アルケミスト(パウロ・コエーリョ著)

2011-11-30 00:00:00 | 書評
alkemistブラジルの人気作家パウロ・コエーリョのべストセラー、『アルケミスト』を読む。

スペインの羊飼い、サンチャゴ少年は、羊のことならなんでも知っているのだが、ちょっとしたきっかけで、エジプトのピラミッドを目指し宝探しの旅に出る。

しかし、アフリカ大陸に踏み入れた少年の前には、いつも大きな壁が立ちはだかり、何度も無一文になってしまって、途中途中で働かなければならない。その都度、なんとか人生と格闘して窮地を脱していく。また美しい少女と恋をしたりして、いずれアフリカにあるとある村に戻ることを約束したりしてしまう。

そして、ついに宝の存在場所の啓示を得ることができるのだが、それは、スペインの元の場所のすぐソバなのだ。

「青い鳥」と並べる人もいるのだが、最後にオタカラを手に入れ、美しい美女に会いにいくということが、ちょっと俗っぽい結末のような気がする。学校の推薦図書にちょうどいい。

著者は、この他にもコンスタントに小説を発表し続けている。なかには、「11分間」というちょっと変わった小説がある。売春婦が登場して、多くの場合「セックスの時間は11分間」とのことである。推薦図書にはならないだろう。

B787搭乗

2011-11-29 00:00:20 | 市民A
B787が、数々の問題を解決した末、初めて納入した先が、全日空。

最初のフライトは羽田~香港のチャーターだったような気がするが、チケットはオークションで120万円になったということで、搭乗券は手に入らなかった。というか、手に入ったら120万円で売っただろう。

そして、国内線では羽田~岡山、羽田~広島にその1機が就航しているということで、何とか搭乗成功。

b787


しかし、搭乗前に、イヤなニュースがあった。

B787型機が初めてのトラブル

11月6日午前8時50分頃、羽田発岡山行きの全日空651便・B787型機が、岡山空港に着陸しようとしたところ、主脚油圧装置のバルブ故障を示す警告が点灯しました。このため、同機は着陸を取りやめ、手動で主脚を降ろして、約20分後に無事着陸しました。実際に脚が降りていなかったのか、警報機器の故障だったのかは「調査中」との事です。B787型機の運航中のトラブルは初めてになります。同機は部品を交換して、同夜、乗客を乗せずに羽田空港に回送されました。


もし、手動でも脚が降りなかった場合、どうなったかというと、たぶん胴体着陸ということなのではないだろうか。

一方、機体軽量化のために、機体には東レの炭素樹脂が大量に使われていると聞いている。エプロンに胴体をこすると高熱が発生することが想像されるが、どういう結果になるのだろうか。マッチ棒になるのだろうか。

実際に胴体着陸の実験を行うと、一機が無駄になるのは間違いないのだから、やはりトライ&エラー方式なのだろうか。

(もちろん、本読者がこの原稿を読んでいるということは、筆者が無事生還したことを意味しているのだから、同型機に乗らない限り、読んでいて怖いことは何もないわけだ)

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そして、せっかく新型機に乗っても、この飛行機の快適性の一つのポイントの窓の広さとか電子遮光カーテンについては、窓際の席に座らなければ関係ないのだが、予約段階で3席しかあいてなく、35列になっている座席の前から18番目、そして横も中央の席と、ほぼ機体の中央の席を選ぶしかなかった。だから、快適性というのは、気持ち席が広く感じること、天井が高く収納スペースが大きいこと、ヘッドレストが上下に調整できること位だ。

機内で見られる映画(といっても短編)はまだ本数が少なく、『いちばん先の景色へ。・ ボーイング787 世界初就航までの軌跡』をみると、機体の35%を日本企業が製造したということになっていて、特に全日空が特注したアイテムは、客室内の結露落下防止装置とトイレに洗浄機能追加ということだそうだ。いかにも日本的。

そして、欠点の一つは、長所でもある頭上の収納スペース。確かに容量大型だが、大き過ぎて、小さな手荷物は、着陸後、靴を脱いでシートの上に立ちあがらないと手が届かない。

もう一つの欠点はイヤフォン。ジャックのピンを奥まで差し込むと、音が聞こえない。やや浅いところにしなければならない。前述の映画のあと2本目のドキュメントで、『前田典子の、「嗚呼、涙メシ」』を観ているうちに、「なんで出演者が1本目のドキュメンタリーと同様に口パクなのだろうか」ということになり、色々やっているうちに、ついに音が聞こえるようになる。

そして、人気モデル前田典子は既に45歳だったことに驚き、さらに彼女の中の涙メシ第一位が、大阪の「きつねうどん」ということに、かなり驚く。よく聞いていると、彼女の実家がうどん屋で、既に歴史ある店舗を廃業してしまった、ということ。そこで毎日、油揚げを煮込んでいた母親の味が第一位ということだそうだ。

で話をB787に戻すと、離陸が、あっという間に、それこそ鳥のように飛び上がっていくわけだ。軽量ボディの特徴だろうか。翼も、大きくしなるようになっている。これも新素材の効果なのだろう。どうも飛行機が徐々に鳥に近づいているのではないかと、思うのである。

最後に、欠点とも長所ともいえないのだが、キャビンアテンダントは、新型ではなく、すべてベテランである。しかも国産比率100%。「コーヒーが無料ではなく、有料になっている」と、機内で言い続ける係である。


村上春樹の「ノルウェーの森」では、主人公が飛行機の中で、そこまで書かれていたすべての過去を振り返ることで、長編小説の収支尻を合わせることに成功するのだが、私もB787が着陸体勢に入った時、ふいにこの機種の遠い先祖が、憎き敵機、B29爆撃機であることに気づいたわけだ。

ラバー・シッター・ソング

2011-11-28 00:00:35 | 映画・演劇・Video
「マイ・ブーム」というコトバがあって、簡単にいうと「今、はまっている趣味」といった感じだ。たとえば、詰将棋とかグルメとかブログとかそういうのは、長期的な趣味だが、もっと部分的に「港区のカレーショップ」とか「行きつけのキャバクラでいつも指名するキャバ嬢」とか、そういう短期的かつ個人的なこだわりのことをいうようだ。

で、個人的にはいくつかのマイ・ブームをもっているのだが、その一つが、「麻布演劇市」。

六本木の麻布区民ホールで、ほぼ月1のペースで開催される。アマチュア演劇集団がいくつか交代で登場する。ついに、演劇市の会員になってしまう。といっても、観客側の会員で、劇団員になったわけじゃない(が、新年会なんかに行ったりすると、引き込まれたりして、アクターズスクールに入校したりとか・・ありえない)。

で、25日の初演に。

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出し物は「ラバー・シッター・ソング」。劇団ムーサ(劇団名を先に書くべきかなあ)。

ムーサは何回か観たが、ムーサというコトバが、ギリシアの神であることは、ギリシア神話教室に行っていたので最近知った。ミュージックなどの語源である。想像するにギリシア神話を演じることを目的に劇団が結成されたのだろうか。ギリシア神話は、ほとんどがR18指定なので(というかH過ぎて)ボカシの効かない演劇では無理だったか。

で、今回は、ちょっと社会評論をまともにやりすぎたのかなって、ちょっと思った。

テーマは、避妊とか子育てとか堕胎とかシングルマザーとかおカネ目当ての結婚の話とか。余計なお世話だと思うが、ゴム装着のタイミングについての言い争いなんて、ちょっとね・・

抱える問題は大きいのだけど、この古くて新しい問題に対して、新たな切り口があるわけでもなく、大きな問題意識を観客に投げかけたままフィナーレになってしまったこと。

それと、最近の日本では、「デキ婚」は、ごく普通のことになってしまったし、「少子化問題」が日本の沈没の原因になりそうな現状では、「事情は色々あっても、産むべし」というような考えが増えているような感じだ。

ところで、会員に配られた資料には、出演者たちの「1.好きな曲」「2.2012年の抱負」が発表されていた。

好きな曲をながめても、知っている曲は非常に少ない。まあ、人間それぞれってことだろうか。

『光に向かって』
『抱きしめたい』
『残酷な天使のテーゼ』
『好きです川崎愛の町』
『黒田節』
『KNOCKIN’N ON YOUR POOR』
『ボクの背中には羽がある』
『トランジスタラジオ』
『道』
『Song for』

『好きです川崎・・』なんてのが実在するのだろうか。この前、川崎駅前で、知らない演歌歌手が一日川崎警察署長で警官の制服を着て、振り込め詐欺防止ソングを替え歌で歌っていたけど、あれかな。


次に、来年の目標。

『鬼が笑う』
『女子力UP』
『外国人と友達になる』
『魔法使いになるための専門学校に入る』
『色っぽい熟女になろう』
『笑顔でいられる一年にする』
『肉はよく焼いてから食べます』
『もうひと華咲かせたい』
『自由人』
『けっこん!』
『歌って!歌って!飲んで、食べて、笑って暮らしたい』

とのこと。

「ブロードウェー」とかないのね。劇の人って、結構、でたらめ。

ところで、私の来年の目標。

『タイムマシンを買って、ショパンのノクターンの初演を聞きに行く』夢をみること。

萩原朔太郎展(世田谷文学館)

2011-11-27 00:00:06 | 美術館・博物館・工芸品
sakutaro3蘆花公園の世田谷美術館で12月4日まで公開の『萩原朔太郎展』を覗く。生誕125周年。

さすがに金満地区である世田谷にふさわしく、『文学館』は豪華壮大である。もとより「文学館」って、全国に沢山あるわけじゃない。美術館は美術を見せるのが基本使命だが、文学ってもともと見せるものじゃない。本の中で完結すべきものだ。また地元に何らかの著名な文学者がいないと、常設展の基本物件が集まらない。

そして、朔太郎。人生後半を世田谷の代田で暮らす。

詩の神様である。ことばの魔術師。

後世の詩を書こうとする者たちを、技術力で慄然として拒むのである。

なにしろ、詩集の題名がいい。「月に吠える」「見知らぬ犬」「さびしい青猫」「氷島」、短編小説「猫町」など。それだけで負ける。

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本展覧会では、活字となる前の原稿の段階で、線で消したり、書き直したりした生原稿が大量に出品されている。ちょっと角の取れたそれでも品位を失わない詩人らしい文字である。私も、一時、詩を大量に書いていたときに、彼の字をまねてみたことがあり、今でもその癖が残っていて、丸っこい筆跡なのだが、書体と生活態度だけが詩人っぽいだけで、とても朔太郎には近づけない。

話を戻して、本展だが、彼の詩作の真髄に踏み込むのは、そもそも難しいのだが、その糸口を模索するという点からも、もう一歩の切り込みが足りなかったような気もする。

やや博物館的収集方向に傾いていて、詩論の研究とか、彼のまわりを取り巻いていた人たちのこととか、もう少し知りたかった。それと、朔太郎が56歳で亡くなった時、日本は大戦争への入口に入ったところだったのだが、その頃の彼の心情とか、前から知りたかったのだが。
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ところで、展示会場を訪れているオバサマ方どうしの会話が聞こえてきたのだが、

「イケメンだわねえ」とか「こういう顔だったのねえ」とか。

少し作品のイメージと違うのだろうか。写真を見て素直に感動値を高められる場合はいいが、あさのあつこの写真を見て感動値を引き下げたことを思い出す。


そして、世田谷文学館は、単純に、わが街には文化人が大勢住んでいたということを誇りたいような空気が漂っているのだが、外の人からみると、当時は単に「田園」状態だったということもできるのだ。

第100回大会

2011-11-26 00:00:14 | しょうぎ
20日に行われた国内最大規模の将棋団体戦である職団戦に出場する前日に、映画「少年メリケンサック(DVD)」を観た。その感動を会場に持ち込もうと、最短ルートの大江戸線を使わず、必勝迂回ルートのJR経由で会場に入る。ゲンを担いで、白いシャツを着る。もっとも白装束は中世以降の日本では不吉なものとされ、現代では花嫁衣装にも用いられる。

で、「少年メリケンサック」は25年前に解散した不良揃い5人のパンクロックグループが、当時のフィルムがネット上で飛び回ったことから、50がらみの動かぬ体に鞭打って再結成のライヴを全国縦断ツアーで行うというとんでもないストーリーなんだけど、中でも、車いす生活を続けていたボーカル、ジミーが最終公演でついに立ち上がり、ラウドスピーカー持って走り回るところで、感動はクライマックスに達するわけ。

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今回のチームにも、今までなかなか将棋の形が作れなく、昔の実力が発揮できずに悪戦苦闘中のオジサンがいて、3回戦まで彼だけが3連敗。4回戦の前に気力喪失寸前の姿にコトバをかける。

「長年、大会へ出てますけど、優勝とか準優勝するときは、5人のうち全敗している一人が、他のメンバーが負けた時のピンチの時だけ、1勝してチームを救うというパターンになるんですね・・」

そして、私の予言通り、彼の一局を除いて2勝2敗という状態になり、すべてが奇跡の復活に託されることになり、終盤は両者悪手の連発の末、とうとう大感動の勝利の時が近づき、駒台の香を打てば即座に相手が投了という瞬間に、・・

まあ、100人中99人が指すだろう手と違う手を指す。ギャラリーの大きな溜息で地球温暖化がさらに進んでしまう。その後約30分も指し続けるも、失ったチャンスは二度と訪れなかったわけだ。

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個人的には久しぶりの全勝。画像は、第一局の終局図で、▲7一角 △9二玉 ▲7二金と銀を取った手に対し、△9三銀の受けに▲8二銀と銀を打って必死を掛けたのだが、よく考えると、▲8一銀と打てば1手詰だった。というよりも一枚余計に銀を持っていたので、▲7二金ではなく▲9三銀と打てばよかったのだが、普通は8一には桂がいるし、このパターンで必死が掛かるのはずっと前の局面から読んでいたので。


ところで、開会式のスピーチの中で、長年の疑問の一つが解明された。対局会場のレンタル料が21万円という事実。2000人強が参加ということで一人頭100円になる。会費は一人頭5000円弱なので、ずいぶん大きな格差がある。新たな疑問が・・


さて、11月12日出題作の解答。

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▲1六角 △1五玉 ▲2六銀 △1四玉 ▲2五角 △同歩 ▲1五歩 △2四玉 ▲3五銀 △1五玉 ▲1三飛成 △1四歩 ▲2四竜まで13手詰。

駒の組み換えである。地味な問題。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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最後は、あっけなく終わる。


わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

少年メリケンサック

2011-11-25 00:00:00 | 映画・演劇・Video
ちょうど宮崎あおいが篤姫で大河ドラマの主演を張っていた頃、同時進行で撮影が進行していたのが映画『少年メリケンサック』。パンクロックをテーマとしているので、なかなか気が乗らなかったのだが、ついに観てみると、大きな勘違いをしていたことがわかる。

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まず、青春映画なのに、「少年」や「少女」は出てこない。50が入った中年ロッカー5人の物語だ。25年前、心にわだかまりをもったまま解散したグループの当時のフィルムがネット上で大ブレークしたため、再びメンバーが集まり奇跡の復活を狙うのだが、そうは簡単にはいかないわけだ。

宮崎あおいはディレクター役。

でも、この映画、全員が主人公みたいなところもあり、かなり綿密に頑固な性格が描かれる、徐々に映画に吸い込まれていくし圧倒的に面白い。

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とくに、ボーカル・ジミー。最初、車いすで登場。言語不明瞭でうなるだけだった。ステージでは車いすから降りてマイクをつかんでステージ上を這いまわるだけだったのが、ステージを重ねるにつけ、少しずつ少しずつ回復して、最後はラウドスピーカー持って走り回るわけだ。そこんとこ、ほんとに感動するのね。

それと、宮崎あおいさんだけど、この映画でも走るシーンがある。いくつか観た映画の中ではいつも走るシーンがあるように思える。足の速さに自信があるのだろうか。出演数を重ねるうちに、どんどん変わってゆく女優のような気もするのだが、ともかく、この映画、かなり楽しい。

追記:本文のどこに埋め込むか適当な場所がないのだけど、バンドマスターのキメがすごい。

「俺たち若い時は大人に笑われ、年をとったらガキに笑われ、いまさら恥ずかしいなんて言えねえよ」って・・

ケーキショップ

2011-11-24 00:00:39 | The room of Sora
デパートの1階と言えば、有名ブランドショップや化粧品会社が大きな面積を占めているというのが通例だと思っていたのだが、近くのデパートの一階で目立っているのは、・・

犬用ケーキショップ。

自宅の近くにあって、ちょっと高いけど、行ってみたい場所が二つあって、その一つがここ。(こんなことを書くと、もう一つの行きたい場所である「酸素バー」にも足が向きそうでこわいが)

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犬の誕生日なので、ケーキを買うことにしたのだが、それが簡単じゃない。有名パティシエの手になるので、5日前に予約して、当日、取りに行く。はっきりいって人間用のケーキよりもずっと手が込んでいて、結果として高い。

何しろ、犬の健康のため、砂糖や塩やバターやチーズや生クリームやチョコレートを使わないでケーキを作るわけだ。だからといって、肉や魚を使うわけじゃないので、疑似ケーキ味、しかも犬の好物でかつ、人間もなんとか食べられる線、ということになる。

で、小型犬が食べると多すぎるので、人間と分け合うために、人間用の味付けを頼んだ結果、「キャロット・ケーキ」を勧められた。

で、うかつにも「キャロット」が「人参」であることを失念したまま注文してしまったわけだ。人参が大嫌いなのに、だ。

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もちろん、人参は犬の大好物なので、分け合ったケーキの犬分は寸秒のごとく皿から消えたのだが、細切れの人参片がカステラ生地の中にびっしりと詰まった状態のケーキは、まさに小学校の給食のような古典的な人参の味がするのだが、小学校の時のように窓から捨てるわけにもいかず、手こずっているうちに犬からは疑惑のまなざしを向けられるのである。

ところで、ケーキショップでは、別に記念写真の撮影も行っていて、他のお客様と店員の会話の一部を耳にしたのだが、「初宮詣り」とか、「七五三」とか、単語が聞こえたような気がしたのだけど・・

少子化が進む一方で、犬猫はそれぞれ1000万頭ずついるそうなので、ユニクロなんかもそのうち、ペット衣類に進出したりするのではないかな、とちょっと思うが、安いのは売れないのだろう。

草間彌生展(ワタリウム美術館)

2011-11-23 00:00:15 | 美術館・博物館・工芸品
外苑前にあるワタリウム美術館で、11月27日まで開かれている草間彌生展。

好きな美術館の一つだけど、面積(体積?)に限りがあるため、結構強烈な個性のアーティストの個性的な作品を並べる傾向が強い。そして、個性と言えば、・・。草間彌生なんて、まさにそうだ。今回の展示も、『Kusama’s Body Festival in ‘60s展』という副題になっているように、彼女の1960年代の作品を集めたものになっている。

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そして、彼女の60年代といえば、米国に在住していた時代である。

彼女自身の回想によれば、日本で現代美術をやっていて、思い切って米国に向かったのが1957年。28歳は今でいえば決して若くはない年齢。まだ、外国に行くには持ち出し現金に制限がある時代で、飛行機はガラガラだったそうだ。

ダメなら帰ってこようと思って出て行った日本に戻ったのは、1973年。16年間の米国生活だった。そして、当時のアメリカが向き合っていたのは、ベトナム戦争、フラワージェネレーション、ポップアート。ロックミュージック。彼女もそういった潮流のほとんどど真ん中の王道を進んでいたわけだ。

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そういう意味で、今回は、彼女の作品を通して、当時の文化が色々と見えてくるわけだ。今頃観てもしょうがない、というかもしれないけど。

じゃあ、彼女は日本に帰ってから、その後は、・・ということは、一切この展覧会とは関係がないので念のため。

1929年という大恐慌の年に生まれたので、82歳になるのだろうか。女性の平均年齢は、あと4年ほど残っている。回顧展の前に、70年代展、80年代展、90年代展の開催を希望。

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なお、白い繭状の山の中にヌードの女性が横たわっている写真だが、繭ではなく、男性の一物の形をしている。白いと気持ち悪し。

馬琴の食卓(鈴木晋一著)

2011-11-22 00:00:03 | 書評
bakin食文化の歴史の話だが、書名のように馬琴の食卓を通して江戸の庶民の食文化を推し量ろうというような本ではない。馬琴の話は16話ある中の一つである。江戸時代だけじゃなく平安時代の話もあれば明治の話もあり、さらに数十年前の話もある。

それに、「馬琴の食卓」というのも変で、「馬琴の卓袱台」なのではないかと、ちょっと思った。


そして、滝沢馬琴の話だが、結構、ケチだったようだ。旬の魚はマグロだってカツオだって食べているが、一本買じゃなくて、いつも半身を買っているようだ。旬の魚を買うのに半身とは、なんかさえない。そして、そのせいか、滝沢家では、妻にも子供にも先立たれ、目がかすんでは高額な眼鏡に頼り、歯が抜ければ高額な入れ歯に頼りと、まあ、最後は人生を完全燃焼させて亡くなったようだ。葬儀のあと盛大な宴会が行われたようだ。

次に伊藤若冲の奇想画『野菜涅槃図』。60種以上の珍しい野菜が描かれている。現代人でもおめにかかれない希少な野菜の絵を、鎖国中の日本で若冲が描けたのは、なぜか。もちろん、実家が八百屋だったからなのだが、世界の食材を日本に取り寄せるとは、グルメ民族だったのだろう。

そして、時代は、ずーーと下って、菓子パンのこと。まず、「甘食(アマショク)」。アポロ宇宙船に形が似ている。由来はよくわからないが、食パンの対立軸として発生したらしい。にわかには信じられないが。

そして、あんパンについて。小倉とこしあんだと、昔は、小倉の方が高かったそうだ。価格の順だと、小倉>クリーム>うぐいす>アマショク>こしあん、だったようだ。カレーパンの登場は、もう少し現代に近い。

『号外』を読む

2011-11-21 00:00:13 | 市民A
新橋駅前で、号外が配られていた。

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『TPP』とか、『野田総理』とか文字があるので、思わず受け取って、あとで電車の中で、ちょっとだけ読んで、すぐに恥ずかしいので鞄に逆戻りとなった。

明治19年創刊「やまと新聞」だった。帰宅後こっそり読んでみる。

どうも年間4回だけ発行される新聞らしい。検索してみると、やや、特定の方向性があるようだ。

たとえば、TPPグループに入ると、

1.保険医が高額診療に走り、盲腸手術が500万円になる。
2.食料自給率が40%から13%になる。
3.低賃金外国人労働者が大量入国する。
4.デフレが加速し、外国人失業者へ生活保護が必要となる。
5.ウォール街の失業者が日本に押し寄せる。
などが起こると、確信を持って書かれている。

ようするに、外国人が嫌いなわけだ。

まあ、本交渉も始まってないのに、すごい想像力だと思うが、前首相の菅直人により予言めいたワンフレーズである「日本の開国」という言葉が不思議なほど重なってみえる。

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1850年代から約15年にわたる日本の開国劇とそっくりではないだろうか。

開国の時の順番を言えば、

1.外国船が日本のまわりをウロウロしはじめる。
2.米国ペリー艦隊が威嚇外交にやってくる。
3.国内が騒然とし、時の大老井伊直弼は外圧に屈し不平等条約で開国を決定
4.これに対し水戸藩が中心となって尊王攘夷運動が起きる。
5.ところが、長州、薩摩は外国との戦争で実力差を認め、攘夷をやめ倒幕にしぼる。
6.攘夷派は梯子をはずされ自滅。
7.幕府崩壊
8.新政府は大々的に洋風をとりいれてしまう

まず、最近、日本を取り巻く国から領土問題を持ち出されて、一方的に防御専門になってしまっている(憲法のせいもあるが)。

そこでTPPをアメリカが持ち出した。さらに、「これからの米軍の主戦場は太平洋だ」とか、ノーベル平和賞の大統領が演説を始めたわけだ(アフガン傀儡政権を見捨てたともいえる)。

そして、TPP賛成派と反対派が争っているわけだ。水戸藩みたいだ。21世紀版紙芝居は、ここまでがライヴで進んでいる。

幕末史では、幕府が取り締まりを強化し、逆に井伊直弼が暗殺される。

そして、薩長が攘夷をやめて開国路線となったため、水戸藩士は歴史の捨石となった。現代風にいえば、JAが農民の味方をやめ、日本最大食料輸入業者となって、外国農業資本の国内受け入れ窓口になったりして、態度豹変したりすることだ。

結局、幕末だって、今だって、反対論の多くは「被害者意識」が先に立ってしまう。だから不平等条約になってしまう。

思うに、幕末の条約の不平等の最大のものは、教科書に書いてあることとは異なるが、「相手国に公使館を設置しなかったこと」だと思うわけだ。

この点について、色々な資料をみても、日本は米国人が日本になるべく来ないようにという観点で交渉しているわけで、日本人が米国で生活することなんか考えていなかったようだ。

だいたい、攻めるとか守るとか国益といったあいまいな観点で交渉するというような発想は危険である。未来のことなんか殆どわからないのである。野田総理だって、民主党政権に変わった時に、2年後に野田が総理になるなんて予想していた人は日本中さがしても10人もいないのではないだろうか。


ところで、この号外の裏には近未来小説ということで「TPP後の日本」という小説が掲載されている。号外に小説が掲載されるというのも椿事だが、その小説の内容がなかなか奇抜で面白い。

たぶん舞台は約10年後の東京。総理大臣が替わる。フランク・ホプキンス大統領である。なにしろ外国人が大量に日本に流入し、選挙権も持っているため、ついに外国人が総理大臣となる。議員食堂のメニューもハンバーガーやフライドポテト、それに犬料理も登場。

日本企業の公用語は、英語か中国語になる。日比谷公園は不良外国人労働者のたまり場になり外国人テント村もできる。平成26年には国民投票で天皇制が廃止になる。

飲み屋にいっても日本酒は一合5万円もする。日本でコメが作れなくなったり、水源地の水を外国人が買い占めたりした結果だそうだ。

そして主人公は、「必ず日本を取り返してみせる」という決意をもって、何か危険なことを決意したのである。

モーリス・ドニ(子どものいる風景)

2011-11-20 00:00:41 | 美術館・博物館・工芸品
損保ジャパン東郷青児美術館で開催中(~11/13)のモーリス・ドニ展に行った。

損保ジャパンの優良顧客に配られる招待券が、期間終了間際に長い経路の末、手に入る。まあ、しょうがない。

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モーリス・ドニ(1870-1943)は、19世紀末のフランス象徴派の代表画家である。あえて、やや平面的な構図と単純な造形と色彩の対照を多用するテクニックが特徴だが、聖書や神話を題材にする場合と、もう一つのジャンルが「こども」である。「こども」といっても、一般的な子供ではなく、これが「自分のこども」をモデルにしたところが徹底している。

しかし、家族をモデルにするというのは、売れない画家の初期作品の特徴であり、それはモデル料の関係もあるのだが、ドニの場合、ちょっと歪んだ経路をたどったようだ。

つまり、最初にドニ夫妻に授かったのは、男の子だった。多くの家庭でも最初の子供の時の喜びはひとしおで、彼も生まれたての子を題材に何作も描いている。親バカぶりだ。

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しかし、

最初の子供は、わずか数カ月で感染症で亡くなってしまったのだ。落ち込むドニ。画風は真っ暗になる。

そして、数年後に二人目の子(女児)が生まれると、それから、こどもの絵を描き続けることになる。現代でも、一日中カメラを持ってこどもに付きまとう親がいるが、まさに同じ。

そして、早世した長男の後に8人のこどもが生まれたわけだ。最初の妻が7人を産み、途中で妻が亡くなり、後妻が二人を産む。展覧会場にはこどもの家系図があったが、多くは長命だ。

こどもに夢中になりすぎたのか、臨海学校などのこどもの学校行事にまで付いて行って、題材取材をしているようで、長女の山梨への修学旅行の追っかけを行った、どこかの国の貴族ママと同じだ。貴族パパは運動会のビデオ撮影。こどもの数は違うが。

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さらにドニは、自分のこどもたちを神話や聖書の中に登場させている。すごいなあ。

ところで、彼の時代はすでに写真やシネマの時代でもある。もちろんこどもたちの写真も多数残っていて、展覧会で見ることができるのだが、ちょっと驚いたことがある。

写真と絵画の顔が、ぜんぜん似てないことだ。どちらかというと実物のこどもの方が、男児女児ともにハンサムで個性的だ。絵画に描かれたこどもの顔は、それほど可愛くもないし、どちらかというとステロタイプじゃないだろうか。

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なんとなく、思ったのだが、自分のこどもをモデルにしているということになっているが、本当は一般的なこども像を描いたのではないかということ。

税金対策で、こどもにモデル料を払っていたのだろうか。


孫を題材にした絵がなかったのだが、こどもたちが「NON!」と言ったのだろうか。


ドニは1943年に、73歳にしてパリ市内で交通事故にあい、落命してしまう。相手の車が損保ジャパンの対人保険に入っていたかどうかは不明。

王手飛車

2011-11-19 00:00:19 | しょうぎ
oute少し前の朝日新聞朝刊の4コマ漫画「ののちゃん」で、妙なものがテーマになっていた。

素人将棋の一場面で、桂打ちで「王手飛車」をかけられて、長考している図だ。

王手飛車とは、王手でありながら、飛車取りでもある手で、普通は、王を逃げて、飛車を取られる。運がいいと王手飛車を掛けた駒が、ただ取りできるが、そんなことは普通はない。必ず飛車を取られるので、王手飛車も両飛車取りでも、ほぼ同じ痛みであるのだが、なぜか王手飛車の方が豪快に感じる。

問題は、なぜ突然マンガになったのかは、まったくわからないが、4コマ目のセリフがちょっと問題。

「とにかく、飛車を取られたら、やる気の点で終わり」

日本史に永遠に刻まれる東日本大震災の起きた年に、それはないのではないだろうか。

地震の際には、王手飛車どころか、家族や財産を失っても、とにかく逃げるしかなかった人たちが相当の数いただろう。「やる気終わり」じゃ済まないわけだ。

さらに言えば、王手飛車状態の人なんて、無数にいるわけだ。

TPP交渉だって、「このまま高齢化農業で自滅するか、第二次農地解放を行って大農化するか」とか、ギリシア問題で「国家破綻してEUの植民地になるか、公務員給与を引き下げるか」とか、イラク国民にとって「テロがあっても民主主義がいいか、テロのない軍事独裁がいいか」とか、そういう選択だろう。


さて、11月5日出題作の解答。

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▲3五飛成 △2五金(途中図1) ▲1七飛 △1六桂(途中図2) ▲2七桂 △1四玉 ▲1六飛 △同金 ▲2六桂 △同金 ▲1五竜まで11手詰

合駒組み合わせは紙と鉛筆で記録しながら検証すると解きやすいはず。

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今週の問題。

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忘れたころに登場するのが、入玉問題。紆余曲折が続く問題である。

わかった、と思われた方は、コメント欄に、最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

「王様のカレー」か「カレーの王様」か

2011-11-18 00:00:35 | あじ
カレーライスかライスカレーかという問題は古くから有名だが、似たような問題を発見。

もとより、インドカレーについては、かなり多くの店舗をこなしているが、さすがにインドカレーだけ食べるわけにはいかない。かといってS&Bとかハウスの味では、慣れ過ぎていて、つまらない。

たまたま、最高級欧風カレーという看板があって、「カレーの王様」という店に入る。欧風カレーではバターをかなり使うはずだが。

なんとなく、チェーン店風な感じがあるわけだ。で、標準メニューから「オムカレー700円」を選ぶ。月並みになってきた。甘口か辛口か中辛か激辛かを聞かれるが、相対評価は不可能だ。とりあえず、無難に中辛をチョイス。

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そして、出てきたオムカレーは、まことに美しく、風水上もラッキーが多発しそうであるが、欧風なのに、付け合わせが、ドライオニオンに福神漬にらっきょうというのが、怪しい。

さらに中辛なのに、とても甘口だ。

オムカレーは、ご飯が主食だとすると、卵とカレーがオカズなので、結構、食べる比率が難しい。カレー→ご飯→卵→ご飯→カレー→ご飯→卵→ご飯 というような4ビートの順序で食べて行くとご飯だけがなくなる。カレー→卵→ご飯→カレー→卵→ご飯という順序でなければならない。

ただ、欧風というよりも、欧風でもなく、インド風でもなく、日本風でもない無国籍カレー的な味である。

それで、後ほど調べてみると、「カレーの王様」はS&Bの直営店だったわけだ。

普段、売っているカレー粉や、カレールーとは違って別の製法のようだが、結局、日本のカレーを高級化すると、無国籍カレーになるということだろうか。

さらに、このチェーンの名前だが、「カレーの王様」。これとは別に「王様のカレー」という店が静岡県にあることがわかる。


王様のカレーは、インドの王様(ムガール帝国皇帝とか)が愛したカレーという意味なのだろうが、「カレーの王様」というのは、決して本物の「王様」のことではなく、カレー類の中で最高品質であることを意味しているのだろう。つまりインドカレーやタイカレーや欧風カレーや日本カレーを超越した、キング・オブ・カレーということだろうか。

だからこそ、無国籍風カレーということになったのだろうか。

天災と日本人(寺田寅彦随筆選)

2011-11-17 00:00:40 | 書評
tensai東日本大震災の後、科学者兼エッセイストである寺田寅彦博士の、天災関係のエッセイを集めて、角川書店が文庫にまとめた一冊である。

大正の終わりから昭和の初頭に書かれたものが多く、自らが関東大震災の時、喫茶店で紅茶を飲んでいる時に、この大震災に見舞われ、その時、近くの席の中年の夫婦が食べかけのステーキを途中まで食べたものの、結局建物から逃げ出した話や、博士自身も逃げ出そうとしたものの、既に店員もいなくなって、紅茶代をどうやって払おうかとウロウロしたとか、結構笑う。実際に、東京の中で、火事から逃げ回っていたようで、台東区の方の惨状のことを知ったのは、ずっと後だったようだ。

今回の地震で、掘り返された日本史に「貞観時代」というのがあったが、その災害続きだった20年間のことを寺田博士は本書で書かれていて、その時には、地震だけではなく、超巨大台風が京都を襲ったことがあったそうだ。

そして、いかに災害が不定期であろうが、地震でも津波でも、「次に起きることは確実」であるのだが、人間の記憶というのは、一人の人生の期間だけで考えることが多く、したがって、災害の記憶は、忘れ去られていく運命にあるとされている。

しかし、古来から日本人は、災害の記録を書物に残したり、津波到達点を石碑にしたり、災害のつど、後の時代の人のために記録を残しているのだから、そういうものを再評価するべき、というようなことを言われている。

さらに、日本には八百万の神様がおられるとのことになっているが、それは、山だったり、川だったり、海だったりするわけだ。その一つずつには、遠い昔からの自然災害に対する畏怖の念が含まれているはず、ということだそうだ。

つまり、日本では、八百万回の災害が起きていることになる。

兼六園、アップダウンは何のため

2011-11-16 00:00:39 | たび
金沢と言えば前田家。加賀百万石とよく言うが、能登も前田家の物だったので、実質は120万石以上だったはず。その居城に連続する庭園が兼六園である。

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よく、日本三庭園として、金沢の兼六園と水戸の偕楽園、そして岡山の後楽園が並べられる。いずれも大名庭園である。大名庭園というのは、今風に言えば、総合庭園とでもいうべきか、あれもこれもと各種趣向を凝らした満漢全席である。しょせんは大自然を庭に押し込んだだけというべきか、それでもすごいというべきか。私にはよくわからない。ただし、偕楽園には行ったことがないので、断定は避ける。

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で、兼六園では、「三庭園というが、兼六園は別格」というようなことが書かれている。その決め手は、6つのキーワードである。その6つのワードをキーにして、テーマパークが完成しているとのこと。

その6語とは、・・・

宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望

このうち、宏大(広大)、眺望というのは比較的意味がわかりやすい。幽邃(幽遠)・蒼古というのも抽象的表現であるが、なんとなくわかる。

しかし、人力と水泉というのは、どういう意味だろうか。

思うに、人力とは、人間の能力の限界というようなことだろうか。単に人力馬車的な意味じゃないだろう。そして水泉。川であり湖であり、また海をイメージすることばなのではないだろうか。

振り返れば、前田利家。戦国の時代に生まれるも、わずかな登場の遅れと秀吉の存在の大きさによって、天下を狙うことは叶わなかった。前田家の末裔の殿さま達は、藩のグランドパパである利家の隠れた無念を晴らすため、わが庭に「信長の野望ゲーム」を頭の中で想像するがため、各種趣向を凝らしたのではないだろうか。

ところで、兼六園は庭園内にかなりの高低差をもっている。高台に築いた城に続いた敷地なので当然のことなのだが、この高低差を使って作られたのが、園内の噴水。ポンプなしで見事に噴き上がるのである。

まさかと思うが、噴水を作るために高低差のある地を庭園に選んだのかもしれないとも思うが、低きに流れるはずの水の流れを、途中で噴き上げさせるとは、何の意地であったのだろうか。