井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

自惚れ鏡

2016年09月30日 | 日記

昨日・・・・・朝、テレビをつけっぱなしに、ベッドでうとうとしていたら
聞き心地のいい声が聞こえてきました。
ほどよいトーンと、滑舌のいい言葉・・・・
小池都知事でした。さすがマイク慣れしていると、
起き上がって思わず見たら、原稿をお読みなのだけど、
棒読みではなく、原稿に目を落としたままでもない
場内への目配りもきいて、改良の余地とてない100点です。

それで、思い出したのが現在自民党の某女性議員のことです。
まだ議員になっていない時に、“面倒見てくれないか”的に
頼まれ、会って話をしたのですが、私がもっとも知りたい
日韓関係に対して明確な答えが返って来ない。
かといって、他にこれといって志が見えない。
ただ一点、自民党結党の目的である「憲法改正を」という
一言があったので、しばらく様子を見ていたのですが・・・・

まず文章が書けない。悪文なのだけど、本人それに気がついてない。
どころか、いっぱしの文章家だという自己評価のようでした。
面倒だなあ、と思っていたら、文章推敲のプロボランティアが
現れ、彼女がブログに何か書くたびに、細かい推敲文を
ボランティア氏は送っていたのです。私にもメールが転送されて
来ていたので、つぶさに見ていたのですが、的確な指摘でした。
ところが延々、それを続けても彼女からはなしのつぶて。
私がやっていることではないので、ボランティア氏がよく切れないなあ、と
はたで、やや不快の念で見ていたのですが・・・・

彼女関連の動画を見ていたら、出馬にあたって自民党のお偉方が
駆けつけ演説会の様子なのですが、感極まって彼女は舞台で絶句、
べぇべぇと泣きはじめ、もっとも避けたいパターン。感情のコントロールがきかない政治家など最悪です。とそれも書き添えて、演説における心得と、
感情のコントロール法を、演技の見地から説いて送ったら、
これまたなしのつぶて。

「応援お願いします」というから、よかれと忠告したのですが
彼女のいう応援は、一票寄越せということのようでした。
とりあえず言葉のプロに応援を頼んだからには、よもや
票を入れろというごとき無礼はないだろうと、思ったのでした。

私はボランティア氏のような根気がないので、その時一回きりで
見限ったのですが、後に電話でいやいやながら話さねばならないことがあり、
私は内心の不機嫌は見せず普通に会話していたのですが、ボランティア氏の
推敲に「うんざりする」という発言があり、たいそう驚いたのでした。

迷惑なら迷惑で、それなりのご挨拶はしてけじめはつけねばならないのですが、
しかし、困ったことには彼女はやはり自分がそこそこ文章を書けると
思い込んでいる点でした。おのれの能力を勘違いしています。
彼女が己を映して見る鏡はどうやら、フォーカスがかかっていて、
こよない美人に自分が見えるようです。これを自惚れ鏡と言います。
能力に対してもそうです。

時の勢いもあり彼女はめでたく議員となりました。
私が、初対面で感じた通り政治理念が明確に打ち出されぬまま、
韓国への姿勢は曖昧、どころか反日国韓国の道徳教育を絶賛、選挙戦は対日教組というニュアンスでの戦い方であったので、せめて教育だけはきちんと戦って欲しいと願っていたのですが、いっさいやらず。どころか、母校で事件があった時すら避けている様子。なんで、あなた議員になったの、何を日本国のために、
したかったの・・・・・といぶかりつつ・・・・

ボランティア氏とは「彼女は売り方を間違えているよねえ。鼻もブタさんなのに、まるで美女議員みたいな文体で下手な文章を綴るし、振る舞いをしてる。ブスは度胸だ、文句あっかで売っておそらく、いい本質が出るだろうに、己を知らないと、大きなポジションは占められないし、大した業績は残せないね」と二人共、評価は同じでした。芸能界にも通じる法則です。

それからじゃっかん、色々あり、これもまた私はたいそう驚かされたのですが、
某大手新聞社の記者を使って、私とボランティア氏の実名を出して、
ツイッターで誹謗させたのです。姓だけなので、個人特定は出来ない
ものの、私の批判に対する意趣返しだったのでしょう、記者を
使っての嫌がらせと恫喝です。

相手するのもばかばかしいので、放置していたのですが今度はその
記者とトラブルを起こしたようで、記者を激怒させそれが飛び火して
国会記者に、彼女の恫喝についてばらされる始末。
何か性格に、恫喝的な要素を持つようで、他でも凄んでいる
姿を目撃されています。
あたしを誰だと思っているの、ふうな恫喝で下品です。自民党という
後ろ盾を武器にしての、ふんぞり返りなのです。

当選後の挨拶回りをさぼって、男の秘書を連れて北海道に
行き、誰かの事務所を訪ねるやら、出だしから舞い上がって
スター政治家気取り、党から配布された日の丸を議員会館の
廊下に放置していたさまが、政治記者にすっぱぬかれ、すると言い訳のように
実家の部屋の壁に巨大な日の丸を垂らして撮影した画像をアップ。
その稚拙さにまたまた驚かされたのでした。室内に巨大な日の丸を
飾ることの不自然さに思いが至らないのです。

いまだに私は彼女が政界で何をしたいのか解りません。
自分が傷つかない安全圏でもっともらしいことを発言、
身を斬られることは避けつつ、党内世渡りと地元の
票確保に汲々としているようにしか、私の目には見えません。

職業として、政治家を選んだだけのことかもしれません。

愛国保守っぽいことは言うのですが、身を捨てる覚悟での行動はゼロ。
彼女との、短い交流で学んだのは、議員になったからといって
立派なのではない。という以前に立派な人が、議員になるわけでもなく、
その逆もある、というつまらないことでした。

しかし、素人から議員誕生に至るまでその経過をつぶさに見せてもらったので、
議員に過剰の期待を持つことなく、言動を観察するにも時間をかけ
慎重になりました。

私と道で出くわしたら、彼女がどう反応するか好奇心があるのですが、
このところ、用もなく自民党本部にも議員会館にも出向かないので
出くわす機会がありません。
私は笑顔で優しく声をかけようと思っているのですが。
「最近は誰を脅してるの?」と。

上は小池百合子氏、下はその女性議員・・・・・とピンキリを
見せていただいたのもなかなか、興深い眺めではありました。

政治家にとっての資質とは何か覚悟とは何か、ということを考えるきっかけにもなったのです。
中身はむろんのこと、見た目も相当大切だなあ、と思っています。
見た目だけで海外に出したくない政治家というのがいます。
小池氏といい安倍総理といい、安定感があります。
小池氏はファッションも心得ていらっしゃいます。
しかし、実力が図抜けてあれば、それはもちろん実力優先です。

海外では、肥満は自己コントロールがきかない、ということで
評価が低いのですが、日本はその点寛容なので、その女性政治家は
パンパンに膨満したまま、相変わらず文章は下手、語彙は貧弱、トークは
可もなく不可もなく。でもそれで通っているのです。思えば、民主党に愚民の群れがいっせいに投票してしまったあの悪夢の選挙で、たくさんの無能議員が
誕生しました。あれを思えば、まだくだんの政治家女史は
最小限の日本語が書けるだけ、マシな部類なのかもしれません。

しかし、自惚れ鏡は私にもあるので偉そうには言えません。みっともないので自重はしているのですが。

もうお一人、これは政治面ではなくお嫁さんのお世話しようとお見合いを
私がセッティングしていた男性が、見合いは実らなかったのにいつの間にやら自民党の議員になっていました。週刊誌によると隠し子がいるとかで、おいおい、隠し子はいいんだけど、お見合いをセッティングした時、言っといてくれよ・・・・
もっとも、私に言われ断りきれずお見合いしてくれたのかもしれず。
とびきりの美女を用意したんですけどね。

お見合いと言えば、身近に東大・ハーバード出の、これはフェイクではなく
双方実力で入学し卒業したお嬢さんがいらしたので、その頃はお付き合いのあった鳩山夫人に、「息子さんのお相手にどう?」と持ちかけたら、「息子にはすでにお相手がいます」とのことでした。今にして思えば、よかった・・・・
鳩山家に嫁を世話した人物ということで、烙印が一生
ついてまわるところでした。

 

(誤変換その他の瑕疵は後ほど推敲します)


日韓併合時代、日本は韓国の人々の言葉を奪ってはいない、むしろ与えた

2016年09月29日 | 歴史・政治

日韓併合時代に、日本が朝鮮語を使うことを禁止したとか、
名前を日本名に改名するよう強制したとか、もっともらしい
嘘を韓国の人々が信じ込んでいるのはまだしも、
日本人でとくとくとして、それをいまだに言う人がいることに
慨嘆を禁じえません。

ちょっと調べれば資料が容易に拾えるのに、なぜ
言われっぱなしで、黙っているのでしょうか。
無言は国際社会では「肯定」と同義です。

日本語は、それぞれの学校の校長(韓国人)に採択の有無が
まかされていました。

 

黒板に、ハングルを書いて教えている当時の教室の光景も、画像で残っています。

創氏改名、つまり和名への変更は義務ではない、と日本政府から通達した書面が資料として残っています。

ただ戦況が厳しくなると、日本語のみを覚えるように強制したなどという
事も言われていて、それが事実かどうか今の段階ではわかりづらいな・・・

と思っていた矢先、コメント欄に読者さんから書き込みをいただき、当時は
日本語の放送と、韓国語の放送と2種類があるということで、意を強くしました。

朝鮮語を奪ってなんかいません。敗戦を喫するまで、朝鮮語の放送は
あったのです。出典 昭和9年 ラジオ年鑑

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%94%BE%E9%80%81%E5%8D%94%E4%BC%9A

随分、立派な放送局です。日本は韓国のインフラを整え、学校や病院を整備、韓国人の寿命は飛躍的に伸び、識字率は大幅に高くなりました。日本は文字を奪ったどころか、当時貴族が寡占していたハングルを広く
朝鮮全土に広め、庶民も文字を使えるようにしたのです。

前稿に書いた如く、韓国語には日本語がたくさん取り入れられています。

むろん、日韓併合に反対の人たちは抗日の姿勢でしたが、多くはなかったのです。現在の韓国の近代化が、日本との併合時代のおかげであることは
事実です。長きに渡る中国の奴隷国、また李氏朝鮮の圧政から韓国を
開放したのが日韓併合です。

日本は国防上の理由で、韓国を併合しましたが、それ以外のメリットは
皆無でデメリットのほうが高かったのです。現在でも日本は韓国にとって
生命線ですが、日本にとっての韓国はさほどでもありません。
仮に国交断絶でも大怪我はしませんが、韓国は虫の息になります。
それでも韓国は強気の反日、日本は弱気のまぁまぁ路線。
通貨スワップは、結局締結させられてしまうのでしょうか。
日本にとってはデメリットしかないのに、韓国からはさんざん
罵られながら。

ある方とお話していたら、五輪に向けて空港から街のあちこちに
旭日旗を飾ったらいい、と言います。旭日旗嫌悪で大騒動してる
連中だから、来なくなるだろう・・・・とおっしゃるのですが、私は
「いや、それでも押しかけて来るでしょうねえ」と答えたのでした。
日本製のビールで、寿司をつまみながら反日に燃えているのが韓国人です。
ちなみに旭日旗は正規の自衛艦旗で、他国に
とやかく言われる筋合いはありません。

 

もっと突っ込んで書くつもりでしたが、時間がなくなりました。

 

ミスタイピング、誤変換他、後ほど推敲します。

 備考

Wikiをちょっと当たってみるだけで、日韓併合がいかに韓国にとって恩恵であったか、がわかります。

 

■日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。 盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」 と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。

 

—イザベラ・バード、『朝鮮紀行』講談社〈講談社学術文庫〉、1998年、pp.343 f

 

■金完燮は、当時の朝鮮は腐敗した李朝により混乱の極みにあった非常に貧しい国であり、日本が野望を持って進出するような富も文化もなかった、とする。彼によれば近代日本の歩みは列強、特に当時極東へ進出しつつあったロシアとの長きにわたる戦いであり、日清戦争から日露戦争そして韓国併合に至る一連の出来事は全て日本の独立を守るための行為であった。当初日本は、福沢諭吉の門下生の金玉均を始めとする日本で文明に触れた朝鮮人を通して、朝鮮が清から独立し近代国家となって日本にとっての同盟国となることを望んだ。しかしながら朝鮮人自身の手で朝鮮を改革しようとする試みは頓挫し、福沢諭吉が脱亜論を著したように方針を転換。

 

■元韓国空軍大佐の崔三然も、「アフリカなどは植民地時代が終わっても貧困からなかなか抜け出せない状態です。では植民地から近代的な経済発展を遂げたのはどこですか。韓国と台湾ですよ。ともに日本の植民地だった所です。

 

日本内地へ多くの朝鮮人が流入したことによって、内地の失業率上昇や治安が悪化したため、日本政府は朝鮮人を内地へ向かわせないよう、満洲や朝鮮半島の開発に力を入れるとともに、内地への移住、旅行を制限するようになった。また、朝鮮半島内でのインフラ整備に重点をおいたため、東北地方のインフラ整備に遅れが生じた。


神代文字

2016年09月28日 | 日本語について

日本とはどんな国か?

と問われれば、答えは2つであろうかと思われます。

「すめらぎのいつくしき国」であり、「言霊の幸はふ国」です。

つまり天皇陛下がおわし、魂の宿った言葉が豊穣な美しい(いつくしき)国、これが日本という国の特質でしょう。

思うに、原初的なアニミズム(自然界の石、草木などありとあらゆるものに魂が宿るという思想と、シャーマニズム(呪術)が、古神道の原点であるような
気がしていますが、そのシャーマンの最高位がすめらぎ、すなわち
天皇ではないかと愚考しています。

言葉に宿る魂を用いて、神々に祈るのがシャーマンたる天皇であり、
その天皇がそのまま国体である、というごときことでしょうか。
現在天皇に、祈る存在としての要素が薄くなりつつ
あることを憂えています。「生前退位」の理由とされた、公務など
二の次三の次のことです。

言葉と神との関わりは旧約聖書にもあります。
「原初に言葉ありき」と。『ヨハネの福音書』にいわく
「初めに言葉ありき、言葉の命は光であった」

キリスト教圏では神が「光あれ」とアファメーション(宣言)してから
世界が始まった、という感知の仕方をしています。

日本では、言葉そのものの振動が宇宙を形成した、とわたくしは
思っています。マントラ(真言)も、おそらく言葉の意味ではなく
その特有の音の震えが、宇宙に呼応するのでなかろうかと。

ノーマクサーマンダバーザラダンセンダンマーカロシャダソワタヤウンタラタカンマン

わたくしの好きな不動明王の真言です。

言葉とはすなわち音声であり、音声とは
振動であり、その振動の大いなるものがビッグバンという宇宙の
はじめなのかもしれません。仏教でいえば三千世界の始まりと
いったところでしょうか。

あらゆる存在は「振動」vibrationだとされています。
宇宙は宇宙自らがその震えにより存在した、というほうが
神の創造物としての世界観よりも、わたくしの感性には
そぐわしく思われます。

量子力学で一端の説明が出来るような気がして、Wikiを
開いてみたのですが、わたくしの脳はその領域がまだ
拓かれていません。閉ざしっぱなし。

お断りしておきますが、わたくしの思い込みと想像を混じえて記しています。
学術的分野における定説は知りません。

神の存在と言葉とは抜きがたく相関関係があると思いますが、
日本に言葉が豊穣であるということは、すなわち神々が豊かに
住まう国であるということでしょう。

言霊の幸わう国だという認識は、『万葉集』にあります。柿本人麻呂の、
磯城島(しきしま)の 大倭(やまと)の国は 言霊の助くる国ぞ まさきくあれ」

日本というこの国は、言葉に宿る魂に助けられてある国なのだ。幸多くあれ。

祝詞(のりと)が発生したゆえんでしよう。めでたい言葉を唱えれば、
その響きが宇宙の森羅万象に相呼応して、幸を運んでくるぞ、と。

このような、言葉の豊かな国に独自の書き文字がないことを、わたくしは
かねがね不思議なことに・・・・というより納得できない思いを抱いて
おりました。

そのような納得できなさの中に、時折隙間風のように忍び入って来るのが
「神代文字」(じんだいもじ、かみよもじ)という言葉でした。

漢字の伝来以前に、古代日本に存在していた文字だと言われています。
これに対しては諸説ふんぷんですが、わたくしは直感的に、神代文字は
あった、と思っています。

これほど豊穣な言葉の持ち主である民族が、書き文字を持っていないというのが不自然です。知能も相当高い民族です。

ならば、なぜ中国由来の漢字が主流となったのか、わたくしの仮説は
漢字の伝来、それから派生した仮名の時代になると神代文字は
もっぱら、秘密をむねとする神事を記すことに使われるように
なったのではないか、ということです。
忍者のハウツー本のように「秘事ニシテ流布セズ」。
密教のお次第書にも「ロイ」と言われるものがあり、大事な作法は
「口伝」で伝え、書き記さないということがありました。
「ロイ」とは「口伝」の呼び名で、漢字をバラせばロイとなります。

もっぱら神聖を大事に、衆愚の目に触れさせずという意味もあったのでしょう。

神代文字は、現在神社の護符などで見られます。

なお、上記は井沢満の独断に依る記述なので、よゐこの皆様は
決して記憶に定着させませぬよう。

文中、タイピングミスその他の瑕疵については後ほど推敲致します。


日韓併合の中の日本語について

2016年09月27日 | 日本語について

ふと見始めた韓国ドラマが面白くて、延々41話、3日間で
見終わるかな・・・・・と思っていたのですが、41話は勘違いで
全部で50話。オーマイガー、なのですが、朝な夕な、延々と
見続けているとドラマの中の人物たちと別れ難く、
まだ続きがあることに、ほっとしたりしてるのですが、
それにしても、意識して聴くと韓国語に溶け込んだ日本語の
なんと多いこと!

韓国ドラマと日本語

理由を考えるのですが・・・・
まず日韓併合が、現在韓国が言い立てる如く不幸な体験であったなら、
こうも日本語が自然に暮らしの中に溶け込んではいないと、思うのです。
わたくしも昔は、思い込まされていたのですが「日帝が名前と言葉を
奪ってしまった」のだと。それは嘘です。
各学校の校長(韓国人)の裁量に委ねられていて、日本語を教えるも
教えないも自由でした。
日本語とハングル併記の当時の教科書も残っています。
日本の兵隊として戦士なさった朝鮮の方々は、元々の
お名前のまま祀られていて、日本名ではなく、これも選択性で
日本名を強制されたわけではありません。

韓国語にいまだ残る多くの日本語が意味するところは、日韓併合が
おおむね過酷なものではなかったのではないか、ということです。
一部で喧伝されている如く、奴隷のように扱われていたとしたら
そんな国の言葉など、自国語の中に取り入れるはずもないでしょう。

また、韓国側が言い立てるのは「文化の劣った日本に、我々
韓国の高い文化を授けてやったのだ」ということですが、それなら
なぜ日本語の「契約」だの「要素」だの「民族」だのいう言葉を
取り入れているのでしょうか?
その概念が朝鮮半島では乏しかったからではないのですか?
また朝鮮語の語彙が不十分だったので、日本語で補填したのでは
ありませんか?
茶道も生花や剣道などと同じく、韓国発だと主張していますが
ではなぜ、朝鮮語オリジナルの「茶」という言葉の手持ちがなく、
「チャ차」と、日本語から借りて使用しているのでしょうか。

日韓併合後も、言葉によっては「洗濯機」など、日本から取り入れた
言葉がありそうです。

深く考え込んでの結論ではないので、すべてクェスチョンマーク付き
なのですが、当たらずと言えども遠からずだと思っています。
韓国語に取り込まれた日本語を材料に、日韓併合を考察すると
興味深い景色が歴史の一角に姿をあらわすかもしれません。

韓国の人々も、いかに多くの日本語を母国語の中に取り入れているか
知ったら驚愕して言葉狩りに乗り出すかもしれません。
でも狩るには、あまりにも多くの日本語が韓国語として定着
してしまっているようです。

 

ミスタイピン他、拙文の遺漏は後ほど推敲致します。

 


雲容煙態

2016年09月26日 | 

日々、新たな言葉を収集して手持ちの語彙を増やしていきたく願っていますが、
長年多読で、そこそこの言葉数は持っており、毎日未知の言葉と出会うというわけにも行きません。むろん、自ら積極的に毎日辞書を読むということを
習慣にすれば、日々語嚢(これ造語ですが)は豊かになるのでしょうが、
日々の暮らしに辞書読みを義務化するのも楽しくはなく、また言葉は
それぞれの文脈に於いて生命を帯びるのであり、やはり書物で出会うのが
一番です。
ところが最近では、編集者さえ読めない漢字があるようで、作家も軒並み
平易な言葉を使うので、新たな言葉との出会いがありません。
三島由紀夫を読めば、未知の言葉との遭遇などしじゅうありました。

しかし今朝はテレビの、それも天気予報で新たな言葉を得ました。
それは「雲容煙態」(うんようえんたい。雲容烟態とも書く)で、
雲や霞などの空の様子が刻々と変化するさまを表し、不安定な
最近の空模様を指すに、ふさわしい言葉かと思われます。

社会の動きも、天候と同じく「雲容煙態」で、ちょっと報道から目を
逸している隙に事態が変化しています。

「生前退位」については、女性天皇(愛子さま天皇では結局、女系天皇になるわけですが)論が同時に論議されるようになり、生前退位とは本来、何の脈絡も
ないのに、テレビも当たり前のように女性天皇論を始めています。
NHKへの「リーク」やNHKの「スクープ」など皇室に関しては本来あり得ないことが起こり、女性天皇など悠仁親王殿下がいらっしゃるのに、これまたあり得ず無礼極まりない論です。
言えば、企みでことは運ばれています。

皇統が絶えることなど、まだ目前には存在しない危機感が必要以上に
煽られてもいます。悠仁親王が早婚で、複数の男子を生される可能性だって
あるのに。確率で行けば、必ずしも高くはありませんが、低いというわけでも
ありません。愛子さまお一人で、秋篠宮家にも女子ばかりという状況で、
すわ皇室典範改正で女性天皇可とされるか、というきわどい時に
大仰ではなく奇跡的に授かった親王なので、2度目の奇跡があっても、
おかしくはないだろうと、わたくしは実はこの点に於いては楽観的なのです。
微弱な霊感寄りの・・・・・・霊感未満、直感以上のアンテナでそうキャッチしています。

ただ、NHKのリークそれに伴って唐突に現れた女性天皇論、そして中身もないのにタイトルだけでかでかと全国にばらまかれた、あたかもプロパガンダのようであった「皇后は生前退位に反対だった」という文藝春秋のカラ文言。意図的に何かが動いていて、いかに奇跡の御子がおわそうと、危うい路線は敷かれつつあるとは感じています。

歴史上女性天皇はいました。しかし、一時的なことで血脈は全て男系へと戻されています。そして男系で2676年間(皇紀)つながれて来たのが現在の皇統です。
なぜ男系でなければならぬのか。
それは
血脈をたどると神武天皇のY遺伝子に必ず辿り着くという、血統の安定感がそこで崩れてしまい、祭祀王としての男子の血の純度が、濁ってしまうのです。

血統とか血とか言うのは、現代の平等論から著しく逸れる概念ですが、
しかし皇室は、世間一般の価値観の遠く埒外にあることで、その最も良い意味に於ける純粋性と特殊性を保って来たのであって、世間一般の風に吹き晒された途端、瓦解してしまう何かがあります。極めて感性的でロジックとしては脆弱ですが、そもそも皇室は非論理の世界です。神話が実在であろうと、フィクションであろうと、そこを受け容れなければ皇室は単なる「機関」と成り果てます。

皇室とは、国民がこぞって見る聖なる夢のようなものであるのかもしれません。
1億人が同じ夢を見るなら、それはもはや現(うつつ)でしょう。その現が
あればこそ、日本はずっと同じ民族による日本であり続けました。

皇室へ忍び寄る危機として、国連の女子差別撤廃委員会の動きを観察しています。ここは、必ず女子への差別だとして、天皇は男子に限るという点を国際世論を喚起しつつ日本にゆさぶりをかけて来ます。「女子差別撤廃条約」を締結したのは、雅子妃のご尊父であらせられる、小和田恒氏です。

https://www.youtube.com/watch?v=iN0yuPdY8x4 小和田恒 条約局長が女子差別撤廃条約を締結した。 
 0:30より数十秒

国連が女子差別撤廃を旗印に日本に揺さぶりをかけて来たら、ぐちゃぐちゃにされる、と述べているのはジャーナリストの水間政憲氏ですが、わたくしもその点を懸念しています。国際世論を煽りつつ、日本のマスコミもそれに乗り、「生前退位」がもたらすあれこれも、女性天皇擁立の危険性も解らず90パーセントの国民が賛成するような寒々しい状況なので、極めて危なっかしいのです。

憲法違反を歴然と犯してまで、何かがなされようとしていることを
知って頂きたいと思います。諸事に停滞を及ぼす皇室典範改正やら
特措法などではなく、すっきりと摂政制度があるのに、なぜそれが
忌避されるのか、考えようともしない人たちが多いのはまことに
残念なことです。一人でも身近な人に伝えて頂けたら、と切に願って
やみません。

しかしながら、安倍政権が妙なたくらみに、いささか抵抗しようと
しているらしい様子はうかがえ、そこはせめてもの救い。

末尾に、思考のよすがに記しておくと、村山談話や河野談話に先駆けて、日本悪人論の自虐史観を唱えたのは、昭和六十年十一月八日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)です。

一見バラバラに散らばった情報のピースをはめていくと、真実の絵柄が見えて来るのは、あたかもジグソーパズルのようです。

(誤変換他、拙文の遺漏は後ほど推敲します)