ドリームガールズ(2006年 映画)

2020-03-31 00:00:00 | 映画・演劇・Video
実話は、モータウンレコードのトップスターだったダイアナ・ロスとスープリームズのことだそうだ。ただ、かなり実際は異なる部分が多いようだ。三人組のアフリカ系の少女がオーディションで落選したのに、社長に目をつけられて、ジミーという男性シンガーのバックコーラスから、少しずつ這い上がっていくストーリーなのだが、元々、歌のうまいリーダーが、ルックス重視と言うことで、リーダーを交代させられる。

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そのうち、グループ間のひび割れが徐々に大きくなって、ついに爆発。脱退ということになる。よくある話だ。そして組み直したグループはソフィストケートされたヒット曲を次々に並べていくわけだ。

ビオンセが新グループのリーダー役を演じるのだが、本映画では、それほど歌がうまいことにはなっていない。しかもダイアナ・ロスとはまったく違うような気がする。(もっとも、ダイアナ・ロスも映画『ビリー・ホリデー物語』の主演だったが、本物とはかなり違うと言われた)

実在モデルはいないが、エディ・マーフィーが演じるジミーだが、おそろしくソウルっぽい歌唱力が高い。とても俳優とは思えない。彼は黒人であるからこそアカデミー賞に縁がないが、例外的にこの映画で助演男優賞を得ているのだが、この映画の中の役の重要度から言うと5番目位だから、いかにミュージカルが得意かが知れてくる。歌手をやるべきなのではないだろうか。映画よりも差別は少ないような気がする。

歌手が俳優(女優)より上手に役を演じ、俳優が歌手よりも上手に歌を歌う。要するに多芸タレントが集まったわけだ。

本映画は、楽しいミュージカルになっていて、ウキウキした気分で劇場を出られるように、初期にグループから脱退した女性も最後に一緒に歌うことになっているが、実話では、落ち込んだまま若くして世を去っている。


まったく映画とは関係ないのだが、出演した主要メンバーは揃ってソウルフルでパワフルに歌う。もし自分も彼らのように歌がうまければ、全く違う人生になったのだろうなと、今さら思ってしまう。スターダムか道端の枯れすすきか。

豊臣秀吉(桑田忠親著)

2020-03-30 05:54:15 | 歴史
著者は無数の歴史本を書き上げた桑田忠親氏(1902-1987)である。1965年63歳の時の著書である。秀吉という超有名人のことを書いてもしょうがないのではないかとも思えるが、著者によれば、無数にある秀吉についての著述について、歴史上の真実なのか、あるいは推定なのか虚偽なのか、そういうことを調べてみたい、という意味のことが書かれている。

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新書と言っても240ページを超すので、ほんのさわりしか書けないが、

1. いつから天下取りを考えたのか
  よく戦国武将は、すべてナンバー1を目指してトーナメントを行ったということになっているが、秀吉もそういう天下取りを目標にしていたのだろうかという問題。
たとえば、明智光秀や黒田孝高あたりまで天下取りの野望といわれるが、とんでもない小物ということ。謙信だって信玄だって、目先の関東一円あたりの王様になりたかっただろうが、もっと先のことなど考えるはずないだろうとしている。信長は確かにそういう目標を突き進み安土城に天皇を住まわせようとまで考えていたが、今川義元を打ち破るまではそなことはないだろうとのこと。つまり、戦国武将は現実主義だったはず。秀吉だって、信長にうまくとりついてナンバー2を狙っていた程度で、そもそも足利15代将軍がいるのに、天下取りというイメージを描くことは難しかっただろう。運が回ってきたのは、まさに明智光秀の首をみた時からだろうと書かれている。

2. 矢作橋のたもとで蜂須賀小六の子分になったこと
  現在の矢作橋には私もいったことがあるが、相当大きな橋だ。木曽川は幅が広いし中洲を使っても橋を架けるのは難しい。事実、秀吉の時代には橋はかかっていなかった。(以下私見:著者は書かれていないが、渡し船に無賃乗船しようとして蜂須賀小六に捕まったのではないだろうか)

3. 人望、政策
  天下統一に至るまでの秀吉については、その人身掌握や採用した政策(刀狩とか検地とか)は世情安定に大いに役立ち、多くは徳川政権に引き継がれた。そして妻や子を愛しすぎた。

4. 趣味
  茶は芸、一流は和歌。茶には多大な金を注いだが、一流の域ではなく、むしろ和歌には秀作が多い。
   つゆとおち つゆときえにし わがみかな なにわのこともゆめのまたゆめ
  辞世の句が一世一代の秀歌である。 

5. 三国統一、秀次、秀頼
  朝鮮出兵のことだが、本来、明を攻撃するために朝鮮を支配下において、朝鮮に攻めさせようとしていたのだが、無理な話だ。さらに天皇を北京に住まわせて、インドも攻めるつもりだったのだが、なぜ、体を張って秀吉の無謀を抑える者がいなかったか。

つまり怖かったわけだ。周囲はイエスマンだけになった。そして秀頼が生まれ、秀次は切腹となる。実際、秀次はご乱行が多かったし、秀頼にしても人格はひ弱な青年に終わる。

(以下私見:徳川家にしても、家康の実子がそれほど優秀であったかは疑問があるわけで、なぜ安定政権を得たのかは、天下取りの最終章で、『関ヶ原』『大坂の陣』と大戦争があって反対勢力を壊滅させたことが功を奏しているとみる。秀吉の場合は、四国、中国、九州、小田原と順々に敵をつぶしていったため、その過程の功労者を大名にしたてていったため、群雄割拠的になった。政権を長期化するためには、朝鮮を攻めるのではなく、江戸城に押し込めた徳川家康が実力を増加させる前に、逆関ヶ原の戦いを起こすべきだったのだろう。そして、長生き。)

港区立郷土歴史館は驚愕のすばらしさ

2020-03-29 00:00:20 | 美術館・博物館・工芸品
以前、三田駅の近くの区立図書館の上階にささやかに存在していた港区の郷土資料館がリニューアルされたことは知っていて、「どうせ、前の展示品を運んだだけだろう」と思っていた。戦前の旧公衆衛生院の建物を壊さずに、そのまま東京都が引き受け、リニューアルして郷土館に使うというのも、単なる与党の復古主義の一環だろうと思っていた。

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復古主義の方は、たぶんそうなのだろうが、展示については、意外なことに、膨大であり精緻。さらに行き届いたデジタル化とたくさんの館員という至れり尽くせりで、歴史を鳥瞰的に愛好する人たちにとっては垂涎の極みと思える。一日いても楽しさは尽きないだろう。11の部屋に分かれているが、一部屋2時間いてもいい。

よく考えると、港区というのは、普通の歴史では教科書的に重要とされる奈良時代から室町時代までを除いた時代、かなり輝いていた。何しろ海の幸が豊富で東京湾という穏やかで遠浅の海が前面にあったので、採取文化の縄文時代の痕跡は大量にある。貝塚はもとより遺跡は多数。一方、徳川家康が開いた江戸幕府は世界最大都市であったが、現在の港区は、武家屋敷、寺院といった公権力側の街でもあり、海沿いの地区は町民の町だった。しかも幕末にはお台場を10個も作ることになる。

明治以降はまさに首都的な歴史を刻んでいるし、駐留軍の遺物(現在も駐留しているが)も大量に影を残している。

残念なのは、現在のコロナ戦争。戦争下、来館者数は激減していると予測していったのだが、確かに来館者は少ないが、その分、手持ち無沙汰の館員とお話をすることになり、今回は失礼ながら早々に失礼することになった。

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同時に、入居している建物は『旧公衆衛生院』。もともと昭和13年にアメリカのロックフェラー財団の支援と寄付によって関東大震災の後の復興支援として「公衆衛生院」がここに建てられた。まさに、現代に必要な組織なのだが、奇妙なことに、2002年に「国立保健医療科学院」として統合され、和光市に存在するそうだ。現在、一向に名前を聞かない組織だがどうなっているのだろう。

建物の設計は内田詳三氏で、東大の安田講堂も手掛けたそうで、よく似ている。現在の東大の本郷キャンパスの多くの現存の建物は彼のデザインだそうだ。館内に残る院長室だが今で言うと社員1000人程度の中企業の社長室程度の規模かなと思うが、そもそも米国財団の寄付で作られたのだから華美を求めることはできなかっただろう。それでも竣工7年後に戦争を始めたのだから、財団関係者はさぞ憤慨しただろうと思われる。

機が収まれば、またゆっくりと訪問したい博物館と言えるので、もう少し事前に勉強をしておこうと思うが。その時には、まもなく一介の主婦として国際弁護士の夫の母親の借金の返済に追われる元プリンセス学芸員を看板館長にしておいてくれないかな。

『盤上のフロンティア(若島正著)』に登場する『オマージュ』

2020-03-28 00:00:36 | しょうぎ
コロナによって生活を縮めなければならず、詰将棋の難読書『盤上のフロンティア(若島正著)』を並べたりしてみた。もちろん解ければいいが、全100問のうち14問までの中で10問は解いたのだが、根気が続かず、解答を並べて鑑賞する事態になってしまった。

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そして、本著の中で著者の若島氏は『オマージュ』という単語を使っている。第66番の問題が1992年の柏川香悦氏の作品の手順と共通点があるということで、『柏川氏へのオマージュ』と書かれている。

「オマージュ」という言葉には先人に対する称賛という意味が含まれるのであり、それは一般的には「手筋や原理」であったり、「駒の配置」とかを指すのだろう。

もっと詳しく考えると、『オマージュ』には意識的に先人作を利用あるいは挑戦したものと、完成してから「そういえば似ているな」と気が付く場合があるということだろうか。第66番は『原理のオマージュ』ということだが、果たして先人作との関係はどうだったのだろうか。

ところで、実は今週の詰将棋で出題する問題だが、かなり時間をかけていて、十年近く前に投稿したのだが、どうも「同様の有名作あり」ということだった。盗作のつもりは毛頭ないのだが、今回、検索機能で「詰将棋 入玉 合駒 名作・・・」とかすべては覚えていないが羅列して画像検索をすると、1976年6月に近代将棋誌に酒井克彦氏作として発表され、塚田賞を受賞したものとよく似ていることがわかった。駒を握っていなかった頃だ。途中、同一手順が40%ある。酒井氏はすでにご他界されているとのことなので、ここでは、あくまで個人的に『酒井克彦氏へのオマージュ』としておく。

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参考:酒井克彦氏作(23手詰)

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合駒の回数が一回多い。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見を記していただければ正誤判定します。


さて、3月14日出題作の解答。

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銀を打つ手が4回あって、次に銀を動かす手が4回あって、最後に頭金。

動く将棋盤は、こちら(Flash版)。

GIF版は、こちら。
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先回りする市民

2020-03-27 00:00:28 | 市民A
東京都に続き神奈川県も外出自粛ということになり、さっそくスーパーに人が集まり、スーパーに入るのに待ち時間発生とか聞いた。

ゴルフ場に行っていたのだが、近年にないほど大勢が押し寄せている。さらに何の用件なのかわからないが平日なのにアクアラインは木更津から川崎まで全渋滞。

政府は、買い漁らなくても物はあるというが、そもそもマスクは増産したので十分、といったのに、最近少しずつ手に入り始めたのは、中国製とかベトナム製。民間が輸入した物ばかり。既に集め終わった人の話も黒い話ばかり。

どうも、今、さきがけて行動している人は、棚に商品がなくなったから慌てて買いだしたというよりも、いずれ商品がなくなるのは確かだ!と確信して買っているような気がする。

ゴルフ場に集まる人も、自粛ムードから逃れるためにゴルフ場に来ているのではなく、もうすぐゴルフもできなくなるだろうと予測して、早めに集まっているような感じだろうか。

前にも書いたが、物があるというためには、原料と工場と輸送手段がいるわけで、原産国がコロナの餌食になったり、工場労働者が出勤できなくなったり、トラックドライバーに欠員が生じたりすれば、欠乏生活に入らなければならない。

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画像は、ゴルフ場のランチのカキフライ。外出禁止令が発動すると、こういう料理は食べられなくなる。先回りして食べておく。

小繋事件(戒能通孝著)

2020-03-26 00:00:01 | 歴史
1964年に刊行された岩波新書である。著者の戒能氏は著名な法学者で、偶然に係わり始めた『一連の小繋事件』について、主に農民側の観点で歴史的な流れを解説されている。

狭義の小繋(こつなぎ)事件は、第二次大戦を挟んでの民事事件と刑事事件という裁判を指すものだが、そのルーツは江戸時代から明治政府に変わる時から始まっているということになる。

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まず、場所だが岩手県の一戸町にある小繋山の山林(2000ヘクタール)とその近くに住む農民の村(集落)である。盛岡から北へ50キロにJR(国鉄)の小さな駅(小繋駅)がある。

始まりは明治10年の地租改定に伴う、土地の所有権の整理である。全国どこでもあった問題だったが、藩も個人も所有していない所謂(いわゆる)「村山」について、村の代表者(有力地主等)がとりまとめた農地耕作の収穫物である年貢を藩が受け取り、残りは村民たちが土地を耕し山林の管理をしていたものを、民有地か国有地かの二択にするということになった。

この時、なるべく国有地を増やそうとした県もあり、逆もあり、岩手県はどちらにも偏らなかったため、所有権は持たず国有地に入会(いりあい)として入って利用しようという考え方もあり、一方、租税を払っても民有地にして自分たちで管理しようという考えもあった。

小繋村は民有化しようということになったのだが、便宜上、村の代表者(有力地主)A氏の所有ということにしたわけだ(元をただせばこの時に問題がはじまっている)。

そのまま江戸時代感覚でことが進めばよかったが、この村に黒雲があらわれたのは鉄道なのだ。それまで奥羽街道沿いということで、宿場や商店でも繁盛した村は、単なる鉄道停車駅になった。そうなると、村の価値が下がるのではないかということで、色々な思惑で動き出す人が増えてくる。

さらに代替わりがあったり、強欲資本家や銀行が登場したりで、地主A氏の子孫は登記上の所有者として、地元の有力者であるB氏に山林を売り渡した。このB氏が村民に自由に山に入って薪や伐採、植林などを認めていれば問題ないのだが、勝手に自分名義の土地の一部を陸軍に売ってしまう。なぜ陸軍に売れたのかは不明だが、著者もそこまでは踏み込んでいない。ようするに「共有資産」であるはずの森が村民の知らないうちに第三者に売られ、残った部分も立ち入り禁止にされ、生活に困窮するようになった。

それから、村の中で二派、三派に分かれて抗争が始まり、泥沼になる。訴訟を巡って村民の中心人物に対する国家の圧力が始まる。逮捕や拘束だ(森友事件に似ている)。弾圧が成功したはずだったが、さらにB氏寄りだった人たちが成功報酬を得られなかったことを理由に村民側に回り、結局、戦後になり裁判所による調停になったのだが、悪徳代理人や三流弁護士が村民の意を介さず調停案を飲んでしまったことから、調停取り消しの争いに発展する。

結局は、高裁、最高裁まで上がるも村民にとって有利な判決は出なかった(本書は高裁の判決までしか書かれていない)。著者に言わせれば「裁判所は形式だけをやかましくいい、形式を知らない素人を小バカにするが、内容の方はお座なりである。」ということなのだが、なぜ昭和30年になっても、三権分立の権利を捨ててまで権力になびく判決を出すのかというのを考えてみた(今も同様ともいえるし)。

気になったのが、戦前から戦後にかけての「公職追放」。要するに戦争推進に協力していた人たちをクビにしてしまおうということで、多くの官僚や文化人や知事などもGHQによって職を失った。さらに時代が進むと、レッド・パージが始まり、共産党に賛成する人たちが追い払われた。つまり、右側の人も左側の人も追い出されたわけだ。つまり裁判所も同様なことが行われていれば、極端な権力寄りの人は第一次追放でいなくなっているはず。

ところが調べていてわかったのだが、裁判官の世界ではほとんど誰も追放されていないわけだ。つまり帝国憲法下で国家統制の強い法律の運用をしていた時の裁判官が、そのまま民主主義になっても裁判官を続けていたわけだ。ずいぶん器用な人が多いわけだ。憲法は変わったが、刑法や民法は個別に一つずつ修正されていくわけで、一見、戦前と同じように判決を出せばいいと思われていたのだろう。


さて、著者にはまったく関係のない話だが、本書が刊行されたのは1964年。奇しくも東京五輪の年なのだが、当時は大問題だった山林所有の価値だが、現在はほぼマイナス価値の不動産に成り果ててしまった。いっそのこと全部国有林に買い上げてしまい、再開発して土地の価値を上げることによって、国債を担保する不動産評価を高めれば一番いいはずなのだが、「不動産を国有化(あるいは市や県への譲渡)すると、わずかながら所有者から得ている固定資産税収入がなくなってしまう」という情けない状態で行き詰まっているわけだ。

さくらん(2007年 映画)

2020-03-25 00:00:15 | 映画・演劇・Video
時は春。サクラの季節なのに、花見が禁止されてしまった。天保の改革と同じだ。昔、江戸吉原の遊郭には、花の咲かない桜があったそうだ。その桜が重要なキーワードになっている映画が『さくらん』。

原作は、漫画家・安野モヨコ。監督は蜷川実花、音楽・椎名林檎、主演が土屋アンナと超個性的な女性が集まった映画。男優たちが大変だろうなと予想できる。



舞台は吉原遊郭。土屋アンナ演じる「きよ葉」が吉原一の花魁になって、大金と引き換えに武家の妻として吉原を出ていくまでの女の戦いが描かれるのだが、監督好みの赤を基調とした華やかな色彩が観る側の感覚を惑わせる。

吉原といえば、『吉原炎上』という有名な映画があって、時代は明治の終わりなのに江戸時代より陰鬱な雰囲気が漂う映画なのだが、同じようなストーリーでもまったく異なる映画になるのだろうと思ってしまう。

ところで、映画の終わり方だが、『さくらん』の最後に男女の別れがあるのだが、色々あったものの、最後は違う道を歩き出すというところは『恋に落ちたシャークスピア』の終わり方と同じだと思った。

原油タタキ売り、思惑は(あるいは思い違い)

2020-03-24 00:00:13 | マーケティング
コロナ問題による中国の原油需要低下に対応して、サウジを含むOPECが協調減産を呼び掛けたことに対し、ロシアが拒否。このため、減産による価格維持が難しいことになり、逆にサウジが増産を決定。原油価格は暴落を始めた。そもそも60ドル/バレル程度だったWTI原油がNYMEXで20~25ドル/バレルまで下落した。

話を進める前に、バレルの量と世界の原油生産量のこと

*1バレルは約159リッター。ドラム缶が200リッターなので、その8割位の量だ。1バレルは42ガロンと決まっていて、それは元々は木の樽(バレル)に50リッターを積んでテキサスの油田から需要地に運ぶ途中で8リッター位がこぼれていたことによる。
1バレル60ドル、1ドル110円とすると、リッターあたりは42円になる。(60×110÷159)
それにしてはガソリンは高いと思うが、最大要因は各種税金、それと産油国からガソリンスタンドまでの各種運賃と、製油所の精製費、ガソリンスタンドの設備費と人件費と石油会社の必要利益が加算される(東アジア勢の買う原油は少し高いということもある)。もっとも原油と同じように、ガソリンも長期的にはコスト積み上げ価格に収斂するはずだが、短期的には需要供給の交点で決まる。さらに石油製品は差別化できないため、価格弾力性がきわめて高く価格変動が大きい。

*世界の原油生産量だが、短期的には色々なことが起きているし、不正直な国もあるので常に推定値しかないが、日量8500万バレル強と思われる。特にこの数年(トランプ時代)、米国の生産量がシェールオイルにより300万バレル増えたとも言われる。ということで、原油生産量のビッグ3はアメリカ(1300万バレル)、2位サウジ(1200万バレル)、3位ロシア(1100万バレル)、サウジ除きのOPEC(サウジ除き)(2400万バレル)とその他ということになる。

よく原油価格は需給上3%変化すると大きく動くということになるのだが、中国だけのコロナの影響であれば1~2%程度であったものの、増産という逆方向へ走るロシアとサウジによって、供給バランスが崩れたということだろう。さらに欧米でコロナが猛威をふるっている。

そして、この25ドルの価格でコストをまかなえる油田は、陸上にある古い油田しかないと思われる。原油はいつまでもあるわけではなく、現在、世界の40%近くは海底油田から採掘していて、その開発コストは50ドル/バレル程度と言われる。新規開発は海底油田に限られているわけで、新規参入はこの50ドルを市場価格が上回らないと難しい。さらに米国の増産の中心だったシェールオイルも50ドル弱あたりが限界値と言われ、25ドルになれば続かない。ロシアの原油は海底ではないが、内陸からパイプやシベリア鉄道で運ぶので、やはり厳しい。一方で、他のOPEC諸国は海底油田が多いが、サウジとイラクは陸上油田が主流である。

ということになると、このサウジの増産で痛い目を受けているのは、1番が米国、次にロシア、さらに、他の産油国ということになる。恩恵を受けるはずの国は消費国。無論、サウジも高く売れるものを安売りするので大損であるわけで、こういう時に、我慢するべきプレーヤーが冷静になれずに違う方向に進むこともあるわけだ。

ただし、サウジの伝統的政策は「原油の安売り」であった。それには理由があって、大量の原油の地下埋蔵量を誇ってはいるが、多くが重質油であって、有益なガソリンやジェット燃料や軽油といった高価値の製品があまり生産できないという弱みがある。その重質油を高額で売るためには、世界中の軽質油が枯渇してしまえば、残った重質油が高く売れるということになる(と思っている)。

とはいえ、米ロという大国を同時に痛い目に合わそうという今回の野心的なチャレンジがどういうことになるのか、まったく先が読めないわけだ。

一方、中国は、価格暴落とみて、大量の大型タンカー群を中東に向けて発進させたそうだが、しょせんはタンカーや貯蔵タンクには限界があると思われる。

一方、隠れた問題が日本にはあって、今までコツコツと貯め込んだ国家備蓄の原油だが、公表されていないが、おそらく60ドル台で買っていると思われるので、原油価格暴落によって超巨大な隠れ評価損が発生していると思われる(決して、原価から時価への見直しは行わないと思うが)。

資料によれば、国家備蓄量は4954万キロリッターとなっている。換算すると311,607,000バレルである。仮に60ドルが30ドルに下落したとし、為替を1ドル=110円とすると、
 311,607,000×(60-30)×110=約1兆円 ということになる。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(ブレイディみかこ著)』完結

2020-03-23 00:00:03 | 書評
半年ほど前に、発売され、ベストセラーとなっている『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(ブレイディみかこ著)』が完結した。と書くと意味が分からないだろうが、新潮社の書評誌『潮』に連載の途中で、単行本になってしまったわけだ。ということで今回の連載の完結によって、めでたくも『続編』の発売が決定的になった。



英国在住のコラムニストのブレイディみかこさんと13歳の男の子が英国の公立学校で悪戦苦闘する同時ドキュメントである。要するに階級社会の中であえて私立中学でなく底辺に近い公立中学を選んだわけだ。

ということで、身辺に問題のある家族やそのこどもたちが、毎回登場するのだが、案外、都内や神奈川でも起きている格差と似ているような気がする。困ったものだ。

英国にいると、「格差があるのが普通」であるので、だれも抵抗感がないのだが、日本では『所得格差が教育格差を招くのはけしからない』という感覚は今なお強いのだが、実際には文科省の役人自体が私立中出身で大手進学塾の出身者であるというのだから似たようなものかもしれない。


連載が始まった頃には、英国がEU離脱というような話にはなっていなかったのが連載中にEU離脱が決まってしまい、さらに英国は混乱と分裂に向かいはじめている。

残念ながら、コロナ問題が始まる前に著者が筆をおいてしまったのだが、アジア人差別が助長され、学校が閉鎖され、一気に外出禁止令まで行きそうな状態だ。

実際には1980年ごろには英国が破綻するはずだったのが、運よくスコットランド沖に北海油田が発見・開発されなんとか生き延びたものの、そろそろ枯渇が近づき始めていて、結局は英国は行き詰まるのだろうと思える。

文鎮(たぶん錫製)

2020-03-22 00:00:26 | 美術館・博物館・工芸品
使うことはほとんどないが、文鎮をいくつも持っている。なぜか、多くは外国企業の方からもらったもの。文鎮に関係のある仕事をしたことはないし、文鎮を製作する会社からもらったわけではない。海外では日常的に文鎮(ペーパー・ウェイト)を使っているのかな。


今回紹介するのは直径7センチと大きな文鎮。色から考えて錫(すず)製ではないかな。錫と言えばマレーシアだが、少し違っていてインドネシアの国営石油会社プルタミナがアルンとボンタンにLPガスの生産基地を作った時の記念品のようだ。1987年の2月に会社が設立された記念のようだ。


デザイン的には中央の家の上に人間の絵が隠されている。恐い顔である。火の神様だろうか。

少し、使い込んだような汚れがあるが、それには理由がある。決して文鎮に使ったわけではない。むしろ、錫製であることを生かした用途である。


自宅のカーペットでゴルフのパットを練習する時に使っている。床に穴を開けるわけにはいかないが、この文鎮、大きさからいってもちょうど便利だし、さらにボールが上を通過する時の音が快い。なにしろ、ゴルフのカップは錫製(Tin Cup)なのだ。同じ音がするわけだ。

将棋も別室で対局?

2020-03-21 00:00:38 | しょうぎ
将棋は新型コロナウイルスの蔓延に弱いわけだ。何しろ、1m以下の距離で二人が向かい合って指すわけで、飛沫感染のおそれもある。また、ゲームの特徴として、取った駒は自由に打つことができる。打った駒が取られたりするので、行ったり来たりすることもあり。つまり接触感染のおそれもある。

将棋連盟も棋士に陽性者が出たらどうするのだろう。

将棋のウイルスに対する欠陥に対処するため、対局者が別室でPCを介したネット将棋を指すことになるのだろうか。

さて、3月7日出題作の解答。





竜に遠いところに玉を追いやってから捕まえに行く。

動く将棋盤は、こちら。(Flash版)

GIF版はこちら。



野火(大岡昇平著 小説)

2020-03-20 06:41:29 | 書評
戦争小説の名作とされる。しかし、戦後75年が過ぎた今、読み直すと、「サバイバル」というもう一つの切り口でも名作のように思う。この小説はドキュメンタリーであるよりも文学なのだ。舞台はレイテ島なのだが、作家が実際に戦争で戦っていたのは別の島だった。そこで捕虜となり収容されていたのがレイテ島なのだ。細かいようだが『野火』は小説としては無駄のない構成になっていて、それは作家が作り上げた「戦争の中で起きる一般的事実」を読者に伝えられるため書かれている。

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話はそれるが、一般に、あれだけの大戦でありながら、戦争文学が少ない理由だが、戦争を戦った者の多くが死んでしまったからという意味がある。もう一つの理由は、生き残ったとしても、実際には本格的な戦場にいなかった兵が多かった(戦病死とまとめられてしまうが、戦死者より圧倒的に多い)。さらに生き残るために、戦場で行った様々な行為を語ることができない理由(戦犯問題、思い出したくないという心理)もあるだろう。

原因ではなく結果なのだろうが、戦後、活躍を始めた作家を調べると、ほとんどが何らかの幸運により戦争に巻き込まれていなかったことがわかった。順不同だが、

安岡章太郎(フィリピンへ出発2日前に結核判明)、吉行淳之介(入営後気管支炎で除隊、その後徴兵されず)、阿川弘之(海軍中尉として中国方面に向かうもマリアナ海戦後で海軍の編成が変わり大陸で終戦)、島尾敏雄(特攻命令後2日で終戦で、発進せず)、三島由紀夫(入隊直後に肺浸潤で除隊、フィリピン行きを免れる)、丸谷才一(国内部隊)、安部公房(満州で入営前に終戦)

つまり、大岡昇平以外は、「あやうくも戦場に行かず命をつないだ作家」という分け方もできるわけだ。

そして、本作は「日本軍の戦場の実態」でもあり「サバイバル文学」でもあり「カニバリズムへの問題提起」でもあるわけだ。

読み終わってから思い起こすと、小説として非常にうまくできていて、前半部に伏線が色々張ってあったりする。冗談交じりに「人間を食ったことがある」としゃべる兵もあるし、前半部で消えていった登場人物が後半に偶然のように復活したりする。過去形と現在形の使い分けで、リアルタイムの話のように進んでいき、突如過去の回想であることがわかってきたりする。

しかし、実は「野火」というのが、単に現地住民の焚火なのか、なんらかの日本兵発見の狼煙なのか、あるいはそれ以外なのかという、主人公(田村)の疑問について読者ははっきりとした解を得られるのだろうか。実はあれこれとネット上の意見を調べたのだが結論はわからない。しかし、本の題名に作家自身が付けた単語なのだから無意味なはずはない。最後の方で、カニバリズム一味が、マッチもなく、いとも簡単に火を起こす場面があり、他のどのシーンとの関係かも見えないのだが、この二つの謎というのは、繋がっていると考えるべきなのではないだろうかと、消去法的にうすうす感じている。誤解かもしれないが、誤解するのも私の勝手なので。

フグは食いたしコロナは怖し

2020-03-19 00:00:30 | あじ
少し前にウイルスから逃れるようにミニ旅行に行った。まだ2週間経ってないので、うかつなことを書くわけにはいかないが、危ない感じがしたのは公共交通機関の中で酒を飲んで「コロナなんて怖くない」というようなことを口走っている人。実際、こういう人がうつされると、「誰でもいいからうつしてやる」というようなことを言い出して、結局、信用を失い、財産を失い、命を失う。愛知県の例と同じだ。

で、色々と想定外のことが起きたのだが、とりあえず2週間たってから書き始めるつもりだが、最初に食べ物のはなしを一話だけ。

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ふぐ丼。

地元の名産であるフグに湯通しして、下味を付ける。フグの下には地元産のとろろが敷かれている丼である。なかなかいい味を出している。フグが肉厚で何回でも食べ飽きない味だろうか。

道(1954年 映画)

2020-03-18 00:00:44 | 映画・演劇・Video
フェデリコ・フェリーニ監督の映画は大部分を観ていたと思っていたが、実際には半分も観ていない。『道』は、イタリアのいつ頃の時代なのだろう。なにしろ貧しい海辺の村から少女が旅芸人に買われていく。旅芸人と言っても、一座ではなく一人芸。怪力男(アンソニー・クイン)が上半身裸になり体に巻き付けた鎖を引きちぎるといった、ごく初歩的な見世物。その怪力男の助手として、音楽をやったりコントをやったりピエロになるのが、少女の仕事なのだが、この怪力男が、まるでダメ人間。



旅先では問題ばかり起こし、いい女がいればすぐに口説き始める。二人は、片方がいなくなったり逃げ出したりと、気持ちを交錯させながら互いに消耗していくのだが、ついに男が仇敵を殴り殺したところで、関係を解消する、というか離れ離れになる。

数年後、怪力男がサーカス団に加わって巡業中に、道端で彼女が得意だった曲のメロディを耳にする。曲の由来を尋ねると、数年前に棲みついた少女が歌っていた曲だという。その少女の消息を聞けば、既に亡くなったという答えが返ってきたわけだ。

なお、少女(ジェルソミーナ)を演じるのは、ジュリエッタ・マシーナ。フェリーニの妻である。1920年生まれなので今年が生誕100年。少女役なのだが、計算すると映画に出演したのは34歳。そうは見えないのが不思議だ。監督の後を追うように1994年に他界している。

ところで、昔の知人の話を聞いて消息を尋ねると、すでに亡くなっていた、というのは日本文学の古典にもあったような気がするが、特定できない。

市ヶ尾彫刻プロムナード『このまちはぼくたちのもの』

2020-03-17 00:00:43 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナードの中で最も体積が大きいのが『このまちはぼくたちのもの』。渡辺豊重氏による1995年の作。なにか小学生の作品のようだが、渡辺氏64歳の時の作品。

ある意味、スペインの画家、ジョアン・ミロのような感覚が伝わってくるが、それが渡辺氏の作風である。

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上段の三つは人間の心の中の気持ち(喜びとか驚きとか戸惑いとか)を表し、下段の三つは人間の関係性を表しているようなことだろうか。時代的にしかたがないが、ミロは戦争とか絶望とかそういう人間と社会というような関係性に傾いているように思える。

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そして渡辺豊重氏の旺盛な制作意欲を語るために少し説明すると、1931年に東京に生まれている。終戦は14歳の年だ。そして彼は、23歳の時は川崎の自動車工場で働いていたそうだ。そして働きながらも絵を描き続けていた。そのため、いくつかの賞を受けながら職を転々とすることになる。

そして48歳の時についにパリに行き、抽象絵画に磨きをかけることになる。そして帰国後1990年に意を決し、住み慣れた川崎を後にし、栃木県の馬頭町に移住し、多くの作品を創りだしている。

彼によれば、人間にとって一番大切なのは人間。どうやってこの時代を生きてきたのか。そういうものを絵画を通して記録するのが画家の仕事、ということだそうだ。

そして大震災のあと、毎年のように展覧会を開いているようで、2018年の秋の個展までは追いかけることができた。2019年の展覧会を見つけることができないのが、少し心配である。渡辺豊重氏は今年89歳になる。(ミロは90歳だった)