井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

直面 三島由紀夫の素顔

2018年05月31日 | 日記

無事、帰国致しました。時差ボケはさしてないようなのですが、それでも
しばらく使い物にならず、ぼーっとしています。

愚痴混じりの紀行文を読んでいただくのも気が引けていたのですが、
なんとかハッピーエンディング、おかげさまで。

離れると思うと、ローマの街がにわかに愛おしく裏道を歩いて
別れを惜しみました。人生もきっとそう。嫌だ嫌だと思いつつ、
終わる頃に、ここ(地球)もそんなに悪くなかったな、と
愛惜の念を懐くのかもしれません。そうでありますように。
嫌だ、嫌だ、ああ、やっと終わった、では残念です。

成田から都心へ向かう道すがら、美的感性で造られたローマの街に親しんだ目には
なんとも殺風景なバラックの無秩序な林立で、愕然。東南アジアから帰国の時は、
なんと整然と清潔な街であろうかと、その特有の空気の潤いと共に感嘆するのですが。

寄せられるコメントにはお返事も叶わず、失礼致しました。

行きは、故意に徹夜して飛行機に乗り込み精神安定剤と睡眠薬の多用でほぼ仮死状態で
上空を運ばれ、揺り起こされたらローマでした。ありがたかったのですが、
薬剤の服用が過度で、降りてからもふらふら。よく税関で、止められなかったものです。
帰りは用心して、帰国日は2時間ほどの仮眠の上、
航空会社のラウンジで精神安定剤を飲み、
機内で食事を摂り、ある程度時間が経過してから軽めの
睡眠導入剤を服用したら、適度にうつらうつらしながら本を読み、
そうこうするうちに、二度目の食事になる頃には眠り込んで、
ベッド状に平らに倒した座席に横たわったまま布団をかけて、成田まで熟睡。

なので、行きは飛行ほぼゼロ時間。帰りは、実質3時間ほどだったでしょうか。

薬を上手に使いこなせば、海外も平気かもしれません。
これなら南米までも飛べるかもしれない・・・とすぐ調子に乗るのですが・・・
性格自体が極端から極端に走る傾向で、中庸ほぼ無し。心がけてはいるのですが。

さて、機内の読書はタブレットに入れ込んでおいた岩下尚史著の「直面(ひためん)」です。直面は能を、面をつけず舞うことを指し、おそらく著者は三島の同性を恋うる
小説「仮面の告白」を対に置いたのでしょう。

直面は、三島の男との恋情沙汰ではなく、女性との濃密な恋愛を描いていて
三島という男、一筋縄ではいかぬ、と改めて思わされます。
三島の男関係については、情を交わした男から直接話を聞かされたこともあり、
そちら方面のことは割に知っていましたが、女性関係については
晩年近くある舞台女優さんと、ということだけしか知らずにいたので、「直面」で
るる述べられる女性との濃密な色恋沙汰は、新鮮でした。
優れた物書き、あるいはアーチストは男女両性をその裡に持つことが
多く、それじたいは承知はしていても、三島のように入り組んだ
性愛への感性と、高い知性と、いくらかの武士と、ないまぜになった人は稀有でしょう。

といって、すぐ眠ってしまったので速読の私にしてはいまだ五分の一ほどしか
読んではいないのですが。
口幅ったさを承知で申せば、専門領域に関わる言語を除けばあらゆる本を
読んでも未知の言葉に遭遇することは、めったにない私なのですが、
岩下氏の日本語は独特の癖をもちながら語彙の光彩陸離、この私が
(と、あえて傲岸に言い放つのですが)初めて遭遇する言葉、知っているが曖昧なまま語囊に放り込んだまま未確認の言葉の連打。

多少とも日本語は知っている、といううぬぼれは禁物だと禅の警策で肩を叩かれた
思いでした。

それにしても三島。親交のあった美輪明宏さんからも、いくつかの逸話は
耳にしていますが、性愛を含めてまるでプリズムが放つ虹彩のようにも
複雑で、そこに政治的な思想も加わりますから、やはり凡人の
理解を超えています。

ただ、その政治的発言に関してはここ数年、やっと(おそらくすべてを)
理解出来るようになったかと、思われます。

三島由紀夫という人は、視野が八方には届かぬ靄を周りに漂わせ
屹立する山なのでしょう。

政治的心情を寄せる人々には、別の頂きを、その芸術性を愛する人々が
観る光景はまた別の様相を、その複雑な性愛からアプローチする
人には、不思議な谷を垣間見せる山なのでしょう。

まだ、ぼうっとしていますが、今日は午後から帝国ホテルで
仕事関係の方々にお会いし、イタリアのファンの方々に
おびただしい握手と拍手、歓声とで愛され甘やかされゆるんだねじを、帰国早々キリリと巻かねばなりません。


地味な仕事師に戻ります。

 

誤変換、誤認識他、後ほど。

以下、順不同の画像です。

 

 
ホテルに居着いた、「モナ」。映っている手は私です。
 
 
 
 
もう一匹の猫「リサ」です。中庭に出ると、緑の匂いが鼻腔を洗います。
 
 
 
カーテンコールの時もらった贈り物です。中にはパンフレットと、舞台で使われた
ブレスレッドのレプリカが納められていました。
 
背景は、浴室窓から見える裏通りです。
 
 
 
 
 
 
演目パンフレットの中身。物語がイラストと画像でまとめられています。
 
 
入場チケット、人のを借りて写しました。
 
 
 
ホテルで朝食中。
 
 
 
ホテル裏手の丘を散策中に、陽が沈み始めました。
 
 
 
 
航空会社のラウンジで、行きは閑散としていました。ウィークデーだからでしょうか。
 
 
バーも充実。写メしている私が鏡に映り込んでいるのがご愛嬌。
導眠剤を用いるので、酒は控えましたが。私が使った種類の眠剤に、お酒を重ねると一定時間の記憶が飛ぶのです。
別に憶えていたいほどの人生ではありませんが、実務に支障を来しかねないので。
 
ご飯が美味しいのと、居心地がいいので長居しているうち最終搭乗のアナウンスが
聞こえ、長い廊下を搭乗口まで小走りに走ったのでした。
 
 
 
 
 
 
アリタリア航空のこの便だけなのか、他もそうなのか知りませんがファーストは無く、ビジネスと、エコノミーの二種のみで、これはビジネスです。
小柄な私には、まっ平らになるリクライニングがほとんど快適なベッドでした。
椅子が、電動でマッサージ機に切り替わります。
 
私は放つ「気」が強く(怪しげな話ですが)、機器に影響を与えることがたまにあるのですが
行きも帰りも受像機をぶっ壊しました。筆頭スチュワーデスが、いろいろいじってくれるのですが、「ここだけ機器がクレージーになってる、わけわかんないわ!?」と慨歎してました。
 
枕元のスタンドの電球が爆発したこともあります。鳩山夫人に頼まれて「ラスト・サムライ」の
日本側プロデューサーを紹介した店で、座ったカウンターの頭上のライトが5つほど、ふいに
点滅を始め、店の人も鳩山夫人も目を見張り、プロデューサーは「Oh my god!?」と
呆れたこともあります。(プロデューサーは日本の女性ですが、海外が
長いのか、ふとした時に英語を口走ります)
 
信じようと、信じまいと、のらちもないお話でした。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

パンフレットの表紙。↑

Omaggio a Georgie Il Musical

これはシスティーナ劇場のではない他の劇場で、別キャストでの上演ですが
比較的内容が豊富に紹介されているようです。

Georgie il Musical: intervista a Lalo Cibelli

役者さんへのインタビュー音声らしく「イザワがどうの」と語っていらっしゃるようですが、さっぱりわかりません。

 

イタリアのファンの方と。

あちらからアクセスして、「私のがない」と思わせるのは申し訳ないので
見つける都度、アップしているのですが全部は無理です・・・・。

 

5日間、寝起きさせてもらったホテル・デ・ルシーです。

 

 

好きだった裏通り。この一隅に「ローマの休日」のグレゴリー・ペック扮する新聞記者が住んでいたアパートがあります。ここをホテルからまっすぐ20分ほど歩くと、スペイン広場。
逆方向に歩くと、すぐポポロ広場です。

 

ここがグレゴリー・ペックのアパートではなかったかなぁ、と思いましたが
説明がついているわけでもなく、分かりません。

もう一軒それらしいのを見つけたので、今度映画で確かめてみます。

 

聖フランシスコのアッシジ

 

 
帽子が私です。アッシッジにて。

アップしそびれている画像は後ほど。

 

 

 


ローマの月

2018年05月29日 | 旅行

 

聖地アッシッジへは車で3時間と聞いていたのですが、存外
早い到着で2時間半でした。
アントニオというドライバーの運転するベンツに、日本に4年間
留学していた、シモーネという日本語が流暢なガイドが
ついてくれての小旅行です。

アッシッジが近くなる頃車を駐めてもらって、麦畑の
いい香りを胸腔いっぱいに満たして至福。

どうも大都会の喧騒が好きではないようで澄んだ空気と
静寂の中の風のそよぎや小鳥の声に、落ち着きを
取り戻すようです。東京では諦め果てて暮らしているのですが。
かといって、田舎暮らしができるかというとそれは無理。
いっとき、持っていた熱海の山荘を手放したのも、
行きゃあしないからで・・・・たまに重い腰を上げて
出かけても、テレビの生出演で翌日東京に戻ったり、
あるいは朝のテレビ小説の原稿の締切に追われていたりで、
何より、人恋しくて山荘もさして意味がなかったのです。

ローマは街自体がアートですが、人気の少ない裏通りを歩くのが好きです。
ホテルはヘップバーンが泊まっていた「ハスラー」か、ピカソとジャン・コクトーの
コンビが芝居の企画を練っていたホテル「デ・ルシー」か、迷ったのですが結局、後者を選び、今思えば2つのホテルを泊まり分けてもよかったようなものですが、小回りのきかない私には無理な芸当で
あったかもしれません。

しかし、ホテルの裏手に「ローマの休日」でヘップバーンの
恋の相手、グレゴリー・ペック扮する新聞記者の
住まいとして使われた住まいがあると聞いて、今日
それと思しきアパートふたつほど見つけましたが、画像は
後ほど。スマホで撮ったので、帰国しないと転送が
できません。

ローマ滞在中は晴天に恵まれたのですが、私が到着する
前は数日間土砂降りだったそうです。
用事も最小限の観光も済ませた今、ローマの石畳を
濡らす雨も見たいものだと思っていたら、グレゴリー・ペックの
家を探す裏通りの道すがら、ぽつぽつと落ちて来て、
石畳がしっとりと潤い、ありがたいことでした。
雨気が漂うと、裏通りに白く咲くジャスミンの香りが
より深くなりました。クチナシと並んで好きな
香りなのです。
雨はしかし通り雨で、ややしばしローマの夜空にはぽっかり
銀貨のような
丸い月がうかんだのでした。

アッシジから戻ったら部屋の電話機の赤ランプが点滅していて
メッセージランプだということはわかりましたが、受話器を
取っても、何の反応もなく散歩に出るついでにホテルの
フロントに寄って尋ねたら、誤作動とのことで
「これこれの番号を押したら、ランプは消えます」と
恰幅のいい女性スタッフが番号をメモした紙を渡してくれ、
「この番号でも消えなかったら、線を引っこ抜いちゃって!」
というので、大笑いしたのですが・・・・その番号を
押しても消えはせず、線を引っこ抜くのは遠慮して
放置することにしました。
が・・・・あるいは、精霊からの無言のメッセージだったのかもね。

久々のトレビの泉にて

 

アッシジにて

 

 

 

 

以下は、アップしそびれたシスティナ劇場での
スナップです。

 

各地の小劇場でコツコツと上演を続け、ついにイタリアのミュージカルの殿堂と言われるシスティナ劇場での上演にこぎ着けた敏腕プロデューサーの
Claudio Crocetti氏と、ずっと私に付き添って通訳をしてくださった久谷満香さんです。

 

 

 

左側の方が作詞作曲をやってくださった方・・・・だと思います。
1時間のうちに、大勢の人々に一気にお会いしたので、失礼があったかもしれません。

スタッフ、俳優の皆さんには心より感謝申し上げます。

それにしても、ヒロインや俳優諸氏との2ショットの画像が見当たりません。彼らの演技はむろん、歌も素晴らしかったのです。

報道の人たち。

観客席には小さなお子さんたちもいて、退屈しないかとか、子供にはハード過ぎる
場面があるのに、とか何より午前零時近くになった終演まで、出演の
子役たち含めて心配だったのですが、ローマっ子は宵っ張りなのかもしれません。
何しろ8時になっても、まだ空が明るいのです。

 

写真撮影とサインを繰り返していました。

 

 

 

 

なぜかイタリア全土からコスプレーヤの皆さんが参集、とのことで・・・

 

この方もそのお一人↓

この衣装で自宅からいらしたのかどうか、
2ショット要望の列が出来ていて、聞きそびれました。

コスプレについてどう思うか記者の方から聞かれたので、「私自身がコスプレ愛好家です。キモノなんて、今の日本の男は着やしないので、ほとんどコスプレです」と答えました。

 

イタリアにおける「コスプレの女王」なのだそうです。

 

 

拙作の何がコスプレ族の心に触れるのか不明ですが、鉄道が開通した頃の
オーストラリアとイギリスの物語で、いわば時代劇でそこが変身願望を
そそるのかもしれません。

 

                   

 ウルトラマンの恭しいお出迎えを受けました 。

 俳優諸氏との写真は、どこかにまぎれてしまっています。

観客席には著名な俳優や、バレエ演出家の方もいらっしゃったそうですが、
こちらは写真を撮りそびれています。まだアップしきれていない画像は
おいおいに。

検索をかけるかもしれないイタリアのファンの方のために
キーワードを打っておきます。

GEORGIE MUSICAL ROME Sistina-Theater MANN IZAWA

 

 


トレビの泉まで散歩

2018年05月28日 | 旅行

そういえば公演の日、出迎えてくれた一群の中に
ウルトラマンの扮装をした人がいて、床に
ひざまずいて挨拶をしてくれました。
「シュワッチ!」とやってあげればよかった、と思ったのは
後のことです。
ウルトラマンスーツに仮面なので、いまだに女性か男性か
分かりません。野暮なので、あえて聞きませんでしたが。

公演の翌日、テレビに私の様子が流れますよ、と
言われたので、ホテルのテレビをつけてニュースを
見ていたら、現れるのはトランプ大統領と、文在寅大統領、金正恩国務委員長それに
イタリアの政治家とおぼしき人ばかり。

テレビを切ってジャスミンの花が咲き乱れるホテルの中庭に
カプチーノを飲みに降りたら「猫はお好き?」と
顔なじみになった美しい顔立ちの女性給仕が訊くので
うなずいたら、「こちらの席へどうぞ」。
すると、椅子の一つに猫が午睡の最中です。
ホテルの庭でよく見かける子で、名前は? と
ウェイトレスに尋ねたら「モナです。もう一匹リサという
子がいるんですよ。彼女たちがこのホテルのオーナー
なんです」

モナリザの片割れ、モナの隣の席に腰をおろし、
モナを撫でながらカプチーノを飲んでいるのは
至福でした。そうこうするうち、モナは起きて
じゃれてくれるようになりました。
モナの画像は、帰国してからアップします。

ジャスミンは午後遅くなるに連れ、香りが立つように
思います。

トレビの泉までゆったり歩いて40分ほどだったでしょうか。
二度目の訪問でしたが、記憶の中の泉はいつかこじんまりと
縮小されていたのですが、泉を莊嚴する彫像たちが
記憶の中では消え果てていたのが実際に見ると
巨大で圧倒されました。この国の人々の彫像へ寄せる
愛が一通りではなく、そこかしこに誰それの、あるいは神の、
天使の、科学者の、作曲家の彫像があります。

通りかかったカトリック教会に入って、私はキリスト教徒ではないけれど、
神前にぬかづきしばらく黙祷していました。時に天使を
目視するので現れてくれないかな、と期待したのですが
ここではご縁がつながらなかったようです。

本日は、聖フランチェスカの活動の地アッシジに片道3時間ほどの
ドライブに出かけます。この度で唯一、最初から訪れようと
専用車を頼んでいた短い旅です。
ローマのホテルはキープしたままベネツィアに一泊で行こうかとも思ったのですが、移動が億劫で止めたのでした。

 

誤変換他、後ほど。

 


熱狂の一夜

2018年05月27日 | 旅行

実のところ、自分が書いた物語がローマの一流劇場で上演される、 ということに現実味が薄く、迎えのベンツに乗り込んでもまだ半ば、夢の中の非現実感。

「観客がまばらだったら寂しいね」と同行の人と語らいながら
システィナ劇場前に着くと、路の両脇に行列が出来ていて「ああ、たくさん来てる、よかった」と、車を降りたとたんいきなりフラッシュの嵐、テレビカメラのライト、そして歓声。

狐につままれたような思いで、劇場内に入りながら思い出していたのは上海のテレビ祭に招かれた時、予期せぬレッドカーペット歩きとテレビカメラだったことなのですが、昨夜はその十倍の意外な成り行きで、なんなんだこれ・・・・と思う間もなく、開幕までの1時間、新聞社のインタビュー、撮影、それからファンの方たちとの写真撮影、サイン・・・・とびっしりで思えば、人々は1時間以上も劇場の外で私の到着を待っていてくださったわけで、人々から押し寄せる愛の奔流の中にいながら、感謝しきりでした。群衆の中に版権を預けている日本における代理店の社長さんと奥様、お嬢様を見かけたのですが熱気の渦に揉まれながら、近づくことさえ叶わず。
わざわざミラノから、そして遠くはシチリアから駆けつけてくださったファンもいらして、何ともありがたく。

 

ぶーたれていたローマ滞在でしたが、拍手と歓声のシャワーを浴びて、やっと「来てよかった・・・・」と思えたのでした。
懸念していた言葉も、ローマ在住歴の長い日本女性が通訳として待っていてくれました。

席についてからも、サインと2ショットの写真を所望する人々がひっきりなしで、不思議だったのはいい年齢のおじさんたちまで、その中にいたことで、観客の年齢層も6歳ぐらいの子から高齢の方たちまで。

イタリアの人たちの観劇はストレートで、見せ場になると拍手と歓声が沸き上がり、役者もより熱が入るようで、舞台は常に観客も実は作りての一人として参加しているのですが、イタリアの人々はそれを心得ているようです。

ミュージカルの中盤、ヒロインを探す男の役者が観客席の通路から現れるのですが、私の席の脇に立ち止まって「金髪の女性を見かけませんでしたか?」と日本語で尋ねられ、びっくり。
今夜限定の、私のため仕組まれた趣向でした。

カーテンコールで舞台に上げられ、通訳付きの挨拶をしました。

「私は古いタイプの日本人で、人前で感情を見せるのが苦手です。でも今夜は、自分が書いた物語を十倍にも膨らませ見せてくださった、俳優さんたち、作曲家、演出家・・・すべての人達に感動しています。(歓声)普段は、舞台の裏の暗がりで一人でひっそりと仕事をしている人間なので、このライトは私にはまぶし過ぎ、まるで太陽を恐れるドラキュラになった気分です。
・・・・・この公演のスポンサーがイタリア献血協会であると聞いて、ドラキュラにひっかけた日本人のジョークをイタリアの人々は理解してくださったでしょうか(爆笑・歓声)
グラッツェ」

当初予定していた英語の挨拶は読者の方に推敲していただいたりなどしましたが、こちらは公演のFBのほうに寄せさせていただきました。

幕が下りて、俳優諸氏と記念撮影をしたり楽屋を訪れたりしているうちすでに午前0時過ぎ。イタリアの劇場は開演が遅いのです。舞台裏からロビーに出ると、驚いたことに午前0時を回っているのに出待ちの人々が少なからずいたことです。
おそらく役者諸氏を待っていたのでしょうが、私はここでもまた2ショット撮影と、サインを多くの人々から所望され、今夜いったい何度、自分の名を書いたか覚えていません。

 

Mann Izawa Georgie musical at Rome authorship came from Japan!

 

 

 

Lady Georgie at rome Mann Izawa

 

 

 

 

 

誤変換他、後ほど。


メガネ、また壊した

2018年05月26日 | 旅行
いらいらを反映するのか、眠って見るのは悪夢ばかり。
悪夢から覚めて、やれ夢でよかった・・・・と
起き上がれば、お尻の下でバキっ。

あ。・・・・誂えたばかりのメガネのつるをまた
へし折ってました。

今夜はそれが目的である劇場に出かけますが
お迎えの車が、夜の7時40分だったか。
(こちらの劇場は開演が遅いようです)

それまで、何をするのか・・・・ローマの街を歩く
気にもなれないので、部屋でうとうとしているか、
本でも読んでいるか・・・・

あまり、いやだいやだと思っているとまたメガネのつるを
折るような小さな不幸が連鎖するかもしれないので、
少し落ち着きます。
今、自分が嫌いな旅の途次にあるというのが
現実なら、淡々と受け入れるしかなく。
まずは、諦めから第一歩。


誤変換他、後ほど。