井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

「遣日使」という言葉の普及を  古代より諸国学びの対象であった日本

2015年05月31日 | 歴史・政治

日本は、誇らない、他者と比較しない、優れていても謙遜する。

それが古来よりの日本人の性質であった。

敗戦以降、自信を失くして極端に自己否定に走り、そこに追い打ちをかけたのが

GHQ発、中韓による日本貶めである。

「欧米では」という比較論も戦後しばらくは流行ったが、今どき欧米と比較して

日本がどうのという言い方をする人もいなくなった。

ただ漠然と「日本は劣った悪い国である」と思い込んでいる人が多く、それは

あたかも慢性の疾患のように、日本病ともいうべき状態を示している。

こういう折から、私は日本に「遣日使」という言葉を定着させたいと思う。

知る人ぞ知る言葉であるが、遣隋使や遣唐使に対しての造語であろう。

隋や唐に日本から学びに渡った日本人たちがいたのは事実だが、しかし周辺諸国から

日本に学びにも来ていて、それが「遣日使」なのである。

と、偉そうに講釈するわけでもないのは、私自身東北大名誉教授でいらっしゃる

田中英道先生のご著書を繙く(ひもとく)までは知らなかったことだからだ。

田中先生のご著書は好きで、数冊拝読しているが、篤実な論を確かな文章で述べられる方で

先生のおっしゃる遣日使が、突飛な論であるとも思えない。

先生の著作「日本の歴史 本当は何がすごいのか」(育鵬社)によると、

隋からは裴世清(はいせいせい)はじめ高位の役人が32艘の船を引き連れ、

日本に学びに来たという。これは史実にある。

*裴 世清(はい せいせい、生没年不明)は、7世紀前半に中国王朝隋の煬帝による命令で俀國(倭国)を訪れた使者。《Wiki》

天智天皇8年(669年)には、二千余人が日本に学びに訪れていて、新羅からは

三十数回も、日本に来ているという。渤海(ぼっかい)からは33回の来日。

渤海というのは、現在の中国の満州から朝鮮北部、ロシアの沿海州まで

版図を広げた国のことである。

要するに遣隋使、遣唐使という形で海外に日本が学びに行った人数と回数より

海外から日本に学びに来た人数と回数のほうが、遥かに上回るということである。

百済滅亡の時には、大勢が百済から逃れてきて日本に住み着いているが、

日本は彼らを排斥せず、彼らも穏やかに日本の家風に馴染んでいつしか

日本人となっていった。だから、日本人がとりわけ排斥主義であるということはない。

本来間口の広い、懐深い民族であろう。

拒否するなら、する理由があってのことである。端的に言えば、日本の良き風習に

馴染まず
低きへ日本を持って行きかねない外国人に対しては嫌悪拒否感を示す。

 

 

「朝鮮通信使」を、日本全国の各自治体がイベントとして

盛り上げようとしていて、それは結構なことであるが、しかし朝鮮通信使が

「文化の低い日本へ、高い韓国から教えに来た一団が朝鮮通信使である」と

韓国が主張しているその内容まで肯定しては、町おこし名目で

日本の名誉を傷つけることなので、止めて頂きたいのだ。

朝鮮通信使は、日本に朝貢に来ていたのである。「教えてやるほう」がなぜ、

将軍に貢物まで持って、わざわざ危険な海路を渡って来るものか。

学びたい対象があれば、日本のほうから出かける。遣隋使や遣唐使のように。

朝鮮通信使が「文化の低い朝鮮から高い日本へ来た使者であった」ということは、

他ならぬ彼らが著した「日東壮遊歌」があるので、町興しのために

朝鮮通信使のイベントを盛り上げたい各自治体の関係者は読んで頂きたい。

「日東壮遊歌」で検索をかければ、資料はネットでも容易に拾える。

韓国の言われるまま頷いていると、慰安婦と同じ運命で彼らが

言い続ける嘘がいつしか事実として定着してしまう。

たとえば朝鮮通信使は、日本の水車の技術を朝鮮に持って帰ろうとするのだが、

李氏朝鮮で水車が出現するのに、500年間の時を要した。日本では庶民である

百姓が軽く作っていたのが水車である。

 

また左右同じ大きさの車輪を作る能力が

なかったので、朝鮮の貴族が乗っていたのは猫車のような一輪車である。

 

 李氏朝鮮の時代(1392年から1910年)の両班(貴族)の乗り物

 

 

このような史実を踏まえての、ユネスコ登録ならいいが、韓国が躍起になっているのは

朝鮮通信使に託して「文化的に優位だった朝鮮。劣っていた日本」という捏造史の

定着化であるから、日本の関係者諸氏は乗せられないようにして頂きたい。

 

(平安時代の牛車復元)

お立場がお立場なので、いつも右代表であげつらう形になってしまうが、

安倍昭恵氏による朝鮮通信使イベントへの協力推進は、浮薄であろうと思う。

他にも日本毀損の人物への妙な協力やら、中国工作員への接近やら、

いくつもいくつも論外な言動がおありなので、再度申し上げておきたい。

かと思えば靖国参拝などなさり、その事自体はむろんご自由だが、この方の

立ち位置が全くわからない。ガス抜き要員だという説もあるが、それにしても

挙措が終始一貫していず、単なる浅慮による妄動ではなかろうかと私は見ている。

私が実名を出して批判するのは、数名しかいないが昭恵さんもそのお一人である。

https://www.facebook.com/akieabe/posts/10152678383591779

軽挙妄動はどうぞ謹んで頂きたい。とりわけ朝鮮通信使イベントに加担なさるなら、

その前にじっくりお勉強をして頂きたいのだ。

 (鶏を盗んで町人と喧嘩する朝鮮通信使)

こちらのサイトさんが、「朝鮮通信使」の実態をよくまとめていらっしゃる。

http://ameblo.jp/19kodo/entry-12022370398.html

 

「オルレ」という必然性のない韓国語導入に、協力する方。
韓国語優先のこの看板に、通常の日本人なら違和感を抱かないだろうか。

「オルレ」は韓国・済州島発祥。

済州島の方言で「通りから家に 通じる狭い路地」という意味 

http://migigimi.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

日本のトレッキングコースになぜ「済州島の放言」を使うのだろう?
写真を見たが、単に山道である。

 

首相夫人の安倍昭恵さん(51)が4日、上天草市を訪れ、市内に2コース設定されている韓国発祥のウオーキングコース「オルレ」を体験した。( 読売新聞)

ウォーキングコースの発祥が韓国? ハイキングコースなら昔から日本にある。

「発祥癖」の韓国は困りものだが、それに加担なさる首相夫人もいかがなものか。


フグと城下カレイ

2015年05月31日 | 食べ物

所用で大分に一泊で飛んだ。

飛行機が整備不良とかで、出発が遅れるというアナウンスがあったのは
搭乗寸前の整備不良アナウンスは、何か胡乱である。
整備点検はもっと早めにやっておくべきではないのだろうか。
搭乗寸前に発見されるというのは、要するに問題箇所の点検を
直前まで怠っていて、機長がコックピットに入ってから、やっと
不備に気づいたということではないだろうか、といぶかしんだが、
大幅に1時間も遅れての離陸であった。それなりの短い説明は
あったが、どうにも訝しい。しかし機器に無知なのでツッコミも出来ず。
血の気が熱い若い頃なら、質問して食い下がったかもしれない。
国内便の1時間遅れというのは、仕事がらみだと大変なことになる
場合もある。その割に、JALの詫びはけろっとお座なりではあった。
日本人はおとなしいので、皆黙っている。
アメリカだと、ヘタしたら訴訟沙汰。訴訟社会で大儲けするアメリカが
いいとは全く思いはしないし、むろん、正当な理由での遅延なら
騒ぐほうが悪いが、どうも搭乗寸前の整備不良発見が
納得できかねる。

これだけの遅延は国内便では、初めてだったが国際線では二度経験がある。
一度は、アカデミー賞の授賞式見物にハリウッドに行った時で、
成田空港で一夜、止め置かれた。
テレビ小説を書いている最中の、寸暇をもぎとるようにしての渡米であったので、
痛かった。日本人のカップルが、いったん搭乗したのに、降りてしまったせいで、
その場合は爆弾仕掛けの可能性があるので、大掛かりな点検作業が
行われるのだ。

そのカップルがなぜ、航空券を捨ててまで降りたのかわからない。
体調が悪かったのか、成田離婚風に喧嘩したのか。
点検に手間取るうち成田離陸の時間帯を過ぎてしまい、結局
翌日のフライトとなった。こういうケースは、航空会社の責任ではないので、
なんの補償もない。踏んだり蹴ったりであった。

一度はどういうトラブルであったか忘れたが、東南アジアの何処かの国で
航空会社が取ってくれたホテルで一泊したことがある。
若いころだし、むしろ思わぬ国での無料一泊はそこそこ面白かった。

1時間遅れで、着いた大分空港であったが、市内まで延々1時間。
なんで、こういう辺鄙な場所に空港を開いたのか、行くたびに不可解な
思いをする。別府市内に行き着くまでに、空港に使えそうな土地は
有り余るほどある。成田と共に、日本2大不便空港である。私の主観であり、
似たように乗客に遠路を強いる空港は他にもあるのかもしれないが、これだけ
不便を強いられると、どの政治家が何の利権で? とつい考えてしまう。
1時間の遅延に加えての、市内までの1時間だったので、余計
くたびれた。

大分空港は昔は大分市内にあったのだ。
空港から海を比較的短時間で渡れるホーバーもいつしか
廃止になっていた。空港から市内があまり遠いと、市(まち)は
寂れはしないだろうか。
成田も、来日を億劫にさせるに十分な不便さではあり、日本にとっても
よろしくないと思う。

大分では、フグの料亭に行った。夏フグと言っていいのかどうか、春フグというには
もう暑い。計三人で、キモが一人当たりタラコ大のが出され驚く。
身も分厚く大きい。初めてフグ刺しを皿に残すほど、刺し身だけでお腹がくちくなった。
(くちくなる、ももはや死語か?)

翌日昼は、空港内の「宙(そら)」という寿司屋で、関サバ、真鯛、城下(しろした)カレイの寿司、とりわけ、城下カレイはめったに食べられないので、集中的に握ってもらった。
弟が大分に飛ぶたびに、寄っている店である。
城下カレイは日出(ひじ)の海中に真水が湧く箇所があり、そこでしか釣れない、魚の中でも
宝石クラス。スーパーで城下カレイと銘打っていても、まずは眉唾。それほど
気楽に出回るものではない。ビールで食したが、日本酒でもっと、たらふく食べて
置きたかったかなあ、と今頃軽く後悔しているのだが、何しろダイエット中なので、
少しはブレーキをかけたのだ。
キモのついたフグ刺しは、それ以上食べきれぬほど詰め込んだが、しかし城下カレイは季節限定、土地も狭く限定で、今後はいつ食べられるかわからない。と思うと、もっと
食べておくんだった、やはり思うのだ。

羽田空港浜松町間のモノレールだが、ただでさえ過剰な日本のアナウンスだが、それに
中国語と韓国語が加わるので、うるさくて仕方がない。
標識もあちこち中国語と韓国語。こういうのは相互主義でやるなら、文句も言わないのだが、
ソウルでも北京でも上海でも、日本語の標識やアナウンスなどありはしない。
やれば、国民的サイズの批判にさらされるだろうに、日本だけなんでだろうね。

むろん、領土を不法占拠されている国や、自らの所業を棚に上げ「歴史認識せよ」と
事あるごとにぶち上げる国に、なんでそこまでサービスするのかという思いもある。
中国人がどれだけ日本にお金を落としに来ているか、と私を諌める人もいるが、
日本が今まで、どれほど理不尽なODAを中国に渡してきたか、と私は応酬する。
彼らは日本にお金を落としても素手で帰るわけではない。
日本は、むざむざと取られっぱなしなのである。黄砂対策やら何やら、名目通りに
使われているかどうか、むしろ役人の懐を潤している公算のほうが高い
死に金である。大枚のお金渡したからといって返ってくるのは感謝ではなく、
非難と罵りである点も韓国に似ている。


根付け

2015年05月29日 | 日記

根付を集める趣味は今のところないので、これが手持ちの全てである。

一番下の金属は、折り鶴である。

ただ、蜻蛉は何となく凝り始めて着物から半襟、扇子、手ぬぐいに至るまで
揃えているので、蜻蛉の根付がもしあったら欲しい。(ネットで探したらすぐ、銀細工の蜻蛉が見つかったのだが、残念ながら帯に留めるための金具がついてなかった)

こんなことを書きながら、亡き脚本家市川森一さんの言葉を思い出した。

「テレビであなたをたまに見てるけど、あんなに和服が身に馴染む在日の人はいないよ。あなたは紛れもなく日本人だ」

私が「日韓併合が終わる直前の京城(現ソウル)で生まれたもので、時々在日説が出まわるんですよ」と言った時の、市川さんの反応である。

ユニークな世界観をお持ちの脚本家だった。「淋しいのはお前だけじゃない」など、
作家性の濃いドラマをお書きの方だった。「黄金の日日」という大河ドラマも
市川さんだったと思う。

当時世田谷区深沢にあった三田佳子さん邸で市川さん、唐十郎さん、私と脚本家3人が招かれて、一夜飲み明かしたことがある。

ドラマを見ていて、あ、これは誰それさんが書いたな、と脚本家名が解る時代はもう終わったのかもしれない。

市川さんといい、唐十郎さんといい、文体と世界観をお持ちの方である。

 


敢えて韓国民の身になって考えてみた

2015年05月28日 | 歴史・政治

佳子さまを慰安婦に、と口走ったマイナーながらジャーナリスティックな
仕事をしている男の取材を日本の週刊誌がしているのを、
ちらっと読んでみたが、ご本人確信犯で反省の弁とてない。

韓国人たちの言い分を、ネットで翻訳ながら読んでみて、
なぜこうも道理が通じないのか、歴史の真実というものを見ないのか、と
嘆息するのだが、実のところ相手は日本人に対して同様のことを
思っている。

これでは、いつまで経っても何をどう議論しても平行線である。

要するに、韓国国民には事実が伝えられていない。幼児期から史実に反することを
教えられていて、その教えられた中身について疑うということをしない。

ただ、わずかの韓国人は気づいている。自分たちが教わっていることは
真逆のことではないかと。

日本の場合は、皮肉なことに別の意味で真逆を教えられてきた。
つまり「一方的に日本が悪い」という「嘘」を。というわけで、長いこと韓国民と日本国民の
意見は一致していたわけだ。それで、それなりに「上手く」行っていた。
日本人は漠然と「何か悪いことをしたんだろうなあ」と思いつつ、そこには触れず、
というより、そもそも韓国という国にさして興味も示さず、時がそれなりに
平穏に流れていたわけだ。

韓国人の歌手が自然に受け入れられ歌がヒットして、でもそれをわざわざ
韓流などと、区分けしない時代があった。

ところが、韓国が国策として韓流を売り込むようになり、それに伴い、
ゴリ押しと言われる強引なやり口が見えて来て、だんだん日本人が
「妙だな」と思い始め、そこにかぶせるように思い起こせば日韓共催の
ワールド・カップでの韓国側の仕打ち、それからフィギュアにおける
不透明なあれこれで、それまで無関心だった日本人の心にクェスチョンマークが
芽生え、それから学び始め、種々知ってくると学校で教わったことの
多くが嘘に近かったと衝撃とともに思い知る人達が増えて来て、現在に至る。

国家が国民に教えこんでいることを、韓国国民が事実だと思い込んでいるとしたら、
謝罪もせず独島(竹島)は自分のものと言いはり、20万人もの性奴隷を
駆り集めた最悪日本、侵略して名前も言葉も奪い奴隷扱いにした日本、なのである。
怒って当たり前、憎んで当然である。教えこまれたことが事実であるならば、だが。

結局、韓国という国家が国民に嘘を教えこんでいるという事実に気づくまでは
永遠に韓国側の憎しみは止まらない。日韓友好など無駄である。
従って、政府レベルで対応するしか、基本の解決策はない。

慰安婦について安倍首相が「人身売買」という言葉を使うのは、河野談話に自縄自縛された中で、精一杯の言い方なのであるが、韓国民はそれがけしからぬと、憤るのである。
売買ではなく強制連行なのに、と。
14歳の少女が実際にかどわかされ、性的暴力を受け、叩かれたり、
生きたまま火に投じられていたと、本気で信じこんでいれば
平然とした顔の日本人は悪魔であろう。
募集は17歳、募集広告によっては18歳からである。14歳などあり得ない。
それに、14歳という年齢を現代の感覚で、酷いと思い込むのも違う。
成熟が今よりうんと速い頃の14歳である(実際は17歳からの募集)。

事実の側から見れば「人身売買」というのすら正確ではなく、内実は募集と応募である。
現在の自発的売春とさして変わるところはなく、ただ朝鮮国内の個々の事情で
親により、あるいは女衒により人身売買に近いことはあった。だが
日本がそれに対して責任を負ういわれはない。

といくら、日本人が説明しても韓国人は聞く耳は持たない。
当然だろう。国がそこまで大嘘をついて国民を騙すことはしない、と
普通は思う。だが壮大に騙している。敗戦時はGHQがそれに加担していたし、
彼らのやり口は「何が何でも日本人が悪い」で、韓国人は犠牲者である、という
構図作りもアメリカがやった。マスコミへの規制法であるプレスコードで
朝鮮人への批判を禁じたのもその一環である。
在日と言われる人々でさえ、この日本に暮らしながら本国発の捏造を
事実として、在日社会の共通認識で暮らしている。

韓国人と日本人の対論を、時折ネットで見るが食い合わないこと
おびただしい。日本人がいくら例証を上げても、韓国人は幼稚園の頃から、
いやその前から社会から親から教えこまれたことを、真実だと信じこんで
いるから、日本人が事実を認めず嘘を突き通していると思い込んで・・・・
思い込まされている。

どうすればいいのか。

日本が国家の総力あげて対処するのがいいのだが、やりそうにもないし
アメリカとの関係で、困難でもある。事実を暴けば源流はアメリカにあることが
露見してしまい、アメリカはそれを望まない。その意味では
いまだ敗戦国としての無力状況が続いている。

結局迂遠ながら、民間でこつこつやるしかなく、しかしあちらは
国家規模でかかって来る。個人レベルで対処するのは限度がある。
しかし、言われっぱなしでは余りにも理不尽であろう。

できれば、国家が経済制裁を行うのも辞さぬと腹をくくって欲しいのだが。
今の流れならアメリカもそう、阿漕(あこぎ)な介入もして来ないだろうと思われる。

韓国民の多くは、韓国が日本を失ったところで、どうということもないと
本気で思い込んでいる。これもまた、国威発揚で国からそう思い込まされている。
「韓日断絶」の声も最近は、ひんばんである。
いっそ、断交とは言わぬがそれに近いぐらい日本がいったん遠ざかってみたら、
どうなのだろう。

遠からず韓国民は、自国の置かれている位置を思い知ることになる。
思い知ったところで、事実にもとる反日教科書を改めるよう申し入れればよい。
・・・・と、口で言うのは簡単だが敢えて書いてみた。
事実がないがしろにされたところの、二カ国間の論争など
永遠に不毛で憎しみ以外、何も生み出さぬからである。


虚偽で日本を貶める韓国

2015年05月26日 | 歴史・政治

なかなか、実感として日本が日々侮辱され、虚偽が世界にばらまかれていることを
感じにくいのかもしれません。日本人は相変わらずおとなしいようです。

韓国でのテレビ放送の実態を見てみてください。以下のURLにある動画です。

http://news.tvchosun.com/site/data/html_dir/2015/05/26/2015052690095.html

韓国語は解りませんが、強制された慰安婦という定番の捏造を報道していることに
間違いはないでしょう。

ところが少々、事情を知っている者なら、逆に強制の慰安婦などいなかった、という
証明になる写真が数枚紛れ込んでいることに、気づくはずです。

まず、日本におけるほぼ日本女性相手の慰安婦募集情景。
そう、「募集性」であり、慰安婦は日本人のほうが多かったのです。
そしてその日本女性からは誰一人、強制性や虐待の事実は語られていません。
朝鮮人慰安婦が格別に虐待されていたなどという証言も皆無です。

また、一枚の写真は米軍が慰安婦から聞き取り調査をしている情景ですが、
この時慰安婦が語った内容は「休日にはピクニックや買い物に行く」等々、
虐待や強制とは程遠いものであり、その聞き取り調書は米国の公文書館にあります。
調書は彼女たちを、キャンプフォロワーと規定しています。
つまり、軍の後を追いながら春をひさぐことを生業にしている女性たちである、と。

そして、朝鮮戦争当時の韓国人慰安婦たちの写真も紛れ込んでいます。
朝鮮戦争の時の、韓国の朴正煕元大統領が設営した慰安所に
日本は何も関係ありません。

韓国の報道番組で、こういうでたらめが流されていることを日本人は
知っておいたほうがいいですね。

「鬼郷」というタイトルで、在日の人達協力で慰安婦に関する捏造映画が
韓国で撮影中のようですが、正確な史実を知り得る日本という環境にいてもなお、
聞く耳持たず学ぶ気とてない人たちがいます。

韓国本国では学校で著しい嘘が教えこまれていて、日本政府レベルで本気に動かねば
濡れ衣は晴れないし、国民も事の深刻さを自覚せねば無関心で、
嘘の歴史はますますその残虐度を増しながら世界に定着してしまいます。

アメリカでは公立高校の教科書に「天皇が、14歳から20歳の韓国人女性20万人を性奴隷として軍隊に捧げた」という意味の記述がなされていて、日本政府からの
抗議は却下されています。なぜ抗議というレベルではなく、訴訟でもなんでもいい、
本気で対処しないのでしょうか。

アメリカの都合で動かされる敗戦国日本ですが、現在は風が、これまたアメリカの都合でながら、日本に吹いています。今がチャンスですが政府に動きは今のところないようです。

 

http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2015/05/16/0200000000AKR20150516021300073.HTML

 

日本国と天皇陛下と二重の侮辱を受けているわけですが、日本国民は多くがこの事を知りません。

竹島も、奪還の機を逸したまま徒に時が経ち、性奴隷とやらのいもせぬ女達のあざといフィクションもまた、機を逸すれば、永遠に事実として定着してしまいます。

日本人はなぜこのような侮辱に無関心なのでしょうか?
私などはほとほと理解に苦しむのです。

日韓友好などの前に、きちんとかたをつけておかねばならぬことが、ありはしませんか。
それらを棚上げにした友好など、蜃気楼ですぐ壊れ果てます。
何度も何度も同じことを戦後70年間繰り返してきています。

河野談話の継承拒否は、政府レベルでは出来ないと思います。政府がいったん
公式に口にしたことですから。心情のみを言えば、河野洋平氏を国会に呼んで、
談話を出した事情を詳らかにすべきだと思いますが。

政府ができぬなら民間で、河野談話の内容がその当時の韓国政府との
取り引きで出されたこと、その取り引きでの約束を韓国が破っていることなど
言い続けるしかありません。

もう一つ、対外的に有効な手立ては、河野洋平氏が個人の立場で当時の状況を正直に
告白することですが、河野氏が談話についての自己正当化をあちこちで語っているのを
見れば、河野氏が正直なことを今後も発表することはありませんね。
村山談話の村山富市氏も、自己正当化一直線、国守るより自己保身に汲々と
していらっしゃるようにお見受けします。

阪神淡路大震災の時、大嫌いな自衛隊出動を命令するにためらったのかどうか、
知りませんが、采配ののろさで、死ななくても済んだはずの人々が大勢亡くなった。
そのことへの反省の弁すら村山氏にはありません。

自らの偏った史観をベースに発した談話で、その後の日本がどれほど貶められ、
子供たちが負の財産を未来永劫背負っていくか、そのことへの思いもないのでしょう。