思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

人類の良心・魂の歌「ナーズム オラトリオ」 作曲とピアノ ファジル・サイ  少女・広島・アメリカ原爆

2024-05-30 | 芸術

 
(2004年の演奏会の会場は、イスタンブールの古代円形劇場)


 2001年初演のファジル・サイ作曲「ナーズム・オラトリオ」は、ベートーヴェンの第九以来の人類的な普遍性をもつ曲・詩(うた)でしょう。


 魂を震わせるこの1時間20分は、ヒロシマにアメリカが投下した原子爆弾で死んだ少女の主題が繰り返されます。名もなき少女の純粋な魂を詠んだナーズムの詩 「・・・・・あなたにお願い   紙切れみたいに燃えたわたしは      戸をたたくのはわたし  みなさん署名をどうぞしてちょうだい   炎が子どもをやかないように  甘いあめ玉をしゃぶれるように 」(最後に全文を載せておきます)につけたサイのメロディーが繰り返し流れます。オーケストラと歌手と少女によって歌われます。心の奥深くに染みわたり震えます。

 ナーズム・オラトリオには、現代曲のもつ難しさがまったくありません。親しみのある分明な曲です。第九の主題が極めて簡明なメロディーであるように、少女の主題も極めて簡明です。なお、この「少女」は、日本でも清瀬保二ら数名により作曲されています。

 強く激しい行進曲は、人間のもつおぞましさを吹き飛ばすパワーで圧倒します。快感と感動をもたらし、幾度でも聴きたくなります。少女の歌とともにわたしは毎日聴いています。また、通常のオラトリオと違い、長老による語りが長く、その表現力が凄くて引き付けるのです。釘付けになります。

 2001年の初演にはトルコ第10代大統領アフメト・ネジデト・セゼルも列席し、また2004年イスタンブールの古代円形劇場での演奏会は、YouTubeで104万回再生されています。2016年の演奏は高解像度・高音質で録画録音され、今年2024年にYouTubeで見れるようになりました。

fazıl say nazım oratoryosu で検索



 共産主義者ということで都合17年間(求刑は35年)もトルコの獄中で過ごしたナーズムは、ソビエトに亡命した世界的な大詩人で、ナーズムを解放せよという運動は、フランスのパリでサルトルらにより始められ、ソビエトはもちろんアメリカなど西側諸国にも広がりましたが、最愛の夫人と子どもとはむごいことに1年間しか共に過ごすことかできなくて、再度ソビエトに亡命し、モスクワで1962年に死去しました。トルコ文化庁は、詩人への贖罪の意味で、桁違いの天才ファジル・サイに「ナーズムオラトリオ」の作曲を依頼したと推察されますが、わずか30才のサイは、共感する詩人の魂=イデーに導かれて、迷いなく強い思いで作曲した為に、稀にみる名曲となりました。

 ナーズム(1901-1963)の詩を読み、生涯を知ると(生まれは上流階級で貧民への強い同情と政府への憤り)、彼は、思想的には実存論者で、主義としては、「人間主義=自由主義の共産主義者」といえると思います。一人の少女への深い追悼が、アメリカをはじめとする世界の国家主義・軍国主義を圧倒するのです。実存は世界に先立つのです。組織・国家ではなく、人間、一人ひとりの人間が黄金や権力や権威を上回るのです。ブッダの中心思想=天上天下唯我独尊(誰もが我一人尊い存在として生まれてきた)と重なる人間主義(神ではなく人間)の徹底です。

 トルコでは各地で繰り返し演奏され、国民的な曲となっているようですが、このオラトリオは、世界で人類的な曲として繰り返し演奏されるべきものとわたしは確信します。(クリック)

( ファジル・サイは、かつて娘を幼稚園(保育園)に送り迎えし、学芸会では、バレーにサイが伴奏をかってでたとのことですが、生活世界からもたらされる想念がこの曲を支えているのかもしれません。)


 ナージム・ヒクメットは、日本語版の「ヒクメット詩集」の冒頭に、「日本の読者の皆さんに」として以下のように書いています。共感・共鳴します。

「私の考えでは、建築から舞踊にいたるあらゆる芸術がまず第一に人間に役立つものです。パンのように、住居のように、リキュール酒のように、くさぐさの革命の唄のように、祭日のように、人間に役立つものです。今世紀の技術の発展は、世界の人々が詩を読み、理解し、愛することができるようになるための土壌を準備し、それをじっさい可能にしているからこそ感嘆するの値することだと私には思われます。もし、技術、社会的な革命、人々の生活水準の向上がこのことに奉仕しないならば、だとすればそれらのことは私にはまったく無意味です。」


                        (作曲とピアノ ファジル・サイ)







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現在、日本語で読めるのは以下の2冊です。
上は、2002年刊(旧版は1963年刊)
下は、2020年刊
世界中で翻訳されていますが、トルコで出版が許可されたのは、死後十数年経った1970年代後半です。



少女  ナーズム・ヒクメット

開けてちょうだい たたくのはわたし
あっちの戸 こっちの戸 わたしはたたくの
こわがらないで 見えないわたしを
だれにも見えない死んだ女の子を

わたしは死んだの あのヒロシマで
あのヒロシマで 10年前に
あのとき七つ いまでも七つ
死んだ子はけっした大きくならないの

炎がのんだの わたしの髪の毛を
わたしの両手を わたしのひとみを
わたしのからだはひとつかみの灰
冷たい風にさらわれてった灰

あなたにお願い だけどわたしは
パンもお米もなにもいらないの
あまいあめ玉もしゃぶれないの
紙きれみたいに燃えたわたしは

戸をたたくのはわたし
みんさん、署名をどうぞしてちょうだい
炎が子どもを焼かないように
あまいあめ玉をしゃぶれるように

(1955年)

武田康弘

訂正・追記

ファジル・サイがトルコ文化大臣から委嘱されたのは、オラトリオの作品ですが(2001年初演)、それが【世界的な大詩人】で【一神教への徹底した批判者】であり、トルコ政府に無神論者・共産主義者として35年の禁固刑をいい渡され、サルトルらが呼びかけた国際的な運動で釈放され、ソビエト連邦に亡命した【ヒクメット】の詩を用いた【ヒクメットオラトリオ】であるのは、
 ファジル・サイが決めたこと(小さい時から彼の詩集を読み共感・感動していたため)を、以下の日本初演のパンフレットで知りました。
 名古屋で2022年9月に初演されたのをネットで昨夜遅くに知り、フォレストホール(名古屋市)に電話で確かめて、実際に演奏されたことが分かりました。
 ヒクメットの詩から16篇を、「青年期」「獄中にて」「人間について」「故郷について」の4つに区分し、中核をなす「人間について」では、ヒロシマへのアメリカ軍による原爆投下、同じくアメリカによるビキニ環礁水爆実験を告発しています。「死んだ女の子」(日本でも清瀬保二ら数名が作曲している)は、深い感動が襲い言葉を失います。

 

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死ぬまで静かに明るくベッドの上でーーが、わたしの父でした。

2024-04-18 | 芸術
 
死ぬまで静かに明るくベッドの上で~が、わたしの父でした。一生懸命呼吸していました。悲惨も哀しみもなく、ただ死の時まで、何事もなく、最後まで不機嫌とは無縁でした。いつも静かで明るく機嫌よく~~~
 
 
死ぬ間際にあの世とこの世の間におられる方がいっ時だけ元気を取り戻して居られるのを拝見することがあります。ここで引導(亡くなったあとのことを伺う、または死ぬ覚悟を持てるように誘う)ことがあります。静かに穏やかに時を過ごされるということは並大抵のお覚悟ではありませんでしたね。御冥福をお祈りします。来世はきっとお幸せだと信じます
 
水域、木の画像のようです
武田 康弘
ありがとうございます。
ただ、覚悟という感じともちがい、いつも生をふつうに楽しでいたのです。野心もないですし、卑下もないです。ブッダの言葉通り、だれもみな等しく尊いのですし、上も下も中間もありません。だからいつも静かでしたが明るいのでした。天皇制のように偉い人がいるという観念とは無縁で(親鸞の浄土真宗大谷派でしたから)、みな平等です。いつも機嫌よく、まあ、習慣です(笑)死もふつうの続きでした。
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反ロシア政権とウクライナ軍、アゾフ隊による蛮行--フランス人ジャーナリスト制作のドキュメンタリー映画

2024-03-05 | 芸術

再度、確認しましょう。

ウクライナのアメリカ政府CIAによるクーデター後の反ロシア政権とウクライナ軍、アゾフ隊による蛮行を。


2016年にフランスのジャーナリストが制作したドキュメンタリーです。

https://www.youtube.com/watch?v=ln8goeR5Rs4

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カラヤン路線にかわった小澤征爾の変身。 『ぼくの音楽武者修行』の改ざんは、ほんとうに悲しかった。

2024-02-13 | 芸術

 小澤征爾 『ボクの音楽武者修行』 から核心部分が削除。誰が?何の意図で?

2015-01-15 | 学芸   再録です。

 

音楽の友社版1962年      新潮文庫版1980年

 

 わたしは、ソクラテス教室(白樺教育館)の旧称「我孫子児童教室」で、1976年から数年間にわたり若き小澤征爾が書いた「ボクの音楽武者修行」を、小学6年生の授業の一部としての「読書会」で使っていました。ずいぶん昔の話です。

  それは、《音楽の友社》から出ていた本で、飛び入りでブザンソンの指揮者コンクールを受けて優勝した前後のエピソードを記した青春物語です。師の斎藤秀雄からマンツーマンで音楽原理と指揮法を教えられた小澤の快進撃は実に面白く、こどもたちに夢と勇気を与えます。まだ世界的には何者でもなかった若干26才の小澤の語りは、覇気に富み心躍るもの。

  若き音楽家が書いた大変珍しい本書は、版を重ね、1962年初版から18年後の1980年には《新潮文庫》の一冊に加えられ、今もなお読み継がれていますが、この時、わたしは、ある重要な箇所が削除されているのを見て、ひどくガッカリしてしました。その時以来、本書は教材に使っていません。

 

 音楽の友社版では、以下のように書かれています。

≪カラヤンの弟子になる の小見出しの 151ページから152ページ≫

「 レッスンになると、カラヤンは指揮台の真下の椅子に腰かけて、ぼくらが指揮しているのを、じろっと睨むように見ている。ぼくは睨まれると、カラヤンの音楽そのものを強要されるような気がした。そこで考えた。こんなことをしているとカラヤンの亜流になってしまう。カラヤンなにくそと思って、ぼく流の音楽を作らなければいけないと固く心に誓った。
  しかし一方、カラヤンは教えることに非常に才能があった。・・・・・・」

  新潮社による文庫本は、本文は全体としては同じなのですが(音楽の友社版そのままの文庫化)、驚くことに上記の青字の部分(本では3行分)が削除されているのです(165ページから166ページ)。
 若き血潮ほとばしる小澤のこの決意の言葉=が抜け落ちた文章を通読すると、当時、楽団の帝王として大きな政治力をもっていたカラヤンへの賛美だけとなり、平板で面白味がないだけでなく、小澤の見方と決意=【魂】が消されて、全体はまるで別物の印象となります。

  さらに、ここで使われている写真の説明文も変更され、
「カラヤンの指揮でベルリン音楽祭の幕は切っておとされた」という音楽の友社版の事実説明は、
新潮文庫版では、「カラヤンの人気はヨーロッパ全体でもすばらしい。」と賛美の文章に変えられています。

 

「あとがき」の江戸京子さんとのことを書いた6行の削除は、音楽内容とは関係のないプライベートの話ですので許せますが(これも本来は削除すべきでない)、この変更は、なにかあまりに政治的な臭いがして興ざめです。

 小澤征爾さん、今からでも、当該箇所を元に戻されてはどうでしょうか?
もう、三十数年も前のことですが、インターネット時代になり発信が可能となりましたので、長いこと胸につかえていたことを書きました。


武田康弘 

 
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小澤征爾追悼ーー小澤征爾くん、君も丸くなったね。斎藤秀雄

2024-02-09 | 芸術

小澤征爾くん、君も丸くなったね。    斎藤秀雄  2018年12月の再録です。ご冥福をおいのりします。

2018-12-06 | 芸術 

 ' わたしは、君にほとんどマンツーマンで(直純くんなどもいたが)わたしの考案した指揮法を伝授したが、よくそれをマスターし、「まだ第九を教えていないからダメだ!」と言って、君を引き留めたが、君は、貨物船に乗って(富士重工から借りたスクーターを積んで)フランスに渡ったね。

 まったく無名の君は、音楽大学を出ていない(わたしが桐朋大学の一室を間借りしてつくった短大など誰も知らなかった)というのでパリの日本大使館では相手にしてもらえず、アメリカ大使館に飛び込んで、「ブザンソン指揮者コンクール」を受けることができたのだよね。その当時、世界で唯一の指揮者コンクールだったが、誰一人として知らないアジアの若者である君が優勝したのにはほんとうに驚き喜んだ。審査員たちの公平さに感謝もしたよ。それはわたしの指揮の教則が本場の欧州で認められたことでもあった(わたしは密かに自負の念を持っていたが、震えたよ)。

 それからしばらくして帰国してN響(NHK交響楽団)の指揮者となったが、楽員と衝突し、君のいうことは聞けないと、演奏会当日に団員が誰も来ないという大事件(N響事件)が起きたときには、わたしは自分の経験と重なり、やはり、と思った。わたしは、N響の前身の新響のチェリストであり、指揮もしていたわけだが、音楽のイデーを明晰にしようとするわたしの言動に対して、団員が否!となり追いだされたのだった。子弟で同じ目にあったわけだ。日本では、法則とかイデーとかは嫌われるのだよ。うん、しかし、あのとき新響をやめていなければ、すべて無かったこと!

 日本からの二度目の旅立ち(追いだされたという方が正確だが)の後の活躍には目を見張るものがあり、毎日早朝からの学習を欠かさない君の努力が実を結び、トロント、サンフランシスコ、ついにはボストンの常任指揮者にまでなったが、相変わらすNHKは君の活躍をほとんど伝えず、「世界で有名、日本では無名」の状態が長く続いたものだ。安永徹くんもベルリンフィルで活躍し、コンサートマスターになったのも嬉しかったが、もうそのころからは、世界中で教え子たちが活躍しだし、教師冥利に尽きたな。

 さすがにウィーンの国立歌劇場の音楽監督になり、ウィーンフィルのトップ指揮者になるとは予想もできず、そうなると、もうNHKも無視するわけにはいかず、小澤、OZAWAで、音楽好き以外の多くの日本人にも知られる有名人になったわけだが、その活躍は、わたしは天国から見ることしかできなかった。斎藤キネン→サイトウキネンのオケをつくって皆が集まり、見事な合奏を世界中で披露しているのも、嬉しい限りで、感謝だ。
 秋山君も東響を世界に通用する見事なオケにしてくれた(ジョナサン・ノットという強いイデーを持った助太刀もありがたい)。

 もうあげればキリがないので、やめるが、一つ、話しておきたい事がある。

 それは、君のつくる音楽は、音楽のイデーが弱いことだ。オペラなどは何も教えていなかった(わたし自身がよく知らなかった)のに、それを克服した努力には頭が下がるが、それはそれ。いま、わたしが言いたいのは、楽曲の理念、作曲家の思想(言葉ではなく、音楽でしか伝えられない想い)が希薄で、個々の音の美しさ、見事な音響を生みだすことが音楽の中心となり、作曲者の理念が弱まることだ。それでは聴衆を酔わせることはできるが、楽曲の核心を伝えることにはならないのだよ。

 一つ例をあげれば、シュスタコーヴィチの5番「革命」の演奏だ。これを聴くと、彼が曲にこめた複雑な想いへの共感がなく、上手で見事な音響があるので、この曲の真価=意味=姿はボヤケて見えなくなるのだ。だから、感動は、精神ではなく神経と肉体にのみやってくるという結果を招いているよ。この演奏は大評判になったようだが、それは聴衆におもねて、曲の真髄を明らかにするのではなく、音響の美しさや迫力による演奏をしたからだ。彼の息子のマキシム・シュスタコーヴィチなどは、逆に楽曲の意味を明白にした演奏なので、心身の奥深くから強烈な感動がやってくるのだよ。

 苦言を呈してしまい、申し訳ないが、死の瞬間まで丸くならずにいてほしい、というのがわたしの勝手な願いなので書いた。許してほしい。かって、「カラヤンなにくそと思った」と著書(「ぼくの音楽武者修行」)に書いたその言葉を、今は消してしまったようだが、それはいけないよ。モーツァルト(わたしは39番が好きだった)もベートーヴェンも君が得意にしていたベルリオーズもみな革命家で、最期まで丸くなるどころか、ますます尖がって深く大きくなったのだからね。

 
   天国から失礼  斎藤秀雄 


(すべて武田による創作ですが、事実関係に誤りはないと思います。私は小澤ファンを1960年代から続けてきましたので、よく記憶しています)

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コンサートホール関係者の皆さまへ。写真撮影について。

2024-02-05 | 芸術


再録です。サントリーホールは1年ほど前から許可となりました。ぜひ、他のホールもよろしくお願いします。

コンサートホールや美術館での写真禁止は、日本だけ。「後進国」からの脱皮が必要です。

2016-12-17 | 学芸


ベルリンフィル本拠地で、指揮はラトル  (2015年秋、染谷裕太君撮影)   ここでは一応「No photo」の看板は周りますが、
撮影しても別段注意もされず、うるさくない、とのことです。


アムステルダムのロイヤルコンセルトヘボウ   (2015年秋 染谷裕太君撮影) ここでもロンドンその他でも自由に撮影できました。



   わたしの愛弟子の染谷裕太君は、昨年、欧州一周をした時に、ベルリンフィル(ドイツ)、アムステルダムのロイヤルコンセルトヘボウ(オランダ)、ロンドン交響楽団(イギリス)などいくつもオーケストラ聴きましたが、どこでも写真は演奏最中でなければOKで、たくさん撮り、よい記念&記録になりました。

   ところが、日本のコンサートホールでは、どこも写真撮影を厳しく(うるさいほどのアナウンスと見張りで)禁止していて、呆れます。世界基準・国際基準とは異なり、日本だけは禁止とは、なぜなのでしょう。

   そういえば、わたしが小学生の時から親しんできた上野の国立西洋美術館(松方コレクション)も、ず~~と写真を一律に禁止し、ジロジロと見張っていました。しかし、優美で合理性に富む美しいコルビュジエの設計の同館を世界遺産に!という運動が始まった時から(今年ようやく実りました)、特別展以外は、写真撮影は自由になったのです。そのおかげで、わたしは、同館の所有する傑作マイヨールの「夜」を優れた写真にし、いま、多くの人がわたしの写真を使用しています。

   世界遺産に登録されるためには、ルーブルもオルセーも大英博物館もどこでも写真は自由に撮れるという国際標準に合わせる必要から、自由にしたのでした。なんでも禁止が大好きな日本という国の情けない現実です。【自由や個人性に乏しい後進国=日本】を象徴するエピソードです。

   話を戻しますが、
わたしがコンサートホールの管理者であれば、写真撮影は自由にしますが、それは、ホールにとっても演奏者や演奏団体にとっても大いに利益になるからです。今は、みながスマホを持ち、写真を撮り、発信しています。これは、最高の宣伝になります。しかも無料でたくさんの人が宣伝してくれるのです。いま、オーケストラはなかなか満席にならず、時には世界を代表する楽器奏者でもガラガラということもあります。生写真付きで、「よかった!」がSNSで発信されるのは、大いなるCMで歓迎されてしかるべきこと。

大型機材(大型の望遠レンズやカメラ)、三脚、ストロボなどの照明器具は禁止、演奏中は禁止とし、それ以外はご自由に。というのがよいのです。日本だけは特殊でなんでも禁止という悪しき慣習はやめなければなりません。コンサートホールや美術館は公共の場なのですから、世界的な公共の常識に合致させる必要があるはずです。


武田康弘

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追加

このblogを出した後、主なコンサートホールにメールでお願いをし、直接お話しもしました。その結果、改善が進んでいて嬉しいです。ありがとうございます。

今までは、どこのホールも一律で「禁止」し「見張りを立て」写真を撮らせないことを徹底していたわけですが、それが変わったのは、小学5年生から55年間のクラシックファン(同時に写真ファン)のわたしとして、よろこびです。

コンサートホールはみなのもの、公共性の象徴ですから、節度をもち、楽しく利用したいと思います。(2018年12月7日)

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棟方志功は、わたしと同じくベートーヴェンの命。で、還暦に【第九としてもの柵=歓喜自板像】をつくっている。

2023-12-28 | 芸術
明日は、ノット・東響の第九だ!

 棟方志功は、わたしと同じくベートーヴェン命。で、【第九としてもの柵=歓喜自板像】をつくっている。60才還暦の年1963年に。


 (青森の棟方志功記念館所蔵)

 白樺民芸の三本柱、棟方の創作思想上の師である河井寛次郎と濱田庄司の陶器と思想上の恩人「柳」の文字やゴッホと共に、ねっころがって第九に浸り歓喜する自画像です。人類史上最高の音楽によろこんでもよろこびきれない棟方がいます!!
 白樺派の民芸運動に見いだされた棟方志功は、4人目の白樺民芸の担い手となりましたが、誰よりも根源的な天才は、彼を最も普遍的かつ有名な存在にしたのです。

 ベートーヴェン万歳!棟方志功万歳!白樺恋知万歳!ですね~~~~~~~~
 
 なお、第九の歌詞は、キリスト教=一神教の神の否定で、ベートーヴェンの命がけの戦いなのです。どれほど凄まじい戦いかは、ドイツ人のクラウスが書いた【交響曲「第九」の秘密】に分明に記されています。神ではなく神々、太陽ではなく、太陽たち、こういう詩=歌は、棟方の言葉のようにさえ思えますが、古代ギリシャの学問からなのです。

武田康弘
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わが井上道義の写真・マーラー交響曲2番「復活」演奏会終了後に。11月18日

2023-12-07 | 芸術

全身全霊をかけて指揮を終え、フラフラになりながら、オーケストラが引きあげてなお残る大勢のファンのために、

指揮台の上った瞬間を捉えた写真です。すべてを出し切った後の言葉にならぬ表情が撮れました。



撮影・武田康弘 東京芸術劇場で。Sony RⅩー1R(ゾナー35ミリF2)

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2008~2009年、2014年、今回2023年のイスラエル軍がガザ地区で殺害した人数(東洋経済)

2023-11-01 | 芸術
「東洋経済」 ON LINE より。

【 2008〜2009年】にイスラエルがガザ地区に侵攻した際には、
イスラエル人の犠牲が9人だったのに対し、1400人近いパレスチナ人の死者が出た。これは倍返しどころか150倍返しである。
 
【2014年】のガザ侵攻時にはイスラエルの死者が73人だったのに対して、パレスチナ人約2250人が死亡した。これは約31倍に相当する。

    今回の衝突による犠牲者数はうなぎのぼりだが、2014年の比率を当てはめると、停戦までに計4万人のパレスチナ人が命を落とす計算になってしまう。
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天皇家は、何の税金も払わない。保険料も払わない。国籍もないし住民票もないので、払わない。払えない。

2023-09-15 | 芸術

所得が何億円もあるのに(全部税金から)、所得税はゼロ円

あまりにも広大な屋敷に住んで入ても(江戸城占有)住民税はゼロ円

健康保険料もゼロ円

なにもかもタダです。

それでいて、国民最高の待遇を受けられます。 ああ、失礼、国民ではありません。国籍はないですし、住民票もありませんから。

海外にはパスポートなしで渡ります。

これは、なんとう存在ですか。

明治維新政府が創作した天皇という記号だからです。気の毒ですし、ウルトラ特権者です。

日本人が単なる事実人(フッサールの言葉=概念)なのは、こういう記号化された人間?が「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」(憲法1条)だからです。

日本人もみな豊かな人権をもつ魅力ある私になりたいものですね。否、ならねばです。ルネサンス。

「明治政府がつくった天皇という記号」pgf は、国民の必読文献です。



武田康弘(哲学者=恋知者)

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天才彫刻家・木内克の自筆「創」の美しさと強さに感動!

2023-09-06 | 芸術
とらわれのない自由と不屈の精神をもち、最晩年までまったく衰えることのなく流れるように創作を続けた天才彫刻家、木内克(きのうちよし)さんが、72歳の時に出した「定本・木内克」(限定60部)は、表紙に金彩レリーフが嵌め込まれている豪華本ですが(写真撮影は、吉岡康弘と土門拳)、最初のページには、自筆で「創」と書かれ、サインされています。この「創」の字には、真正面からの気迫と気品で圧倒されます!!美しい~~
複写しました。






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タケセンのfb語録  どうしても好き、がほんとう。

2023-08-12 | 芸術

疎外感の克服とか、「他者承認」のためではなく、好き、どうしても好き・・・自己承認の哲学だ。それこそホンモノ。
大谷翔平も藤井聡太も他者意識ではなく、純粋に好きでやっている。お金や権力や名誉欲とは無縁。ほんものは穢れがなく、気分がいい。恋知も同じ。好きだから。Love of thinking 知る、調べるよりも、考えるに恋してる。

ーーーーーーーーーーーーーー

 

何をするにも、憧れ心が一番であり、自己実現というのはおかしい。

自己実現とはエゴイズムと同義語だ。
私が想うのはエロース豊かな善美の世界。自我とは無縁だ。私の悦びが価値をもち創造性を発揮するのは、自我が終焉したときのみ。

 

世間を気にし、格好をつけ、上手くやろうとする、

私が想う善美へまっすぐに、ではなく、他者承認に怯える他者承認の哲学を抱え持つからこそ自己実現などと言うのです。まっすぐに自己承認に向かえば、自我=エゴではなく、善美への扉が開きます。自我の終焉は、何よりも生産的な生をもたらします

ーーーーーーーーーーーーーー

わたしは、自由がなければすべてなし、という心の声に従って生きてきた。ますます強くそう思う。自由な精神がなければ、何があっても、無意味だ。自由=自我からの解放がないと創造はなく、生の価値は生じない。

『自由』とは、所有(知識・履歴・財産など)に価値を見る考え方・生き方とは正反対ですので、自我主義とは無縁です。自由でないと生活も仕事も創造性をもたず、惰性態にしかなりません。残念なことに大多数の人が自由ではなく、自分と自分ちという狭小な発想しかもちません。開かれた公共はなし。

ーーーーーーーーーーーーーーー

プロソピア(哲学と西周がドイツ語から訳したが、それは明らかに誤りで、正しくは恋知)は、私=人間を通して、社会も世界も知ろう努力します。ですから、宗教の独断とは次元の異なる健全な知です。みなが恋知者となるのがほんとうです。地上の支配者をはるか下に見下ろします。


【飛ぶエロース】 テラコッタ(素焼)人形  ルーブル美術館蔵

武田康弘


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改めてルネ・レイホヴィッツ指揮のベートーヴェン交響曲全集その他13枚組CDに感動。

2023-08-11 | 芸術
 
だいぶ以前のことですが、ルネ・レイボヴィッツ指揮の13枚組ボックスセットを発売時に購入し(サティの「ソクラテス」をAmazonで表紙に惹かれて勘で購入し、まったく知らなかったこの指揮者に仰天!したのが理由)、
わたしのLP、CD購入でこれほど驚いたことはありませんでした。

ここにはベートーヴェン交響曲全集も含まれていますが、いま、3番エロイカに痺れて(暑さなど吹き飛ぶ!)、4番が始まっています。もうずいぶん聞いてきた演奏ですが、いつも新鮮な驚きでグー!
1960年ころの録音ですが、現代演奏のようにベートーヴェンのメトロノーム指示にしたがった快速で、第九は60分しかかかりません。9曲全部、素晴らしく勢いの強い演奏で元気100倍になります。

この時代は、まだ、クレンペラー、ワルター、ベーム、カラヤンなどが全集を録音していた頃で、いわゆる昔の演奏ですが、その時にこんな度肝を抜くベートーヴェンを録音した指揮者がいたと言うのは、奇跡的なことでしょう。レイホヴィッツは12音階も用いた作曲家でもあったことが、全く常識にとらわれない新しいベートーヴェン像を提示できた条件でしょうが、細かな箇所まで神経が行き届き、しなやかで自由自在です。超楽しいのです。

他の曲もすべてが革新的で創意に富み、マンネリとはアベコベ。録音も時代が信じられないほど優れていて、細かな音まできれいに分離して聞こえます。
音楽ファンの方は、ぜひ~~


武田康弘
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8月9日(水)恋知サロンでは、最高の彫刻家=【木内克】の作品と思想と人生を感じ知ろうと思います。写真

2023-08-06 | 芸術

8月9日(水)恋知サロンでは、最高の彫刻家=【木内克】の作品と思想と人生を感じ知ろうと思います。

写真は、fb(クリックで飛びます)をご覧ください。


木内 克(きのうち よし) 1897年~1977年

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思うに、1887年(明治10年)ごろイタリア人ラグーザから直輸入した西洋彫刻の手法を、工芸若しは巧芸的にしか理解出来ず、いまだにこの方法を踏襲してはばからない彫刻界の現状がある。
ロダンが紹介されればロダニズムに興奮し、渇仰し、グレコ・マンズの皮膚づくりの彫刻が流行すればすぐ飛びつき、また、ヘンリー・ムア―に食らいつく。

これではいつまで経っても、ヨーロッパの学習から離れられないだろう。

木内克は、在パリ時代多くの日本人部落の作家たちから「10何年もルーブル美術館通いなんて木内の頭は変になっているんじゃないか」と影口されていたという。

いくら嘲笑されても木内克はお構いなく、それが身上のマイペースで、ゆっくりゆっくりルーヴルの宝の山に見入っていたのである。

そして、ヨーロッパ近代美術の思想の本流は「人間本位」「精神本位」にあることを突きとめた。

また、作家というのは絶えず自分を創り続けるということに意味があり、他の模倣や真似はナンセンスだということを身につけて、1935年12月2日、帰国した。

木内克は満州事変、太平洋戦争というこの国の無謀な戦争拡大から敗戦まで、長い不遇時代を経験するわけだが、ただの一度もそれに屈することなく、困窮に耐えながら作品はぞくぞくと創りつづけていた。

それは1948年第2回新樹会に招待され、突如として衝撃的なデビューとなって人々を圧倒した。激しいポーズのさまざまな裸婦像、テラコッタの新鮮な出現。どれひとつとっても、今までの日本の彫刻界にみられない量塊表現。ほとばしる生命感の奔流にわたしたちは感動した。木内克芸術はラグーザ以降、はじめて日本に近代彫刻の基盤をつくり、近代彫刻の花を咲かせた。木内克ほど強烈な個性表現にまで高めた作家はいない。

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(和田敏文 1951年)

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 わたしの生まれる前年に書かれた和田さんの「DESSIN」解題は、いまなお新しく、この72年間、何も前進していないことが分かります。

 彫刻に限らず、思想・哲学も同じで、「これではいつまで経っても、ヨーロッパの学習から離れられないだろう」は、真実です。さらに、日本人は、に置き換えても同じです。

 「作家というのは絶えず自分を創り続けるということに意味があり、他の模倣や真似はナンセンスだ」 作家を人間は、と一般化しても同じです。


武田康弘

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仰天した!いま、日本彫刻界の頂点=木内克の本を超えたが本届いた。

2023-07-21 | 芸術
仰天した!いま、日本彫刻界の頂点=木内克(きのうち よし)の本を超えた写真集が届いた。
表紙はほんものの金彩レリーフで、撮影は吉岡康弘と土門拳。60部限定のオリジナル本(普及版ではなくほんもの―17万円)だ。圧倒されて言葉がない。
入手価格は言えない(笑)高くてではなく、あまりにも安すぎてもらったも同然。感激と感動で、まだドキドキが収まらない。

木内克(きのうち よし)は、日本のマイヨールだが、それ以上かもしれない。自由そのもの

 
 
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