井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

女性が千円安いわけ

2016年02月29日 | 日本語について

小学校の同窓会の通知が来ました。
大分県臼杵市の「福良ヶ丘小学校」という学校に
2年生、3年生といました。

たったそれだけなのに、いまだに連絡をくれ私も
彼らの何人かは顔も名前も覚えています。

大分に飛ぶすら、空港から市内まで遠く毎度、
おそらくは政治がらみで辺鄙なところに空港を持つ
大分市を訪れるのが億劫なのですが、臼杵市は
更にそこから、鉄道かバスを使います。

残念ながら、欠席・・・・・と返信しようとして、ふと
手が止まりました。「もう会えないな」「これで、たぶん
最後だよな」と思ったからです。

それと、これまでの、そしてこれからの残りの人生へのけじめをつけたくもなりました。

・・・・・・和服で実は旅をしたことがなく、今回試みてみようと思います。
臼杵についたら、駅前ホテルにチェックインするつもりなので
そこで着替えればいいようなものですが、着物と履物一式って
結構かさばるのです。

午後遅く、小学校の正門前い集い顔を合わせそれからもうすっかり面影も
なくなった校舎内を見学、それから料亭に向かいます。

構えも立派なふぐの老舗なのに、なぜ1万円と安いのだろう? と不思議だったのですが、思えば臼杵だからです。地方都市から更に奥まった地の店はどこも
こんなものでしょう。

それにしても、男が1万円、女が9千円という設定がふしぎです。
これはどういう意味か、お解りの方いらっしゃいますか?

若者なら、おおむね女性は「華」といおうか「釣り」といおうか
異性がいて喜ぶのは男のほうであり、また社会的経済格差が基本的に
あるので・・・出逢い系は、女子無料だしと、とりあえず解るのですが、
もう皆さんおおむね仕事も「出逢い」も
引退だろうし、千円の差はなんでしょう。
家計を預かっているだろう主婦への思いやりでしょうか。
幹事が男なので、昔からの習い性?

念のため、千円の格差が不服なのではありません。ただ、ふしぎなだけ。
・・・・・今気づいたのですが、男のほうが飲むから?
女性は飲んべさんでも、人前ではつくろうし・・・・・。


駅までの道すがら

2016年02月28日 | 日記

駅から帰路をたどっていたら、和服の老婦人に道を尋ねられました。
私の和服を見て、思わず救いを求めたとのこと。「この方なら、きっと
親身にしてくださる」と。

かなりご高齢なので、道をお教えするだけでは心もとなく、
その方が乗るべき駅まで、付き添わせて頂くことにしました。

あたかも、私がいい人のようですが、それも少しはありますがー笑ー
このところ
求めたばかりのスマホに、1日歩いた歩数が出るのにつられ、
その歩数を稼ぐのにかなり凝っているのです。それもありで、
自宅からは遠ざかるその道をご一緒しましょうと、申し出たのです。

「歩くスピードが速すぎませんか」と伺ったら
「いいえ、もっと早く歩けます」

というお返事で苦笑。私が実はゆったりなのです。犬たちのあちこち、止まりつつ歩く散歩を10年以上続けてきて、体に染み付いたテンポであるし、
急ぎ足が生来、好きではないのです。
ひねもすのたり、のたりかな、という調子で歩きます。前世絡みかな、
と思ってみたりもしますが。慌ただしく何かをする、というのが
不得手です。

「足に金属が入っている割には、わたくし足は丈夫なんですの」
と老婦人がおっしゃるので、驚いて、

「事故ですか」と問うたら、「わたくし、日舞を教えておりました。子供たちに動きを
教えこむのに、身の丈を同じに、膝を折り曲げ子供に寄り添って踊りを
教え込んでいるうち、すっかり大腿を傷めてしまったんでございますの」

それでも、ずっと踊っていたおかげで主治医も驚く回復の速さだった、と
お話を伺っているうちに、いつしか駅。

おかげでその日の歩数は、他の歩きも含めて7千歩に達していました。

 


「女だから」「有名だから」公認するのはやめて欲しいのです

2016年02月27日 | 日記

女性を優遇しているというアピールに女性大臣を選んでは
失敗続きの安倍内閣なので、どうぞ女売りを自他共に止めて
頂きたい。性別に関係なく、能力と人格で選んで頂きたい、というのが
私の主張であり、そのつど述べてきました。

「女性の時代」という言葉がたぶん、いかがわしいのです。
「人間の時代」にしたらいかがでしょうか。人となり、能力次第で
男女性別問わずが、あらまほしき姿でしょう。

乳房の有り無しを基準にするのも奇怪で滑稽な話。
扇千景さんなど、女性的美貌でいらしゃいましたが
国防に関しては毅然と男前のお方でありました。
睾丸を所有していても、毅然と出来ずうじうじとしていらっしゃる
男議員もいますね。

人材を選ぶにあたり、睾丸と乳房を選択基準にするなかれ。
と言葉にするとおかしいでしょう? しかし、そのおかしいことを
大真面目に内閣はやっているのです。

話が逸れました。公認について異議あり、と書こうとしたのです。

今回も、なぜこの人を公認したのか。「女性だから」「有名だから」か、
それだけで資質も考慮せず選ばれてもなあ、と思っている人が
います。選挙前に足を引っ張るようなことはしたくないので、
口をつぐんでいたのですが、同居相手に黒い過去が
あるとか、そこが明らかになったので、もはやこれまで。

もともと、議員の合間に歌を歌いたいとほざいて、失礼・・・・おっしゃって
いる時点で、耳を疑っていたのです。
政治の合間に歌? はぁ?
おまけに、ハンディあるお子様をお持ちだとかで、それを
表向きの立候補の理由になさっていらっしゃるようですが、
まだお子さんは小さい様子、政治と子育てと両立は
無理ですよ。お子様に何らかの不自由な状態が
おありなら、なおさらに。
今は、母親が付き添ってあげる時期なのではないですか?

政治の合間に歌を歌い、子育てをなさるのか、歌と子育ての
合間に政治をなさるのか。

この方の政治に対するタガの緩んだ姿勢もそうですが、この方を公認する
党もいかがなものかと思うのです。一議席はこの方ゆえに
確保できるのかもしれません。でも政治は椅子ではないでしょう。
いや、椅子の数でもあるのは解っているのですが、こういうこと
続けていると長期的に大事な信頼感を損い続けませんか。

野党は野党で何やら、美しいとは言えない動きを見せていますね、
政党助成金を返納しなくても済むテクニックとやらで、こういうこと
もう国民は見透かします。


絵画展

2016年02月26日 | 日本語について

 三田佳子さんの舞台を拝見しに渋谷の文化村を訪れたことは
書きましたが、方向音痴なのでいつも早めに家を出るせいで
1時間も早く着いてしまいました。

それが文化村のありがたさで、展覧会を常時やっています。
「絵画の夢 ラファエル前派展」という展示があったので
そちらへ足を向けたのです。

音楽を含め、あらゆる美しいものに触れるのが魂の
進化であり浄化です。ところが、私実は絵画音痴。

描くのも異常に下手です。小学生の時野外スケッチ展で
朝日新聞社賞というのと、あと中学生の時の美術の時間、
女性との肖像画で、先生に「感覚が面白い」と褒めてもらったことが
乏しい私の美術歴です。

朝日新聞社賞というのは、被写体と構図を決めかねて幼い私が
ウロウロしている間に、終了時間が過ぎ、パニックになって
画用紙にほとんど半狂乱に殴り書きしたら、その
切羽詰まった「迫力」が買われたらしく、しかし今思っても
ただ、緑や茶のクレヨンでぐじゃぐじゃにした、形なき
混乱。中学生の美術の時間の時のは、女性との顔を
大きく描きすぎて、ああもうこりゃダメだ、と
髪の毛を茶色に塗りたくって、何しろ茶髪が現れるのはそのはるか
以降ですから、珍しかったのでしょう「面白い」という
美術教師の評価でしたが、級友は「鬼みたい」と言っていたのを
覚えています。

生涯2度絵画で褒められたその2度とも、上手く描けず
逆上気味に画用紙に塗りたくった・・・・火事場の馬鹿力的
迫力を評価されたのでした。

今でも、絵画どころか三角や丸すら描けません。

手塚治虫さんは、コンパスを使わず正確な丸を描ける方で、
それが出来なくなったら絵筆を措く時だと思っていたようです。
手塚さんの生涯をドラマ化した時、知りました。

ラファエル前派展ですが、英国のリバプールから運ばれてきた
絵画です。1800年台、1900年台初頭の絵が、
息のかかる距離にあることに、まず感動を覚えます。

画家の肉体的命は、とっくにこの世にはないのに、その
魂が放った火花は、なお極東の一角で光を明滅させている
不思議さ。

といって、私に鑑賞能力はないので、ナルキッソスと
木魂の妖精の絵を見ては(ナルキッソスが美しく描かれているのに、
妖精のおねーちゃんが、なおざりだなあ。ナルキッソスという男の
裸では売り物にならないので、おねーちゃんの裸を
無理やり描いたのかなぁ)などと、心のなかの声なので、
はばかりがありません。

それにしても、飾りたい絵がありません。けなしているのではなく、
自分の部屋に置くとしたら、という目で見たらということです。
死者を描いた絵など、誰が飾ったのかその感性が不思議です。

遠近法を敢えて無視したデザイン的な絵は、当時批評でさんざん
だったそうですが、私の目には面白く映りました。
何でも新しい物が登場した時はとりあえず、叩かれるのかもしれません。
でも100年後に評価を得るのがアートの面白さです。

唯一個人的に所蔵したいなと思ったのが、これは相性の問題なんだと思うのですが、ジェイムズ・ハミルトン・ヘイという画家の、「流れ星」という
作品でした。

画面の殆どを、暗い夜空が占めていて流れ星は目を凝らさないと
解らないほど儚げな描かれ方。星座もちゃんと描かれているそうなのですが、
空の下は冷え冷えとした雪景色で、あとは民家。
異国の地で迷子になった時のような、心細さを感じさせる
絵でしたがこれにひょっとしたら、暖かな安らぎを覚える人も
いるかもしれません。

ぼうっと明かりの見える民家に、一家だんらんを想定しその暖炉に
燃える火、赤ん坊の声、笑い声、猫や犬の鳴き声などを
イメージで託せる人にとっては、多分温かな絵なのかもしれません。
私には家自体が一人住まいの孤独を感じさせ、惹かれながらも
飾る気にはなれませんでした。

あなたの目にはどのように映じるでしょうか。

                ジェイムズ・ハミルトン・ヘイ
                    流れ星

             キャンバスに油彩 1909年 64×76.8

 

             

 


家から5768歩で文化村へ

2016年02月24日 | 日記

本日も歩くことを念頭に、車は使わず駅も階段を上り降りしてやって来ました、渋谷は文化村。

三田佳子さんがシアターコクーンでお芝居をやっていらっしゃるので、見物に出掛けたのです。

紺地にくすんだ紅の棒縞の着物に、黒地に数本の赤い縞が走った羽織(例の、向井理くんと偶然お揃いの)、それに沈んだ猩々緋の帯。
猩々緋というのは、お店で教えてもらった和色名です。朱と赤の中間の
ような?
羽織は綿麻、着物と帯は初めての綿です。
綿の街着をずっと探していたのです。やっと見つけたのが、神田明神下の
着物のお店です。

綿は絹のように滑らないので、着付けの時にやや戸惑いました。

劇場には本来、綿は砕け過ぎですが歌舞伎座のような和の格式を
重んじる場所ではないし、演し物も洋物で出演者も若い子たちが
多いのと、綿でも仕立ておろしなので寛恕いただこうかと。
三田さんが案の定、敏感に着物に目をやり反応して下さいました。
話している間、幼稚園の仲良しどうしのようにずっと手をつないでいて、
思えば公私共に30年ほどにも及ぶ長いお付き合い。

元気でいつまでも・・・・と毎度祈るように客席から拝見しています。
三田さんは今回は、音痴のソプラノ歌手の役で抱腹絶倒、涙あり。
つくづく、才能に恵まれた女優さんであると思い、その方との
長きに渡るご縁をありがたいことに思います。

三田さんには、昔からテネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」を
やっていただきたく、ご本人にそう申し上げたら「稽古時間をたっぷり、
とってくださるなら、演る」と。「どなたか、やってくださる方を心がけておいて」。

帰宅後早速、心当たりの方へメールしたのでした。
演出とプロデュースを引き受けてくださりそうな方。
「欲望・・・・・」は傑作ですが、ヒロインのブランチをやられた
杉村春子さんが神業の絶品で、その後まだその領域に
達する人が出ていません。
私は三田さんがやれる、と睨んでいます。
絶唱という形で哀切極まりないヒロインを演じてくださると
確信しています。実現したら、最大の贅沢です。・
見たい芝居を見たい女優で、見物出来るのだから。

書き忘れましたが、上記の着物に底が黒の赤い別珍の足袋と、
真紅の皮草履を合わせました。