雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

孫・門野哲也  今日日本を離れる

2024-11-19 13:42:36 | 発想$感想

★ 今月初めから日本に遊びに来ていた、孫・門野哲也は今日19日日本を離れるはずである。
 今頃は成田空港にいるのだろう。
 このブログがアップされる頃にはアメリカにいるのだろう。

 小学校に入る直前にアメリカに移住してしまったので、
 日本のトモダチはいないので可哀そうな気もする。
 今回もアメリカでの子供のころからのトモダチのNoahくんと一緒にやって来た。
 殆どがアメリカで育っているのだが、
 それでも日本は母国であることは間違いない。
 どんな感じで日本を観ているのかなと思ったりする。

 今回の日本訪問でも我が家に何日か泊まっていたのだが、
 三木総合防災公園にも一度だけだが一緒に行った。

  


  誰に似たのか、1メートル90センチに近い長身である。

  
  
  
  こんなに大きいのは身内で彼だけである。
  アメリカが合ったのかな?

  12月には次男の兄・門野真也がやってくる。
  孫たちが忘れずに、三木に遊びに来てくれるのは結構なことである。
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兵庫県知事選   雑感

2024-11-19 05:49:44 | 政治

★ 兵庫県知事選は斎藤元彦知事の再選という結果になった。 
 こんなに反響のあった選挙は少ないのだろう。
 投票率も55%と過去を上回った。

 私自身はどうしようかなと迷ったのだが、投票はした。
 1県の知事選挙の結果をマスコミは終日伝えている。
 知名人たちがいろいろと意見を言っている。

 私自身はホントの処よく解らなかったのだが、
 『さいとう元彦』さんに一票を投じた。
 ほかの候補者のことがよく解らなかったからである。
 斎藤元彦さんをよく知っている訳ではないのだが、
 この問題が起ってからの一貫した斎藤元彦さんの態度を観ていて、
 『意志の強さ』は感じ取れるところがあったからだと思う。

 




  SNSを通じた広がりが大きかったと言われているが、
  選挙の形も変わってきたものである。


  私と武雄市長時代にいろいろとネット上で関係もあって、
  三木市と武雄市が繋がったりした元武雄市長の樋渡啓祐さんも意見を述べられていて

 



  本件で『斎藤さん不信任』の県議会は『解散が筋』、
  兵庫県の市長会がいうのではなく『一人で言え』と言われているが、
  正論だなと思ったりする。





★ 兵庫県の知事問題は今後もいろいろとあるだろうから、
  兵庫県民の一人として見守っていきたいと思っている。
  より良い兵庫県になっていって欲しいものである。


  
  

  
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緑ヶ丘町内を一回りしてきた

2024-11-18 07:37:24 | 発想$感想

★ 今朝は兵庫縣知事選挙の投票日だったので公園には行かずに町内を一回りして投票してきた。
今住んでいる三木市緑が丘は1969年(昭和44年)大和ハウス工業が造成を開始し「緑が丘ネオポリス」と名称を付け、1971年(昭和46年)に同市志染町より分離し街開きしたとあるのだが、
私はまだ仙台にいた頃だから、昭和45年以前だったと思うが元印刷屋にいて知っていた人が大和ハウスに移って、私が明石に出張していた時に、
三木にいい土地があるから買ってくれ』と言うのである。
現地も見たがまだ造成中でどの辺りかも解らぬ状態だったのだが、その人を信じて買うことにしたのである。 
 場所も広さも土地の価格もみんな任せて決めたのだが、土地をこんな買い方をする人はまずいないだろう。
 私は人を信じることを信条にしていて、『信じる人』と書いて『儲かる』と言うなどと言ったりしていたのだが、
 いままで騙されたことなどない。バカみたいな『性善説者』なのである。

そんなことで今ある我が家だが、この緑ヶ丘町で最善の立地だと思っている。
大和ハウスの人が真っ先に選んでくれたので悪い筈がないのである。
 ほぼ街の中央に位置し繁華街にも学校にも近いし、神鉄は緑ヶ丘駅も廣野ゴルフ場駅にも殆ど同じ距離だし、三宮行きのバス乗り場は家から200歩の距離である。

★ 今朝は兵庫縣知事選挙の投票日だったので投票ついでに周囲を一回りして、写真を撮ってきた。

 


 家をスタートして西の方へ延々と住宅街が続いている。
 2階建てまでしか許可にならないので高い建物はない。




 左に曲がるとこんな広い道に出る。




 一回りして投票所の緑ヶ丘小学校に。





 小学校から我が家の方向を見たところで、
 交差点のすぐ向こうを左に曲がったところが我が家で学校からは3分ぐらいの距離で、息子も娘もこの小学校に通っていた。




 小学校から神戸電鉄の緑ヶ丘駅のほうに向かった。




 駅の周りはこんなに綺麗である。





 駅の南側が『廣野ゴルフ場』で、私の生まれる1年前・昭和7年(1932)のスタートだからもう92年も前に出来ているのである。
 当然ながらゴルフ場の樹々も大きい。




 駅から街の中心地のほうに下ってゆく。




 サンロード商店街である。




 そしてその四つ角には銀行やco-opがある。






 そこから家のほうに戻って行く。




 三ノ宮経由神戸空港行のバスの停留場から我が家まで、歩数で数えてみたら200歩だった。
 そう言う意味では便利な立地で、
 三の宮で10時の映画を見るのに家を9時に出れば大丈夫間に合う。





★なかなかこんな環境の処は日本でも少ないのではなかろうか?
 そんな非常に気に入っている街の中を今朝は約6000歩歩いてきた。
 広大な公園が近くに幾つもあるし、
 三木市はホントに『日本で一番美しいまち』だと思っている。


 
  
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大學の野球部OB会に行ってきた

2024-11-16 21:44:22 | スポーツ

★ いまは兵庫県立大学となっているが私が在学中は神戸商大だった。
 その兵庫県立大学の野球部のOB会があって出席してきた。
 この野球部OB会に出席するようになったのは、
 私の2年上の先輩の太田武さんがOB会長になられて、
 新しい方式のOB会を開催されるようになってからである。
 その方式はちょっと世の中にはないなかなか盛りだくさんの素晴らしいOB会なのである。

 その内容はと言うと朝10時半からグランドでのいろんな競技から始まるのである。
 若手OBと現役との試合もあるし、1塁までの徒競走OBのソフトボール試などもあったりする。
 そして午後3時半からは場所を移して、
 所謂OB会が現役選手も含めて開催されるのだが、
 この会では出席全員が何か喋る機会を与えられる全員参加の会である。
 遠方にお住まいの出席できない先輩諸氏からのオークション品出品があって、
 このオークション金額が30万円にもなるのでこれを現役に寄付し部費の足しに充てるなどと言ういい企画もある。

 朝10時半に始まって夕方6時に終わるという長丁場なのである。

★ 私は朝11時頃から参加した。
  その時撮った母校の写真である。
  かっての母校から新しく場所は移動したのだが、
  広大でグランドもいっぱいあるし、なかなか綺麗で立派に出来ている。
  神戸商大姫路工大が一緒になって兵庫県立大学となったのである。

  
 

  
  いまの大学の理事長をされている国井総一郎さんにお会いして
 ご挨拶をし記念写真を撮って頂いた。
  国井さんは元ノーリツの社長さんで、
 このノーリツと言う会社は私の2年上の太田武郎さんの海兵出身のお兄さんが立ち上げられた会社で、
 太田武郎さんは副社長をされていたし、
 たまたまだが私の娘婿の門野匡秀がノーリツにいたのである。
 そんなこともあって国井さんとは初めてお会いしたのだが、
 『三木の古谷さんですか』と何となくご存じだったようである。

 国井さんは神戸商大ではないのだが、
 学生時代は野球部だったようでなかなかのプレーを披露されたのである。

 今回は国井さんにお会い出来て名刺交換をさせて頂いたのはよかった。
 娘婿の門野匡秀のこともよくご存じだった。





 

 私も91歳の最長老ながら『1塁までの徒競走』では走らせて頂いて結構スムースに8秒弱で走れたし、
 ソフトボールでは1番バッターでセカンドを守らせて頂いた。
 この写真は試合中にセカンドのポジションから写した写真である。
 
 


  昼の部が終って、これがOB総会での国井理事長のご挨拶である。

 




 こんな現役諸君の紹介もあったりした。

  

 
★ 私は最長老と言うこともあって『乾杯の音頭』を頼まれて、
 少しだけお話をさせて頂いたのだが、
 皆さん確りと聞いて頂いたようで非常に良かったなと思ったのだが、
 その中で『今回の総会を最後の出席にしたい』とも申し上げたのである。

 これは今回の総会に出てみて『そうすることにした』のだが、
 ● ソフトボールでのプレーが思うようにできないということ。
 ● 体は結構元気だが耳が遠くて総会での話が聞こえないこと。
 ● 私は学部7回だが、私の下は学部15回でその間の出席者がいないこと。
 ● つい2年ほど前までは先輩も後輩も前後に何人かの出席があったのである。
 
 そんな幾つかのことから、
 今日出席してから『今回限りにしよう』と思った次第なのである。

★ 私自身は神戸商大の野球部にはいろんな想い出もあったし、
 1回生からチームの中心で、3回生、4回生とキャプンを務め、
 大学卒業を1年延ばして5回生の時は野球部監督を1年間だけ務めたのである。
 当時は近畿大学が同じリーグにいたので優勝は出来なかったが、
 最後の秋のリーグでは小山修身投手が73イニング連続無失点と言う日本記録も創って、近大に次いで堂々の2位だったのである。
 近大はその後関西6大学に異動したので、若し近大が居なかったら『リーグ優勝』も本当に狙えたほどのチーム力だったのである。

 そんなこともあって、当時の私の前後の諸兄には想い出も懐かしさもあるのだが、残念ながらお会い出ることがなくなってしまっていることが、
 今回で終わりにしようと思った一番の理由だと思う。


 帰るころには、秋の日の入りは早くもうこんなに暗くなっていた。
 母校に来るのもこれが最後かなと思ってこんな写真を撮ってきた。

  


 学生時代、一番想い出の多かった野球部との具体的な関係もこれで終わりかなと思っている。
 ただOB会費の年会費はネットで自動口座振替になっているので、
 今後も生きてる限り、後輩たちへのわずかな支援は続くのである。
 そんな『大学の野球部のOB会に行ってきた』のである。



  
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協同学苑の周りを一周してきた

2024-11-16 06:19:47 | 発想$感想


★ 今朝は協同学苑の周りを一周してきた。
  約6km・所要時間1時間半・消費calは1000cal
       こんなコースである。
  変化に富んでいて良かった。


 


 ちょうど7時、協同学苑をスタート、

  


  隣接する住宅地の道路を南下する。




  いま、高齢者介護住宅ビルが建設中で、
  来年2月完成だそうで、この一帯が高齢者の住む住宅地になる予定。




 右折すると長い下りの坂道。




 坂を下って右折、協同学苑の裏手に当たる。




 いまは柵があって入れないが、
 昔はここで鮒釣りをした池である。
 昨今は何でも『危険』だという。
 池に柵をするなど、世界で日本だけだと思う。




  さらに下った右手には旧い神社がある。



 

 更に下って、集落の横を通って、




 
  更に行くとこんな池に出る。
  この池でもよく鮒釣りをしたものだ。

  


 そしてこれが『協同学苑』を北側から見たところ。
 この森の向こうが『協同学苑」である。




  そんな田園地帯を抜けて、住宅街に通じる道を上り、




  右折すると「協同学苑」に戻ってくる。




 いつも公園の中を周回してるのとほぼ同じ距離なのだが、
 この一周のほうが遠く感じる。

 ちょっと汗ばんで気持ちよかった。


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庭仕事  ごみ拾いと草抜き

2024-11-15 05:12:36 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 11月のこんな日を小春日和と言うのだろう。
 『庭巣事』をする気になって1時間ほど庭にいた。
 『庭仕事』と言ってもそんなに大したことではない。
 『ゴミ拾い』と『小さな草抜き』である。
 「小さな草抜き」と敢えて言ってるのは、『大きな草』は生えていないからである。

 先ずは『ゴミ拾い』だが、
 こんなになっていた場所が、

 


 こんなになったし、
  



   小石の周りもごみや落ち葉がいっぱいだったが、


 




 ごみを拾って打ち水すると、綺麗になった。







★  草抜きはこんな小さな生えたばかりの草を抜く。


 


  こんなところの草を抜いた。
  こちらは抜いた後である。
  あまり変わらぬようにも見えるが、間違いなく抜いている。

  


  これくらいの写真に写すとよく解らないが、
  小さな草は結構生えていた。

  今日1時間余りでやった場所である。
  綺麗になったと自己満足である。





 こんな風呂場の椅子に座ってやるので、
 別に疲れたりはしない。

 こんな椅子が庭先に三つほどあって、気が向いたらそのあたりのごみ拾いや
 草抜きをするので結構綺麗になっている。





  
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 好きなことだけをやれる人生   超長寿の秘密 

2024-11-14 00:22:42 | 私の生き方、考え方&意見

★ この頃は何でも直ぐ忘れてしまう。

 『超・長寿の秘密』と言うこんな本も読んでいっぱい赤線など入れているのだが、
 その内容は全然覚えていない。
 何のために読んだのかなと思ったりする。


  


 そんなことで、もう一度読みなおしてみたが、

 『90歳まで自立して元気』でいる男性は10%だというのだが、
 私はその部類に入っている。
 こんな『スーパー元気な男性たち』な中肉中背で姿勢がいい、歩く速度が速く声が大きい。そして食欲が落ちないとある。

 これは当たっている。

 多分、と言うかほぼ間違いなく私は100歳までは生きると思う。
 長寿の要素に『遺伝子』があるというが、祖母102歳、母104歳の『伝子』を間違いなく受け継いでいる。

 100歳以上生きれるような気がする。
 まだ先の話だが、100歳になっても祖母や母の100歳の時よりは元気だと思っている。
 祖母や母の91歳時代を知ってるが、少なくとも今の私の方が元気である。
 毎朝7000歩も確りと歩けているから、そう思うのである。

★ 毎日日記も書いてるし、ネットでブログもアップしている。
 Facebook のトモダチもいっぱいだし、私のアップするブログには毎日100人前後の人達が『いいね』を送ってくれる。
 これが結構励みになっているし、
 毎日することがいっぱいあって『退屈しない』のがいいのだと思っている。
 朝の散歩・庭仕事・ブログ・昼寝・日記などすることが多いし、
 家内が今でも家の中のことは全部やってくれて私は何もしなくていい。
 毎日やっていることと言えば、朝新聞を取って来てホッチキスで留めるぐらいのことである。
 自分のやりたいこと、好きなことだけをやれる人生は幸せそのものである。
 幸いにして現役時代も自分のやりたいことだけをやって過ごせた。
 引退後も自分のやりたいことだけをやれているのがいいのだと思う。
 そんなことが私の「超長寿の秘密」だと思っている。

 間違いなく100歳は元気で迎えられると思っている。

  
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不思議なネットの世界

2024-11-13 05:36:07 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ いまアメリカから孫の門野哲也 Noah Egan くんが日本に遊びに来ている。
 二人ともアメリカのプロのサッカー選手なのだが、

 『Noah Egan 』と画像検索したらこんな写真が現われた。
 プロの選手であるのは解るけど、こんなに有名なのだろうか?

  
 


  ついでに『門野哲也』と画像検索するとこんな写真が現われるし、





  兄貴の門野真也と検索するとこんな写真が現われる、

  


  これはなかなか不思議な世界である。


★ 『古谷錬太郎』と画像検索すると
  有名人でもないのにこんな写真が現われる。

  私以外のいろんな人の写真が現われるが、
  これはネットの世界にアップした私のブログがベースである。
 
  

  
  息子の古谷大治と娘の門野典子の写真もあるし


 


 アメリカに行ったときに撮った動画の中から、
 門野匡秀と内孫の古谷仁のツーショットも出てきた。

 



★ 不思議なネットの世界である。
 そしてそれは、有名人や一般人に関係なく公平で、
 ネットにアップされる頻度がベースになっているように思うのである。

 そう言う意味では『古谷錬太郎』も結構有名人の中に入れてくれている。
 兎に角、私の場合はブログや写真はネットの世界が整理をしてくれるので自分で整理などしなくても、
 『ネット検索』すると現れるので重宝している。


★ 内孫の古谷仁もいろいろとネットは関係していて
 『古谷仁』と画像検索するとこんな写真が現われた。


  

 

  

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孫・門野哲也 三木にやって来た

2024-11-12 06:05:05 | 発想$感想

★ アメリカにいる孫・門野哲也は今日本に遊びに来ている。
 昨日から我が家にやって来た。
 サッカーのチームメートのNoah Egan くんと一緒である。

  
 

 14日まで滞在する。
 二人はアメリカIrvine をホームにするIrvine Zeta FCと言うプロサッカーチームに所属するプロサッカー選手なのである。

 後列左の二人だが、
 このチームのキャプテンは兄の門野真也が務めている。


  


  いまシーズンオフで日本に遊びに来てるのだが、
  今週は三木の我が家に滞在するようだ。

  哲也は4年振りの日本だが、
  兄の真也は毎年日本に遊びに来ている。
  今年も多分、年末から新年に掛けて日本にやって来るのだろう。

   

  
  今日は六甲山に登るとか言って朝6時半から出かけて行った。
  夕方戻ってきて、「焼肉こさる」に焼肉を食いに行った。
  
  
  

   いつ行っても、ここの焼肉は旨い。

 

   
  Noahくんも大満足のようだった。

  


  若い人がいると賑やかでいい。
  明日は大阪、明後日は京都に行く予定だとか。


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我が家のコンシンネ

2024-11-11 05:18:01 | 発想$感想

★ 我が家にはずっとコンシンネの鉢がある。
  この写真の右側の鉢が最初に園芸店で買ってきたコンシンネなのだが、
  この後、枯れてしまった。


    



   左の手前の鉢は『挿し木』で増やしたコンシンネだが、
   この時で4年目ぐらいだと思う。

   それから何年か経ってこれが今のコンシンネである。
   春から夏の間は庭先に出しているのだが、
   寒さに弱いので11月から3月までは家の中に入れている。
   
  


  何本かあるがみんな挿し木で頭を切るとそこからまた二つか三つの芽を出して枝になる。

  そんな形を創っていくのが楽しみである。


  
  

   下にある小さなのは、上の方を切ったもので
  そこから枝分かれしている。
 

 


  これか冬の間は家の中に置いておくだけなのだが、
  来年はどのようにすべきかいろいろと考えているのも楽しい。

  そんな我が家のコンシンネなのである。
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蕪会に出席してきた

2024-11-10 06:14:23 | カワサキワールド

★ 昨日は蕪会だった。
  私は昭和32年(1957)、当時の川崎航空機工業に入社したのだが、
  その頃から蕪会は有ったのだと思う。
  これは明石工場の『課長や部長らの会』だったのだが、
  その後、明石工場がどんどん大きくなって川崎重工業の沢山の部門が入って
  この『蕪会』の人数も膨大になってしまったので、
  再編成して単車と発動機出身のメンバーに絞ったのが2014年のことである。

  私はそ再開された2014年の蕪会に初めて出席したのだが、
  今回が確か3回目の出席なのである。

 私は91歳なので最長老かと思ったら95歳の岸田正昭さんが出席されていた。
 左が岸田さん、右は今この蕪会会長の三原修二さんである。

  
  

  その三原さんの幕開けのご挨拶から始まって、




  来賓祝辞は現役のカワサキモータースの友森常務がなさって、
  カワサキ二輪事業の現状などの説明もあったのだが、
  カワサキの二輪事業も今は川崎重工業を支える存在になっている。

  時代は変わって今は二輪事業は川重から分離独立して
  『カワサキモータース』として存在するのだが
  その基本コンセプトに採用されているのが

  Kawasaki. Let the Good Times roll! なのである。
 
  今回、私はこの蕪会の幕開けの『乾杯の音頭』を頼まれたのだが、
  Kawasaki. Let the Good Times roll! が今生きている経緯をお話して
  ご挨拶に代えたのである。


  
  
  
  このコンセプトは1970年代アメリカのKMCで採用されたコンセプトなのだが、
  なぜか4年ほどで消え失せてしまったのである。
  これを復活したのはずっと後の1992年に当時国内市場を担当していた私が国内で復活したのである。
 その後単車出身の田崎雅元さんが川重社長当時は川崎重工業の基本コンセプトになったこともあるのだが、
 それもまた、いつか消え失せていたのを、
 カワサキモータース株が出来た時に伊藤社長が復活されたのである。

  

   Kawasaki. Let the Good Times roll!
   カワサキに出会う人たちがみんなハッピーになるように
   カワサキはそんなコンセプトを転がし続けます
   と言うコンセプトは発表当時アメリカでも人気で
   歌になっていたりしたのである。

   そんな私にとっては非常に想いのあるコンセプト
   今は確りとカワサキモータースが受け継いでくれているので、
   非常に嬉しく思っているので、
   そんなかっての経緯をお話してご挨拶に代えたのである。

   Kawasaki. Let the Good Times roll!


★ そんなコンセプト通りの『いい時間』が過ごせたのだが、

  


  この『蕪会』にもあと何回出席することが出来るだろうか?


  
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実のなる木

2024-11-09 06:56:00 | 発想$感想

★ 「実のなる木は庭に植えるな」などとも言われるが、
 我が家の庭は『実のなる木』がいっぱいである。

 今年はこんなにいっぱい実の付いた柿の木を買ってきて植えたところである。
 
     



  今年は数は少ないがその分実が大きい。
  昨年は鈴なりにいっぱい成っていた。
  来年は多分、数が多いのだろう。





  こんなざくろもある。
  まだ、はじけていないがもう少しすると実が割れていっぱい種が見える。
  毎年、『ザクロ酒』などにする。


  
 


  名前は解らぬが、こんなにいっぱい赤い実を付けている。

  



  庭にいっぱい植わっているのが千両と万両である。

  千両は株分けで


   


  万両は種が落ちて自生する。
  小さいのを入れると多分100本以上ある。




  秋から冬にかけて実が色づく季節は楽しい。


  
  
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第47代アメリカ大統領はトランプさん

2024-11-07 06:21:03 | 発想$感想

★ アメリカ大統領は大接戦を予想されていたが、
 共和党のトランプさんの大統領が決まったようである。
 NHKは終日この大統領選挙を流していて、
 それに付き合って午後からはずっとこのテレビを観ていた。

 いま午後6時前だが、既にトランプさんは勝利宣言をしたのだが、
 
  

 
  過半数「270人」に対していま「266人」で残り7州・53人だが、
  間違いなくトランプで決まるのだろう。
  

 


  民主党のバイデン大統領のこの4年間のアメリカは
  何となく大人しかったように思うのだが、
  トランプ大統領になると、多分ニュースいっぱいのアメリカになるのだろう。

  政治の世界のことなど解ってはいないのだが、
  話題いっぱいで賑やかな方が何となくオモシロイ。
  

★ それにしてもアメリカは、州によって全然違うのにはびっくりした。
  この辺りは日本などと違って、
  各州がそれぞれ独自の想いがあるようで、
  全然、別の国のような得票の状況なのである。

  圧倒的に「民主党・ハリス」という州が幾つもあったのには驚いた。
  日本では考えられないことである。

 そんなアメリカとは密接な関係のある日本である。
 日本にとってはトランプさんとハリスさんとどちらがよかったのだろう?

 
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サギ      雑感

2024-11-06 08:51:21 | 発想$感想

★ 昨日、協同学苑を散歩していたら池に1羽の鷺がいた。

 中央の茂みの奥にいるのだが、





  
 右から廻って、写真を撮ることに成功した。




 
  人に驚いたのかすぐに飛び立っていった。


  
  
  この池には毎年産まれる鯉の稚魚などがいるので、
  それを狙ってやってきたのだろう。

  調べてみたら、三木市でも2008年ごはサギの集団繁殖地が確認されたという記録があるのだが、最近では鷺を見るのは珍しい。


★ 1羽の鷺は珍しくていいのだが、数百匹にもなると、それは困るだろう。
  三木からそんなに遠くではない 丹波篠山市では、2020年7月にムクノキに100羽以上のサギが鈴なりになって大規模なコロニーを形成する様子が確認されたという。

  

  
  鷺もこんなにいっぱいでは大変である。
  巣がある木を伐採するなどの対応をとっても、
  群れは別の木に移り、再びトラブルに発展しているという。

  2020年の話だが、今はどうなっているのだろう。

  1羽の鷺は珍しくていいが、100羽の鷺は大変である。
  それにしても100羽の鷺が生きていけるだけの餌があるのだろうか?




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昭和39年(1964)という年  カワサキ単車の昔話

2024-11-06 05:45:20 | カワサキ単車の昔話

★ 昭和39年という年はカワサキにとっても、私にとっても非常に大きな意味を持つ年だったなと思う。

 カワサキが単車の一貫生産を始めたのは昭和35年なのだが、
 それからの3年間は発動機事業部の中の一部門として単車があったのだが、
 昭和39年1月から単車事業部として独立して、その事業本部長には当時の本社常務だった岩城良三さんが指揮を取られることになったのである。

「隣国の兵は大なり、その武器は豊なり、その武勇は優れたり、然れども指揮の一点譲るべからず」
 と常に話の冒頭はこの言葉で始まった。

 当時の本社は単車事業を軌道に乗せるため、3年間本社開発費で1億2000万円の広告宣伝予算を取り、広告宣伝課が出来てその課を担当することになったのである。

★ 当時の日記を読み返しているのだが、
 1月に単車が独立分離され広告宣伝課がスタート
 2月には広告宣伝代理店の選定
 3月に広告代理店は大広と決定
 4月にはカワサキのファクトリーチームがMCFAJの朝霧での全日本MXに出場、山本隆がオープンで優勝
 5月には北海道・東北の代理店訪問をしている。 当時は末端市場は各地の自前代理店が販売を担当していた。
 6月にはカワサキの初めての中間車種「85ーJ1」の試乗会があった。
  

 7月には当時映画関係で日活とは密接に繋がっていたのだが、明石日活に挨拶に来ていて当時のスター浜田光夫に声を掛けたら、明石工場にやって来て、テストコースでバイクに乗ったりした。
 それを観るために発動機の女工さんのラインが止まってしまったというハプニングもあった。
 そんな当時のスター浜田光夫である。

  
  
 

8月にはABCテレビの人気番組「源平芸能合戦」に川崎航空機として出場している。相手は三洋電機だった。

 

  
 9月には東京モータショー開幕、初日の入場者は17万3000人だった。

 10月10日にはMCFAJの丸の山全日本MXで90㏄三橋実・125㏄山本隆が久保・荒井を抑えて、オープンは梅津次郎と3種目優勝を果たした。


  

  
  因みにこの日は東京オリンピックの開会式当日だった。


 11月には和歌山でスポーツニッポン主催の西日本MXの第1会大会があった。
  このレースのノービスクラスに初めて星野一義が出場している。

  


  まだ有名人でもないただの17歳の新人ライダーだった。
  真ん中が星野、一番左は金子豊、みんな立派に成ったものである。


   12月には尾西市であった日活の「花咲く乙女たち」の現場ロケで単車が出る場面があったので出かけている。


★ こんな1年だった。
  私は広告宣伝とレースを担当したお陰で、その後の人生が豊かなものになったことは間違いない、
  昭和39年はそんなスタートの第1年だったのである。


  
コメント (2)
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