ウルフ(1994年 映画)

2023-07-31 00:00:21 | 映画・演劇・Video
ホラーなのか喜劇なのか。ジャック・ニコルソンが喜劇に出演するのも考えにくいが、純粋ホラー映画のように体に寒気が走るような怖さはこない。現実と少し離れた話だからだ。

主人公のウィル(演:ニコルソン)は、ある夜に運転中にオオカミに衝突してしまう。倒れていたオオカミに近付くと、まだ生きていたオオカミにガブられたわけだ。

そして、彼の体は少しずつオオカミに近付いていくわけだ。

初老の文芸雑誌の編集者だったウィルは、売れ行き不振のため、社長から左遷を言い渡される。アメリカ国内ではなく、行き先は東ヨーロッパ。地球儀で見ると右方面なので右遷というべきかもしれないが、断固断わり退職を決意するが、徐々にオオカミ的に研ぎ澄まされた彼には、知らなくてもいいようなことがわかってくる。別室の内緒話も聞こえてしまうし、妻の衣類からは不倫相手の匂いがわかってしまう。

さらに最悪は、夜になって月を見ると、オオカミになってしまうわけだ。動物園に侵入して動物たちを恐怖に落とし込んだり、自然公園で小鹿を殺したり。四つ足で駆けまわったり。

そして生え代わっていく体毛を処理しないといけない。

そして、殺人事件が起きるわけだが、途中で若い男性一名と若い女性1名にかみついてしまうのだが、それによってオオカミ人間が増殖を始めたわけだ。

基本的に喜劇なのだろうが、ニコルソンが演じると迫真さでハラハラしてしまう。

日本にはオオカミはいないので、本邦版をつくるとなると熊だろうか。ただ、熊はオオカミより怖いのだが、そんなに凶暴な顔ではないし、体つきもスマートではないので別の狂暴生物を使わないといけないだろう。日本で最も狂暴そうな役に相応しいのは、一番は人間に間違いないが、二番目はなんだろうか。結局、ゴジラとかになるのかもしれない。

街路樹枯死事件?

2023-07-30 00:00:56 | 市民A
MIGMORTOR店舗前の街路樹の多くが枯れて、若木に植え替えになった事件の捜査が始まった。

ロードサイドビジネスの場合、遠くから看板が見えるように工夫するのだが、大きな道路では歩道があり、看板は原則として歩道にはみ出せない(例外があって歩道にはみ出した部分の道路使用料を払えば認められることもある。)。そして歩道の車道側には街路樹が植えてあることがあり、夏になれば葉が茂り、看板も見えないし店舗も見えない。街路樹が邪魔になる。

とはいえ、街路樹を除草剤で枯らしてはいけないわけだ。なにしろ、植林されて、まだ木が大きくなれば葉が茂る。

それで、ずっと以前の話になるが、木は枯れないが葉が落ちる程度の物質を使うことが多いといわれていた・

それは、『〇〇』だそうだ。『〇〇』を使うと地面が汚れるし、枯れてしまうと言われていた。

報道で感じている違和感なのだが、通常、農薬や家庭の雑草に有効な除草剤だが、地面に撒いても効果はなく、雑草の葉にかければ、根まで枯らせるというような商品が一般的だ。一体、何を使ったのだろう。


ところで、BIGMORTORに修理を頼むと、中古部品が使用されることが多いと言われる。それを逆手にとって、修理を頼むときに「中古部品でもOKです」と言っておけば、安くしてもらえるのだろう。

強すぎて・・

2023-07-29 00:00:00 | しょうぎ
最近のタイトル戦をみていると、藤井先生が強すぎて、そろそろ小問題が勃発しそうな気配を感じる。

強すぎる話だが、渡辺戦、大地戦で感じたのは、挑戦者が勝つことは困難ということ。AIの解析上、1.挑戦者に勝機が訪れなかったケース、2。挑戦者に勝機が1回だけ訪れたケースの二択のようになっていて、2の勝機が1回訪れたケースも、人間の頭脳では発見が困難なような深淵な手とか、不利な状態から挽回してせいぜい五分にもっていけるとか、早い話が絶望的だ。

本当に小さな問題だが、名古屋の新対局場は、藤井先生のために作られたのかもしれないが、出場棋戦がタイトル戦に集中してしまうと、使い道がないということになってしまう。


さて、7月15日出題作の解答。








今週の問題。



解ったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

シャレード(1963年 映画)

2023-07-28 00:00:44 | 映画・演劇・Video
オードリー・ヘプバーン主演のサスペンス。夫が殺された事件で最初に疑われたのは、不仲だった妻(演:ヘプバーン)だったが、それは亡くなった夫が何か国かのパスポートを持って本名も偽っていたからだ。そして夫は、第二次世界大戦末期に関わる巨額の不正資金に関わる人物だった。当時の額で25万ドル。

ということで、パリから脱走を図って殺された夫の昔の仲間だった悪人たちが葬儀にやってくる。合計4人。そして相互に疑心暗鬼で殺人を繰り返していく。既に誰かが手にしていて、残りの人間を消そうとしていると考える。

その4人の中に、人相的に善人か悪人か判断付けがたい男(ケーリー・グランド)がいた。彼女につきまとい、どちらの側にも関係を持っている。

実際、悪役が4人とは多すぎるような気もする。観ていて混乱する。さらに実際には、他にも狙っている男がいたわけだ。

60年前の映画についてあれこれ言うのはおかしいかもしれないが、最後のまとめ方が安直な気がしたが、当時の社会は、冷戦時代であり、「善悪二元論」だったのだろう。

主演の女優と男優が結婚して、悪漢たちから回収した25万ドルが米国政府の金庫に戻されたわけだ。残りの悪漢たちは、鉄道から転落、ビルから転落など残忍な方法で殺されてしまう。

追記だが、最初に犯人と疑われたヘプバーンは、パリ警察の署長から、「フランスにはギロチンというものがある」と脅かされる。王様も女王も首を落とされ、その後色々あって国王制はなくなったのだが、奇妙なことに貴族は復活した。

砂の十字架(木本正次著)

2023-07-27 00:00:21 | 書評
昭和45年に出版された『砂の十字架』(講談社)は定価580円となっている。消費税はない。茨城県の遠浅の砂浜に堀込の港を作り、コンビナートを作った話で、ある意味ではドキュメンタリーであり、ある意味では昭和30年代の日本が何をやっていたかの証言でもある。



著者の木本正次氏のことは詳しくなく、内容からいって茨城県庁の職員の方の回顧録かなと思っていた。記述に繰り返しが多かったり、若干、本筋から外れたりするので、アマチュアかと思っていたのだが、毎日新聞編集委員を経て、作家であったそうだ。あの有名な『黒部の太陽』の原作者だそうだ。読後わかったが、本書も「蘇える大地」とタイトルが変わり、やはり石原裕次郎主演で映画になったそうだ。

本書は、はっきりした主人公はないが、計画の中心にいたのは茨城県知事の岩上だろうか。それ以外にも多くの登場人物がでてくるが、中央官庁の役人とか開発によって奪われる土地の売買に応じない地元の人たちについてはネガティブな書き方になっている。

それと、360頁であるが、字が小さく、最近の本なら500頁といったところで、結構疲れる。

そして、コンビナートが動き始め、本書が刊行されてから50~60年になる。

2011年の大震災の時は、掘り込み港であったからこそ掘り込みを乗り越えた津波の浸水があり、頑丈なはずの地盤が崩れおおくの企業の岸壁が破損した。

また、当時の重厚長大型の鉄鋼、電力、石油化学といった企業は、企業の寿命としてはピークアウトして、当時の中規模の会社の方が業績好調になっている。

といって、敷地を広い方と狭い方が交換するというようなことにはなっていない。名門企業のプライドがあるからだろう。

スーツケースに入らなかったからだろう

2023-07-26 00:00:11 | 市民A
すすきの首無し殺人事件が容疑者の逮捕という状態になった。逮捕容疑の一つが、死体遺棄となっているが、殺された場所(ホテルの客室)にあるのだから「遺棄」ということばが妥当なのだろうか。それと死体損壊と死体領得。死体領得とは死体(あるいはその一部)を持ち帰る行為だそうだ。戦国時代の武士のように敵兵の首を持ち帰って戦争後のご褒美を得るということはあったが、今回、どうなのだろうか。トマス・ハリスの小説のような場合に適用するのかな。

ちなみに、昭和11年の阿部定事件では殺人と死体損壊が適用になったが、犯行女性が男性器を持ち帰ったことについては最終的には問われていない。

当初、3人目の登場人物が医師の父親というのが、本物のミステリー風で、父親が最初からスーツケースの中に隠れて手際よく現場で執刀し、犯行後もスーツケースに隠れて脱出したのかと思ったが、なにしろスーツケースの中に人が入っていたら重くて動きが不自然だろう。ゴーン氏のように楽器箱を使えば可能だろうが。

ということで、あらかじめ父親が解体法を教えておいて、ご遺体をバラバラにしてスーツケースに入れて運び出すつもりだったのだろう。おそらく、スーツケースを用意した計画段階で、全身を運び出すためには首が邪魔という結論になって、最初に首を取り始めたのだろう。

しかし全部バラバラは時間的、体力的に無理ということで、途中で計画変更になったのではないだろうか。完璧にやるなら両親もあらかじめホテルにチェックインして三人がかりで事後処理すべきだったのだろう。小さなスーツケース3個でよかっただろうし。

動機については、まったくわからないが、一家総出で一人殺すほどの重大な案件があったことが予想されるわけだ。もしやるにしても街の真ん中の使用時間のある程度限られているホテルの部屋で実行するとは緊急性があったのかもしれない。

被害者の趣味が女装だけではなく、もっと根深いものだったという説もあるようだが、それにしてもまだ一向に理解できない、きっと、事実は小説より奇なりということだろう。

本物の横浜荏田東郵便局

2023-07-25 00:00:03 | 市民A
少し前から、かんぽ生命のCMで学資保険が流れている。夏木マリと丸山礼が義親子を演じている。



4月末から流れているが、驚いたのは背景の郵便局。どこかでみたことがあると思ったら「横浜荏田東郵便局」となっている。つまり、ご近所だ。



実物、そのものだ。

なにしろ、自宅から遠いけれど最も近い金融機関(つまりATMがある)であることと、自宅から遠いけれど最も近い郵便ポストがある。

CMでは二人以外に6人の人間が郵便局の周りにいるのだが、現実の郵便局にはそんなに人がいたのを見たことがないので、歩行者や駐輪場などの人は、一応キャストなのだろう。

どうして、この郵便局が撮影現場として選ばれたのかは全く不明だが、全面が道路ではなくカメラの設置の都合なのかもしれない。遊歩道というか遊歩広場になっている。

ところで、夏木マリと丸山礼が演じているのは『義親子』。偽親子が義親子を演じている。もうすぐ孫が産まれるシチュエーションなのだろうか。産まれる前に保険を掛けるのは違反ではないかと思ったら、出産予定日の140日前から加入できると書かれていて、驚愕した。

かんぽ生命は何を焦っているのだろうか。この分だと事後に加入できる生命保険もあるかもしれない。

『無精床』『都々逸親子』『転宅』

2023-07-24 00:00:28 | 落語
北海道から帰って、また落語を聴きはじめる。どうも話の長さは「20分」「40分」「60尺」三種類の尺があるようで。とりあえず「20分尺」を聴きはじめている。音声で聞いているため、落語家の技の一つである身振りがわからないので、観客の笑い声の意味が解らないこともあるが、仕方ない。

最近聞いたのが『無精床』『都々逸親子』(演:柳家権太楼)、『転宅』(演:柳家さん喬)。

『無精床』
床という意味が、「ふとん」のことだと思って、布団を敷きっぱなしにしている男の失敗談のことかと思ったのだが、実際は「床」=「床屋」ということで、無精な床屋の店主のところに無精な客がやってきて、無精合戦をする展開になる。最後は耳を剃刀で切り落とそうかということになる。

ところで、床屋はヘアーサロンと言い始め、美容院はビューティーサロン。理容師と美容師の大きな差は剃刀の髭剃りということらしい。

最近は首切り殺人まで起こるようになり、耳切りぐらいでうけるのかなと心配になる。落語の筋も首を切り落としてしまう、に変えなければならないかな。


『都々逸親子』
これも都々逸のルールを知らないと苦しい。江戸時代に都々逸坊扇歌(1804年-1852年)によって大衆化した七・七・七・五の文字で読む主に口頭詩。発展した一方が御座敷芸としてであり、したがって色っぽい方向にあり、もう一つの庶民芸の方向は生活密着型の方向になる。

『都々逸親子』は親子で同じ題目で都々逸制作合戦をする話で、子どもの方が「色っぽい艶歌」を連発することが笑いを産むのだが、親子の声を語りわけるという技術的な問題があって、簡単そうで難しいのかもしれない。この音域を変えるという芸が女性には難しいという理由で、女性落語家が少ない理由とも言われるが、よくわからない。

『転宅』
話の筋の展開が切り分けられていて、ストーリー性が高い。まず登場するのが、「お妾さん」。旦那からお手当をもらっているのだが、そこに忍び込んだのが泥棒氏。旦那の食べ残した豪華な食事を食べ漁っているところを妾に見つかると、こんどは刃物を突き付けてもらったお手当を渡せと居直る。いわゆる居直り強盗に変わる。次の展開は、この妾が「私ももとは泥棒だった」と身の上話を始める。そして話芸で、泥棒との結婚をちらつかせる。旦那とは手切れ交渉中で、慰謝料の大金が入る予定と打ち明ける。そして両者結婚に合意したのだが、今夜は旦那と最後の金銭交渉をするので、明日来てくれればいいといって、泥棒の財布の中から金を借りてしまう。そして最終展開として、翌日、泥棒氏が宅に行くと、もぬけの殻。近所の人に聞くと、「間抜けの泥棒から金を巻き上げたので、長居はできない」として転宅してしまったことを告げられるわけだ。

話が短くストーリー性があるので、落語家にとっても間違えると修復不能な致命傷になりそうな筋立てだと思う。オチの部分が何種類かあるようだ。

神が創った楽園タヒチ(安西水丸著)

2023-07-23 00:00:18 | 書評
副題は「ゴーギャンを辿って」。イラストレーターであり文筆業でもある安西水丸氏が亡くなる10年前の2004年にタヒチを訪れ、ゴーギャンの画家としての生活の跡を辿っていく。文章は安西氏が書き、写真家の小平尚典氏が撮影している。



ゴーギャンのことは、以前、日本(新美術館)で展覧会があった時に調べていて、さらに最近、サマセット・モームが『月と6ペンス』の中でゴーギャンと思われる画家を主人公にしていたりして、その流れで、本書に辿りついた。

安西氏は、一応、ゴーギャンと同業者と思っていたのかもしれないが、複雑な経緯の末、タヒチに辿り着いたゴーギャンを、「タヒチに来てよかったね」という立場で書いているのだが、事実はそうではないような気がする。しかもタヒチからさらに別の島に行って亡くなっている。ゴーギャンにとってはタヒチは楽園ではないのではないだろうか、と思う

誕生日記念号

2023-07-22 00:00:30 | しょうぎ
2002年7月19日に誕生した藤井聡太7冠(現在)の誕生日を記念して詰将棋パラダイス誌2023年7月号は彼の肖像画と自作の詰将棋を表紙にしている。絵をよく見ると帽子のマークは星が7つで中央には7の文字が書かれ、体の周りには7つの星が描かれている、7冠王を意味している。タイトル戦が次々に組まれているが、いつ表紙の図案を決定したのだろうか。



表紙の裏側には、7冠王からの寄稿があり、その中に、『先日家の棚を整理していたら、小さいころの創作ノートが見つかりました。・・・・・』というくだりがあった。そのあと、11歳で初入選したことや、最近はあまり創作していないことが書かれているのだが、実は話の枕となる「家の棚の整理」が気になった。

家の棚の整理というのは普通は嫌になる作業だ。あまり生産的な作業ではなく、やらなければいけないと思いつつも、つい先延ばしにしてしまうのが通常だ。ということは、何か生活の変化があるのだろうか。たとえば、引越しとか。

1. 対局過多のため、東京か大阪にセカンドハウスを持つことにした。
2. 賞金で、自宅を御殿に建て直す。
3. 結婚して新居を構える。

1,2,3をすべて行うとか。結婚して、東京に御殿のような新居を建てる、とか。

詰将棋をあまり作らないというのは、確か谷川17世名人の助言だったはず。5年後に永世名人になった後に発表すべく、コツコツと煙詰め百題とか作っているのではないだろうか。


さて、7月8日出題作の解答。








今週の問題。



解ったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

戦国大名の経済学(川戸貴史著)

2023-07-21 00:00:27 | 書評
講談社現代新書から2020年6月に出版され、おそらく翌7月に電子書籍化されている。



そもそも大名というのは、応仁の乱で室町幕府が弱体化したため地方の有力な武士集団が自分たちの私腹を肥やすために領地を主張し、勝手に農民や商人、また旅行者から通行料を取り始めたりしたわけだ。

さらに、自分の領土の中だけで使える通貨とか独立国風に経済を行いはじめたわけだ。

視点はそういうマクロだけではなく、一般の武士が戦場に向かう時の装備とかは、それぞれ自前で、刀や槍の相場を始め兜や馬、鉄砲など集めれば100万円を大きく超える負担だったそうだ。もっとも裸で戦争に行くわけにはいかないので、必要経費だったのだろう。元を取るためには敵将の首が必要なのだから、捕虜を生かしておくわけにはいかない。また、大名は兵站が必要で、一回の戦争に軽く1億円は必要。勝つか負けるかわからないので金を貸してくれる人もいない。

余談だが、ローマ帝国は戦争で勝つと、捕虜を生け捕りして、戦後、相手の国に金を払わせて帰国させ、金を払わない国の捕虜は、奴隷として酷使していた。ソ連やロシア方式に近い。殺さないからといって、ヒューマニズムということではない。単なるビジネス。

時代が下って江戸時代になれば、戦争がないことが前提だったので、貧乏サムライは刀を質に入れて竹光で代用したりしたらしい。「たそがれ清兵衛」という映画では、脇差だけは本物を使っていた剣豪の話だ。

結局、鉱山経営を始めたり、外国と貿易したりした大名が武器を買いこんだりして強大化していくのだが、経済が拡大した反動で、銭(貨幣)不足という事態になり、銭の代わりにリアルな「米」が第二貨幣となっていったようだ。なにか現代の金価格の上昇と似ているような現象だ。

第三の男(1949年 映画)

2023-07-20 00:00:19 | 映画・演劇・Video
往年の名作を少しずつ観ている。主役は米国の三文作家。友人からの招待でウィーンへ向かう。まだ米英仏ソの四か国統治時代だ。ところが現地に到着した彼は前日に友人が交通事故で死んだことを伝えられる。

不審に思った彼は、作家らしく、事の真実を知るために嗅ぎまわり始める。そして公式的には事故現場にいた目撃者は二人といわれていたのだが、三人目がいたことを知る。そして警察に事情を説明するが相手にしてもらえない。

一方、友人の愛人(ダンサー)と接触して、彼女や友人の知人たちとの接点が生まれる。そして色々あって、現場にいた三人目の男を突き止め、警察と連携を始める。どうも友人は大犯罪者だったわけだ。

その友人を演じるのはオーソン・ウェルズ。まだ青年だが、そのままの顔で老人になったわけだ。

74年前の映画を後付けで評価するのはフェアではないだろう。三人目の男が実は死んだはずの男だったというロジックも、現代のミステリファンならすぐに見抜くだろうが、数多くの同種のプロットは、この映画を起源にしているのかもしれない。

オーソン・ウェルズの配役についても、後の彼の方向性から言うと犯罪者ではないかと疑らせてしまうのだが、しかたがない。


最後に極悪犯が射殺されるので、ハッピーエンドというのかと思ったが、そうではないようだ。

北海道の事件

2023-07-19 00:00:38 | 市民A
旅行に行くと、その後、行った先で事件が起きることが多いと薄々感じていたが、今回もだ。

まず、すすきの首切り殺人事件。2週間経つが、被害者の女装趣味とか事件のホテル名や部屋番号までさらされてしまった。ホテルは営業していないそうで、外装を替えたりホテル名を替えたり、全部屋の部屋番号を変えてしまうのだろう。被害者の名誉を傷つけるような記事が多いが、女装しようが、誰とホテルに行こうが、犯罪行為ではないし、首を切られるような理由は考えにくい。

しかも、殺人者の手際が良い。すべてバスルームの中で片づけているようだ。犯人が男か女かはわかっていないが、計画的すぎる。

一見、猟奇的だが、単なる組織的な計画殺人ではないだろうか。ある組織が、被害者を生かしておくわけには行かない理由があって、被害者の生活実態を調べた上、ワナにかけた。

すすきのも南に行くとラブホテルが多くなるようだが、このホテルの向かいにはビジネスホテルもあるようだ。すすきのとはいえ深夜に大きなスーツケースにリュックでは目立つはず。単独の犯行ではないのではないだろうか。

映画『探偵はBarにいる』シリーズはすすきのの裏社会がテーマになっている。主演の大泉洋に見立てしてもらえばいいだろう・



つぎにニセコの隣町の蘭越町での温水噴き出しの件。今や街中でも温泉を掘っていく時代なのに、何か油断したのだろうか。穴を塞ぐのは簡単ではないだろう。

地熱発電用の試掘だったようだが、勘違いされないように書くと、地面から熱湯をくみ上げて、発電に使った後、お湯はまた地下水脈に流し込んで、川に流したりはしないので。

紅白三種丼

2023-07-18 00:00:46 | あじ
小樽駅の近くで48時間の契約で借りたレンタカーを47時間50分で返したため、スーツケースを持って遅い昼食をとることになる。この後、新千歳空港からのフライトを逆算するとあまりロスタイムは作れない。



時間の計算は、小学校の時に虫垂炎で休んだ時に授業で教えていたようで、今でも苦手だ。120分のDVDを1.3倍速で見ると今から何分後になって、それは何時何分だろうか、というような問題は、間違いなく計算ミスを犯す。

結局、駅から徒歩1分の三角市場で探すが、斜面地で狭い空間に大勢が集まっている。最も有名と思われる店で海鮮丼の一種を食べる。ネタは、カニ、エビ、ホタテの三種。名前を忘れてしまったので「紅白丼」ということにしておく。



10年以上前に元気寿司で「AKB盛り」をいただいたことがある。アマエビ、かつを、ビンチヨウの頭文字だった。比べるようなものではないか。

シリパ岬からロウソク岩へ

2023-07-17 00:00:26 | たび
余市の市街地から北西方面、つまり積丹半島の海岸沿いに延びる国道229号線を進むと、右前方に見えるのが、余市のシンボルであるシリパ岬。形状的には左から右へ伸びる尾根が、突然に海に崩れ落ちたように見える。数万年かそれ以上前かもしれないが、何らかの巨大な崩落があったのだろうか。シリパはアイヌ語で「山の頭」という意味らしいが、さらに意味が解らない。



この峠の部分は内陸に迂回して、再び国道は海岸線に出て、遠くの海を眺めると奇岩が見えてくる。観光の目的としていたロウソク岩だが、思っていたよりもずっと海の先の方にある。



しかし、この奇岩だが、大きな岩が波の力によって浸食され、もはや鉛筆のように細くなったということだろうが、信じがたい。この細長い奇岩のまわりにあった岩はどこに行ったのだろう。



国道229号線はまだ遥か先に伸びていくが、数分先には1996年2月10日午前8時10分頃に発生した「豊浜トンネル崩落事故」の現場近くに到達する。路線バス、乗用車2台を一瞬で押しつぶし、主に通学・通勤途中だった20名が圧死した。もう27年も経ったのかというのが実感。たまたまトンネルの崩落と路線バスの運行が重なるとは、まったく不条理だ。意気地なくUターンする。