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小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。

逃げ腰な車たち

2015年04月22日 | 私への嫌がらせ
かつては私の前をさえぎるように立ち止まる車が多かった。

ところが最近は逃げ腰に見える。私の前で止まるのを避けているように見える。私が近づく前に、車たちは去って行ってしまう。というのも、私がこれらの車に三色旗テープを貼るようになったからだ。(三色旗とは、某宗教団体の旗)

三色テープは教団系の店に売っている。あるいはネットで売っている。また三色リボンも使う。これらを国旗型に切って車のボディーに「ペタッ」と貼り付けるのだ。

三色旗を貼り付けられたまま路上を走ったり、信号で止まっているのを見られる車は恥ずかしい。後ろに止まる車も加害団体の車だったりすると、前の車に三色旗が貼られているのを見て笑うか恐れるかするだろう。

ある車は、私の歩く進路を妨害しながら、携帯電話で話しながら私のほうをあざ笑って見ていた。私は車の後ろを通りながら、国旗状に切り取ったの三色旗リボンをガラスのど真ん中に貼り付けた。その後、このあざ笑うおじさんはどうなっただろう。

このように三色旗ぺったんを続けるようになると、いつしか車たちは私の前で立ち止まることが少なくなってきた。さっと逃げるように去る。

ある車は私の前を通りながら、国道に入ろうとしていた。しかし国道が混んでいて、入り込むことができず、私の前で立ち往生した。すると運転手はあきらめたようにがっくりと肩を落とし、「ああだめだ、やられる」といった表情をした。期待通り貼ってやった。

あるとき、黒い車とその後ろに商業用軽トラックが2台続いた。そして黒い車は私のすぐそばの路肩にわざとらしく急停車した。2台の軽トラックは少し間を開けてその後ろに止まった。私は黒い車の後ろに回りこみ、三色旗ぺったんをした。後ろの車に見られていることにはリスクも伴うが、私はあえて貼った。するとすぐに黒い車の運転手が出てきて車の後ろに回った。そして続く2台の運転手も出てきて、何事だと言わんばかりに三色旗のところに集まった。そして私が三色旗を貼った事を問題視しているようだった。

私は振り返りながらこの光景を見てニヤニヤ笑った。私を呼び止めて問責するか。しかし小さな三色旗ごときで騒ぐほどのことではない。粘着力も弱めているので、はがそうと思えばすぐにはがせるし、ボディーに傷も損害も粘着のりの跡も与えない。それに、とんでもないものを貼ったのならともかく、きれいな小さな三色旗を貼ったのだ。大人が三人も寄ってたかって喧々諤々するような問題でもない。「何だこれ」と言ってはがせばすむことだ。

しかし嫌がらせに命をかけている教団員にとっては、これはただ事ではないのだろう。

三色旗テープを車のボディーに貼ってもらえるとは、彼らにとっては誇りのはずではないのか。「私は他人様から三色旗を貼っていただいた。何と嬉しいことか」と思わないのだろうか。しかしこの三色旗のもとに悪事を働いている人々にとっては憤懣やるかたないことなのだ。自業自得だ。私は彼らに喜んでもらえるはずのことをしているのだが、彼らは怒っている。

2台が後ろに続くことも三色旗ぺったん対策だったのだろうが、むしろ彼らは馬鹿を見たのだ。私に対してさほど脅しの効果もなく、却って笑われてしまった。

その後、私の前を行くのが危ないと見た加害者の車たちは、私の後ろを通ったり、私が通り過ぎてからエンジンをかけたりした。私は用事を思い出した振りをして後戻りし、エンジンをかけた車に近づいて後ろをさわった。今度は三色旗を貼ったのではなく、貼ったふりをした。すると運転手の年配女性は運転席を降りて後ろに回り、私がさわったあたりを心配そうに眺め、三色旗を探した。しかし私は貼ってない。ふりをしただけだ。わたしは振り返ってこの女性の行動を見ながら心の中で大いに笑った。

この滑稽な一連の光景を、まわりの加害者の車たちは見ていた。どう思っただろう。

三色旗リボンやテープは小さなものだ。これを車のボディーにタイミングよく貼るのは実は難しい。下準備がいるし、練習が必要だ。しかし効果は小さくないようだ。
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