井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

宍戸錠さん

2020年01月22日 | 日記

思わぬ訃報に接して・・・・仕事でご一緒した方の訃報にはとりわけ寂莫の感あり。 錠さんとは西伊豆の宿の一室で酌み交わしたことがあり、なぜだかそこに山口達也くんと国分太一くんがいた。

錠さんがお酒が強く長引きそうなので、山口くんと国分くんには先に寝てなさいと部屋に引き上げさせた。 同じ宿には、稲垣吾郎くんとも朝ドラのロケで同宿したことがある。15歳だったそうで 少年たちは大人になり、錠さんは旅立たれた。歳月の足取りはわたしたちをこともなく追い越し置き去りにしてとどまることがない。 吾郎ちゃんは、30年ぶりの朝ドラ出演らしい。

一回目の朝ドラの時は、SMAP結成間もない頃で、打ち上げの席で吾郎くんが顔を両手で覆い、華奢な背中を震わせて泣いていたその姿を思い出す。

同じ宿で、橋爪功さんやいしだあゆみさんともご一緒だったことがある

私が宿のある町の名誉町民で 私が書く作品のロケには、その町と宿を使うことが多かった。私の名をかぶせたゴルフコンペもかつてあり、役者さんたちが参集していた、陣内孝則さんの姿もあった ゴルフとは関係なく松村達雄さんもいらして 黒澤明監督への愚痴を聞いて飲んでいたりもした。

賑わいの季節だった。当時の登場人物たちがふっっとかき消え、その時の座敷だけが、がらんとしたスタジオのように網膜にぼんやり残っている。

 

宍戸錠さんのご冥福を祈りつつ。

「井沢満はオレを使わねえな」と 盃を手に少しからまれたが 駄々っ子のようで嫌な感じではなく、今はひたすらなつかしい。


昔の自著 「英雄伝説 HARIMAO」

2020年01月17日 | 日記

必要があって 「英雄伝説 HARIMAO」という昔の拙著を取り寄せようとAmazonを検索したら文庫本なのに、2万5千円の値がついていて

仰天した。

招待枠でアカデミー賞の授賞式に行った時、ハリウッドのホテルの一室で書き始めた作品であるが、たをやめぶりの作品が多い私には唯一の

ますらおぶりの小説で朝日新聞の書評欄で珍しく激賞を受け、松竹で映画化された。ざっと読み返してみたのだが、時間がない中の執筆だったにもかかわらず

文章も構成もみずみずしく張りがあり、これは若さゆえの特権であったかと感慨を抱いた。推敲もなくすっ飛ばして書いたのが、かえって勢いがあり
おそらく集中度もピークだった頃。自分で書いたような気がせず、これは要するに「降りて来て」書かせてもらっている恩寵の中にあったのだろう。まれに

そういう作品がある。自著を買いためておく習慣がないために、いくつかの本が稀覯本になってしまっているらしい。それでも手に入ればいいほうで いくつかの本はもう

永遠に手に入らない。 10冊程度は手元に置いて置くのだったと悔やんでも遅い。「英雄伝説」に関しては読んで頂きたい人が、いくたりかいらっしゃるのだが。それでも電波の空間に消え果ててしまうドラマと異なり活字は残る。この年令となっては墓碑銘に等しい。

 


麻生発言に思うこと

2020年01月14日 | 食べ物

 

「日本は同じ民族が同じ言語で同じ王朝を築いた」という麻生太郎氏の発言が問題になっている。

 以前ラジオを通じて「日本は単一民族の国」と発信したことがある私に批判する資格はないが、言い訳すれば、「アイヌ民族支援法」成立の遥か以前の発言であり、当時の日本人が抱いている感覚ないし概念は総じて単一民族であったし、ラジオ局から注意を受けることもなかった。麻生太郎氏にはこう発言したら、こう批判を浴びるという想像力が、その立場にしては希薄、その場の勢いで後先考えない発言があり、擁護はしないが、今回の発言がまるで的外れかというと、それはない。大和民族が、2000年に渡って一つの言葉を用い、同じ王朝を築いた」というのは事実である。

麻生氏は、「同じ民族が」と言わず、「大和民族は」とすればよかったのかもしれないが、それでも食いつきたい人たちはいるのだろう。しかし初代神武天皇以降一系でつないできたということは日本人の[〈基幹としての〉精神性の矜持を語るには外せないところではあるまいか。

なかんずく同じ言語の共有が大和民族の特性と一貫性を語るには必須だとも思われる。記紀以前に存在したとおぼしき古史古伝にある神代文字を勉強し始めている時なので、より私にはその思いが深いのかもしれない。他民族排除論ではない、ラグビーのワンチームには共感を寄せたし 矢作先生たちの「歴史を含めた日本への敬意を抱き、価値観を共有出来るなら、日本人として受け入れるにやぶさかではない」という意見に私は与する。

属する国籍や民族の次元ではない。

 

余談だが「神代文字にはコード(暗号)として情報が封じ込められている」と矢作先生たちはいう。さらには、以降は突飛ともとられかねない大胆な説だが、神代文字は銀河系宇宙から降ろされた文字である、とも。したがって神代文字は地球の成り立ち、あるいはそれ以上の情報をも含む、と。上皇陛下の手術に携わった医学博士というお立場からして、つくづく勇気のある発言だと思う。東大病院は去られたが、口をつぐんで名誉ある経歴に安住できるお立場なのに。きっと何か、やむにやまれぬ思いに背中を押されてのことだろう。私はとりわけ鳩山由紀夫氏を代表格とするスピ系の人たちのこの三次元の厳しい政治外交を等閑視した「平和教」のごとき思想がとかく根拠なき理不尽な日本叩きへと傾くのを良しとはしない。自らサイキックな資質をお持ちだとお見受けする矢作先生たちの発言に素直にうなずくのは、GHQや国際連合という名の実態は戦勝国連合による日本貶め、中韓の理不尽な言いがかりに対しても、はっきり否を表明していらっしゃるからだ。

ちなみに時の施政者による改ざんがいくらかあるとはいえ、古事記の序文には「『先代旧事本紀』や『帝記』を参考にした」とある。では記紀に先立つ古史古伝は何語を用いて書かれたのか」ということであり、そこからも神代文字存在の可能性が導かれる。

矢作先生たちによれば 神武天皇は高天原という宇宙の高次元とつながった元来平和主義者であり

「征伐」というごときことはなかったとおっしゃる。私も高天原は三次元の具体的地名ではないと思う。神話の言語は、形而上言語であり形而下のそれではない。

神々とつながっていたのが縄文人であるという矢作説によれば、日本人とは縄文人から霊的DNAを受け継ぐ存在である、とも規定されるのかもしれない。

大陸から来た者たちとの合体が弥生時代を作り、縄文人たちの作り上げた文化が格落ちして現在に至る・・というニュアンスでの発言も矢作先生にはある。世界のあらゆる文明は日本発である、とも。神々の別名は「地球外生命体である」という意味のことも述べられ、目をはじかれる思いをすることがある・・。太古神々が日本に降りた、として観察者の意識によって結果が変わる量子力学をベースに語られてもいて、物語を読み明かすような知的高揚を伴う面白さもある。

しばらく矢作先生を筆頭にこの近年続々と登場した知的グループの発言をしばらく追いかけてみたい。グループには霊能者も含む。矢作先生自身が霊能者に近い感受性をお持ちだと思うが。

文中の不備については後ほど、ということでご寛恕を乞う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


やはり日本は言葉の国だった

2020年01月12日 | 日本語について

日本の文字の発祥が中国由来の漢字であるということがどうにも腑に落ちず、神代の文字について以前触れたことがある。

枕草子や源氏物語を送り出すほど言葉の豊穣さを誇った日本が、他国に文字を頼るほど言語に不自由していたとは思えなかったのだ。

神代文字は神社の御札やヒェログリフとして古い岩に刻まれた文字に見られるのだが、学説として定着しているわけではなく、わたくしなどは片隅でボソボソ呟いてきたに過ぎないが、このところ神代文字について、真っ向から肯定的な意見が出されるようになっていて、それが專門の学者ではなく、矢作直樹氏のような医学畑の人が堂々と発信なさるようになり、わたくしごときも、語りやすくなって来た。

矢作直樹・東大大学院名誉教授の発信なさる内容に共感を抱き、尊敬申し上げつつ私淑していることは、以前こちらでも記した。

まず、日本最古の歴史書とされている『古事記」『日本書紀」の編纂が8世紀のはじめ。それより古い文献が実はあるので、それが『古史古伝』である。『古史古伝』他、磐座の文字が神代文字であり、重要な情報がコード化されて埋め込まれているという。霊性の高い神代文字が一種の隠蔽をされたのは西暦663年の朝鮮半島における白村江の戦い以降であるというのが矢作説である。白村江での敗戦により日本に入り込んできた唐勢力が日本文化抹殺の一環として神代文字を抹殺した。

第二次大戦後のGHQも全く同じことをしている。日本人の精神と日本の国体の弱体化を試みる時、まず言葉が狙われる、ということをはらに据えて置きたい、すなわち言葉というものはその民族の精神であり、国体なのだ、と。靖国神社のぼんぼり祭りに奉納するぼんぼりに貼る半紙にも、わたくしは「日本語は国の防波堤」であるとして、同じ文言を書き続けている。

矢作先生もGHQによる日本弱体化施策について発信していらっしゃるし、霊的感受性も強いようで、不思議な体験も多く、このところ今まではいわゆるスピ系の人しか発信しなかった事柄を積極的に語られるようになっていていよいよ親近感を勝手に抱いているのだが、お目にかかりたいと願いつつ、接点がない。一度わたくしが出入りしていた尾崎財団にいらしたことがあり、お付き合いのあった明治神宫至誠館の館長さんが現在いらっしゃるところにも顔を出していらっしゃるようでご縁をたどればまったくないというわけでもないようだ。もしご縁を結ぶ必然性があるなら、時満ちればお目にかかれるだろうし・・・・当分は書籍で追っかけをやるだろう。

矢作先生は、日本の縄文文化を高く評価、これも同意。縄文展に出かけ、そこに展示されたものたちの 火焔土器(トーラスであろう)はじめ日用品が、世界の四大文明の出土品に引けを取らず、それどころか優れているものもあることに驚嘆しまた不思議に思ったことは、以前述べた。火焔型土器はトーラスというフリーエネルギーのひとつだというのも、矢作先生からの受け売りである。 遮光器土偶は宇宙人であるという説にもわたくしは諸手を上げて賛同する。

矢作先生は、縄文時代の文字や稲作他の文明が、むしろ世界に伝播したのだとおっしゃる。縄文時代の高い精神性を私たち日本人は思い出すべきだとも。縄文文化はレムリアからの移住者により影響を受けているのだとも述べられ、先生自身が過去世 を感知、高次元に意識をつなぐことが出来る霊的感性をお持ちであることを近年、隠さず表明されるようになり、ますます親近感を抱くようになっている。

 

そういう時代なのか、矢作先生を筆頭に、医学博士や物理の専門家の錚々たる人たちが賛同を表明し、グループを形作って、ユーフォや宇宙人の存在を肯定、世の中に発信すべく活動を始められている。我が意を得たりと思っていた矢先、英国の女性の宇宙飛行士が宇宙人はいると明言、地球上にもいるとさえ発言したというニュースを見かけた。

今まで狭いスピ系の世界でしか通用せずオカルトとして退けられて来た事柄がこれも近年、量子力学という科学の見地から語られるようになった。

時代が大きく転換しているらしい。いわゆるアセンション次元上昇についても、冷静に述べられることも多くなっている。

量子力学について一端でも学ぼうと取り寄せたのが『量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」、岸根拓郎・京都大学名誉教授著である。專門の見地から量子とは何かが述べられ、かたわら「祈り」の力他にも言及されていて興味深い。読みながら矢作先生たちの論と突き合わせつつの検証など、いずれ試みてみたい。

ここ一連の急速な動きを見ていると、世界は新たなパラダイムにシフトしつつある、というわたくしの感慨も、大仰だとも思えないのだ。

自らに関わる余談だが、よく見る夢のパターンのうちから二つ。 1つ目は、洪水に飲まれ流されている夢で、それ自体に伴う恐怖感はあるが、もっと怖いのは、洪水から逃れて山の頂上まで逃げ延びて、しかし頂上からふと眼下を見ると、洪水はひたひたと山の頂きにまで迫っていて、その時の絶望感。日本国内で山の頂上まで来る洪水は想定できず、となれば外国での過去世の体験の再現か、大陸ごと沈んだとされるレムリアやアトランティスにいた頃の”記憶”やもしれぬ。

 

もう一つの夢のパターンは、地面からふわりとからだが浮き上がり、(ああ、そういえば人間は空を飛べたのだった)としみじみと”思い出して”いて、目が覚めてからは、人間は半分光で半分が肉体であるという《半神、半人》の時代が確かにあった・・・という記憶にも似た思いなのだ。思い出す、というニュアンスが添う。

こんならちもなきことを人前で述べたことはないのだが、ムー、アトランティスまで語り始めた矢作先生とそのグループの学者の人々の近年の発言姿勢に背中を押されるていで、末尾にふと記してみた。私にもいくつか過去世の記憶めくものはあり、エジプトで神官をやっていた時代の名前まで"知って”いる。矢作先生も、古代イスラエルの失われた十支族のメンバーであった頃のポジションと名前を述べていらした。 ヘンな人たちが増え、皆さんとびきりのインテリであることで、わたくしのような者まで息がしやすい時代になりつつある。

どこぞの星からワンダラーとして地球に来たわたくしたちは、地球という魂の修行場で営々と進化の旅の途次にある者かもしれない。楽しく学ぶ、ということも言われているが、わたくしにそんなゆとりはない、喘ぎ喘ぎ苦しみながら、それでも楽しいことも華やいだ祭りもあるというのが わたくしが選んだ修行内容レッスンの実相であるらしい。進化の道を苦悩しながら歩む同士よ、とふと誰かに呼びかけたくなった。

いずれにしても魂という意識体それ自体に消滅はない。《永遠の進化》が宇宙の法則であろう

。笑みを忘れず進みたい。

誤変換他その他の不首尾は後ほど・・・・。

 

 

 

 


白髪のピーター

2020年01月09日 | 日記

旧年、嵐の諸君が参加したあの「天皇陛下即位記念式典」の役員を仰せつかっていて、どういうものかご指名で末端に名を連ねているだけで実質何をさせて頂いた、ということもないのだが、役員の肩書がある間は自らが不祥事を起こさぬまでも巻き込まれぬよう身を謹んでいようとそれなりに緊張していたのだが式典は無事終了、お役御免でほっとしていたら、いつの間にか年を越していた。

過日、三田佳子さんと銀座の和食店に出かけたのだが店内に入るなり、丁寧に腰をかがめて挨拶をしてくださるやや高齢の女性がいらして、後でふっと気づいたのだが大プロデユーサーの石井ふく子さんだった。

石井さんのお辞儀の丁寧さにつられて、こちらも深々と腰をかがめてよかった。ドラマの世界の大先輩である。
三田さんと個室でゆっくりしている私のもとへひょっこり挨拶に来てくれたのがピーターさんだったのだが、頭髪が白い・・・・

え、もうそんな歳だったかなと驚いていたら、三田さんが「あれ 今流行りなのよ」と。

ところで石井さん、90おいくつとうかがって仰天。現役で今も舞台の演出をなさっているそうだ。

セーターは、三田さんにプレゼントして頂いた、イタリアの手編みである。銀座の高島屋で マフラーも対で頂いたのだが 相変わらず拙宅室内から

いろんなものが昇天していて、マフラーも早々と見当たらなくなった。セーターは幸い手元にあり 普段着によく着て歩いている。

 

 

こちらは久々の藤真利子ちゃんたちと。昔、横綱審議委員の方に「冷えた酒は飲むな」と言われたのがなぜだか耳に残っていて、日本酒のぬる燗を頂くことが多い。

メルボルンに暮らしている頃 暖炉の際にビールを置いて温かいのを飲んでいたことを思い出した。

暮れは紅白をちらっと見たが、若い歌い手たちが鼻濁音ではない「がぎぐげご」と濁音で歌うのが耳障りだった。気にならない人たちが多くなったのかもしれない。

「日本語は響きと調べである」というのがわたくしの持論だが、鼻濁音を置き去りにすると「響き」と共に「調べ」も濁る気がする。そもそも鼻濁音がなぜ誕生したのかを不勉強で知らないが、濁った音を鼻に抜けさせることで、がさつな音にほのかなベールがかかる気がする。

百恵さんが歌い手になった息子さんに、「この曲は鼻濁音で歌ったほうがいいんじゃない?」とアドバイスしたということを何かで読んだ時は嬉しかった。鼻濁音は昭和の響きでもあるかもしれない。

というわけで 遅れ馳せながら あけまして おめでとうございます