相は、この「ポツダム宣言」をきちんと読んだことがなく、内容を知らない、と昨日の志位共産党委員長との党首討論で言いました(驚天動地)。

もう、言葉がありません。論評するのさえバカバカしい話です。国政に携わる人間が、「ポツダム宣言」の内容を知らない!!??到底ありえない話です。即刻辞任するほかないでしょう。安倍政権は昨日で終わりです。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員 哲学講師)

コメント (4)
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「集団的自衛権」 元ミサイル部隊の自衛官が、首相の政治生命を断つ!いいねー24万件!

2015-05-20 | 社会批評

安倍首相の政治生命を断つ名演説、ぜひ、広めてください。
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/40768d2be233f251b6ff75903613f0db

昨年7月に、元・防空ミサイル部隊所属の自衛官・泥 憲和さんによる「集団自衛権反対」の街頭演説をご紹介したところ、現在までに「いいね!」を24万件(昨日、また1万件増えて24万件に)頂きました。

当然の権利である「個別的自衛権」とは異なり、他国がする戦争に参加する権利を「集団的自衛権」と呼びますが、自衛権という言葉にだまされて意味が分からない方が多いようです。

泥 憲和(どろ のりかず=本名)さんが生涯ではじめて人前で話したこの街頭演説は、多くの人の心をとらえ、ネットや口伝で広まり、24万件という驚異的な数の「いいね!」を生みましたが、いま、いよいよ安部首相は、【戦争法】をつくり、ごり押しで国会を通そうと画策していますので、ぜひ、真実を知り、みなで安倍政権を終わらせようではありませんか。

日本国民みなのために!


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員)

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公共悪の代名詞=安倍という首相は、言葉の詐欺師、「戦争法」であることは、客観的な事実。

2015-05-19 | 社会批評

日本が攻撃対象でなくても自衛隊の海外派兵はある」ーそれを可能とする法案をつくる、と安倍首相は言いますが、誰が見ても、戦争放棄をうたった憲法理念に反するのは明白な事実です。

日本国憲法を反故にすることで生じる実定法の不備を一挙に束ねて通す、これは、客観的には、安倍内閣による日本国家の乗っ取りです。安倍など一部の政治家による全国民の支配であり、到底許される行為ではありません。

その法案を平安法と呼ぶ!!!???
もう詐欺行為さえ通り越し、嘘の象徴。

「戦争するための法整備」(もちろん明白な憲法違反)であることは論をまちません。反論不能のはず。

 

http://lite-ra.com/2015/05/post-1099.html
安倍が戦争という言葉の取り締まりを本格化!なんとかに刃物という諺があります。

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員・哲学講師)

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オスプレー死亡事故、でも、「オスプレーは安全です。」との日本政府発言、ただのバカ? 恐怖の映像付き

2015-05-18 | 社会批評


     (この写真は2007年の事故)

菅官房長官は、ハワイでのオスプレーの事故(12名負傷、内1名死亡、火災炎上)を受けて、記者会見で、「オスプレーは安全です。」と発言。

これでは、ただの馬鹿というほかなく、開いた口が塞がらない、の見本です。

今までも幾度も事故を起こしていて、安全とは程遠い存在であることは誰でも知っていますが、それでも「安全です。」!!??

原発と同じ、100パーセント事故は起きません。と自民党と政府関係者はず~~と言い続けてきたのはどなたもご存知の通りですが、あんまりデタラメが続くと不感症となり、ウソ偽りが常態になります。国体思想の自民党がつくる日本とは、ものすご~~い国です。世界に冠たるニッポン!!(満点大笑い~~)。笑ってはいられません。アメリカ軍のポチ+戦前思想の内閣の打倒が必要不可欠。


驚愕のオスプレー着陸の映像
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=nZMcOSRYE2c


今回の事故の映像
https://www.youtube.com/watch?v=xRuM1DsGDtY

 


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員・哲学講師)

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ポール・ルイスの「ディアベリの主題による変奏曲」ーついにディアベリの真価が露わに。

2015-05-16 | 芸術

 バッハの「ゴールドベルク変奏曲」を超えて、ピアノ音楽の頂点に立つベートーヴェンの「ディアベリの主題よる変奏曲」は、演奏がとても難しく、ピアノソナタでは情緒音痴に過ぎなかったポリーニによる予想外の名演でその真価を現わしましたが、ポリーニではまだ静的に留まっていたディアベリは、ポール・ルイスの演奏で、その全貌を露わにすることになりました。

  もちろん、これは私の主観的見方です、音楽家や愛好家の共通意見ではありませんが、強い感度でそう思うのです。

力に溢れ、
輝き、
推進力が強い。
既存の世界を打ち破るロゴスを持ち、エネルギーに溢れる。

というルイスの演奏の特質を並べると、これは、ベ-トーヴェンだ!

彼の示す美しさや品位は、近代市民社会の「市民」のもつ善美そのもの。
昔の王や貴族がもつ質ではなく、俗物エリートがもつ質でもなく、成金者のもつ質でもない。

ベートーヴェンと同じくシチズンシップに基づく美質だ。私=個人から始まり、そこから立ち昇る善美の世界だ。道ですれ違った時に「王侯たちの方から挨拶するのは当然のこと。」と言い、へりくだるゲーテをたしなめた共和主義の偉大な個人・ベートーヴェンの精神と重なる。

何度聴いても、
保守主義、アナクロニズムの停滞や濁り、絶対的なものへの固着、怠い精神、横暴な権力意思・・・というマイナス価値を根こそぎにする「私」(個人)から立ち昇る見事な力に胸のすく思いだ。

ピアノ音楽の頂点であり、かつ、市民革命の自由な精神に基づく音楽は、超気分いい!!(笑) ぜひどうぞ。

 

武田康弘

 

 

 

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「安全保障関連法案」閣議決定ーーアメリカ軍に吸収される日本国という選択。中国敵視政策の愚かさ。

2015-05-14 | 社会批評

集団的自衛権とは、日本の防衛についての権利ではなく、アメリカ(など)の戦争行為に日本も参加する権利のことで、朝鮮半島の有事とは何の関係もない。
マスコミがこんな単純な事実さえ伝えないのは、《意図的な誘導》でしょう。

今日、閣議決定した「安全保障関連法案」は、アメリカとの軍事協力を現実に行う目的でつくるわけですが、安倍首相が、それを安全とか平和という文字を使い語るというのは、あまりにも露骨な詐欺行為です。

批判をそらすために、首相は、「極めて限定的に集団自衛権を行使できるようにした」と述べましたが、集団的自衛権の行使に限定があったり、なかったり、というのは、意味不明です。そうではなく、実際にどのような場面で海外に自衛隊を出すのか、それを限定的にしたい、という訳でしょうが、それを、「海外派兵・他国の戦争に参加できる権利を限定的にする」と言ったのでは、訳のわからない話にしかなりません。権利はあるかないか、行使できるか出来ないかのどちらかしかありません。その実際における行為の程度は、その時々の政権が判断するのです。行使できる権利それ自体を限定するという法案は、つくりようがないのです。毎度毎度、ゴマカシのための物言いにはだた呆れるのみ。

また、いま急に!日本の安全が脅かされる事態になった??という現状解釈は、笑い話のレベルでしかなく、こんなことをよくシラフで言えたものです。

中国と太いパイプをつくり交流を活発化した小沢一郎さんとは真逆な中国政策、わざと、中国の反発を買う行動や発言をし、中国の怒りを呼び寄せておいて、軍事的にも対中国包囲網をつくる、アメリカ軍の完全なポチとなって、日米軍事同盟を有効に発動させようというのは、われわれ国民に大きな負担をさせ、損失を被らせる【公共悪】としか言えません。

ウヨクの人たちは、よく国賊とか売国奴という言葉を良識派の人たちに浴びせますが、その言葉が一番似合うのは、いまの安倍政権とそれを支える人たちではないでしょうか。今までの平和主義、海外に自衛隊は出さないという憲法で定めた国家のあり方が世界から評価され、日本は単純な英米中心主義とは違うという信用を得ていましたが(小泉政権で一時失った)、それが元から崩れ去ることになるのですから、これほどの【国益損】はないでしょう。

世界覇権主義のアメリカ軍と一体化した日本国、なんの独自性もない選択、なんという愚かな選択であることか。自国の防衛ではなく、アメリカ(など)と協力して戦争を行う権利を行使するために憲法に反する「安全保障関連法案」を閣議決定する。事実としてこれでは「違憲内閣」というほかありません。すでに国家権力の正当性を失っています。

 

武田康弘(元・参議院行政監視委員会調査室・客員調査員 哲学講師)

 

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ベートーヴェンの合唱幻想曲を聴いています。誕生日にふさわしい!

2015-05-14 | 学芸

 ベートーヴェンの合唱幻想曲を聴いています。誕生日にふさわしい!(笑)
大好きな曲、形式がない、自由で、どこまでも伸びやかで、いつ聴いても最高の高揚感が得られます。

   わたしは、あらゆる音楽を聴いてきましたが、やっぱり一番はベートーヴェン。
彼ほど、「私」(個人)の感情の多面性・豊かさを現わし得た人はいません。人間性の肯定の大胆さと美しさ!!

  ヘーゲルと同国・同時代人のベートーヴェンは、言いました。「わたしの音楽は、あらゆる思想、哲学を上回る啓示だ。わたしの音楽の意味を見抜き得た者は、人生のあらゆる悲惨から免れることができるだろう」と。

 まことにその通りです。

 合唱幻想曲のラストは、頭から指先まで、全身に鳥肌が立ち、感動で震えがきます。ベートーヴェンにはじめて会ったゲーテの友人の女性は、「ベートヴェンの力は、あなたさえ忘れさせた。」と書きましたが、その感じはとてもよく分かります。

 合唱幻想曲が終わり、興奮を痺れるために、そのまま第九をかけました。
いまは3楽章。ここで終わりにしましょう。

  演奏は、共に、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 ロマンティーク革命管弦楽団 モンテベルディ合唱団。シャープでまさに革命的なピリオド楽器による演奏。
『白樺教育館』新館の開館記念(2014年2月1日)にもオープニングソングとして流したものです。


武田康弘

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