今回は、「ミトラ教」について、2回にわたり学ぶ。
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ミトラ教またはミトラス教は、古代ローマで隆盛した、太陽神ミトラスを主神とする密儀宗教である。
普通、ミトラス教は古代のインド・イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変え、主にローマ帝国治下で紀元前1世紀より5世紀にかけて発展、大きな勢力を持つにいたったと考えられている。しかし、その起源や実体については不明な部分が多い。
ミトラス教は牡牛を屠るミトラス神を信仰する密儀宗教である。信者は下級層で、一部の例外を除けば主に男性で構成された。信者組織は7つの位階を持ち(大烏、花嫁、兵士、獅子、ペルシア人、太陽の使者、父)、入信には試練をともなう入信式があった。
ミトラス教はプルタルコスの「ポンペイウス伝」によって紀元前60年ごろにキリキアの海賊の宗教として存在したことが知られているが、ローマ帝国で確認されるミトラス教遺跡はイランでは全く確認されていないため、2世紀頃までの発展史はほとんど明らかではない。いずれにせよ、ミトラス教は2世紀頃にローマ帝国内に現在知られているのとほぼ同じ姿で現れると、キリスト教の伸長にともなって衰退するまでの約300年間、その宗教形態をほとんど変化させることなく帝国の広範囲で信仰された。
キュモン以降、ミトラス教はインド・イランに起源するミトラス神や、7位階の1つペルシア人をはじめとするイラン的特徴や、初期に下級兵士を中心に信仰されたという軍事的性格から、ミトラス教は古代イランのミスラ信仰に起源を持つと考えられてきた。しかし両者の間には宗教形態の点で大きな相違点があり、古代イランにおけるミスラはイランを守護する民族の神であり、公的、国家的な神だったが、ローマ帝国におけるミトラス教は下級層を中心とした神秘的、秘儀的な密儀宗教の神であり、公的であるどころか信者以外には信仰の全容が全く秘密にされた宗教であったし、民族的性格を脱した世界的な救済宗教としての素質を備えていた。こうした宗教としての根本的なちがいは研究者にとって悩みの種であり、現在ではキュモンのようにイランのミスラ信仰から直接的に発展したと捉えることは困難とされている。しかしミトラス教のイラン起源を全く否定することもできず、ミトラス教の黎明期に教祖ないし宗教改革者が存在したことを想定する研究者もいる。
他方、エルネスト・ルナンの有名な1節によって、ミトラス教がキリスト教の有力なライバルであり、ローマ帝国の国教の地位を争ったほどの大宗教だったとする過度な評価は現在も根強い。さらにキリスト教との類似からキリスト教の諸特徴がミトラス教に由来するという説が論じられることも多い。他宗教との比較という点では、日本では以前から大乗仏教の弥勒信仰がインド・イランのミスラ信仰に由来することが論じられてきたが、宗教形態の違いから、むしろ近年ではミトラス教と比較されることがある。
◎ミトラスと処女からの誕生
ジョセフ・キャンベルはミトラスの誕生をイエスのそれのような処女からの誕生であると記述した。彼はその主張に、古代の出典を与えていない。どの古代の原典においてもミトラスが処女から生まれたとは考えられていない。むしろ、洞窟の岩から自然に目覚めている。Mithraic Studies では、ミトラスは堅固な岩の中から大人の姿で生まれてきたと述べられている。「プリュギアの帽子を被り、岩の塊から生じた。今までのところではまだ彼の剥き出しの胴は見えない。めいめいの手で彼は灯された松明を高く掲げる。風変わりな細部として、ペトラ・ゲネトリクス(母なる岩)から彼の周りに赤い炎が吹き出る」。デイヴィッド・ウランジーはこれが鍾乳洞で生まれたとするペルセウス神話から着想された信仰であると推測する。
◎ミトラスと12月25日
ローマ帝国時代、12月25日(冬至)にはナタリス・インウィクティと呼ばれる祭典があった。この祭典は、ソル・インウィクトゥス(不敗の太陽神)の誕生を祭るものである。このソル・インウィクトゥスとミトラスの関係をミトラス教徒がどう考えていたかは、当時の碑文から明白である。碑文には「ソル・インウィクトゥス・ミトラス」と記されており、ミトラス教徒にとってはミトラスがソル・インウィクトゥスであった。ミトラス教徒は太陽神ミトラスが冬至に「再び生まれる」という信仰をもち、冬至を祝った。(短くなり続けていた昼の時間が冬至を境に長くなっていくことから)。
現代において、12月25日は一般にイエス・キリストの誕生日とされキリスト教の祭日「クリスマス」として認識されている。しかし、これはキリスト教が広がる過程で前述の祭を吸収した後付けの習慣である。『新約聖書』にイエス・キリストが生まれた日付や時季を示す記述はなく、キリスト教各宗派においてもクリスマスはあくまで「イエス・キリストの降誕を記念し祝う祭日」としており、この日をイエス・キリストの誕生日と認定しているわけではない。
◎弥勒菩薩もミトラといわれる
仏教には、弥勒菩薩が存在し、「弥勒信仰」がある。この弥勒は、サンスクリット語ではマイトレーヤというが、マイトレーヤとは、ミスラの別名またはミスラから転用された神名である。すなわち「マイトレーヤ」は、ミスラ神の名と語源を同じくする。
中国・朝鮮・日本における弥勒菩薩信仰では、弥勒菩薩は釈迦(しゃか)が亡くなってから56億7000万年後に兜卒天(とそつてん)に登場して、世界を救済するとされている。
◎キリスト教における復活の描写
ミトラ教の存在は、キリスト教徒が最も触れられたくない異教のひとつである。なぜなら、ミトラ教こそ、キリスト教のルーツであり、ユダヤ教以外でキリスト教オリジナルとされている儀礼、例えば洗礼や聖餐など、そのほとんどを生み出しているためである。ミトラ教には、キリスト教が備えている救済宗教としての神話も神学も密儀も、全て備えていた。イエス・キリストに当たる救済者すなわちメシアは、ミトラ神そのものだった。
キリスト教よりはるかに歴史が長いのはもちろん、モーセがヘブル人をエジプトから脱出させたとされる出エジプトからみても、さらに400年も昔にミトラ教は成立していた。
ミトラ神話は、今から約6000~4000年前、すなわち西暦紀元前4000~2000年ころ(いわゆる牡牛座時代)に基本形が形成されたと推定できる。この天文学的な推定は、考古学的な資料が明らかにするミトラ教史を科学的な観点から裏付けている。