ちはやふる 上の句(2016年 映画)

2018-12-31 00:00:11 | 映画・演劇・Video
『ちはやふる』は現在も連載が続いている少女漫画を元に、まず、アニメ化され、さらにこれでもか、という勢いで映画化された。「上の句」、「下の句」、「むすび」と三部作である。

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まだ「上の句」しか見ていないので、展開はよくわからないが、「上の句」では、こども時代のカルタ仲間の三人のうち二人が高校で再会しカルタ部を創設する。初心者も含め5人で、5人1チームの勝ち抜きカルタ大会の県大会で優勝して全国大会に出場するまでが描かれる。野球で言えば部員9人で甲子園に行くようなものだ。

二大スター選手が綾瀬千早(広瀬すず)と真島太一(野村周平)。この二人を軸としてカルタ部は回っていく陽の千早と陰の太一、そして競技かるたなのに、百人一首のそれぞれの和歌の解釈を講義する部員がいたり、競技としてのカルタの戦略や弱点を分析する秀才が登場(カルタは弱いが)。

ある意味、漫画よりも映画の方が競技会の臨場感をみせるには向いている。飛び散るカルタ、畳を叩きあう爆音、そして酸欠で倒れたり、負けて泣き出したり・・

繰り返すが、まだ三部作の一しか見てなくて大きなことは言えないが、なぜ受けるかと言うと、カルタは一見、高尚なゲームに見えるからだ。藤原定家が厳選した百人の一首。その選別には今なお多くの謎がある。なぜ、この歌人がこの一首なのか、もっといい和歌があるではないか。定家そのものの歌も平凡ではないかとか・・そういうことを考え始めるとキリがなく奥が深い。

実質的にはスポーツ系なのだが、なぜか文化部だったりする。「おっぱいバレー」という映画があって、非力チームのバレーボール部の選手に女性監督(綾瀬はるか)が、1勝したら見せてあげるといって頑張らせたような、通俗性はないわけだ。あくまでも、青春の汗と涙と仲間の信頼がベースになっている。(たぶん、第二部『下の句』では、もっと下世話な方向に進展していくのだろうと予感がある)

新宿のタイムワープ空間に「市川房江記念会女性と政治センター」が

2018-12-30 00:00:05 | 美術館・博物館・工芸品
新宿駅の南口から西に向かって歩き、かなり近いところなのだが、太い道路から細い路地を入るとまったく分かりにくいところに婦選会館があり、その建物内に「市川房江記念会女性と政治センター」がある。建物に入ると、まず受付の方から、そこにたどり着いたことに対するねぎらいの言葉をいただける。

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市川房江さんは、もともと女性参政権の活動をしていて、戦後は女性も投票に行こうという運動を行っていた、かつて一回だけ彼女に投票したかすかな記憶がある。

それで、彼女の演説の録音を聞いてみたのだが、女性政治家になるために立候補を促すというよりも、女性の意見を通すために、「女性も投票に行こう」という運動をしていたようだ。

そういう比較的、難しくない運動も全国をくまなく遊説した結果、投票率において男女格差がなくなったということだろう。もちろん、彼女は参議院議員でもあったわけで、国会での質疑応答も読んだのだが、参議院議員らしい品位ある質疑を佐藤栄作総理とも交わしている。

現代では、投票に行かないのは女性ではなく若年層ということになっているが、若年層を投票場に行くように熱意をもって運動をしているような人は見当たらない。

女性参政権の事だが、元はと言えば、日本で普通選挙が始まったのは1925年のこと。当時は誰が選挙権を持つかという議論があって、当初は多額の税金を納めている人というカテゴリーを考えたそうだが、それでは女性の方が有権者数が多くなるということだったそうだ。そのため、男子だけということになったらしい。その話を読んだ時に、もっと詳細を調べるべきだった。確か、男は少数の金持ちが高額を払い、女は商店主が多く数で言うと納税者が多いということだったような気がする。

ところで、この婦政会館だが、かなり年季の入った建物である。まわりには大小多数のビルが建っているが、この一角だけが昭和中期の雰囲気を醸し出している。実は、この会館の場所に、市川房江女史本人が住んでいたそうである。

決断力(羽生善治著)

2018-12-29 00:00:00 | しょうぎ
2005年7月の発行である。当時四冠だった将棋界の第一人者がエッセイ風にまとめた一冊である。本のタイトルは『決断力』となっているが、特に決断について重点を置いているとは思えない。「決断とリスクはワンセットである」と書いてあるが、将棋というゲームの特性からして、自分の手番になれば、パスすることはできないのだから、いずれにしても何か手を決めて指さないといけない。指せば、その手のせいで負けることもある。しかたないことであり、特に羽生前竜王だからということもないだろう。

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「直感は七割が正しい」とも書かれているが、羽生九段の生涯勝率と同じだ。全部直観で指してもいいということなのだろうか。

そして、決断というコトバにもっと親和性がある言葉が「引退」。この本が出た時には35歳位だったはずなので、そう深く引退のことを考えていないようだが、こういう記述になっている。

たとえば、明らかに力が衰えてきたとか、将棋を指していても内容のある将棋が指せないとか、そういう状況になってしまったら、強制されないとしても引退を決意しなければならない。


また、加藤一二三九段を例にあげ、こうも述べている。

「何が何でも負かしてやろう!」そういう気持ちを持って将棋に打ち込むのは大変なことだ。だから、そういう精神状態が継続できる限りは、将棋を指し続けていくのではないだろうか。


この引用した二つの個所は、実は並列的ではなく次元が違う話だ。最初の部分は簡単に言えば「勝てなくなる」ということ。二番目の例は「勝とうという意思」である。「勝てなくなる」というのは結果としての勝率のことだし、二番目は個人の気持ちのこと。

おそらく、羽生九段は、その二つのどちらかでも満たせなくなった段階で引退するということではないかな、と思うわけだ。


さて、12月15日出題作の解答。

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▲2三桂を早まらないこと。

動く将棋盤は、こちら


今週の出題。

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あるポイントカードを思い出すといいかもしれない。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

鮟鱇(あんこう)の一つ道具

2018-12-28 00:00:10 | あじ
鮟鱇の旬は12月上旬とされる。鮟鱇鍋が代表的な料理で、本当はとても旨いのだが、料理店で食べると、あれこれと余計な味付けをして台無しにしていることも多い。

鍋を食べればいいのだが、日本国と同様に財政危機の折、いわゆる鮟鱇の七つ道具の一つである水袋(胃)の一夜干しだけをいただくことになった。ちなみに残る六つ道具は、肉、肝、ぬの(卵巣)、ひれ、皮、えらだそうだ。

そして、この水袋の一夜干しだが、肉と異なり、こってりした味わいとしっかりした硬さがあって、病みつきになりそうである。(病みつきになっても千葉県まで食べに行くのは簡単じゃない)

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やはり冬は鮟鱇である。

ということで、鮟鱇を詠んだ一句を思い出せるだろうか。

  鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる(あんこうの ほねまでいてて ぶちきらる)

光景としては、コチコチに凍った鮟鱇が、包丁でバシンバシンと叩くように切り分けられる様の描写である。加藤楸邨という高名な俳人が1949年に『起伏』という句集で発表している。

ネット上で調べると、「冷凍庫でコチコチになった鮟鱇を、勢いよく解体する俎の音が聞こえそうな威勢のいい冬の光景」といったとんでもない解釈がまかり通っている。

普通、鮟鱇は吊るし切りという手法で、ぐにゃぐにゃした体を吊るされて、宙吊りのままバラバラにされる。コチコチだったら七つ道具に分解できない(つまり付加価値が小さい)。

1949年なんて、まだほとんどの国土が焦土から立ち直っていない。(なぜ、焦土になったかわからない人は勉強した方がいい)冷凍庫は、そう普及してはいなかった。

要するに、冬が寒いのである。水分の多い魚である鮟鱇は、外気温で凍っていたわけだ。それなので、包丁でぶち切るしかないわけだ。

加藤楸邨は、その1年前、『野哭』の中で、壮絶な一句を詠んでいる。

  雉(きじ)の眸(め)のかうかう(こうこう)として売られけり

雉とは何か? 雉とは「日本国」なのだろう。まだ講和条約は結ばれていなかった。日本はまさに戦勝国の間で売られようとしていたわけだ。そう考えれば、ぶちきられる鮟鱇というのも、同じく日本国のことではないかとも仮説を立てることは許されるだろう。

儚い羊たちの祝宴(米澤穂信著 ミステリ)

2018-12-27 00:00:20 | 市民A
いつか米澤穂信を読もうと思っていたのだが、ある推薦図書として『儚い羊たちの祝宴』があって、とりあえず近隣の図書館で借りてきた。2時間位で読み終わる。

320ページで短編が5作。それぞれ独立してはいるのだが、「バベルの会」という読書会がそれぞれ微かに絡んでいる。とはいえ、5編の中の最終作である『儚い羊たちの祝宴』に至って、すべてが、偶然に関係していることがわかってくる。

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料理人が登場する小説で有名なのは宮沢賢治の「注文の多い料理店」なのだが、題名からして少し意識しておいた方がいいかもしれない。

本作は、著者の青春ミステリから本格ミステリへの転換点の作品と言われるようだ。多くの魅力的な少女が将来の夢を持って生きていく姿と各種欲望の塊のような大人や老人たちの衝突があちこちに点在している。もっとも転換点の前と後ろの作品も読まないと、大きなことは言えない。

そして本作は、おおいに江戸川乱歩的なのだ。

今年も色々な事件があったのだが、もっとも奇妙だったのは紀州のドンファンと言われた高利貸しの怪死ではないだろうか。著者に推理してもらえばいいのではないだろうか。

紀州の高利貸し殺人、向島逃走犯潜伏事件、容疑者自転車で日本一周目指す、暴力力士群、剛腕強欲社長。これがマイ5大ニュースかな。

ニシノユキヒコの恋と冒険

2018-12-26 00:00:11 | 書評
おそらく川上弘美の代表作の一つになるだろう『ニシノユキヒコの恋と冒険』。10編の短編連作集なのだが、10編とも男と女の絡みである。淡い恋なのか、深い愛なのか、単に欲望を満たすだけなのか、それぞれの短編にそれぞれの形態があり、10編とも女性側からの目線で書かれている。

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ところが、小説的に大問題なのは、10編とも男の方は「ニシノユキヒコ(あるいは西野幸彦)」という同一人物。時制は必ずしもこどもから大人に流れるわけでもなく読者は注意が必要なのだが(といって文学部の教授(男でも女でも)がこの小説を女子学生に読ませて、10編を正しい時間の流れに並べ替えなさいというようなことにはならない)、つまりニシノユキヒコのこどもの頃から亡くなるまでの恋の遍歴を女性の側から書いているわけだ。

実は、その仕掛けに気が付くのは、論理的には第二編のはずなのだが、迂闊にも、もう少し読み進んだ後だった。思ったのは、この小説は、「源氏物語」なのだということ。次々に女性を取り替え引き替えながら布団に潜り込んでいって、時には女性を傷つけたり怒らせたりしながら読者である平安貴族を喜ばせていたのが、紫式部が創り出した「光源氏」だったのだが、それを現代版ダイジェストにしたのが川上弘美なのだろう。まあ、ドンファンという似たようなコトバもあるが、川上弘美にも西野幸彦にも紫式部にも光源氏にも失礼だろう。

そして、紫式部は、光源氏亡き後の世界も少し書き足したのだが、本書も第9編で主人公が亡くなり第10編がある。

一編ずつは、ひどい男だな、と思うような小説なのだが、10編を読み終わると、彼の人生はかなり可哀そうな側面もあったのだなあと、感傷的回想をもって裏表紙を閉じることを著者は期待したのだろう。

もっとも、実生活でも奔放な恋愛を楽しもうという楽天的な方々は、本書を読めば、「恋愛関係における相互無神経さの効果」をさらに習熟し、磨きをかけることもできるだろう。

実は、今年読んだ100冊目の本。

港区児童相談所建設反対運動について

2018-12-25 00:00:37 | 市民A
表参道に東京都(港区)が児童相談所を建設する件について地元住民から反対運動が起きている。まあ、簡単にいうと児童相談の部分ではなく触法少年を一時的に隔離して、お裁きの後、所定の場所に移動してもらうための間の拘置所みたいな場所でもあることに対する違和感なのだろう。

つまり、そこから地元の学校に通学するようなことにはならないわけだ。逃走しないかどうかは断言できない。逃走事件は今年から良く起きるようになったのだが、逃走犯はブランドショップに押し入ったり岡本太郎美術館に立て籠ったりはしないはずだ。

誤解が生まれたのは、そもそもの公開されている設計図には、一階から五階までの平面図は書かれているが、内部の部屋の配置とか何をする場所なのかは書かれていない。説明をあやふやにしているわけだ。

そして実際に、これで青山の地価が下がるかどうかということだが、もっとマイナス要素である都営の青山霊園こそ根津美術館のすぐ裏からかなり広がっているのだから、今更児相でもないだろう。

一方で、別の角度で考えると、青山というのは港区の中心から大きく外れている。そもそも山手線の内側の南側のほとんどが港区なのだ。この児相計画地から150mのところは渋谷区だ。つまりそこにあるのは青山学院大学である。青山学院は港区青山ではなく渋谷区渋谷にあるわけだ。同様に品川駅は品川区ではなく港区だし、目黒駅は目黒区ではなく品川区だ。本当にこんな場所でいいのだろうか。

私が奇妙に思うのは、例えば新橋駅(烏森口)から2分くらいのところに生涯学習センターと呼ばれる広場と建物がある。むろん、元小学校を廃校にしたあとの校舎と校庭を使っているわけだ。その他にもあちこちに元学校があるのだが、そういう用地、あるいは建物そのものも改造すれば格安で使用することができそうなものである。


ところで、よく話題に出るようになった青南小学校。市立ではなく公立だが優秀なお金持ちのご子息が通うことになっている。昭和6年に卒業生で俳人の中村草田男が、この学校の校庭に降り積もる雪をみて「ふる雪や明治は遠くなりにけり」と詠んでいる。

さらに青南小学校の隣のブロックは、「青山家族寮」という妙な名前のマンションが立ち並んでいるのだが、これが霞ヶ関の高級官僚の官舎なのである。家賃は周辺の1/3といわれている。公式的には、いざ事件が起きた時は、官庁に30分内に到着するために近くに住んでいるということになっているのだが、私の知人の場合、官舎を出るために都心から1時間強のところの県に家を買い、引っ越して行ってしまった。

あの頃ペニー・レインと(2000年 映画)

2018-12-24 00:00:17 | 映画・演劇・Video
2000年の公開(米国)の映画だが、舞台は1970年代の米国のロック・シーン。厳格な母親に育てられた少年ウィリアムが、15歳でロックコンサートの評論を書き、あの『ローリング・ストーン』誌の編集長の目に留まったことから、ある新進のロックバンドの国内ツアーに密着取材して記事を書くことになる。

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ところが、この4人組のグループだがギタリストのラッセルだけが一流で、残りは二流なので、常に内輪もめが起こっている。さらに、おっかけの女(グルーピー)たちがつきまとい、一日中、落ち着く時間がなく、インタビューは何日たっても始まらない。

そして、どうもウィリアムの『ローリング・ストーン』誌への途中報告(電話)が気を持たせる内容になっているため、編集長は記事も読まずに(書かれていないし)表紙採用を決めてしまう。

一方、グルーピーの一人(自称:ペニー・レイン16歳)は、ラッセルとウィリアムの二股交際を画策するが失敗。ついに睡眠薬自殺を図るがうまくいかない(コメディだからだ)。

15歳で記者になるとは途方もない脚本だと思っていたのだが、監督のキャメロン・クローは実際には16歳で音楽記者をやっていたそうで、本当はこの実話の方が驚きだ。


映画の中で、1970年代には「ロックは下火だ」ということになっている。おそらく下火ではなく、現状維持が続いているということだろうか。たぶん、あらゆるジャンルの音楽が停滞しているのかもしれない。ツタヤのレンタルの棚をみても、なぜか「アニソン(アニメソング)」が大量の幅を誇ってる。趣味は「自宅でこっそりアニソンを聴く」という人が多いらしい。もちろん就職にあたって書く履歴書の趣味の欄に、「音楽(アニメソング)」とか「音楽(K-POP)」とか正直に書く人はいないはずだ。

映画のことを書く前にどんどん字数が増えていってしまうが、なかなかいい映画である。時間は2時間だが、あと2時間ほど続きをやってほしいなと思うほどである。ただ、あまり悲しい事件は起きないので、映画を観るたびに人生の深淵を覗いてみたいという劇的進行愛好家の方には向かないかも。

I’mpermanent 枯山水サラウンディング

2018-12-23 00:00:44 | 美術館・博物館・工芸品
京橋のリクシルギャラリーで開催中(~12/25)の『I’mpermanent 枯山水サラウンディング』展に行く。

ややこしいタイトルなのだが、「枯山水サラウンディング」というグループがあって、音響芸術と視覚芸術の連結(どちらかというと音響を主とし視覚を従としているようだが)によって、新たなフィールドを開拓しようということだろうか。今春、瀬戸内海の豊島に行った時にも世界中から人の心臓の鼓動音を収録して、暗い建物の中で再現していたが、同根なのかもしれない。

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こちらは明るい建物の中に和風の箱庭(庭にしてはススキや枯草や竹藪なのだが)を作って、収録済の音源を聞かしている。

このタイトルとなったI’mpermanentという造語は、impermanent(無常)とI am p ermanent.(私は恒久的存在)という若干ズレのある言葉の合成だそうだ。

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会場内はゆっくりと何周かすると気持ちが落ち着くようになっている。そして耳をすませば、そこは京橋ではなく多摩川の上流の水源地なのである。

ただし、くれぐれも島々のように配置された敷石の上を歩くときに、踏み外して足首をねんざしたり骨折したりしないように注意が必要。サワサワ ガサガサ サラサラというような自然由来の風や小動物や川の流れの音の中にグギッとかボキッとかウォッとか芸術的でない不純な音源が混じることになり、せっかくのアート空間が台無しになるからだ。

マグロに脳天があるか

2018-12-22 00:00:39 | あじ
年末に千葉県で珍味を食べた。いや、珍味とは表現が悪いかな。店長がテーブルまで来て強く推薦の一品である。

マグロの脳天。

一応、人間で言えば唇から登頂部にかけての部分、つまり額から鼻の部分。そもそもマグロには首がないように見える。口が一番前についている。人間に比べるのが間違いなのだろう。そもそも人間が進化して魚になるわけではなく、逆だし。

魚の脳は小さいのだが、海の中を三次元で泳いだり、怪しい釣り針に食いつかないような警戒心も備えている。しかし、感情があるのかどうかはわからない。

で、マグロの脳天だが左右に二本取れるそうだ。200キロのマグロから300グラム位とれるらしい。0.15%。珍味というより希少部位ということだ。さらに頭の部分なので、傷があることも多いそうだ。

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別名、ハチの身とかツノトロとかいって、食感はしっかりしたトロというところ。年輪のように見える白い線が入っているのは筋ではなく脂肪ということだそうだ。

やはり、東京よりも千葉の方が魚類は美味いような気がする。三方を海に囲まれている県だから、県内のあちこちの漁港から魚が上がってくるのだろう。

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といって千葉駅に近い本店だが、若いサラリーマンをターゲットにしているらしく、トリカラが食べ放題なのだ。山盛りである。そういう若い客には脳天は勧めないのだろう。店長は味のわかる客を見分ける名人だ。単に在庫処分かもしれないが。

百か?あるいは

2018-12-21 00:00:30 | しょうぎ
通常なら将棋関係の記事は土曜日にアップしていたが、金曜日のきょうは、運命の竜王戦七番勝負の日。今年の七番勝負は三勝三敗ともつれ、ついに最終局。羽生竜王が広瀬八段に勝てば、生涯100度目のタイトル戦の勝利となる(第二位は80回の故大山康晴氏)。

ところが負ければ27年ぶりの無冠となる。平成2年に棋王位に就いて以来、無冠と言うことはなかった。

となると、負けて失冠した場合、もしや引退宣言というコトバが浮かぶのは私だけだろうか。しかし、勝負の世界では、引退を意識すると、もう勝てないということもある。一日目の対局では羽織の下に白い着物というのも、意味が深いような気もする。


確かに、今年度の成績は、今のところ19勝19敗の5割(.500)である。あと3ヵ月で仮に年間50局指して25勝25敗というのでは、竜王にとってまったく不満足だろうし、もう一つ、いや二つの気になる(あるいは本人も気がかりだろうが)数字がある。

一つは生涯通算勝率。一時は7割3分(.730)を超えていた時期もあるが、今のところ1417勝584敗で.7081。これでも全棋士でほぼ一番なのだが、たとえば、今年度が25勝25敗になると、0.7069。来年も25勝25敗だと0.7019まで下がり、再来年度2020年の途中で6割台に落ちてしまう。そこまでやりたいだろうか。国民栄誉賞までもらってだ。

もう一つは生涯通算勝利数。第一位が故大山康晴15世名人の1433勝。第二位が羽生善治竜王で1417勝。その差16勝なので、今年並みなら来年の後半に追い抜けるはず。ちなみに3位は1324勝の加藤一二三、4位は1308勝の中原誠、5位は1306勝の谷川浩司。現役は羽生と谷川のみ。谷川中原の差が2勝、谷川加藤の差は18勝なので、谷川浩司がおそらく来年二人を抜いて3位にはなるだろうが、1433勝までたどり着けるかは、よくわからない。弱くなると年間10勝に届かないことにもなる。

さらに、引退といっても進行中の棋戦を途中で中退するわけにはいかないので、トーナメントなどで予選が始まっていればそのトーナメントで負けるまで指し続けなければならない。特に羽生さんのように強豪の場合、引退宣言しても特定の棋戦でタイトル奪還するかもしれないわけだ。

ということで、辞めるにしても色々と計算しなければいけないわけだ。というか、辞める時期については、もともと自分の中では決めているのだろうけど。


ところで、決戦の地となる下関の春帆楼だがフグ料理の最高峰として有名である一方、日清戦争の講和会議(下関条約締結)で有名だ。清国(今の中国)は朝鮮を属国扱いから独立国として承認し、台湾他の諸島を日本に割与。伊藤博文と李鴻章との会議場は今もガラス張りで春帆楼に公開されている。




また、一歩外に出れば、全面は関門海峡の内側の海である。少し歩けば、長州藩が欧米四か国に叩き潰された下関戦争での砲台が復元されている。




さらに、近くには源平合戦の最終ページとなる壇ノ浦の合戦場がつながる。安徳天皇や平宗盛はじめ平家一門がこの地で壊滅し、赤間神社に魂だけが眠っている。




つまり、日清戦争、下関戦争、壇ノ浦の合戦、そのすべてが防衛側の大敗戦ということだ。よくぞ、そういう場所を7局目に選んだものだ。


さて、12月8日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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大量の余詰めが発生しました。ようするに未完成品を出題してしまいました。

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さっさく、改作しました。原図と最後が少し異なるだけです。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

家守綺譚(梨木香歩著 ファンタジー)

2018-12-20 00:00:20 | 書評
『西の魔女が死んだ』の著者が明治時代の京都の旧家を預かった時の怪奇現象を綴った作品。読み始めてからしばらくは、現実と怪奇の落差に留まるが、要するにファンタジーであると理解したら、楽しく読めるわけだ。サルスベリの木がこの庭の中心生物であることがわかり、掛け軸の裏からは、湖に沈んでしまった友人が現れるし、庭の池には巨大な鯉がいるとともに河童が住んでいた。

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その他の重要人物は、臨家のオバサンとどこからか現れたゴローという犬。庭の珍しい動植物やムカデを集めて転売することを生業にしている長虫屋、なんでも知っている怪しい和尚。

そして、一人称で本作品を書いている男は、一応、原稿書きを職業としているが、周囲の誰からも、犬やムカデやキツネやタヌキや河童からも「無知な生物」と思われていて、立つ瀬がない状況だ。作者の実際の庭がモデルになっているそうだ。

要するに庭を造り維持するために植木屋の自己満足みたいな剪定をしてはならず、植物はそれ自体が伸び伸びと成長できるようにしてやることと、むやみに昆虫や小動物が住めないようにしてはいけないということだろう。そういえば、先日、蜂に刺される夢を見て激痛で自分の声に驚いて起きてしまったが、何らかの危険接近アラームなのかもしれない。

文庫本で180ページと長くはなく、この10倍位長いともっといいのだが、それよりは著者の別の本を読んだ方がいいのだろう。

ところで、作者の名前である香歩だが、女流棋士のような名前だが親が将棋好きだったものと想像できる。

君の膵臓をたべたい(2017年 映画)

2018-12-19 00:00:05 | 映画・演劇・Video
住野よるの同名小説の映画化である。2015年に発表された小説を2年後に映画化。本来、発表に至るまで、多くの出版社が相手にしなかった作品を、作者自身が必死に公開の場を探し、結果として多くの読者を獲得したという曰くがある。小説を読んでから映画を観るべきだったと後悔している。

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原作を読んでいないのだが、映画は本当にどのシーンにも遊びがなく、膵臓の病気によって刻一刻と遺された時間がなくなっていく少女(桜良)と、それを支え始めた僕の心の動きをドラマティックに切り取っていく。桜良が生きていた高校で12年後に教師として働く僕と二つの時制が進んでいく(小説はどうなっているのか興味がある)。

主演は僕のはずだが、実際、表面的には表に現れなかった桜良の心の深層が徐々にわかってくる。そして、12年後に僕が発見した桜良から親友たちに残された手紙によって、身内以外では僕だけが知っていた桜良が病気であった事実が友人たちに共有されることになる。

『世界の中心で愛を叫ぶ』と同系統の作品と思うが、もっと濃密で圧縮された時空間を設定しているといえる。(病院から脱走するのが「セカチュー」で、病院に侵入するのが「キミスイ」という決定的な差がある。)

これぐらい大胆な筋立てを作らないと小説として成り立たないのだろうか。現実に起こっている怪事件が多過ぎるため、小説もよりドラマ性を高めないといけないのだろうか。

間違いだらけのサッポロのスプレー缶爆発記事

2018-12-18 00:00:33 | 災害
16日夜に札幌市豊平区で発生した爆発炎上事件だが、火元のアパマンショップで行われた消臭スプレー缶のガス抜き作業の結果、滞留したガスの爆発限界でなんらかの火花(タイマーのスイッチとか)に引火し爆発した結果、破損している二本のプロパンガスの20キロボンベから漏れたプロパンガスに引火したものと考えられている。

隣の(同一建物を三分割しているので建物としては火元と同じ)和食居酒屋が大破し40人以上が負傷した。さらに隣にはケンタッキーやロイヤルホストがあったのだが、さすがに木造じゃなかったのだろう。

報道ではスプレー缶100本に穴を開けてガス抜きをしたと言っていたが、危険性の前に違和感がある。また、報道ではスプレー缶の中にはLPGが使われていると言っていたが、一口にLPGといってもプロパンとブタンがあり、プロパンは液化するのに10気圧ほど必要なので20気圧に耐えられるようなよく見る灰色の厚い鉄板性のボンベを使う。スプレー缶やカセットコンロ用、およびタクシーの燃料に使われるのがブタンで、こちらは2、3気圧で液化するため、小型のボンベが使われる。火力も少し弱い。

もともとスプレー缶にはフロンガスが使われた時期もあり、これが地球のオゾン層を破壊するということになりブタンに変わったのだが、実はこれも地球にはあまり優しくないし、そもそも高い。ということで、最近ではアルコールの親戚のようなジメチルエーテルが使われることがある。

アパマンでガス抜きされたのは、燃え残り画像から追跡すると「ヘヤシュ」という製品で、天然植物性分解消臭剤ということになっている。ブタンだと植物性ではないため、植物起源のアルコールから作られたジメチルエーテルではないだろうか。もっとも化学物質なので植物性であるかどうかは何の関係もない。ブタンより燃えにくい(ブタンの半分くらいと定性的にあいまいなことを書いておく)。

では、なんで100本かというと、やはり裏の話が見えてきた。この「ヘヤシュ」はアパマンと関連のある会社が作っているわけだ。そしてアパートの主が変わるたびに、次の借主に対して、強引に消臭作業を押し付け、高い料金を取っている。例えばワンルームなら13,000円位、4LDKなら26,000円位である。

この製品は、使い切りタイプになっていて、部屋の中央に置いて開栓すると、中からこのガスと消臭剤の混合物が部屋を満たして匂いを除去することになっている。つまり、そもそもガスが漏れるのではなく、ガスを部屋の中で放出して使うことになっていた。

ではなぜ100本かというと、この店舗だが一時閉店して改装予定であり、倉庫にあった使用済みの缶を処分する必要があったらしい。まとめてやるからこういうことになるのだが。考えたくないが、使い切らなくても消臭料金は取っていたという可能性もある。誰だって、消臭中の部屋の中にいて、全部使われるかどうかチェックしたりはしない。

次に、スプレー缶を捨てるときに缶に穴を開けることだが、大変危険だ。おそらく不燃性だったフロンガスの時の名残ではないだろうか。爆発や炎上の危険だけでなく、ガスを吸い込むことになり、その成分によっては窒息をはじめ何種類もの健康被害が考えられる。

一方、使い切ってそのまま捨てるという場合も問題がある。使い切るということはできないわけだ。例えばブタンでは最大3気圧程度で液化しているのだが、使い切った段階ですべて空中に放出されたわけではなく、缶の中には1気圧分のブタンが残ってしまう。もちろんジメチルエーテルでも同様だ。

完全に抜くにはやはり大きな穴を開けて空気とガスが混じりあうようにすればいいのだが、それは危険である。1気圧なら大したことは起こらないと割り切るしかないわけだ。

ファーウェイ製品

2018-12-17 00:00:49 | 市民A
米中貿易戦争(あるいはIT戦争)の中で、ファーウェイ製品の締め出しが始まった。どうもスマホの中に正体不明の部品が入っていて、時々なんらかの機能を発揮するらしい。米国によれば、それが個人データを中国に送る機能らしい。

位置情報だけでも、重要人物のスマホの位置を中国政府が知ることができ、発射したミサイルをそのスマホにぶちあてることが可能だそうだ。ところが中国のミサイル技術では精度がよくなく、的を外すことがあったり、そもそもスマホに命中するため、スマホを電車に置き忘れたり、水洗トイレに水没させたりすると、トイレにミサイルが命中する。日本の技術でも可能らしいが、残念ながら海外では日本製スマホは売れない。

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ということで、ファーウェイ製品を探すと、皮製のスマホカバーがそうだった。日本製だが。何か正体不明の部品が入っているかどうか目視点検したのだが、今のところ見つからない。