トヨタ博物館(国産車編)

2006-10-31 00:00:13 | 美術館・博物館・工芸品
dda346db.jpgそして、3階に上がると、日本車コーナーである。

第二次大戦で、アメリカが日本に対して、先制攻撃をしなかった理由として、対日投資資産の問題があった。もちろんドイツに対してもそうであり、多くの米系の企業が日本やドイツに進出していたため、米国内の財界からの開戦反対の声を抑えるため、導火線に相手国が着火するのを待っていた、というのがある。例えば、自動車産業にしても、フォードは横浜、GMは大阪に組み立て工場を進出させていて、戦前から日本国内で販売を行っていた。もちろんガソリンスタンドも、エッソ、モービル、シェルといったメジャーは、日本の石油会社より、以前から活動していた。

dda346db.jpgしかし、そのあたりのことは、この博物館ではわからない。要するに自動車の博物館であって、自動車史の資料館ではないからだ。

博物館内には1階と3階にトヨタの1号車が2台展示されている。が、初期モデルは現存しないそうで、複製品である。このクルマのターゲットは、かなり上級富裕層レベルのような豪華さである。もっとも昔は、運転そのものが特殊技術なので運転手を雇える身分でなければクルマの購入は無理だったはずだ。欧州のビンテージの場合、どんな金持ちでも自分で運転し、簡単な整備をするというのが基本であったらしい。たぶん、駕篭や馬車の延長がトヨタであり、馬の延長がフェラーリなのだろう。

dda346db.jpgそして、この博物館には、トヨタ車以外の日本車も数多く展示されているのだが、歴史的名車で、誕生以来、ずっと同一モデルネームで続いている車が二台展示されている。1台は、カローラ(トヨタ)。そして、もう一台はスカイライン(日産)。どちらも、この秋にフルモデルチェンジとなる。カローラは10代目、そしてスカイラインは12代目である。もちろん、カローラは、ほとんど成功しているのだから、モデルチェンジの回数が少ないのだろう。

dda346db.jpg一方、スカイラインの方は、成功と失敗の数奇な歴史としか言えない。しかし、あきらかに成功するときには、大きな感動と話題を提供するという捨てがたいドラマティック性を持っているわけだ。この話は、後日。

そして、本館のそばには小さな別館がある。そちらは監視員の数も少ない。つい、展示しているクラシックカーに乗ってみると、スタートキーが付いている。きわめて重いアクセルペダルを踏み、慎重な運転で、次の目的地である閉館時間の迫る名古屋城に急ぐ。

dda346db.jpgしかし、私見ながら、この博物館のデザインとカラーリングは、ちょっとカントリーっぽい、と思う。  

トヨタ博物館(外国車編)

2006-10-30 00:00:32 | 美術館・博物館・工芸品
名古屋というのは、いわゆる観光地ではないし、名古屋市、愛知県にも自覚がないのだろうが、食べ物や見どころとか、かなり多い。少なくても横浜より、多様性がある(というか、名古屋独特のものがある)。

といっても、東京からは日帰り圏なので、行けるところも限られている。できても、寄り道1ヵ所位だ。ところが、好みの関係があり、今まで寄り道したところは、水族館2回、貨幣博物館2回、徳川美術館1回、南極観測船1回と、かなり偏っている。旧東海銀行本店にある貨幣博物館には、世界最大のコインである天正大判があり、拝金主義者の足はついついそこに向かうのだが、3回も行くこともないので今回はやめる。例えば、ボストン美術館、ノリタケの森、そして最近はロボット博物館もオープン。

359e74f6.jpgさらに、名古屋近郊には、企業博物館(あるいは工場見学)が充実している。カゴメやミツカン酢などだ。もう、こうなると何泊かしてツアーをしなければならない。しかし、名古屋はクルマ社会なので、遠方からの観光客は移動に大変不自由することになる。博物館などへの交通アクセスを調べても、まず道路地図から書かれている。

そして、当日は、朝から名古屋にいたのだが、午後二で所要終了。いくつかの隙間時間対策の候補の一つであるトヨタ博物館へ行くことにする。実は、「トヨタ」というブランドから、あまり「文化」を期待していたわけでもなく、歴史的自動車の展示会場というように思っていた。万博会場用に設置されたリニアモーターカーに乗り、芸大通りという駅で降りる。芸大は1キロも先で、駅前にはトヨタ博物館があるのだから、妙な駅名の決め方だと思うが。駅の名前を「トヨタ博物館前」にすると、将来、廃館できなくなるから固辞したのだろうと深読みする。

359e74f6.jpg駅から広い道路を、少し戻り、博物館の敷地に入っていくのだが、歩道を最後まで歩いていくと、博物館ではなく、隣接する社宅に吸い込まれるので注意が必要だ。余計な話だが、社宅を見る限り、この会社が世界最高級のエクセレントカンパニーだと思う人は、誰一人いないだろう。そして、博物館の館内には、驚くほど従業員が多い。一階フロアのところにある豊田1号車の前で、カンバン方式ならぬ看板娘様から丁寧な説明を受ける。数多く並んだ古今東西の名車の一台ずつ、丁寧に説明があるのかと思ったら、そうではなかった(事前に頼むと、男性解説員が同行してくれるようだ)。基本的には、クラシックカー博物館というところか。

359e74f6.jpgまず、二階に上がると、世界の自動車史のコーナーになっている。世界最初の自動車は、ベンツらしい。三輪車のオートバイ型ということ。これなら私でもベンツが買えそうだ。自動車誕生後、しばらくは欧州各国で、そういう三輪車モデルが作られている。ハンドルは自転車式である。つまり、自転車にエンジンを取り付け、後輪を二つにしたわけなのだが、後輪が二つになるとカーブで曲がるときに内輪と外輪の回転数を変えなければならないので、「デファレンスギア」という装置が必要になったわけだ。それが発明されたのが、自動車がオートバイと分化した決定的な瞬間だったのだが、そんなことはどこにも展示されていない。トヨタが発明したわけじゃないからだろう。

359e74f6.jpgクルマは欧州では王族の乗用していた馬車からの乗り換え需要に対応したので、豪華なロールスロイスのような路線に向かう。ビンテージカーの時代だ。一方、新興国の米国では王様がいなかったことからクルマは大衆化する。T型フォードがどんどん売れる(といってもカローラのように長寿だったわけでもない。米国人は飽きやすい。)。その後、国民総金満体質になり、米国車はT型精神を忘れ、華美に向かっていく。(今、白洲次郎の伝記を読んでいるのだが、その頃、ケンブリッジに留学した彼は、父親からの高額送金をこのビンテージカーに注ぎ込み、欧州社交界にコネを作ったそうだ。)

ところが今度は欧州が二度の世界大戦で疲弊し、揃って貧乏国に落ちぶれる。そして、小型車の時代がくる。歴史的名車としては、ヒットラーの要請で国民車となったフォルクスワーゲンや、映画「ローマの休日」で活躍するイタリア車フィアット・トッポリーノなどが展示されている。

359e74f6.jpgこの頃から、自動車は世界の産業の牽引車になっていくのだが、自動車の発展は、一方では自動車産業のM&Aの歴史ということになる。米国はビッグ3の時代になり、欧州は国営企業の時代になる。
  

再チャレンジ、成功

2006-10-29 21:32:38 | スポーツ
5ff4cb61.jpgミキティのおじいさまの経営している、名古屋「るるぽオレンジタウン」店の前に、大きなビルボードが・・

運気のおすそわけで、コーヒー飲んでくるのだった。

ところで、オレンジタウンというと、巨大なショッピングモールをイメージしてしまうのだが、オレンジ色のマンションの1階ということだった。オレンジ歯科も3階に・・

5ff4cb61.jpgつまり、実家が喫茶店ということなら、ミキティでなく、ミキコーヒー?
  

高校単位不足問題

2006-10-29 00:00:23 | 市民A
個人的メモとして、

1.なぜ、この関係者全員が困る時期に表ざたになったか?
 教育基本法改正案審議と関係あるのだろうが、反対派からなのか賛成派からなのかもよくわからない。審議に関係ないだろうが、教育基本法改正には大きく二つと小さな一つのポイントがある。
 
 A.教育制度の疲弊
 B.美しい日本の思想教育
 c.現教育基本法の則っている憲法は、日本国憲法制定直前であり、どっちの憲法によるのか不明。

 今回の問題は、Aの問題の内数だし、Aの問題はどっちみち大手術が必要とは多くが認識している問題。

2.東北地方に多い理由
 予備校がないから、学校で受験勉強するしかない、との言い訳。
 学校で受験勉強するから予備校ができない、ということはないのだろうか。→民業圧迫。

3.世界史は必要か
 最低3年で2コマくらいは必要だろう。「広く浅く」ということはしかたないのだが、受験には不向きだが、ある程度の世界の歴史の因果関係がわからないと、後で困るだろう。日本史と地理がパッケージになっているのもおかしいけど。世界史をやれば地理はいらないかも。

4.なぜ、学校は単位をごまかしたか。
 犯罪者の行動と全く同じ。小さなウソが巨大な詐欺師に成長した過程。

  まず、世界史の授業で日本史を教える。まずければ世界史を教えればいい。
  次に、世界史の時間に日本史を教える。一応、歴史という言い訳を考える。
  さらに、英語の時間にしてしまう。いざという時には、補習をすればいい。
  さらに、世界史だけではなく、家庭科や日本史や保健の時間を削ってしまう。言い訳不能。

5.これから、補習すべきか?
  無駄。
  形式的に集めて、一日中、歴史の話をしても、出席する生徒もまじめに聞く生徒もいないだろう。
  来年からで十分。だいたい、高校は義務教育じゃない。

6.犯罪行為か?
  公正証書不実記載?私文書偽造?
  困った問題

7.高校教師全員が知っていたのか?校長の権限は?
  特定の高校で行っていても、転勤とかあるので、結局すべての教師は知っていたと思う。校長は、転勤先が単位不足の場合、見て見ぬ振りをしていたのだろうが、いったい学校運営の実質的権限は誰が持っていたのだろう。共同的無責任体制という日本性が垣間見られる。

8.中高一貫私立進学校での逆パターン
  数学Aなどの下位科目は中学で内容履修済みのため、推薦入学希望者以外は、かっ飛ばして、上位科目を履修しているはず。

9.中学では、ないのか?
  もう小学校も中学校も義務教育をやめたらどうなのだろう。
  義務でもないのに、高校進学率が97%ということから考えれば、義務でなくとも99%以上は小・中学校に進学するだろう。

10.家庭科をこれから35時間履修しなければならない皆様へ
  ボルシチを35時間、大鍋で煮込むべし。小さな肉片は溶けてなくなるので、肉が食えなくても高校最後の悔しい思い出と、割り切るべし。ついでに、黒パンとウォッカに秘められた、怨念のロシア史でも勉強すれば、さらによろし。

あまりにもあまりな、この現実

2006-10-28 00:00:41 | しょうぎ
e527454e.jpg私の将棋の3人の師匠のうち一人が、出版にこぎつけたという情報を得る。「150題の詰将棋の本で、羽生善治さんが監修をしている」、という情報を頭に入れ、近くの大きな書店の数軒を歩くが、師匠の名前は見つからない。「師匠は終盤があまり強くなかったような気がするし、そもそもガサねたか」とか頭の中が渦巻く。

しかし、”火のないところに煙はたたず”という有名な諺もある。いくつかのキーワード、「新刊」、「150」、「羽生」、「詰将棋」に該当する本がどの書店でも趣味のコーナーに並んでいることに気付く。成美堂出版、「羽生流で上達 新しい詰将棋150題 羽生善治」。この本を手に取り、詳しく点検する。表紙の裏に「はじめに」という1ページがあり、羽生さんのことばが書かれている。そして、5手詰めから15手詰めまでの問題が並ぶ。どこにも師匠の名前は登場しない。

e527454e.jpgそして、とうとう奥付けに辿りつくのだが、そこには監修者の羽生さんの略歴が書かれていたのだが、その下に、ほとんど見えないほど小さな文字の1行を発見。

■問題制作/関口勝男(将棋指導者・元将棋連盟)

あまりにもあまりな扱いとはいえるが、それが出版の現実なのだろう。そんなものだ。

この本、定価は740円だが、消費税を加えると777円と、とてもラッキーな数字になるので、是非とも買っていただきたいものである。

ところで、関口さんは現在63歳。実は、花村元司九段門下で、奨励会三段リーグに10年以上在籍。30歳の年齢制限で退会を余儀なくされるまで、何度もプロ四段昇段まであと1勝で泣いたらしい。私が出会ったのは、かなり後年で、関口氏が日本将棋連盟の販売部や連盟道場の部長になられた頃。ずいぶん攻め将棋を教えてもらったのだが、終盤逆転型の私の将棋を、「おおた君の終盤力があれば、俺もプロになれたのに・・」と何度も言われて、胸に詰まったことが何回かある。「・・関口さんの中盤があれば、オレだって・・」。そんなものだ。

実は、少し気になったのは、私は去年までは将棋関係者への年賀状用に年間1題だけ詰将棋を創っていた(もちろん、今年になって、突然、駄作を量産している)。もちろん、師匠の宅にもその年1題は郵送されている。いつか、会ったときには、「君の詰将棋は難しすぎて、正月には不向きだよ」と言われる始末だったのだが、まさかと言えばまさかではないかと、胸騒ぎを抑えながらパラパラとページをめくってみると・・

当然ながら、杞憂。(コンプライアンス違反は永久追放だろうし)



そして、本日の出題は、また漠然とした配置である。たぶん、この問題をいきなり将棋ソフトで解くと、あっという間に短い手数を表示してしまい、面白くもなんともないことになると思うので、脳力強化のため頑張ってもらえればと期待。コメント欄に最終手と手数をいただければ正誤判定。

e527454e.jpg  

ギョッとする江戸の絵画(2)

2006-10-27 00:01:33 | 美術館・博物館・工芸品
10月15日「ギョッとする江戸の絵画(1)」に引き続き、毎週月曜の放送は続く。全8人紹介の3回目と4回目は白隠(はくいん)と曾我蕭白(しょうはく)。

cafb9969.jpgいわゆる奇想画は、前回の岩佐又兵衛と狩野山雪という、戦国時代の荒々しい空気をそのまま絵筆で表現した二人の後、表面的には歴史の表から姿を消す。歴史は、江戸時代初頭の国土開発期に入り、価値観が戦争から所得へと変っていく。大名は、与えられた領地の収益力をあげるため、山を崩し、木を倒し、海を埋め立て、一方で道路を整備したりする。しかし、日本は狭い。すぐに行き詰まり、次に商業や金融の時代となり、身分制度が変わり始める。そういった社会の転換点に最初に登場した画家が、白隠である。正確には画家ではなく高名な禅僧である。

白隠は、プロの画家ではなく、信者に自分の書いた絵を配っていたそうだ。無料ということ。案外、それが練習になっていたのかもしれない。既存の派に属さず、荒々しいタッチで墨絵を描く。絵をよく見ると、下書きの木炭の線を全く無視して勢いで描いているそうだ。釈迦を描き、達磨を描き、高僧を描き、自分を描く。

そして、白隠は、プロの世界である上方画壇の池大雅にも影響を与える。なんと、普段、沼津の松蔭寺に住む白隠に禅宗の通信教育を受けていたそうだ。本当は、通信教育の生徒にご褒美で配る、自筆の自己流絵画がほしかったからかもしれない。大雅の絵画にも影響が見られるそうだ。


cafb9969.jpgそして、江戸史上、最大の奇想画家が曾我蕭白。人間の心のグロテスクな部分を描く。同時代の丸山応挙のことを、職人とみなし、自分の方こそ芸術家、と嘯く。ごく近年まで二流画家と評価されていたのだが、ボストン美術館にある大量のコレクションが明るみに出るに従い、本来の類まれな奇想画家たる実力があきらかになったわけだ。美しいものをより美しく描くという従来の常識と正反対に、心の中の醜さを誇張した表情の中に描きこんでいく。これだけこわい絵画は、世界に例をみない。

忽然と登場し、忽然と消えるのだが、幕末の国芳に繋がる部分を感じる。


cafb9969.jpgそして、このシリーズは8人中4人が終了。このあと、若冲、蘆雪、北斎、国芳と大物が連発。手に負えないかもしれない。NHK教育テレビ。毎週月曜22:25から25分間が放送時間でもあり、翌月曜の朝5:20からが再放送でもある。
  

アルバトロス詐欺

2006-10-26 00:00:23 | スポーツ
ac2e821d.jpg週末に、朝4時45分に起床し、ガソリン代と高速料金の合計がプレーフィーと同額に近い場所までゴルフに行く(SETTAI NO HOST)。前夜、早く眠らなければならないのだが、そういう時にはゴルフ関係の悪夢を見る。例えば、ボールを10発続けて池に打ち込んで品切れになるとか(そういう映画もあった)、違うコースに迷い込んで同伴者を見失うとか、いくら進んでもグリーンがあらわれない無限に蛇行するコースとか・・そして制限速度を意識しながら運良くゲスト到着の1分前にコースに滑り込む。

葉一郎:おはようございます。時間厳守はビジネスの基本ですね。
ゲスト:いえいえ、そんなそんな・・だいぶ待たれましたか。
葉一郎:まあ、それは少しばかりは・・
ゲスト:気付かなかったなあ。実は1時間も前に到着したので、クルマの中から見てたんですが・・
葉一郎:・・・・(タラ~リ)

で、余計な話にならないように、予定時刻を繰り上げて、素振りもしないでさっそくスタートする。

実は、ゲストさまが「キャディに気をつかうのがイヤだから」と言われるのでセルフのコースを選んでいる。その気持ちがわからないでもないのは、時に「銀座4、5丁目のホステス様」のようにご立派なご意見のキャディ様もいるわけで、なんとなく「もっと自由に自己責任で」ゴルフをしたいわけだ。

で、セルフの場合、もっとも困るのは、仮に「ホール・イン・ワン」が出現した場合の問題だ。多くのゴルファーはホール・イン・ワン保険に加入して、保険会社を喜ばせているはずだが、セルフプレーの場合、キャディさんという「善意の第三者」の目撃証人がいないわけだ。以前はセルフプレーの時は、保険金は支払われなかったのだが、バブル崩壊以降、多くの高級ゴルフ場が破綻し、再生ファンドの手でセルフコースに変ってしまい、セルフプレー比率が上昇したことを受け、損保会社ごとに規定が異なるようだ。

私がネットから加入した、M社の約款には1文字1ミリの文字が書かれているのだが、セルフプレーの場合、

1.ゴルフ場の従業員の目撃証明
2.あるいは、ホールインワンのビデオ映像

があればいいということだ。ビデオ持参しなければならない。

そして、ゲストの一人が、あるショートホールで打った一撃は、ピンの手前3メートルに落ちてからゆっくりと旗の方に転がっていき、ホール手前1メートルのところから右の方に15センチ曲がり、ピンの右横15センチのところに止まる。(ホッ、ホッ、ホッ)

まあ、ハイライトはそれくらいで、昼休みのビールも帰りの酒気帯び運転のことが気になりコップ1杯。淡々と計算通りの一日が進んでいき、私以外の誰も使えないシャフトのねじれたパターが好調をきわめ、プレーヤー内の自己完結型賞金制度の1位(2位以下はなし)となり、「高速代+ガソリン代+失った2個のボール代」の過半を回収。


ところで、ホールインワン保険だが、正確には、ホールインワン・アルバトロス保険と書いてある。ホールインワンはパー3のところを最初の1打でカップに放り込むことを指すのは言うまでもないが(アメリカでは「エース」とつまらない言い方をする)、アルバトロスはパー5のところを2打目で入れることを言う。当然ながらホールインワンより難しい。だいたい普通の人では2打目でグリーンまで届かないし、ホールに入ったかどうかも見えないくらい遠い。


しかし、数ヶ月の間に5回もアルバトロスを達成した男がいる。関西の方だ。そして、5つの保険会社からパーティー代費用として毎回50万円ずつ受け取ったわけだ。念のため、それは私ではない。

そして、男は捕まった。アルバトロス詐欺。

目撃証言が必要なのに、なぜ、詐欺が可能だったかというと、まず、同伴プレーヤーがグルなのだ。そして実行するコースも見通しが悪いところがいいわけだ。まず、一人が第二打を見えないグリーン方向に打つ(それだけの飛距離がないと無理なのだが)。どこに飛んで行ったかはこの段階ではわからない。そして、次のグル男が近くの林の中にわざと打ち込むわけだ。そして、キャディさんと一緒にボールを探し始める。そして、キャディさんの気を逸らしている間に、他のグル一名がグリーンの方に行って、こっそり穴の中にボールを仕込んでしまう。そして、しばらくしてグリーンにやってきたキャディさんとしばらくボール探しをしてから、「まさかと思うが・・」などと心にもないコトバを口に出して、穴の中をのぞくと、そこには・・・

この男の最大の失敗は、5回も犯行を連続したということに尽きるのだが、それは、一組全員が犯行に関与するため、口封じのため、ある程度大金が必要になったということなのだろう。

では、単独で犯行を実行することが可能なのだろうかと、よからぬことを考えていると、一つ浮かんだのは、朝一のスタートを予約しておき、さらに、明け方にゴルフ場に忍び込み、パー5のホールにあらかじめ、ボールを一個沈めておけばいい、ということになる。完璧だ。

ただし、計算どおりの球が打てないと、非常にまずいことが起きるわけだ。何しろ、コース上にボールが1個多く存在していることになるからだ。

また悪夢を見そうだ。グリーン上でアルバトロス詐欺未遂が発覚する夢だ。  

サハリン1、天然ガスは中国向け

2006-10-25 00:00:07 | MBAの意見
先週末に、サハリン1と呼ばれる、エクソンモービル、伊藤忠、丸紅などが参加する開発事業から産出される天然ガスの販売先について、全量が中国向けになったと、さぞ残念そうな記事が表にでてきた。例えば、読売では、

サハリン1の日本向けガス600万トン、中国が獲得

 日本が開発に参加しているロシア・サハリン沖の資源開発事業「サハリン1」で、事業を主導する国際石油資本(メジャー)の米エクソンモービルが、産出される天然ガスの全量を中国に輸出する仮契約を中国側と結んだことが20日、明らかになった。

 正式契約が結ばれれば、日本は産出された天然ガスを輸入できなくなる。イラン・アザデガン油田の石油開発や「サハリン2」に続き、サハリン1でも資源確保につまずくことで、日本のエネルギー戦略は大幅な見直しを迫られることになる。サハリン1は日、米、ロシア、インドが権益を持っているが、天然ガスの輸出先についてはエクソンが事実上の決定権を握っている。関係者によると、エクソンは今月、中国の国営石油会社「中国石油天然ガス集団公司(CNPC)」と仮契約を結び、産出天然ガスのうち、ロシアの取り分を除く約600万トン(液化天然ガス換算)のすべてがパイプラインで中国に輸出されることになったという。

 サハリン1開発の総事業費は170億ドル(約2兆円)程度とされる。現在、日本政府と石油資源開発、伊藤忠商事、丸紅などが共同出資する「サハリン石油ガス開発(SODECO)」が参加し、産出される資源の3割を得る権益を持っている。仮契約でも日本側の権益は維持され、サハリン1から産出する石油の輸入には影響はないが、天然ガスは日本へ輸出されなくなる見込みだ。

 SODECOは仮契約に同意しており、エクソンとCNPCは今後1年以内に細部を詰め、正式契約する予定だ。

 開発当初は、600万トンすべての天然ガスを日本に輸出する前提だった。しかし、日本側は電力・ガス会社などが使いやすい液化天然ガス(LNG)に転換した上で、船で輸出するよう主張したのに対し、輸送効率の高いパイプラインによる輸出を望んだエクソンは応じなかった。

 一方、資源の大量確保を狙って04年から交渉に参加した中国は、最終局面で買い取り価格を引き上げた模様だ。日本の液化天然ガスの輸入量は年間約6000万トン。日本は中国側の攻勢に有力な対案を示せず、年間輸入量の1割に相当する天然ガスを譲り渡す格好となった。(2006年10月21日3時0分 読売新聞)

a6a20677.bmp書き方によって、事実は、かなり脚色できるものだと驚いてしまうのだが、日本向け販売が困難になったのは2004年秋のこと。すでに2年前である。このあたりの状況は、2年前に書いた弊ブログ2004年11月7日「サハリン1、日本向け天然ガス供給の中止の背景」に細かく記載しているのだが、パイプラインが敷けなかった原因は、ほぼ一方的に日本側にある。魚関係の方々が、指で丸をつくって、手を伸ばしたことによる。

一方、サハリンの天然ガスの多くは原油と同時に産出(随伴)されるので、早く、移送先を決める必要があったわけだ。そのため、サハリンから日本向けではなく大陸向けにパイプライン工事が進んだ。その段階で日本向けの話は消えている。サハリンの冬の海は厳しく、時化(しけ)るため、液化して大型タンカーで出荷しようとすると、タンカーが航海できないように海が時化る時は、出荷できないガスがあふれてしまい、原油生産そのものを落とさなければならなくなる。生産サイドから言えば、どうしてもパイプラインでの安定的な出荷が必要だったわけだ。

そして、サハリンプロジェクトは始まったばかり。サハリン1とサハリン2は見せ玉のようなもので大型鉱区はこれからが本番になる。サハリン2はシェルと三井・三菱連合、サハリン3はエクソン・テキサコ連合、サハリン4、サハリン5はBPアモコというようにサハリンの大陸棚全部がサハリン8(あるいは9)までの鉱区になっている。サハリン最南部から液化天然ガスとしてタンカーで出荷するサハリン2を除けば、残りはすべてパイプラインによる移送を望むだろう。


ただし、このサハリン1のガス争奪戦では中国勢と並んで韓国勢も有力ではあったのだが、ロシアから平壌経由でソウルに至るパイプラインというのが基本プランだったのだから、韓国もエクソンもロシアも、計画として、どうしようもなく実現困難になったのだろう。

明治宰相列伝(~10月26日)

2006-10-24 00:00:14 | 美術館・博物館・工芸品

ef94fe10.jpg竹橋の国立公文書館は、特別展に力を入れている。独立行政法人になってから急に働き始めた「いの一」ではないだろうか。テーマを決め、関係資料を探し出し、そしてパンフレットを作り、解説の音声ガイドを作り、それらがすべて利用無料。

そのうち、高い利用料金が設定されなければいいのだが・・

10月は「明治宰相列伝」。首相交代に合わせて企画したのだろう。昭和宰相列伝では生臭いだろうし、平成宰相列伝では、評価に腹を立てる人もいるだろう。

伊藤博文
明治は45年まであるのだが、最初に総理大臣になったのは伊藤博文。明治18年(1885年)12月22日。ところが、当時の内閣は、各大臣を総理が任命するのではなく、各大臣の集合体のリーダーが総理大臣だったわけ。最初だから、現代からみるとおかしなことは色々ある。伊藤は長州出身で明治維新の時は、まだ小物だったのだが、それが幸いして、大久保利通の後の日本の政治的リーダーになるわけだ。若いときはフットワークよく何度も米国や欧州を渡り歩き、明治憲法制定のため、オーストリアの公法学者シュタインの教えを乞う。

その後、首相になったのが44歳。働き盛りだったはずなのに、3年後に職を辞し、枢密院議長として憲法作成作業に入る。しかし、その後、第5代、第7代、第10代と都合4回も首相に就くことになる。どうも候補がなくなると伊藤が総理を引き受けているように思える。就任中には日清戦争が起きている。最後の宰相引退後、日露戦争になり、ロシア勢力が朝鮮半島から引き上げた後の朝鮮統監府の統監を任命される。

統監を引退した後、ハルビン駅で韓国人安重根に暗殺される。しかし、暗殺者の期待とは逆にこの事件の後、韓国は日本に併合される。

伊藤は、明治宰相の中でも、もっとも重要な人物だろう。

黒田清隆
薩摩藩士。伊藤より一つ上。どちらかといえば、北海道開拓にのめりこんでいたのだが、外交手腕を買われ、第二代総理として、対外国との不平等条約の改訂交渉を企てるが、失敗。あえなく辞任する。任期中に、現在、天然ガスの宝庫といわれるサハリンをロシアに譲り、北千島を日本領とした。

山県有朋
長州出身。きわめてタカ派であり、国力=軍事力という方程式に基づき、軍備拡張に走る。首相になった直後(明治23年、1890年)の首相施政方針演説で、持論である「外交政略論」をぶつ。日本の主権線と利益線という二つの線を引く。この利益線というのが植民地主義につながっていく。評価の賛否は両論にわかれるだろうが、歴史学上、非常に重要ポイントとなる宰相である。

松方正義
薩摩出身。政治より経済、という方針で、全国の産業の振興や大蔵省の整備、日銀の設立といった主に内政中心の施策をとる。このあたりの首相の中には、後に大正デモクラシーに繋がる人物もいれば、逆に軍国主義者も多い。

大隈重信
佐賀藩出身。早稲田大学創始者。外務大臣として不平等条約改定に努力するも、あまり成功しない。さらに、暴徒に爆弾を投げ込まれ、片足を失ってしまう。文字通り失脚なのだが、実は失脚したあとで総理に就任する。しかし、板垣退助との連立政権だったため就任後すぐに仲違いをし、今度は本当に失脚してしまう。本格的に総理を全うしたのは第二次大隈内閣のときだが、任期中に対華21箇条要求を行う。

桂太郎
長州藩出身。実は、在任期間は歴代宰相で一番長いそうだ。戦争遂行内閣。日英同盟、外国公募債、日露戦争などを起こした。ロンドンで発行した戦費調達のための国債は、利率6%という高利回りだったのだが、日露戦争に負けていれば、悲惨な運命が待っていたわけだ。

西園寺公望
実は、京都の公家の出身。加山雄三の遠い祖先である岩倉具視から政治界にスカウトされた明治最後の宰相なのだが、実際には総理を辞任してから長寿をほこり、院政を敷くことになる。昭和15年に91で亡くなったのだが、戦争責任はあったのだろうか?


ポケットタイプ?モバイルタイプ?

2006-10-23 00:00:42 | 市民A
少し前にNHKの衛星放送でNFL(フットボール)を観ていたら、解説者がおもしろいことを話していた。QB(クォーター・バック)のプレースタイルについてである。

NFLは1チーム15人がグラウンドに立つのだが、ご存知のように攻撃の番と守備の番が決まっているので、それぞれ別チームが登場。攻撃の時のチームのブレインとなるのがQBで、最初にボールを受け取った後、パスを投げるか、ランニングバックに渡して走らせるか、自分で作戦を立て、さらにパス作戦の時は正確に投げなければならない。この最重要ポジションのプレースタイルが大きく二つある、という話だ。

一つは、ポケットタイプと言われ、QBの立つ場所はほぼ決まっていて、数人の味方が、タックルにくる相手側の選手に逆体当たりして、QBを防御する。QBが安定してプレーできるので、正確なパスも投げられる。しかし、しょせんQBを除けば、戦力は14対15と不利なのだから、完全にQBを防御することは不可能だし、プレーに変化が少ないので、パスコースを全部塞がれてしまうことがある。

一方、モバイルタイプのQBの場合は、味方のブロックはそれとして、あちこち流れに乗って動き回るわけだ。逆に正確性より事態の流動性の中で活路を開くタイプだからプレーは変化に富み、観ている方はおもしろい。パスコースが塞がれているなら、自分で前に走ることになる。欠点は、おうおうにして前に走ることが増えるので、ディフェンスからのハードタックルを受けることが多く、怪我に追い込まれ、選手寿命を短くすることになりがちで、結局、生涯年収も減り、年金の金額も減ってしまう。事実、名声を得ているQBはポケットタイプばかりと言っていい。

ところが、NFL予備軍と言われるカレッジでは、今、モバイルタイプが中心になっているそうだ。つまり、今後、5年10年の単位でみるとプロの世界もモバイルタイプQBが増えるだろう、という予測なのである。


さて、話をブロガーの世界に転換すると、ここにもポケット型とモバイル型があると思う。数は、圧倒的にポケット型で、机の前で、きょう一日の生活を振り返ってあれこれ調べながら書く方が多いのではないだろうか。ポケットタイプブロガー。そういうものだろう。

一方、あちこちの「世界の破片のような」情報や物体を追いかけていって、あれこれつつき回して書くタイプがある。モバイルタイプブロガー。

私の場合は、時に応じてというタイプ。

7994b30c.jpgということで、少し前に名古屋に寄った時の短い時間を何回かモバイル的に断続的にアップ予定。

本日は、時間の関係で、単に「見ただけ」「思っただけ」という軽薄部分を先に掲載。


まず、4回転ジャンパー安藤美姫さんの祖父が経営している喫茶店。「るるぽ・オレンジタウン店」。前を通る。普通、有名人の家族は事実をひた隠し、平穏な日常を求めるのだが、それを利用してしまうのが名古屋流か・・名物、ハンバーグあんかけスパゲティーを食べようにも、えびふりゃ~ミソカツ定食の後では・・

7994b30c.jpgそして、思わず見つけたのは、ある有名元教授のおかげで、全国的に有名になった名古屋商科大学大学院。有名元教授が前に勤めていた大学よりは、ずいぶん小さい。東京と名古屋の人口の違い(4:1)と思えばそれまでかもしれない。となると、等比級数的に言えば、次の就職先は人口50万人都市で、その次は10万人都市ということになる。ただし、徐々に犯行内容が危険領域に近づいているので、次の被害者が、押し倒されただけで、臀部打撲くらいですめば、さらに次のラウンドに進めるのだろうが、そろそろゲームのエンディングが近いのかもしれない。

そして、名古屋名物の一つ、「トンテキ」。たぶん、豚肉ステーキのことだと思ったら、その通り。これを甘タレで食べる。何しろ名古屋は「こってり」だ。味噌カツ、味噌煮込みうどん、あんかけスパ、シロノアール・・・結局、帰りの新幹線で、アイスクリームを食べてしまった。

7994b30c.jpgその他列挙
1.ナナちゃん人形は改装中で来年春に再登場らしい。
2.駅前の「ぴかでりー」は、「ロードショーを二本立で上映する」という名古屋方式だったのだが、その方式は終了。
3.名古屋の地下鉄には、トイレが見当たらなかった。
4.観光地になる気がないのか、市内に地図がない。
5.流しのタクシーが少ない。
6.一見、東京と同じようだが、市内に住宅や由緒正しい老舗が混じり合っている。伝統と進歩の調和⇒美しい国か?
7.街中で耳を傾けても、「おみゃ~」とかの「みゃ~にゃ~コトバ」は聞こえてこないみゃ~。

そして、日本シリーズ第二戦をテレビで観ながら、買ってきた山本屋の味噌煮込みうどんを食べた効果で、中日が破れたに違いないだろう。鶏肉の代わりにハムを入れるべきだったか。  

中国は何を交渉?そして新ヤルタ協定?

2006-10-22 00:00:26 | 市民A
中国政府が北朝鮮の地下核実験に対して強く抗議をしている。そして一方では唐国務委員を特使として送り、何らかの意図を金正日に伝えているのだろうが、その真意については、はっきりしない。一部の中国の新聞では、「条約見直し交渉ではないか」と書いているようだ。いわゆる中朝軍事同盟のことである。中国も、WTOはじめ、多々の国際条約を遵守する立場になっている。自国に都合が悪いからといって、安易に条約を破るということは、長期的には国家不信を招くことは熟知しているはず。守れない約束は、条約改正を求めるのが当然であると考えているだろう。

まず、問題の条約は1961年7月11日に北京で周恩来と金日成の間で調印されている。中朝友好協力相互援助条約。その条約については、東京大学東洋文化研究所のホームページで読むことができるのだが、実質的な内容があるのは、第二条、第三条、そして有効期限の取り決めである。


第二条 両締約国は,共同ですべての措置を執りいずれの一方の締約国に対するいかなる国の侵略をも防止する。いずれか一方の締約国がいずれかの国又は同盟国家群から武力攻撃を受けて,それによって戦争状態に陥つたときは他方の締約国は,直ちに全力をあげて軍事上その他の援助を与える。

第三条 いずれの締約国も,他方の締約国に対するいかなる同盟をも結ばず,また,他方の締約国に対するいかなるブロック,行動又は措置にも参加しない。

この条約は,両締約国が改正又は終了について合意しない限り,引き続き効力を有する。

つまり、北朝鮮が米軍や自衛隊に先制攻撃された場合、中国は自動的に軍事参加することになっている。
さらに、中国が、対北朝鮮包囲網に加わることは禁止されている。
そして、最大の問題は、両者ともに解約したいと思わなければ、破棄できないということだ。あまり例をみない書き方なのだが、なぜこうなったか推測すると、この中朝友好協力相互援助条約のわずか5日前に、ソ朝友好協力相互援助条約がモスクワで結ばれている。そして、その内容は中朝条約とそっくりなのである。こちらで重要なのは第1条後半、第2条、そして有効期限の部分だ。


第一条 両締約国は,両国が今後とも極東及び全世界の平和及び安全の保障を目的とするすべての国際的行動に参加し,これらの高い課題の実現に貢献するであろうと声明する。
 いずれか一方の締約国がいずれかの一国又は同盟国家群から武力攻撃を受け,戦争状態に入つたときは,他方の締約国は,直ちにその有するすべての手段をもつて軍事的及び他の援助を供与するものとする。

第二条 いずれの一方の締約国も,他方の締約国を目標とするいかなる同盟をも締結せず,いかなる連合及び行動又は措置にも参加しないことを約束する。

この条約は十年間効力を存続する。いずれか一方の締約国が,この期間の満了の一年前にこの条約の廃棄の希望を表明しない場合には,この条約は,次の五年間効力を存続し,この規定に従い延長されるものとする。

要するに、先に、ソ朝条約があり、その直後に中朝条約が締結される。朝鮮半島におけるステータスを確保するため、中国側はソ朝条約より少しだけ強い関係を築くことを意図したのだろう。

そして、現在でも中朝友好協力相互援助条約は有効であるとされる。

しかし、ソ朝友好協力相互援助条約の方は、奇妙なものに変わっている。2000年2月9日に、新たにロ朝善隣友好協調条約を締結。

ところが、この条約は非公開であり、条約が結ばれたこと自体が発表されたのが2000年7月19日のロ朝共同声明である。そして、その共同声明から条約の骨子(共同声明第2項後半部)を読み解くと、


1.旧条約は1995年に互いに条約廃棄を通告し、合意していた。
2.自動参戦条項はなくなり、侵略の危険があった場合、速やかに接触すること。
3.自主権、領土保全に反する条約を第三国と締結しないこと。
4.条約の期限は共同声明になく、不明である。

朝鮮民主主義人民共和国とロシアは、朝鮮民主主義人民共和国、またはロシアに対する侵略の危険が造成されたり、平和と安全に脅威を与える情況が造成されて、協議と相互協力が必要な場合には、速やかに接触する用意を表明する。朝鮮民主主義人民共和国とロシアは、他方の自主権、独立、領土保全に反する条約と協定を第三国と締結しないこと、また如何なる行動や措置、同盟にも参加しないという義務を確認する。

現在、ロシアはこの「速やかに接触」という部分を適用して、北朝鮮との協議を開始しようと申し出ているようだが、北朝鮮は拒否していると伝えられる。また、従前の条約では、北朝鮮に敵対的な集団的合意に加わることが禁止されていたが、新条約では削除されているのではないだろうか。

そして、中国が、どこまで既存条約の流動化を狙っているかなのだが、北朝鮮が中国とロシアを天秤にかけないように、この新ロ朝条約より、若干、北朝鮮寄のポジションをとろうとするのだろう。ロ朝条約は非公開のため詳細が見えないのだが、ロシア議会で批准手続きが行われているところから、中国は完全に内容を知っていると考えたほうがいいだろう。

まず、中国側から見た現中朝条約の問題は、

1.自動参戦条項(ただし、北朝鮮が攻撃された場合で、攻撃した場合は別)
2.第三国との条約締結ができないこと
3.国連を代表とする集団行動にも参加できないこと
4.条約解約に至るプロセス。(一方的宣言で足りるのかあるいは両者合意か。そして期限。)

このうち、1と3は新ロ朝条約からは撤廃されているところから、おそらく中国もそれを言い出すだろうと考えられる。少なくとも、この条約が生きていると、北朝鮮は先制攻撃を受けることがないと誤解する可能性がある。また、条約有効期限は旧ロ朝条約が5年であったことから、新条約はそれ以下であると考えられるわけだ。中国も5年程度の期限での一方的な解約権を主張するのではないだろうか。そして、国連(韓国)側の協約に参加する権利を確保するため、集団的協約参加権も確保したいだろう。

しかし、それらの条約が中国の圧力により、仮に改定されたとしても、公表されるかどうかは別だ。しかし、それは、中国の今後の行動を見ていればわかるのではないだろうか。


そして、関係国が北朝鮮崩壊後の不透明な混乱を恐れている状況から脱出するためには、第二次大戦末期に戦勝予想国が集まり、敗戦国の処遇などをあらかじめ協定したヤルタ協定の現代版が、今必要なのだろうと思う。暫定政権体制、120万人の軍人の処遇、難民受入国比率、既存の中、ロの利権協定の確認、復興(が必要なら)費用の拠出比率、拉致の解明、ニセ札・覚醒剤等の不正行為のおとしまえ、そして現王朝の処遇(あるいは裁判)といったところだろう。実際、中朝条約交渉が決着すれば、すぐ始まるのではないだろうか。

将棋大観・14世名人木村義雄著

2006-10-21 00:00:03 | しょうぎ
ceee3af8.jpg名人戦の朝日・毎日の争奪戦は、将棋連盟の瀬戸際外交が成功し、棋士の年収も少しは改善されそうだが、その一環で「普及振興費」というような性格のおカネが新聞社から1億5000万円払われるようだ。そして、その使途は、退役棋士やインストラクターのポケットに入り、彼らは小・中・高の学校へ行って教えるようである。なぜ、こどもが普及の対象であり、大人向けには補助金がないのかというと、「将棋連盟はプロ棋士の組織で、将来の有望棋士の卵を見つけなければ、いつまでたっても”羽生頼り”の経営になってしまうから」だろう。

そして、私も公営施設でささやかに小学生向けの将棋教室を預かっているのだが、そんなところには、おカネの雨は降ってこない。それなのに、また次の講座の準備が始まっている。12月から”大人まで対象”の「初心者講座」。カルチャーセンターの店長の話では、「できれば2007年問題を対象として・・・」。つまり「DANKAI世代」というコトバは、言われた方が抵抗を感じるので言い換えたわけだ。しかし、「DANKAI世代=2007年問題」ではさらに不快になるのではないだろうか。それに、やはり受講者は小学生ばかりになるのだろうとは、思っている。そして、新講座の方は、かなり安いのだが有料。となれば、ある程度の教育実績を問われるわけで、あらかじめ、色々な資料に目を通している。

中でも、駒落ちを指さなければならないだろうから、軽く駒落ち定跡を見ておこう、と思っても定跡書は少ない。その中で、古典とされるのが、14世名人木村義雄氏が書いた「将棋大観」という著書。駒落定跡のバイブルとして古来有名なのだが、1990年代に内容の一部をカットし復刻したはずだ。

ところが、おおた家には、なぜか、この原書の方がある(その理由は、きょうは省略)。奥付けを見ると、初版ではない。初版が昭和3年に出版され、自宅にあるのは昭和6年物。75年前だ。なんと、「54刷」となっている。大ベストセラーだったようだ。つまり、木村義雄氏は大儲けしたはずだ。「名人は、王様を囲う前に愛人を囲うものだ」という木村定跡を生み出したのは、このベストセラーのおかげかもしれない(その後、この定跡は代々の名人によって色々と変化しているのだが省略)。そして、久しぶりに将棋大観を開いてみる。きわめて読みにくい。1図とか2図ではなく、春図、夏図になっている。

ceee3af8.jpgそして、目次をみると、駒落定跡が順に「六枚落、五枚落、四枚落、三枚落、二枚(飛角)落、飛香落、飛車落、角行落、左香落」と続き、「平手戦」は「四間飛車、向飛車、中飛車、早石田と相懸り定跡が二つ」だけ。例の腰掛銀の方の木村定跡は、まだ出現していなかったのだろう。名人に就いたのは8年後の昭和12年である。

そして、名局解説(江戸時代の棋譜)に続き、本書最後の10ページを費やして、自作の詰将棋を解説している。

ところが、・・・

詰め上がりで歩が1枚余るのである。本人も認めているが、駒が余ってはいけないとは知っているものの、実戦から作ったので直すのも困難だし、というようなことなのだが、ベストセラーの巻末を飾るには大きな違和感を感じてしまう。木村義雄名人ほどの腕前なら、いくらでも完全作は作れるのだろうが、最後に残る1枚の歩には、何か隠された意味があるのだろうか。

14世名人の作に手を入れるなど、お后さまの帝王切開の執刀みたいなものなのだが、恐れ多くも改作してみた。原題の構想を毀すことなく、さらに総使用駒数を18枚から15枚までに圧縮してみた。どんなものだろう。もともと実戦型なので、ほどほどの難易度である。

最後に、10月7日「道場破り!!出現」掲載の本物の実戦詰将棋の解答。
下手番作:▲1一飛成から途中▲7三銀不成とし、桂を8五に打って25手位で▲7五金で詰む。最後はいくつかの別解がある。
上手番作:△7八角成 ▲同玉 △6七金 ▲8八玉 △7七金 ▲同玉 △6八銀 ▲7八玉 △7七香 ▲同玉 △6九銀不成 ▲8八玉 △7九馬 ▲同玉 △7八金まで15手詰。途中の△7七香がキーの一手。こちらは完全作なので、余分な駒を除去して先後逆転させてやればいいのだが、そうなると、15手詰めなら、もう一回小さなひねりがほしいところである。

ceee3af8.jpg  

学校改革は不毛?

2006-10-20 00:00:52 | 市民A
学校改革の雄弁者である小松郁夫さんの講演会に行く。「義務教育の構造改革と新しい学校の役目」。なんで、そんなところに出入りしたかというと、話が長くなるので省略気味に書くと、日本経団連のモニター員みたいなものに関係しているから。

いったい安部内閣の考えている、教育改革とは、何を目指しているのだろうか、超低音から超高音まで音程がフル活用され、完璧に唄える人が殆どいない国歌をきちんと歌えるように発声練習でもさせようというのだろうか。文部省で、教育関連の先進的実験をしている小松氏の話は、かなり意外な方向だった。

まず、小松氏は現在、公務員。自らの立派すぎるホームページと、大容量のブログを持っている。本当に2ダースの肩書きがある。この教育改革の課題は学校制度なのだが、それと同時に教員の問題も大きい(自ら先頭にたってイジメを誘発した、とんでもない異常感覚教師までいるわけだ)。公務員の制度を公務員が考える、という、なかなか苦しい立場だ。本人は、私立大学教育学部の先生をやめ、文部省に務めるという、普通では考えられない人生だそうだ。あと数年で定年の公務員を辞めると、また損を重ねるのだが・・と言われていた。

ところで、私立大学の先生というのは、教えるよりしゃべるのが商売のところもあり、小松氏の話は多岐にわたるのだが、後で思い出すと、「それで、・・どうなのだろう。」ということが多々あり、色々なことがあるのだなあ、とまとまりもなく思ってしまうのだが、困ったことに、この講演の感想を書いてあるところに提出しなければならない。しかたがないので、このブログをメモ代わりに使って、とりあえず教育問題の課題などを無責任に羅列してみたい。

1.義務教育の質の保証・・量から質へ
 少子化、財源難、教職員の数の偏在、効率の悪さ、学校評価、教員評価
 
2.公務員的トップダウン型教育からの脱却
 教育委員会任せ、教科書検定etc →考えない学校経営

3.学校の構造改革
 会社と同様の構造改革が必要。効率性、情報開示、マネジメント

4.地域運営学校の実験
 一応、地域参加型学校として全国40校程度が開始。
 小松氏自身、横浜と杉並の2校の理事長をしているとのこと。
 もしやと思って、調べてみると、あの楽天元副社長の本城愼之介さんが校長東山田中学だった。例の修学旅行中に校長が缶ビール2本飲んだと密室のできごとを密告され、減給0.1ヶ月になった中学校だ。もう一つの杉並区桃井第四小学校の方にも縁があって、近くの青梅街道沿いにカラオケ店を作ろうとしてゴチャゴチャしたことがあった。

5.学校評価について
 小松氏は英国の制度を元にして、駄目学校と改善学校を採点すべきと主張。ただし、英国の場合は教育を野放図にしていたため、学級崩壊でレベルダウンして、サッチャー政権の時に、てこ入れ。義務教育終了時に卒業試験を行い、生徒には一生つきまとう成績表を渡し、学校には前年からの改善度合いで評価を発表し、また教員も評価する。

 一方、日本の問題は、文部省から教育委員会を経て校長にいたるまで公務員体質が染み付いて、創造性や個性のない画一教育になってしまった、という問題なので、いささか事情が違う。小松氏によれば、現状で問題はない、と考えている教師が7割ではないかとのこと。

6.教員評価について
 「指導力不足教員」いわゆるダメ教師を追放するのは、誰も依存を唱えない。かなりおかしな教師(普通は病院で療養が必要なレベル)が対象だからだそうだ。ところが、優秀教員を表彰しようとすると、大問題が起きるらしい。出る杭は打たれると言うか、たぶん給料の高い私立中学に移籍するのだろう。


そして、美しい講義が終わったあと、質疑の時間になると、美しくない質問が色々と出てくる。

A.高校義務化について
 既に97%が高校進学、50%が大学進学だが、行き先がないから進学する子が多すぎるとのこと。失業者と同じ。

B.教員評価
 仮に評価の低い先生にあたったら生徒は不公平ではないか。また、先生の立場で言えば、評価の低い学校に配置されると自分の評価も下がるのではないか。

C.所得格差と学力格差の相関性
 これは学校評価のところででてきたのだが、所得よりも地価の高低と学力の高低が相関していることがわかっているとのこと。

D.日本の教育制度でも学力が低下していないのではないか
 確かに、日本の教育制度は先進国の中でトップと言っていいが、1学年120万人にこどもの中に、トップランナーが育たない。

E.公立の中高一貫校について
 中高一貫教育の方が、効率的なのは実証済みとのこと。ただし、高校経営に行き詰って、単に経営上の問題で中高一貫にするといった不純な動機のところもあるそうだ。

F.教育学の悩み
 教育学は確率論のようなもので、教えたとおり生徒は育たないものであり、本当に優秀なこどもが義務教育で生まれるかは懐疑的という感じだった。


ここからは私見なのだが、6・3・3・4制をこわさないで、公務員的にやっていても、なんとも変わらないように思えてならない。第一、文部省の官僚だって、多くは四谷大塚や日能研といった中学受験塾のお世話になっているだろうし、実際に普通の私立中は学費がそんなに高いわけでもない。経営が効率的なのだろう。教師の給料は高い反面、無能教師は追い出されているようだ。


ダメ学校、ダメ教員を端に追いやるなら、補助金は学校ではなく優秀な生徒に配布するようして、優秀な子がたくさん集まる学校が自然と儲かるようにすればいいのだろうと思うわけだ。ただし、ダメ教員の比率は非常に高いのだろうと思えるので、優秀なこどもの比率よりも優秀な教員の比率の方が低く、結局、不平等な格差が生じるということなのだろう。

そして、小松氏は、官邸主導の「教育再生委員会」には、やや効果を疑問に感じているようだった。「ノーベル賞をとったような人が考えても、問題は見えないのではないだろうか」という意味だったように思う。

やはり、いくら書いても全然まとまらないので、きょうはここまで。  

スタバのある街、ない街

2006-10-19 00:00:48 | マーケティング
ddfb938e.jpgスターバックスが日本に上陸して10年経つ。10周年の記念品のうち、アニバーサルマグ(1200円)を入手。渋めの臙脂色を背景として、二股シッポの伝説の人魚「サイレン」が金色とプラチナ色の輪郭で描かれている。ロンドンの金庫に預けている金とプラチナの価格がさらに上昇することを密かに祈ってみる。

さて、日本上陸第一号店は、銀座の松屋通り店で1996年8月2日のオープン。その後、着実に店舗は増加し、630店を超えている。日本市場はシアトルの本家にとって最初の海外進出だったのだが、結局、大成功。日本で開発される各種多様なメニューは、その中からいくつかは世界に広がっていく。要するに、日本のユーザーはまったく飽きやすいし、次々にスタバ類似カフェが開店していくのだから、常に商品やサービスを見直さなければならない。巧まずして世界アンテナショップの役割を果たしている。

ddfb938e.jpg元々、アメリカでスターバックスは都会の「サード・プレイス」という言われ方をしていて、自宅でもなければオフィスでもない、別のくつろぎの場所、というスタイルだったのだが、東京都内にあふれるスタバとその利用者の実態からして、どうもファースト・スペースではないかと思っている人も多そうだ。結構、1日3時間くらい複数のスタバをはしごする人もいて、例えば、虎ノ門の近くには半ダースも店があるのだが、「あそこのスタバはAさんのシマ」「こっちのスタバはBさんのシマ」とか応接室がわりの人もいる。

10周年記念を祝うため、来日したCEOのハワード・シュルツ氏のテレビ東京とのインタヴューを見たが、アメリカのビジネスマンらしくなく、1950年代の映画に登場するクルマのセールスマンのようなアットホームなタイプだ(とはいってもMBAだろうが)。アップルとの提携については、「何も言えない」ととぼけていたが、色々なプランを交渉中なのだろうと感じた。目標店舗数は世界30,000店を40,000店、日本の630店を2,000店にしたいと語っていた。


ところで、このスタバ1号店がオープンした1996年頃、日本で大拡張していたチェーンがあった。

”ユニクロ”だ。

1984年に1号店が広島にオープンしてから10年間はゆっくりした増加を続け、1994年に100店。ここから急成長を始めて97年に300店、2001年には500店を超える。この96年頃は首都圏中核都市を中心に徐々に郊外に膨張していた頃だった。そして、当時、そういう郊外都市では、ユニクロ膨張の中で、あるステータスが言われていたのである。

ddfb938e.jpg「ユニクロのある街」。

要するに、バブル崩壊後、都市商業機能が低下しつつあり、ユニクロが出店する街は、若さがあり、文化があり、購買力がある人気度の高い街、とされたわけだ(実際は、ユニクロは激しく出店する一方で売れない店は、あっという間に閉店したりして、要するに、若いとか文化とか無関係に、儲かる店が残っただけなのだろうと思う)。学校などで、同じような地域に住んでいる生徒のグループ内でも、微妙に徒歩圏にユニクロがある都会派が、郊外派を差別していたりしていた。

そして、現代。街の文明度を決める新しい尺度ができたわけだ。

「スタバのある街、ない街」。

ご存知の方も多いだろうが、スタバ(日本)は県別に「ご当地マグカップ」を発売している。これを集めている人は多いのだが、そう全国を歩けるわけでもないので、知人に頼むのであるが、地方都市の場合はなかなかうまくいかない。何しろ、地方都市には少ないのである。ところが地方都市というのは、思いのほか広いのである。元々所用で出張する方に、あらかじめスタバ所在地の地図を渡して頼むのだが、不首尾に終わることが多い。

では、地方都市の人は、スタバが少ないということをどう思っているかなのだが、少なからずコンプレックスを持っているのではないだろうか。そんな気がする。

実は、直近の店舗配置を県別に調べてみた。そして、元祖文明尺度だったユニクロの県別店舗数(現在)と並べてみると・・・

両社の店舗数は、いい勝負なのである。スタバ639店、ユニクロ730店。一店ずつの規模が違うので、いずれスタバはCEOがいうように3倍になるのかもしれないが、多くの面で配置が似ている。ただし、東京ではスタバが211店、ユニクロ91店と大きく異なるが、これはスタバは昼間人口をターゲットにしているのに対し、ユニクロは夜間人口をターゲットにしているからだろう。いわゆる都市部といわれる埼玉、神奈川、千葉、愛知、京都、大阪、神戸、福岡の店舗数は奇妙なほどそっくりだ。

一方、細かく見ると、東北でユニクロが多いのは、寒いところは衣料品がよく売れる、と単純に考えるべきなのだろう。また、北関東、中部圏はスタバが成長中のように見える。西日本はいくつかの中核都市だけに出店し、他は市場として捨てていることがわかる。北海道も13店中、札幌市以外は2店しかない。そしてなぜか狭い沖縄には多い。

そこで、今後639店が2000店(約3倍)に増加するなら、どういう配置になるのだろうか、と考えてみると・・

おそらく、全国くまなくという展開ではなく、現在の比率のまま3倍になる、というような展開ではないかと思っている。それでは、現在が0店の場所では3倍しても0のままで、いつまでたっても「スタバのない街」ではないか、と言われれば、たぶん、そういうものなのではないだろうかと思ってしまうのだ(なかなか株価の上がらないスターバックス・ジャパンの泡沫株主の一人としての予想ではある)。

国宝 伴大納言絵巻展(~11月5日)

2006-10-18 00:00:25 | 美術館・博物館・工芸品
2cdaa019.jpg皇居前、帝国劇場と同じビルにある出光美術館に足を運ぶのは久しぶりだが、驚いたのは、大改装されていて、展示スペースもかつての2倍ほどもあるような感じだ。

おそらく、まもなく来週10月24日に予定される、「出光興産新規株式上場」に向け、一方で社員のリストラで事務所に余裕が生じ、かたや美術館の整備という二つのイベントが重なったのだろう。創業95年前、売上高2兆8000億円以上の会社が、なぜ、今頃上場するのかについて、書きたいことはあるのだが、先日のビックカメラのように公募価格を超えていたのは僅か1日だけで、あとは奈落に落ちた例もあり、公募割れの時の犯人探しに引っかかるのも嫌なので、黙っている。ただし、最初から一株9500円という、なんとなく天井感のある株価を設定しなくてもいいのに、と非科学的に心配する。

さて、展覧会の方の話だ。この伴大納言絵巻展は、非常におもしろい。数多くの方がブログ化されているので、今更感もあるが、源氏物語絵巻をはじめとする日本四大絵巻に数えられる。そして、絵巻の下敷きとなるストーリーは実際の史実である「応天門の変」と呼ばれる平安時代初期の政変をもとにしている。主人公の伴大納言は太政大臣、左大臣、右大臣に継ぐ政界のナンバー4だったのだが、出世欲が強く、ナンバー2の左大臣を失脚させようと、御所南側にある応天門に放火し、それを左大臣のせいである、と天皇に告げ口。しかし、告げ口をすぐに信じるわけでもなく天皇の独自調査の結果、証拠不十分で左大臣は無罪。

放火事件は、そのまま迷宮入りになりそうだったのだが、ひょんなところから犯人が現れる。伴大納言の家来のこどもが舎人のこどもを喧嘩でいじめるところから、伴大納言の家来が放火した現場の目撃者、つまり、いじめられたこどもの仇を討つため舎人が証人として訴え出る。そして、放火犯に対する厳しい取調べの結果、大納言自らの関与が立証され、本来死罪のところが、一命を許され、伊豆の国に流される。

そして、絵巻は、・・・

上・中・下と三巻にわかれ、それぞれ、手が込んで描かれ、人物たちの表情は豊かだ。燃え上がる応天門の風下側の庶民の恐怖に怯える表情と風上側の貴族の余裕の表情の描きわけや、天皇からの処分の勅書を待つ不安げな女御たちの所作。さらに、主人を検非違使に逮捕された大納言の屋敷の悲嘆などが生き生きと描かれている。

ところが、この絵巻を最新科学で分析すると、いくつかの謎があるそうだ。紙継ぎ箇所が不審だったり、登場人物が一箇所で切り取られていたり、さらに、絵巻のストーリーをよく考えると、歴史上に信じられている「伴大納言犯人説」に、後年の歴史家がわざと疑問を持つように矛盾点を含ませている。

なにしろ、歴史上の応天門の変は866年。一方、この絵巻を書かせたのは、後白河天皇と言われ、時代は300年ほど下っている。実は、応天門の変の2年後868年には、左大臣も右大臣も、また、この大納言も相次ぎ死去している。何かが起きたのだろうがそれは明らかにされることなく、生き残った太政大臣藤原良房の天下となり、後に藤原北家による摂関政治につながっていくのである。

そういう意味で、あれこれ考える展覧会で素晴らしく楽しい。欠点といえば、展示が巻物なので右端から観ていくしかないのだが、前の人が進まないと列が前進できず、かたつむりのように移動するしかないのである。愛・地球博の冷凍マンモス館のように動く歩道が必要なのかもしれないのだ。