そこそこの放送作家・堀田延が、そこそこ真面目に、そこそこ冗談を交えつつ、そこそこの頻度で記す、そこそこのブログ。
人生そこそこでいいじゃない



ピープルVSジョージ・ルーカス コレクターズ・エディション [Blu-ray]
クリエーター情報なし
ファインフィルムズ


表題の件に関して。

たとえはこの映画「ピープルVSジョージ・ルーカス」。
世界中のスター・ウォーズファンたちが、エピソード1&2&3、いわゆる「新三部作」や、CGでオリジナルを改悪したいわゆる「特別編」について、不平不満と文句をひたすらぶちまけるだけの劇場公開映画。
こんな映画が作られて公開されたという事実に裏打ちされるように、はっきり言って世界中のスター・ウォーズファンの大半は(間違いなく大半)エピソード1&2&3をクソだと思っている。
ある意味「なかったこと」になっている。
最近発売されたPS4のゲームソフト「バトルフロント」では、ゲームの舞台はエピソード4&5&6だけだったりする。
それぐらい4&5&6は良くて、1&2&3は世界的にクソなのだ。

「エピソード1のダース・モールは格好いい」とか「エピソード2のヨーダは格好いい」とか「エピソード3のオープニングは格好いい」とか「エピソード3の最後のアナキンとオビ=ワンの戦いはいい」とか、映画の一部の場面をあげて擁護する人も中にはいる。
その気持ちは分からなくもない。
だが彼らは、クソ溜めの中にガマガエルが住んでいるのを見て「美しい」と言っているようなものなのだ。
全体が映画としてあまりにひどいため、場面場面のアクション性でなんとかあの3本のクソ映画を「ちょっとはいいところあった作品だよね。だってスター・ウォーズだもんね」と思い込もうとしているに過ぎない。
コスプレをしたり、オモチャに大金はたいたりと、人生の長い時間と金を浪費して愛し続けたスター・ウォーズというものが、クソであることを認めたくない……傷つけられるのがこわい……そんな自己防衛本能から、「あそこは良かった」と思い込みたいのだろう。
ある意味被害者だ。
もうこの際だからはっきり言っておこう。
いいか!
エピソード1と2と3は、何から何まで完全にクソなのだ!!


どこがクソなのか?
あげればキリがない。
だって全部クソなのだから(笑)。
俳優への演出・演技指導がなってないとか、旧三部作とのストーリー的・設定的・時代考証的つじつまがまるで合っていないとか、キャラクターたちの行動原理・モチベーションの描き方が弱いとか、アクションシーンの全てがただアクションしたいがためだけのアクションで物語的意味が完全に欠如しているとか、伏線を張って回収するという世界の映画人が100%考えるシナリオワークの基礎を分かっていないとか……
もう話し出すとキリがないのだよ、だって全てクソなんだから。

百聞は一見にしかず。
今、エピソード1&2&3のDVDを観てみるといい。
あまりにひどくて10分と観ていられないはずだ。

最近神話学の巨匠ジョーゼフ・キャンベル博士の対談「神話の力」を読んだ。
1987年になくなったキャンベル博士は生前「スター・ウォーズ」を大変評価していた人物だ。
ルーカスもキャンベル博士の神話学に影響を受けて「スター・ウォーズ」を作ったと述べていた。
そんなキャンベル博士は1985年ごろに行われたこの対談の中で(ちょうどエピソード6が公開されたあとの時期だ)、スター・ウォーズをベタ褒めしている。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が作り出したそれぞれの神話体系は、民族や地域が限定された枠組みの中での神話体系であり、それは現代のグローバル社会では対立や戦争(他者の排除)を生んでしまう。
キャンベル博士は、このグローバル化した現代には、それに変わる「全地球的な神話」が必要で、その神話が全人類に行き渡れば、新たな秩序が生まれると考えていた。
つまり、自然を敵とみなし、自分の宗派以外の他者を敵とみなすキリスト教などには否定的だったのだ。
そして、その新しい時代の神話に一番近い神話体系を持つのは、キャンベル博士によると「仏教」だった。
すなわち、自然との調和、敵を作らず、全ての生き物が等価値の生を持ち、万物流転、諸行無常という考え方。
ガイア理論(地球が1つの生命体であるという考え方)にも近い、そのような神話体系。
そんな仏教的ガイア理論的な新たな時代の新たな神話がどこかで生まれることが、人類を次なるステージに進めるとキャンベル博士は考えていた。
だからこそキャンベル博士は、映画「スター・ウォーズ」の中で描かれた「フォース」と「ジェダイ」の高い神話性を評価していたのだ。

宇宙を1つに結びつけ、どこにでも、石と石の間にも、「わしとお前の間にもある」見えない力、それがフォース。
エピソード5でヨーダはそう語っていたのだ。
その万物の間に宿る力「フォース」を操る「ジェダイ」が、世界を平和に導く。
この神話的な要素が根底にあったからこそ、スター・ウォーズはここまで世界中で愛されたのだと思う。

ところが、「エピソード1」である。
キャンベル博士が死んでしまったあとの1999年にルーカスが作った「エピソード1」。
そこで描かれた「フォース」にルーカスは、処女懐胎という古くさいキリスト教のモチーフを今さら持ち出した。
さらに、細胞の中にミディ=クロリアンという生物が共生していて、その数が多いほどフォースが強いという生物学的&科学的な根拠をフォースに与え、旧三部作でフォースという概念が勝ち得ていた「神秘性」や「神話性」を根こそぎ奪い取って否定するという始末。
天国でキャンベル博士が泣いているだろう。
「ジョージ、お前なんにも分かってねーな」と。

この「処女懐胎」という古くさいモチーフの導入、そしてミディ=クロリアンという生物学的な設定の導入……この2つを僕は「スター・ウォーズが致命的に陳腐になった最大の要因」だと思っている。
なぜか?
2つとも「パクリ」だからだ。
前者はキリスト教のパクリ。
後者はミトコンドリアのパクリ。
つまり、今現在この地球上にあるモチーフをルーカスは小学生のガキのように完全にパクってスター・ウォーズの世界に導入してしまったのだ。
バカ以外の何者でもない。
これがスター・ウォーズの世界観を一気に陳腐化させた原因なんだよ。
おいルーカス、お前が戦犯なんだよ。

まだまだ言いたいことはいっぱいあって、いくらでも書ける。
だって全部がクソなんだから。
でも今日はこの辺にしておこう。

本当にこんなことは書きたくないのだが、ジョージ・ルーカスには早く消えてもらって、エピソード456のオリジナル版Blu-rayを発売して欲しい。
これが僕のダーク・サイドだ。




追記
最近、なりすましによるネット炎上を機に一部のアンチが僕のブログの過去記事を漁っていて、この記事がランキング上位になっています。
確かに、今読むとどうかと思う過激な表現が多かったので、一部修正させて頂きました。
2020年7月21日

コメント ( 1 ) | Trackback ( )



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コメント
 
 
 
Unknown (ATAT)
2016-01-04 17:36:10
「神話の力」は、NHKで放送された動画のほうが、理解しやすいですよ。YouTubeあり。インタビュー本は読みづらいですね。
 
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