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筑波峯(TUKUBANE)

奈良学友会(奈良大学文学部文化財歴史学科同窓会)関東支部報

 3.18 講演会を終えて

2014-03-24 22:26:24 | 日記
 3月18日、「さいたま市民会館うらわ」において奈良歴史地理の会主催の講演会が行われました。
今回は、桜井市纏向学研究センター所長 寺澤 薫先生による「纏向学」への招待ー日本国歌誕生のパースペクティヴーという講演です。
内容を簡単にまとめると、九州ぬに勢力をもっていた「イト倭国」が備前、丹後、美濃などの諸国と連合して「纏向」の地に連合国家として新たな計画都市を作った。
纏向は、今までの集落とは異なり、背後に農業などの生産地を持たない計画的に作られた都市であるということを、今までの考古学の成果を踏まえるとともに
中国を中心としたアジア史の変化の中で日本の国家の成立を考察したものです。


寺澤 薫先生

講演の中で印象的だったのは、卑弥呼が王となる前、国が乱れたとされていることについて、先生は、軍事的な争いではなく、「イト倭国」が後漢の衰退とともに、
後漢の権力を背景にした支配力が弱まり、イト倭国とは異なった墳墓を持った吉備等の他の勢力が台頭してきた。その台頭して来た他の勢力と「イト倭国」が連合国家として
集約していく過程であると説明されたことです。
今回の寺澤先生の講演は今までと異なった切り口で日本の成立を語っているだけに興味が一層わくお話でした。

講演会の阿多尾、本来では懇親会を設ける予定でしたが、寺澤先生の都合で懇親会ではなく、
(株)地研コンサルタンツ取締役事業部長 小山田吉孝氏による「三内丸山遺跡の復元について」のお話を聞きました。
小山田氏は急きょお願いしたにもかかわらず快く受けていただき感謝に堪えません。
お話の内容の中心は、遺跡にある建物をどのように復元していくかです。


小山田吉孝氏

建物を復元していく過程は、柱などが立てられた穴の地面の硬さと周りの地面の硬さを比較することで、おおよその建物の重さがわかるのだそうです。
そのあと、他の遺跡と比較し、屋根があるのか、高さは何階なのかを想定していくのだそうです。
言葉で書くと簡単なように思えますが、細かな作業や調査を通して復元されていることを知り、復元建物を作るにも多くの人の研究や調査を踏まえてということを痛感しました。
短い時間でしたが有益なお話を聞くことができよかったです。

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