牛丼を乗り越え、カツのは?

2006-03-31 22:07:18 | マーケティング
0cc263c8.jpg郊外の街道をクルマで走ると、時々見かけていたのだが、とんかつチェーン「かつや」が新橋駅前の雑居ビル1階に出店されたので昼食に通ってみる。どうも、運転中にトンカツを食べると、胃にもたれそうで、その気分にならないのだが、街中ならどうでもいい。眠くなったら個室型のネットカフェで昼寝をすれば、・・・という理想のサラリーマンにはなり切れないのだが。

まず、大型の食券販売機がある。メニューはトンカツでも結構多い。基本は、「カツどん」、「ソースカツどん」「ロース定食」「ヒレ定食」「カツカレー」それらに、大中小といったところか。カツ丼の普通サイズが490円。カウンターの空いた席に座ると、女性店員兼日本語学校学生がお茶を出してくれる。調理は男性数名(たぶん日本人)。もちろん昼間はオーダーを聞いてからカツを揚げたりしないから、数分ででてくる。1回目はカツどん。

「かつや」がどうやってキャベツを刻んでいるかよくわからないが、実は、なるべくとんかつ屋でキャベツを食べないことにしている。以前、あるとんかつ屋で聞いた(&見た)のだが、キャベツを縦に二つに割り、「電動キャベツスライサー」で千切りにする。電気ノコギリと電気カンナを足して二で割ったような調理器具だが、問題はキャベツの葉を一枚ずつ洗えないことだ。一つは残留農薬の問題が気になる。そして、もう一つは芋虫さんのこと。キャベツの奥底に身を隠すど根性芋虫さんもまず助からない。ちょっと嫌だ。だから、カツ丼にするわけだ。

そして、もちろんチェーン店はマニュアル通り調理するのだから、できあがりは美しい。そして、衣はしっかりとして、肉質はあくまでも柔らかい。というか、これは規格化された工業製品という感じだ。店内の表示を見ると、カナダポークと書かれている。厚いのに前歯で噛み切れる(マックのハンバーガーみたいだ)。粗い筋もない。最近はこういうソフィストケイトされたのがいいのかなって思うとともに、やはり荒っぽい手揚げのトンカツ屋も残るのだろうと、思う。こういう、品質の一元化で豚肉の完成品作り上げる、というのは、何かトヨタのクルマに乗りすぎて、誤った日本人像を作り上げた、カナダ人の勘違いだろうと思ってしまう。味覚は刺激を求めるものだし、それは規格に対するプラスマイナスのムラの中にあるのだろう。まあ、この値段ではこのやり方が正しいのだろうけど。

二日ほどして、また行って今度はヒレカツを注文したのだが、まあ、見解は同様。ただし、定食だったので千切りキャベツがどっと盛られていた。しょうがない。

後日、ホームページを確認したら、アークランドサービスと言う会社が経営していた。以前、CASAのドミナントだったらしい。現在、全国130店超に成長していた。

牛肉消費量の下落は豚肉消費量の増で埋められているということだが、牛丼チェーンの顧客をこういうところで吸収しているのだろう。よく見ると、イメージカラーもオレンジ色ということで、某チェーンと似ている。

さらに、トンカツの記事を読んでいると、豚肉は指定産地で品質管理されているそうだ。納得。さらに、コメはコシヒカリの独自ブレンドということだ。もともと新潟の会社だったそうなので、各種のコシヒカリの秘密に明るいのだろうと納得。そして、パン粉は生パン粉使用で無添加という。無添加を強調するということは、添加パン粉というのがあるのだろうか??そして、もっとも知りたいキャベツの秘密は?どこにも書かれていない。  

映画「ケロッグ博士」は喜劇か??

2006-03-30 22:02:23 | 映画・演劇・Video
3782d700.jpg先日、「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」で狂気の数学者を演じたアンソニー・ホプキンス。「羊たちの沈黙」という怖い怖い映画にも出演している。1994年作の「ケロッグ博士」を観る。まず、12年前と今とあまり風貌が変わっていない。映画より、その秘訣の方が知りたいのだが、知っても財布が伴わないだろうか。

まず勘違いしていたのが、この「・・博士」ということばからくるホラーイメージは、はずれ。どうも大部分は喜劇のように見える。が、喜劇と割り切っていいのかは若干疑問あり。やはり、狂気じみた健康食推進者である博士には狂気性が見える。さらに、喜劇と割り切れないのは、この映画は「実話物・伝記物」であるのだ。

ケロッグという名前で想像されるものは・・コンフレークなのであるが、実は、その通りであって、この健康推進博士が100%コーンのフレークを発明。弟が会社を経営し、兄(博士)は健康推進研究所なる宿泊設備で半病人を相手に健康商法で大儲けするという筋立てなのだが、どちらかというと、この博士の方は「いと、あやし」。テレビショップのような製品が次々に登場する(まあ、その辺は事実とは少し違うのだろう)。

キャストで有名人は、ブリジッド・フォンダ。ヘンリー・フォンダの孫娘であり、ピーター・フォンダの娘。美形であるが、残念ながら、他の出演女優とは違って服は脱がない。この話はここまで。

さて、あくまで、映画の中の話だが、ケロッグ博士には不肖の養子がいて(ジョージ・ケロッグ)、二人の山師と組んでケロッグという苗字を利用した、イカサマ・コーン・フレークを販売することになるのだが、まあ最後はメチャメチャな話になって、博士の研究所は火災で炎上してしまう。山師の一人は、その後、クコの葉の成分を使ったコーラを発売し、大当たりするという話で、おおむねハッピーエンドになる。

それならば、コカ・コーラはケロッグのご落胤かと思って調べると、これが全然違う。というか、調べてみると、なんと今年2006年はケロッグの100周年記念の年だった。1906年2月19日が誕生日。さらに米国のHPには歴史が紹介されている。簡単な英語だから見ているだけでも感じがわかる。実際に火事になったのは、健康研究所ではなく、コーンフレーク工場の方だったようだ。いずれにしても、最初から「健康食品」ということで当たったそうだ。以前、米国作家の本で、「貧しい主人公の食べ物」の代表として、「コーンフレークとスパゲッティ」と書かれていたが、「健康になり、財布も楽になる」といったところか。

そして、コーラ会社のことを調べたら、コカコーラは1886年、ペプシは1898年に製造開始。その他にもコーラ会社はあるらしいが詳細不明。やはり、映画は「1の事実に9のフィクション」のようだ。


ところで、映画に戻るが、当時(20世紀初頭)、長寿国といえばブルガリアであったらしい。原因はヨーグルトだ。治療法としてヨーグルトを15ガロン(57リットル)体内に注入する方法が紹介されていた。上からではない。ところが、現代は日本の方が長寿国。その秘密は、大豆製品だろうか。となれば、ヨーグルトではなく、キッコーマンを・・・

忘れてしまおう「ウォームビズ」

2006-03-29 00:00:11 | マーケティング

2f8ebfb0.jpg3月下旬になり、東京は、もうすっかり暖かい。既に、桜は開花しているし、コートを着ている人もほとんど見ない。昼食に外出する人は、ワイシャツ姿だ。そして、冬にサヨナラする前に思い出さなければならない国家政策があった。「ウォームビズ」。

実は、名前も思い出せず「ホットビズ」だったかなと考え込む始末。総選挙と相まってブームになった「クールビズ」にあやかったのだろうが、どうなったのだろう。

ところが、もう誰もこのコトバ、口にしなくなり、死語状態である。したがって効果測定も何もないのだが、おぼろげながら思い出すと、この冬は出足が寒くて、ビズどころでなかったような記憶がある。そして、景気回復とかいろいろあって、寒すぎるとインフルエンザが流行るから寒くしないようにということになったり、あいかわらず、オフィスはパソコンやプリンターから発生する不均一な熱が充満し・・・

もともと、よくわからないのは、普通の人は、会社に行くと、スーツの上着を脱いでワイシャツで仕事をしている。寒ければ、上着を着るだけである。あえて、ベストやセーターやインナーなど必要なのだろうか。小池環境大臣は、「インナーが決め手」といってババシャツを推奨していたが、実際にインナーに着込みすぎると暑すぎる場所で困ってしまう。

また、職場でも、ちょっと(1度か2度)寒いからといって、ベストなど着ようものならすぐにジジサマ扱いされる。冬物衣料は売れたようだが、それはビズのせいではなく、単にちょうどいい時期に寒波がきたからだけではないだろうか。 東京の平均気温を検証してみる。

「昨冬」と「平年」と気温を比較してみるのだが、この平年というのは1971年~2000年の30年間の平均値であり、地球が温暖化している昨今の状態ではだいぶ低い数字となっている。そうすると、10月は暖冬、11月はやや寒く、12・1月は厳冬だったことになる。ところが一転2月は暖冬。3月に至っては、1日から27日の平均でも相当暖かい。28日以降の気温の方が高いだろうから、かなりの暖かさである。つまり、冬物衣料商戦にとっては11月後半からの寒さは理想的な展開だったわけだ(ただし、次年度は苦しい)。

結果、当初政府が考えていたような図式にはならず、暖かすぎる状態から寒すぎる状態になり、再度暖かすぎる状態に戻ったわけだ。つまり、ウォームビズ効果は測定不能ということになるのだろうが、たぶん、いつも奇妙な経済波及効果を計算する第一生命総合研究所は、ちょうちん効果額を算定するのだろう(控えめに100億円と算出するだろうと予測)。


動き出した地価はバブルの「はしり」か?

2006-03-28 06:40:22 | MBAの意見
国土交通省が3月24日付けで発表した2006年の公示地価は、はっきりと都市圏商業地区での地価上昇を確認している。タイムラグもあるだろうし、現在は、三大都市圏ではさらに上昇しているのではないだろうか。特に、名古屋は激しく上昇している。名古屋駅ビル、セントレア、万博、トヨタビルと華やかな色彩で、名古屋が国際都市に変わりつつある(ちょっと残念な気もするが)。

大阪のことは、よくわからない。

そして、東京都内では、港区での「ある道路工事」が関係している。別名マッカーサー道路と言われる環状2号線(外堀通り)の付け替えである。虎ノ門のJTビルのところから外堀通りから分岐し、新橋駅南側を突き抜け、さらに海を渡って、レインボーブリッジと並行した巨大な橋を架け、有明(夢の島)まで直通にしようということだ。戦後、「実現困難」とされた計画だが、地価が下がっている間に着実に買収が進んでいたわけだ。そして、計画線上の木造や低層ビルは大部分が取り壊され始め、1年内には10階建て位の大型ビルの解体が始まる。

そこで、問題は、壊されるビルを使っていた人たちで、既に、周辺のビルの賃料は上昇している。そのため、引越し需要をあてこんで、計画線外の古い建物が次々に再開発されている(裏にはREITに投資する人たちがいる)。あちこちで解体工事や、リフォーム工事が行われていて、うっかり狭い道を歩くと危険を感じる状態である。

では都市部の商業地以外はどうかというと、都市部では住宅地もほぼ下げ止まっている。逆に地方では、下降速度は緩やかになったが、まだ下げ止まっていない。これをもって、多くの新聞は、「二極化」と書き、暗に小泉政策を批判したいのだが、怖くて批判できないので間接的に批判めいた書き方をしている。

しかし、二極化を批判するというのは、かなりの低脳ということができる。ある場所の土地を売って、ある場所に買い直そうというのが土地投資の基本とするなら、売りたい場所が下がって、買いたい場所が上がるのは、当然の結果である。もし、下がる場所がなくなって、上がる場所しかない、ということになれば、それは「バブル的」である。

そして、私は神奈川に住んでいるのだが、この県には都会から田舎までそろっていて、細かく見ると色々な徴候がわかる。目立ったのは、東急線沿線。それも田園都市線沿線は住宅地がおおむね5%上昇している。以前、不動産業の方から教わったのだが、東急の東横線と田園都市線では地価の動きが異なり、田園都市線沿線は動きが軽く、まさにバブルの時は、どんどん上がるということらしい。2005年にはほぼ下げ止まり、すぐに5%アップということは、バブル発生の徴候が強いと思われる。朝日新聞の地方版の記者は「3月からダイヤ改正で急行が増発されたので利便性で価格が上がった」と、とんでもない方向違いの記事を書いている。急行が増えたのは夜の23時台に数本だけ。日頃、電車に乗っていないのがよくわかった。「ジャーナリズム宣言」をする前に、入社試験を難しくしたほうがいいのではないだろうか。出身大学の優秀さと、記事がマッチしていない。

ところで、バブルがバブルを生み雪ダルマになった1980年代末期のようなことが、再度起こるのか、あるいは米国の住宅市場のようにミニバブルは不動産の分野にとどまるのだろうか、ということだが、バブル期に銀行で走り回っていた人間の証言から考えてみると、当時は「土地が上がったからバブルになった」のではなく「バブル経済になり、土地が上がらないと資金が循環しないから土地が上がった」ということだったのかもしれない。銀行は、まず、誰かに貸し込まないと収益は上がらず、何か不動産を持っている人間がいれば、すでにその不動産に抵当権が山のようについていても、資産価額の上方見直しをして、10番目の抵当権者として1億円を貸していく、という本末転倒状態になっていたらしい。

それで、この先、どうなるかと言えば、先に金利上昇がくると、銀行は、どうしても土地価格を高騰させ、誰かにカネを貸さないと収益があがらないだろう。つまり、バブルはゆっくりと始まっていくものと推測している。
そして、地方都市の地価まで上がり始めたら、それは危険信号と考えられるのだ。

遠吠えの聞こえる町

2006-03-27 20:51:14 | 市民A
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テレビでCNNを見ていたら、NYセントラルパークでコヨーテの捕物帖をやっていた。



逃げるコヨーテを麻酔銃を持ったレンジャー部隊が追いかけたと言っていた。実際、ヘリからの画像では、コヨーテはすばらしく逃げ足が速い。ヘリよりも速い。しかも潅木の中を逃げるので人間が捕まえるのは困難。結局、チェーニー副大統領に麻酔銃を渡して・・ということではないが、やっと捕獲。推定年齢1歳。州内の別の場所で放されるそうだ。



いくつか、感じたこと。



1.捕まる前に「ハル」と名前がついていた。ハリケーンみたいな感じがする。誰が、どうやってつけたのだろう。



2.レンジャー部隊の隊長のインタビューを見たのだが、私は「トム・ハンクスのブラック・ホーク・ダウン」のような生存率50%以下のような仕事を普段しているのかと思ったが、登場したのは30台中ごろの美形の女性。この女性のインタビューで、1999年にもコヨーテ騒動があったことが世界に配信された。だから手際よかったのだろう。(レンジャーというのは一般用語で、公園のレンジャー隊というのは別なのだろうか。だからと言って銃社会では安全ではないかもしれないが)



3.コヨーテがいては、なぜいけないのかということは、なかなかはっきりしないが、散歩中の小犬を襲ったりするからだそうだ(狼ではないので、人間に致命的被害があるわけではないそうだ)。野生動物よりもペットの方が優先的生存資格があるということだ。



4.東京では考えられないなあ、と思ってみたが、「東京」の範囲を「東京都」と考えれば奥多摩や小笠原諸島では何がでても驚かないわけだ。まあ、都市部に限れば、狸や猿も時々出没するし、先日、読んだどこかの英語の雑誌には、「東京の人口は3000万人」と書かれていたので、関東=東京と思えば、熊だっているだろう。しかもタマちゃんもいた。


藤堂高虎家訓200箇条(3)

2006-03-26 07:07:03 | 藤堂高虎家訓200箇条

第21条 主人たる者不断内の気をかね諸事恥敷と思ハハ悪事もなく腹も立へからすまして一人二人召仕者ハ心得有 へし

あるじである者は、普段から内のことに気を配り、諸事控えめに振る舞えば、悪い事も起きず、腹を立てることも ない。まして一人、二人を召し使う者はこのように心得るべきだ。

なんだか、陰鬱な話である。一人、二人召し使うだけでも気苦労が多そうである。しかし、案外世間には部下が一 人か二人の課長とか多いらしいから、役に立つかもしれない。「気配りのすすめ」のような話である。


第22条 主人目の明さるは必禍多かるへし奉公よくする者を不見付当座気に入かほ成を悦ひ禄をとらせ懇ふりする ゆへに能奉公人気をかへ暇をとるもの也主人の難にあらすや当座気に入かほの者ハまいすたるへし

あるじにものを見る眼がないということは、必ず禍が多い。よく奉公する者に気付かず、その場しのぎのお気に入 り者に悦んで給料を払い、親しくするので、よい奉公人は気持ちを変え、転職してしまう。あるじが悪いからであ る。当座の気に入り者とは下劣な者である。

転職の理由は古今不滅ということだ。この条は重要な気がする。何しろ高虎は転職の名人だ。主君を変えるだけで なく、仕事も代えている。猛将から知将へ、さらに城郭設計者、さらに都市計画のグラウンドデザイナーに転進し ている。あきらかに、無能な主君に仕えたと思われる、浅井長政、豊臣秀長、秀吉、そして徳川家康。Who stupid ?


第23条 悪敷主人ハ目にておとし気色しておぢらる、やうにうハつらにてする人ハおづへからす心もおくれ未練た るへし第一の草臥もの也善主人ハむさと人をしからす気に苦労なくして物いはすともくらひ詰に召仕ゆへ下人共由 断ならすせハせハといふ主人ハ毎の事のやうに下人覚へ不聞入ものなり

悪いあるじは、目でおどし、顔つきで怖れさすように上面でする。そのような人間には怖れたりはしない。そうな れば心もひるみ未練が残る。第一のくたびれものである。
善いあるじはやたらに人を叱らず気苦労なく物を言わな くても自然に仕事をするよう召し使うので家来たちは油断できない。せかせかと言うあるじはいつもの事のように 家来たちは思い、聞き入れないものである。


これも、前条に引き続き、家訓というよりも、馬鹿殿様の条件のような話が書いてある。反面教師ということだろ う。しかし、現代では、そういうコワモテだけの上司をシカトするのは大して危険とは言えないが、当時はあまり あるじをむげに扱うと、「刀の錆び」と成り果てるのだから、大胆な書き方だ。しかし、善いあるじの元では油断 していると自然に働かされてしまう、というのはあるじ側にたった考え方とは思えず、あるいは無意識のうちにこ きつかわれる召使の方の立場で書いたのだろうか?


第24条 身に高慢する人ハ先近し

高慢な人は先がない。

短いだけに解釈も難しい。先がない、というのは本当に「すぐに死ぬ」という脅し言葉なのか、「未来の希望がな い」というように、抽象的な意味なのだろうか?よくわからないが、当時は、未来の希望がない=切腹、というこ とも多々あったと思う。


第25条 言葉多くて品すくなしと古人いひ伝り誠に眼前なり

言葉多い人は品性がないと古人が言う通りだ。

私が知っている限り、ブロガーにはおしゃべりが多い。古人がいうとおりかもしれない。さらに「国家の品格」の 著者は活字の中では多弁だ。「品格を論ずるのに品性は要らない」ということだろう。


第26条 女人若衆へハ深く遠慮専一なり老若共に嗜へし脇目よ見苦敷ものなり

女性や若い人には遠慮が第一である。老若がともに嗜むべきことである。脇から見ると見苦しいものである。

先日、電車の中で、団塊世代の男性が携帯電話でゲームをしている若者を相手に、陰湿に口撃をしていたが、聞い ていると、そういうのも、ある限界を超えると「いいがかり」に聞こえてくる。さらに騒ぐと、その人間の品性が 見えてしまう。まあ団塊世代だからそれで生き延びてきたのかもしれないが、嫌な時代だ。フリーターの多くは、 親が団塊世代のはずだから、外でいがみあわないで陰湿な争いは、家庭内で完結してほしいものだ。


[主君江奉公之心持之事]

主君へ奉公する時の心持のこと

第27条 不断御用に達へき覚悟心かけ由断不可有事

普段から御用をやりとげる覚悟を心がけ、油断しないこと。

時は江戸時代となれば、覚悟を決めても「いったい、いつ、何のために覚悟を決めるのか」というのは全国数百万 人の武士の最大の悩みだったのではないだろうか。現在は「油断」と書くがもともと「由断」と書いたのだろうか 。理由を考えるのを中断してしまう=ぼんやり、ということか。


第28条 主人之御前に出る共其時に応したる御挨拶見合肝要なり主人御顔持悪敷ハもし我身に誤りや有と身をかえ り見て慎へし主人余の人に機嫌悪敷事も有へし夫を我身の上に引請ふせうなるつらをする事ひが事なり常々主人日 見せよく情らしくハ猶以身の慎肝要なり能キ次には悪敷事有へしと心得尤なりかやうに嗜ハ一代主人の気に不違なり

あるじの前に出るときにはその時に応じた挨拶が肝要である。あるじの顔色は悪いときは、もしや自分に誤りがあ るのではないかと省みて、慎むべきだが、あるじが他の人に対し機嫌が悪いこともあるので、それを自分のせいと 考え不快な顔をするのは間違いである。常々、あるじがよく見えて、情けあるような時は、なお身を慎むのが肝要 である。良いことの次には悪いことがあるだろうと心得るべきで、このように嗜めばあるじの気分を損なわない。

この条文は含蓄がある、というか、ありすぎる。「顔色の見方」というか・・まずは、自分に非がないか、思い起 こしたあと、自分以外のもののせいかもしれないと考える、というのは悲観主義なのか楽観主義なのか。まあ、高虎というのもよく考えるものだ。


第29条 古人ノ曰先忠の忠ハ不忠当忠の忠ハ本忠なり今日も新参今日も新参如斯二六時中心に慎ハ悪事不可出也

古人が言うように、先忠の忠は不忠で、当忠の忠は本忠である。毎日が新参と思い、二六時中慎んでいれば悪事は でないものである。

この条はいきなり難しい。簡単に言うと、前の代の殿様に忠心を尽くしていた方式をそのまま続けると不忠になり 、代替わりで子供の殿様に使えるときには、新しい忠心が必要であるという。その時は日々是新の気持ちになれ、 というのだが、当然ながら、前段を受けて、後段になるのだから、前段の方が重要ということだ。
現代で言えば、社長が交代して、社の方針が変わっても、つべこべいわずに新社長の意見に従え、ということか。

第30条 主人江奉公之事身をへり下り欲を捨て御為第一に可致人により心持あるへし

あるじに奉公するにはへりくだり、欲望を捨て、あるじの為、第一に致すべし。人によって心の持ち方があるべき である。

まあ、奉公とはそういうものなのだろうが、結構くどい。この条は後段の部分のつなぎ方がよくわからない。ただ 、今まで読んでみると、前段の方が重要であることが多いのに気付いているので、あまり気にすることはないのか もしれない。


今回の21条から30条にかけては、正直、あまりおもしろくない。あえていえば、24条、25条あたりの短い言葉が新 鮮ではある。高虎は、短くて含蓄があるよりも、こと細かく説教するほうが好きだったのかもしれない。

「継続は力なり」ということわざを信じて、さらに続く。


村上春樹氏にカフカ賞。もう一つ串刺し?

2006-03-25 00:00:00 | 書評

数日前に、吉本ばなな氏のことを書いた時、欧州では村上春樹氏より有名で、ノーベル賞に近いのではないかと書いたら、さっそくノーベル賞前哨戦の情報がきた。予想ははずれたかもしれない。  <村上春樹氏にカフカ賞 プラハで10月に授賞式>(共同)  

 プラハからの報道によると、チェコのフランツ・カフカ協会は23日までに、プラハ出身の作家フランツ・カフカ(1883-1924年)にちなんだ文学賞「フランツ・カフカ賞」を、日本の作家、村上春樹氏(57)に贈ることを決めた。授賞式は10月30日にプラハの旧市庁舎で行われる予定。

同賞は2001年に創設、今年が6回目。これまで2004年にオーストリアの女性作家エルフリーデ・イェリネク氏、2005年には英国の劇作家ハロルド・ピンター氏が受賞。両氏はいずれもその年にノーベル文学賞を受賞した。同賞は民族文化の重要性を喚起することなどに貢献した作家に贈られ、賞金は1万ドル(約120万円)。

地元紙プラーボは、村上氏の代表作として「ノルウェイの森」「国境の南、太陽の西」「海辺のカフカ」を挙げ、約20カ国語に翻訳されて世界でミリオンセラーとなっているなどと紹介した。

経済紙ホスポダージュスケー・ノビニは「村上氏は(ノーベル文学賞授賞式が行われる)スウェーデン行きの航空券を手配しなければいけないだろう」と伝えた。(共同) 

確かに、ノーベル賞の世界では、圧倒的に有利なアメリカ勢も文学賞ではさっぱりで、これといった候補も見当たらない(アップダイクも小市民小説と化したし、ブローティガンは頭を撃ち抜いた。ロスは寡作すぎる。)。ずいぶん長い間、アメリカ人は受賞していない。

村上氏も年の功もそろそろといったところなのだろうか、・・・

しかし、「海辺のカフカ」はノーベル賞狙いの一作のような気がしていたが、まさかカフカ賞と串刺しを狙っていたとは知らなかった。「海辺のカフカ」はかなりの力作なのだが、一割くらいの人が酷評する。ようするに、普段、小説を読まない人には固く門を閉ざすだろうという種類の小説である。個人的には「猫と話すナカタさん」という準主人公が好きだ。 デビューから「ダンス・ダンス・ダンス」にいたるまでが第一期。そして、冒険的な作品群を書いている現在は第二期の終わりなのだろうか。「ねじまき鳥クロニクル」は第一巻と第二巻は傑作と評価できるが、2年の時間を空けて完成させた最後の第三巻は、ちょっと息切れの感もある。地下鉄サリン事件のその後を追ったノンフィクション「アンダー・グラウンド」。確かに、多彩だ。

さて、ここでカフカ賞のことを考えてみる。報道では第4回(2004年)と第5回(2005年)の受賞者がそのままノーベル賞をとったので第6回の村上春樹もノーベル賞ではないか、と書かれているが、では第1回から第3回はどうだったのかということになる。これが簡単にはわからないのだが、やっと探し出した。

第1回(2001年) フィリップ・ロス(アメリカ) 1933年生
第2回(2002年) イヴァン・クリーマ(チェコ) 1931年生
第3回(2003年) ナーダ・シュペーテル(ハンガリー)?年生
第4回(2004年) エルフリーデ・イェリネク(オーストリア)1946年生
第5回(2005年) ハロルド・ピンター(英国) 1930年生
第6回(2006年) ハルキ・ムラカミ(日本) 1949年生

驚いたのは、第一回がフィリップ・ロスなのだ。年の差は16歳だが・・

と書いていて、ふと気が付いたのだが、世間では、「カフカ賞をとったら、ノーベル賞につながる」と思われているのだが、それは偶然ではないのではないか、と思い始めたのだ。つまり、ノーベル賞をとりそうな作家に先にカフカ賞を渡すことによって、カフカ賞の権威付けしようということではないのだろうか(姑息だが)。

そして、今度はノーベル文学賞のリストを見てみるとこのところ、6年に一回ずつ、非白人が文学賞を受賞している。そして、今年はその周り年である。また。2004年と2005年は連続して劇作家であり、そろそろ小説家の番なのかもしれない。そしてロス氏の場合は最近嫌われている金融業が得意なある民族であるのが災いしているのかもしれない。

1988年 N・マハフーズ(エジプト)
1994年 大江健三郎(日本)
2000年 高行健(中国)
2006年 Who?

案外、異色候補としては、大御所である谷川俊太郎というのはどうだろう。少しいばり過ぎという声も多いが・・

ところで、最近の新人の文学賞応募作は、そろって村上春樹と川上弘美の文体とそっくりだそうだ。それでは文学賞は受賞できないそうだ。その証拠に村上春樹も芥川賞を取り損ねている。逆の言い方として、彼に芥川賞を渡し損ねたことが、芥川賞の汚点と言われているそうだが、その他小さな汚点はいっぱいある。受賞作を並べてみると、選考委員の好き好みで同系統の作家が並んで、突如、系統が替わったりしている。

たぶん、当時の選考委員は彼がノーベル賞を受賞したら穴に潜り込みたいだろう。 彼が最も芥川賞に近かったのは、1979年6月に群像新人賞を受賞した「風の歌を聴け」なのだが、その時の受賞作は・・というのもわかってはいるのだが、まあ書かないことにする。その後、1980年発表の「1973年のピンボール」、1982年の「羊をめぐる冒険」で、もう新人賞とは卒業してしまったのだ。

さらに将来問題化する汚点を追加すると、もう一人の未来のノーベル賞候補者になるだろう吉本ばなな氏も芥川賞とは無縁である。逆に、もらった芥川賞を後で返上した作家は、今のところ一人もいないはずだ。


風太君の新居に関する事情

2006-03-24 07:34:30 | 市民A
c88abd48.gif千葉テレビを一瞬見たときに、千葉市の来年度の予算の話をしていた。以前、千葉市に住んでいたが今は違う。したがって、赤字になろうが、市債を乱発しようが関係ないが、「レッサーパンダ風太君の新居」の予算がついたそうだ。2,700万円。エアコン付きで3部屋付きである。暑さに弱いそうだ。

昨年、見に行った時(2005年11月1日「千葉市の人気者に会ったが・・」)に感じたのだが、千葉市動物公園の中では、きわめて狭い場所に、人気者はいた。もともと、「小動物コーナー」というところに押し込められ、外から手が届くような場所で、日当たりも悪く、どうみても他の動物たちとくらべると「かわいそう」というのが実感である。もちろん、狭い前面のスペースには、シロートカメラマンがずらっと並んでいるのだから、さらにかわいそうである。プライバシーもない。

2700万円というのが、どれだけの厚遇なのかよくわからないが、最大の人気者なのだから立派な家に住んでもいいのではないだろうか。ただ、ゴロゴロしているだけで100倍のスペースで無駄飯を食べている怠惰な大型獣もいる。配置転換すればいい。動物界はもともと実力主義だ。


c88abd48.gifところで、新居が必要になったのには、別に理由があるそうだ。どうもジュニアが生れるらしい。千葉テレビでは、「恋人チーチーと1月に交尾した」と報道されていた。(「恋人」と擬人的表現をしたにもかかわらず、「交尾」というのも・・シッポもないし)妊娠期間が約半年なので、夏頃には最初のこどもが生れるかもしれないわけである。ただし、子育ては母親の仕事だそうだ。父親は二足歩行の教師にでも・・

ところで、風太君本人はいつどこで生れたのか?ということを調べてみると、静岡県日本平ということがわかった。何の奇遇か現在調査最終段階の、あの「赤い靴はいてた女の子」の実在のモデルである「岩崎(佐野)きみちゃん」と同郷である。日本平動物園。日本のレッサーパンダの総本山で血統を管理しているそうだ。さらに調べると、風太の生れは平成15年(2003年)7月5日。母親は広島安佐動物公園からきたナラ(楢)当時2歳。父親は東京の多摩動物公園からきたフーフー(風風)当時5歳だったそうだ。

そして、とても悲しい話を書かなければならないのだが、父親の風風は風太の誕生を見ることなく同年6月に急死してしまった。風太という名前は、父親から「風」を継ぎ、「父の分まで太く生きるように」という意味でつけられたそうだ。そして、風太は太く生きる前にシッポが太いそうである。それが直立の秘訣だともいわれているそうだ。日本平では、元気過ぎて母親だけでは子育て疲れしてしまったのが、千葉へ引っ越した理由でもあるらしい。そういうところも「岩崎きみちゃん」と非常に符合する。そして、母親のナラはまだ日本平にいるそうである。

ところが、風太のこどもは日本平に返すことになっている、という密約の噂があるらしい、真偽いずれにしても、まったく人間は醜い動物だ(シッポもないし)。

「最先端技術展」へ行く

2006-03-23 00:00:03 | 美術館・博物館・工芸品
b4c7de4c.jpg科学というのも、世界各国でずいぶん得意分野が違う。例えば、日中比較してもロケットで人間を乗せて地球を回そうというような大掛かりなものは、中国は実施しているが、日本はロケットすらまともに上がらない。だからといって無人ヘリコプターなど、日本人は簡単に作るが、中国では産業スパイが必要だ。一般に、日本の技術は、小さい、細かい、複雑、省エネとかいった向きが得意である(一方、考え方が穴にはまり森ビルの電動回転ドアみたいな失敗作もある)。

b4c7de4c.jpg「最先端技術展」という大それた名称の展覧会が3回にわかれ、地下鉄「外苑前」駅から神宮球場方面に5分行ったTEPIAプラザ(機械産業記念館)で行われている。Part2の終了間近に行く。テーマは6種類。

1.ナノテクノロジーと素材産業技術
2.安心できる社会
3.ロボット
4.環境と共生
5.コミュニケーション技術
6.次世代移動体技術

分野からみても日本の方向はある特定方向に向いている。奇妙なことに日本でもっとも成功した「自動車工業」は最先端とも呼べないのだろう。

特に、ナノと素材の部分はずいぶん進んでいるように思えた(ナノの技術だけなら、お台場の日本科学未来館でわかるが、応用した製品の数々はここの方がわかりやすい)。カーボンナノファイバーなど理論の上だけのものかと思っていたらそうではないらしい。出展されていた製品で、ミズノのゴルフクラブがあった。クラブヘッド上部にナノ繊維を使うことで高速スイングゴルファーの悩みであるクラブヘッドの瞬間的変形を抑えることに成功しているそうだ。ヘッドスピードが秒速48メートル以上のゴルファー用と書いてあるが、私より1割もヘッドスピードの速い方でないと効果が出ないそうだ。むしろ、ナノ繊維をクラブではなく、本物の肩や腕に埋め込んでもらいたいものだ。

b4c7de4c.jpgロボット分野では、コミュニケーションロボが出展されている。「ハローキティロボ」は最大10名と同時に話ができるようになっているそうだ。伝説のマルチタスク人間”聖徳太子”だ。ロボットに必要なのは、ボールを投げたり階段を上ったりする能力ではないということが、ようやくわかってきたわけだ。まあ、だからといって家族のかわりにはしない方がいい(理由は様々あるが省略)。

残念ながらPART2は3月23日で終了だがPART3は4月11日から7月21日。しかし、近隣の不透明な国々の産業スパイは間違いなく、この会場を見にきている。実際には、多くの製品は「商品」として販売されているので、ここではなく秋葉原やアメ横に行って現物を買って持ち帰ればいいのかもしれない。(ただしニセ札はお断りだ)

WBCに引き続き、北野武を観ることに

2006-03-22 00:00:35 | 映画・演劇・Video
あんなに大勢いたメジャーリーガーが、最後には二人しか残らなかったWBCは自宅のプラズマで見たのだが、ディジタル方式で見ようとすると横×縦が4:3になってしまうため、アナログで横拡大して見ることに。ワイドにするのも放送局は辛い。減価償却が終わっていない「4:3対応の設備」ばかりなのだろう。特に海外物は無理かもしれない。

さて、話は野球のことではない。生後4ヶ月の室内犬(Mシュナウザー)と午後、留守番することになった。1週間ほど前から庭で散歩練習中で、気疲れするらしくすぐに昼寝をする。それも人がいるとソファーの膝の上で眠り込む。2時間近く動かなくなるのでうっかりするとこちらも昼寝に付き合わなければならなくなる。最近は、寝込まれる前にトイレを済ませ、雑誌や本などを手の届くところに置いたりして準備するのだが、本を読み続けるのも辛い。 WBCの決勝を観戦中に、何本も溜まっているテレビから録画した映画ビデオの中から1本をビデオデッキに挿入して準備をしておく。

そして野球が9回表になりキューバチームが次々に投手交代を続けている間に膝の上で眠られてしまった。動けなくなった(チェスの用語ではピンされたという。カマボコという表現もある)。

b8d6f22c.gifそして、ビデオを回すと、始まったのが「座頭市」。さすがに勝新ではなく北野武の方だ(どっちも複数回、古典的な罪で警察の厄介になったのは共通するが)。2003年作。この映画、確か評価が二分されたはず。まあ、調べようにも動けないのだからとにかく観るしかない。

座頭市の時代設定は、よくわからないのだが、江戸時代の終わりの頃のような感じだ。大富豪がいたり、侍崩れがいたり、ヤクザが取り仕切っていたりとか・・一応、ちょんまげ時代ではあるが、日本経済が、一方で産業振興したにもかかわらず、鎖国状態だったため、資源不足や富の偏りとか政策的壁にぶつかっていた頃だろう。

評判が悪いのは、殺陣のシーンにCGを使っているためテレビゲームで敵を倒すような感じがつきまとうことだ。スロー再生してみると斬られる前に血が出ていたりすることがある。以前、たけしが出演したゴルフ番組を見たことがあるが、ヒドいフォームだった。仕込み杖をかっこよく振り回すためにはCGしかなかったのかもしれない。

実は、彼は12作作っていて、半分以上は観ているが、最初の方がよかった。どうも欧州での映画祭を意識して、暗黒世界にこだわりすぎている、フィルム・ノアール日本版である(名古屋版は、シロ・ノアールという)。一説には1994年に起こしたバイク飲酒運転転倒事件で死にかけてから、作品が変わったともいう。「あの夏、一番静かな海。」のどこにもやりようのない若者たちの「刹那さ」から、どうしてこうも暴力的になってしまったか、チョッと図りかねる。まあ、1995年には、世間にはあれこれ事件もあったし、ということか。

個人的には、彼の頭の回転の効いた鋭いギャグが映画には活かされていないように思うし、頭のいい子が似つかわない暴力沙汰を起こしているように思えてしまう。 さらに、どうもこの「座頭市」は、有名な下敷きがあるだけに彼の感性が発揮できていないような気がする。観る側に心の余裕があり、彼がぶちのめされてしまうことはあり得ない、ということを知っているからだ。

しかし、それにしてもずいぶんと死体の山を重ねてみるものだ。戦争映画のようだ。数えたわけではないが、100名は死んでいるだろう。昔の命は安かったのだ。(最近調べていて知ったのだが、パナマ運河だって、完成までに20,000人以上死んでいる。ちょっとした大虐殺だ。)

そして、後の30分は子犬も目をさまし、並んで斬り合いを観ていたのだが、やくざ者が斬られ、血を吹き上げて「ウギャー」と叫びながら倒れるのを見ると、尖った乳歯を剥き出して興奮していた。

きっと、「エサだ!」と、思っていたのだろう。

B級BANANAで面白かったのは

2006-03-21 00:00:27 | 書評
b4c7de4c.jpg「吉本ばなな」は欧州では、もっとも有名な日本人作家だそうだ。ということは村上春樹よりもノーベル賞に近いということもできるが、なにしろ文部科学省からストックホルム大使館に出向派遣されているニワカ外交官の腕次第というか、何もしない方がいいというのか・・・(実際には、運悪く受賞者があった場合のアテンダント要員と化しているらしい)

私も、彼女の小説は大部分読んでいる。世間にありそうな、なさそうな、やはりありそうでなさそうな設定のモデルが登場する。なんともとらえどころのない作家だが、文体がきわめてオーソドックスで安心して読める作家である。

ところが、小説をあまり書かない。仕事熱心ではない。しかたなく、エッセイなど読むことになるが、小説に比べて、ずいぶん軽く書く。「B級BANANA」はエッセイというわけでもなく、「吉本ばなな読本」と副題されるように、「インタビュー」(を受ける)や「悩み相談室」などで組み立てられた一冊である。その中で、「ややっ」と面白かった話がある。

最初は、岡崎京子さんからの質問で、「あなたが一番おかしやすそうな犯罪は?」というのがあった。答えは、「脱税」ではない。なんと、「万引き」だそうだ。

あまりにもレジが混んでたりすると、もうめんどうくさいから持って行ってしまおうかと本気で思うし、実行したことも大人になってから数回ある。

そうだ。

思い出すと三浦和義氏(多くのマスコミから慰謝料を受け取ったこと等で有名)が赤坂見付の駅ビル内の書店で万引した後、逃げ切れずにエスカレーターで捕まった時の話は、面白かった。「外出先で知人に会うときに、自分のサイン本を贈ろうと、たまたま書店で自分の本を買うときなど、レジに持っていくのが恥ずかしいので万引きすることがある」とのこと。

ただし、万引で捕まると、ノーベル賞が遠くなるから注意が必要である。(三浦さんではなく吉本さんへのアドバイス)


もう一つの「ややっ」は自由エッセイの部分で、吉本ばななが「海燕」新人賞の受賞パーティーで角田光代と話をした時のこと。二人とも新人賞をとっているのだが、角田光代がデビュー1、2年目で、まだ細身だった時、血圧が35の時もあり、よくパタンと倒れるという話である。

角田光代が真顔で、「でも倒れるとみっともないですよ、もう、パンツ丸見せですよ。」と言ったというのである。吉本ばななは、このちょっとした「丸見せ」という言葉の違和感について分析し、「さすが、作家。パンツ丸見え、ではない能動的な描写をしていたのである。」と書くのである。さらに、エッセイはこう続く。「その後3日は、これを思い出す度にタクシーの中とかでひとり笑いました。」

実は、私も、最初は笑っていたのだが、よくよくよく考えてみると、もしかして、これは若い角田に対する吉本の嫉妬ではないかと思い始めたのである。つまり、自分(ばなな)の方が格上の小説家であるのに、どうして、こういうわけのわからない才能もない角田なんぞにわざとらしい表現を使われなければならないのだろう。それも話がただのパンツではないか。「角田光代というのはこんなにもわざとらしい女であるのですよ」ということを活字にすることで世間に撒き散らそうとしたのではないか(無意識のふりを装って意識的に)、との疑惑である。

まあ、いずれにしても角田光代は最近は「豚しょうが焼き定食」が大好物だそうなので、もう丸見せすることは考えられず、真相は永久の謎となってしまったのだ。

イタリアを攻める人たちは?

2006-03-20 07:21:56 | 市民A
088c3430.jpg妙な動きがある。九段にあるイタリア文化会館の外壁の色にクレームがついている。「赤色の外壁は、町並みにそぐわない」、とか、「反射光が自宅マンションに入り込み、食欲がなくなり病気になった」、というような話で、住民が署名2,700人分を集め、小池環境相に持ち込んだそうだ。大臣も本家イタリアでは町並みを保護しているのだから・・と口を濁しているというのだが、あまりはっきり書かれていないし、イタリア大使館も本国に連絡すると言っているらしい。とりあえず、それ以上は闇の中である。


さて、およそ、場所はわかっていて、九段坂を上っていって靖国神社の先のインド大使館のあたりで内堀通り沿いに左に曲がったところだが、皇居とは少し離れていたような、と思ってもそれほど奇抜な建物は記憶にない。まずは、実物を見に行くと、二松学舎高校と山種美術館の間にある。12階建て。

確かに正面から見ると白い石質タイルと赤いファサード、緑がかったガラスのビルがあるが、予想していた、”ショッキングな赤”ではない。イタリアの赤というと、どうしてもフェラーリをイメージしてしまうが、このビルの赤は、ずばりトマトソースだ。近くにはトニーローマもあるし、なかなかのセンスだ。ただ、内堀通りは、まったくデザインの統一性がないので、どうも「町並み」とか「景観」と言われても、このビル一つで何が・・・というように感じる。第一、何色ならいいというのだろうか。

088c3430.jpgそして、どうも、よくわからないまま、裏道から千鳥ヶ淵の周縁の遊歩道に出ると、気が付いたのだが、こちら側から見ると赤と緑の二色仕立てになる。ただ、これは裏側だ。そして、2,700人という署名は驚くのだが、住民が住んでいると思えるのは二つの建物しかない。一つは高級マンション。もう一つはよくわからない。最大限200人といったところではないだろうか。ただし建物がべったり隣接しているわけでもない。皇居内の住人からは見えるのだろうか、もし目障りとすれば手前のマンションの方だろうが、いずれにしてもずいぶん離れている。もしかすると、例の大手町東京海上ビルのような政治的話なのだろうか。場所柄、警察官の姿もチラホラ見受けられるので、空き巣の下見と間違えられない内に退散して、情報収集に移る。


地図を見ていて驚いたのは、二つの集合住宅のうち一つは「パークマンション千鳥ヶ淵」。パークという名前のマンションには高級なものが多い。もちろんここも言うまでもない。そして、もう一つは公務員三番町住宅となっている。公務員?!つまり「官舎」ということなのか・・・例の「都内の官舎の売却」という首相の公約の対象案件なのだろうか。そして、イタリア文化会館の斜め向かいには宮内庁分室とあるが、さらに調べると桂宮家のご住居ということだ。ヒゲの殿下の弟君である。

088c3430.jpg一方、この文化会館だが、外壁の色をかなり落としたそうである。やはり当初はフェラーリだったのだろう。千代田区と協議の結果、漆器の色にしたそうだ。トマトではなかった。確か漆器は英語ではjapanだったと思う。ただペンキで金属に着色したため、少しだけ変色してしまったのかもしれない。しかし、地元の役所との折衝の結果決まった色にケチがついて、さぞ驚いているだろうとは想像がつく。もしかして「補償金が目的なのだろうか?」と疑っているに違いない。そういう組織の本場の国だからだ。

ただ、私見なのだが、このビル、2003年に建て直しを始めたのだが、場所がふさわしくなかったのではないだろうか。このあたりは日本の特定勢力の方々のシマである。イタリアンに相応しい場所といえば港区でしょうね、というところなのだが、最善の一手は引越しだったのだろうが、手遅れであり、既に厄介に巻き込まれてしまったようである。だいたいイタリア人は、そういう難しい話に巻き込まれ、誤解に誤解を重ね泥沼にはまるという映画が多い。前の戦争でも若干そういう展開だった。逆に、このあたりの地縁勢力からすると、「おまえのせいで負けた」と思われているのかもしれない。

ところで、最初に書いたように、ではビルを何色にすればいいのかと言われても、緑色のガラスに調和させるのは難しい。いっそのこと、ペンキを全部はがしたあと、本物のウルシ塗りにしてしまえばどうなのだろう。

01-04年の新収蔵作品展 工芸館

2006-03-19 06:55:35 | 美術館・博物館・工芸品
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千代田区北の丸公園にある近代美術館工芸館は、戦前は近衛師団の本部であったのだが、歴史に1ページを刻むとするなら、昭和20年8月14日夜の玉音放送録音盤の奪取未遂事件の本拠地としてなのだろう。録音盤は愛宕山のNHK博物館に窒素封印された状態で展示されている。実際は、事件が起きた時刻には、既に海外向けのラジオ放送で、ポツダム宣言受諾を発信しているので、奪取に成功していたとしても、混乱は数日で収束したと考えられる。

そして、戦後、長く荒廃状態だったレンガ造りの建物が再利用され、国立美術館に改装されたのが1977年。母体は文化庁から移管されたコレクションなのだが、日本の伝統工芸展で活躍した人間国宝の作品はきわめて充実しているが、年代的に昭和30年代-昭和40年代に偏っているそうである。そのため、毎年、少しずつ収蔵の時代範囲を広げている、という状況であるそうだ。そして、最近のコレクションとして、昭和50年代以降の作品にも目を向けている。3月14日からはじまった新収蔵作品展「花より工芸」へ、さっそく向かう(~5月21日まで)。

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まず、「人形」がいくつか。1980年代に世界的に人形ブームになっていたのだが、吉田良「すぐり(1986年)」人形の顔に生気を与えるのは難しいものだが、少女の妖艶な表情が赤い衣装に映える。素足の造形など、きわめて手が細かい。そして四谷シモン「解剖学の少年(1983年)」。ついに四谷シモンも博物館入りとなったのか、とため息が出てしまう。この方の人形は、ちょっと斬新さがある。売り出しの頃、展覧会もきわめて小規模かつ短期間でマニアックに行われていたのだが、こんなクラシック博物館で骨董品化してもいいのかなと、心配になる。まあ、おめでとう。

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そして、最近亡くなられた二人の巨匠の作品を多く収蔵したそうだ。まず松井康成。陶芸家である。2003年に没。作品は、きわめて日本的でない。かといって世界のどこともつながっていない。完全にオリジナルデザイン。少し乾いた感じがあるのは、色彩が白を基調としているからだろうか。木星の写真のようなデザインの壺は、存在感を感じさせる。要するに陶器から実用性をまったく無視して、陶芸という芸術性を追求しているわけだ。

そういう意味では藤田喬平(2004年没)のガラスの飾箱シリーズもオリジナルだ。絢爛豪華。飾箱というのは、もとより実用を考えたものでなく、箱という小さな世界の中に美しさを詰め込むためにあるのだろう。

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ところで、藤田氏は毎年、高島屋・三越といった全国展開の百貨店で展示会を行い、大量の作品を発表、即売していた。きわめて高額でほとんどは100万円以上である。それがどんどん売れていく。以前、展示会で関係者の方と話す機会があり、どうやってこの大量の作品を作っているのか聞いたのだが、ほんのさわりだけの話を書くと、映画であれば「日伊共同制作、監督藤田喬平」といったことになっているそうである。つまり、建築家と同じように、自分はデザインを造るところまでで、実際に意匠のとおり作品を作るのが、工房ということだそうだ。柿右衛門のような話だ。