思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

武田先生(タケセン)との哲学対話-認識論を超やさしく 6月22日(土)第一回 アイアイスクール

2024-06-01 | 恋知(哲学)

アイアイスクール五反田。6月22日(土)武田先生と哲学対話。誰でも分かる認識論=純哲学

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ソクラテスによる【恋知者=哲学者の魂の定義】

2024-05-25 | 恋知(哲学)
昔から書いていますので繰り返しですが、ソクラテスによる【恋知者=哲学者の魂の定義】は、
「真実在をこれまに最も多く見た魂は、知を求める人、あるいは美を愛する人、あるいは楽(音楽と詩)を好むムーサのしもべ、そして恋に生きるエロースの徒となるべき人間の種の中へー」です。(「パイドロス」185ページ岩波「プラトン全集5」)

哲学=恋知の象徴は、エロースです(ルーブル美術館蔵・ラコステ人形)プラトンの学園「アカデメイア」の主祭神はエロース。


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「他者承認の哲学」ではなく「自己承認の哲学」へ上りましょう。

2024-04-10 | 恋知(哲学)
    一般的に受け入れられるかどうかと考えて、他者の視点により語るという人が多いですが、そのような「他者承認の哲学」は、哲学ですらなく、処世術にすぎません。
 
 他者に受け入れるか否かではなく、自分の赤裸々な経験を正直に見て話します。そこからありのままの心を自覚し、開示するのです。
 他者から何をどう言われようと、心の真実を曲げずに貫くことが必要です。もし齟齬が生じたら、個人間の問題ならば、対面して堂々と話すのです。逃げ隠れしたら、元から終わりです。

 それは「自己承認の哲学」で、深い納得を目がけます。そのためには、自己を絶対化せず、相手との直接対話を辞さない精神と実践が求められます。自己の主張が正当性をもつためには、ナマの話し言葉でのやりとりが必要なので、文字(ソクラテスのいう死んだ言葉)を投げつけるのでは、話になりません。そのような言動は、害ばかりで益なしです。卑怯でダメな人間の見本です。

 他者から承認されるのは、もちろんよいことですが、そこに留まるのではなく、また、それを目がけるのでもありません。最も大切なのは、善美への憧れと真実の探求です。今ある自分の肯定ではないのです。他者からの賞賛でもなく、孤塁を守ることでもありません。心身の全体ー内部から湧き出る【自然な確信】で、「おれは最高だ」とか「お前よりおれが上だ」というような稚拙な想念とは元から無縁です。静かで深く、かつパワフルで美しい輝きです。攻撃による他者排除ではなく、愛の心から真実を求めるのです。斜に構えるのではなく、真正面から真剣に、でなければいけません。

 自己承認に至るには、自己の経験を土台にしつつ、しかし、それを絶対化する愚を犯さず、近代的自我の確立というイデオロギーに囚われず、「自我の武装解除」が必要です。自由で伸びやかな心身と頭は、自己防衛とか他者攻撃という発想からは生まれません。
 
 自己承認の哲学を生きたいものです。

武田康弘
==============

関口徹
最近よくわからなくなってきてしまいました。自己承認が良しで他者承認、承認欲求が悪というこですか?
 
武田 康弘
他者からの承認が得られて悪いはずはないです。
しかし、
他者承認を気にして生きるのは哀しいです。
悪とか善という話しではなく、承認欲求を超えないと、自分のよき生が始まりません。
関口徹
つまり承認欲求…スゴいね、さすがだね、みたいなものを求めず生きるってことですよね。自己承認はできてるはずなのですが…仕事が年々つまらなくなっていくのです
 
武田 康弘
仕事が面白い人はとても少数ですよね。どうしたらよいでしょうか。
関口徹
仕事辞めることですかね(笑)
でも、やりがいはあるんですよ。給料も安いですが求めてません。自分ではパーフェクト‼️な仕事をできてると思ったり、自画自賛というか、特に後輩たちにはこうやるんだよ。見て覚えてねみたいに実践で示してるつもりなんだけど
他者承認を気にするのは哀しい
わかります。
他者承認を求めるあまり自分を追いつめ、孤独に、そして自分の健康まで害してしまいました。
死にたいほどツライです。
でも、旅をして、自然に抱かれ同化して、美味しいものを食べる。仕事以外はメチャクチャ充実しているのです。
仕事おそるべし
 
石谷 真
仕事に自分なりの目標と、満足を得られるようにしたらどうでしょうか?
それは生き様すべてにおいて、自分なりの方法を貫くというコトです。
他人は、結果しか見ないので、こちらの途中の行動にアレコレ言ってきます。
承認欲求ばかり、求めると自分なりの方法を貫くコトができなくなります。他人には結果まで待ってもらうコトが重要だと思います。いや、結果ばかり求める今の風潮は、途中の考えや、途中の失敗も重要だというコトを、分からなくしてしまって、良くないと思います。
自分なりにやれる寛容なトコロに身を置くコトも大切です。特に仕事としては。
石谷 真
ボクは昔、他人の言葉に乗っかって、仕事を辞めたコトがあります。
後悔しました。他人はあくまで他人です。
他者承認を求めて行くと、さすがだね、すごいねって言われないと、もうダメだ。オレは出来損ないだ、になるコトがあります。
他人が、「つまらないなら、辞めたら良いよ」と言って辞めたとして、その他人は何の責任も取ってくれない。他者承認を求めていくと、承認されるコトしかできなくなる。そこが問題です。承認欲求は持っても良いけど、信頼を誰に置くか?誰のタメにその仕事をするか?何のタメにそもそも仕事をしてるのか?お金が少なくて良いのか?その仕事は、重要なのか?考えるべきコトは、たくさんあります。仕事が面白くないのは、どこに問題があるのか?
死にたいほどツライけど、ホントに死ぬほどなのか?今、死んで無いからツライの表現に、死にたいを使うコトの意味は?死にたいでは無く、逃げたいかも知れない。
ツライコトと、しんどいコトは、同じですか?頭がツライですか?身体がツライですか?旅をして充実する人生に、仕事は必要ですか?必要なら、後輩の承認、もしくは同僚の承認では、ダメなんですか?上司からの承認じゃなきゃダメなんですか?
承認欲求を満たしてくれる他者とは、誰か考えませんか?ボクとか、武田さん達ではダメなんですか?関口様、ボクはあなたを承認しますよ。やりがいのある仕事を辞めるコトくらい愚かなコトは無いと思います。
関口徹
石谷 真さん。
みずしらすの私に熱いメッセージありがとうございました。まさにおっしゃるとおりです。
承認欲求求めすぎてさすがすごいと言われないと満足できない。ドツボにハマるとわかりました。
今日職場の歓送迎会で普段口を聞いてくれないトップともう一人の管理職の方に私なりの体調の現状を伝えました。
自分のことに感心なんか持ってないこともよくよくわかりました。そんな上の人に認めてもらうために働くのがバカらしくなりました。
他者承認を求めるのがいかに愚かでくだらないかよくわかりました。武田さん、石谷さんありがとうございます。
自分の好きな仕事を自分のために続けていきます。

石谷 真
敢えて管理職ばかりに気を取られると、足元の仲間たちのコトが疎かになるとボクは考えます。
この国のヒトたちは、上ばかり見て、自分を見ていない。それは承認欲求というカッコいい言葉を使うけど、自分自身の能力に自信が無いコトの裏返しだと思います。自分のコトをきちんと見ましょう。
体調が悪くて、チカラを出し切れていないかも。もっと自分自身を大切にしてください。われわれは武田さんのような超人では無いのだから。
 
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明治政府が創作した「天皇教に基づく天皇制度」に呪縛され続けて抜けられない日本人の不幸は底知れず。

2024-04-05 | 恋知(哲学)

日本人は、会社員も公務員も主婦も政治家も学者・・・もみな明治政府が創作した「天皇教に基づく天皇制度」に心が呪縛され、そこから抜け出せません。それがどれほどの不幸を生み出しいるかを自覚できません。

「天皇教と東大病と官僚主義の三者一体」による支配は、人々の無意識領域まで管理して、みな腑抜けの状態にさせられますが、
保守主義=国体思想の政治家には、これほど有難いことはなく、政治支配はどこの国よりも楽です。

哲学までも、ヘーゲルの最初の著作「精神現象学」に依拠して、「他者承認の哲学」こそ哲学の最高到達点だという竹田青嗣と彼のグループが人間を羊化させることに努力するありさまです。
深く「自己承認」できるためには、どう考えどう生きるか、こそ哲学の使命であり意味であることを忘れ、日本的集団同調主義(天皇教・東大病・官僚主義) をソフィスティケートするのですから呆れます。


天皇教の序列絶対主義は、エリート職業の人の精神的拠り所となるために、「天皇教と東大病と官僚主義の三者一体」による支配は、永続化してしまいます、個々人の人間としてのパワー・良心・魅力は元から消し去られ、型が優先し、儀礼が優先し、社会的価値に縛られ、個人は死ぬのです。この序列主義を元から断たない限り、永遠に日本は不幸です。実存の生=個々人からの出発は、はじまりようがありません。

駐留米軍のトップであったマッカーサーの発案で、天皇をシンボルとして天皇制を存続させることで、日本を永遠に支配する=個々人の精神的自立をさせないで、日本人を「天皇教という集団同調主義」で一つにさせ、アメリカの属国のようにすること。天皇家に特権を保障することでアメリカに好意を持たせ、日米同盟の永続化を果たす、という大戦略は見事なまでに成功し、人間家畜化の日本国ができあがりました。


人々を騙す底から嘘の大学教授(直接体験のない書物だけ人間)の書く本に踊らされるのを止めない限り、思想や哲学が民衆の力になり現実の花が咲くことはないのです。公共哲学などという東大哲学は、支配のためのごまかしで、トップに韓国人を据えるなど用意周到ですが、関係者自身も騙されているのは、滑稽でさえあります。


武田康弘



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今日23日は徳仁さんの誕生日でおやすみです。明治政府がつくった天皇教と天皇制について考える日にしましょう。

2024-02-22 | 恋知(哲学)

ユダヤ教にはじまる一神教(ユダヤ教を母としてキリスト教とその弟分のイスラム教)の騙し=荒唐無稽の物語も、
明治政府が創作した天皇教の儀式主義への馴致も、宗教のもつ詐術の強さ・怖さをあらわしています。
わたしは、こどもたちに誰もみな天上天下唯我独尊として生れてきたのだと話し、至上の価値は人間の個々の実存だと教えています。真実を。

23日は、徳仁天皇の誕生日なので国民の休日いまだに続く天皇教は、明治政府が作成した国家カルトですので、天皇制についての批判や制度の見直しについては、話し合うことすらできません。テレビも新聞も批判的な言説をまったく許しませんので、完全なる独裁国家と同じですが、他国を言論の自由の抑圧といい非難する日本のテレビや新聞は、はるかに徹底した言論統制が行われている自国の問題については、頬かむりです。

天皇現人神(天皇は生きている神)という明治政府のつくった天皇教=国家神道=靖国思想=国体主義は、ものすごい暴力(特別警察と憲兵隊)で、反対者をなぎ倒し、また、全国の数万以上の寺を焼いたり破壊したりし神社にかえました。明治政府の出した神仏分離令を端緒にした廃仏毀釈(仏法を排し釈迦の考えを捨てる)の大運動は、野火のように広がり、国宝級の仏像や寺院を破壊した為に、いまある国宝は3分の1程度と言われます(故 梅原猛さんによる調査)。

天皇教=国家神道=靖国思想=国体主義は、敗戦後にいったんは否定された思想でしたが、1946年からはじまったアメリカの占領政策の大転回(逆コースと呼ばれる)で岸信介をはじめとするA級戦犯の解放により、再び彼らやその親族が日本政府の中枢を占める政治となり、天皇教は徐々に復活してきたのです。

明治政府は、天皇教=国家宗教を作成するために、まず、京都御所の天皇とされる男性を江戸城に連れてきてここを皇居となづけて占有させること、次に、日本史上、一度もなかった一世一元の元号制度をつくり、全国民にそれを使わせることを強要しました。時代=時間も天皇が支配することで、空間も時間も日本という国は、天皇が中心であるという意識を国民の無意識領域にまで浸透させるのが岩倉具視による計略でした。

ここで分かるのは、いったんは国のありようを変えたかに見えた戦後日本の今も、明治政府が作成した天皇教という国家宗教は、そのまま生きているということです。江戸城占有は変わらず、一世一元の元号も変わらすですから、日本は、天皇教のままです。天皇教は、教義(内容)を持たず、その時その場の政治勢力と世俗価値に合わせます。形式=儀式だけがあり、それを仰々しく行うのが天皇教という国家宗教の特徴です。まさに日本の特色で、中身・内容は問いません。形式を強要することで、日本人という型をつくるわけです。

「門地(家柄)により差別されない」という日本国憲法14条は空文化され、皇族はよくも悪くも差別され、超がつく特権が与えられます。天皇は、国籍も住民票もなく、そのためにあらゆる義務から逃れ、税金も保険料の支払いませんし、パスポートも発行されず(できない)ために、パスポートなしで外国に行きます。法的には日本人ではなく、人間でさえありません(人権がないのです)。明治政府がつくったように、やはり生きている神なのでしょうか?



明治政府が作成した天皇教とそれに基づく天皇制をしっかり考え直すことは、とても大きな意味をもちますが、それは日本人の義務でさえあると思います。今日23日の天皇誕生日はそのよい機会でしょう。詳しくは、「明治政府がつくった天皇という記号」pdfをお読みください。



武田康弘(哲学者)


「皇族と統一教会」の深い関係を示す写真。明治政府がつくった天皇教が、文鮮明の手本となった。
https://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/bd971b6f2aed5162891b443b0b85c614?fm=entry_awp




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マジメ=芯が固いは、ダメ。『真剣』が大切です。

2024-02-21 | 恋知(哲学)
日本人の多数はマジメ=芯が固い。だから人間性の豊かさ・魅力に乏しいのです。心の底に真の自由がないので、せいぜい新奇に飛びつくだけ。『真剣』が大切です。真面目はダメ、堅マジメは超ダメです。『真剣』は、人間の底を深め豊かにし、魅力を生みます。
 
 
 
関口徹
凄くよくわかります。
職場は真面目人間が多いように感じて、世間一般的には良い人とされると思いますが、私から見て真面目な人ほどおもしろくなくて魅力を感じない。
命令には絶対服従でどんな酷暑で仕事しててもマスクはずさないし。
障がい者支援の仕事ですが、わたしは利用者支援誰よりも真剣です。マジです。真剣に関わります。だからダメなことにはダメだよとも伝えられます。時には真剣に伝えることもあります。
でも、利用者は真面目職員よりわたしのところに来ますね。わたしのことが大好きです。
他の真面目職員、堅真面目職員よりもね。
遊ぶにしても、何するにしても、叱らなくてはならない時もわたしは常に真剣ですから。
真剣に愛して、真剣に関わりをもっています。


武田 康弘
関口さん、実に素晴らしいです。
外なる規則や道徳に従う外人間は、ほんらいの人間性とは真逆な人です。内なる真剣は、実存をかけた営為で、内的充実があります。他者承認で生きる愚かで哀しい日本人とはちがいます。
日本人ではなく、人間にならねば、ですよね。
 
関口徹
武田康弘さん
まさしく日本人でも、ウクライナ人でも、ユダヤ人でもなく人間であることが大切ですよね。
国も守るために、領土を守るために戦え❗徴兵❗敵を撃て、殺せ
冗談ではない。まともな人間にそんなことできるはずがない。
あらゆる意味で○○人でなく人間にならねばと思わされます。
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天皇象徴という文化では、最大の価値は金と名誉。 自由はいいから、お金と名誉を!

2024-01-14 | 恋知(哲学)
大多数の日本人は金が第一の価値だ。自由ではなく金品だ。天皇や皇族を象徴とする文化は、裕福と他者承認を至上の価値とし、そのためなら自由の価値は二の次という文化の象徴だ。だから日本には人間=哲学なしが続く。縛られてもいい、大金をくれ(笑)ついでに名誉も。
 
 
鈴木 英男
彼ら(どなた?)にとって金は自由の象徴だ。
 
 
武田 康弘
うん、金があれば何でも、買える~~~~~。心も精神も健康も金次第じゃ、超すばらしい天皇象徴文化の日本は世界一!(笑)

関口徹
激しく同意です👍
 
Itaro Yoshida
関口徹 さん その上続けるほど年金がふえる。
 
鈴木 英男
世界唯一と言って誇り、他には見られないと言って自嘲する。
 
武田 康弘
特別天然記念物として、ユネスコに有形文化財として登録しよう。
自由がなければ、とっても保護されて特別待遇になれる見本です。自由なんてどうでもよい、人間ではなく、神話から続く神もどきなので~~~
鈴木 英男
天の皇、ゼウスが聞いたら怒ります。
 
武田 康弘
多神教のギリシャ神話で大王のゼウスは、かみさんにはへいこらで頭があがらず、
恋愛の神エロースには、かないません。
面白いですよね~~
 
 
 
 
 
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一神教ほど酷い人権侵害はないのです。あなたも神の被造物!という。

2024-01-13 | 恋知(哲学)
一神教ほど酷い人権侵害はないのです。あなたも神の被造物!という。自然の自然性により生まれた宇宙も地表の生命も人間もみなOneGodの創造物なので、信仰せよ??これは、精神の病ですが、超がつく上から目線でしかなく、人権を大元から奪います。最悪です。
一神教徒は、自己絶対化の底意を背後に隠し持ち、神の名によって自分の信仰する道徳を他者に押し付けます。従わない者には、神をも畏れない悪者という烙印を押すわけです。
 
金時綾小路
ほんとに最悪ですね。例えば安倍晋三は名称はいろんな形で変えるが統一教会と癒着、政治的目的の為。一方でその信徒の凶行ですが、これは信徒に取っても不幸な事であるが、これまた宗教の病気。安倍晋三の死に様は、言葉と行動に一致しないいい加減な行動の結果と考えます。敗戦後、今が最悪。
関口徹
とてもよくわかる話です。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
Hideo Isoyama

信じる、
信じないは自由ですが、
太古から現在まで、
いやこれから未来永劫
信仰は続くんです。
誰がどうさからっところで
信仰は無くなりません。
 
 
ーーーーーーーーーーーーー

武田 康弘
自分が「神」がいると思うのは、その限りではもちろん自由なわけですが、
クリスチャンと話をすると、わたしたちの最大のミッションは布教することです。と言います。
神はいる、神に従え(聖書なり教会なりの教え)と言いますから、
否、あなた方の妄想は大きな迷惑になっているから、やめてください、と言います。それももちろん私の自由です。
人を惑わす信仰の世界に入らないように、というのがわたしの活動です。自分の内奥にある善美の座標軸に基づいて生きるのが、よき生です。超越者を外部に求めるのは不幸の源です、とね。
 
ーーーーーーーーーーーーー
 
松島 義雄
神は存在するとは思ってません。(多分書物に触れてからでは、)生まれた時は誰もが無垢です。どう変わるかは環境だと思います。神も仏様も両親に連れられて神社仏閣に行ったときに自然に生まれたものではないでしょうか、神、仏様を信じたから生活が特段良くなることも悪くなることもありません良否は個人の度量(努力)にあると思ってます。
信じるか信じないは本人次第です。人に進めるものではないと思います。
やり取りを楽しませて頂きました。
金時綾小路
強烈に流布する創価学会の信徒の経験ありの私。職場にて約3ヶ月の体験あり。この体験により、宗教教義の帰結は実利と洗脳です。信じる人、信じない人と言う程度では個人的核を失うと思います、血も涙もない侵略行為は宗教流布と密接な関係です。信じるのは勝手にしていただいで他宗教を批判蔑視するなと。余計な物は要らない。あえて云えば愛が神。搾取する神、人殺しを止められない神、税をむさぼり食う天皇と言う神、こんな哲学の無い神も珍妙だ。
 
=========================


「自己反省なき他者攻撃」というのと、「高踏的な上から目線」というのは、同じ精神の裏表だな、と思います。結局は、「自分と自分ち」だけで、「公共性=社会問題への批判精神」がないのです。ダメの見本で、自他を活かす愉悦感がありません。皆に広がる面白さなし。

武田康弘
 
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武田哲学の土台 「欲望」という基本原理 60年が経ち一巡り。 恋知する実存者として生きる。

2024-01-08 | 恋知(哲学)

 2024年辰年の幕開け~ 


武田哲学の土台 「欲望」という基本原理 60年が経ち一巡り。 恋知する実存者として生きる。

 わたしは、ちょうど60年前、小学6年生の時に、ある考え(悟り)に至りました。父、祖父とも浄土真宗大谷派の僧侶でしたので、欲望についての悩みでしたが、終止符をうったのです。

 人間が生きるのは「欲望」であり、あらゆる営みは欲望による。だから考えなければいけないのは、欲望の質である。自分も皆も社会もよくする欲望はすばらしいが、逆はダメだ。何がよくするか、よいとは何か、を考えて生きることこそが根本だ。

という基本原理を得たのです。

 自他の欲望のありようをよく見ると、存在がどのようなものか、炙り出しのように浮かび上がります。

 その地点から自分自身のことだけではなく、社会悪・公共悪とも戦ってきました。60年が経ち一巡しました。ここからまたガチンコで自分を鍛え、よい教育実践をし、公共悪と戦います。よい理屈を言っても結局は、「自分と自分ち」ばかりで公共世界への寄与がない人には、厳しくします。

 それを伝えるのが恋知の営みです。恋知する実存者として生きる!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

新春 わたしのFb語録ー1             

 音楽家は身体が自然と音楽になっいています。写真家は身体が写真眼になっています。
 恋知者(哲学者)は身体が自然と思考しているのです。
 思考が本質に向かって進み、ピントが合う。直観と体験能力が卓越して働いているからです。活字を読み理解するレヴェルとは異なるのです。

 なぜだろう、と考えることは、自分自身の実存からしか出てきません。生きるという地点からしか生まれません。だからAIのような生きていない存在は、考えないで処理するのです。
 いまの受験知は、考えないで処理する正確さとスピードをつけるものですので、「優秀」になるほど、人間でなくなります。内的に生きる意味が消えていきますから、

 お金や肩書きや名誉などの外なる価値を追うしか生きられなくなります。【精神死】に至る病で、「人間は死んだ」となるのです。

 

わたしのFb語録ー2

 私はず~~と「ふつう」が凄い・素晴らしいを求めてきました。日々の行為・思想・食事・住まい・音楽・写真・学習。世間やTVは特別がいいと言い、世俗的上下の価値観です。わたしは全然違います。ふつうにこそ偉大があるという確信で生き「最高のふつう」を追求する哲学です。

 

「ふつう」というのは、世間価値ではまったくありません。わたしの心身にフィットすること。呼吸が楽になる生き方です。他者承認などに惑わされない心と頭のこと。自己承認できる思想で、世俗的な価値観に染まらぬことです。自慢もなく自己卑下もなく、自然体で生きることです。理論家や理屈屋さんではなく、微笑んで生きるのです。こどもたちの笑い声のようにね。それが「ふつう」です。

 

武田康弘

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2024年迎春 コラボ写真の年賀状です。今年もよろしくお願いします。

2024-01-01 | 恋知(哲学)
わたしは、年男です。ちょうど60年前(小学6年生)、人間の欲望について、悩みに悩み、考えに考えて、ついに結論(悟り)を得ました。

それは簡明にして不動のもので、
人間が生きるのは「欲望」であり、あらゆる営みは欲望による。だから考えなければいけないのは、欲望の質である。自分も皆も社会もよくする欲望はすばらしいが、逆はダメだ。何がよくするか、よいとは何か、を考えて生きることこそが根本だ。
という基本原理を得たのです。

その地点から自分自身のことだけではなく、社会悪・公共悪とも戦ってきました。60年が経ち一巡しました。ここからまたガチンコで自分を鍛え、よい教育実践をし、公共悪と戦います。よい理屈を言っても結局は、「自分と自分ち」ばかりで公共世界への寄与がない人には、厳しくします。

昇竜の年にしましょう~~~~! 共に。

 

 

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私の人生は創造者としての生=恋知者です。 思想書の研究者ではなく愛好家でもありません。

2023-12-07 | 恋知(哲学)

私の人生は創造者としての生(進行形)ですので、思想書の研究者や愛好家ではなく、思想家=哲学者=恋知者です。音楽で言えば作曲家です。ですから、組織人では全くありません。学校や会社とは縁がなく、私であり私塾であり、その輝きです。それを知らないと武田の了解は不可能です。

みな恋知する実存者として生きよう!

武田康弘

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唯一神の「世界三大宗教」と「天皇教」。自己絶対化+へつらいの精神では、人間は死んでしまいます。

2023-11-02 | 恋知(哲学)
ユダヤ教を母体にしてキリスト教が生まれ、その弟としてイスラム教が生まれて、この三つが世界で騒動を起こす三大宗教となっていますが、
【強い一神教とそこから来る正解は一つという発想】は、はてしない争い・暴力と自己正当化の心を培養して、【他に優越する自我】という発想を推し進め強固にします。【科学の絶対化】も同じ思想です。

 日本の天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴(憲法1条)【一人の人間=一つの家系を超越者とする】のは、一神教と同じ思想形態で、とても不味いです。

【私の意識の吟味を基にして考える人=実存者】という発想とはアベコベですので、自己の体験や思考を絶対のもの=他に優越するものとする【攻撃者】が誕生してしまいます。

これは、とても厄介で、自己からの出発と一見似ていますので、「近代的自我」が正しいという思い込みを訂正できず、私以外の他者を低く見る想念を生んでしまいます。(※現代は、自我主義からの脱却、自我の呪縛からの解放が求められています)

唯一神を信仰する【一神教】ー【天皇教】はそれを真似て明治がつくったものーからの脱出は、なかなか大変です。絶対的結論をほしがる習性が身につくと(学校教育=天皇教)、自由闊達、当意即妙の羽ばたきの精神は消えてしまい、自己絶対化に陥りますが、それを当人は気づかず、他者が悪いあるいは劣っていると見ます。

恋知する実存者として生きたいものです。私の生活世界を踏まえ、自分の頭で考えます。目がけるのは、自我の拡張ではなく、透明で強い意識です。自分なしい自分ちではなく、わたしの実存公共世界を知り広がり、豊かな普遍性の世界を目がけるのです。大きな組織や団体の意思や都合を忖度する反哲学的な態度は悪と不幸しか結果しません。人間の普遍性に欠けるからです。お前はもう終わっている!ですね。

武田康弘


木内克作 レリーフ
人間賛歌=恋知のシンボル
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21世紀の課題は、キリスト教などの強い一神教を雲散霧消させることです。それが不要な世をつくること。

2023-10-22 | 恋知(哲学)
この一つ前のblogからの続きです。fbコメント欄での対話。


武田 康弘
21世紀の課題は、キリスト教主義を雲散霧消させることです。唯一とか絶対という観念を正当化する強い一神教はほんとうに怖い。人間が人間である以上を求めたら、恐怖の生と国が生じてしまいます。唯一神という底知れぬ狂気

僕も同感です。根っからのおばかさんで幸せですわ。インテリから遠い存在ですから、インテリの仲間入りする気もないし、宗教も大大もうひとつおまけの大嫌いですから、人間の心を持つことが一番だね。神の心なんてこの世界に存在しませんよ。
 
ほんまでんなあ、困ったものですよ!
うん、関西弁(京都弁)は、いい。なんだかホンワリして(笑)
 
武田先生の、植民地帝国主義西欧列強弾劾の情念は、よく理解、共感し、似而非キリスト教・似而非キリスト教会が、その片棒担いだ、というお怒りにも、共感しております。
但し、英・米・スイス・北ドイツは、
 似而非キリスト教の本拠、である事、
キリスト教創設期、発展期、には、 類まれな、知的正直・倫理的正直/勇気、の発露があった、という記録・伝承、ある事、お忘れなく、と申し上げます
真正日本人が、どこかにいて、も、
  似而非日本人が、蔓延る事がある、
似而非キリスト教跋扈して来た、ここ十数世紀、と認めざるを得ないけれど、 その汚濁の中に、
  真正キリスト教徒が、
 一人、 数人、 居たのかも知れない、
        居るのかも知れない、、
真正キリスト教に、最後の打撃を、
    容赦なく振るい続け、
カトリック司祭・修道女・信者を、逮捕、処刑し、
修道院の金杯・土地、奪取、農民の流民化引き起こした、ヘンリー八世・エリザベス一世の事蹟、ご存知の事とは存じますが、、
チューダー朝が始めた、 英国教会は、
   真正キリスト教会では、あり得ず、
18世紀以来、 西欧思想の主流であった、理神論は、真正キリスト教ではない、という基本理解、 大切、と存じます。
日本人は、皆んな悪者、という言いがかり、受け入れるのは、 知的正直に悖る、と、同じ論理、であります。

 
わたしは、「民主主義の美名は、軍事力主義・白人が偉い主義・キリスト教主義を隠すためのもの」と書き、米英を名指しで糾弾しました。(この下のfbで)

彼等はデモクラシ―を掲げますが、それは、ロックの哲学に始まる英国民主主義です。彼は、自身の清教徒(キリスト教原理主義)思想を拠り所にしています。「寛容論」を書き、宗教的寛容の大切さを説きますが、そこから除外されるものとして、カトリックと無神論をあげています。

プロテスタントのさらに純粋なピューリタンにつき、民主主義は、神の意思だとします。英国議会の伝統を民主政の源流としますから、古代アテネのペリクレス発の直接民主制は、等閑に付してしまいます。

イギリスのピューリタン(清教徒)がアメリカにわたりつくった民主政も哲学的には本国イギリスと同じですので、いまだに聖書を置いての大統領宣誓です。

わたしは、英米の個々人にケチをつけているのではなく、民主主義を高々と掲げていても、それはキリスト教原理主義に基づくものであり、世界的普遍性をもつ思想ではないことを言いたいのです。宗教で民主制(政)を基礎づけるのは、とても不味いです。
Yasuhiro Takeda さま、
🎯🍏 御名答に、大感銘 🍎🙏
 
John Aiura さま
ありがとうございます。
 


みなが、恋知する実存者として生きることができますように。
 
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★わたしの見方・考え方の基本です★ 自分と自分ちという発想から解放され、公共性と普遍性の世界へ出発!

2023-10-08 | 恋知(哲学)
★★わたしの見方・考え方の基本です★★


 良識派とか改革派とよばれる陣営がいつも負ける深因は、知識や技術で他者を上回ろうとする思想=態度にあるのではないでしょうか。
 知っている、より正しく・詳しく知っているとか、何かが出来る、よりたくさん知り出来るわたしを目がけて生きている人と接すると、イヤな感じがします。他者に優越しようとする言葉や態度は、愛をつくらず、深い攻撃性をつくるので、楽しくないのです。

 藤井聡太君は、将棋がだれよりも強い自分、という想念をもちません。純粋に好きでたまらない将棋の世界に生きて幸福です。NHK朝ドラで取り上げた植物学の牧野博士も純粋な植物への愛で生きて、生涯、権威者とは無縁でした。中学卒であり小学校中退であった二人は、学歴という世間価値を超越した存在です。最大実力者だった政治家の田中角栄も小学校卒です。その人柄は豊かな愛情に満ちていると、接した人は、誰もがそう話します。
 偉大な彫刻家の木内克(きのうちよし)も、独創的作曲家で最高の評価を得ていた清瀬保二(きよせやすじ)も弟子の武満徹も、高校中退と高卒です。彼らは、知識や学歴・履歴や肩書き・所有物や財産の力で他者に優越せんとして生きた人ではありません。存在そのものの魅力とパワーでよきものを自他に与えた人です。

 競争主義で生き、人間的豊かさがない人は、特定のグループ内だけで生きることになります。「社畜」であったり、家意識の強い「自分と自分ち族」であったり、「〇〇学会所属族」であったり、「町内会主義者」であったり、「特定宗教の信奉者」であったり、「政治家グループ」であったりします。 
 それは思想や哲学でも同じで、固執・固着せずに自由に生きるために自分のありようを吟味するのではなく、あべこべに特定の見方・考え方を強めるために=確固とするために思想や哲学を用いてしまいます。そうすると、思想・哲学とは塊になり、宗教化してしまいます。○○主義に陥ります。西欧中心主義者が偉い、というような著しく歪んだ思想をもつ学者が大勢います。

 「わたしは、あなたより知っている、わたしはあなたよりできる」という思想、言葉や態度は、何も生み出さないだけではなく、いやなムードを醸して、自他にマイナスし、世界を壊します。
 
 人間とその社会にとり、最も必要な【開かれた豊かな愛】に欠ければ、すべてお終いです。知識・履歴(肩書き)・所有物(金)の獲得に必死に生きている方、それは「死に至る病」です。そこから自分自身の自我を解放しない限り、よい人間の生と開かれた社会への通路を拓くことはできないはず。
 
 閉鎖的な自己愛=自分と自分ちという発想と生き方を、開放的な「公共性」と深みのある「普遍性」の探求へと変えることが、愉快な人生と社会を生み出すキーとなるのではないでしょうか。魅力に乏しいツマラナイ人が、楽しく公平な社会をうむはずがありません。知識や技術は、他者に奉仕するために使われた時にはじめて意味と価値が生じます。他者に優越しようとするのは、愚かで不幸。精神の元を壊してしまいます。


武田康弘

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敬老に値する人はいますか?  Growing young (成長するにつれ若くなる)

2023-09-18 | 恋知(哲学)

今日は敬老の日! こどもの日を何度でもです。
革命と進化は必須でそれなくしては社会は終ります。こどもは未来です。希望です。大人のもつ既成価値にはめ込むのは最低かつ最悪です。
Growing young (成長するにつれ若くなる)でないと害毒をまき散らす大人になってしまいます。敬老に値する大人は日本にいますか?極小と思います。
悪しき伝統に縛られた大人は、社会を元から腐らせます。幼きこどもたちに学べ!です。
自分と自分ち、ではなく、普遍性と公共性に開かれた領野に生きなければ、哀しいし愚かです。
ニッポン主義者ではなく、人間にならないといけません。国家主義とは愚かな思想で、すべてを破壊します。
今日は、大人が豊かで度量の広い人になるための日です。こまごま固くて狭い大人では生存価値がありません。

武田康弘

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