思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

野中さん、鳩山さんを非難するのは間違いです。領土問題は、両方の主張を公平に知ることが絶対条件です。

2013-06-30 | 社会批評

言うまでもなく、領土問題に、絶対的・客観的「正解」はありません。

互いの国の主張を公平に聞かないと、解決の糸口さえつかめません。

互いに、複雑な歴史、互いに譲れぬ思い、を抱えていますし、

政府の公式見解と、一人ひとりの正直な思いにはズレもあります。

日本側だけの問題に絞っても、戦前の思想や歴史を正当化しようとする人々がいますし、

戦後の民主主義を守り育てていこうとする人々もいます。両者は相容れぬほどの隔たりがあり、一口に「日本の立場」など言えたものではありません。

政治権力を用いて、教育改革をし、こどもたちを日本主義とでも呼ぶべきイデオロギーで一つにすれば、国論は一つになるでしょうが、それでは北朝鮮と同じです。

日本、日本、日本、わが国立場、わが国の立場、わが国の立場、は、よいことを、得も徳も生みません。

一番大切なのは、しなやか、柔らか、自由、公平、寛容、・・・「豊かな人間としての日本人」を目がけることではないでしょうか。

わが国は、「天皇現人神」の思想の下、15年戦争の末に敗戦したという事実を持ちます。まず、しっかり事実を受け止め、これからは、愛情と理性に基づく生き方ー考え方をしたいと思います。


武田康弘

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ミヒャエル ザンデルリンクの素晴らしいインタビュー記事。

2013-06-27 | 趣味

一昨日ブログに出しました、サントリーホールでのミヒャエル ザンデルリンク・ドレスデンフィルハーモニーの演奏。
その感動を裏づけるようなインタビュー記事を見つけましたので、ご紹介します。スバらしい!!

なお、全文は、クリックで出ます。

Q: そこでマエストロに伺いたいのですが、いま、伝統から生まれる特別な音、とおっしゃいましたね。しかし、どうしてそのような「特別な音」になるのか、私たちはただ「長い伝統から」と言われてもピンとこないので、具体的な要因を知りたいのです。その音は、ずばりどこから、なにから生まれるのですか? ぜひお話ください。

MS: なかなか、鋭い質問ですねえ。まさに、みなさんが不思議に思う点でしょう。しかし・・・言葉で説明しろと言われても・・・(笑)。音楽に携わる私たちの役割は、全てとは言いませんが、ある種「魔法」みたいなもので(笑)。しかし、がんばって説明してみましょう。それは、ドレスデンの地理的な位置に因るところが大きいのです。ドレスデンは、ボヘミア族の住む地域にとても近い位置にあります。19世紀音楽史において、ボヘミア族の音楽は非常に重要です。ドヴォルザークしかり、スメタナしかり、です。彼らの音作りには、深みや濃さ、といったものがあります。たんに「民族音楽」というものではなく・・・音そのものの深み、そして重み、暗さ。そして、家族の起源をその民族にもつ音楽家が、ドレスデンのオーケストラに多数在籍していました。彼らの仕事によって、ドレスデンのオーケストラに独特の音色が構築されたのです。今日もなお、私たちはその創造の恩恵を受けている、というわけです。この音のことを「ドイツ特有の音色」(deutsche wunderHauch)という表現で呼ぶのです。


Q: なるほど。そこまで地域性に根ざしていることを、私たちは知りませんでした。

MS: もうひとつの理由は、政治的な状況です。ここ40年間ほど・・・誤解を恐れずに言えば、ドレスデン人は自信家で、周囲の政治状況にあまり影響されなかったと思うのです。これは、音楽の伝統を保つにはよいことでした。世界はいわゆるグローバリゼーションの時代ですが、私たちは、それに対し無頓着ですらあった、と言ってもいいでしょう。結果として、私たちは、音の独自性を守り抜くことができました。自分たちの気質を誇りに思ってもよいですね。

Q: ご説明、とてもわかりやすかったです。6月に実際に音を聴いてみて、きっと「このことか!」と納得できると思います。

MS: きっと納得していただけると思いますよ。  (うん、十分に納得-武田)

Q: マエストロはすでにチェリストとしてドレスデン・フィルと数多く共演され、また、指揮者としても数年の時間を過ごされていますね。この期間に、ご自分が感じた、オーケストラの音楽的な進歩がありましたら、話していただきたいのですが。ご自身の音楽性についてでもけっこうです。

MS: キーワードはやはり「伝統」なのですが、「伝統とは諸刃の剣で、危険でもある。」という発見をしたことです。何年も同様の演奏様式を踏襲していますと、他の視点から見てみる、ということをしなくなります。「あ、この曲か。」と思うと同時に「演奏法はこれ。」と決めてかかってしまうのです。結果、つまらない、たいくつな音になってしまいます。私がオーケストラのメンバーとともに心がけ、目下、成果が出ているな、と思われるのは、まず、これまでに築き上げられた奏法を守ること、得意とする演目を持ち続けることは大前提です。しかし、同時にその曲の可能性をひろく受け止め、奏法のディティールをもういちど明確化するのです。その曲がいわゆる古典なのか、バロックなのか、近現代、コンテンポラリー奏法によるべきものか、を考えます。このプロセスによって演奏技術は前進すると思うのです。強みは、すでに私のオーケストラが、それらの作業に必要な技術を持っていることです。ハードな練習にも耐えてくれますし、みな、それを楽しみながらこなしています。全員が納得して演奏できるスタイルはどういうものか、可能性を広げるプロセスに燃えていますよ。



Q: 素晴らしいですねえ。マエストロが、ご自分のオケのメンバーを形容するとしたら、どんな言葉で表現しますか?「働き者」ですか、「賢い人たち」ですか、それとも「夢想家」ですか?

MS: (まず大きく笑う)いま、おっしゃった全部ですよ! そしてさらに、なによりまず「意欲あふれる人たち」ですね。音楽に対して意欲があり、新しい発見にむけて意欲があり、発見したものを舞台でショーアップすることにも意欲があり、真の意味で「ライフ・ピープル」、日々生きていることを満喫している人たちだと思います。昨夜の演奏をそっくりそのままくり返せばそれでいい、と思っている人はひとりもいません。毎日が新しいなにかをみつけ、作るためにあるんです。

Q: 聞いていてほんとうに頼もしいです。今回の演目にはベートーヴェンとブラームスの交響曲がありますが・・・まさに「渾身の」プログラムなんですけれども・・・

MS: ・・・はい、そのとおりで。

Q: ドレスデン・フィルが本領発揮するためのプログラムです。

MS: ええ。ドレスデンだけでなく、すべてのドイツのオーケストラにとって主軸となるレパートリーです。そのなかにあってやはり私は、私たちならではの、特別な、現代的な視点に立った演奏をお聞かせできれば、と思っています。これらの古い演目に対して議論される、こんにちの音楽界の信頼してしかるべき主張には、敏感に耳を傾けるべきだ、と考えるからです。すでにここ20~30年ほど、中央ヨーロッパにおいて意識されている「本流追求」の傾向がありますが、私はこの流れを、演奏をもって皆様に知っていただきたいのです。

Q: 日本の音楽ファンは、一般にとても勤勉で、レパートリーや作曲家に関して、かなり知識を持っています。コンサートの観客で、事前に勉強する人も少なくありません。

MS: ええ、よく存じ上げております。

Q: ですが今日は、あえてマエストロに「この曲を聞くのなら、ぜひここを聞きなさい。」というアドバイスを伺いたいのです。

MS: もちろん、いいですよ。どの交響曲について語ればよいですか?

Q: ブラームスの交響曲第1番と、ベートーヴェンの交響曲第7番について、よろしくお願いします。

MS: ブラームスの第1番、これには、明快な解説ができます。ブラームスは、この最初の交響曲を発表するまでに20年の準備を要しました。第1楽章に感じとれるもの、それは「闘い」です。揺るがしがたい・・・ええっと・・・英語で、なんでしたっけ、そう、"Fate"(=運命)です、運命との闘いが、刻まれていくダン、ダン、ダン・・・という、リズムのひとつひとつに聞こえてきませんか。私はそこに、ブラームスが、「私は宿命のもとに20年の迷いの時期を渡ってきた。」という思いをこめていると感じます。そうやって自分自身を前へ、前へと励まし、ついにこのシンフォニーを世に出すときがきた、という、彼の思いです。そこを感じ取ることが、まず、いちばん面白いのではないでしょうか。雄大な交響曲は他にも数多くあります。当時の交響曲は四つの楽章から成り、どの楽曲にも独創性があるわけですけれども、わけてもブラームスのこの作品には、たんなる形式の長短・大小を越えた、「内容」の大きさがあるでしょう。その点において、彼の交響曲第1番は、新しい形式だったのであり、音楽史的にも非常に重要な作品と言えるのです。

Q: ありがとうございます。ベートーヴェンの7番についてはいかがでしょう。

MS: ベートーヴェンの交響曲第7番、これは、特別なシンフォニーですね。有名な「神聖化されたダンス」というワグナーによる形容がありますね。たいへん活き活きしているかと思えば、第二楽章などは葬送曲のような趣があります。そのコントラストが私の興味を引きます。ベートーヴェンが意図したフレージングを追求したいのです。オーケストラや指揮者によっては、各小節の出だしをすべて強調して演奏をする場合がありますが、私はそれを好みません。ベートーヴェンはあきらかに、2小節ごとにまとめている、と見るからです。ところで、ブラームスの第1番も、ベートーヴェンの第7番も、これらの曲が書かれた当時のオーケストラにとって、とても大きな挑戦と言えるものだったのです。そのころは、オーケストラの規模も小さかったですし、演奏技術もまだ十分ではありませんでした。すべてのオーケストラが、現在ほど進歩していなかったわけです。水準が上がった現在でもこれらの演目の演奏は「挑戦」なのですから、当時の指揮者はさぞ骨が折れたことでしょう!(笑)。

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ミヒャエル・ザンデルリンクードレスデンフィルにビックリ!いまサントリーホールで。

2013-06-26 | 趣味

まったくのカンと偶然で、いま(25日)、サントリーホールで、ミヒャエル・ザンデルリンクが指揮するドレスデンフィルのベートーベン交響曲7番とブラームスの交響曲1番を聴いてきました。

ミヒャエル・ザンデルリンクは、巨匠クルト・ザンデルリンク(2011年に99才で死去)の息子で、実力あるチェリストとしても知られているとのことです(プログラムに記載)。1967年生まれの46才。スポーツマンのような俊敏な身のこなしで、身長は185センチ以上ありそう。

健康で、まっすぐな演奏。
古典的にして斬新。
内声部の充実に支えられた快速。
強烈な推進力で、ドキドキワクワクの高揚感。

これは、ルドルフ・ケンペの再来!となる予感。

どういう指揮者か知らずに聴いたので、度肝を抜かれました。ドレスデンフィルの(シュターツカペレではありません)ドイツ伝統の響きが若やいで、溌剌としています。

まるで、アマチュアオーケストラのような全力投入の真剣勝負に、ひゃ~、ドイツはいま始まったばかり、と思ってしまいました。なんという若々しいエネルギー!

ベートーベンの7番の終楽章は、なんとなんと、あのカルロス・クライバーより早い!!しかも完全に弾ききっている。
ブラームスの1番も、伝統の響きをベースに、疲れを知らぬエネルギーに満ちた快演。
(詳しくは後日に)

出会えて、最高!気持ちいい==。

下世話な話をすると、二階の前の中央ーS席で13000円は安過ぎでした。おち。

 

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自民党は、悪の恐怖集団のようーー憲法改定にみるおぞましい国家主義による統制国家への道(東京新聞)

2013-06-15 | 社会批評

  自民党の現行憲法の否定=新憲法の内容は、おぞましい国家主義であることが、『東京新聞』一面の連日の特集記事で明らかにされています。

  政府の判断で、国民の言動の自由を奪うことを可能にする恐ろし計略であることを、伊藤弁護士が詳しく説明しています。

  今朝の一面「筆洗」にも、旧ソビエト憲法と同じ手法であることが書かれていますが、旧ソ連のように表向きは自由と民主を謳い、実際には国家統制で政府のイデオロギーに従うように個人の言動を統制する。なんと!国歌(現人神の明治天皇に捧げられた歌である君が代)と国旗を尊重する義務まで憲法に記載し強制する、というのですから、もう終わっていますね。旧ソビエトにさえなかった規定!!とのこと。

  「自民党」とその補完勢力である「維新の会」は、日本を内戦状態にでもしようという魂胆なのでしょうか?近代民主主義思想への挑戦(安倍首相の思想的ブレーンで教育再生委員の八木秀次は、「人権などという言葉に怯える必要はない」として『反人権宣言』をちくま新書から出しています)を企てる政党は、根源悪と断じるほかありません。

  自民党内の良識派の方は、勇気をもって、自由と民主主義のために立ち上がってください。

  安倍首相が一番尊敬する祖父の岸信介元首相(A級戦争犯罪人)の「国体思想」は、市民主権社会の理念とは、真っ向から対立するものです。

   良識と勇気を発揮するのは、「今でしょ!」
  おぞましい国体国家への転落を防ぐのは、一人ひとりの良心なのです。大きく声を出しましょうよ。

 武田康弘

 

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国立科学博物館-宇宙創成と生物進化ー「ソクラテスクラス」行事

2013-06-10 | 教育

宇宙創成と生物進化の物語、科学する心を刺激する上野の科学博物館に行ってきました。

わたしは、小学生の時からもう100回くらい。いつも新たな発見で楽しい!

10年くらい前に大きく変わりましたが、旧館もそのままですので、懐かしさもあります。

 

 

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詩集 『たった一度の物語』(アジア太平洋戦争幻視片)石川逸子著の「かなしみが」

2013-06-05 | 書評

   社会契約論に基づく近代民主主義の『日本国憲法』を廃棄、日本主義=国体思想による新憲法づくりが《旧支配階級の孫たち》によって画策されています。

  新しく見せようソフィスティケートしてみても、物事の本質が分かる健康な生活者の理性には、それが近代以前に過ぎないことがすぐに分かります。彼らが狙うのは、戦前と同じく、一部の国家エリートたちによる日本支配です。

  優れた感性と独特の平易な文体による民知の詩人・石川逸子さんの詩集は、そうした流れに抗して、人権と反戦平和のうたですが、説得力ある「語り」を読んで最後に、「かなしみが」に至ります。実存として生きる者の浄化的反省といのちの充実を感じ、深い感動に襲われます。

  全文を書き抜きます。ぜひ、音読してみてください。

 

  かなしみが     石川逸子

 

かなしみが

天から白い花のようにふってくるときは

そのまま 体中 花に染まって

あるいていこう

はるかな山のふもとまで はたらきものの蟻のように

 

にくしみが

ふいにサソリのように襲ってくるときは

はたはたと川のほとりへ駆けていって

笹舟を浮かべよう

太古からながれつづけ ときに淀む川が

はねる魚が 苦い心を冷やしていくだろう

 

深い悔いが

深夜 怒涛のように押し寄せてくるときは

七転八倒しながら

ごめんなさい ごめんなさい

暗い木々に向かって 頭をさげよう

 

この世という旅は

おわるまでつづくのだから

一人ひとり似ているようで それぞれちがう旅なのだから

すれちがえば さりげなく挨拶し

花散る駅 スミレ咲く宿で見た夕日なんか

ぼそぼそと 告げよう

 

よろこびは

すでに旅を終えたひとたち

走っていく幼子からも

与えられるから

しずかに しずかに

耳をすましてあるこう

 

ほっそりとつづいている小道を

ときに茨除け 石につまずき

また つまずきながらも

コメント (2)
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