徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

成長の6月のために

2021-06-01 23:29:58 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス

<これから幸いにも、ルヴァンカップのプレーオフがあったり、天皇杯があって、気持ちを切らさずに試合を重ねて修正していくことができる。よりロティーナ監督のサッカーを表現できるように、もっと突き詰めて結果にこだわっていきたい。>(福森直也 0530)

これからも続くであろう私たちのサポーター人生はそれなりにだらだらと長いのだが、プレーヤーの現役人生は短い。ましてや彼らの短い現役時代をサポーターが同じクラブで共有する時間はさらに短い。だからこそ2016年のメンバーにはそれなりの輝きがあったし、当然2020年には2020年の輝きがあった。そうやってクラブチームの歴史は積み重ねられていくのだが、いつだって問題は今である。懐古趣味は慰めにはなるが、それはサポーターにとっては現実逃避の慰めでしかない。1シーズンの中で共有する時間は大事だし、経験を積み重ねていく時間は貴重である。

第17節横浜Fマリノス戦の後、福森は「幸いにも気持ちを切らさず試合を重ね」ることができるとコメントした。まだ始まったばかりで何も手にしていないチームは放っておいたら時間はただただ流れて行ってしまう。カップ戦9シーズンぶりのノックアウトステージ進出というのは、要するにこれまで8シーズンを無為に過ごしてしまっていたということで同じである。どんなにポテンシャルを秘めたチームであっても、ゲームで経験を重ねることができなければ本物の結果はついてこない。ましてやサポーターの記憶にもまるで残らない。寂しいシーズンの記憶が残るだけだ。そんな状況で他クラブ同士のファイナルを「Jリーグのお祭りじゃい」などと言って心の底から楽しむことができただろうか。オレはやはり清水のファイナルが観たいのだ。

ということで「最後の」2012年シーズンのカップ戦は本来ならば素晴らしいシーズンの幕開けになる可能性だってあった。しかも最後の相手は鹿島だったのだ。鹿島との因縁というのは今シーズン緒戦に求めるのではなく、ほとんど勝利を手にしていた2012年のナビスコカップファイナルに見出すべきであろうと思う(我ながら執念深い)。明日は是が非でも鹿島相手に一歩前進して欲しい。

この6月の中断期間はルヴァン・カップ、天皇杯と6月はチームの成長のために必要な時間を手にするための時間になる。やはり、今は仙台さんありがとうと記しておきたい。前借りで、運も実力のうちということにしておこう。


第16節 東京戦/ハードワークの結果

2021-05-28 02:04:00 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス
<われわれのやるべきことは苦しい中でも、その敗北からも学ぶことはたくさんあると思ってハードワークを続けること。それが今日、形となって表れたと思います。>(ヴァウド 0525)
 
キックオフ直後の東京のプレッシャーは名古屋戦を思い起こさせたが、それを切り抜けて先制点、そして前半終了間際の追加点、後半開始直後のダメ押しと健太のゲームプランを突き崩すような展開になった。3-0になってもアディショナルタイムに入るまではなかなか安心できなかったのだが、終わってみればクリーンシート。これまで思うようなプレイはできていなかったはずのヴァウドのゴールとコメントは感動的だった。やっぱり前節のロティーナと片山のコメントも効いたかな…ポテンシャルでは語らないと書いてみたものの、まだ伸び代はあるはずのチームだからね。
 
にしても、これまで情報を追っていなかったんだがマテウス退団のニュースはどういうことなんだろう。選手層を厚くしていくという意味ではもちろん痛いことは痛いが、昨日のゲームでも奥井のファイトを観ていると、彼や福森でやり繰りしていけば、現時点ではチーム的にさほどダメージはないような気もするしなあ。いやもちろんマテウスがチームにフィットしてポテンシャルを発揮していたら、とは思うが。どうなんだろう、やっぱり駄目なのか。

第15節 札幌戦/元天才サッカー少年の町

2021-05-24 14:07:00 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス

<過ぎてしまった試合はどんな意味を持っているのか。悔いるためのものなのか、落ち込むためのものなのか。全て成長していくためのものだと思うし、そうしていかないといけない。 (片山瑛一 0523)

<たくさんのエラーを起こしているので、それを認めて、受け入れて、なんとしても成長する以外にないと思います。> (ミゲル・アンヘル・ロティーナ 0522)

<鹿島戦の負け方は自分たちが怖がっていて、プレーすることに対して恐怖を感じていたシーンがいくつかあった。まず自分たちからしっかり仕掛けて、自分たちの出せるものをしっかり出した上で結果を受け入れる。それができれば負けることがないだろうと話しました。そう信じていた>(マッシモ・フィッカデンティ 0515)

昨日、Instagramに投稿された片山のコメント、一昨日、為す術もなく敗れた札幌戦後のロティーナのコメント、そして先週、内容的にも格的にもゲームプラン的にも完勝した清水戦の後のフィッカデンティ監督(名古屋)のコメント。言っていることは大体同じである。現状を受け入れて、全力でトライし、成長し続けろということだろう。

清水というクラブは長い間ポテンシャルで語られてきた。あのオシムでさえ、健太時代に対戦した時に「清水には良い若い選手がいる、それをコンセプトとして示す事は良い事」というようなことをコメントしていた。もちろんサポーターもそれを良しとしてきた。結果を残し続けるユース、ジュニアユースも含め、清水というクラブには確かなポテンシャルがあるのだから、そこには希望があり、クラブには未来があるだろうと。

清水・静岡は天才サッカー少年が育まれる町で、天才サッカー少年が集まってくる町でもあるのだが、しかしJリーグというプロサッカーリーグは天才サッカー少年たちが集まったリーグで元天才サッカー少年というだけでは生き残れない世界である。毎年のように残留争いに巻き込まれる、史上に残る大量失点を繰り返すうちに清水は小さくまとまったクラブになってしまっていた。

天才サッカー少年は競争し、成長し続けてプロサッカープレーヤーとして生き残らなければならない。

しかし清水は放っておいてもそもそも天才サッカー少年の町なのだから、実に愛情溢れる生温い土地柄ではある。2015年に降格した時、つくづく思ったのは「周囲の大人が悪い」だった。愛情(愛憎)とサッカーをする環境はたっぷりとあるのだが、それは競争し、成長する環境にはなかなかつながらない。札幌戦の後に何人かの清水サポーターが、「彼らも染まってしまった」とツイートしていた。清水を変化させるために加入したのに、清水に染まってしまったというわけだ。これには笑った(笑えない)。

シーズン前の大型補強は単に「補強」というよりもクラブが本気で競争する環境を整えているという印象を強く持ったし、その方向性は間違っていないと思っている。とりあえず今バトンはプレーヤーに渡されているのだから、全力で競走して欲しいと思う。そうでなければロティーナの責任なんて問えるわけがない。元天才サッカー少年で終わるなよ、ということである。

まだまだこれからです。


競争はまだ続く/ルヴァン・カップ グループ予選 横浜Fマリノス戦

2021-05-20 20:19:00 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス

5月の戦いぶりにもやる気持ちはわかるのだが、今シーズンは上位を狙うシーズンというよりもあくまでも残留、そして本気のチーム作りのためのシーズンであることは間違いがない。史上に残る大量失点クラブを立て直すにはそれぐらいの覚悟は当然だと思うのだ。昨夜のルヴァン・カップ横浜Fマリノス戦の戦いぶりもそれはそれでショッキングな内容だったわけだが、どう見たってメンバーはサブと復帰組のそれで、ベストで臨んだとは誰も思わないだろう。チーム作りというのは選手層を厚くすることでもあるのだから、リーグとカップのシーズンを総力戦で戦いながら所属プレーヤー全体のクオリティを高めていく。そのためにはプレーヤー間の競争が当然必要で、だからこそ何が何でもカップのグループ予選を突破してゲーム(経験)を増やす必要があった。それはリーグ戦出場の当落線上にいるプレーヤーにとっては死活問題であるはずだ。どんな形であろうとも、どんな惨めな結果であろうとも次のステージに進めたのは喜ばしいことなのだ。

いやそれにしては君らそれで本当に大丈夫かと思わざるを得ない内容ではあった。シーズン前の清水の補強にインパクトはチーム内に本気の競争を求めているところにある。その意味では昨夜のゲームは出場した何人かのメンバーには内容も結果も厳しいものになった。脱落してしまうプレーヤーもいるのではないかと思ってしまう。しかしそれは今シーズンの清水が目指していることだろう。チーム内の激しい競争を望んでいるのだから、勝ち残るしかないのだ。

とはいえ、ではリーグでの横浜FC戦、名古屋戦のメンバーは磐石かといえばそれも怪しい。ボールを支配しつつも攻めあぐねた横浜FC戦、序盤からゲームを決めに来た相手に文字通りなす術もなく敗れた名古屋戦。共通しているのはプレースピードの意識の欠如だ。プレッシャーのない局面ではいくらでもパス交換はできるだろう。ペナルティーエリアの手前あたりまでは。しかし緩んだスピードで攻め込んで、ゴール前で急にギアを上げてシュートまで決めるほどのクオリティがあるプレーヤーが何人いるだろうか。

全盛期のジェフのように考えながら全力で走り切れるチームが観られる日は来るのだろうか。今はまだ考えながら走ること自体に四苦八苦しているような印象を受ける。それを克服するのは時間が必要なのだし、やはりゲーム(経験)しかないのだ。生き残るためには勝ち残るしかないのだ。

何と言われようと今は仙台さんありがとうとしか言えない。

何も悪くない。我々はまだ何も得ていないのだから。


あの夜、永遠の夜

2020-07-23 13:07:00 | Music
ジャズギタリストの橋本信二さんが亡くなった。

今、2006年5月28日のGATE ONEの録音を聴いている。板橋文夫が初めてGATE ONEに出演した日だ。もう14年前経ったなんて信じられない。部屋の照明を薄暗くして、目を閉じて聴いていると今でもあの夜のように信二さんのギターとまり子さんの歌声がリアルに響いてくる。
あの夜、隣に誰が座っていたのか思い出せないが、店の中にあの頃に響いていたら声や拍手が聴こえてくる。カウンターに座るのはなかなか気恥ずかしくて、たいていは階段に座って信二さんのギターを聴いていた。
気分的にはまだガキだったオレに本田さんや信二さんは簡単に声をかけられる存在ではなかったけれども、もう14年も経ってずいぶんと面の皮も厚くなってしまった。もう会えない。でもオレにとって高田馬場の街で聴いた最高のブルーズジャズギタリストは永遠だ。一瞬でも出会えて良かった。ありがとうございました。


日下部さん

2020-07-01 00:36:00 | News

コールというのはレスポンスがなければ成立しない。レスポンスをして、そしてレスポンスをし続けて、仲間を集めて自らコールし始めたのが日下部将之さんだったのだと思う。反原発から反差別、反安倍内閣と、彼は3.11以降の運動を体現し、愚直なまでに押し広げてきた男だった。

20177月、都議選の応援に来ただけの安倍晋三から「こんな人たち」のひと言を引っ張り出した1日の秋葉原での街宣抗議から、9日に行われた「安倍政権に退陣を求める緊急デモ・MARCH FOR TRUTH」に至る一週間は3.11以後の総決算とも言うべき巨大なデモになった。9日に中心となって参加したデモグループは「未来のための公共」、「エキタス」、「怒りのドラムデモ」、そして日下部さんたちは「怒りの可視化」でデモの隊列を編成した。コール中心、と言うよりもコールのみ。怒声のみ。壮観だった。平野太一が制作中だった映画『STANDARD』の最後のクライマックスとして描かれるのがこのデモであった。これで安倍は終わったと思った。終わったはずだった。いや、終わっているのだが。

それから3年、ほとんど砂上の楼閣となりながらも、安倍内閣は信じられないことにまだ続いている。そして、それから3年、官邸前で、国会前で、そして路上で、ニュースになったりならなかったり、それでも最前線で怒りを表明し続けたのは日下部将之とその仲間たちだった。

日下部さんとは一回だけサシで、「取材」したことがある。平野太一が映画の編集で四苦八苦していた時期に、同時並行で参考になればと個人的に知人のプロテスターに声をかけ、話を聞き続けた。そのひとりが日下部さんだった。こんなことになるとは思いもよらなかったが、しっかりと彼の言葉を残しておかなければならないと思っていたのだろう。形にしておかなけばならない言葉がまたひとつ増えた。

今日、最後に顔を見に行ってきた。いまだに信じられず、現実感もないが、明日はお別れです。

最後の歌はblackbirdはどうだろうね、日下部さん。


『マンガ哲学辞典』と原っぱ

2019-09-14 18:58:49 | Osamu Hashimoto

到着。橋本治は「30代後半までに自分の思想を作らないと、その後の仕事の時間がなくなる。作っちゃえばそれに寄りかかれるし」と言っていた人で、この本はその「30代後半になるまでに」広告批評に掲載された、一般に言われるところの哲学の辞典ではなく、ここにマンガとして描かれるのは文字通りの「橋本治の哲学」である(「意味と無意味の大戦争」のみ83年、その他はバブルの真っ只中の88年から連載された)。
その直後に昭和の終わりと自民党と55年体制の終焉を書いた大著『89』を出したあたりから、「もう時評はやらない!」と言い続けていたような気がするが、請われるままに、また治ちゃんの一身上の都合で時評は書き続けられた。「自分の思想があれば寄りかかれるし、楽ちんだもの」と言っていた彼はそのまま古典芸能や小説の世界には行けなかった。それは商人の息子として生まれた彼のサービス精神だったのかもしれない。治ちゃんを始めとして、今や少なくない関係者が物故者となってしまったから書くけれども、あるインタビューで会った糸井重里は「広告批評はずるい」と言っていた。毎月、巻頭に治ちゃんのステイトメントが掲載されるのだから、それは、確かに、「ずるい」。
80年代の勢いそのままに猛烈に刊行点数を増やしていた、それなりに元気だった90年代まではともかく、21世紀以降の時評は評価が難しく、痛々しく感じられることすらある。特に新書系は。

オレ自身は86年の橋本治の講演会での体験に今もって多大な影響を受け続けている人間なので、まず「そうか、40歳までにどんな形でもいいから本を出そう」と決めて、41歳で思想とはまるで関係ないけれども本を出した(一年遅れたのは諸般の事情なのでノーカウントである)。そして、その後の行動のベースには、上記の講演会をまとめた『ぼくたちの近代史』がある。橋本治はバブル期に地上げ屋が跋扈する東京に戦後復興期の「原っぱ」を見て、オレは3.11後の路上に「原っぱ」を見たのだ。
だから昨日TwitterのTLに流れてきた韓国人シンガーソングライターのイ・ランのインタビュー記事にあった「人間関係はピラミッドではなく原っぱで考えよう」のフレーズを読んだ時には驚いてしまった。若い韓国人の彼女は確実に橋本治を読んでいないと思うのだが、何で「原っぱ」という言葉が湧き出てくるのだろう(素晴らしい)。たぶんオレがこれから書くテキストもそういう内容になるだろう。

「橋本治の哲学」が凝縮された一冊を手にして胸が熱くなった。

スピリットとアティテュードが生まれる場所/代官山 春のドキュメンタリー映画上映会

2019-04-14 17:45:34 | News

金曜日は<晴れたら空に豆まいて>の「代官山 春のドキュメンタリー映画上映会」http://haremame.com/schedule/66254/
今回は『STANDARD』の他に、ラファエル・カルデーナス監督『ランドスケープス&ランド・ドゥウェラーズ』(2018年)、アキラ・ボック監督 『アワ・マン・イン・トーキョー ~ザ・バラッド・オブ・シン・ミヤタ』(2017年)も上映された。『ランドスケープス〜』はロサンゼルスの下町を撮影した10000枚のコマ撮り画像で構成される実験映画。『アワ・マン・イン・トーキョー〜』は、レコード会社勤務を経て、長年に渡りプロモーター、ディストリビューターとしてチカーノミュージックを日本に紹介し続ける宮田信(MUSIC CAMP, Inc. / BARRIO GOLD RECORDS)を描いている。それぞれ8分、16分と共に非常に短いドキュメンタリー作品なのだが、共通点として<全米最大のメキシコ系アメリカ人コミュニティ>イーストLAが舞台となり、映像からは一台のカメラを通して、そしてひとりの日本人を通して、コミュニティとカルチャーに対する情熱が溢れる。


隣人を攻撃することでしか自らのコミュニティを維持できないこの国では、クールとは「かっこよさ」を指すのではなく、つまらない保身のための冷笑でしかない。相変わらず大きくて陳腐な物語はもてはやされるが、人々のロマンチックな物語は顧みられない。
2019年のこの国で、たぶん、最も価値のあるものは人々の情熱である。ホットでないものに何の意味があろうか。

宮田信は彼の地で「スピリットとアティテュード」を受け取ったのだという。そしてチカーノミュージックを媒介に、この国にロマンチックな場所を作り、それを押し拡げるためにこの東京で活動を続けている。
スピリットとアティテュード、そしてロマンチック。
人々が生活する場所にはスピリットとアティテュードがあり、それぞれが出会う路上ではロマンチックな物語が育まれる(甘い、という意味ではなく)。それは今回、光栄にも同時上映させていただいた『STANDARD』にも通じているのだと思う。

制作スタッフのひとりとして、これまでの制作過程や上映会で何十回と観てきた『STANDARD』だが、今回の上映会で新しい意味合いを持って観ることができた。「路上を取り戻す」のは人々の情熱とカルチャーの力であることを改めて確認できたように思う。
人生においてロマンチックな場所がある人は幸いだ。それは音楽や映画、アートからスポーツまで、カルチャーの場であることが多い。単に体験するだけではなく、参加しなければ何も起こらないということである(今日のエコパスタジアムのゴール裏は、きっと最高にロマンチックな場所だっただろう)。
『STANDARD』もそんな映画であり、「場所」であって欲しいと思う。

参加者の皆さん、晴れたら空に豆まいてのスタッフの皆さん、DJ HOLIDAYさん、TRASMUNDO DJsさん、そして宮田信さん、ありがとうございました。

次は名古屋です。

次回上映情報
【名古屋】
TwitNoNukes presents 映画『STANDARD』上映会
5月18日(土)
会場: spazio_rita (名古屋市中区・矢場町駅)
開場:17:30 上映:18:30(予定)
※上映+トークショー+DJを予定。詳細は後日発表されます。

フレッシュであり続ける不幸/ZINE『SELL FEE』

2019-04-07 14:01:43 | News

水曜日。平野太一君のZINE『SELL FEE』を購入するために下高井戸のTRASMUNDOへ行く。『SELL FEE』はすでに4店舗ほどに置かれているのだが、TRASMUNDOでは『TRASMUNDO RADIO VOL.26「SELL FEE」feat. 平野太一、ドンババ』のCDが付録として付いてくる。ショーケンが亡くなったことが報じられた深夜に収録されたということで、本当にできたてのCDなのだが、『SELL FEE』の内容そのものについてというよりも、3.11以降の社会運動、その周辺についてスタンスの有り様を語り合い、それにまつわる音楽を聴いていくという趣向である。

一年前のGalaxyでの初上映をはじめとして、これまでもTRASMUNDO DJsとして『STANDARD』の上映会にご協力いただいてきた店主の浜崎伸二さんにも改めてご挨拶し、少々話を伺う。
3.11の年、浜崎さんはデモには行かずに店を開き、迷っていたり、悩んでいるひとたちと語り合っていたのだという。もちろん、あの当時のように、居ても立っても居られずに路上に飛び出すような瞬発力や突破力は必要だが(浜崎さん自身も4年後にSEALDsが呼びかけた国会前抗議には参加している)、まずは誰かと話したいという人たちにとっての「場所」も、やはり必要だったのかもしれない。レコード屋であり、古本屋であり、Tシャツ屋でもあるTRASMUNDOは、あの当時から抗議の「場」とは違う、「場所」を支え続けてきたのだった。抗議の場は状況によって変化し続けるものだが、その一方で、下高井戸の変わらぬ場所が「新しい人たち」を生み、路上での行動をつなぎ続けてきたのだ。そういう意味で「カルチャーが支えてきた」と浜崎さんが誇らしく言うのも腑に落ちる。

そして、平野君の『SELL FEE』。映画『STANDARD』の制作過程などの一部分はすでにweb上で公開されているものだが、書き加えられた言葉と内容はかなり衝撃的だ。作為のなさが嘘のなさに通じるのかはわからないが、少なくとも彼の言葉には借り物の言葉がない。偽るための言葉もなければ、彩るためだけの言葉もない。剥き出しの言葉である。
彼の言葉の印象ははじめて路上で出会ったときから、エモーショナルで喚起力のある天才的なコーラーだったのだが、極私的な内容と表現からその印象が蘇ってくるようだった。

映画の撮影の過程で福島と沖縄を訪れる中で、あのとき、あの場所で置き去りのままになる自分、そしてそれでも生きていかなければならないと前へ進む自分を見つける。
映画『STANDARD』が8年前のことを描きながら、まだまったく古びずに、フレッシュさを保ち続けているのは、自分たちはあの日のままに置き去りとなり(3.11? 2011年6月? 2012年12月? 2013年9月? 2013年12月? 2015年9月? どれも最悪だ!)、それでも生きていかなければならない、引き裂かれた状況が続いているからなのだろう。
それが作品にとって幸福なことなのか、不幸なことなのはまだわからない。

今週は東京・代官山、来月は名古屋で上映会が開かれます。実は昨年末から公開されている新バージョン(おそらくこれにて完全版)はまだ観ていないのでオレも行く予定です。

■ZINE『SELL FEE』販売店舗
【下高井戸】TRASMUNDO
【吉祥寺】uplink吉祥寺
【新宿】ブックカフェ オカマルト
【目白】ポポタム
※在庫切れなどの可能性もあり。

■『STANDARD』上映情報

【東京】
代官山 春のドキュメンタリー映画上映会
4月12日(金)
会場:晴れたら空に豆まいて
開場: 18:00 上映: 19:45
予約: 1800円(+1D) 当日: 2000円(+1D)
DJ:DJ HOLIDAY、TRASMUNDO DJs、宮田信
予約03-5456-8880
※都市辺境、洋楽インディーズ、社会運動…『STANDARD』と併せて3つのドキュメンタリー映画が上映されます。

【名古屋】
TwitNoNukes presents 映画『STANDARD』上映会
5月18日(土)
会場: spazio_rita (名古屋市中区・矢場町駅)
開場:17:30 上映:18:30(予定)
※上映+トークショー+DJを予定。詳細は後日発表されます。

あえて、パブリックエネミーになる時/『VIBERHYME』復刻に寄せて

2019-03-30 12:55:20 | VIBE RHYME


どうせ復刻されないだろうし、音源も埋もれるんだろうなあと思いつつ(VIBERHYMEも希少だし、高値だし、今更入手できないだろうなあとも思いつつ)ライムの書き起こしをコツコツとしていた。しかし、それでいいのだ。もう公開された音楽と言葉、それは、自分のものなのだから。

前回の投稿に関連するが、オレはJAGATARAの想いを、ある意味でビブラストーンに託していた。あの、日比谷野音で行われた江戸アケミ追悼コンサートで高田エージの『タンゴ』の最中に、悲痛なまでのある女性の叫び声がいまだにオレは忘れられない。2019年に復活したTokyo soy sauceで、その高田エージの『みちくさ』で踊りながら、あの日のビブラストーンを思い出していたのだ。野音の金網の外で、バブルの終わりにオレは『WABI SABI』を踊っていた。
<自分では、いつまでも古びない、そして他にはない独特の表現をここに残してきているつもりなのだが『VIBERHYME』>
と復刻版に近田さんは書いている。
残すも残さないも、そして古びるも古びないも、それを受け取った側の問題である。

そして『VIBERHYME』は復刻された。
今、つまらない大人の諸般の事情により電気グルーヴは配信されてないが、ビブラストーンはほぼ完璧に配信されている。
つまらない大人にならないようにハズレくじを選んでクソオヤジになってしまったが、それはそれほど問題はない。これは今聴くべきだし、今噛みしめるべき言葉たちである。

今聴かないとお前らいつか後悔するぞ、と思う次第である。

我が最良の80年代の記憶/TOKYO SOY SAUCE 2019

2019-03-17 14:59:17 | Music


今や80年代は悪い時代だったと言われる。例えば「MANZAIブームのあとには日本人の(笑いの)感覚が変わる、荒野になる」と時勢を斬った萩本欽一や沢田隆治(この人も毀誉褒貶相半ばする人だし、彼ら自身が時代の変わり目に直面していたわけだが)の言葉のように、あの当時であっても警告していた人はいたし、その時代に10代から20代を過ごした自分にとっても思い当たるふしはある。時代は変わってしまった。あの頃、鋭い社会批評だったものの多くは、その後に訪れる超反動時代の萌芽であり、21世紀を迎えた頃には呑気な時代遅れで、今や幼稚でしかない<本音>に反転してしまった。
しかし80年代が最悪の時代だったからといって、すべてが最悪なわけではもちろんない。そしてもちろんこれは笑いの話ではない。

昨夜は渋谷のクラブクアトロでTOKYO SOY SAUCE 2019へ行った。彼らと彼らがいたステージは最良の80年代のひとつだった。
1986年の初回から30年以上の時間が経ち、ミュージシャン、スタッフ、オーガナイザーなど少なくない関係者が逝ってしまった。しかしs-ken、Oto、松竹谷清、そしてこだま和文というイベントの中心人物は健在であり、3.11以後、生活拠点を熊本の山中で移していたOtoをs-kenが訪ねたときから復活が話し合われていたのだという。
しかしオレ自身には<TOKYO SOY SAUCE>の記憶はそれほどない。初回(渋谷ライブイン)に行っていないのは確かだが、その後5回まで行われたイベントに行ったのか、行っていないのか記憶にない。確かなのはインクスティック芝浦ファクトリーという場所には頻繁に行っていて、彼らはその場所によく出演していた、それだけだ。若造だったオレには<信用できる場所>が必要で、例えばザ・スズナリと同じぐらい、その当時インクスティック芝浦ファクトリーは信用できる場所だったのだろうと思う。ちなみにJAGATARAの最後のライブなってしまった新宿のパワーステーションには行かなかった。たぶんパワーステーションだから行かなかったのだと思う。また観られるだろうと。油断した。往年の<TOKYO SOY SAUCE>のようすはJAGATARAのドキュメンタリーである『ナンノこっちゃい』で観られる。倒れるほど観た。あの『ビッグドア』は聴いたことがなかったので悔やんだ。しかしあれこそがオレが観ていたJAGATARAだった。

JAGATARAは今もなお強度のあるアケミのメッセージとビートでオレたちを踊らせ続ける。この夜のようなパンキッシュな『みちくさ』のコール&レスポンスは、ノスタルジーだけではなく今の時代だからこそできた呼応だったのだと思う。『都市生活者の夜』でノブが「甦れ!」と叫んだのもきっとそういうことなのだ。ノスタルジーだけではないのだ。いやノスタルジーではないのだ。少なくともオレにとっては(ノスタルジーといえばJAGATARA2020でベースを弾いていた黒猫チェルシーの宮田岳の佇まいがナベちゃんにそっくりで驚いた)。
彼らはポップで国境線のない、踊るオルタナティブで、新しい日本人を作っていた。
堂々たるゴッドファーザー然としていたs-kenと松竹谷清、そしてこだま和文の完璧に「楽しい」ステージで踊っていて、そしてあえてこの夜に『Shangri-la』と『不滅の男』をプレイした高木完に改めてそのことを痛感した。オレたちは、否が応でもすでに<楽しむためには正面切って戦わざるを得ない国>に生きていて、そして彼らのライ「ヴ」を観て、スピリッツを受け継ぎ、踊りながら考えて、大人になったのだ。

s-kenの最後の挨拶のあと、南、Oto、EBBYの三人が名残惜しそうに去っていく姿は『ある平凡な男の一日』が聴こえてくるようで、まるで『ナンノこっちゃい』のワンシーンのように思えた(Otoはいつもあんな風にフロアを煽っていた印象がある)。みんなもうさすがにいい歳なのだが、またここから何かが始まるのだろうと思う。オレたちは生き残っている限り、そうでなくちゃいけない。
ステージで、そしてフロアで踊っていたみんなも。

東京が自分の町ならば。


20190316 TOKYO SOY SAUCE2019 大団円

傷心のシーズンを越えて

2019-02-28 22:28:46 | 素日記
何もやるにしてもあまりにも支障出まくりなので久々にPCの中を大整理していたら、2011年と2012年のエスパルスのゲームの動画が容量を喰いまくっていたことが改めて判明した(まあ、予想していたことではあるけれども)。どれほど健太のエスパルスを愛していて、2010年末の大崩壊に落胆して、2011年から2012年前半にかけて傷心のシーズンを過ごしていたのかという…いや、まじで。
それにしても2011年シーズンから2012年シーズンはさまざまなことが起こった。降格シーズンにも書いたことではあるけれども、やはり2012年にタイトルを獲る可能性はあった。それはゴトビを延命させることにはなっただろう。それがエスパルスにとっていいことだったのかどうか。あのフロント体制ではいずれにしても2010年に続く崩壊はやってきていたのだろう。それほどあの頃の体制には現場をサポートする上で問題があった。まるで覚悟がなかった。どう考えても当時の社長だった竹内さんはリーダーに相応しくなかった。
しかし2018年シーズンを通して、やっと「戻ってきた」と感じている。どんだけ傷心だったんだよと思うが。

久々にホーム開幕戦が楽しみになっている。
勿論エスパルスのことだけではないが、このブログも復活させようと思う。

noteに投稿した記事について

2018-07-09 16:25:27 | 素日記
先日noteにupした記事「Let's Work Together」を取り下げました。記事に対して反応した木本君とやりとりをし、不完全な事実認定のもとに書かれた一面的かつ一方的な表現があったことを認め、記事を取り下げると共に高橋と木本君に謝罪します。もはや木本君に届くかどうかはわかりませんが、件のテキストについては、noteの企画を進めていく中で、可能ならば今後全面的に見直した上で改稿したいと思います。
わかったつもりでいない、わかったような顔をしない、わかったようなことを言わない、あの頃はそのルールをわかっていたような気もしますが、あまりにも時間が経ち、場所も離れてしまっていたのだと自分の甘さを痛感しています。

抗議の場に<声なき声>はあり得るか

2018-03-17 17:03:39 | News
<「激しい口調のコールをできない人も参加している」という反論もありますが、そういう普通の人の声をもっと拾ってほしい。安保反対のデモに囲まれた岸信介が「声なき声」は自分を支持していると言いましたが、その「声なき声」こそが大事なので。@aki21st  #0316官邸前大抗議>
(町山智浩Twitter 2018年3月16日)



昨晩のことは改めて書くとして、町山智浩さんのツイートが話題になったので書いておく。
そもそも、それを<声なき声>と表現して良いものかどうかはとりあえず置いておく(果たして抗議の場で声なき声があり得るのかというのは、よくわからない)。

<声なき声が大事>と書くのと、<その「声なき声」こそが大事>と書くのでは大違いである。岸信介や安倍晋三が言う「声なき声」とは、どう考えたって「自分に都合の良い、声なき声」でしかない。では1960年の岸信介は何と言ったか。
「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りだ。私には声なき声が聞こえる」
である。何故町山智浩が<岸信介が>などという余計なことを書いたのかよくわからないが(好意的に捉えても意味が変わってしまう)、その声なき声は岸の脳内で都合良く解釈した幻聴でしかない。「私たちに問題は任せて国民は楽しんでくれ」というわけだ。安倍も間違いなくそう思っている。
現実には、かつて声なき声であったかもしれないものは、すでに官邸前や国会前ではっきりとした声であろうとしているのだ。

抗議も終盤に差し掛かった国会議事堂駅出入口の攻防のあと、じりじりと警官隊を後退させて官邸前に向かって茱萸坂を上って行った人々は、<声なき声>に甘んじることに耐えきれずに、あの言葉を言いたくて、または自分の声を伝えたくて官邸前にやって来たのだ。
この2018年に、声なき声などという権力者に利用されやすい甘い幻想をもう持つべきではないし、そんなものに加担すべきではないのだ。卑怯者たちと戦っているのに、何故そんなにナイーブでいられるのか。

とはいえ、抗議のあと、オレたちは嫌でも金曜日の夜の電車やバスで家路に着く。そこには岸信介が言うように「いつも通り」の光景が広がっている。つまり声なき声はそこにあるのだ。そして、それは声なき声ではなく、圧倒的無関心というのだ。
言葉は人の口から吐き出されて初めて声になる。その瞬間を目の当たりにしている人間には声なき声などという、使う人間に都合の良い言葉にリアリティーなど感じるわけがない。少なくとも「そこ」にいる人たちは、誰ひとりとして、決して声なき声などではないだろう。


喧嘩両成敗のその先

2018-02-22 11:23:40 | News
TLに流れていた昭恵ツーショット画像集、しっかり見てなかったけど、これネトウヨ桂春蝶だったのか。
今時(というか今だからこそなのか)、低レベルな自己責任論がなぜか関西芸人から連発される。
しかし「世界中が憧れるこの日本」って凄いパワーワードである。ま、こんなものは「日本スゴイ」の言い換えでしかないのだが。



73年前の南米で起きた「勝ち組負け組」の抗争が21世紀に見られる日本は、悪い意味で確かに凄いと思う。
しかし単なる思考停止と、もはや態度を決めなければならない事柄についてまで他人事でしかいられない、日本人の「喧嘩両成敗」(どっちもどっち)のカルチャーは、やはり見直されるべきではないのか。

<「問題を起こしたら双方を処分」するのではなく、「問題を武力で解決(故戦防戦)しようとしたら双方を処分。」である。>(Wikipedia)

移民社会への抑圧や不満があったとはいえ、やはり勝ち組は明らかに間違っていたし、負け組は彼らの暴発を食い止めようとしていたのだ。73年経った今、海の向こうではなく、この国で起きている勝ち組と負け組の抗争について、喧嘩はともかく、やはり問題を見極め、態度を決められない姿勢は問われなければならない(だろう、きっと)。

もうすでにこの国のリーダーが勝ち組ではないか、という絶望は置いておいて、私たちの「抗争」が書店の本棚で起きている程度のうちに。