◎中央アジアから中国を経て日本にいたるまでの伝播経路について
ミトラ教の伝播経路を解明する上で重要な手がかりの一つに、七曜・十二星座・二七宿/二八宿といった占星術的な道具立てがある。これについても光を当てる。
◎弥勒教の成立
会昌の仏教弾圧(845年)の巻き添えになることを恐れて、ミトラ教のマギは福建省に逃れ、その地で弥勒を中心にして教団を再興した。この過程で、中国に持ち込まれたミトラ教のさまざまな要素が再結集し、中国化したミトラ教、すなわち弥勒教が成立した。弥勒教は、仏教の弥勒信仰と中国南部のポン教をとりこみ、元代1271-1368になると、仏教を押しのけて、道教とともに中国宗教界の二大勢力になった。大勢力となった弥勒教徒は、紅巾の乱を興し、元を滅ぼした。この乱の中で朱元璋〔しゅげんしょう〕はめきめきと頭角をあらわし、明1368-1644を建てて、初代皇帝になった。明〔みん〕という国号が、ミトラ教における理想郷「光の国」にちなんだ名称であることは、あまりにも有名である。
◎弥勒教の興隆
明代以降、儒教・仏教・道教のほかに、儒教・仏教・道教・明教を融合した民間宗教(弥勒教)が現れ、儒教・仏教・道教をしのぐ大勢力になっていた。弥勒教は、老子転生・弥勒仏下生・李弘伝教を説く宗教であり、老子も釈迦仏も孔子も摩尼も李弘も、みな弥勒の化身とみなす。ここで「弥勒」と書いたが、中国における弥勒は、ミトラ教のミトラに仏教のマイトレーヤがとりこまれた存在であり、仏教的なイメージはほとんどない。弥勒教が広まった明代以降、中国の人々は儒教・道教・仏教・明教を区別するようなことをしなくなっていた。この点をはっきりと理解しておく必要がある。
◎弥勒教の秘密結社化
明の創始者である朱元璋〔しゅげんしょう〕は弥勒教を支持基盤として皇帝になったが、天下を取った後は弥勒教(白蓮教・明教など)を厳しく取り締まった。そのため、弥勒教は秘密宗教という形態をとるようになり、清代になると、弥勒教系の秘密宗教と秘密会党が多数生まれた。弥勒教系結社は、禁じれば禁じるほど盛んになり、王朝とは別の勢力を形勢し、たびたび大規模な叛乱を起こした。中国第一歴史档案館の記録によると、清代における民間の秘密宗教の数は215にも達し、紅幇*・青幇*などの秘密会党も全国的に流行した。こうした秘密宗教や会党は全国に広く分布し、相互に連携して地下秘密王国ともいえるものを形成した。
◎日本への流れ
日本には、陰陽道と仏教をとおして断片的にミトラ教の知識が持ち込まれた。これらは、陰陽道・修験道・仏教の中で醸成融合し、妙見信仰や摩多羅神の秘儀を成立させた。戦国時代以降、亡命者・難民・商人などさまざまなかたちで、中国から弥勒教が断片的に持ち込まれ、庶民の間に広まった。江戸時代中期になると、弥勒教は、修験道(富士講)と結びついて、妙見=弥勒を本尊とする弥勒講を成立させた。これと呼応するかたちで、庶民の間で日本版ミトラ七神が形成され、七福神というかたちをとった。
◎中国から日本へ 飛鳥時代から平安時代まで
ミトラ教の断片は、さまざまな経路で持ち込まれた。これらは、朝鮮半島の花郎〔ふぁらん〕の強い影響のもとで、弥勒信仰の中にまとまった。弥勒信仰は、弥勒の化身とされる空海の密教と役行者の修験道*という二つの流れを生んだ。これとは別に、いわば第三勢力として、陰陽道・道教をとりこんだ天台系の北斗妙見信仰が成立し、密教・修験道とともにミトラ教の諸要素を伝える三大勢力の一つになった。
◎室町時代から安土桃山時代まで
室町時代になると、修験宗も活発になった。熊野、八幡、諏訪、箱根、伊豆の権現では、新しい伝承(縁起譚〔えんぎたん〕)がつぎつぎとつくられた。修験者・陰陽師・遊行僧・巫女たちが、各地を遊行しながら、新しい伝承をつくりつつ広め、日本独特の諸教習合文化の基礎を築いた。
このような下地形成が進む中、中国で猛威をふるう弥勒教が伝来し、諸教習合的な日本の弥勒下生信仰の上にかぶさり、もともとそれほど仏教的ではなかった日本の弥勒は、いっそうミトラ化し、仏教の弥勒とはまったく異なる弥勒、すなわちミトラが広まりはじめた。
◎江戸時代中期
江戸時代中期になると、安土桃山時代までに広まった新しい弥勒つまりミトラを中心に、ついに弥勒講〔みろくこう〕が誕生した。弥勒講は、ミトラ教らしさを特徴付ける要素のすべてをそなえている。
富士講・弥勒講などの各講は、きそって伊勢・善光寺・成田山などの巡礼をおこなうようになった。これらの講では、講金を積み立てて、観光をかねて順番に巡礼に出た。
◎明治から現代まで
弥勒講は、明治維新以後もさまざまなかたちで生き延びた。七福神信仰、七夕、七草粥なども生き延びた。しかし、昭和30年代(1955-1965)後半から高度経済成長が始まると、農村の過疎化、都市部の人間関係の希薄化・小家族化が進み、インフラ(生活基盤)そのものが崩壊した。
◎基盤の再生
バブル崩壊(1992)以後、しだいに「古きよき日本」が見直されはじめ、2000年代に入ると、「陰陽師ブーム」「昭和30年代・40年代ブーム」「江戸開府400年」のようなものが目立ってきた。これは、弥勒講が再生するためのインフラ(生活基盤)が着実に再生しつつあることの証しである。天使七星教会にとって、またとない追い風である。
<了>