自民党総裁候補者のグループ分け

2020-08-31 00:00:05 | 市民A
総裁選については、その決め方すら厳密なルールがないということらしい。もっとも党員ではないので、いずれにしても関係ないので、誰がなるのか注視することぐらいしかできることはない。(ほとんどの国民もそうだろう)

振り返ると2012年の安倍内閣(2nd)誕生の時は5人の立候補者がいて、第一次投票の一番は石破氏、二番が安倍氏、三番が石原氏、4位町村氏、5位林氏。事前の安倍石原合意で2位3位連合が決まっていて、石原票が安倍支持に回り安倍内閣が誕生した。つまり、一回目の投票の2位争いが重要だったわけだ。今回も、場合によっては候補乱立の結果、思いもかけない力学が働くかもしれないし、結果として新党誕生に発展するかもしれない。


さて、とりあえず、巷間言われる広義の総裁候補について、ある法則で二分割してみた。政治記者ではないので、無責任な分割に、安易にWIKIPEDIA情報を利用したので、文句はそちらの方に。

グループA(敬称略・順不同)
 麻生・下村・西村・菅・加藤・岸田・石破・稲田・野田

グループB(敬称略・順不同)
 河野・小泉・石原

グループA・Bに分けた理由は二つある。

1.日本会議国会議員連盟に入っている(A)か、いない(B)か

2.父親が、存命の大政治家(B)か、そうではない(A)か

理屈としては、

いかなる形での選挙も行われずに、「現総理大臣職務続行不能につき、序列一位の麻生副総理が就任すべきところ、事前に副総理を辞職していたので、繰り上がり1位の菅官房長官が自動的に総理大臣になります!」という手もあるわけだ。

市ヶ尾彫刻プロムナード『きら星からにばる』

2020-08-30 00:00:54 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナード第9回は、『きら星からにばる(ASTRAL CARNIVAL)』。市ヶ尾第三公園内にある。中野滋作。中野氏は、青葉区総合庁舎敷地内のプロムナード第5回『緑の朝』という女性裸像も手掛けている。『緑の朝』は、このプロムナード作品中、最も古く昭和61年に近くの場所に置かれたが、この『きら星からにばる』は平成3年に設置されている。



少年が馬にまたがって手放し乗馬で楽器を演奏しながら上を向いているように見える。

よく見ると馬ではない。耳が垂れている。さらに額に角が生えている。では何という動物だろう。一角獣ならユニコーンだ。これを動物主体の視線で見ると、どうみても馬のように見える。馬の写真でもモデルに一角獣を創ったのかもしれない。想像の動物だから、何に似ていても非難はされないはずだ。馬、いや一角獣の表情は、迷惑そうな顔だ。いつも同じ曲を聴いていて飽き飽きなのだろうか。



そして少年は、上空をながめて星の光に合わせて天体ショーを楽しむのだが、この公園の周囲はマンションが林立している。少年の視線の先にはマンションのある一室がある。そこの家の子かもしれない。「早く家に戻りなさい」と怒られているような表情だ。

ところで、ネット上で調べていると、1995年9月から1年間、東京の中央区にある日清製油(当時の社名)の本社ビルの前庭に「きら星からにばる」が置かれていたようだ。市ヶ尾に設置されたのは平成3年(1991年)なので、二つ目の「きら星からにばる」があることになる。ブロンズ像にはよくある話だ。どこにあるのだろうか。

「未解決の女」に「捜査一課」が混線

2020-08-29 00:00:57 | しょうぎ
一昨日、テレ朝午後9時からの「未解決の女」と午後8時からの「警視庁捜査一課長」が混線した。「捜査一課長」に「未解決の女」主役である文書捜査官の波留刑事が登場し、「未解決の女」に捜査一課の内藤剛志課長が出演。

期待の若手棋士が殺人事件を起こす。動機は何か?盤上か盤外か。またその凶器は。そしてもう一人の若手棋士も殺される。


もしかしたらタイトル戦で、相手の棋士に助言した者がいて、敗退したことを根に持ったのだろうか。

凶器は、駒師が使う彫刻刀?あるいは将棋盤を炸裂させたか。駒に炭疽菌でも塗りつけた?あるいは?勝負メシに一服?

実は、ここまではドラマを見る前に書いているわけだ。


そして、実際にはかなり陳腐なシナリオだった。いわゆる800問題だ。



ただ、「最年少天才棋士の殺人事件」なんて趣向は、やめてほしいな。原作が書かれた時には、架空の設定だったのだろうが、小説を上回るような実在棋士が現れてしまったからだ。強すぎて、800問題を仕組もうにもレートが決められないはず。


さて、8月15日出題作の解答。





冒頭に中合いを入れて、その後は銀と香で下に追い詰めていく。

動く将棋盤は、こちら(flash版)。

gif版。




今週の問題。

出題図に余詰め発生!。差し替えます。同じ筋です。

0829x


余詰め発生図。



ヒントは『大転回』

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

女子ーズ(2014年 映画)

2020-08-28 00:00:42 | 映画・演劇・Video
『女子ーズ』は、「ジョシーズ」と読む。「女子イチズ」ではない。女子5人のグループである。何のためのグループかというと、怪人退治。地球侵略を狙う宇宙から来た怪人たちと戦う。実際は、被り物の怪物と戦うのだが、製作費が極小だったようで、被り物の人間を5人の女子が痛めつけるようなリアル感になってしまっている。



5人は5色のコスチュームを着るのだが、赤、青、黄、緑、紺の五色に合わせるため、赤木とか紺野とか苗字に色の入った5人が無作為に選ばれてしまった。

リーダーの赤木直子は建設会社の営業課員。その他、アパレルショップ店員、工事現場のアルバイター、劇団員(大根役者)、財閥令嬢。

それぞれ、仕事や恋愛で多忙で、5人そろわないことが多い。5人揃うと女子トルネードという必殺技ができるのだが、足りないと、なぐったり蹴ったりという古典的ヒーロー方式で戦うことになる。

で、リーダー赤木が怒り出して、胴元から出動特別手当を貰うことになったのだが、今度はリーダーが出動できなくなる。


簡単なストーリーとセットで、たぶん短期間で撮影したと思われるのだが、キャストが大物たちだ。桐谷美玲、藤井美菜、高畑充希、有村架純、山本美月。デビューしたてではなく、すでに地位を得た後に、出演。

ただ、公開直前のトークの記事を読むと、「1年以上前に撮影したままになっていたので、お蔵入りになったかと思っていた」というようなことが書かれていた。真相はわからない。


製作費の話だが、怪人は8人登場するが、8人が怪人の中に入っていたのではないだろう。場合によっては一人かもしれない。怪人が現れて戦いになる場所はいつも同じで、手入れされていないようなベアグラウンド。これも円谷監督のような監督の手で10億円でもかければ、もっと怖い本格的な映画になったかもしれない。

ところで、被り物に入るのは、体力的に男子と思われるだろうが、人数の問題で時には女子になることもあるそうだ。役者の卵とか。もちろん、その後、大女優になったりすると、過去のことは固く口を閉ざしてしまうのだろう。

空蝉のことなど(2/2)

2020-08-27 00:00:37 | 市民A
そもそもセミの研究が難しいのは想像の通りだ。ほとんど土の中にいて、突然地上に現れるのだから観察も難しい。

とはいえ、わかっていることも多く、「むなしい一生」のイメージとは少し事情が違っている。

まず、蝉の寿命だが、平均的には10年ぐらい(種により3~17年)。そもそもセミは土の中に産卵するわけじゃない。それでは海亀みたいだ。樹木の凹みとか樹皮の裏とかそういうところに産卵する。つまり地上だ。そして卵が孵化すると小さな白い幼虫になり、大急ぎで地面の中に自力で潜る。つまり地上で生まれ、地下で育つわけだ。



さらに多くの人が誤解していると思うが、10年も動かないで熊のように冬眠しているわけではない。植物じゃないので根がついて徐々に大きくなったりはしない。地中で動いて餌を見つけて食べなければならない。つまりずっと眠っているわけじゃない。土の中で餌を食べて成長するのがセミの日常なのだ。

とはいえ、平和の時代はいつか終わるわけで、段々、体が硬くなり、殻が小さくなってきて、嫌々ながらまぶしい地上の光の中に登場して、枝にしがみ付いて脱皮するしかない。ぐずぐずしていると鳥の餌食になるから空を飛び回ってパートナーを見つけて、交尾して産卵。地上には7日しか生きていられないというのは、誇張が過ぎて、1ヶ月ぐらいは生きている。

そして、地上の生活はまったく忙しいにもかかわらず、自然の摂理により、産卵後はオスもメスも足の力がなくなり樹木などにつかることができず、地上に落下する。だいたいは腹を上にして地上でバタバタしてそのまま動かなくなる。以前は命を失う寸前のセミを見つけると腹を下に戻してやっていたのだが、今思えば、力尽きた時のセミの複眼に最後に残る映像が空のほうがいいのか地面の方がいいのか、蝉の立場になって、もっと考えた方が良かったと思う。

セミの気持ちになるなら、一生を土の中で過ごしたかったと思うのだろうが、それでは子孫を残すことができないわけだ。

人間でいえば、母体内にいる10ヶ月が、蝉でいえば地中生活期間の10年。セミは生殖が終わるまでが1ヶ月でそのあと力尽きるが、人間は長く生殖活動期間があり、そのあと力尽きそうになってからも、ばたっとはいかない。欲の塊か肉の塊になるのが通例だ。

空蝉のことなど(1/2)

2020-08-26 00:00:02 | 市民A
夏の出口を探す季節になっているが、宅地内にある樹木の近くのツツジにセミの抜け殻が多数残されている。セミの抜け殻のことを、気の利いた言い方で『空蝉』という。読み方は「うつせみ」。転じて、性根尽き果て、魂が抜けたような人間のことを空蝉状態という。


平安時代中期の源氏物語には「空蝉」という帖があり、登場する姫のことは「空蝉」と言われている。おおむね現在と同じ意味で使われている。(ただし、紫式部は造語の名手であり源氏の研究者は彼女が初めて使った言葉がたくさんあると指摘している)

ところがそれから250年前の万葉集では、まったく異なる意味であった。万葉集にはかなりの数の用例があるが、「うつせみ=空蝉、または虚蝉」と表現していたが、それは文字の上の表現で、万葉集はかな文字の文学なのだ。

万葉集の代表的歌人である大友家持(おおとものやかもち)は次の一首を詠んでいる。

虚蝉之 代者無常跡 知物乎 秋風寒 思努妣都流可聞

うつせみの、世は常なしと、知るものを、秋風寒(さむ)み、偲(おも)ひつるかも

この世ははかないものと知ってはいますが、秋風が寒く(妻のことを)思い出します。

妻が亡くなって1ヶ月後に詠んでいる。うつせみは、この世のことである。表意的に書くと、現せ身。また人ということばの枕詞にもなっている。言い換えると「現代」である。そもそもセミとは関係ないコトバだった。それに表音として空蝉(虚蝉)という文字をあてはめたため、とんでもない意味になった。「現代」ではなく「あの世」感が漂う言葉になった。

おそらく、1000年前の紫式部や藤原道長の時代から現代まで、蝉の生態について多くの人が誤解しているはずだ。だからこそ、何年も土の中にいて、突然に地中から這い出して脱皮までして、やっと大空に飛び立ったと思ったら1週間ぐらいで、命を失う。なんてはかないのだろう。というイマジネーションの中にあったわけだ。

色ざんげ(宇野千代著 小説)

2020-08-25 00:00:16 | 書評
以前、岩国に行った際、有名な錦帯橋と岩国城の観光のついでに文字通り足を伸ばして訪ねたのが作家宇野千代の記念館。作家活動は東京ではあったが、没後に生地である岩国に記念館が生まれた。そして館員(館長?)の女性の方から丁寧な説明を受けたので、是非、作品を読もうと思って、少し時間が経ってしまった。

彼女の名前は、実はその前に別方向から知っていた。洋画家の東郷青児の事実上のパートナーだった時期があった。自宅に押し掛けてそのまま同居したとザックリ書かれていた。そんなことがあるのかとは思ったが、東郷青児のことを調べていて、実家が遠く戦国時代の薩摩の豪である東郷家で、島津家と融和して有力家臣となり、幕末までにいくつかの家に分家し、その一つが海軍大将の東郷平八郎で、別の一家が東郷青児というような話であり、宇野千代を調べていたわけではなかったので深掘りしなかった 。


実は、1年ほど前にある雑誌で、宇野千代の一番面白い小説として紹介されていたのが、『色ざんげ』。てっきり東郷青児との愛欲生活を書いた、あるいは彼を含めた自らの数多くの男性遍歴を綴ったのだろうと予測していたのだが、何しろ1ページ目から予測は粉砕された。

主人公は一人称で書くのだが、「ぼく」である。「ぼく」が妻子を棚に上げて、何人もの女性と交際を重ねるわけだ。そしてすぐにわかるのが「ぼく=湯浅譲二」はパリから帰国したばかりの洋画家である。つまり「ぼく」のモデルは東郷青児なのだ。宇野千代の小説設計図ってすごいな!と思わせるわけだ。

この本は、実際のページ数よりも読みごたえがある。20~30ページごとに章はかわるのだが、章の中に段落がない。さらにいうと行変えもない。句読点はある。ページが文字で埋まっている。しかも、書かれている内容は濃密な恋愛で、そこには愛情もあれば打算もあり、夜行列車を使って東京から広島まで往復したりする。正妻と同居しているのに、愛人から電報が届いたりする。

また、一人の女性との関係が終わって次の女性に移るという源氏物語的進行ではない。一人目のストーカー的女性(高尾)は、わりとあっさりと表舞台から消えるが、二人目の女性(つゆ子)とは粘着的関係が続き、女性が姿を消してから三人目(とも子)が現われ、この三人目には慶応大学の医学生という恋人がいるのに洋画家と結婚式を挙げるのだが(実は本妻との離婚手続きは金銭的にまとまっていない)、一方でいなくなった二人目が再登場して、結局、この二人目と心中を決行。メスで頸動脈を切ろうとしたが、両人とも失敗。そして小説はほどなく閉幕。

宇野千代は東郷と同棲中に彼の帰国から宇野と会うまでの経緯を詳しく聞いていたらしく、東郷と離別後に本作を書き上げた。同棲に至った経緯は、たまたま宇野が書いていた小説に、主人公が喉を切って自殺する場面を書きたいと言って、編集者の仲介で、東郷の自宅近くの飲食店で取材をしたそうだ。退院後、まだ2か月で包帯を首に巻いているというのに、まったく無神経だ。そして、さらに編集者が先に帰ったあと、東郷の自宅を訪れ、そのまま居ついたそうだ。わたくしは猫である、か。

実は、宇野と別れた東郷は、そのあと小説中の二番目の女性(つまり心中失敗の相手)と一緒になった。まあ、芸術家や小説家は戦前でもこれぐらいは許されたわけだ。

キックスに試乗

2020-08-24 00:00:08 | マーケティング
日産のディーラーで、新発売されたキックスに試乗。新発売と書いたが実は、昔々、三菱のパジェロミニの姉妹車にニッサンマークとキックスという車名をつけて売っていたそうだ。記憶にないけど。

今回のキックスは区分としてはSUVで、国内ではX-トレイルの子分の位置付け。海外を含めてみると、X-トレイルより僅かに小さな「キャッシュカイ・ローグ・デュアリスの3姉妹」より小さいクラスになる。というかX-トレイルは、世界標準を少し大きくした車ということになる。大中小の大だけを日本は売っていて、世界的には中と小を売っていたわけで、今後日本は大と小を売ることになる。小といっても、小型車ではない。大き過ぎるクルマは、そもそも売れないということを知らなかったようだ。

kicks


そして、最も注目すべきは、e-Power というシステム。エンジンを発電機として使い、バッテリーを介してモーターでタイヤを回す。要するにガソリンを燃料にして小型の発電所を車に載せているということ。船の世界では特に客船がこのシステムを使う。潜水艦もこれが多い。

ガソリンを使うのでエコではない、と勘違いする人が多いが、圧倒的に燃費がいい。充電式の電気自動車は電力会社で発電した電力を送電して車にチャージするのだが、発電には石炭を使おうとしている。ずっとましだ。

そしてe-Powerの特徴として、ペダル1本でアクセルとブレーキを共用できる。ゴーカートと同じ仕組みだ。さらにプロパイロットが搭載されているのでアクセルや場合によってはハンドルを離しての自動運転もできる(赤信号は読み取れない)。

e-Powerは何回か試乗したことがあるので、運転的には驚くことは何もない。天井にSOSボタンがついているのが斬新ともいえる。

ディーラーの方の話では、注文してもいつ納車できるかわからないとのことで、「コロナで工場が・・・」とコロナのせいにしたのだが、コロナ対策先進国のタイの工場で生産されているはずなので、いくつかの事実誤認があるのだろう。

なお、ブランドマークは今のハンバーガー型で、新日産ロゴは次作の「アリア」からになるそうだ。アリアは完全な電気自動車で、キックスとX-トレイルの間の大きさになる。

ゴルフクラブは横向きには入らないので、後席を倒すか、ドライバーだけバッグから抜き出しておくことを推奨された。

ところで、最大の問題は、この会社に永続性があるかどうかだろう。

嵯峨本をOCRで

2020-08-23 00:00:37 | 美術館・博物館・工芸品
「嵯峨本」というものを知っているだろうか。

江戸時代初期に京都で始まった印刷法で、木製の活字を使った活版印刷術だ。そもそも角倉家という富豪が日本の古典文学を世間に流通させようということで、それまでの写本という生産性が低い方法から西洋で始まっていた活版印刷へと熱意を注いだわけだ。

写本とは、元の本を一字一句写すのだから、1→2→4というように増えていく。細菌の増殖法と同じだ。ウイルスは、1→たくさん→もっとたくさんと増殖して体内で一兆個以上に増える。余計な話だが。


ところで、画像は伊勢物語の冒頭だが、筆で書いたように見える。実際には活字は一文字ずつではなく3文字程度ずつ(単語別)束ねられていて組み合わせて使われていた。1ページに同じことばが何回か現れると複数の活字が必要になる。

何文字かつなげた活字といえば戦前は、「天皇陛下」という言葉を活字にするときに「天皇階下」と間違えやすいということで、四文字で一組の活字があったそうだ(戦後でも使われていたかも)。

ところが、実際には江戸時代中期になると、嵯峨本方式は廃れてしまい、木版画方式に戻ってしまった。理由はいろいろとあるのだろうが、活字作りが大変だったのかもしれない。また、活字体という書体がなかったからかもしれない。

そして、印刷の大手であるトッパンが開発した技術が古文書解読OCR。日本各地に残る古文書の多くが解読されないまま眠っているそうだ。それを解読する技術を使うと、とりあえず活字である嵯峨本は解読できるようになったとのことである。

おそらく今後の道のりは、一つは解読できる範囲を木版、そして手書きにまで広げること。もう一つは、現代語訳だろう。どちらも簡単ではないと思う。

そして、気になるのが、日本では絶滅危惧種の古文書解読家。高校の同級生でこの解読をやっている人物がいて、それなりに仕事があるようだ。解読&翻訳OCRが完成すると、失業するかもしれない。それよりこわいのは、自らの過去の仕事が間違えだらけだったことが明るみに出ることかもしれない。

座布団ずらしのなぜ?から見えること

2020-08-22 00:00:32 | しょうぎ
竜王戦の挑戦者決定三番勝負の第一局、羽生九段×丸山九段戦は、丸山九段が勝利。過去竜王位に3回挑戦しているが、いずれも渡辺竜王に敗れている。記憶に新しいのは、例の三浦九段冤罪事件で、無実の被疑者に変わって次点者として登場。まったくやりたくない仕事だっただろうが3勝4敗と惜敗した。今回挑戦できれば、最近不調気味の豊島竜王に対し、自信を持っているだろう。竜王位を獲得すれば、棋士一覧表の一番上に名前が掲載される。

一方、羽生九段も2001年には挑決一回戦で必勝局面を一手詰で負けるという棋士人生最大の失敗にもかかわらず、2連勝で挑戦した上、竜王位を得ている。



ところで、羽生九段の対局を画像でみると、気になることが二つある。一つは座布団を後ろにずらし、膝や足首は畳の上だ。もう一つは、痩せていること。年齢と言っても年を重ねて痩せるのは少なくても70歳以上だろう。50歳前後は太る心配の方が多いはずだ。

邪推かもしれないが、少し前から言われている足首の変形による痛みがあるのではないだろうか。座布団ずらしは体の前傾時の圧力の緩和であり、体重減は意図的に足への負担を減らすことを目的としているように思える。

本来なら、座敷対局から椅子対局へ変更してしまえばいいのだろう。特例を作る理由はいくらでも見つかるのだろうが、おそらく本人が拒んでいるのだろう。仮に、足の問題で引退してしまい、タイトル数が100ではなく99で終わったとしても彼の最強棋士としての名誉が失われることはないだろうが、自分のための特例を作ったりした方が後世の名折れになると考えているのだろう。

手術とリハビリで1年間ほど休場した方がいいのかもしれないが、休んでいるうちにあの神童が無敵の大悪魔のように強くなってしまうかもしれないので、のんびりできないのかもしれない。


さて8月8日出題作の解答。





馬が小刻みに動いて、飛車を呼び込んで利用する。

動く将棋盤はこちら。(flash版・Edge非対応)

gif版。



今週の問題。



最終的には銀で仕留めるのだが、紛らわしいヒントかもしれない。

わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

将棋教室分校(など)です。Please Click! ↓


白い肌の異常な夜(1971年 映画)

2020-08-21 00:00:04 | 映画・演劇・Video
原題は『THE BEGUILED』。同名の小説の映画化である。Beguile は誘惑するという動詞で、実は2017年にソフィア・コッポラ監督により同じ小説から同名の映画が製作された。こちらの邦題は、『ベガイルド 誘惑のめざめ』。これもいまいちだ。原作の題名もイマイチかもしれない。



『白い肌の異常な夜(1971年)』は男性中心主義、『誘惑のめざめ(2017年)』は女性中心主義だそうだ。監督の男女差もあるだろう。1971年は主役は伍長役のイーストウッド。2017年版の主役は学園長役のニコール・キッドマン。2017年版は見ていないので関連話は終わりにして、1971年版の方。舞台は南北戦争時の南部での戦闘で、北軍のマクバニー伍長が負傷し、森で倒れているところを近くの寄宿制女学校のエイミーに助けられる。エイミーは日本なら小学校低学年。

運び込まれた女学校には学園長、女性教師、17歳から幼児まで女生徒が6人。南部であったことから、捕虜として南軍に引き渡すことになっていたが、重症なので刑務所で死ぬのは確実だった。実は保護された当初から女性たちはそれぞれ彼に対して、思惑を持ち始めた。

そして、女性学園長も女性教師も17歳も小学生女子も、彼の愛情を独り占めしようと思い始める。そのため、ケガが治れば南軍に引き渡されるはずだった伍長の滞在日数はどんどん長くなり、女性たちの争いが始まるわけだ。

ある時は南軍に突き出されそうになったりしたが、ついに17歳の屋根裏部屋に潜入してベッド体操しているところを他の女性たちに見つけられ、階段から突き落とされ、片足を壊死しそうと言い渡され、のこぎりで切り落とされる。

一方で、戦局は北軍に有利に展開され、学校は北軍支配下に入る。そうなると、女性たちの奴隷状態だったクリント伍長は、突然豹変し、暴君になり、俺の足を返せとか言い始める。

最終的に、彼を待っていたのは大好物だったキノコ料理のゴチソウだったわけだ。


初上映が1971年といえばベトナム戦争が泥沼化していた年で、翌年、パリ会議で米国の足抜けが始まる。勝てない戦争からは、さっさと手を引いて、残された南ベトナムは野となれ山となれ。現代で言うと、(日+米)×(中+ロ)戦争が始まり、途中で米軍が撤退したようなものと想像すればいい。その時代に南北戦争物とは、おそらく何か意味があったのだろう。基本は社会問題がテーマということで始まり、途中で心理映画に変わり、最後は悲劇なのか喜劇なのか判別できない。

出演者はみな好演なのだが、個人的には冒頭の方で、南軍に捕まって瀕死状態で血まみれのまま地面を引きずられて護送馬車に放り込まれた無名の北軍兵士の役をやった無名の男優に星5つをあげたい。

本日、武装解除セヨ!

2020-08-20 00:00:43 | 市民A
横浜の田舎に住んでいるのだが、タウン誌に終戦直後の米軍による銃刀狩りの思い出が載せられていた。

地元の有力者の寄稿だ。

戦後まもなく駐留軍が銃刀を回収することになり、指定された小学校の校庭に銃器を持ってくるように学校から生徒に通知があった(親ではなく生徒への指示というのは、まだ帰還兵が戻ってくる途中の時代だからだろう)。ただし、銃をもってウロウロしていると米軍に見つかると撃たれるといわれ、夜間に闇に紛れて小学校に急ぐと、途中でヘッドライトを照らした自動車が走ってきた。

自動車といえば米軍に決まっているので、土手下に飛び込み、やっと学校に銃を届けたそうだ。学校では巡査が銃を集めていて、三八式歩兵銃5挺と本土決戦にそなえて軍から配られた2挺の新型歩兵銃だけを供出して、残りは事態の急変にそなえ、隠すことにしたそうだ。

(軍が配った2挺とは、現内閣のマスクのように各戸2挺ではないだろう。学校ごとに2挺の歩兵銃を配ってどうするつもりだったのだろう。)

そして銃、防具、剣、薬莢、背嚢をある寺の縁の下に隠したそうだ。しかし数ヶ月後に確認したところ、そこには何もなかったそうで、関係者のだれも行方を知らなかったそうだ。(もちろん誰かは知っているだろう。少なくても寺の住職は知っているだろう。)


今はニュータウンが広がり、多くの旧家の解体が進んでいるのだが、時々、床下や蔵の奥から出てくるらしい。(軍刀は全国から多数発見されるので、無価値だ。)


そういえば数十年前、知人の知人の父親の趣味が、『ピストルの分解手入れ』という話を聞いたのだが、こういう戦後話の延長線上だったのだろうか。

パレード(吉田修一著 小説)

2020-08-19 00:00:41 | 書評
純文学とエンタメの間で、反復横跳びしながら小説を量産中の吉田修一氏の2002年作。男女4人の共同生活がリアルに描かれ、山本周五郎賞を受賞した作品。同年には「パークライフ」で芥川賞を受賞し、現在は芥川賞の選考委員。

本作には著者の傾向が著しく反映されている。

結構有名な小説で、読んだ人(あるいは映画で観た人)は、筋を忘れることはないような過激な展開が最後に起こる。

parade


東京の2LDKに住む男女4人。それぞれが自分の本性を隠し、うわべだけで生活をしているが、なんとなくそれぞれの心理的バリアに気が付いている。なにかが起こるわけではないが、何かが不安定に感じさせる男女の生活。そこにふとしたことから不思議な男子が加わり5人になる。

読者(というより、私)は、ところどころに伏線のように記述される大小の怪しいできごとの解釈に苦しみながら、たんたんと平凡に続く5人それぞれの視点でモノローグのように書かれる文字を追いながら、読み進むしかない。これがミステリーなら、バラまいた種は刈り取らないといけないということになる(ミステリーでなくても最後に回収されないと困る)。

そして、最後に突然、目が覚めるような事態が発生する。

この小説を純文学というカテゴリーで考えた場合、「現役殺人鬼」が主役として登場したレア本ということになる。国内文学ではあまり記憶にない。海外文学ならドス氏の「罪と罰」とかカミュ氏の「異邦人」という有名なのがあるが、どちらも最初に殺人があり、後半で理解不能な意味付けが語られる。本書のように最後に犯行があって、同居人が卑怯にも見て見ぬふり、つまり無関心を装うというのは、ある意味では映画『万引家族』(実はニセ家族)に通じるところもあるかな。

読後、未回収のエピソードが二つ残り、ネタバレ読者サイトを調べ回ったが、解明されなかった。

事件にどのように落とし前をつけたのか、続篇を期待してしまう。

漢字(白川静著)

2020-08-18 00:00:06 | 書評
漢字を使っている国は、表向きは日本と中国。あと、韓国では漢字は日本に占領されていた時代を象徴するといって禁止してしまった。最近は読めない書けない人が多いそうだ。文字を禁止するというのは戦前の日本の英語禁止と同類の政策だ。大韓民国という国名も大日本帝国というのに似ている。もっとも中国でも漢字は簡略化され、大いに心配だ。


この本の内容だが、一口で言うと「漢字の歴史」。そもそも漢字(中国語)のルーツはよくわかっていない。象形文字は、古くは世界の各地に存在していたが、現在は漢字以外は使われていない。奇抜な学説にはメソポタミアから中国に伝わったというのもある。はっきりしているのは。元々は祭礼に使われるコトバということ。

いくつか気になった漢字がある。

まず、『京』。京都の雅を想像するだろう。あるいは近江京や長岡京のように首都機能そのものにも付けられる。

実際は、都市の入り口にある門のことを指す言葉だ。しかもその場所には敵との戦争により殺した敵兵の首を使った門にしなければならなかった。地面に埋めるのか大量の頭部を使って門の形の造形物を作るのかはよくわからないが、要するに辺境の野蛮人が攻めてこないように、その種族のいる方角に門を作って祈るわけだ。家の鬼門に鬼の像を置くのと同じだ。

結局、漢字の歴史を調べると、血まみれな歴史を紐解くことになる。辺境の辺というのは簡略化された文字で、旧字は刀の部分がもっと複雑になっている。「渡辺」という姓の辺という字はかなりたくさん種類があるが、その中で多いのが、「渡邊」。この『邊』だが、右側は上から『自』『H』『方』となっている。まず、『自』はシャレコウベの鼻をあらわす。『H』は台座を意味する。『方』は文化の低い異民族を表すそうだ。つまり文化の低い異民族の首を台にのせてさらすことになる。

日本でも江戸時代の処刑場は、江戸では西は鈴ヶ森、北は小塚原、西は八王子の大和田にあって、五街道の江戸への入口にあった。

『邊』の文字に戻って、本書から離れて、ある言い伝えを思い出した。節分会の時の豆まきだが、「渡辺姓」の人は豆をまかなくとも鬼が逃げていくといわれ、その起源は平安時代初期に鬼退治をした渡辺綱という豪の者によるとされている。その現場にも行ってみたのだが、渡辺綱そのものも『邊』の文字に守られていたのかもしれない。

そういう話が次々に続き、一冊読んだ後に、実は殺人鬼を意味していた自分の名前を改名したくなる人もいるかもしれない。

ドルツのジェットウォッシャーを使う

2020-08-17 00:00:31 | 市民A
先日、ジェットウォッシャーを入手。ジェットウォッシャーといっても、石垣の汚れとか洗車に使うような大型のものはドイツ製(ケルヒャー)を持っている(あまりにも大きな音が出る)。

購入したのは歯磨きの仕上げに使うもの。パナソニックのドルツ(Doltz)というブランドだ。電動歯ブラシもドルツというブランドがあるが、個人的にはオムロンを使っている。どうも歯の間のゴミを吹き飛ばし、歯周ポケットの中をきれいにして、歯石も吹き飛ばすような効能があるとされる。



ただし、使うにはコツがあるらしく、最初はバスルームで鏡を見ながら使うべきだそうだ。ジェットの強さは5段階だ。

説明書を見ないで使い始めたので、最初はバスルームで口を鏡に向かって開き、口の外側から水を10センチほど離して歯茎に命中させようとして、顔中が水(温水)だらけになり、ほとんどは口に入らず顔に命中し、さらに口の中でも喉に当ったりして歯茎に命中したのは1%位だ。その夜、急に顔に異変があり、チック症状が出た。ストレスがたまると身体の不調が起きる典型的な症状なのだが、ストレスの原因が思い浮かばない(本当は、思い浮かびすぎるのだが)。

チックは治りにくい症状で、もと漫才師で有名映画監督になっているT氏もなかなか治っていない。治らないと困るなと思いながら熟睡し、朝になったら喉の中が全部痛い。使い方が大間違いだったことを確認し、修正した結果、チックは治った。


ところで、ドルツ(Doltz)というのは、きっとドイツ製だろうと思っていた。髭剃りとか歯ブラシにはドイツ製(ブラウン、フィリップス)が多いので、ドイツメーカーのブランドをパナソニックが買ったのだろうと思っていた。例えばライカのデジカメは日本でパナが作っている。(ドイツの工場ではスマホ用のカメラを作って、ファーウェーのスマホに搭載している。)

それで調べたら、ドイツとは関係ないようだ。パナソニックによれば、

Do Lasting Total-oral care with Zest. の略だそうだ。

with zest の意味が問題だ。zestには大きく三つの意味があるようだ。

1. 熱意:用例 youthful zest=若者のような熱意
2. 風趣、妙味:用例 Humor added a zest to his speech.ユーモアは彼のスピーチに趣を与えた
3. レモンやオレンジの一片。料理のつまだろうか。

食事の後に歯に挟まったレモンの皮を取り除くという意味だろうか。