138 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 創価学会内部改革派憂創同盟改め保田妙本寺その名は三船敏郎 (三船敏郎) 2010-12-01 13:30:35 原田会長へ 創価学会内部改革派憂創同盟残党より 保田妙本寺を本山とするべきと思います。正本堂御供養金返還運動の民音の松本氏の主張と同じかも知れません。富士大石寺は捏造の教団と昔から名高いことで有名だったそうです。富士大石寺の大御本尊が捏造であることはご存知のこととは思います。創価学会は富士大石寺から破門されて却って良かったのです。最近、S氏がデジタルアナライザーで富士大石寺の大御本尊が後世の捏造であることを証明されました。今までは遺文などからの推定でしかなかった富士大石寺の大御本尊が捏造であることが現代科学的に証明されたのです。それはインターネット上に載っています。未だ本にはなっていません。 自分は幼い頃から創価学会員でしたが、4年前、突然、創価学会内部改革派憂創同盟と名乗りインターネット上で活動を始めました。“うつ病”で10年前から苦しんでいました。その苦しみの果てに同時放送での池田大作の余りもの横暴な振る舞いと言動に憤慨し「この野郎! 自分を何様と思っている!」と創価学会内部改革派憂創同盟を名乗り始めました。インターネットで創価学会内部改革派憂創同盟と名乗っての活動は3年近く続いたでしょう。それから“魔”の御本尊に祈ることができないために日蓮正宗法華講に家族に内緒で入りました。1年近く続きましたが、インターネットでS氏の論文を読み、日蓮正宗法華講も良くないと思い、保田妙本寺しかないとの思いで保田妙本寺の隠れ信徒になってから一ヶ月ほど経過します。 しかし、保田妙本寺の隠れ信徒になってから6日後に“うつ病”が再燃しました。10年間苦しんできた“うつ病”は創価学会内部改革派憂創同盟を名乗り始めるとともに綺麗に消えていました。4年間、元気でした。創価学会内部改革派憂創同盟の3年間、日蓮正宗法華講の1年間、元気でした。それが再燃し現在、苦しい状態ですが、なんとかパソコンを前にしています。“うつ病”再燃は“魔”の所為と考えています。創価学会時代、10年間、“うつ病”と戦いながら生き抜いてきました。その頃、男子部のある人から「それは“魔”でも宿業でもない。使命なんだ!」と指導されました。しかし“うつ病”の酷い時、勤行唱題することは不可能でした。“うつ病”の軽い時は勤行唱題できました。日達上人の御本尊の前では“うつ病”が酷い時も苦もなく勤行唱題できることが不思議でした。スーッと軽やかにできるのです。実家の御本尊は日達上人の御本尊なのです。しかし、“うつ病”が酷い時は日寛上人の御本尊の前では全く勤行唱題できません。題目一遍唱えるだけでも大変です。不思議でした。 創価学会は現在の日寛上人の御本尊では必ず衰退して行きます。力がないからです。ただ、勤行唱題したという満足感しか得られません。また、“うつ病”などの精神疾患の異常多発が全国的に見られています。これは原田会長も分かっておられると思います。 新しく保田妙本寺を本山とするならば創価学会は再び発展して行きます。広宣流布も可能になります。今では夢空事と思える広宣流布も現実になります。 広宣流布が為されるのは時間の問題だ、と思われていた昭和40年頃に戻ることができます。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊は凄い力のある御本尊です。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を思い浮かべて勤行唱題すると分かります。もの凄く元気になります。 日寛上人の御本尊を早く全国一斉に回収することです。これは創価学会員を救うためです。日寛上人の御本尊が“魔”の御本尊であることは原田会長は分かっておられると確信します。一時的に御本尊無しの遙拝勤行になりますが、創価学会員は保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に向かっての遙拝勤行の方がずっと元気が出る(歓喜が湧く)ことを直ぐに実感するはずです。これは今までの日寛上人の御本尊を否定することになりますから大変ですが、移行期ですから仕方のないことです。 原田会長にとってこの決断は御自身が地獄へ堕ちるか天国へ行くかの分かれ道になる極めて重要な決断になります。また、300万人の創価学会員が地獄へ堕ちるか天国へ行くかの分かれ道になる極めて重要な決断になります。自分は原田会長を信じます。信じるからこれを書いているのです。信じないならば書きません。 保田妙本寺の御尊氏はきっと創価学会の本山になってくれると信じます。300万人の創価学会員を見捨てられることはされないと確信します。慈悲深い御尊氏と確信します。(補記) もう一度書きます。創価学会の再生のためには保田妙本寺を新しく本山とすることです。S氏のデジタルアナライザーでの研究および文献的研究を示し、富士大石寺の大御本尊が後世の捏造であることを聖教新聞、大百蓮華、創価新報で繰り返し詳しく説明すると、富士大石寺に流れる創価学会員は少ないでしょう。聖教新聞の大きな号外で詳しく示せば一般会員にも分かりやすいと思われます。 今のままでは創価学会は衰退の道しか残されていません。昭和40年頃の熱気を取り戻すことが保田妙本寺を新しく本山とするとできると確信します。今のままでは勤行唱題しても歓喜は薄いですから創価学会員はあまり勤行唱題をしようとしないでいます。保田妙本寺を新しく本山にすると勤行唱題しての歓喜がもの凄いですから折伏大行進時代のあの燃えるような熱気を取り戻すことができます。 池田大作が死ねば創価学会は滅んで行く、と言われていますが奇跡的に再生する方法が保田妙本寺を新しく本山とすることです。創価学会の牧口先生、戸田先生も間違われていたのです。保田妙本寺こそ正統に日蓮大聖人の御精神を連綿と受け継いできたのです。富士大石寺は昔から捏造教団と揶揄されてきていました。富士大石寺は捏造の歴史、捏造の寺であったのです。 騙されながらも折伏大行進の時代には創価学会に日蓮大聖人の御精神が宿っていました。折伏大行進の時代、創価学会が大本山であり、奇跡的な病気の治癒などが起こっていたのです。しかし、折伏大行進の熱気が薄れて行くとともに日蓮大聖人の御精神は創価学会から次第に去ってゆきました。しかも池田大作という大魔神の出現により悪鬼が創価学会に怒濤の如く流れ込み、創価学会員に不幸なことが立て続けに起こるようになりました。それとともに折伏大行進は止みました。折伏大行進は言論問題とともに止んだことになっていますが、実際には池田大作という大悪鬼が悪鬼を創価学会に怒濤のように雪崩れ込ませ創価学会員に不幸が立て続けに起こるようになって折伏ができなくなり、自然と止んでしまったのです。 保田妙本寺を本山とすると創価学会員に功徳が満ち溢れ、折伏が自然に進んでゆきます。折伏大行進のときのような仕事を投げ出しての努力無しに折伏がどんどん出来るようになります。創価学会がどんどん大きく成ってゆきます。そして夢空事と思われていた広宣流布が達成されます。民衆救済が現実のものになります。(また、補記) また、書きます。これこそ最後です。 創価学会が保田妙本寺を新しく本山とすると創価学会は蘇ります。昭和30年40年頃の創価学会に戻ります。あの熱烈な情熱に満ちた創価学会に戻ります。そして今度こそは広宣流布を達成できるでしょう。 民衆救済が実現します。日蓮大聖人御遺名の民衆救済と広宣流布が実現します。 人類の滅亡と繁栄を創価学会が握っているのです。 池田大作批判は徹底的にしなければなりません。池田大作が創価学会を間違った方向へ引きずってきたのです。池田大作が書いたことになっている本は実際の作者名に変えなければなりません。 池田大作の悪を徹底的に露呈し、創価学会から池田大作の名前を無くしてしまうのです。池田大作を神様のように慕っている創価学会員が余りにも多すぎます。池田大作は大魔神であった、池田大作は永久に無間地獄に堕ちた、と本部幹部会で大声で叫んで下さい。 聖教新聞、大百蓮華、創価新報は池田大作批判で埋まるようにならないといけません。池田大作の影響をすべて創価学会から払拭することです。池田大作の悪を一つ残らず書きつらなければいけません。 池田大作が大魔神であったことは創価学会中枢部の人ならみんな知っているはずです。原田会長は特に知っておられるはずです。大魔神に乗っ取られてきた創価学会の悲しい歴史を無知な末端の創価学会員に知らせて下さい。 号外もたくさん必要と思います。「大魔神=永久に無間地獄に堕ちた池田大作」を創価学会員全員に納得させるべきです。池田大作は神様ではなく大魔神であり、悪鬼を怒濤のように創価学会に流れ込ませ、創価学会員を次々と不幸にしてきた、それ故に永久に無間地獄へ落ちたことを創価学会員全員に納得させるべきです。 池田大作が創価学会に悪鬼を怒濤のように流れ込ませ、創価学会員に不幸が次々と起こるようになったこと、創価学会員が幸せになれなくなったこと、広宣流布を頓挫させたのは池田大作の醜い欲望であったことなどを創価学会員全員に納得させて下さい。 では、宜しくお願いします。ccc998@infoseek.jp創価学会内部改革派憂創同盟改め保田妙本寺その名は三船敏郎 返信する 長文でのコメント傷み入ります。 (探玄) 2010-12-02 22:59:06 三船さん、その他富士門流の方にも言えることですが、是非法華宗本門流の教学にも触れてください。知恵ある人は必ずや「目から鱗が落ちる」でしょう。日隆聖人は隆門では大聖人の再来とされた方で、その教学は至宝です。元ネタは富士門流由来ですが、残念ながら日隆聖人程の学才を持つ僧侶が富士からは出ませんでした。富士は後世可笑しな教学を作って仕舞いますが、ほんとは富士も始めは隆門を見習っていたのです。その証拠に細草檀林には当初その頭に京都本能寺から学僧が招聘されました。隆門の教学は非常に精緻かつ理に適ったものです。私は思うんですが何故この素晴らしい教学が紹介されないんだろうか?と。・・・石山教学など今では他宗からの笑いものです。昭和40年代の日本は学歴の低い庶民がその信者の大半でした。みんな信じちゃったんです。「これが唯一の法門だ!」という言葉に。でも鰯の頭も信心からで、正味功徳もあったんです。(法理的に「信」から功徳が発動するように日蓮さんの法門は出来上がっているからです。)しかし、今その鍍金は剥がれました。功徳が出ないのは、これがために「信」が薄れたことに原因があるものと思います。カルトでない、本物の法華教学を是非学んでください。それと池田氏云々ですが、あれはオウムの麻原と同じです。人寄せパンダみたいなものです。S学会の優れた幹部は利用しているんです。何はともあれ、本当の法華信仰に目覚めて欲しいと念願する次第です。 返信する T本の後継者のT本君 (竜野朽夫) 2012-08-09 22:56:08 探玄さま旧T本は獄中ですが、その弟子のT本君が最近新たに保田で暗躍しているようですが、この者の人相はどうでしょうか?http://nichiren-tokyo.seesaa.net/article/231463627.htmlhttp://nichiren-tokyo.up.d.seesaa.net/nichiren-tokyo/image/80_160_1324390405takeE3819FE38191E38282E381A8E7ABB9E69CAC.jpg?d=2011_11_15_04_47_57 返信する クワバラ・クワバラ (探玄) 2012-08-10 22:54:12 お顔がハッキリと写っていませんね。ただ直感的には悪相に変化しているかと思います。老婆心ながら、大聖人さんの法門は法脈をキチンと受けた人が関わらないと、ヤバイと思いますよ。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-02 09:53:39 探玄さん。一応、こちらのブログでも、妙本寺を取り上げられているので、コメントを入れさせて頂きますが、妙本寺は、確りと、貫主上人猊下と御弟子の在勤の御僧侶、そして開基檀越家を始めとする檀家総代の御家を含む代々の檀家の御家の方々、そして、私を含む一般門信徒衆が、それぞれの分に応じて、妙本寺並びに、妙本寺伝統の信仰・化法化儀を守っておりますので大丈夫ですよ。御先代日櫻上人の代、創価の会員が沢山来たとのことですが、日櫻上人は、掃除とかの「雑用」はしてもらったが、決して伝統の年中行事の役目には参加させなかった。伝統の年中行事の役目は、確り妙本寺の伝統を相続されている代々の檀家の方だけにして頂いた。とのこどです。その理由は、創価の会員は、創価のやり方しか知らないので、知らず知らずのうちに、彼らは「創価の遣り方」を持ち込んでしまい、妙本寺伝統の化法化儀を「破壊」してしまうためです。日櫻上人の「妙本寺の御霊宝を宣伝すれば、人は一時集まるだろうが、変なのしか集まらない。妙本寺には信心のある方だけが参詣して下されればよい」(取意)との御指南は、上記のご経験を踏まえたものと拝せられます。日櫻上人は「人類が何度か滅亡の危機を乗り越えたさらにその先に広宣流布がある」との御指南も残されておりますが、言外に「創価のように人数ばっか増えてもそれは【広宣流布】に非ず」という御意をお示しになっている訳ですね。私も、我が家系において初めて妙本寺に帰依させていただきました身として、我が家における初代の信徒として、素直に信心を致し、先祖供養を確りさせていただいております。 返信する 頑張って下さい。 (探玄) 2017-03-02 22:45:21 妙本寺さんの信者さんの中には創価の隠密も紛れ込んでいるとの情報もありますが、噂だけなのかも知れませんね。清濁合わせ飲む懐の大きいご住職とお聞きしています。石山も創価も目くそ鼻くその類いで、日本の良識ある仏法者から異端視されています。これ偏に学会を作った牧口、戸田両人の偏執した性格を受け継いでいるからと思います。他宗教からも、流石は日蓮宗門の鏡と称賛される宗門に妙本寺さんが発展されるのをお祈り致します。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-03 12:56:51 探玄さん。私の愚文への御返信、恐れ入ります。一信徒の私には、創価の隠密が御信徒の中に入っているかどうかは、判断しかねますが、そういう人に限って、信徒の人数とか、布教がどうとか、そういう物質的なことに価値基準を置いた考え方で、その点、妙本寺の元来の在り方に相容れないので、気づくと「あれっ?」という感じで居なくなる感じになりますね。この数年、入れ替わり立ち替わりそんな感じの人もいましたが、結局、ご信徒として定着せず消えていった感じですね。だから、その場だけではなく、時間を置いて、じっくり眺めていると分かりますね。御当代の御前様は、御先代のもとで、確り修行を重ねられ、妙本寺が御信徒が居ない時代においても、御先代とお二人で、年中行事を御執行なされ、伝統を守ってこられており、なおかつ、「檀那栄えば寺栄え、、、」との言葉を旨に、決して檀家の方々に必要以上のご負担をお掛けにならない御方であり、今時有りがちな、檀家さんに負担を課すブラックな寺院経営はなさっておらず、私が察しさせて頂くに、御出家為さらずに在家の身であっても、ホワイト経営をなされる経営者として、御成功なさっておられたであろうと拝察しております。御先代も御当代も妙本寺の御歴代でいえば、特に有徳人僧として知られる日永上人を彷彿とさせられます。なので、妙本寺の伝統と信仰の在り方が、今後の富士門流寺院のモデルケースとなるものと拝察している次第です。一応、私が一人でしゃばって書いてしまいましたが、取り敢えず、妙本寺について、ネット上のあれっと思うような、他者の誤認識は、だいたい訂正出来たものと思うので、探玄さんのブログでのコメントも、一応、これを一区切りにしようと思います。 返信する お世話になりました。 (探玄) 2017-03-03 21:56:14 麦茶さん、色々教えて頂きありがとうございます。大変勉強になりました。ガチボウさんと云う方が「正宗系観察日記」と称するブログを公開しています。正宗系と云うより、日蓮義そのものに対しての反駁と思います。内容が非常にすばらしいので時々見ています。麦茶さんに老婆心ながらご忠告申し上げたいんですが。それは、僧侶と云えども同じ普通の人間だと云うことです。当たり前のことが、当たり前に見えなくなるのが宗教の恐いところです。妙本寺前住職のことも、色々聞いていますが、書き込みは止めて置きますね。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-03 23:08:05 探玄さん。そのホームページ、私も見たことあります。これは妙本寺の伝統からは外れた、今のアカデミックな仏教学からの視点になりますが、原始仏教とよばれる経典といえども、南伝の経蔵なんかの聖典は、インドにおける廃仏棄釈で数度失われており、現代のパーリ語の経蔵も、ブッダゴーサが論蔵に残されていたのを拾いあげて再編集したもので、むしろ、北伝のアーガマ(阿含)の方が成立が古く、古形を残しているとされますね。その意味では、厳密な意味での、釈尊の肉声を拾い出すのは、学術的には不可能でしょう。その意味では、あのホームページの管理者の方の考察はまだまだ「甘い」と思いますね。ご忠告は有りがたくお受け致します。ただこれは前提ですが、言ってしまえば、釈尊も人間、釈尊以降の仏教者も人間。日蓮聖人も人間、以後の後継者、妙本寺の御歴代上人も人間。当たり前じゃないですか?なにも、宗教を信仰しているからって、私は人間を神格化はしません。私は、個人的には原始仏教はつまらない、ある意味現代人にとっては当たり前のことを説いている、まあ、逆に、2500年前の人物が現代人に比肩することを説いているのは凄いと思いますが。私は、人間の真髄の追究としては、寧ろ北伝の大乗仏教の方に軍配を挙げます。よくぞ、現代の心理学に比肩するような探究を成し遂げたと喝采すら送りますね。日蓮聖人の御法門、そして、妙本寺の伝統の御法門は、私個人としては、法華経系の大乗仏教の究極の最終形態であるとも拝しております。それを現代まで伝え、これからも伝えていかれる御僧侶を大事にするのは当たり前です。日蓮聖人も「伝持の人なければ、なお木石の衣鉢を帯するが如し」と言われている通りです。御先代の御前様ことをとやかく言う人間は、まあ、石山や石山系の創価脱会者の自称研究者グループの顔が浮かびますが、御先代が妙本寺門流の最長老で、御先代がご長寿を保たれ、石山から離脱する御英断を下され、磬咳に接っせられた妙本寺の御先師方々から受け継がれた妙本寺門流の伝統を御当代に伝えたからこそ今とこれからががあると思っています。宗教、ことに仏教には、人間の真髄、意識と精神の成長と進化についての記述も含まれており、そこを私は一番大事にしております。日蓮聖人や妙本寺の伝統法門の中にも、その点が含まれておりますので、私はある意味、安心して信仰させて頂いているものです。この点は、寧ろ、探玄さんも、理解は出来ない領域かと思い、触れて来ませんでしたが、探玄さんの御忠告(?)に触れて書いてみました。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-07 11:31:57 探玄さん。創価の隠密云々は、私が存じ上げている一般門信徒の方々にはいらっしゃらないと思っております。最近創価系の掲示板で、元学会僧の方の妙本寺への帰伏が取り沙汰されていますが、もし、これが事実でしたら、創価の二番煎じのごときことはせず、また走らず、ついていらっしゃる御信徒さんが、妙本寺の開基檀越家のごとく、代々妙本寺の信仰を受け継いで法統相続が自然にできますように、御善導していって頂きたいものですね。 返信する 余滴 (麦茶) 2017-03-07 21:04:34 日郷上人の御弟子の日向開山日睿上人は後信抄において「当家の法門において題目ばかりを行ずる事如何。此の事は別に申すべし。ただし秘密の奥蔵を開く、これを名づけて妙となすと先徳大師達の釈し定め給へり。其の秘密とは何事ぞや。答えて云く、我等一切衆生が妙法蓮華経にてありけるなり」と示されております。これが単に、日郷上人や日睿上人の義ではないことは、日蓮聖人自注の注法華経の第一巻の妙法蓮華経序品第一の真裏に「南岳大師の安楽行に云く、衆生と如来と同共に一法身にして、清浄妙なること比なきを妙法華経と称す」とあり、お題目の意義の一端をお示しになられているのに通じております。また類集記にはこれに付随して「本門の大旨は序品の内に含めり。抑も如是とは始め方便品より終り勧発品に至るまで、聞くところの妙法を如是と押さえたり。ことわり知んぬ。妙法蓮華経序品第一という妙法に、本迹二門の意はつつまれたりと云ふ事を。秘蔵の義なり」とあり、注法華経の第一巻の「妙法蓮華経序品第一」の真裏の注記の「南岳大師の云く、衆生と如来と同共に一法身にして清浄妙にして比無きを妙法華経と称す」とあることとの関連性が感じられ、この日睿上人の後信抄や類集記に見える御法門が、注法華経編纂完成後の身延における日蓮聖人より日興上人・日目上人への御相伝に遡源する可能性を感じさせます。それはともかく、日睿上人の御自筆によれば、本質的には一切衆生が妙法蓮華経でありますが、少なくとも妙本寺の信徒や檀家さんは、まさに師弟相対の信心恙無き時は、まさに妙法蓮華経の当躰そのものでありますので、人間、つまり信徒を自らの目的や目標を遂げるための「手段」として利用するのは、まさしく妙法蓮華経を「手段」として利用するに等しく、蓮祖聖人や日郷上人・日睿上人の御筆記に照らしても本質的には「謗法」にあたる行為と拝されます。なので、ことに富士の正嫡たる当門流の御僧侶には、親疎の隔て無く、「無縁の慈悲」に住せられ、順逆ともに来たれの御心にて、伏して御教導を賜りたいと念願する次第です。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-08 03:19:32 この文は、誤解の無いように申し添えれば、妙本寺に帰伏なされたという元学会僧の方への要望として記させて頂きました? 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-08 03:21:00 ?→×。→○ 返信する Unknown (Unknown) 2017-03-08 05:46:04 麦茶さん、丁寧なコメントありがとうございます。犀角独歩さんが摩訶一日印上人が著作したとされる「本迹体一抄」を読解された書籍を出版されています。私はまだ読んだことが無いのですが、麦茶さんは読まれましたか?犀角さんはどうも富士から身延に関心が移った感じですね。石山の大御本尊も否定していますし。麦茶さんは妙本寺さん支持ですから否定派ですよね。私は真偽に関しては余り関心は無いんですが、正宗の僧侶は信じていますね。(まあ、当たり前でしょうが)過去に政府の意向で身延と合同になった時、身延は石山の大御本尊を自山に持ち去ろうとしていた云々と、石山僧侶から聞いたことがあります。身延は本物だと分かっていたから画策したのですか?と尋ねたところ、「当たり前じゃないですか❗」と言われていました。 返信する Unknown (探玄) 2017-03-08 05:49:43 上のコメントは私で間違いありませんです。 返信する 石山と妙本寺との交流 (探玄) 2017-03-08 06:16:43 犀角さんは日有師が我本行菩薩道ではなく、如来神力品の一節を本因妙の真意と提示した点を重視し、石山の唯受一人の説に疑問を持ったそうです。それもその筈、石山教学はその殆んどが要我教学から成り立っていますし。石山は妙本寺さんからどの様にして学んだんでしょうか?麦茶さん、分かる範囲で結構なので教えて下さい。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-09 06:31:57 探玄さん。犀角さんについては、私も、妙本寺に帰伏以前に会ったことはあるので存じ上げています。まあ、犀角さんが、松本某に首ったけになった時点で、完全に離れましたが(苦笑)。実は、松本某にも、妙本寺帰伏の前の2005年ごろ、犀角の集まりに居た一人に誘われて、西山の虫払いにいった折り、一度だけ会ったことがあります。ただ松本某の其のときの「御高説」によると、戒壇本尊は当山の救護の御本尊と言っていましたが、西山の日代師の真筆が残る葦名阿闍梨御返事には「仏像造立の事本門寺建立の時なり(中略)本尊図はせれがためなり」とあるのと全く違っていましたから、寺祖と反対の事を言っている様ではこりゃ論外だということと、松本某は他者に対するコントロール願望が異常に強く感じて「この人はヤバい」と感じたので其っきりにしましたよ。私が半日会っただけで十分見抜けたのに、犀角氏は五年も、、、、まあ、外からみて、面白かったですけど。それはともかく、本迹体一抄については、こちらのブログに具体名は伏せて、私の評価を書いています(苦笑)。結論からいうと、「偽書」の可能性が高いと思います。国会図書館にもある様なので、何れ読んで確認するつもりですが、あんな高額を出して買うものではないでしょう。国会図書館で読めば十分です。石山の板本尊についても、学術的な意味で、日蓮聖人の直造とか、真筆かと聞かれれば、答えは「ノー」ですね。若い頃、妙本寺の御本尊だけではなく、文永・建治・弘安の各年代の確かな日蓮聖人自筆の大漫荼羅本尊を直拝した経験からも、板本尊には、弘安二年十月をよびその前後の特徴はなく、控えめに見ても、弘安三年五月の宗祖御本尊が底本としか見えないですので。ただし私は無下には、大石寺の信者さんの「信仰」は否定はしませんよ。私は少なくとも「カルト」信者ではないので。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-09 07:48:10 探玄さん。石山がどの様に、妙本寺の伝承を摂取したかですが、日睿上人の類集記には、「日蓮聖人御出世の御本懐の御法門を日目聖人御相承は弘安五年正月元日なり。日目上人より日郷御相伝は、元弘元年十月一日なり。また日睿此の御法門を日郷上人より相続は貞和元・三・七日午時、京都七条坊門にして相伝す。御奏聞の時なり、建武二年六月中旬に大石の寺御仏前にして相伝す。前後二度なり」とあり後信抄には「教・五字、機・我等、時・末法、國・日本、主師親。主師親の三の義に有る時、先ず二十箇条の罪業あり、又云く、宗宗に二十箇づつ、念仏真言禅三宗に六十四の義あり。四教に背くは四なり、本三十、迹三十、権三十、合て九十重の義あり、此の上に師傳に又本仏・本戒・本尊等の大事あり、秘すべし秘すべし」とあって、それが具体的には師傳としての「本仏本戒本尊等の大事」であったことが了解されます。御前様よりの御指南によると「日睿上人までは秘伝扱いであったが、その後妙本寺では公開して秘伝ではなくなった、それで興門他山でも真似た」(取意)とのことです。案ずるに、時代の進展に伴い、他門の学者もいいところまで肉薄するようになった。当家でも、日向定善寺の三代の日掟師が他門入学(隆師門か?)の結果、造仏読誦が行われるなどの乱れがあり、日向に学頭職を置きましたので、当然、学頭職の御僧侶にも此の御法門は共有されたでしょうし、隆門等の他門との交流の中で、当家の義として、当家の本因妙や三大秘法や事の一念三千等の御法門は、他門との相違を明確にするために自然と開陳され伝播したでしょう。石山との交流については、六代日時師が日目上人の弟子の一人の民部日盛師と師弟関係が確認されることから、石山の日目上人の自筆古文書の殆どは、日目ー日盛ー日時の系譜で伝えられたものでしょう。日道師も、日目上人に授与された日興上人御自筆の書写の御本尊については、日目上人から相伝されたのは日目上人へ授与の日興上人御本尊への日道師自筆の添書で確認できます。石山の土地については、妙本寺日傳上人の「相論図」によると、東坊地は、南条時綱氏から日郷上人に寄進されてますが、西坊地は時綱氏の庶兄の南条左衛門三郎氏から日行師が相続しておりますので、わずか数メートルの参道を隔てただけですから、西坊地の方が、最終的に応永年間に日傳上人が石山を退出するまでの数十年間に、東坊地の当山の化法化儀を批判しながらも摂取するのは容易かっただろうと思います。また、日要上人の著作諸御抄見聞などでは、日有師との両門の相伝法門について意見交換の記録もあるので、かなり濃厚な交流もありますね。日時師の時代も、この様な、濃厚な交流もなかったとは言い切れず、日時師が、当家の法門を摂取して、四帖見聞を作成し、十二箇条や三口一徹の相伝等と結実したものと考えています。取り急ぎ参考までに。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-09 08:20:52 探玄さん、私は、一介の社会の底辺の一労働者ですが、元ソニーの某氏より「フロー経営」を学ばせていただきましたので、人を見る目は、表面だけではなく、深層心理を含めて観るので、ある意味厳しいと思います。探玄さんも、今後の時代の流れの変化を見据え、「フロー経営」を会得されることをお勧めいたします。 返信する 驚きの一言です。 (探玄) 2017-03-09 22:02:43 麦茶さん、こんばんは。まあ、なんと。驚きの一言です。未聞の文献も提示されての妙本寺正統のご説明に、感動を禁じ得ません。是非富士門と言わず、日蓮系の信者さんには知って欲しい内容です。麦茶さん、貴方様は妙本寺さんに関しての本の出版予定とかは無いのですか?あれば、またご連絡して下さい。松本さんは元学会勤務のエリートさんで、西山のお坊さんになった方ですね。池田が学会本部に婦人部の女性を引っ張り込んで、如何わしい行為をしていたことを身延の坊さんらに席上で暴露した人です。操作性のある人とのことですが、この手の人間はランクが上がるに従って世間にはよく見かけますね。専ら女性に多いと思いますが。やり取りの中で、麦茶さんの真贋の確かさは理解しているので、松本さんは麦茶さんの見立て通りの方だと思います。犀角さんもご存知とは。この方は身延から資金援助でもして貰ってるんでしょうかねぇ?変わった人です。話は妙本寺さんに移りますが、正宗僧侶が口を濁すわけですね。知っていても言えないわけです。 返信する 僧により仏法は発現する (探玄) 2017-03-11 20:23:16 霊験修法曼荼羅と題する、永久保貴一さんが書いた漫画があります。実話をもとにしているみたいですが、よく纏まっている内容です。この漫画の一巻に師より伝授されなければ神仏と繋がることは出来ないと書かれている箇所があります。伝授の際に師より目に見えないものを受けとるとの事。この漫画の主人公は天台宗僧侶で、サイキック保持者のようです。僧侶に限らず、在家もまた師が必要です。しかも法は僧によって住するわけで、師僧が必須です。日蓮門下もご多分に漏れず、各門流の僧侶を師と仰ぎ修行することが大切です。伝法の僧侶を師としない教団は邪教です。 返信する 新たな問題 (探玄) 2017-03-11 21:20:38 法は僧に依って住すとは云え、そこは人間の性。聖人でない限り教団には色々な問題が起こるのであります。まずヒエラルキー化は必ず起こります。権力、財力、おまけに武力、統治権まで持てば、此れはもう中世に逆戻りです。かといって、創価学会のように僧侶に敵対して創価ルネッサンスだなんだかんだと云うと、仏法者として左道化します。また、学会の上層部の輩が考えているのは、共産主義と同じです。つまり、坊さんは戒律を守らん俗に等しいとか何とかいい、反乱を試み、あわよくば宗門に取って替わり、玉座に座ろうとする魂胆です。まあ、池田は52年路線で失敗し、谷川らに唆されて宗門に反旗を翻したが、逆に幹部、自身ともに仏ばつを被っている始末。 返信する 選択の理由 (探玄) 2017-03-11 22:25:26 創価学会は宗門から破門後、会員は大石寺宗門、学会に残留、妙本寺信徒、日蓮他宗門、幸福の科学等の新興宗教に分かれました。その中でも妙本寺に鞍替えした学会員は宗門史を熟知している方が多いと、ネットでも目にします。私が法華宗本門流に鞍替えしたのは、教学的に完成度が高いこと。近所にその宗門寺院があること。大本山が京都、兵庫にあり直ぐ行けること。僧侶も均一の質を保っていること(本興寺内の宗門学校での事件はショックでした)、カルトでないこと、などです。富士と比較すると、修行本尊の明確な指針が無いのが大きな欠点ですね。御本尊の前にあれだけ別な本尊を置いては何を拝んでよいか判らなくなります。私の場合、他宗にも首を突っ込みましたが、僧侶の修行はかなり厳しいですね。しかし、不思議なもので真剣に行に励んでいた在家出身の同じ修行僧なんかは、あれよあれよという間に立派な僧侶に出世して行きました。やはり、神仏が引っ張るんでしょうねぇ、エライものです。話がずれましたが、常識のある宗門に帰依するのが一番ですね。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-14 20:58:20 探玄さん。過分なお言葉を賜り恐縮です。先週、携帯が壊れてしまい、ずっと使えなかったので、ご返事が遅くなりました。私自身は、在家信徒の末席に連なっている分際ですので、妙本寺の歴史については、本にする資格はないので、素直に信心させて頂くだけていいので、本を書くことはありませんね。個人的には、御当代の御前様には「妙本寺教学史」という御著作があるとのことで、いつか、この御著作以降の御研究の成果を盛り込んだ御著書を刊行していただきたいとは念願しております。松本某は、犀角氏がmixiの日記で暴露した記事によれば、西山から立ち入り禁止を喰らったようですね。松本某は、コントロール願望や自己顕示欲が強い人間でしたから、当然の結末とも思います。松本某に限らず、創価の幹部を経験した人間は、他人をいのままに動かす快感を覚えてしまって、創価を脱会しても、それが忘れられず、コントロール願望や自己顕示欲丸出しであちこちをさ迷う様ですね。仏道修行の上からはまず、その自己顕示欲やコントロール願望を手放すところがスタートラインだと思います。私はその点、創価の男子部のぺーぺーが「最終地点」で、あの魑魅魍魎の世界に深入りすることなく2004年に脱会したので、今思えば、寧ろ幸せでしたね。先日書いた元学会僧の方の件は、先週、登山させて頂いた際、お聴きしましたところ、正式な妙本寺の僧侶になっておらず、ましてや能化云々は全くのデマとのことでした。まあ、巻き込まれたくもないので、詳細は書きませんが、そういうことでした。某国の、その元学会僧の信徒さんも、せっかく妙本寺の日興上人の御形木御本尊に縁されたのですから、その元学会僧の方におかれては、妙本寺のしきたり、つまり妙本寺の化儀をもって、信徒を善導していただきたいと、個人的には思いますね。 返信する この信心は本当に難しい (探玄) 2017-03-14 22:34:00 麦茶さん、こんばんは。丁重なコメント、ありがとうございます。しかし、大聖人の信心を筋を曲げないで実践するのは難しいですね。ことに富士門流は難しい。修行本尊がきちんと整い、真正の下種教義に近いからでしょうか。何が難しいかなんですが、兎に角人間関係を中心にノイズが多過ぎます。また、信仰を止めさせようと環境の変化も含め、不思議と邪魔する要因が出て来るように思います。富士以外の他門はそれほどでもありません。また大人しい他門流は最初から広宣流布を志向していませんしね。だからそういう処は活力の無い脱け殻みたいな教団になっていますが。これもご時世からでしょうね。過激になると日道門流になりますし。カルトもどうかと? 返信する 身延 (探玄) 2017-03-15 21:35:45 法華経に関心があり、霊験に興味があれば身延山がお奨めです。富士門徒は身延を邪宗と罵りますが、それは大間違いですね。 返信する 信仰って難しいですね (三千具足) 2017-03-16 05:24:04 探玄様、横からですが、身延の話が出たついでに、少し書き込みさせてもらいますね。我々身延の者からすると、富士門流は高度というか、若干敷居が高くて近寄りにくいという印象がありますね。その点、身延は間口が広いので、私のような世俗的な人間も気安く信心できるといった印象があります。ただ、大聖人様の信仰を、筋を全く曲げないで続けているのは、やはり富士門流なのかなと。どちらがいいのかと云えば、まぁ一長一短なのでしょうが、個人的には身延の信仰を続けながら、10月には保田妙本寺に参拝し、大聖人直筆の大御本尊様を拝みたいと思っております。そういえば、探玄様は法華宗本門流に帰依なさったんでしたね。私は東京住まいなのですが、毎年冬の訪れを告げる酉の市が盛んです。中でも浅草の酉の市が有名なんですが、この浅草の酉の市は長國寺という法華宗本門流のお寺が発祥なのだとか。明治の神仏分離で、長國寺の境内の鎮守社が切り離され、そこが鷲神社という神社として独立し、今ではそちらの方が有名になってしまいましたが、長國寺でも酉の市が行われ賑わっています。そう遠くはないので、そのうちお参りして熊手を家に飾ってみようかな、と考えています。素朴な大衆信仰も捨てたもんじゃないですよ(笑) 返信する こだわりを捨てて、お互い信心して行きましょう (探玄) 2017-03-16 05:50:36 三千具足さん、おはようございます。大聖人の仏法を突き詰めると発足当時に近い形、富士門流を志向してしまう様に思いますね。確かに富士は三大秘法に関しては蓮宗系の中で抜きん出ています。これに関しては他門も認めるべきだと思います。ただ、富士の大きな欠点は霊的な物への関心の薄さから、憑依や祓いなどの技法面が身延ほど整備されていません。稲荷もただの動物霊だと考えるくらい低レベルです。良いものはお互い見習うべきだと私は思いますね。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-16 13:29:21 探玄さん。そうですね。この法門を信仰すると、何故か探玄さんご指摘の様にノイズが発生しますね。その点、日蓮聖人が兄弟抄にお書きになっておられる様に「魔競わずば正法と知るべからず」というのは本当なんだなと体感しますね。私の場合、後天性ですが、幼児期から脳に病気があります。ただ、この病気が無ければ、妙本寺に辿り着けなかっただろうとも思いますね。健常者だったら、むしろ、簡単に慢心に陥って、ふらふら人生を歩き、真っ直ぐ阿鼻に落ち込んだことでしょう。この点、変毒為薬ということもまた、実感している次第です。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-16 13:29:21 探玄さん。そうですね。この法門を信仰すると、何故か探玄さんご指摘の様にノイズが発生しますね。その点、日蓮聖人が兄弟抄にお書きになっておられる様に「魔競わずば正法と知るべからず」というのは本当なんだなと体感しますね。私の場合、後天性ですが、幼児期から脳に病気があります。ただ、この病気が無ければ、妙本寺に辿り着けなかっただろうとも思いますね。健常者だったら、むしろ、簡単に慢心に陥って、ふらふら人生を歩き、真っ直ぐ阿鼻に落ち込んだことでしょう。この点、変毒為薬ということもまた、実感している次第です。 返信する 変毒為薬 (探玄) 2017-03-16 20:34:46 麦茶さん、こんばんは。病から道心が起こったとのことですが、私も出産時に鉗子分娩を施行され、この時目と頭を掴まれ、左目が弱視で右側頭部に窪みがあります。ですんで、長時間に亘り労働するとかなり疲れやすいです。まあ、鉗子分娩なんて、今では考えられない手技ですけどね。身体的なハンディキャップから世の不合理について考え、結果として仏法を志向しました。霊能力者にも見てもらったこともあります。今となっては半信半疑ですが、なんでも過去世は武士で弓とかを使って人を殺めた業から来てるって言われました。私は体育の成績は昔から人並みなんですが、学生の体育でアーチェリーの授業があったんですが、素晴らしいと教官から絶賛されたことがありました。初めてやったんですけどね。 返信する 池田について (探玄) 2017-03-16 21:52:36 病気が出たのでついでに云うと、私の個人的な見解ですが、池田は高機能反社会性人格障害ですね。学会員はこのサイコパスにまんまと騙されたわけです。カリスマ宗教家に多いので注意が必要ですね。 返信する 宗教を志向する前に (探玄) 2017-03-16 22:09:34 故に、現代においては宗教を志向する全段階として、精神医学、心理学、社会学、宗教史をザックリでもいいので知識として持つべきですね。調べて行くと本当に笑ってしまいますよ。池田なんか診断基準にピッタリですからね。まあ、もうすぐお迎えが地獄から来るでしょうけど。 返信する 顕密 (探玄) 2017-03-19 19:35:09 理屈を顕教とすれば、神霊関係は密教かな。日蓮系にも顕密はあります。大石寺系は大半が理屈です。対して身延系は霊験重視ですね。双方見聞して批判するべきかと。ただ、身延系の日蓮宗門がお祀りしているのが実類の天部なので、余程確りした行者さんでないと被ると思います。また、その行者の壇家さんも被るけど。 返信する 伏見稲荷 (探玄) 2017-03-19 20:08:07 私は屋敷稲荷をお祀りしています。伏見のお稲荷さんですので、お山を一周する時もあります。中腹に熊鷹社があるんですが、日蓮系のお稲荷さんとのことです。一説には日蓮聖人をお祀りしていると云われています。私個人としては日蓮系ダキニ天が勧請されていると考えています。深草に宝塔寺もあり、熊鷹大神が伏見と同様に祀られています。伏見稲荷には愛染寺が廃仏毀釈までありましたし。伏見稲荷は大和朝廷以前の先住民の神と仏教系の天部、民間のお塚信仰など複数霊脈が混ざり渾然一体となっています。 返信する お彼岸 (探玄) 2017-03-19 22:16:48 何はともあれ、お墓参りやご仏前に合掌しましょう。理屈っぽいことは抜きにして。 返信する 諸天善神 (三千具足) 2017-03-20 01:06:26 >ただ、身延系の日蓮宗門がお祀りしているのが実類の天部なので、>余程確りした行者さんでないと被ると思います。また、その行者の壇家さんも被るけど。私もお稲荷様を勧請こそしていないものの、日蓮宗大本山の鎮守稲荷の篤信者です。上で探玄さんと麦茶さんが病の話をされていましたが、じつは私も長年患っていた病を、そちらの鎮守稲荷さまに収めていただいた経緯があり、それ以降、篤い信心を捧げております。このご恩は一生忘れてはならないと考えております。ただ、寺ではダキニ天とは公言していませんが、御正体は日蓮系ダキニ天様だと思うので、具体的にどういうことに注意を払いながら、信仰していけばいいですかね?法華経守護の善神として勧請されているわけですから、法華経に対する信心を強く持つことはもちろん、何処か他の神様と掛け持ちみたいなことも避けるべきでしょうか?他に注意点があればご教示ください。いつも質問ばかりですみません。 返信する 被らない方法 (探玄) 2017-03-20 09:04:26 三千具足さん、おはようございます。他の神様と並行しての信心は全く問題はないと思います。天神さんにしてもお稲荷さんは祀られていますし。ただ、沢山祀り過ぎて祭祀がなおざりになるとヤバイんではないかと。願がかなったとのことですが、おめでとうございます。自宅の土地に社を設け、地祀りしている方法が功徳も大きいですが、壊したり移動させたりすると祟りを受ける話は沢山あります。三千具足さんの場合、自宅に社を設けていないのであれば、ご自身が一生涯尊信されているお稲荷様に信仰を捧げる気持ちと継続した礼拝でよいと思います。稲荷系は信心は一生涯貫く気持ちが肝要かと。ただ、この信心は大小何らかの形で被るんで、私達で云えば法華経の信仰で自分を護りながら信心する必要があります。密教でも護身法って云うのがありますが、あれは供養の際自身に障碍を受けないためにしますし。また、自身善き社会人として生活を営む戒を持つべきと心得ます。実は私自身、昨年戒律を踏み外して被りました。笑 三千具足さんに偉そうに云えた義理ではありませんが。ただ、被った後でもお稲荷の信仰を継続すると、不思議と助けてくれますね。 返信する 上のお願い (探玄) 2017-03-20 11:28:01 日蓮系ダキニ天で障碍を受けた場合、岡山の最上稲荷さんに外してもらう方法もあるかと。ダキニ天は稲荷系の神様でも天部なんでかなり難しいと聞いています。伏見稲荷も道理に外れたことをやらかした場合、障碍を受けるには受けるが、ダキニ天より許容範囲が広いと思います。神道系の霊脈を基本としているからでしょうか。どっちにしろ、伏見でもお稲荷さんの講に入ったり、神璽を頂いたりした場合、信仰した当人は一生涯信心するのが基本ですね。 返信する 日蓮系ダキニ天 (三千具足) 2017-03-21 22:59:30 探玄様、ご教示いただきまして、ありがとうございます。やはりよく言われるように、お稲荷様の信心は一生貫く覚悟が必要なんですね。私の場合、大きなご加護をいただいたので、このご神恩は一生忘れてはならないと思いますが、うっかりすることのないように、改めて心に刻み込みたいと思います。今は神棚にご祈祷札を安置して、朝夕にお題目を唱えている感じなんですが、これだけでも本当にご神霊の存在を感じることが出来るので、ある意味恐さも感じています。探玄様に教えていただいたように、法華経の信仰で身を護りつつ、またよき社会人として自己を戒めながら生活・信心していきたいと思います。そういえば、岡山の最上稲荷さんは非常に霊威のあるお稲荷様みたいですね。遠方なのですぐに足を運ぶことは難しいですが、いつか参拝して、滝行などもさせていただきたいと思っております。今後とも、法華経と日蓮大聖人の信仰を基盤としつつ、お稲荷様を守護神として崇めて行こうと思います。どうもありがとうございました。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-24 08:39:34 仕事が忙しく、ここ最近は閲覧のみに留まっておりました。先週の彼岸の入りの日、今月上旬に御前様にお書き頂いた御塔婆を親父の眠る当家の墓所に御立て申し上げ、心行くまで、親父の冥福と先祖供養を致しました。探玄さんの仰る様に、一般人は、宗教をする前に、確りと、医学、脳科学、また、138億年前の宇宙誕生以来の事象を記述している量子力学や理論物理学、宇宙天文学や地球の地学、地質学や古生物学や生物学、また、考古学や歴史学といった所謂る自然科学や人文科学の総論や各論のあらましは確りと把握しておかなければならないでしょう。心理学も、フロイトから始まりユングによってさらに深められた深層心理学、さらに、その進化系のミンデルの心理学や、トランスパーソナル心理学、さらにウィルバーの心理学まで把握していれば、カルトに引っ掛かることはないでしょう。トランスパーソナル心理学を紹介した故吉福伸逸氏や吉福氏と親交が深かった土井利忠氏の著述なども参照すれば、創価などのカルトに引っ掛かる可能性はかなり低くなると思います。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-24 09:35:53 日興上人の高弟の一人である三位日順師が、日興上人の意を受けて撰述した五人所破抄に「ただし、本門流宣の代にして垂迹還住の時は、尤も上下を撰んで鎮守を定むべし」とあり、日目上人の進上伊予公御房書には「日蓮聖人の法門は念仏、禅、律は謗法の故に、大小の守護の善神は宝殿を捨てて本宮に帰り給い候とこそ候へ」元弘三年の日目上人の申状に「我が朝は是れ神州なり。神は非礼を受けず。三界は皆仏国なり。仏は則ち謗法を誡む」と示されております。江戸時代までは、神社は本地垂迹、神仏習合の伝統を背景に、仏教寺院が神社の「別当寺」としてあり、その多くが、天台宗や真言宗などの寺院でしたので、謗法厳誡の上からその範疇な社参は禁じられていましたが、法華本門流布の時代は、垂迹の諸神は還住されるので、その時は、地域、つまり里の鎮守を含めてだと思いますが、鎮守を定むべしと記されています。明治の神仏分離は、日本の文化としては失われたものが多大でしたが、逆に言えば、法華本門流布の先兆のフローとも拝されます。妙本寺においては、日我上人が本地見聞抄に体系的に当家において神法門を示されておりますので、興風談所の統合システムを使える方は、ぜひ御拝読下さい。妙本寺においても、古くは鎮守堂があり、詳しくはネット上にてはセキュリティなどの問題から記述を避けますが、時代の変遷で今は、境内の外にありますが、今も妙本寺が管理する神社として現存しており、こちらは妙本寺の信徒として問題無く信仰させて頂いております。こちらの鎮守堂が前身の神社の御祭神は「本化垂迹の天照太神、八幡大菩薩」であることは特記してはおきます。なので、寧ろ、石山系の新興宗教は、こういった富士の本来の伝統を知らず、分かろうともせず、ただ単に、日本の神霊から人々を遠ざけて己義を会員に洗脳しており、こちらは日目上人の「本朝は是れ神州なり」とのお示しからすれば、やはり富士の本来の義からも外れた異流儀でしかないでしょう。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-24 18:37:43 訂正です。まあ、妙本寺が管理されている神社につきましては、「信仰」というのではなく、「崇敬」というのが正しいですね。ここに「信仰」ではなく「崇敬」と訂正させて頂きます。 返信する 大石寺 (探玄) 2017-03-24 19:48:10 麦茶さん、こんばんは。コメントありがとうございます。大石寺はお寺こそ古いですが、教義は新興宗教と同じです。あそこは創価学会と同じです。何故なら僧俗の大半が元学会員だからです。考え方も昔と同じで教義上の反省も全くありません。麦茶さんが妙本寺を選択した気持ちが分かります。言っていることは昔と一緒です。それは何か?→マネーです。話をしても寺の建物の自慢話も多いです。しかし、その建物群を見ても分かると思いますが、無味乾燥で意味のないものが多いです。重厚さを感じさせないんですね。彼処はダメです。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-24 19:51:42 追記です。富士の立義から申せば、垂迹計りを崇敬しても、本地の御本法と御本仏を受持信仰せざれば、却って神慮にも叶わざるかなというところです。 返信する 神霊 (探玄) 2017-03-24 20:22:42 霊的な側面で見る時、日本列島自体が龍体を成しています。個々に産土神がその土地で産まれた各霊魂を管轄しています。国常立命→スサノヲ命→大国主命→ニギハヤヒ命と続く系譜が正統な霊脈と思われます。土地に神がいない云々は間違っていますね。日蓮教義は天台、神道系から教義を補填していった歴史があります。これは主に身延系日蓮宗門が実践しました。簡単に謗法と片付けるべきではありませんね。簡単に云うと富士門流だけでは足りないと云うことです。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-24 20:25:28 探玄さん、御返信痛み入ります。まあ、創価等が運動として石山義(の表面)を布教した結果、人数は莫大に増えたが、歪みが現れ現代の有り様を現出せしめてしまいましたね。カネは沢山入っても、有りがちな話し、大事なものを失ってしまった。石山の関係者に大昔聞いたところでは、実際、唯授一人血脈相承とやらも、実際は、能化クラスの高僧間では内容は共有されているそうですから、その意味では、石山でいう血脈の断絶は起こらないでしょうが、法門の捉え方としては、本丸の石山よりも、石山から擯出された興風談所の所員の諸師の方が真面目で的を得ていると思いますね。以前書いた様に、日有師の聞書の法門は、日睿上人の著述に見えるものと使用される語句や概念など共通部分も多く、上代から、石山教学は、妙本寺門流の影響下にもあることが分かります。妙本寺は、御先師の遺されたものをそのまま伝えていこうというのが宗是であり、滅多矢鱈に古いものを壊すという愚はありませんね。妙本寺は、殆ど全てが文化財ですから、中には、現代の技術では残念ながら再現できないものもありますので、古来からの姿をそのまま留めて後世に伝えていくという意識が妙本寺の御僧侶にも、代々の檀家様にも、自然に意識として根付いており、私の様な新人の信徒も、安心して信仰させて頂ける場となっていますね。現代の物質や経済至上主義の世の中で、見失ってはならないものがあることを、妙本寺の御僧侶と代々の檀家様のお姿、御振舞いから学ばせて頂いております。 返信する Unknown (探玄) 2017-03-24 20:33:53 富士門の神霊に関する考えが大聖人と全く同じなのか?何ですが。→違うと思いますよ。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-24 21:22:21 神霊観については、探玄さんとは相容れないものと思いますので、敢えてこれ以上は立ち入らないことと致します。ただ、敢えて妙本寺の教学を離れて私見を記せば、日本列島の原住民は、縄文人であり、東大などの研究チームによるゲノム解析によると、縄文人のDNAを尤も色濃く遺しているのは、北海道のアイヌ民族の方々と琉球の方々であることが分かっています。本州、四国、九州のいわゆる大和民族は、縄文人と渡来系弥生人との間の子ということですね。つまり、大和民族(天孫族を中心とする)が東征によって、日本列島の原住民である縄文人を侵略、虐殺、あるいは征服し、或いは北に追い上げていったということが、大和王権が確立する以前の史書に残らない歴史だったことになります。ある方々から聞いたところによると、縄文人ーつまりアイヌの一部の伝承では、大和王権がアイヌの怨念を封じた場所が日本列島各地にあり、その怨念を封じたのが、日本真言宗の開祖弘法大師空海上人であったとのこと。近年、あの東日本大震災以降、その封が解かれつつあるとのことです。私は、私見では、探玄さんのように大和民族の範疇で型の如く大和民族の神々を祭祀するだけでは不完全で、縄文晩期以来、虐げられた縄文人ーアイヌ民族の方々の御魂を浄化する必要もあると愚考しています。私も、これからは、微力ながら、妙本寺様にもお願いして、御塔婆供養などを通じて、過去の日本の先住民族の方々の御魂の浄化を御祈念させていただこうと存じている次第です。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-25 11:54:08 昨日の探玄さんの富士の神霊について、日蓮聖人と違うと思いますとのご意見にだけ返答しておきます。慶林日隆師の出身の像師門には、神国王御書の御真蹟が現存しているので、恐らくそれを念頭におかれているものと思います。ただし、神国王御書は、建治の御筆であり、宗祖の最終見解とは言い難い。富士に御真蹟が現存する弘安三年十二月の諫暁八幡抄には、鶴岡八幡宮の火災に託して善神捨国が述べられており、こちらが最終見解と言えるでしょう。では、地上に神は居られないのか?については、正直の法華経の行者信者の頭に宿ると示されておりますね。妙本寺十四代日我上人の化儀秘決の鎮守堂での回向文に「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。本法守護の諸天善神、殊には本化垂迹の天照大神八幡大菩薩、如世尊勅当具奉行の誓約に任せ正直捨方便の信者の頂きに還来帰家し冥覧を加え受持の者を擁護し」云々とお示しになられている通りで、富士のそれは、高祖日蓮聖人の最晩年の神祇観に基づいているのは確かでしょうね。 返信する 大聖人様の神祇観 (三千具足) 2017-03-26 06:52:34 >麦茶様私のような浅学が横から口をはさむのは誠に恐縮の至りなんですが、少しだけ私見を述べさせてください。大聖人様の神祇観については「善神捨国」ということが云われていて、特に富士門では神祇を拝さない、いや正直の法華行者には宿る云々という議論が繰り返されているようですが、基本的には立正安国論に示された神天上のお考えでしょうね。立正安国論は最後の最後までご講議されていたわけですから、このお考えに変わりはないでしょう。ところが立正安国論を上梓した後、龍口の法難の際に、大聖人は鶴岡八幡宮において八幡神に加護を訴えているわけです。八幡神に加護を訴えたのは、八幡神が法華経守護の善神であることに加え、土地の神であるからでしょう。そこから大聖人様は地上に神が居られることも感じておられたことがわかります。この辺りの矛盾をどう考えるかですが、ここは論理的な解決はできないのではないでしょうか?ちょっとオカルトめいた話になってしまいますが、霊感や感応の世界の話になると思うので、おそらく議論を百回繰り返しても永遠に解決できないでしょう。ここが日蓮法門が結束できない最大のネックでしょうね。結局、大聖人様の本当の真意は、弟子達も最終的にはわからなかったのではないでしょうか? 返信する 論理と感応 (三千具足) 2017-03-26 07:05:18 >麦茶様よく他宗の僧侶や仏教学者から、「日蓮の言うことは矛盾が多いので、あまり信用できない」などと指摘されますが、確かに字面だけ見ると矛盾している点も多々あるように思われます。しかし、大聖人様は論理を突きつめた上で、論理を超えた世界にも身を置いておられたのではないでしょうか?そもそも法華経自体が、論理的に哲学を語っただけの経典ではないですから、感応の世界というものも大切にするべきかと思われます。宇宙的に見れば、21世紀の現代でも、論理的に解明できていることなんてほんの少しですからね。もっとも、感応だけに偏るとすぐに道を誤りますから、重々注意をしなければなりませんが… 返信する 解釈について (探玄) 2017-03-26 14:18:31 三千具足さん、コメントありがとうございます。国土に神様がいてるのか、いないのか?なんですが。土地に神霊が居つくのは現証として巷に溢れています。例えば、歌舞伎座のビル工事に伴った、大御所歌舞伎役者の死亡や事故。井戸なんかも祓いもせず、そのまま埋めたら主が急死した。社を破壊してから家族に不幸が絶えない。道路の真ん中に岩があるが、あれを触ると作業員が怪我をする。将門塚なんか典型でしょう。それが善神か悪神か?ですが、神様は両面を持っていると考えるべきかと。崇神天皇が三輪の大神の祟りに悩まされた話も有名です。しかし、今では山王さんとして天台宗の守護神ですし、奈良の大神神社はスピ系の人気スポットです。国土を捨てるとする考えは、聖書に出てくるソドム、ゴモラの住人まで倫理観が堕ちないと適応するべきではないと思いますね。誤った考えを改心させるために守護を一時期放棄するなら分かりますが。高度な霊能者は一様に産土神の存在を認めています。まあ、科学的に実証は無理ですけどね。延喜式に載っている古社を訪ねると、もういらっしゃらないのかな?と思う社もあれば、バリバリ居てるやんと感じる社もあります。 返信する 大聖人様 (探玄) 2017-03-26 15:17:51 確かに矛盾した記述はあります。蒙古が日本を滅ぼすとか言っていたが、台風で全滅したじゃないか。或いは、今だに広宣流布出来ていない。などなど、さかしらに言い立てる学者、他宗僧俗は多いです。神道家の大石凝真澄美は大聖人を神人とし、日蓮が居たから神風が吹いたとしています。また、身延系の祈祷では大聖人に信心を置いて祓いをします。それで霊験があるわけですから、何をか況んやであります。著作に矛盾があるのは、対機説法は古来より僧侶が布教する時の方法です。さまざまな賢愚、身分の人に法を説くわけですから矛盾も生じると思いますね。広布なんですが、鎌倉時代に大聖人が出現しなかったら、日本の仏教の大半が浄土教義に侵食されて今日に至っていたと思います。日蓮という敵がいたからこそ、浄土はまともな教義を再構築したわけです。大聖人の悲願は「仏心は私達の中にあるんですよ。他所にはないですよ。」と法華一仏乗をお題目を根本にして示されました。日本の住人で南無妙法蓮華経を全く耳にしたことがない人は余り居ないんでは? 返信する お題目派 (探玄) 2017-03-26 15:27:11 何処かの法華カルト寺院は板本尊を三大秘法としていますが、あれはおかしいですね。法華信者がお唱えするお題目が根本でしょう。 返信する 戸田城聖について (探玄) 2017-03-26 15:52:11 戸田城聖を非常に尊敬している人もいますが、ハッキリ言って、戦後の法華カルトの元祖です。人間って一番にならないと気が済まないのかなぁ。戸田が講演で何と言ったか。世界広布でお題目は日本と同じ南無妙法蓮華経と唱えるか、別の言い方にするかは私が決めるって言ったことがありました。俗人が口を挟む領域ではないんですね。狂信的で天狗の萌芽は既に牧口、戸田で完成されていたようです。最後にサイコパス池田でとどめです。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-29 22:10:06 日蓮聖人の最終見解としての氏神観としては、諫暁八幡抄に「何なる氏神ありて無尽の功徳を修すとも、法華経の名字を聞かず一念三千の観法を守護せずんば退位の菩薩と成りて永く無間大城に沈み候べし」とある通りだと思います。内房の女房が氏神詣でのついでに身延の日蓮聖人の許に参詣された時、仏を先にせず神を先にするとは何事か!と内房の女房を追い返していますね。ただ、日興上人の本尊分与帳には、日興上人の申請によって、「新富士の神主」つまり浅間神社の神主さんに宗祖から大曼荼羅本尊が授与されてますから、神道そのものは謗法視はされてないのは分かりますので、まったくの神祇不拝でもありませんし、内房の女房も、身延の参詣の後に氏神詣でをする分には、許容されて居られたであろうと思います。これらの例を案ずるに、有縁の神社、つまり氏神や産土神くらいは、確り日蓮聖人の法華経や門流の法義への信仰の確立を前提に、日本(大和民族)の惣氏神の本化垂迹の天照大神に摂して、崇敬はしてよいものとは拝察します。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-29 22:27:53 親鸞聖人の浄土和讃には「久遠実成阿弥陀仏、五濁の凡愚をあわれみて、釈迦牟尼仏としめしてぞ、迦耶城には応現する」とあり、久遠実成釈尊は実は阿弥陀仏そのもので、インド出現の釈迦牟尼仏は、その垂迹であるとする見解が示されますね。ネット上の記事では、日蓮聖人の名前で書かれている「臨終起請文」が、身延や中山の「相伝書」とされているとのことで、もし、事実なら、身延山や中山が久遠実成の釈尊を本仏に位置付けていることと、何らかの関連性があるかもしれませんね。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-30 08:02:17 題目の位置付けですが、日郷上人の御弟子の日睿上人の類集記には「諸仏内証五字なり。色心不二」とあり、日我上人はこれを土台にされてか「人界応同の色体は如如の境、久遠名字の妙法蓮華経の心法は自受用智なり。此の色心体一なるを無始色心本是理性妙境妙智といひ、自受用身といふなり」と示されておられます。日睿上人の使われる語彙で表現すれば、諸仏は久遠無作の一仏に収束されますから、久遠無作の仏身の内証の五字の大曼荼羅本尊が仏法の根源の一法であり、その教主の久遠無作本仏が一仏でここに仏法の根源としての一仏一法が浮かぶでしょう。その久遠無作本仏とその己心内証の五字を信じて唱える題目が、衆生からみれば本因「下種」の口唱の題目ですから、便宜的には、本門の本尊たる久遠無作仏身の内証の五字と本門の題目である本因下種の五字は、三大秘法として論ずる時は、一応、たて分けるべきでしょう。故に、現在の石山の様に全てを物体としての板本尊に帰着せしめるのもどうかと思いますが、探玄さんや通日蓮聖人門下でいう意味での衆生が唱える題目が三大秘法の根本であるとも、私は言えないとは拝察しています。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-30 08:15:50 探玄さんの戸田城聖さんへの評価は、的を得てますね。まあ、創価は、富士門流を攪乱するために、第六天魔王が送り込んだ「存在」といえるかもしれません。妙本寺の信徒としての眼から見れば、その創価の呪縛を乗り超えて、本来の富士門流の信仰と化儀に辿り着けるかどうか、そこに信心の厚薄の分かれ目があると思います。 返信する Unknown (Unknown) 2017-03-30 10:43:24 個人的には、久遠実成無作三身というも、色相荘厳の姿で顕してしまうと、台家や親鸞聖人あたりの久遠実成阿弥陀仏になってしまう。なので、富士門流では、これを応仏昇進の自受用身、迹中の本として斥けて、日蓮聖人の読経のお姿をもって、題目の教主の本因妙の釈尊の御尊形を示されたのであろうと拝察しています。 返信する Unknown (麦茶) 2017-03-30 16:57:38 この無記名のコメントは、私、麦茶の投稿です。失礼致しました。 返信する 横スレ (探玄) 2017-03-30 22:29:04 三千具足さんの質問に横スレを入れてすいませんでした。麦茶さん、コメントありがとうございます。相変わらす、理知的で正論を述べられていらっしゃいますね。貴方様はホント崩れないタイプなので、いつも感心、否!感嘆して内容を拝見しています。お題目の件ですが、事の一念三千ですから本尊も必要ですよね。板本尊崇拝の様に物質を第一とする考えは外道ですが。大聖人の三秘は神道系で云えば、自拝法に当たる方法かと。伯家神道はこれですね。本尊は鏡でしすからね。身延系なんかで妙法曼荼羅をむき出しに掛けっぱなしにしてますが、あれはおかしいですね。格納出来るようにしないと。神鏡と同じですからね。 返信する 無作三身 (探玄) 2017-03-30 22:47:20 私も御本尊の直下に厨子入りの大聖人像をお祀りしています。意義は麦茶さんの説明通りかと思います。ただ私の大聖人像は左手に経巻を持った座像ですが。御本尊と大聖人像の祀り方は非常に意義深いんですが、創価のアホは「フェイク」なんかで人形だと言っている。情けない話です。 返信する 祀り方 (探玄) 2017-03-30 23:02:35 この祀り方は昔の大石寺も行っていたはずです。造仏で批判された要法寺も妙本寺と同じかと。西山本門寺は大聖人像の裏に御本尊ですが、昔は要法寺や妙本寺と同じ形体の祀り方だったと思います。御本尊直下に三宝尊や単体の仏様、はたまた四菩薩を並び立てる祀り方より、シンプルで意義深いと思いますね。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-01 23:38:07 妙本寺においては、日蓮聖人の御影木像の後ろ(背後)に御本尊を御掛け申し上げて、化儀の上においても人即法・法即人として人法体一と拝することを徹底しておりますね。日要上人は、日要上人御口伝や御書見聞抄の一文を要約すると「要付と云う事は、但だ経巻を手渡したる事には非ず、釈尊の十法界を人界の一界に付属して、日蓮と似同凡夫し玉ふ処を要付とは云うなり」と示され、同じく日要上人の雑雑聞書には「本迹非迹とは十界の当体妙法蓮華なる処の全体より人界の一界に日蓮聖人と垂迹し玉ふ処を迹と云うなり。然れ共、是れを本迹非迹と云うなり」とも示されて、「釈尊の十法界」(この場合の釈尊とは、通日蓮聖人門下の久遠実成の釈尊=台家や親鸞聖人が言う久遠実成阿弥陀仏ではなく、室町時代に成立する富士の相伝書類に久遠元初自受用身と整理される釈尊)「十界の当体妙法蓮華なる処の全体」と人法一体の深旨を示されておりますが、その「釈尊の十法界」「十界の当体妙法蓮華なる処の全体」より人界の一界に日蓮聖人(本因妙の上行菩薩)と垂迹するところの人即法・法即人、本迹非迹の意義も含めて、妙本寺門流では、日蓮聖人御影尊の後ろに大曼荼羅本尊を御掛けして化儀の上からも徹底して両尊一体の御本尊と拝する伝統を伝えております。 返信する 堕落論 (探玄) 2017-04-01 23:57:03 昔、学生の時に坂口安吾の堕落論を読んだことを思い出した。きっかけはネットの記事でしたが。衝撃的な内容とくだらない内容が雑ざり合っていて、結局くだらないと当時は結論づけたけど。しかし、いい文句はあるもんだなぁと、サイトで見て思いました。人間は堕ちるべき存在云々は、本当にそうだと思いますね。しかし、太宰と違って生き抜くことこそ大切だと言っている人生観が良いですね。 返信する 仏 (探玄) 2017-04-02 00:49:27 法華の真意は凡夫をして仏道に入れ、悟らしめることにあります。大聖人は法華の本尊は色相の仏でなく、妙法五字、七字とされたのも凡夫具備の仏身を宝塔に見立てられたものと推察致します。当に人無くして法は無く、法無くして人は無いものかと。人智では所詮六道輪廻が関の山なんでしょうね。小説家の文面もこれを越えるものではないと思われます。ただ、仏(如来)と仏(凡夫の仏心)とでのみ能く究められるんでしょうね。 返信する 密教 (探玄) 2017-04-02 06:45:34 真言密教は正と邪があり、正統な真言は人を利するが、邪法の密教は当に外道の法そのもの。護摩壇に自分の血を注いだり、ドクロに変な物を塗りたくったり。それでも験があるのか、西行法師が山中でのあまりの寂しさに耐えかねて、反魂の術で自分の連れを作ったらゾンビが出来上がり、吃驚して逃げた話もあるし。兎に角呪い系が非常に多い。水俣病で責任を問われたチッソの偉いさんも呪術で殺されているし。大聖人が邪法と斥けた意味も分かりますね。 返信する 降りて来ている神 (探玄) 2017-04-02 07:05:53 大本神諭でも四つ足云々と言ってるが、今地上に降りて来ている神さんは蛇神、狐神の姿を呈してるそうな。私の母に蛇神の土地神さんが取り付いたことがあったが、あまりのパワーに涙😢、涙😢でした。いにしえにいらっしゃった神さんより、かなりランクは下がっているのに凄い力を持っています。 返信する 正宗系観察日記について (探玄) 2017-04-02 10:49:33 正宗系観察日記で五時八教について批判がありました。まあ、現代の仏教学の標準的な考え方なんですが。要は天台が自己判断で、仏教自体後世の創作でしょと云う初期条件で論を進めています。私は修道論者なんで、彼等の論には異を唱えるものです。日本に白隠と云う偉いお坊さんがいました。彼は五時八教を肯定してるんですね。カショウ尊者から続く師匠より許可された禅宗の悟達上人は白隠以降数代は正師と考えます。彼等によって保証されているんですけどね、天台の教えは。 返信する 論理の矛盾 (探玄) 2017-04-02 11:00:10 正宗系観察日記の論理矛盾は、まず日蓮の悟りを証明した師匠がいないと苦言を呈している。そして修道論で事を進めるかと思えば、現代仏教学で批判している。要は日蓮教義自体意味を成さないという前提条件ありきなんですね。バットマンに出てくるジョーカーを載せていますが、このサイト管理人の心を投影しているかのようです。 返信する 余滴 (麦茶) 2017-04-03 22:23:07 妙本寺十一世日要上人の顕仏未來記見聞には、「一ヶの御相承に云く、寿量の体の三身、また用の三身と遊ばす。是れ即ち久遠本示されてなり。久遠の本とは久遠の題目なり。此の妙法蓮華経を修し行ずる方は迹なり。此の本迹をば本迹非迹と云々」この久遠本迹の迹に当たる「此の妙法蓮華経を修し行ずる方」とは、三大秘法稟承事聞書には「又云く、寿量品の本尊とは本因妙の聖人の御事なり。戒とは法・壇とは国土なり。題目とは観心の教相なり」と当時妙本寺に伝わっていた日蓮聖人の御遺文を示されている所の「本因妙の聖人」ですね。日要上人の一代大意抄見聞に「過去本因妙の本仏、一身多身一多自在の徳を備えて自由三昧の利益を施したまふこと、本因本法の御慈悲なり。さてこそ唯我一人にておわしますなり」つまり過去本因妙の本仏とも示されているところでもあります。十四世日我上人も観心本尊抄抜書に「高祖御在世の日は本因妙は本、日蓮は迹なり。滅後は日蓮は本、木像の御影は迹なり。また草木成仏・総体の地涌・己心開眼の時、本御影なり」とお示しですね。このように、御影尊を拝する上においても、妙本寺御歴代上人のお示しにおいても、このような重々の伝承があり、創価や自称研究者の創価崩れの人々などが、我等妙本寺門徒を揶揄するところ「お人形信仰」云々は、見た目の一分を誇張して揶揄した不誠実な暴言に過ぎませんね。探玄さんの御指摘の様に、妙本寺門流の影響でしょうが、日興上人門流の他派においても、御本尊の御前に日蓮聖人の御影尊を御安置して、人即法・法即人を表す化儀があった様ですね。 返信する 訂正。 (麦茶) 2017-04-03 22:28:41 久遠本示されてなり。❌久遠本迹なり ○ 返信する 自己で感じる (探玄) 2017-04-04 20:16:08 正しい信仰をしている目安があります。まず、背部が暖かくなることがあります。これは自分に付いている霊体が喜んでいると判断します。また、歓喜した思いが身体の中から沸き起こる感覚は、自己の魂が喜んでいると判断していいでしょう。大聖人の仏法で例えるなら勤行、正しい折伏を行うと現証として発現するようです。顔つきも柔和になり、顔色も良くなって薄ピンク色を呈したりします。15年くらい前迄の学会員はまだこんな人相の方も居たんですが、今は本当に少なくなりました。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-04 23:18:07 正宗系観察日記さんは、まあ、たぶんというか、私の想像ですが、過去に石山系(日道師系)の新興教団あたりの人から例のごとき折伏を受けてしまったのでしょう。なんで、自己防衛として書き綴っておられるのでしょう。まあ、気持ちは理解出来なくはないですね。ただ、探玄さんの仰るように、はじめに前提結論ありきなんで、結局、読み物としても面白くないですね。インド学の学者さんの日蓮聖人に対する評価としては、「蓮と法華経」の著者の故松山俊太郎先生による評価が、的を得たものと存じます。私は故松山俊太郎先生の法華経講義も聴講させて頂きましたが、ご生前、「妙本寺さんは立派なお寺ですから、これからも真面目に信仰なさって下さい」との御言葉を頂戴したことがありました。勤行してると、背中が温かくなるのはたまに感じますね。なんでだろうと思っていましたが、そういうことだったのですね。 返信する 故松山老師 (探玄) 2017-04-08 21:29:23 麦茶さん、こんばんは。貴重なコメントありがとうございます。故松山老師は知の巨人として有名な方ですね。松山師が妙本寺さんを認めてらっしゃると云うことは、日蓮教義にも詳しかったと云うことでしょうね。日本での知の巨人に南方熊楠を挙げないわけには行きませんが、彼の仏教観は今一つ分かりにくいですね。真言宗の教義と華厳の借り物のような気がします。一方、松山師は法華経の真髄に迫った論を展開していますね。妙法蓮華経に南無する一点なんかは富士の文底秘沈を知っていないと分かりませんからね。混沌とした宇宙に有無定まらないが思考可能な物質が誕生した。その物質は性種を持ち仏になる可能性があった。ある時、その物質は宇宙の成り立ちが妙法蓮華経だと確信するに至った。ひいてはそれが自身にも内在していることに気付き、内観することで、また他の物質にも性種があることを働きかけた。そして最初に遂に悟達し、最初の根源神となり、仏となった。量ることも不可能な過去から脈々と伝えられた秘密教こそ、法華経なのかも知れませんね。浅井円道師は法華経を乗種に重きを置いているとしています。観に必要なものは見本となる対象ですからね。法華経は観の対象そのものを比喩的に説いた経典なので、素人うけしないし、読みにくいのかも。 返信する 悟り (探玄) 2017-04-08 22:07:27 天台と大聖人の教義の違い。天台は基本、自分が観行即(禅宗でいう見性)の位から化他行に重きを置きますが、大聖人の仏法は名字即から自行化他を行います。法華経の表面は天台が解説した通りです。しかし、一重立ち入って読むと、天台より前の修行が必要のはずです。それが天台では明記されていない。法華経の常不軽菩薩品にはその方法が説いているが、これとて名字の行とは説いていない。何故なら不軽菩薩は観行即から化他行をしています。天台は瞑想で性種に種まきされた行者を対象にしますが、大聖人は薫習なき凡夫を対象にしています。 返信する 三宝 (探玄) 2017-04-08 22:21:13 仏教に三宝は必須です。何処で身延系の学者は富士の究極の仏を法身仏か?と疑問を呈しています。三宝は熟脱と下種の2種類に立て分けるべきですね。身延は日蓮教義の根源である下種論に、熟脱教義を持ち出すから話がややこしくなるわけでして。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-09 21:32:54 探玄さん、松山俊太郎先生は特定の信仰は持たれておらず、無宗教の方でしたが、松山先生の祖父の茶人・松山吟松庵氏の晩年の住居と思われる「残月荘」が妙本寺のある今の千葉県鋸南町吉浜にありましたので、ご幼少の砌、そのご縁で、何度か妙本寺の御霊宝御虫払い法要かなにかの行事の時に妙本寺に参詣されたことがあった様です。つまり、妙本寺とも、多少なりともご縁はあったということですね。松山俊太郎先生は、立正大学の小松邦彰先生の日蓮聖人御遺文講義を聴講されておられたので、日蓮聖人の御遺文にも通じておられて、法華経の原初的な真精神を発現された宗教者としての日蓮聖人を、松山俊太郎先生は高く評価されておりました。松山俊太郎先生いわく、「釈尊の真説なるものは、遺された仏典から取り出すことは不可能だか、日蓮聖人のお書きになったものは御真筆が沢山残っていて、日蓮聖人の教えは分かるから、日蓮聖人を信仰されることは結構なことだと思います」(取意)とご生前伺ったその脈絡での先日お書きした御発言(取意)を頂いたと記憶しております。松山先生も御幼少の砌、多少なりとも妙本寺と御縁があり、松山俊太郎先生の法華経講義を聴講した私も、縁有ってその妙本寺で日蓮聖人の法華経を信仰させて頂いているので、縁の不思議さを感じずにはおれませんね。 返信する ご縁 (探玄) 2017-04-10 00:08:52 麦茶さん、こんばんは。素晴らしいご縁をお持ちで羨ましい限りです。また、私もネットを通じてですが、貴方様から色々とご教授頂いているご縁に感謝しています。不思議と昔から僧侶や寺関係の方にはご縁はありましたが、本当にありがたいことです。日蓮教義を独学で突き詰めることは至難の技で、松山師が僧侶から教授されていたと伺い合点がいきました。松山師が日蓮教義を高く評価していたにも関わらず、無宗教だったのは宗教という枠組みに囚われるのを嫌ったためでしょうか? 返信する 仏縁 (三千具足) 2017-04-10 06:05:17 探玄様、おはようございます。ご縁というのは本当に不思議なものですね。私も池上本門寺の長栄様を信仰し始めてから長年の病が治り、そしてちょうどその頃に探玄様のサイトにご縁をいただいていろいろと教えていただき、更には麦茶様という博識な方のお話しを伺うことが出来たことは、法華経信仰を深める上で非常に有意義なことでした。故松山俊太郎先生の「蓮と法華経」はもう絶版になっているのですかね?ぜひ入手して読んでみたいと思います。日蓮聖人の真意というのは、日蓮法華の信者でもなかなか掴み難いものですが、松山師の著作を読んで少しでも大聖人様の真意を掴みたいと思っております。 返信する 同じ日蓮信徒同志ですから (探玄) 2017-04-10 20:12:38 三千具足さん、こんばんは。教えるなんてとんでもない、此方こそ色々と学ばさせて頂いています。時々のコメントありがとうございます。麦茶さんは教学もさることながら、信仰心も強盛なので、私自身得るところが沢山ありました。富士の日蓮信徒は本当に凄い学識と信心を持っている方も多いんですが、偏った考えを正義と思い込んでいる方が多数いてます。まあ、私も昔は偏った部類の一人だったんですけど。他宗を見聞してみて、これではアカンと思った次第です。結局、ただの日蓮信徒に戻っただけなんですけどね。(笑)本当に日蓮教義は簡便ながら非常に深い哲理を秘めています。この法に物心つかない頃から親しんでいたのに、値打ちが解らなかった期間が惜しまれてなりません。若い方たちには偏狭な考えを捨てて、日蓮教義を学び弘めて頂きたいものです。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-11 11:55:12 三千具足さん、こんにちは。松山俊太郎先生の「蓮と法華経」ですが、既に絶版なので、Amazonなどで入手するのが良いと思います。これは、日蓮聖人の宗教から離れた、現代仏教学の視点ですが、春秋社刊のシリーズ大乗仏教によると、中央アジアのキルギットで発掘された法華経梵本は、般若部の経典やアパダーナ文献、根本説一切有部の戒律文献とともに発掘されたとのことで、考古学の成果から見た場合、法華経や般若経などの初期大乗仏典の成立を担ったのは、どうも根本説一切有部の部派内の一部の学派ということの様ですね。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-11 21:45:51 誤解を招くといけないので、補足しますが、現代の仏教学でいうと、大乗仏典が成立する前夜は、いわゆる部派仏教の時代で、この時代、成仏出来るのは、釈迦仏と弥勒だけに限定されてました。仏弟子は阿羅漢止まり(原始仏典にはゴーダマ自身阿羅漢を称していた)というものです。こうした思潮の中で、ゴーダマへの回帰と、ジャータカやアパダーナを踏まえて新たな仏伝の創成を通じて、新たな形で仏教を提示したのが、大乗仏典ということだと思います。摩訶般若経には「二十九年」法華経涌出品には「四十余年」大集経には「十六年」とあり、これらの経典の編纂者間には、なんらかの横の繋がりががあったように思います。で、天台の五時八教の教判ですが、天台の教判はトータルで考えますと、大乗仏典の編纂者の意図を充分に生かしたもので、北伝仏教の教判としては、ベストであるというのが、私の捉え方ですなお、唱題ですが、サッダルーマプンダリーカスートラの第二十一章の「ダラーニー」の章には「この法門のただの名前だけでさえも受持するであろうところの[説法者たち]」とあり、これがダラーニーの章にあることから、「この法門のただの名前」=題目を受持し、なおかつダラーニーとして唱える信仰形態もサッダルーマプンダリーカスートラつまり法華経編纂時からあったものと拝察しております。なお、ペトロフスキー本の法華経梵本の冒頭の法華経讃頌には「諸仏のアグラ=ダルマ(最高の法)を授けるサッダルーマ=プンダリーカ」とあり、サッダルーマ=プンダリーカつまり題目が、法華経の教主の名号としても使用されているのは大変興味深いですね。これらのことを踏まえて、私は妙本寺の伝統教義も全分信仰しつつ、なおかつ、日蓮聖人の宗教が、法華経系の大乗仏教の正当な最終形態であるとも信受している次第です。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-13 08:27:10 三千具足さんが松山先生の「蓮と法華経」をお読みになると、返って混乱されるかも知れないので、先回りして、現代の仏教学の見地からの見通しをカキコしました。紀元前後のシルクロード開通にともない、いっしょくたに小乗と大乗のそれぞれの仏典が入ってきたので、中国の仏教徒はそれをどのように統合するか苦心したので、「教相判釈」が盛んに行われて、百花繚乱の様相を呈しましたが、天台智者大師の出現により、無理なく、北伝仏教の経典や教理が、法華経の下に統合されましたので、北伝仏教の教相判釈として、天台の教判が至高のものであることは動かないと存じます。日蓮聖人は、日本に伝来した北伝仏教の一切経や論・釈ならびに関してその行法、また仏教以外の宗教の教理や修行法を研鑽され、法華経の本門を中心に、三世諸仏が凡夫にて御座せし時、成仏のために修行した仏法ーつまり本因妙の一法一仏を追究され、法華経の色読を通じて、化法・化儀として、確立・建立されたということで、その意味で、日蓮聖人の御法門は、仏法の始まりであるとともに、北伝仏教の極意(Ωオメガ)でもあると信受しております。天台では、爾前と法華経の円体同と法華経を超八の円教と位置付ける二つの潮流がありますが、日蓮聖人は御真筆の一部が現存する焼米抄に書かれたように、超八の円教としての法華経を採り、下種仏法を建立されました。妙本寺に現存する日目上人筆の「寂持房抄」では、宝地房証真の著作が検討されており、証真の爾前法華の円体同の立場に対して、超八の円教としての法華経に立脚して下種仏法を建立した日蓮聖人の御義から、それを批判し、当家を明らめる作業が行われていたことが窺うことが出来ます。私は、もちろん、日蓮聖人の御義を信仰してますので、爾前法華経円体同には与せず、超八の円教としての法華経、そして、日蓮聖人が建立された本因妙に立脚した下種の法門、さらに富士の立義、妙本寺伝統教義を信奉させて頂いておる次第です。 返信する 日蓮仏法は難信難解 (探玄) 2017-04-16 16:33:36 島地大等師が天台(法華)の真骨頂は五時八教よりも三種法華にあると語られたそうです。大聖人が世間に出てこられたのは、証真没後50年以上経ってからです。法華の研鑽は大聖人が比叡山で学問されていた当時、開花期を迎えていたようです。本因妙の思想も当時取り沙汰されていたものと考えます。大聖人が打ち立てられ下種仏法は法華の玄底、極理ですから。大聖人と同時期の学匠で下種仏法の根っこ部分を理解していた方はいてたようです。天台の静明師もその一人かと。三大秘法を確立したのは大聖人唯一人の独創なので、それ以上の追究は難しいですね。まあ、信じるしかないというか? 返信する 観法 (探玄) 2017-04-16 17:10:07 法然上人は念仏を唱えるのと、阿弥陀の観心を比較した場合、功徳が大きいのはどちらか?と弟子に問われました。法然上人は言下に阿弥陀の観心と答えられたそうです。三大秘法も対象の無いお題目より御本尊具備はより色も勝ると考えていいかと。唯、御本尊の中身が今度は問題になるんですね。それを追究すると石山の物質主義に左道化するし。ただ言えることは、大聖人の内証を表現された筆法の曼荼羅がベストかと。この点、石山、要法寺、妙本寺はいいですね。目て見て、口に唱え、イメージする。また、御本尊に合掌、礼拝、供養するなどは波羅蜜の各要素を含み、厳然たる仏法の形式を備えています。大聖人は摩訶止観に精通していたそうで、日興上人が弟子になる決意をしたのも、止観の講義に感銘したのが動機と聞いたことがあります。 返信する 御本尊 (探玄) 2017-04-16 17:31:18 日蓮仏法の御本尊は大聖人の内証である、久遠実成無作三身を表現したものでないと。従果向因、因果倶時がポイントかと。ご内証ですから余計な上人の書き込みをしてはいけないんですね。しかし、これが非常に多い‼だから分かっていないんです。三大秘法のなんたるかが。(偉そうにスイマセン 笑) 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-17 22:53:31 以前も書きましたが、さる元チベット密教の僧侶で、現在臨済宗をされている方の講演会に行った時、数十年ぶりにチベットを訪れると、昔ながらに、伝統を頑なに守っていた寺院は、僧侶も信徒も元気で、寺門が繁栄・繁盛していたが、近代の仏教学を取り入れた寺院は、跡形も無く、無くなっていたとのこと。信仰心は、大脳新皮質の働きではなく、脳幹などの深い部分に関わる働きだと思われます。論理的なもっと言えば詭弁学派的な学問で大脳新皮質が優勢になると、寧ろ、生きる力が弱まるようです。世の中で有りがちですが、学校のお勉強は大変成績が優秀だったが、いざ社会に出ると実務で「使えない」人間だったりするのと同様で、やはり、近代仏教学で考えるよりも、無意識の部分を担当する古い脳を活性化させ、生きる力を鍛える昔ながらの宗教の修行法などは、僧俗ともに頑なに伝統を守るのが賢明です。なので、私は、日蓮聖人の教えも御当代の御前様の御指南も代々の御前様の御指南も、妙本寺の化法化儀をそのままに信仰させて頂いております。先日、御講に参詣しました際、お聞きしたところ、代々の檀家様のお家におかれては、妙本寺の化法化儀に則り神棚をお祭りしているとのこと。私も、代々の檀家様と同様に妙本寺の化法化儀に則り神棚をお祭りしようと存じている次第です。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-17 23:17:00 御本尊につきましては、日蓮聖人が新尼御前御返事に「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給」と端的に示されておられるように、出過三世の久遠の昔から秘法として「心中」に所持されておられたと示されておりますから、この御文から拝せば、石山みたく即物的な信仰に陥ることはないと存じます。「因果倶時」は、日向開山日睿上人の類集記にありますから、当体蓮華の御法門とともに上代からの相伝法門の一つだと思います。富士門流においては、「受持一念信本因、口唱本果」とも伝わっておりますね。 返信する 日顕上人の曼荼羅について (探玄) 2017-04-18 21:03:30 私が思うに学会幹部の罪深いところは、正式な形で寺から御本尊を頂いた学会員らに、本物を捨てさせニセ本尊を持たせたことだと思います。これはやっちゃあイカンことでしたわ。話は変わりますが、日顕さんの御本尊ですが、お形木でもよく出来た御本尊と個人的に思います。また、各門流に伝わる筆法も学んでいたんではないかと思います。それくらい理に叶った書写でし、また達筆です。しかし、以外と人気が無いんですね。おそらく学会らが言う血脈相承を受けていないとする触れ込みが原因だと考えます。これまた私の個人的な考えなんですが、日顕さんは血脈相承を間違いなく受けていると。誰からか?お父上である日開上人からです。儀式は抜きに内容を伝授されたと考えています。天台宗でも父子の相承の歴史がありました。また、あったとしても公には出来ませんが。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-18 23:53:00 日蓮聖人の御法門としては、三種法華観は、現存御真筆などの確かな文献には見えないようです。上代では要山日大師が三種法華聞書を残しておられる位でしょうか。妙本寺十一世日要上人は「開目抄は境母実相の辺を遊ばし、観心本尊抄は慈父の報身の方を定判し玉ふ。自余の御書は此の両抄のふところより出たるなり」としめし、また、開目抄を教相、観心本尊抄を観心と示されております。開目抄では、「一念三千の法門は法華経の本門寿量品の文底にしつめたり」と示されたのみですか、観心本尊抄では、冒頭に摩訶止観の一念三千の依文を載せて、日蓮聖人における寿量品文底の一念三千の何たるかを示されており、日郷上人の御弟子の日睿上人は、「我本行菩薩道の時、十界・十如・三千の妙理を得たまいし後、五百塵点を経たり」妙法五字の一念三千」「本門の一念三千はただ此の五字」と示されております。2ちゃんねるの某板で、妙本寺所蔵の文永十一年十二月の万年救護の大本尊の御示書(一般に言う御図顕讃文)を日郷上人が書き足したものだと、随分乱暴なことを主張する人物がいるようですが(犀角氏の盟友?)、実際拝すると分かりますが、他の日蓮聖人の御真筆を拝しても分かりますが、日蓮聖人の御文字で、御讃文も日蓮聖人の御真筆です。妙本寺の御本尊や古文書は既に、立正大のほか、学術調査を経ており、万年救護の御本尊も、日蓮聖人の御真蹟であることは確定しておりますので、三千具足さん、ご安心下さい。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-19 00:09:30 90年代までは、私の住んでいた地域の創価の会館の御本尊も、大石寺六十七世の阿部日顕師の直筆の大幅の御本尊でしたね。それも、かなり早い時期に、あの日寛師の曼荼羅に手を加えた変造曼荼羅に変えられてました。日顕師が、御尊父の阿部日開師から石山の相承を授けられていたかは解りませんが、大昔、石山の関係者から聞いた話では、石山の相承も、実は能化クラスの高僧間で共有されており、日顕師も石山の高僧の一人として、相承を受けて居られたであろうことは確かだど存じます。その意味で、創価や顕正会などの石山から派生した異流儀団体の主張は、妙本寺の信者である私が言うのもなんですが、「的外れ」ですね。 返信する 謗法 (探玄) 2017-04-19 20:59:51 私の従兄弟で絵がとても上手いのがいました。彼は学会員だったんでが、日顕さんを中傷する漫画を会館で展示していました。私も見に来いと言うので行ったんですが、本物そっくりに書いているのに驚きました。と同時に、嫌な胸騒ぎを感じました。暫くしてその従兄弟はバイク事故で腕を骨折しました。母が何度も病院に見舞いに行き、私に言ったのが「謗法が原因やなぁ」と。まあ、これは罰の話。同じ従兄弟の話なんですが、従兄弟は正式に寺院でご授戒も受け、御本尊も持って信心していました。先の話よりかなり前になるんですが、母親が癌になりかなりヤバイ状態になった時、恃むからお題目を唱えてくれと懇願したそうです。始めは躊躇っていたんですが、息子の熱意に根負けしてお題目を唱えるようになったそうです。(実家はバリバリの真言宗です。)結局亡くなったんですが、その死相が輝くばかりに美しかったそうで、親戚一同「こんなに綺麗な顔は見たことがない」と感嘆したそうです。私の母親もびっくりしていました。私は仕事で火葬の最中にやっとこさ到着したので見ていませんが。 近親者であった本当の話です。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-20 00:09:36 いわゆる「臨終の相」の件ですが、私の父は数年前に高齢で死去しましたが、死去の一ヶ月前くらいに主治医の医師から、親父の余命を宣告され、その際、延命治療をするか、「自然に任せるか」を主治医に決断を聞かれましたが、知り合いの方が、御尊父の延命治療を選択をした結果、スパゲティー状態で、苦しみながら御亡くなりになったのを知っていましたので、自然に任せる方を選択しました。人は亡くなる直前に脳内麻薬物質が分泌され、自然死の場合、苦しまないようになっている様です。親父に、亡くなる十二時間前に、生前最後の面会をしましたが、親父に話かけると、親父は朦朧とする意識状態でしたが、私を見て、私に向かって合掌してました。死に目には間に合いませんでしたが、親父のみ魂に向かって、「八十六年間お疲れ様でした。こんな私を育ててくれて有難う御座いました。」と感謝の言葉を述べました。親父は草創期からの創価の会員でしたが、私の創価からの脱会を許し、妙本寺への入信もお前が信じるのならそれでいい。と認めてくれた人でした。臨終は、看取った医者に聞いたところ、苦しむこともなく潮が引いていくようにスーっと呼吸と脈が無くなっていったとのこと。臨終の相は、半眼半口の相でしたよ。医学的には、いわゆる脳内麻薬が充分に分泌されたので、穏やかな最後を迎えられたものと考察しています。妙本寺で、回忌の御供養をさせて頂いておりますが、親父のみ魂も、成仏していることと思っております。不思議といえば、 私は元来霊感などはない方なのですが、数年前の御開山会の時、御堂で堂内がピカッと不意に光るなどの現象を私は感じたのですが、その年の前年、御廟所が台風で一部被害があり、日郷上人の石塔のあった場所から、日郷上人の骨壷が発掘されて、その御開山会の時に限り、御堂にお出ましになり、参詣の御僧俗一同、御報恩の御題目を捧げました。その際、上記の様な不思議な現象を感じたので、日郷上人が御来臨遊ばされ、御影響遊ばされたのだと、しみじみと感じました。なので、今も、日郷上人は妙本寺を見守られておられると拝している次第です。私も、日郷上人の御照覧に恥じない信心をこれからも続けていく決意でおります。今年は仕事等の都合で御開山会には参詣できませんが、帰宅後、御報恩謝徳の御題目を唱えさせていただく所存です。 返信する 三大秘法とは何ぞや? (探玄) 2017-04-23 22:09:45 三大秘法とは何ぞや?私が思うに、自心に仏心を根付かせる観法ではないかと。一念三千とは自心の妄心であり、彼方此方と定まらない。仏である本来の私。を覚知する方法。 返信する 妄心 (探玄) 2017-04-24 18:42:13 人間は己心を観想しても、法理,法力の備わった対象が無いと仏に成れない存在なんですね。まあ、そこに師弟の意義や血脈の必要性があるんでしょうね。 返信する Unknown (探玄) 2017-04-24 21:01:53 本来、仏である私。仏である私の原点。私が仏になるために成すべきこと。ー法華は本門で真の十界互具を説いていますが、一挙に従果向因と従因至果も説いています。こんな経典は法華経にしかありません。唯、他経が価値が低いか?なんて私は思わないようにしています。密教経典なんか素晴らしい内容です。また、阿弥陀経など浄土経典は日蓮教義に非常に近い教義です。日蓮教義は素晴らしい内容ですが、学会や正宗みたいな宗教の見方は私には無理ですね。 返信する 見性と見仏 (探玄) 2017-04-25 06:02:42 禅宗は悟りを座禅に求め、ヨガの精神統一から自己本来の仏性を発見しょうとします。天台止観も同様です。しかし、心は常にさざ波のように揺れ、漸くたどり着いたかと思えば、8識の暗黒蔵だったりします。大海原に舟をこぎだしても、目標となる灯台があればかなり楽なんですね。仏像、経典を用いて精神統一した方が楽に行けるように思います。所謂、見仏を主眼とした観法がこれに当たります。真言宗は複雑な所作が多分にありますが、見仏を中心とした観法です。難しい様で、実は行いやすいんです。三大秘法も見仏を中心とした観法です。骨子としては念仏と真言の教義を混ぜたものになっています。 返信する 日蓮義の本家は妙本寺 (探玄) 2017-04-26 22:51:27 改めて他宗門の論を見て鑑みるに、大聖人の真義を伝えたのは保田妙本寺の日郷上人で正解のようですね。その真義が時代を経て他門に拡散したようです。まさに、麦茶さんの言うとおりでした。それにしても、びっくりです。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-27 04:48:05 三大秘法は、日目上人の元弘三年の申状に「仏滅後二千余年の間、正像末の三時流通の程、迦葉・龍樹・天台・伝教の残したもう所の秘法三つあり。所謂法花本門の本尊と戒壇と妙法蓮花経の五字となり」とあり。日郷上人の弟子日睿上人の自筆の著作には「本仏 本戒 本尊」ともあります。三位日順上人の「誓文」には「幸いに値い難き妙法に値うことは一眼の霊亀の浮木に値うがごとし。本因直達値遇の縁は此れよりもなお甚だし」とあり、法華経本迹や種脱相対、四重興廃から入らずに、本因妙に直接直達するということもあった様です。日蓮聖人の行忍抄に「釈に云く本初は是れ寿量の因」ともありますか。、本初つまり仏法の根源を「寿量の因」つまり本因に定め、その本因妙における三箇が仏法の根源における三箇となるということになると拝察します。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-27 09:42:20 探玄さん、その様な御結論に達せられましたか。他宗家にご縁の深い方で、そこまで至れるのは逆に吃驚です。日睿上人の類集記には「本尊問答抄。日蓮上人と天台大師と相違分明なり。上人は末代悪世の一切衆生は五字を本尊とすべしと云々。天台大師は法華三昧にて法華経一部を本尊と定め給へり。彼は広、此れは要、天地の相違なり。天台大師迹門弘通の時は、一心三観の観念なり。本門至極の観念は無作三身なるべし。一心三観一念三千玄々たる理観に及ばざる一切衆生を五字の要結にて抜かんがためなり。理観の上の重なり。止観には心法妙を釈し、文句には仏法妙を釈し、玄義には衆生法妙を釈し、迹門には加様に愚癡の衆生の観じ難き様に釈し、下機の衆生は理観の機に非ず。然りと雖も末法今の時は心・仏・衆生の三を合して九法妙なるを妙法蓮華経と名く。此の五字をやすやすと唱うべき時節なり」とあります。また「諸仏の内証五字なり。色心不二」ともあります!日蓮聖人の御義としては、類集記の文字をそのまま読めば、本尊の五字と本門至極の観念の無作三身は不二ということですね。ここら辺が、正像に勃興した諸宗とと末法の当家との観念の相違ですね。 返信する 法華の真義 (探玄) 2017-04-27 19:39:39 麦茶さん、こんばんは。日蓮義の真義が保田妙本寺にあることを力説されたのは、斯く言う貴方様では?私は唯、貴方様から教えられたことを反芻して結論に至っただけです。宝石の様な真義の文面が貴方様から当ブログに紹介されました。これらをヒントに他の日蓮各門流の諸師、学者の論、時間軸を会わせて比較すれば、まさしく保田に軍配が挙がりますね。本流は保田妙本寺で、傍流は大石寺と考えます。天台に関しては日隆師が理路整然と異目を論じているので迷いはありません。唯、天台の円体同の考えに対する執着は、未だに拭いきれないですが。 返信する 本尊観 (探玄) 2017-04-27 21:28:02 今の妙本寺さんがどの様な本尊観をお持ちか分かりませんが、石山と同じなら苦言を呈して置きます。石山の本尊観は日蓮大聖人と釈尊に差を付けすぎです。修証は因果を表し、本来不二のはずです。了因を本義とする宗旨ゆえに、本因を尊ぶ意味で大聖人に偏向するのは分かりますが、種勝脱劣の主張が甚だし過ぎますね。種脱一双が正解です。修証は本来不二ですから。それは法華経が全体的に貫いている部分でもあります。 返信する 仏に成る種 (探玄) 2017-04-27 23:42:08 依義判文で云えば、我本行菩薩道です。寿量品にこの経文が書かれていることが味噌です。これにより、真の修証不二が解き明かされました。久遠の釈尊はそもそも貴方自身であり、厳然と貴方自身に鎮座ましましています。既に証果を得ている上に、他方衆生救済の働きを志、耐えず働きかけています。これを信じ、行動を起こす人を菩薩といいます。法華経は修証が常に一体で、果を肯定して、直に利他行を志向し、行動を説いています。仏と自覚し、菩薩行を行う、仏界から9界に、果から因に。頓中の頓です。元初、久遠の名字即だから偉いんではないです。既に仏と覚知した上で、菩薩道を行う。この本覚の中に始覚の菩薩道を踏まえた行動ある信心こそ、仏の種と考えます。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-28 19:10:46 妙本寺の教義について、ちゃんと知りたければ、直接、お手紙なりで妙本寺のご僧侶にお聞きになられて下さい。まあ、妙本寺は大石寺や大石寺系の在家教団のような、非常識な布教は一切せず、広宣流布の暁まで、日蓮聖人の仏法の化法化儀を、僧侶在家それぞれがそれぞれの分に応じて継承し、守り伝えていくのが宗是です。それ以上でもそれ以下でもないですね。種脱一双ですが、日蓮聖人の御義には加様な考えは見られず、あくまで日隆師辺りの己義の範疇でしょう。妙本寺の信徒の私は同意しないことは、申し上げておくことにします。 返信する Unknown (探玄) 2017-04-29 15:02:05 種脱一双は石山、妙本寺以外の日蓮他門流が是としている教義の見方です。日隆師だけではないんですよ。麦茶さん、ここは大事なところですよ。種勝脱劣みたいに考えたら、因位が上で証果が下になります。そうか学会が日蓮仏法の外道と他門から白眼視されていた教義のひとつです。修証不二は法華経全体を貫く教義なんで、隔絶した見方はあり得ないです。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-29 19:22:36 「種脱一双は妙本寺・石山以外の日蓮門下が是とする教義」私が言わんとしているのは、名字初心の凡夫位において、妙法五字の受持の一行のみによって、まさに「法華経の故に杖木を蒙りて忽ちに妙覚の極位に登らせたまいぬ」(日蓮聖人・南部六郎三郎殿御返事)つまりこの名字即極の成道を遂げるという意味での修証不二ならばわかるし、それを下種即脱とか種脱一双と表現するならばわかります。この本因妙凡夫即極の釈尊が本仏で第一番の成道とし、法華経の寿量品に現れる通途の意味での久遠実成の釈尊以下の三世の諸仏は第二番以下の垂迹化他の仏して結縁の衆生に種熟脱の三益を施されるというという意味合いで、本地垂迹で理解すべきところを、他の門下は、本果を名字即極の釈尊ではなく、法華経寿量品の文上の久遠実成の釈尊を持ってきてしまうので、それは、日興上人・日目上人が継承した日蓮聖人の真義からはずれてますよということですね。そこの捌きがつかないから、いつまでも堂々巡りになりますね。 返信する Unknown (麦茶) 2017-04-29 19:41:13 観心本尊抄に「我等が己心の釈尊」とありますように、本因妙凡夫即極の釈尊の己心の無始の仏界を「我等が己心の釈尊」と表現されてますね。十界の聖衆また然りです。なので妙本寺のご僧侶の御本尊の廻向文には「法華本門寿量品文底秘沈、久遠本因妙下種の本法、事の一念三千、人法体一、末法万年一切衆生救護の大本尊、敬白総名同体の具謄本種の十界の聖衆、久遠実成釈迦牟尼仏・証明多宝如来・本化四大菩薩、、、(以下省略)」とありますね。また、妙本寺門流の古文書には日蓮聖人胎内の十界の聖衆という表現もございます。そういう意味で、当家と他門との違いがよく理解できますね。探玄さんよりの学恩には感謝申し上げます。 返信する 了解です。 (探玄) 2017-04-29 23:05:42 麦茶さんへ。 そのご説明でしたら納得です。貴方様のおっしやる通りですね。失礼しました。 返信する 妙本寺さんを手本に (探玄) 2017-05-01 05:52:25 大聖人の正当な教えは日興上人に伝えられました。御本尊の書写一つを見ても、富士門流と他門流とでは大きな違いがあります。日興上人の正当な教えは日目上人に伝授されました。更に目師から日郷師に伝授。(興師、目師の血脈を記載した書は要法寺の日辰師も確認済)室町期に入り日蓮教義を纏める作業が各門流で興りました。日隆師は各門流に八品下種の教義こそ大聖人の真意と宣揚しました。富士の日要師らはそれを確認するため隆門に学びました。各門流に比べて精度の高い教義でしたが、大聖人が下種の法主と云う一点が欠けていました。また、八品は神力品を尊びますが、富士は寿量品の文底祕沈こそ肝心な教えと理解していたので、ここはスルーしました。故に、八品と要法寺の共通の部分は受け入れ、かつ八品は綺麗に纏まっていたので、よい部分は取り入れました。(つまりは、今の興門流は四条流も受け継いでいることになります)これを日我師が更に纏めました。 返信する 訂正 (探玄) 2017-05-01 05:58:30 上の八品と要法寺は→八品と妙本寺 返信する 訂正 (探玄) 2017-05-01 20:15:40 妙本寺の血脈譜を見たのは、日辰師ではなく日義師でした。とにかく、八品と富士の違う部分は大聖人を末法の御本仏と純粋に見れるかどうかの違いにあるようです。富士が大聖人を仏と見れた源泉は本因妙抄、百六箇抄にあるようです。山川智応師は勿論のこと、浅井要麟師をはじめ、学者を問わずボロクソです。斯く言う私も否定派だったんですが、最近よくお題目を唱えているせいか、中に書かれてある根本的な教義は本物ではないかと思うに至りました。後世の加筆だらけの書物ですが、真面目に信心をしてこれらを読むと凄く心に響くんですね。不思議です。 返信する 成仏はたもつにあり (探玄) 2017-05-02 18:53:06 日蓮仏法を保つのは難しいですね。大きく分けて外的要因と内的要因の2つです。外的要因ではこの信心は前にも言いましたが、何故か邪魔が入ります。信心を妨害する力が必ず外から入りますね。身内からも反対されたりします。また、団体の分裂や離反などで正法を捨てさせたりします。次に内的要因ですが、法華経にこの経はたもち難し、僅かにたもつだけでも諸仏は歓喜する旨説かれています。法華経は自分自身が既に仏であると自覚した上で、菩薩行を志向する境地を説いています。五欲にまみれた自身を既に仏と考えることが先ず難しいんですね。私なんかいつも自己矛盾に苛まれます。自身を仏と信じられるかです。御書に阿仏房宛で宝塔、多宝仏と想いなさいとの大聖人の御指南がありますが、私は宝塔をイメージしています。 返信する Unknown (麦茶) 2017-05-02 20:14:08 妙本寺において、日蓮本仏観を「教義」として明確に体系化し確立したのは十一世日要上人ですが、両巻血脈を使用せずとも、少なくとも日蓮聖人の本地の上行菩薩の本地を久遠の本仏と拝する伝統は上代にはあったと拝されます。日向開山日睿上人のお書きになった日記二十余冊を土台に、九世日安上人の要請により、日向妙円寺日穏師が纏めた日睿縁起①本には「建武二年六月十五日、大石寺の本尊の御前において相承」とありますが、日睿上人の直筆が現存する「類集記」には「建武二年六月中旬に大石寺御仏前にして相伝す」ともあり、日興上人の御消息などに見える「仏」が、日蓮聖人の御影像を指す可能性が高いので、大石寺の「仏前」「本尊の御前」は、日蓮聖人の御影木像の御前において(この御相伝の時、御影尊の後ろに救護の御本尊が掛けられていた可能性も否定出来ないですが)の意味合いで、日郷上人時代の大石寺は、日蓮聖人の御影像も本尊格として御安置していたと思われるので、日蓮聖人の御影を法華本門大曼荼羅とともに御本尊として御安置する化儀は(源清長起請文の例も考えても)上代まで遡るものですね。類集記には「大上人に三の義まします。一には父母。二には主君。三には師匠。御入滅以後は此の義失いぬるか。しからず。上人に三義まします。一切衆生の戒師・定師・恵師。彼れ此れ六義あるべし。人法おのおのに人にをいて主師親、法にをいて戒定恵の六を上人具足し給へり」とあり、三位日順師の著作における「所図の本尊は聖人の己証」の記述とともに興味深いものがあります。日要上人の四信五品抄草案私には「門流の口伝に云く、戒・定・恵の三学とは、様もなく三身の修因なり。はたまた実義を尋ぬれば、主・師・親の功徳に結帰するなり」と興味深いお示しもございます。 返信する Unknown (麦茶) 2017-05-02 20:32:12 富士が日蓮聖人を仏と拝せたのは、日眼女御返事に「法華経の寿量品に云く、或は己身を説き、或は他身を説く等云々。東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏、上行菩薩等(中略)何れか教主釈尊ならざる。天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり」深義には日睿上人の後信抄に「経に云く、或説己身とは久遠無作の仏身、或事他身とは形を九界に垂れ、種々に法を説き、あるいは神と現じ、あるいは菩薩と示現し、あるいは声聞・縁覚とも現ずるなり」とありますように、上行菩薩の本地が本仏であることを伝承していたからだと思います。 返信する Unknown (探玄) 2017-05-03 14:16:02 麦茶さん、ご教授ありがとうございます。今後は富士の流儀を基本に法華宗本門流の信仰を続けていきたいと思います。 返信する 我本行菩薩道 (探玄) 2017-05-04 14:22:26 タイトルに挙げたら経文の一節ですが、これを元初の依文としている様です。私もそうだったんですが、これは間違いですね。法華経全体を貫くテーマは仏界即九界、九界即仏界です。我本行菩薩道はこの意味で書かれていますね。ならば文の底は?なんですが、総勘文抄に即座に自身が仏と覚知したと書かれています。即ち、寿量品には久遠実成を表にして明記していませんが、仏に成る瞬間があったはずです。それを当初と大聖人は書かれています。その瞬間、一点の法こそ南無妙法蓮華経を覚知したことだと理解したんでしょうね。天台で云えば戒家に属する系譜の影響を受けていますね。弥勒が久遠実成を告げられてびっくりするのは、釈尊の過去世は通力で見透せても、宇宙法界と同じ境地に至った釈尊は解らなかったからなんでしょうね。つまり、そんな凄い宝珠を私達一人一人が持っているわけでして。本当に素晴らしいことです。 返信する 訂正 (探玄) 2017-05-04 14:30:07 挙げたら→挙げた経文本当に使いにくいスマホです。笑 返信する 日蓮仏法は正真正銘、真実の正法 (探玄) 2017-05-04 15:04:59 法華経の方便品に仏を合掌等、縁に繋がる行いでも仏に成れると説いています。しかし、真実は自身が仏と信じる心が成仏の基本教義です。これを発心と云います。しかし、その発心も正しい教えに裏打ちされた仏法でないと意味を成しません。その点、日蓮仏法は完成度が一番高いですね。特に在家には最高かと。他宗僧侶が受ける円頓戒、三昧耶戒は仏に至る戒ですが、庶民は蚊帳の外です。然るに日蓮教義は師弟とも差別なく信心できます。 返信する Unknown (麦茶) 2017-05-04 17:48:04 探玄さん、法華宗本門流の信徒のおたちばながら、富士、殊にに妙本寺の御法門にご理解を賜り、忝なく有り難く存じます。探玄さんは関西の方なので大変かもしれませんが、10月の御虫払い法要は、一般の方も御参詣可能ですので、一度は、妙本寺が伝えてきているものに触れていただければと存じます。御当代の御前様のご教示によりますと「久遠元初とは仏法の根源。惣勘文抄に釈迦如来五百塵点劫の当初凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開き玉いて後、化他のために世世番番に出世成道しとある通り、五百塵点劫の当初の凡夫地名字即極の本因の菩薩の姿であり、それより世世番番に出世成道し三千年前に熟脱のために釈迦と顕れ今日末法には下種の上行菩薩として日蓮聖人と顕れた。我が身地水火風空・因果倶時不思議の一法を悟り成道した。その因果倶時不思議の一法を妙法蓮華経と名付けた。その後、化他のために燃灯仏・大通智勝仏等と顕れ種熟脱の三益を施した。又三千年前には釈迦仏と顕れ過去に下種した衆生を調熟し、その後二千年に脱益せしめた。今末法には衆生は本未有善の衆生のみなので名字本因妙の下種の菩薩の上行菩薩日蓮聖人と顕れ不軽菩薩と同じ逆化の姿で衆生に本法を下種した」(要旨)と御教示頂きました。十一世日要上人の顕仏未来記見聞には「一ヶの御相承に云く、寿量の体の三身又用の三身と遊ばす。是れ即ち久遠の本迹なり。久遠の本とは久遠の題目なり。此の妙法蓮華経を修行する方は迹なり。此の本迹は本迹非迹と云々」「大聖は久遠の御影の垂迹なり。是れを過去本地の御影と申すなり。其の姿は過去の常不軽菩薩なり。菩薩形とは大聖の御姿なり」とお示しであり、同じく日要上人の諸御抄談義には「当門流の本意は、末法の御本尊は南無妙○経にて御坐すなり。此の五字の法体より人界に出て本未有善の衆生に下種をなしまします。されば曼荼羅にも南無妙○経日蓮判と遊ばす。是れ即ち人法一体の事行の御本尊にてましますなり。或る御書の御心に遊ばすは、此の妙○経を諸経には或は五方・五仏・五智・五陰・五大とも説く。今の経には妙○経と説けり。又別の御書に妙○経にて人の姿を作り玉ふと云々。是れが人法一体の御意なり」と示されております。「我本行菩薩道」ですが、日向開山日睿上人の本迹問答十七条に「我本行菩薩道の時、十界・十如・三千の妙理を得て後に五百塵点を経たり」また「本門の一念三千はただ此の五字なり」と示されており、「我本行菩薩道」つまり本因妙の時に本門の一念三千=五字の法体を得た事が示されています。現今の日蓮聖人御遺文研究では、とかく偽撰視され勝ちな惣勘文抄や当体義抄ですが、惣勘文抄は中山法華経寺第三世日祐上人の本尊聖教目録の写本の部に名目が挙げられ、当体義抄も日向開山日睿上人の本迹問答十七条に名前が挙げられ、当体義抄にのみに見える「因果倶時」の語彙も、日睿上人の正本が現存する類集記に見えますので、たとえ惣勘文抄や当体義抄そのものは、日蓮聖人の御滅後の成立としても、そこにみえる名字即成や本因妙にかかわる法義は、南北朝時代という時代の早さから見ても、日蓮聖人に遡源する法義、日蓮聖人晩年の法義を門下が伝えたその伝承を反映しているものであると推定することは可能と存じます。両巻血脈も、偽撰遺文ながら、そこに見える法門の「構造」(久遠名字の本因果の妙法蓮華経など)は、両巻血脈成立以前からの伝承を反映しているので、本因妙や名字即極・名字即成などの両巻血脈ね中身の法門の構造までを棄ててしまうのは、それはそれで勿体無いものど愚考しております。 返信する Unknown (麦茶) 2017-05-05 09:16:58 仏界即九界・九界即仏界ですが、日向開山日睿上人の類集記には「上行菩薩ー因果。因の内に果の義あるなり」同じく日睿上人の後信抄には「経に云く、或説己身とは久遠無作の仏身、或事他事とは形を九界に垂れ、種々に法を説き、あるいは神と現じ、あるいは菩薩と示現し、あるいは声聞・縁覚とも現ずるなり。」また、神道仏法辻合には「又いわく、皆為脱衆生或説己身或説他身 文句九云、己身是仏法界他身是九法界像 又云、是即垂形十界作種種像等云々」とあり、富士、ことに妙本寺門流では、五百塵点劫の当初の凡夫地名字即初心位、凡夫即極の本因の菩薩(本仏)にそれを拝していると拝察します。ここをもって日要上人は「本因本果の奥蔵は釈尊五百塵点の当初に凡夫の御時と遊ばす名字信心のところに沙汰する因果なり」と示され日我上人は「今の日蓮は久遠本因妙の釈尊と名乗り玉ふなり。然る時は五百塵点また今日寿量の文の上の釈尊の事に非ず。本因妙の久遠なり(中略)五百塵点の当初、釈尊凡夫地の御時と遊ばす処の釈尊なり。けにも違わす。或はまた本御影堂等と遊ばす。知んぬ。久遠本因妙の本尊と末法高祖と一体なり」等と著作に書き残されています。取り急ぎ、ご参考まで。 返信する 感謝 (探玄) 2017-05-05 21:31:39 麦茶さん、ご法恩に感謝、感謝です。コメントを見て熟慮することばかりです。我本行菩薩道は当初を含む考え方が正解なんですね。久遠仏は名字当初も久遠実成仏になってからも、常に菩薩道を行じてるわけですね。御虫払いの法要は機会を作って参加したいと考えています。妙本寺さんは貴重な古文書類の宝庫のようですね。歴史上の人物を紹介する番組の最後の字幕によく出てきますね。特に貴重な法門類は宝物ですね。間違った日蓮宗は何処なのかもハッキリ分かりますし。 返信する 九界即仏界・仏界即九界 その2 (麦茶) 2017-05-05 21:41:17 こちらは完全に富士の法門ですが、先ほど挙げた妙本寺第十一世日要上人の開目抄聞書の一文の具文は「本因本果の奥蔵は釈尊五百塵点の当初凡夫の御時と遊ばす名字信心のところに沙汰する因果なり。妙○経の信より出たる師弟なり。宗旨の大綱此の事にはしかず云々」とありますが、これは富士門流寺院の客殿の御宝前の御安置の様式につながりますが、末法においては日要上人の当体義抄聞書に「末法には仏界の頂きに住して下種を下し、日興は九界の頂きに居して下種を請け取りて衆生を利益し玉ふ。是れ即ち師弟の因果なり」と示されて、仏界即九界・九界即仏界を日蓮聖人と日興上人の師弟を以て表現することもあります。同抄聞書には「劫初に万物ありと云へども無名なり。その時に本因妙の上人、おのおの万物を見るに皆因果の二法あり。是れを妙法蓮華経と名付けるべしと云々。手をうってかくのごとく仰せらるるなり。然れば此の蓮華は久遠本因妙の時よりの当体蓮華なり。かかる処の蓮華に値ひ奉る我等衆生は悉く師は高祖大上人、弟子檀那は日興上人なるべし。然る間、上行・無辺行菩薩は日蓮日興と師弟の因果を事に顕し末世の利益をなし御座すなり。至理無名の時に聖人が万物を見玉ひて因果倶時なる処を即ち妙法蓮華経と名付け給へり。然る間、聖人は此の法を師としてと御定判あり。末法の我等衆生はかかる処の本因妙の下種を受持してひらひらと口唱し奉れば、法体にひかれて自ら妙因妙果を感得するなり」「実の当体蓮華とは久遠名字即の本因妙の妙法蓮華を日蓮・日興の師弟の事に因果を顕し御座す。是れ即ち当体の蓮華なり」とあり、日蓮聖人と日興上人の師弟子に仏界と九界を宛てて、師弟、即ち境母法身日興上人・智父報身日蓮聖人冥合の時、中央の大曼荼羅と顕れることを示されております。また、当代の師弟も、これに準じて、法門の上において、師(貫主上人)の方は高祖大上人、弟子(僧侶)檀那(代々の御檀家、また一般門信徒)は日興上人となることを示されております。このような九界即仏界・仏界即九界の拝しかたも、富士にはあることは、一応、ご紹介します。 返信する 師弟 (探玄) 2017-05-05 22:43:06 隆門では仏界と九界は釈尊と大聖人になっていたと思います。富士では人本尊を大聖人に置くので、日興師が九界を意味する配置になるんでしょうね。隆門は一仏二名を標榜していまして、釈尊と大聖人は名前こそ違え、双方とも仏と定義していますね。富士の流儀はそう云う意味で理解可能です。しかし、富士の教義は密教的ですね。昔は師のアジャリさんを弟子たちは仏と見ていたと聞きますし。今では考えられないことですけど。大聖人自身、密教のアジャリさんだったことにも影響があったんでしょうかね? 返信する 流伝 (探玄) 2017-05-05 22:54:21 しかし、他門でも大聖人を末法の仏と理解していた上古の伝書があるのに、時代を下るに従って全く違う日蓮宗になってしまったのは残念ですね。 返信する 最後は行者の観念の問題に (探玄) 2017-05-06 10:06:49 法界を観想する意味は、真言も法華もあまり変わらないですね。真言の瞑想法にも従因至果、従果向因の観想があります。勿論、日本の密教は悉有仏性を認めていますし。ただ、高度な瞑想法なので在家には適していませんが。修行に専念できるのなら、密教は外せない分野ですね。 返信する 終末に於ける信心 (探玄) 2017-05-06 18:54:15 これは個人的に感じていることなので、何なんですが。これからそう遠くない時期に、日本と云わず世界的大破局が到来すると思います。戦争、飢餓、疫病、天変地異が主な原因ですが、そう云う時代だからこそ日蓮仏法に帰依できたのが有り難いですね。 返信する Unknown (麦茶) 2017-05-06 20:44:21 日蓮聖人・法華経と密教との関連について、近年の学術的な「検討」は、春秋社刊の「シリーズ日蓮 1 法華経と日蓮」のルチア・ドルチェ氏の「法華経と密教」が参考になると思います。金沢文庫にある 理性院血脈の「日蓮」は、故高木豊氏などの説では「日蓮房重如」である可能性があるとしていますが、法諱であれは「重如」と書くのが通例ですので、やはり日蓮聖人である可能性が高いと思います。妙本寺の日月御形像(不動愛染感見記)には二十三代とありますが、故山中喜八先生のご研究では台密の方の代数とのことです。創価系の研究者あたりは日月御形像を偽作視してますが、私は毎年拝しておりますが御真筆で間違いないですね。これは私の個人的な愚考ですが、富士の仏身観では、久遠元初の自受用身が本仏、応仏昇進の自受用身は迹仏としますが、弘法大師の弁顕密二教論を読むと、自性自受用身が密教の教主、他受用身を顕教の教主としますが、これを富士の仏身観と対照すると、久遠元初の自受用身ー密教の教主、応仏昇進の自受用身ー顕教の教主とトーレス可能かと思います。つまり富士の本因妙即極の法門は、弘法大師の仏身観との対比から、法華本門の密教という側面があるのではないかと愚考もしています。私は、終末思想は採りませんが、北朝鮮が暴発すれば、現代版の西海侵逼の難となるかもしれませんね。アメリカの精神科医のブライアン・L・ワイス博士の「未来世療法」によると、今後数百年、暗黒の時代が来ると、ワイス博士の催眠療法を受けている最中の患者が語ったという記事がありますが、御先代の御前様の「人類が何度か滅亡の危機を乗り越えたさらにその先に広宣流布がある」との御言葉も合わせて考えると興味深いです。つまり、今は広宣流布の時でないので、決して創価などのような「運動」めいた方向を採らす、広宣流布のときまで日蓮聖人の仏法の化法化儀の伝持伝承を全うすべき時であるということと拝している次第です。 返信する 法華は密教 (探玄) 2017-05-06 22:43:21 寺泊御書だったと思いますが、インドの法華経は大日経も含む長大な経典だったと記載されています。天台比叡のお山には相輪塔に法華経と大日経が埋経されていますし。智証は密勝顕劣と思われがちですが、法華経もかなりの部分評価しています。慈恵も密教僧の側面が強いですが、法華経を非常に重んじています。法華経を頂点とした一大円教論こそ、日本天台の持ち味だと考えます。御本尊ですが中央のお題目は塔を表すものと考えると、密教の最極秘印は無所不至印で塔を表します。五大は金剛界曼荼羅は五大ですし。アバンランカンケン、アビラウンケン、アラハシャナは伝法の時法報応身の大日印信で先に挙げた印も伝えられます。台密の祈祷では一心三観と大日秘印も修しますね。また、不動愛染は台密に於いて心性の奥底に内在する根源を表すようですし。また、戒家の精髄を網羅している見方もできます。 返信する 個人的に (探玄) 2017-05-06 23:09:25 私の個人的な判断ですが、教義的に突き詰めれば顕密はあまり変わらないと考えています。決定的に違うのは本尊ですね。妙法曼荼羅は上手く実相を視覚的に具現化しています。特に富士系譜の妙法曼荼羅は大聖人の曼荼羅を忠実に伝承しょうとする意思を感じます。隆門の檀家として云うのも何ですが、うちの曼荼羅は中央下に大聖人→日隆師と同等に近い意味で書かれてるのもあります。気持ちは分かるんですが、此れは駄目ですね。書写に関しては身延と同レベルですね。 返信する Unknown (探玄) 2017-05-07 05:42:15 真言宗ですが、何も知らない学会員が寺に押しかけて法論したこともあった様です。きちんと勉強した真言僧侶は天台教義も学んでいます。江戸時代の学林のカリキュラムを見ると、法華三大部は教科に入っています。また、真言宗の常用経典なんかには延命十句観音経が載せられていますが、真言僧侶が天台教義を知っていた何よりの証です。延命十句観音経は時の天子様から霊空律師に、大乗経典の中で一番大切と思われる教えを呈示するよう勅命を受け、選んだお経です。白隠禅師の高弟、東嶺師は内容的に法華経と共通する意味を持つお経であると解説しています。観音さんは実は正法明如来と云う仏様で、既に悟りを開いているのに観音として衆生救済のため垂迹しています。ここの意味は仏界即九界、十界互具、三因仏性、特に了因による自己返観が仏種であることをさらっと説明しています。悟りを開いた禅師にかかると、分からない経典も直ぐ様解いてしまいます。道元禅師の正法眼蔵は法華経の引用が多いですが、観音さんの意味を解説しています。 返信する 追記 (探玄) 2017-05-07 06:07:05 また、四波羅蜜である常楽我浄は妙法曼荼羅で云えば四菩薩を表します。観世音は円融三諦、一念三千を意味しますので、短い経典ながら妙法曼荼羅を構成する重要教義を一度に網羅したお経と思われます。 返信する 記載の問題 (探玄) 2017-05-07 10:54:10 久遠元初と久遠実成無作三身の記載について。人が妙法を知って名字の位にいるのを当初、元初とすれば、今だ凡夫です。ここで発心して自己が妙法と信じ、帰依、誓願(これがない発心は駄目です。)の心願を起こす一念を成仏と考えると、この一点は久遠実成無作三身の名称こそ理に叶った用語かと思います。 返信する 異見 (麦茶) 2017-05-09 21:06:12 久遠実成無作三身ですが、石山六代日時師の三師伝でも本仏の名称として使用してますし、日時師に先行する当家の日向開山日睿上人も「久遠無作仏身」問答記録に見える日郷上人の仰せの御表現も「無作三身」重須の三位日順師も「無作三身」と記録が残っています。ただし、中古天台でも無作三身は言いますので、日蓮家特に富士における表記としては、当家の無作三身の本仏を表現するには、「久遠元初自受用身」を使うのが混乱を招かないでしょう。日蓮聖人の観心本尊抄には「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す、我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまふ」次下に受持の一行によって「妙覚の釈尊は我等が血肉なり、因果の功徳は骨髄に非ずや」となることを示されています。日蓮聖人は顕仏未来記に「日蓮は名字の凡夫なり」と自らを定位されておりますから、妙覚の釈尊は「我等」が血肉なりの我等は、名字即の凡夫であることが明らかですね。また文中の「自然」は開目抄の「我並びに我が弟子、諸難あのりとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」の「自然」と同意でしょう。南部六郎三郎殿御返事の「法華経の故に杖木を蒙りて忽ちに妙覚の極位に登らせたまひぬ」「法華経の心は当位即妙不改本位と申して、罪業を捨てずして仏道を成するなり」と、これが名字即極の内実です。つまり受持の一行による本因妙凡夫即極の法門を立てられている訳です。これが、そのまま、当家の本因妙名字即極の上の本因本果となります。日向開山日睿上人はこれを類集記に「名字即の内にて五十二位をも、仏の知見をば開示悟入するをも得るなり」後信抄に「円門不思議の妙法は梯磴なければ次位なし」と示されております。これらを踏まえれば、一般の久遠実成無作三身は法華経文上寿量品の釈尊、天台の久遠実成の釈尊、日蓮聖人門下他門の本仏とする久遠実成の釈尊、ないし、類集記の仏三次第の久遠釈迦=応仏昇進の自受用身に紛れる恐れがありますので、私は敢えて本仏を形容するには「久遠元初自受用身」を使い、上代を意識する際には同義で日睿上人の「久遠無作仏身」を用います。法華と密教ですが、中国の初期密教は、ドルチェ氏の指摘の通り、当時の中国仏教思想の主流であった「法華経」とその(天台を中心とした)解釈を密教解釈に取り入れており、中国において法華経の密教儀軌=法華法も編纂されていて、中国の初期密教の僧が法華経に興味を持ち、いわゆる法華法を編み出したので、中国の初期密教においては、法華経が高い評価を受けていたということでしょう(弘法大師は法華経を華厳経の下に位置付けてしまいましたが)。なので、一応、「法華経」に真言密教が親和性を有するのは、学術的にも理解可能です。なおドルチェ氏によると、法華法は古代中世では、超党派的に密教各派で修法されていたようですが、現代の日本の密教各派の儀礼からは姿を消してしまったとのことです。もしかしたら、日蓮聖人の御義に対する反動かもしれませんね。 返信する こちらは雨が降ってます。 (探玄) 2017-05-09 22:46:41 麦茶さん、こんばんは🎵道元禅師の正法眼蔵にも発心した菩薩を自受用身と記載がありました。鎌倉期の僧侶間では一般化していた用語なんでしょうかね?それは兎も角、混乱を招かない意味での使用等、納得致しました。台密では法華法は伝承されているようですが、実際に行っているのを私も見たことはありません。(法華儀軌でない滅罪を中心とする祈祷ですが)密教は天台僧だった一行さんの影響が大きいですね。一行さんが真言を教義的に奥行の深い宗派にしたのは間違いないですね。大日経義釈なんかを読んでも、確かに天台の善いとこ盗りをし過ぎています。本体の大日経はそれ程でもないのに。 返信する Unknown (麦茶) 2017-05-13 21:12:38 道元禅師も正法眼蔵で発心の菩薩を「自受用身」と呼称されていたとのこと。道元禅師も、元々は天台宗の僧侶でしたので、鎌倉時代には、天台宗を中心に、「自受用身」の意義をそのように観ることが共有されていたのかもしれませんね。当家では、十四世日我上人が七面決当台家両家抜書において「一代諸教を見るに五時の本法悉く内証の帳義に在りと云々。内証の帳義とは未曾有の曼荼羅に分帳せり。本尊安置の処は自行報土なり。自受用身とは久遠名字の本地本仏なり。自性の法門とは南無妙法蓮華経なり。自性眷属たる十界とは釈迦・多宝乃至提婆・竜女等なり。以自分如如とは中央の題目においてこれを習うべし。此の能処は不変なり。不変とは常住なり。十界互具・一念三千の智体の主となる処を指して自受用身と云い、其の自受用智の境となる処を如如の境と云うなり(中略)如如の境とは、人界応同の色体は如如の境、久遠名字の妙法蓮華経の心法は自受用智なり。此の色心体一なるを無始色心本是理性妙境妙智と云い、是れを自受用身と申すなり。此の自受用身の説法は南無妙法蓮華経なり。是れを自性法門とも、自性会の説法とも云うなり。此の自受用身は十界の主にて御座すと主付け給う時、御判形これあり。是れ即ち自行報土なり。何事を行ずるぞとなれば我本行と。本因妙名字の行なり。自我偈には行道不行道。行道は本因妙の我本行菩薩道の事なり。不行道は随他意の爾前迹門等なり」と当家の自受用身の意義の一端をしめされております。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 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創価学会内部改革派憂創同盟残党より
保田妙本寺を本山とするべきと思います。正本堂御供養金返還運動の民音の松本氏の主張と同じかも知れません。富士大石寺は捏造の教団と昔から名高いことで有名だったそうです。富士大石寺の大御本尊が捏造であることはご存知のこととは思います。創価学会は富士大石寺から破門されて却って良かったのです。最近、S氏がデジタルアナライザーで富士大石寺の大御本尊が後世の捏造であることを証明されました。今までは遺文などからの推定でしかなかった富士大石寺の大御本尊が捏造であることが現代科学的に証明されたのです。それはインターネット上に載っています。未だ本にはなっていません。
自分は幼い頃から創価学会員でしたが、4年前、突然、創価学会内部改革派憂創同盟と名乗りインターネット上で活動を始めました。“うつ病”で10年前から苦しんでいました。その苦しみの果てに同時放送での池田大作の余りもの横暴な振る舞いと言動に憤慨し「この野郎! 自分を何様と思っている!」と創価学会内部改革派憂創同盟を名乗り始めました。インターネットで創価学会内部改革派憂創同盟と名乗っての活動は3年近く続いたでしょう。それから“魔”の御本尊に祈ることができないために日蓮正宗法華講に家族に内緒で入りました。1年近く続きましたが、インターネットでS氏の論文を読み、日蓮正宗法華講も良くないと思い、保田妙本寺しかないとの思いで保田妙本寺の隠れ信徒になってから一ヶ月ほど経過します。
しかし、保田妙本寺の隠れ信徒になってから6日後に“うつ病”が再燃しました。10年間苦しんできた“うつ病”は創価学会内部改革派憂創同盟を名乗り始めるとともに綺麗に消えていました。4年間、元気でした。創価学会内部改革派憂創同盟の3年間、日蓮正宗法華講の1年間、元気でした。それが再燃し現在、苦しい状態ですが、なんとかパソコンを前にしています。“うつ病”再燃は“魔”の所為と考えています。創価学会時代、10年間、“うつ病”と戦いながら生き抜いてきました。その頃、男子部のある人から「それは“魔”でも宿業でもない。使命なんだ!」と指導されました。しかし“うつ病”の酷い時、勤行唱題することは不可能でした。“うつ病”の軽い時は勤行唱題できました。日達上人の御本尊の前では“うつ病”が酷い時も苦もなく勤行唱題できることが不思議でした。スーッと軽やかにできるのです。実家の御本尊は日達上人の御本尊なのです。しかし、“うつ病”が酷い時は日寛上人の御本尊の前では全く勤行唱題できません。題目一遍唱えるだけでも大変です。不思議でした。
創価学会は現在の日寛上人の御本尊では必ず衰退して行きます。力がないからです。ただ、勤行唱題したという満足感しか得られません。また、“うつ病”などの精神疾患の異常多発が全国的に見られています。これは原田会長も分かっておられると思います。
新しく保田妙本寺を本山とするならば創価学会は再び発展して行きます。広宣流布も可能になります。今では夢空事と思える広宣流布も現実になります。
広宣流布が為されるのは時間の問題だ、と思われていた昭和40年頃に戻ることができます。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊は凄い力のある御本尊です。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を思い浮かべて勤行唱題すると分かります。もの凄く元気になります。
日寛上人の御本尊を早く全国一斉に回収することです。これは創価学会員を救うためです。日寛上人の御本尊が“魔”の御本尊であることは原田会長は分かっておられると確信します。一時的に御本尊無しの遙拝勤行になりますが、創価学会員は保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に向かっての遙拝勤行の方がずっと元気が出る(歓喜が湧く)ことを直ぐに実感するはずです。これは今までの日寛上人の御本尊を否定することになりますから大変ですが、移行期ですから仕方のないことです。
原田会長にとってこの決断は御自身が地獄へ堕ちるか天国へ行くかの分かれ道になる極めて重要な決断になります。また、300万人の創価学会員が地獄へ堕ちるか天国へ行くかの分かれ道になる極めて重要な決断になります。自分は原田会長を信じます。信じるからこれを書いているのです。信じないならば書きません。
保田妙本寺の御尊氏はきっと創価学会の本山になってくれると信じます。300万人の創価学会員を見捨てられることはされないと確信します。慈悲深い御尊氏と確信します。
(補記)
もう一度書きます。創価学会の再生のためには保田妙本寺を新しく本山とすることです。S氏のデジタルアナライザーでの研究および文献的研究を示し、富士大石寺の大御本尊が後世の捏造であることを聖教新聞、大百蓮華、創価新報で繰り返し詳しく説明すると、富士大石寺に流れる創価学会員は少ないでしょう。聖教新聞の大きな号外で詳しく示せば一般会員にも分かりやすいと思われます。
今のままでは創価学会は衰退の道しか残されていません。昭和40年頃の熱気を取り戻すことが保田妙本寺を新しく本山とするとできると確信します。今のままでは勤行唱題しても歓喜は薄いですから創価学会員はあまり勤行唱題をしようとしないでいます。保田妙本寺を新しく本山にすると勤行唱題しての歓喜がもの凄いですから折伏大行進時代のあの燃えるような熱気を取り戻すことができます。
池田大作が死ねば創価学会は滅んで行く、と言われていますが奇跡的に再生する方法が保田妙本寺を新しく本山とすることです。創価学会の牧口先生、戸田先生も間違われていたのです。保田妙本寺こそ正統に日蓮大聖人の御精神を連綿と受け継いできたのです。富士大石寺は昔から捏造教団と揶揄されてきていました。富士大石寺は捏造の歴史、捏造の寺であったのです。
騙されながらも折伏大行進の時代には創価学会に日蓮大聖人の御精神が宿っていました。折伏大行進の時代、創価学会が大本山であり、奇跡的な病気の治癒などが起こっていたのです。しかし、折伏大行進の熱気が薄れて行くとともに日蓮大聖人の御精神は創価学会から次第に去ってゆきました。しかも池田大作という大魔神の出現により悪鬼が創価学会に怒濤の如く流れ込み、創価学会員に不幸なことが立て続けに起こるようになりました。それとともに折伏大行進は止みました。折伏大行進は言論問題とともに止んだことになっていますが、実際には池田大作という大悪鬼が悪鬼を創価学会に怒濤のように雪崩れ込ませ創価学会員に不幸が立て続けに起こるようになって折伏ができなくなり、自然と止んでしまったのです。
保田妙本寺を本山とすると創価学会員に功徳が満ち溢れ、折伏が自然に進んでゆきます。折伏大行進のときのような仕事を投げ出しての努力無しに折伏がどんどん出来るようになります。創価学会がどんどん大きく成ってゆきます。そして夢空事と思われていた広宣流布が達成されます。民衆救済が現実のものになります。
(また、補記)
また、書きます。これこそ最後です。
創価学会が保田妙本寺を新しく本山とすると創価学会は蘇ります。昭和30年40年頃の創価学会に戻ります。あの熱烈な情熱に満ちた創価学会に戻ります。そして今度こそは広宣流布を達成できるでしょう。
民衆救済が実現します。日蓮大聖人御遺名の民衆救済と広宣流布が実現します。
人類の滅亡と繁栄を創価学会が握っているのです。
池田大作批判は徹底的にしなければなりません。池田大作が創価学会を間違った方向へ引きずってきたのです。池田大作が書いたことになっている本は実際の作者名に変えなければなりません。
池田大作の悪を徹底的に露呈し、創価学会から池田大作の名前を無くしてしまうのです。池田大作を神様のように慕っている創価学会員が余りにも多すぎます。池田大作は大魔神であった、池田大作は永久に無間地獄に堕ちた、と本部幹部会で大声で叫んで下さい。
聖教新聞、大百蓮華、創価新報は池田大作批判で埋まるようにならないといけません。池田大作の影響をすべて創価学会から払拭することです。池田大作の悪を一つ残らず書きつらなければいけません。
池田大作が大魔神であったことは創価学会中枢部の人ならみんな知っているはずです。原田会長は特に知っておられるはずです。大魔神に乗っ取られてきた創価学会の悲しい歴史を無知な末端の創価学会員に知らせて下さい。
号外もたくさん必要と思います。「大魔神=永久に無間地獄に堕ちた池田大作」を創価学会員全員に納得させるべきです。池田大作は神様ではなく大魔神であり、悪鬼を怒濤のように創価学会に流れ込ませ、創価学会員を次々と不幸にしてきた、それ故に永久に無間地獄へ落ちたことを創価学会員全員に納得させるべきです。
池田大作が創価学会に悪鬼を怒濤のように流れ込ませ、創価学会員に不幸が次々と起こるようになったこと、創価学会員が幸せになれなくなったこと、広宣流布を頓挫させたのは池田大作の醜い欲望であったことなどを創価学会員全員に納得させて下さい。
では、宜しくお願いします。
ccc998@infoseek.jp
創価学会内部改革派憂創同盟改め保田妙本寺その名は三船敏郎
日隆聖人は隆門では大聖人の再来とされた方で、その教学は至宝です。元ネタは富士門流由来ですが、残念ながら日隆聖人程の学才を持つ僧侶が富士からは出ませんでした。
富士は後世可笑しな教学を作って仕舞いますが、ほんとは富士も始めは隆門を見習っていたのです。その証拠に細草檀林には当初その頭に京都本能寺から学僧が招聘されました。
隆門の教学は非常に精緻かつ理に適ったものです。私は思うんですが何故この素晴らしい教学が紹介されないんだろうか?と。・・・石山教学など今では他宗からの笑いものです。昭和40年代の日本は学歴の低い庶民がその信者の大半でした。みんな信じちゃったんです。「これが唯一の法門だ!」という言葉に。でも鰯の頭も信心からで、正味功徳もあったんです。(法理的に「信」から功徳が発動するように日蓮さんの法門は出来上がっているからです。)
しかし、今その鍍金は剥がれました。功徳が出ないのは、これがために「信」が薄れたことに原因があるものと思います。カルトでない、本物の法華教学を是非学んでください。それと池田氏云々ですが、あれはオウムの麻原と同じです。人寄せパンダみたいなものです。S学会の優れた幹部は利用しているんです。何はともあれ、本当の法華信仰に目覚めて欲しいと念願する次第です。
旧T本は獄中ですが、その弟子のT本君が最近新たに保田で暗躍しているようですが、この者の人相はどうでしょうか?
http://nichiren-tokyo.seesaa.net/article/231463627.html
http://nichiren-tokyo.up.d.seesaa.net/nichiren-tokyo/image/80_160_1324390405takeE3819FE38191E38282E381A8E7ABB9E69CAC.jpg?d=2011_11_15_04_47_57
一応、こちらのブログでも、妙本寺を取り上げられているので、コメントを入れさせて頂きますが、妙本寺は、確りと、貫主上人猊下と御弟子の在勤の御僧侶、そして開基檀越家を始めとする檀家総代の御家を含む代々の檀家の御家の方々、そして、私を含む一般門信徒衆が、それぞれの分に応じて、妙本寺並びに、妙本寺伝統の信仰・化法化儀を守っておりますので大丈夫ですよ。
御先代日櫻上人の代、創価の会員が沢山来たとのことですが、日櫻上人は、掃除とかの「雑用」はしてもらったが、決して伝統の年中行事の役目には参加させなかった。伝統の年中行事の役目は、確り妙本寺の伝統を相続されている代々の檀家の方だけにして頂いた。とのこどです。その理由は、創価の会員は、創価のやり方しか知らないので、知らず知らずのうちに、彼らは「創価の遣り方」を持ち込んでしまい、妙本寺伝統の化法化儀を「破壊」してしまうためです。日櫻上人の「妙本寺の御霊宝を宣伝すれば、人は一時集まるだろうが、変なのしか集まらない。妙本寺には信心のある方だけが参詣して下されればよい」(取意)との御指南は、上記のご経験を踏まえたものと拝せられます。日櫻上人は「人類が何度か滅亡の危機を乗り越えたさらにその先に広宣流布がある」との御指南も残されておりますが、言外に「創価のように人数ばっか増えてもそれは【広宣流布】に非ず」という御意をお示しになっている訳ですね。私も、我が家系において初めて妙本寺に帰依させていただきました身として、我が家における初代の信徒として、素直に信心を致し、先祖供養を確りさせていただいております。
私の愚文への御返信、恐れ入ります。一信徒の私には、創価の隠密が御信徒の中に入っているかどうかは、判断しかねますが、そういう人に限って、信徒の人数とか、布教がどうとか、そういう物質的なことに価値基準を置いた考え方で、その点、妙本寺の元来の在り方に相容れないので、気づくと「あれっ?」という感じで居なくなる感じになりますね。この数年、入れ替わり立ち替わりそんな感じの人もいましたが、結局、ご信徒として定着せず消えていった感じですね。だから、その場だけではなく、時間を置いて、じっくり眺めていると分かりますね。
御当代の御前様は、御先代のもとで、確り修行を重ねられ、妙本寺が御信徒が居ない時代においても、御先代とお二人で、年中行事を御執行なされ、伝統を守ってこられており、なおかつ、「檀那栄えば寺栄え、、、」との言葉を旨に、決して檀家の方々に必要以上のご負担をお掛けにならない御方であり、今時有りがちな、檀家さんに負担を課すブラックな寺院経営はなさっておらず、私が察しさせて頂くに、御出家為さらずに在家の身であっても、ホワイト経営をなされる経営者として、御成功なさっておられたであろうと拝察しております。御先代も御当代も妙本寺の御歴代でいえば、特に有徳人僧として知られる日永上人を彷彿とさせられます。なので、妙本寺の伝統と信仰の在り方が、今後の富士門流寺院のモデルケースとなるものと拝察している次第です。
一応、私が一人でしゃばって書いてしまいましたが、取り敢えず、妙本寺について、ネット上のあれっと思うような、他者の誤認識は、だいたい訂正出来たものと思うので、探玄さんのブログでのコメントも、一応、これを一区切りにしようと思います。
そのホームページ、私も見たことあります。これは妙本寺の伝統からは外れた、今のアカデミックな仏教学からの視点になりますが、原始仏教とよばれる経典といえども、南伝の経蔵なんかの聖典は、インドにおける廃仏棄釈で数度失われており、現代のパーリ語の経蔵も、ブッダゴーサが論蔵に残されていたのを拾いあげて再編集したもので、むしろ、北伝のアーガマ(阿含)の方が成立が古く、古形を残しているとされますね。その意味では、厳密な意味での、釈尊の肉声を拾い出すのは、学術的には不可能でしょう。その意味では、あのホームページの管理者の方の考察はまだまだ「甘い」と思いますね。
ご忠告は有りがたくお受け致します。ただこれは前提ですが、言ってしまえば、釈尊も人間、釈尊以降の仏教者も人間。日蓮聖人も人間、以後の後継者、妙本寺の御歴代上人も人間。当たり前じゃないですか?なにも、宗教を信仰しているからって、私は人間を神格化はしません。私は、個人的には原始仏教はつまらない、ある意味現代人にとっては当たり前のことを説いている、まあ、逆に、2500年前の人物が現代人に比肩することを説いているのは凄いと思いますが。私は、人間の真髄の追究としては、寧ろ北伝の大乗仏教の方に軍配を挙げます。よくぞ、現代の心理学に比肩するような探究を成し遂げたと喝采すら送りますね。日蓮聖人の御法門、そして、妙本寺の伝統の御法門は、私個人としては、法華経系の大乗仏教の究極の最終形態であるとも拝しております。それを現代まで伝え、これからも伝えていかれる御僧侶を大事にするのは当たり前です。日蓮聖人も「伝持の人なければ、なお木石の衣鉢を帯するが如し」と言われている通りです。
御先代の御前様ことをとやかく言う人間は、まあ、石山や石山系の創価脱会者の自称研究者グループの顔が浮かびますが、御先代が妙本寺門流の最長老で、御先代がご長寿を保たれ、石山から離脱する御英断を下され、磬咳に接っせられた妙本寺の御先師方々から受け継がれた妙本寺門流の伝統を御当代に伝えたからこそ今とこれからががあると思っています。
宗教、ことに仏教には、人間の真髄、意識と精神の成長と進化についての記述も含まれており、そこを私は一番大事にしております。日蓮聖人や妙本寺の伝統法門の中にも、その点が含まれておりますので、私はある意味、安心して信仰させて頂いているものです。
この点は、寧ろ、探玄さんも、理解は出来ない領域かと思い、触れて来ませんでしたが、探玄さんの御忠告(?)に触れて書いてみました。
創価の隠密云々は、私が存じ上げている一般門信徒の方々にはいらっしゃらないと思っております。最近創価系の掲示板で、元学会僧の方の妙本寺への帰伏が取り沙汰されていますが、もし、これが事実でしたら、創価の二番煎じのごときことはせず、また走らず、ついていらっしゃる御信徒さんが、妙本寺の開基檀越家のごとく、代々妙本寺の信仰を受け継いで法統相続が自然にできますように、御善導していって頂きたいものですね。