
FNSドキュメンタリー大賞
第7回大賞受賞作品
イタイイタイ病原因追求に陰謀がつきまとう。
「30年目のグレーゾーン
環境汚染この国のかたち」
このドキュメンタリー作品は、
僕が今まで生きてきて、
日本の大手マスコミでつくった
もので最高作品です。
このドキュメンタリーには、
日本の病巣がよく表現されています。
司馬遼太郎を彷彿させる、
この国のかたちが表現されています。
1990年5月、富山県婦中町
・猿実験チーフ 木村正巳理学博士

・萩野昇 イタイイタイ病発見者の
病床を見舞われていた。

◎神岡鉱山--戦争のたびに拡大されたという。
そのたびに、カドミウムを排出していたそうだ。
イタイイタイ病の患者は数百人死亡しているだろう。
イタイイタイ病発見者の荻野医師は、
政府や学会などから金目当てと、
非難されたという。
・小林純教授(鉱毒分析)
スライドを見せがら、昔のことを話される。
「イタイイタイと骨が折れていく。」
買収工作に何人もやって来たという。
昔からイタイイタイ病と認めたがらないし、
そのためには手段を選ばなかったようだ。
小林教授は日本では駄目だからと、荻野と英訳の
共同論文を書きアメリカに頼る。

NIH(アメリカ国立保健研究機構)が、重要かつ
緊急課題と選んだ。
その結果。昭和43年5月、公害病と認定。
同年裁判もはじまり、
昭和47年患者団体完全勝訴。
三井金属は原因論争もしないと認めたという。
しかし4年後、国は因果関係を否定しはじめ、
巨費を投じた実験もはじめたという。
田中角栄の写真も登場していた。
その実験は、実験動物中央研究所(川崎市多摩区)
というところで、人知れず研究されていたという。
10年間における実験で、
イタイイタイ病とカドミウムの関係を
完全否定できたという。
重松逸造や土屋健三郎という、
イタイイタイ病の裁判の時から
企業側にいた学者が名をつらねていた。

この重松逸造は、チェルノブイリの惨事といわれた時、
広島の医師として現地へ行き。
無害のように宣言した学者でもあります。
・民間の日本公衆衛生協会(新宿)がどういうわけか、
公式見解を発表したという。
この日本公衆衛生協会は国際鉱業協会から
寄付をうけて雑誌も発行しているという。
◎論争の舞台は世界へ 1992年5月ジュネーブ
国連ヨーロッパ本部 WHOの年次総会
日本は世界を敵にまわして、カドミウム論争を展開。
野見山一生「ほかの国は遅れている」と。
しかし、この人たちのどこが進んでいるのか?
金にもならないことはしないというのなら、
この方たちは進んでいることでしょうね。
世界の中で孤立する日本。
◎ワシントンD.C. 1993年5月
荻野医師との約束を守るため木村教授が、
猿の実験でもカドミウムで骨粗鬆症が出現と
発表したという。
WHOのまとめと一致した。
◎患者を見舞う重松
◎ストックホルム 1996年9月
・木村は解雇され、猿はされたという。
そして奇妙な理論の発表。
「うさぎの実験結果を発表」
野見山副会長は重松会長や行政官に手紙をかく。
「ストックホルムでの論争に勝利した。
汚染米を政府が買う必要もない。
日本政府の責任は問われないという」

◎カロリンカ研究所(ストックホルム)
野見山の手紙で同意したといわれる、
L・フリバーグ教授が野見山の論文を否定。
◎日本衛生学界総会(岡山大学)
野見山教授が自論を展開。
納得しない聴衆。
◎L・フリバーグ教授来日 1998年5月
解雇された木村教授も来ていた。
◎イタイイタイ病とカドミウム
環境汚染に関する 国際シンポジウム
富山県民会館
・福岡大学医学部「ラットの実験で出現した
イタイイタイ病」発表。
・世界各国の発表者、カドミウムの危険性を訴える。
☆緊急動議 L・フリバーグ教授

「みんなに伺います
イタイイタイ病の原因はカドミウムであることに
反対する人はいないですか--
WHOのカドミ安全基準に書いてある
イタイイタイ病とカドミウムの因果関係に
反対する人はいますか--
反対はないと認めます。」
重松は沈黙し続けた。
index
シンポジウムは全英訳され世界に出版。
◎イタイイタイ病は風化する中
富山県テレビ
青柳良明ディレクターが製作。
大賞を受賞した。

青柳良明ディレクター
「イタイイタイ病は終わったといわれていたが、
裁判は終わっていたが、
患者さんの認定手続きは却下され続けていたという。
これはどういうことだろうというのが取材の
きっかけ」だったという。
イタイイタイ病というより、この国の奇妙な
かたちを訴えたかったいう。
亡き荻原医師の病院へ、息子が後を継いでいた。
患者さんは80歳以上になっており、
新しく二人の患者さんが認定されたという。
第7回FNSドキュメンタリー大賞受賞作品
チェルノブイリから広島へ
いつものこと
を見事に表現した作品でした。
index

イタイイタイ病原因追求に陰謀がつきまとう。
「30年目のグレーゾーン
環境汚染この国のかたち」
このドキュメンタリー作品は、
僕が今まで生きてきて、
日本の大手マスコミでつくった
もので最高作品です。
このドキュメンタリーには、
日本の病巣がよく表現されています。
司馬遼太郎を彷彿させる、
この国のかたちが表現されています。
1990年5月、富山県婦中町
・猿実験チーフ 木村正巳理学博士

・萩野昇 イタイイタイ病発見者の
病床を見舞われていた。

◎神岡鉱山--戦争のたびに拡大されたという。
そのたびに、カドミウムを排出していたそうだ。
イタイイタイ病の患者は数百人死亡しているだろう。
イタイイタイ病発見者の荻野医師は、
政府や学会などから金目当てと、
非難されたという。
・小林純教授(鉱毒分析)
スライドを見せがら、昔のことを話される。
「イタイイタイと骨が折れていく。」
買収工作に何人もやって来たという。
昔からイタイイタイ病と認めたがらないし、
そのためには手段を選ばなかったようだ。
小林教授は日本では駄目だからと、荻野と英訳の
共同論文を書きアメリカに頼る。

NIH(アメリカ国立保健研究機構)が、重要かつ
緊急課題と選んだ。
その結果。昭和43年5月、公害病と認定。
同年裁判もはじまり、
昭和47年患者団体完全勝訴。
三井金属は原因論争もしないと認めたという。
しかし4年後、国は因果関係を否定しはじめ、
巨費を投じた実験もはじめたという。
田中角栄の写真も登場していた。
その実験は、実験動物中央研究所(川崎市多摩区)
というところで、人知れず研究されていたという。
10年間における実験で、
イタイイタイ病とカドミウムの関係を
完全否定できたという。
重松逸造や土屋健三郎という、
イタイイタイ病の裁判の時から
企業側にいた学者が名をつらねていた。

この重松逸造は、チェルノブイリの惨事といわれた時、
広島の医師として現地へ行き。
無害のように宣言した学者でもあります。
・民間の日本公衆衛生協会(新宿)がどういうわけか、
公式見解を発表したという。
この日本公衆衛生協会は国際鉱業協会から
寄付をうけて雑誌も発行しているという。
◎論争の舞台は世界へ 1992年5月ジュネーブ
国連ヨーロッパ本部 WHOの年次総会
日本は世界を敵にまわして、カドミウム論争を展開。
野見山一生「ほかの国は遅れている」と。
しかし、この人たちのどこが進んでいるのか?
金にもならないことはしないというのなら、
この方たちは進んでいることでしょうね。
世界の中で孤立する日本。
◎ワシントンD.C. 1993年5月
荻野医師との約束を守るため木村教授が、
猿の実験でもカドミウムで骨粗鬆症が出現と
発表したという。
WHOのまとめと一致した。
◎患者を見舞う重松
◎ストックホルム 1996年9月
・木村は解雇され、猿はされたという。
そして奇妙な理論の発表。
「うさぎの実験結果を発表」
野見山副会長は重松会長や行政官に手紙をかく。
「ストックホルムでの論争に勝利した。
汚染米を政府が買う必要もない。
日本政府の責任は問われないという」

◎カロリンカ研究所(ストックホルム)
野見山の手紙で同意したといわれる、
L・フリバーグ教授が野見山の論文を否定。
◎日本衛生学界総会(岡山大学)
野見山教授が自論を展開。
納得しない聴衆。
◎L・フリバーグ教授来日 1998年5月
解雇された木村教授も来ていた。
◎イタイイタイ病とカドミウム
環境汚染に関する 国際シンポジウム
富山県民会館
・福岡大学医学部「ラットの実験で出現した
イタイイタイ病」発表。
・世界各国の発表者、カドミウムの危険性を訴える。
☆緊急動議 L・フリバーグ教授

「みんなに伺います
イタイイタイ病の原因はカドミウムであることに
反対する人はいないですか--
WHOのカドミ安全基準に書いてある
イタイイタイ病とカドミウムの因果関係に
反対する人はいますか--
反対はないと認めます。」
重松は沈黙し続けた。

シンポジウムは全英訳され世界に出版。
◎イタイイタイ病は風化する中
富山県テレビ
青柳良明ディレクターが製作。
大賞を受賞した。

青柳良明ディレクター
「イタイイタイ病は終わったといわれていたが、
裁判は終わっていたが、
患者さんの認定手続きは却下され続けていたという。
これはどういうことだろうというのが取材の
きっかけ」だったという。
イタイイタイ病というより、この国の奇妙な
かたちを訴えたかったいう。
亡き荻原医師の病院へ、息子が後を継いでいた。
患者さんは80歳以上になっており、
新しく二人の患者さんが認定されたという。
第7回FNSドキュメンタリー大賞受賞作品

いつものこと
を見事に表現した作品でした。


衝撃的で、すばらしいドキュメンタリーでした。
でも、内容はかなり忘れてしまっていたんですが、
この日記で思い出しました。
ありがとうございます。
ボクはDVDにしたり、MP4にしてありますが、人に見せたくって仕方がない番組でもあります!
こんなことが今も続いていると思えるからです……。
こんなドキュメンタリーがあったことを初めて知りました。最近の原発の放射線被爆の許容量の論議をみても御用学者はいつの時代でもいるものだとあらためて考えさせられます。
ボクは活字人間なもので、それが主体になっています。
読書メモも何千冊あるかわからないですし、けっこう知らないことがありました。
こっちを早くあげたいと思っています。
すみません。
【YouTube】もいつくもあげないと視聴者は、ほとんどいなかったようです。何事も大変ですね。
この御用学者の名前が公害訴訟に出てくるので、検索してこの記事を見つけてくださったそうです。
無料でDVDで送りました。その他にも送りました。裁判でも有効だったようです。今では他の方法もあることも、メールをくださった人は教えてくださいました。
ボクは原爆から反原発になりました。今では、その類の人たちからの、罵倒コメントは減りました。以前はいっぱい来てました。
反原発の熱心なブログを発見して、コメントをかき、リンクをしたら、すぐに、その罵倒コメントの集団がいったのでしょう。2日もたたずに、ブログを閉鎖されました。
罵倒をもらって堪えられるのは、ここだけです。二ヶ所になったら、堪えられません。今の流行も終わるかもしれませんし……。そうでないことを願っていますが、チェルノブイリ事故の時も流行はありましたが、すぐに消えました……。
孤立していても、ボクはずっと続けるつもりです。小出さんみたいな人に続きたいけど、地味にならないと無理です。
それに、他にも問題はいっぱいあります。反核(核兵器&原子力発電)関連の本、ボクのblogでは四千冊以上はあげています。
数年前に水俣病の番組を見たときはショックでしたが、それがきっかけで公害問題に関心を持つようになりました。
今回、原発事故が起こり、チェルノブイリ原発事故の当時関心を持たずにいたことが恥ずかしく自分なりに努力し知識を得ました。
イタイイタイ病、恥ずかしいですがほとんど知識がありません。
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