夜のピクニック(恩田陸著 2004年 小説)

2019-01-31 00:00:13 | 書評
長編の青春小説。長編小説というのは身構えてしまうのが、すごく読みにくい作家がいるわけだ。もちろん、読む側の責任が多いのだが、デジタル本の場合、一冊の何割位のところを読んでいるのか、わかりにくいのだが、リアル本の場合、本の厚さとか、ページ数とかから半分読んだのかとかわかるのだが、その半分が苦難の場合と、あっという間に読み進む場合がある。

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本書の場合、苦難ではないが、そう簡単にも進まない。なにしろほとんどの登場人物は同じ高校の三年生たち。それほど多くの人間は出てこないのだが、なにしろ複雑なのだ。異母きょうだいの男女が同じクラスにいる。一人の銀行員が同じ年に二か所で子供を作ってしまった結果なのだが、当人は癌で、すでに他界。二組の母子家庭ということ。

その秘密が隠されたまま、気まずい高校生活が淡々と進んでいくのだが、一方で、この高校には奇妙な習慣があって、年に一度の「歩行祭」というのがある。「祭」の文字が使われるのだから楽しいことがありそうだが、丸一日、夜を徹して長距離を走ったり歩いたりする。その間に、友だちと話したり、お気に入りの異性に何らかのアプローチをしたりするのが楽しみの方で、足の皮が破れたり、捻挫して収容車に運び込まれたりするのが苦行の方である。

本屋大賞受賞作と言うことで、登場人物は秘密を抱えたり、対人関係で行き詰まっていたり、何より体力が消耗してしまって言葉が出なくなったりとストレスが多いのだが、読者の側には、まったくストレスは溜まらない。あちこちに、解けない謎も散りばめて、残りページが少なくなっていく。

奇妙なことに、本文には、名前だけで本人の登場しない、母親や米国にいる友人というのが重要なキーになっているのも巧みな感じがする。

あえていうと、著者の恩田陸さんだが、多作家なのだ。特に、デヴューしてしばらくは大量生産していたようだ。ぼちぼち読むことにする。

ところで、こういう長距離走をしていると、後年、夢の中でマラソンを走ることになる。森の中や、農道、堤防の上とか困難なところを走る。夢の中では快速で走れるのだが、目が覚めると酷く疲れている。

王国(中村文則著 小説)

2019-01-30 00:00:03 | 書評
よく読まれている作家である。図書館で一冊借りてきて読み始める。何を読めばいいのかわからないので、とりあえずタイトルの短い『王国』を読んでみる。『○国』という小説は、作家の個性が顕われ、代表作になることが多い。「雪国(川端康成)」「憂国(三島由紀夫)」。

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ただ、「あるコールガールの物語」という題名でもいいのかもしれない。視点を主人公の女性に置くのか、その女性が巻き込まれている、化物のような日本の裏社会で起きている暗闘とその末端で蠢く人間たちの社会構造が書かれている。よく言われている戦後史の中での「児玉×小佐野」というような抗争を想起させる。

ストーリーはスピーディに進み、当初ユリカ(主人公)は男の待つホテルの部屋で睡眠剤を飲ませて、顔写真を撮影したり、男の持っているパソコンのデータを抜き取ったりする。要するにハニートラップ。

しかし、ついに先回りした第三勢力によって、死体のある部屋に入ってしまうわけだ。それで、危険度のレベルが上がる。さらに護身用のスタンガンが拳銃に代わり、首を絞められそうになって、あやうく二重スパイに転じて難を逃れるが、今度は二重スパイであることがバレてしまって、三重スパイになることに。

ということで、この小説のカテゴリーは何なのだろうと、読書記録を付けているエクセルシートに書き込む段になって、悩む。ドキュメンタリーではないことを祈りたい。

漁港の肉子ちゃん(西加奈子著 小説)

2019-01-29 00:00:08 | 書評
西加奈子には駄作がないという評判である。もっとも著者の側からいえば駄作を作ろうと思っている作家は誰一人いないだろうが、結果として構想が悪かったり、調査不足の結果リアリティが足りなかったり、登場人物に対する著者の感情移入が中途半端で小説の途中で気が変わったりして、無理に帳尻を合わせたり、そもそも実験作の失敗と言うこともあるだろう。

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まだ西加奈子の本は一冊も読んでなかったので、この本が著者の中でどう位置付けられているかよくわからないのだが、前半を読む限り、なんとなく平凡な記載が続いていて、都会から漁港に母の都合で転居した女子中学生の毎日がつづられる。母子家庭である点は異なるが「まる子ちゃん」みたいだ。

母親を「ママ」とか「お母さん」とか呼ばずに「肉子ちゃん」と愛称で呼ぶわけだ。肉子とは焼肉屋で働き、肉の塊の様なファットウーマンだからなのだが、ダメママの呼び方としてもちょっと不自然だなあ、という微かな気持ちを持ちながら読み進むわけだ。

そして、唐突に登場する第二のストーリー。家庭崩壊で家を飛び出した借金まみれの二人の女性の話だが、一人が体を売っていて、とうとうできてしまった女児を残して姿を消す。

もちろん唐突な話なのは著者の書き方のせいなのだが、この二つの話は一つの線路に乗ってしまうわけだ。そのため、前半部のさまざまなできごとが伏線になっていたことに気付くわけだ。

もっとも。ミステリではないので、本当の父親捜しとか、作中で急死した喫茶店のおばあさんの秘密とかは取り扱われない。ノヴェルだけでなく、ミステリやドキュメンタリーも乱読するような読者は著者にとって迷惑なのかもしれない。


もう一つ余計な話だが、表紙のデザインだが、1908年に、クリムトが描いた『ダナエ』の剽窃画である。比べると、天と地ほど表現力が違う。今年のクリムト展ではこの絵は来るのだろうか?

ピンポン(2002年 映画)

2019-01-28 00:00:32 | 映画・演劇・Video
宮藤官九郎の脚本で、漫画の映画化である。なんとなく知っていたのだが、卓球の試合のシーンが迫力がある。もちろん高校を舞台とし、県大会があって全国大会があるという、スポーツ系のシステムの中で、とりあえず県で一番になって全国で一番になって世界で一番になる、というサクセスストーリーの第一歩である県大会を争うのが三校。主人公の二人が所属する片瀬高校、全員がスキンヘッド&眉剃りの海王高校。手っ取り早く勝とうと、中国の代表崩れを連れてきた辻堂学院。名前からして神奈川だ。

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そして、片瀬高校の二人のエースであるペコ(窪塚洋介)とスマイル(ARATA)だが、ペコは技術の壁にぶつかり停滞。スマイルはどうしても卓球に本気で打ち込めない(要するに気が弱い)。この二人の実力は、大きく三つの要素で決まっている。

1. 卓球部の熱血監督(竹中直人)
かつて一流選手だった。映画『スィングガールズ』ではジャズを演奏できないジャズの先生役をやっていたので、本当は卓球はできないのではないかと疑ったが、そうではなかった。

2. タムラ卓球場
経営者がオババ(夏木マリ)。こちらも卓球の鬼だ。厳しいだけではなく、選手の心理をつかみ、マインドコントロールに長ける。

3. それぞれの精神力
誰のため、何のために卓球を続けるのか。答えを決めるまでが長かった。

実際、この映画に登場する高校生の生徒たちは、何のために、誰のために命がけの練習を続けるのだろうか。才能か努力か。選手かコーチか。ケガを押して試合に出るべきか。スポーツに関する現代的なテーマが、すでに羅列されているわけだ。


ところが、現代では高校に入る前から世界レベルの選手が現れたわけだ。

このタイプの映画って多い。県大会突破!だ。カルタ取りの「ちはやふる」もそうだったし。

「東京おりがみミュージアム」という場所

2019-01-27 00:00:37 | 美術館・博物館・工芸品
墨田区の本所にある『東京おりがみミュージアム』を探し出した。意外に難しい。施設の名称からしてミュージアムなのだから、ある程度の規模を予想できるのだが、そこから間違いが始まる。

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何しろ看板は、日本折紙協会であり、ミュージアムとは大げさで、むしろ折紙関連商品の売店と言った方がいいような気がする。そう思うと、責任者の方からの小学生に対するような説明を聞いても、納得できるのだが。

業界内のことはよくわからないのだが、同種の名称の施設が御茶ノ水にある。「おりがみ会館」である。こちらの方が博物館に近いし、大規模だ。1年少し前に訪れたことがあった。「『おりがみ会館』は日本ではなかった 」。外国人客の方が日本人より多かった。

どうも、全国には折り紙教室というのが多数あって、その多くが系列化されていて、その一つの親分が本所であり、別の一つが御茶ノ水ということらしい。スポーツの世界でもそうだが、協会がいくつかあって統一状態ではないというのはよくあることなのだが、例えば五輪とか世界選手権とかになれば日本国内の組織を一本化して日本代表を決めることになるのだが、当分ないだろう。

「解けてうれしい3手詰(下)」の毒

2019-01-26 00:00:13 | しょうぎ
「将棋を孫に伝える会」で発行する小冊子を、将棋を教えている小学生に配っている。以前は20冊ずつを購入して配っていたが、年間発行回数が減少したのと、誰かのおかげで児童数が急増したため、3ヵ月に一回になってしまった。これから女流棋界の新兵器である磯谷さんの話題がワイドショーに登場すると、今度は女子小学生も増えてしまうかもしれないと憂慮している。部屋に収容できなくなるし、個別指導も困難に(すでに)なる。

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ところで、昨年末に発行された「解けてうれしい3手詰(下)」だが、一問目の通しナンバーが「1」ではなく「問題114」となっていて驚いた。落丁にしては飛び過ぎている。どうも、(上)(中)で113題が出題されていたようだ。では(下)は何番までかと言うと169番まで。13の二乗数だ。

思うのだけど、初心者向けに、短い3手詰という配慮はあるのだろうが、実際のところ、少し将棋を覚えると、3手詰はほとんどの児童は数秒で解けるわけだ。というか3手の読みができないと将棋は面白くない。面白くなければ続けないのだから解けるのは当然だし、解けなければ将棋ではない分野に挑戦すべきだろう。そういう分水嶺みたいなのが3手詰ではないだろうか。

解けてうれしい、というのは、実戦物や手筋物ではなく、意外性とか驚愕のとか、そういう問題が解けた時ではないだろうか。


さて、1月11日出題作の解答。

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大事な金を先に捨て、玉を下に追わずに上に追う。脱出コースに見せかけて角の利き筋に乗せてから捕まえる。国外逃走を図ったものの、空港の滑走路で捕まったようなものだ。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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今年になってから、難易度の低い問題が多いかもしれない。1月というのは多忙につき、万事そういうものだ。

コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

産地からわざわざ日本に来て食べる人たち

2019-01-25 00:00:19 | 市民A
ウナギの高騰は、庶民の口からどんどんウナギの味を遠ざけているのだが、格安のウナギを提供している店もあり、『名代宇奈とと』もその一つとして有名。安すぎて、一回倒産しているようだ。東京と大阪で計10店舗が展開されている。

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ワンコインうな丼と言われるように、500円のうな丼もある。浅草に行った時に、ちょうどお昼に宇奈ととの店の前を歩くと、短い列ができていたので、入ってみる。

すぐに気付いたのだが、日本人客の比率は少ない。半分が中国からの観光客で、1/4はその他アジア系、1/4は日本人ということ。500円丼だと、上から見て茶色の面積よりも白の面積の方が多いようなので、「ダブル」を注文。1000円になる。要するに500円が二切れという簡単さだ。

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まわりの中国人観光客を見ると、二つに分かれて、一人だろうが家族だろうが、大量に注文して5000円以上使う人。500円にこだわる人。やはり中国は格差社会であることを感じてしまう。高い注文をする人ほど、傍若無人で、店員にもらって鰻重特上をスプーンで食べたりしている。ほとんどの客はウナギを撮影する。

メニューを見ると、白米とタレの醤油は「国産」とメニューに明記されている。ということはウナギは国産ではなく中国からの輸入なのだろう。何も日本で食べなくてもと思ってしまう。

ウナギの肉質だが、江戸(東京)の調理は、肉質が薄くて、かつ身が柔らかいのを上等とするのだろう。本場の一つである浦和(埼玉)のウナギは、身が厚くて柔らかい。宇奈ととのウナギは身が厚くて堅い。

おそらく中国での調理も、このように厚い肉質を固く焼くのだろう。要するに、すでに日本人向けではないのかもしれない。もっとも、あまり美味いと、さらに中国でのウナギ消費量が増えてしまうのだろう。

「もらった物は返さない!!」話が二つ。

2019-01-24 00:00:20 | 市民A
奇しくも、「もらった物は返さない!!」話が同時進行している(進行していないとも言える)。

どちらが重要かはよくわからないので順不同で、一件目。

日ロ領土交渉。いわゆる北方四島問題。「固有の領土論」の日本側に対して、「ヤルタ会議の結果、千島列島をもらえることになった」「戦争で獲得した領土は自分の物にすることになっている」というのがロシアの言い分である。

その中間にあるのが1956年の日ソ共同宣言。この宣言によって、日ソ間の戦争状態が終結したので、平和(講和)条約を新たに結ぶ価値があるとしたら、領土の確定ということになる。共同宣言では、平和条約締結後に歯舞色丹を日本に引き渡すとなっているが、この宣言の解釈にも日ロの差があり、日本側は、平和条約が締結されると領土が確定するので、事務的手続きの後ですみやかに日本領になる、と解釈しているが、P大統領は、島を引き渡すと言っても主権を渡すとは書かれていないと言い出した。

この主権を渡さないということは、言い換えると、「島を貸す」ということになる。例えば、賃料年間一兆円で、海は貸さないから漁業権はロシアの物という解釈になる。

もちろん、そんな条件なら交渉は無意味で、四島案に戻り、次のロシアの崩壊を待つということになるのだろう。Pの次の次あたりだろうか、一旦、右に傾き、結局左に倒れる。米国の未来もそうだろう。

また、戦争で獲得した領地は返さないというのも、最大の死者を出した国なので心中はわかるが、欧州の方では、ほとんど領地獲得できなかったわけだ。こだわるのも無理はないだろう。


そして、もう一つの「返さない」話は、皇室から一刻も早く抜け出したい王女様の婚約者の母親の金銭トラブル。

母親の話がなんで関係するのかとか、そもそも元婚約者の方と母親はどういう関係だったのか、単なる婚約者なのか事実婚状態で年金極大化のための偽装婚約者だったのか。

問題の400万円は貸したのか、譲渡したのか。どうも話を聞くと、あげたつもりだったが母の態度が冷たくなったので、返してほしい。ということのようだ。

実際は皇室から支度金として1億円が払われるようなので、それを担保にして400万円を借りて交渉すればいい、と思ってしまう・・・

「もらったものは返さない!」と基本原理を小室家が出してきたので、それを突き崩すのは元婚約者側なのだろう。

ロシアなら、元婚約者という人物がいつの間にどこかに消えてしまうということだろうか。

居酒屋ゆうれい(山本昌代著 小説)

2019-01-23 00:00:43 | 書評
小説よりも映画の方が有名かもしれないが、原作がなければ映画ができない(時々、逆のケースも試みられているが、うまくいかない)。若奥さんに亡くなられた男が、「お前が死んでも再婚しない」と言ったにもかかわらず、1年も経たないうちに再婚して楽しそうに過ごしていると、先妻が幽霊として現れる。

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並の幽霊と違うのは、1.足があること。2.旦那と後妻とは会話ができること。である。足がある幽霊だと、映画化するときに撮影が楽だ。

そして人間2+幽霊1が同じ家に住み始める。幽霊1は死んでしまっているので、人間2の夜の格闘競技は、見学ならびに助言する立場になる。そして、人間2も当初、気味が悪いので様々な方法で追い出そうとするが、うまくいかない。何しろ、寺の和尚も「幽霊なんていない」という前提でお経を読んでいるわけだから、「幽霊を成仏させてほしい」と頼まれても困り果てる。お布施をサービスすることぐらいしかできない。

ただ、この小説、実は一向に前に進まないのだ。幽霊と同居した夫婦という型枠から外れることなく読了となるのか、と思っていたら、最後に幽霊がどこかに行ってしまった。

ところで、幽霊の存在だが、そもそも足がないだけではなく、質量がないことになっている。なぜ、その姿が見えるかと言うと、幽霊を見る人の観念的存在だからだ。例えば夢の中で亡くなった人が登場することがある。たぶん、無駄に年を重ねると、優秀な知人の方が先に逝ってしまったりするが、夢の中では堂々と生きている。また、死んでしまえばいいと念じているうちに、本当に死んでしまった性悪な悪党の夢を見ることもある。それらは夢の中には観念として実在するのだから、それを幽霊と呼んでもいいような気がする。

「パートナー」というコトバ

2019-01-22 00:00:42 | 市民A
千葉市が「パートナー」の証明を、同性間だけではなく、異性間の事実婚にも適用する、と発表した。わかりにくいが、同性間だけをパートナーとすると、パートナー=LGBTということになり、カミングアウトしたくない人も意図せぬカミングアウトになってしまうからということだそうだ。

そして、この話は、これ以上は先には進まないわけだ。LGBTの生産性だとか、遺族年金をもらっていながら事実婚して息子の学費を旦那に払ってもらいながらも都合により関係清算を図ろうかという一家については、テレビのワイドショーで研究してほしい。

本題は「パートナー」というコトバをこういうように使っていた人がいた、という話。

7年前だと思うが、新橋のある有名皮膚科に、顔にできた小さなイボを退治するために通っていた。足の裏だと、液体窒素を無慈悲に患部に押し付けて、患者の目から涙がこぼれると、「ちょうどいい深さまで焼けた」ということで許してもらえる。(焼くのではなく、凍らせるのだが)

顔の場合、跡が残ると見苦しいので、何回にもわけて処置するのだが、足の裏よりもずっと皮膚が薄いので、やはり涙が出てきたら、「きょうはここまで」ということになる。

結構、有名な先生で、いつも待合室はいっぱいで、しかも先生の声が大きい上、壁が薄いので診察の様子が、待合室に聞こえてしまうわけだ。

そして、あるとき、診察室の中で、先生の声で「性病宣告」が行われたわけだ。一々、誰が診察室に入ったか見ているわけではないので、宣告されたのが男性か女性かもわからないのだが、患者の声がないのは、「後悔の念」で言葉を失ったからだろう。

さらに、先生は追い討ちを続け、患者に対して命令を出すわけだ。

「治療を続ける間は、あなたの『○〇○○○○○○』に事情を話して『○〇○○○○』をしないように」

では、『   』の中に入る言葉はなんでしょう、ということなのだが、答えは、
最初の方が、『ベッドパートナー』で、次が『ベッドプレー』。特に前者は、初めて聞いた単語なのだが、思わず待合室に、怪しい微笑みの時間が訪れたわけだ。他人の不幸は蜜の味ということだ。

深夜特急(沢木耕太郎 紀行小説)

2019-01-21 00:00:08 | 書評
単行本は3冊(1986年に二冊、6年後に三冊目が刊行)。それを文庫化して6冊になっている。1970年代初めに著者がインドのデリーからロンドンまでバスで旅行しようと思いつき、たぶん現在価値で100万円弱を軍資金として出発。しかし、インドに着く前に香港やマカオ、タイなどで散々道草をしてしまう。

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現代では、日本国内の「路線バスの旅」としてバラエティ番組が何種類かあるが、それを思うとかなり先駆的チャレンジだ。(というか、今の日本では高速バスでかなり自由に移動できるが、たぶん路線バスだけでは特に都会では前に進めないのではないだろうか。

例えば、東京駅から横浜駅まで路線バスで行くことは、たぶん可能だろうが1日では着かないかもしれない。アジア偏と欧州編とわかれるのだが、欧州編ではイタリアやポルトガルではバスの乗り換えで難儀をしている。

さて、この本については、すでに多大な読書感想が書かれていて、概ね「GOOD」評が「BAD」評を超えているのだが、そんなことをさらに追加して書いてもしょうがないので、評論風に書いてみる。


紀行あるいは紀行小説は古今東西たくさんある。形式的な分け方で考えると、旅の書き方として、自分が見たり聞いたりした外部情報を中心に書く人も多い。名所旧跡を訪れて、そこの価値や過去の歴史に感嘆したりする。「驚き型」といっていい。やり過ぎるとガイドブックになる。

もう一つは、あくまでも旅を自己を見つめ直す手段と考え、各地の風物を観たり聞いたり食べたりして、自分の気持ちが内面的にどう揺れ動くかを綴ったり、和歌を詠んだりする。感情を作品に移入をする書き方だ。「泣き笑い型」。これはやり過ぎると、日記になる。

つまり、ガイドブック的か日記的かということで、そのほどよい中間的なのが、著者と読者の関係では名作とされる。日本の古典では「東海道中膝栗毛」とか「奥の細道」とか。

本書は、かなり日記に近い位置にあるのだと思う。そういう意味で、読者の期待を裏切ることが度々あった。悪書というのではなく、そういう立ち位置で書いているのだろう。

ガンジス川を流れる遺体や遺灰を見て、何も感じないというのもちょっと薄い書き方だなと思ったり、何でも値切って失敗するとか、ちょっと品位がないように思うところもあるし、最後に残念だったのは、リスボンから喜望峰周りで日本に帰ってくる船便を見つけたのにもかかわらず、予定最終地であるロンドンからリスボンには戻らなかったことかな。

長い旅なので、予定外のことが多発するのだが、その時「頑張って自分で切り抜けよう」という行動力も必要だし、「ここは、流れに身を任せよう」という忍耐力も必要なのだろうが、その「頑張る」と「身を任せよう」という切り替えのタイミングが、ちょっと自分的にはずれているなあと思うことがあった。


もちろん、旅の楽しみ方は人それぞれでよいので、ある意味、長い旅でも、その中にほんの一瞬でも、「心動く」ことがあれば、それでいいのではないかと思っている。(下手なゴルフでも、一日に1ショットでもナイスショットがあれば「きょうは楽しかった」と思うのと同じようなことだ)

喫煙室の本質は・・

2019-01-20 00:00:54 | 美術館・博物館・工芸品
たばこと塩の博物館で「ウィーン万博展」を観たのだが、常設展の方について。

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もともとは、この博物館だが渋谷の一等地にあったのが、スカイツリーの近くに移転したのだが、旧専売公社で扱っていた二大商品である「塩」と「タバコ」について独占的に扱っていたJTが運営している。

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入口の横には、原産地の愛煙家の像が立っている。

実は、「塩」の方だが、児島(倉敷市)の野崎家塩業歴史館や、大三島にある伯方塩業の工場見学などでかなり詳しく見ていたので、現在の展示にはあまり驚くことはない。渋谷の時は世界のテーブルソルトの標本展示があったように記憶するが、移設後は、古来からの塩の製法の方に重きが置かれているように思う。

ということで、「タバコ」の方。もちろんタバコは中南米の先住民が愛用していたものをスペイン人が横取りして、世界中に愛煙家を広めたわけだ。日本では、特に江戸時代になってキセルがタバコの喫煙方法の中心となる。

よくできていた展示は、江戸の煙草屋である。当時の煙草屋というのはタバコの栽培を行い、その葉を乾燥させ、タバコを千切にする包丁を使って糸のような細さに切りそろえていたわけだ。煙草切りは、男性の場合もあり女性の場合もある。夫婦のどちらかがタバコの葉を作って乾燥し、もう一人がタバコを糸のように刻んで店頭で販売していた。取引単位は重さだったようだ。要するに家族経営で、生産、加工、販売まで一貫経営(六次産業)だった。

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ところで、本館で秀逸なのが、中米のタバコ文化。会場内に石造りの神殿のスペースがある。木造の日本の神殿とはまったく異なり、石でできた部屋である。実は、それがタバコを吸う場所だった。宗教的儀式として神殿でタバコを吸い、神と精神的に一体化していたそうだ。

現代的に言うと、会社や一部の飲食店にあるガラス張りの「喫煙スペース」が、あたかも物理的には神殿とそっくりな形状である。喫煙スペースには神棚を設置しなければならないだろう。「禁煙主義者からの冷たい視線に耐えられますように」と祈った上、「喫煙時間1本につき3分間の職場放棄について禁煙主義の人事部長から咎められないよう」さらに祈りを重ねなければならないからだ。

般若一族全作品(近藤郷著 詰将棋集)

2019-01-19 00:00:53 | しょうぎ
2年間ほどかけて、読み終わる(というか、並べ終わる)。難解詰将棋集なので、本に書いてある正解手順と2種類のソフトで解かせた解が一致しないので、確認しながら一問ずつ進めていく。

般若一族とは詰将棋を個人ではなく数人の団体で作成するグループで1981年に登場し、10年ほどの間に26作を創作し、解散した。その26作の解答と解説の書である。

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特徴は、馬ノコギリと解答者へのパズル的挑戦ということだろうか。

馬ノコギリについては、嫌いな人も多い。遠くの質ゴマを手に入れるために馬を階段状に動かして一歩ずつ近づけていくのだが、実際には少し動かすと、遠くまで行って質ゴマを取った馬が再び近づいてくるのだが、原理はわかるのだから、何も盤の端まで動かさなくてもいいのではないかと思ってしまう。認定トライみたいなもので簡単にした方がいいのではないだろうか。

もう一つが、解答者への挑戦というスタンス。何も解答者を虐めなくてもいいではないだらうかと思ってしまう。解答者が喜ぶようなサッパリとした手順を使った簡単な問題の方がいいのではないかと思ってしまう。といって、否定するようなものでもない。

とはいえ、心の重荷が一つ終わった。


さて、1月5日出題作の解答。

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大駒を必要な時に使う。最終形は予想できるが、それにたどり着くプロセスが重要なわけだ。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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実はこども将棋教室の実戦の局面。少し改造している。その結果、長くなってしまった。手数を書くと、解いてもらえないので秘密。持駒が豪華過ぎるのだが、それほど貴重には扱ってあげられない。2七のと金や2八の銀は何のためにあるのだろう。実戦からの改造詰将棋は、それほど難しい手はないと言っていい。

わかたと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

シーバックソーン入りのチョコレート

2019-01-18 00:00:49 | あじ
フィンランドから一時帰国中の知人と会食したのだが、おみやげとして頂いたホワイトチョコレートが異常においしかった。中に直径3ミリ程度の植物の粒が入っていて、甘酸っぱい果肉とチョコレートの調和が良く、お替りしたいほどなのだが、もちろんフィンランドのお土産なので簡単には手に入らない。




ということで、包装紙を点検していると、「Sea Buckthorn」の実らしい。では、このシーバックソーンとは何であり、どうしたら手に入るのかを調べ始めたのだが、なかなかわからなかった。フィンランドは有名な産地らしいが他の国でも採れるようだということはわかったが、200種類のミネラルを含むスーパーフードらしい。日本にパウダー状にされて輸出されているそうだ。ということはパウダーを買ってチョコレートに混ぜればいいということだが、粒のままがいいわけで、粉ではねえ・・

ところが、このブログに書くために調べ始めると意外なことがわかった。シーバックソーンというのはフィンランドの近くと米国での言い方で、例えば、シーベリーと言われたり中国ではサジー(沙棘)と呼ばれたり、モンゴルではチャチャルガンと言われ、ユーラシア大陸の北側に生えているそうだ。

ということで、急遽、他の国の読み方で調べると、日本では果実も売られているし、苗木まで売られている。苗木を買えば、このスーパーフードが沢山食べられることに気付く。1本が3,000円位だから、実がなれば元は取れる。

しかし、さらに調べてみると木は雌雄があり、雌の木のそばに雄の木を植えなければならないそうだ。しかし、オスの木は売られていないのだ。

しかも、寒いところが好きなので、関東以南では育つかどうかは不明、とのことだ。

男性の好きなスポーツ(1964年 映画)

2019-01-17 00:00:47 | 映画・演劇・Video
前の東京五輪の年の春に公開された映画。撮影は夏と思われるのでケネディ大統領が暗殺される前だろう。公開は暗殺後だ。これが釣りの映画であるから良かったが競技射撃の映画だったらオクラだったかもしれない。

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主演はロック・ハドソン。典型的なアメリカの堅物の白人を演じることが多い。代表作と言えば『ジャイアンツ』だろうか。ジミー・ディーン、リズ・テイラーと共演した。女優のポーラ・プレンティスはコメディ専門の出演が多い。男性の好きなスポーツというのは、実はフィッシングのこと。翻訳が変なのではなく原作も同様だ。ロック・ハドソン演じる釣り具店の販売員は、様々な知識で釣り関係書を執筆。カリスマ的釣り師なのだが、実は釣りの実戦はゼロ。

ところが、何の因果か、マス釣りの大会に出場しなければならなくなる。そのため、ポーラの演じる女性のコーチを受けることになる。合わせて、自分が書いたテキストを読みながら練習を開始するわけだ。そしていつしか、ポーラは既に婚約者のいるロック・ハドソン演じる釣り具販売員を釣りあげようとするわけだ。つまり不倫映画でもあるわけだ。

この、実際には何もできないプロ教師というストーリーには類型があって、2004年に公開された『スウィングガールズ』のジャズの先生(竹中直人)がそうだ。『武士の献立』も似たような展開だ。料理の下手な料理人を高良健吾が演じる。

で、結局、ビギナーズラックというコトバがあるため、にわか釣り師は特大のマスを三匹釣りあげて優勝するも、良心の呵責にさいなまれて、優勝カップを辞退してしまう。まったく気が小さい男のわけだ。そして、婚約者は不倫状態に逆上し、彼の元を立ち去るのだが、女釣り師と釣り上げられた男は、なかなか関係を進められないわけだ。後に彼はAIDS感染とゲイであることをカミングアウトするのだから、関係が進まないのも無理からぬところだったわけだ。

なお、アメリカ大陸先住民を演じる男がいい味を出している。