井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

Amazon

2015年03月31日 | 日記

Amazonで買い物することが多い。

私のような面倒くさがりには便利である。失敗もあるが大当たりもあり、平均的に

普通に買い物ができている。

(ごくまれに、商品の画像と謳い文句と似ても似つかぬ品に高価な値段をつけて売っている詐欺的ケースもあった。これは販売元の責任であってAmazonのせいではない。つい最近では慶弔用の袱紗が最悪。そこそこ良い値段であったのだが、届いたらどう見ても数百円程度の粗悪品。別メーカーのを買い直した)

購入後数日ならずして壊れてしまったデジカメであるが、修理のための

ピックアップサービスというのがあったので、頼んだまではよかったのだが、

修理費の見積もり額が来て、これなら買い替えた方がいいという金額。

電話で問い合わせたら、保証書が入ってなかったので、と。

それはピックアップに来た時、頭をよぎったのだが保証書にある、本来販売店が記すべき

購入年月日欄が、Amazonの場合、空欄なので送っても無駄だろうと思ったのだ。

すると、そのような場合はAmazonに証明してもらえ、という。

何だかよくやりかたも解らず、適当にAmazonサイトを見ていたら、

Amazonの人にチャットで質問できるフォームがあり、書き入れて送信したら、

数十秒でレスポンスが来て、チャットによるやりとり。

応対は懇切丁寧、かつてきぱき。

メカ音痴の私にも解るよう指示してくれて、無事「発送済み、支払状況」の用紙を

プリントアウト出来、それをメーカーの修理センターにファックス、無事

無料修理という運びとなった。

さっきまで、Amazonの担当の方のお名前を覚えていたのに、

もう忘れた。いい仕事されてますね、ありがとう。

・・・・Amazonで思い出した。

コメント欄で薦められ、健康維持のための何とかオイルを一度頼み、更に追加オーダーしようと、商品を見てみたら、軒並み急騰。テレビで健康法として有名になった途端、バカバカしいほどの高騰である。

欲しければ値段は考慮せず買ってもいいのだが、その時気づいたのは産地表示が明快ではないこと。とてもではないが、某国と某国との食品汚染のさまは一度勉強したことがあり、
口に入れる気がしない。星の数で評価する欄を細かくチェックしていたら、やはり私のように
産地を気にする人の低評価があって、参考になった。

というわけで、そのオイルはもう買わない。ヘンプオイルはまだ続いている。
これも話題になったら、高騰するのだろうか。

最近は、ハーブティーに凝っていて、エルダーフラワーやごぼう茶、他2種類を

自分でブレンドして、それをペットボトルに入れたのを飲んでいる。

アレルギー性鼻炎や蕁麻疹など、アレルギー性体質の改善を模索中。某社の乳酸菌を

続けてみたが、私には効かなかった。

 


華やぐ

2015年03月30日 | 日記

三田佳子さんのディナーショーに出かけたのが、金曜日の

夜のことである。

三田さんに敬意を表して誂えたばかりの白い皮草履に、

これもおろしたての大島紬。鮮やかな紫の長襦袢も新品。

ということで、着物好きの人たちのために画像を載せようと

デジカメで収めたのだったが、何ということ買ったばかりのカメラの

電源スイッチが壊れて、アップできず。

よくせき、私は機械との相性がよろしくないようだ。

ディナーショーでは、同じテーブルの方々が和服に興味を示して下さり、

それが話しの糸口にもなった。

女性たちの衣装が華やかで目を楽しませてくれたが

残念なことに、和服は無し。

男性連は黒っぽいスーツばかりで、これもちょっと残念。

三宅イッセーさんが来ていらしたが、こちらはさすが。

同じテーブルには電通のどなたか、多分トップだと想像されたが

(詮索は失礼なので確かめていない)、その未亡人がいらしていて、

二連の見事な真珠のネックレスの間に、キラッキラッと光る粒は多分ダイヤ。

珍しかったのでつい話しかけたら、指輪も見せてくださった。

大ぶりのサファイヤをびっしりと、小粒のタイヤが取り囲んでいるのである。

お衣装は三宅イッセーの最新作だという、シルバーグレーのドレスである。

そうこうするうち、水谷豊さんが近くを通りかかり、立ち止まって

会釈をくださったので(初対面である)

「相棒のファンです、よく拝見しています」

と言ったら、肩をハグしてくださった。

あの年代の方にしたら、とても小さな顔をなさっている。

ショーの途中で、テーブルを一個ずつ三田さんが回っていらして、

三田さんともハグ。

華やかな男女のハグで、気持ちに花が咲いたせいか、隣の

ご夫人に「お若いのに、お着物がお似合いですのね」

と言って頂き、

「いいえ、若くはないですよ」

そう申し上げたら、

「でも、せいぜい三十歳でしょう?」

思わず、ワインを吹き上げるところであった。

そのことを知人に言ったら、

「そりゃあんまりというものだ。お世辞も度が過ぎる」

と鼻先であしらわれたが。

 

日曜日には上野公園までお花見に出かけた。

路に迷い尋ねた相手が、たいそう美しい若い女性で、丁寧に

教えてくれ、更に近寄ってきた青年が言葉を添えてよりわかりやすく

道筋を説明、この青年も美しかった。

美女、美男と続けざまに見て、心が浮き立った。

美しいということはいいことである。しかも心根までいいと本当に嬉しくなる。

ふたりとも言葉のアクセントからしたら、日本人ではないかもしれなかった。

こういう美しく気立てもいい人たちが来てくれるなら、多民族共生にも

文句を言わないのだが。

古来、日本はおおらかに異国人を招き入れ、招かれたほうも

日本という家の家風を尊重、溶けこんでいつしか日本人になっていった。

こういう形でなら、異邦人に来て頂いてもちっとも構わない。

困るのは日本になじまぬまま、日本のよきところを壊されることである。

 


花札と沢庵

2015年03月27日 | 歴史・政治

韓国ドラマを見ていると、しばしば出くわす日本発のものに

沢庵と花札がある。

「日帝の残したもので唯一よかったものは沢庵だ」

というくらい、韓国の人々の嗜好にあったようだ。

もっとも、日本のように三年つけた古漬けはなく、塩漬けにしたものを

黄色く染めただけのものだという人もいる。

日本にいないタイプのコメディエンヌとして、私はキム・ソナが好きで

「私の名前はキム・サムスン」という10年前の大ヒット作を今頃、

見てみたのだが、韓国のヒロインは結構、ゲロを吐いたり、

口の中の食べ物を男の顔に吹きかけたり、これは日本人にはいないタイプの

ヒロイン像。トイレにもかがむ。

しかし、こういう形ではなくても欠点もたっぷり、暴力的でもあるヒロイン像という

のはいつか書いてみたい気持ちはある。日本人には無理かな?

キム・ソナの「サムスン」でも、花札が出て来た。実に多く花札は出る。

余り頻出するので、韓国独自に花札があったのかと思いかけたくらいだが、

よく「韓国発」を何事につけ言い立てる韓国の人々が花札の韓国起源を

言わないと思ったら、小野道風の例の柳に蛙の札があるので、

そりゃあ、言えないわけだ。

沢庵は、たかが沢庵なので黙っているのか、日帝時代に日本から

持ち込まれたというのが歴然としているからか。

間もなく桜の季節だが、韓国は飽きもせず「ソメイヨシノは韓国発」と

言い続けている。毎年、である。飽きもせず言い続ける。花見の

風習事態が日本のものだと思うが。

韓国発だと言い張りながら彼らは一足早い日本の桜見物に

やって来る。来たら「ドラえもん」が日本発だと知ってショックを受ける子も

いるのだろう。

海苔巻きはついに韓国起源だということにされてしまったが、

1945年日本敗戦の年に「日帝用語追放」で海苔巻きは、

「キムパップ」と名前が変えられたが定着せず、

ソウル五輪の頃まではまだ「ノリマギ」と日本名発音で

いう人がいた。

「国語醇化運動」で日本語追放が本格的になり、ノリマギは姿を消し、

キムパップに取って変わったのは近年である。

国語醇化って、オリジナルを追放、自国語に変えて出自を解らなくすることなんですか、と皮肉を言いたくなるが。

「キムパップ」から「キム・サムスン」に話を戻すと、キム・ソナと共演のヒョンビンが、細身なのに胸板が厚い。

水泳選手だったそうだからそのせいかもしれないが、いったいに

韓国の男優は体を鍛えて、ぶよっとしたのはいない、二枚目ではという意味だが。

「モムチャン」というらしいが、韓国の俳優諸氏は肉体を写真でも作品でもさらす。

モム=体  チャン=一番 という意味なのだそうだ。

鑑賞に耐えうる体を維持するという意味では、韓国の役者のほうがプロ意識があるかもしれない。見せてなんぼの世界の住人ではある。

整形率は高い。美形なのに、この顎の細さと頬のこけ方が何か違和感?
と思うときはエラを削っている。コンプレックスの裏返しなのか、
削り過ぎる傾向があるようだ。咀嚼に不自由することもあると聞く。
原型が留まらぬほど変えた俳優は、時の経過と共に
どうなるのか、スリリングである。

 

しかし、好きなキム・ソナドラマではあったが、やはり食事シーンがきつい。

テーブルに肘をついて食べる。キム・ソナは日本に暮らしていた時代が長く、

日本語達者というくらいだから日本風の食事マナーを知らないわけはないだろうが、

そこは女優さんなので、韓国のマナーに忠実に演技しているのだろう。


その汚れた手で日本を打つか、韓国よ。ベトナムの「韓国軍慰安所」

2015年03月26日 | 歴史・政治

記事をまず読んで頂くのが早いかと思います。

http://shukan.bunshun.jp/articles/-/4952

2015.03.25 18:00

 朴槿惠は父・朴正煕の呪縛から逃れられるか

ベトナム戦争当時、サイゴン(現ホーチミン市)に韓国軍の慰安所が存在したことが、アメリカの公文書によって初めて明らかになった。

日韓間に横たわる慰安婦問題に新たな視点を供する歴史的資料を発見したのは、TBSワシントン支局長の山口敬之氏。山口支局長は2013年9月から、約1年をかけて米国立公文書記録管理局のベトナム戦争に関する膨大な資料を調査。その中から、サイゴンの米軍司令部が、同じくサイゴンの韓国軍最高司令官・蔡命新(チェ・ミュンシン)将軍に送った「書簡」を発見した。

 

同書簡は1969年に書かれたもので、主題は韓国兵が関与した経済事件。その中で、同事件の舞台となったサイゴン市中心部の「The Turkish Bath」(トルコ風呂)について、以下のように記されていた。

 

「この施設は、韓国軍による、韓国兵専用の慰安所(Welfare Center)である」

 (The Turkish Bath was a Republic of Korea Army Welfare Center for the sole benefit of Korean Troops.)

 山口支局長が語る。

「韓国側はこれまで、日本軍の慰安所について国際社会で厳しく糾弾し続けてきました。ベトナム戦争当時、韓国軍の慰安所がサイゴンに存在した事がアメリカの公文書によって明らかになった今、韓国側がこの問題にどう対処していくのかが注目されます」

 山口支局長の「韓国軍慰安所」に関するレポートは「週刊文春」に掲載される。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・転載終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

要するに、汚れた手で日本を打つな韓国よ、ということですね。

米国の公文書館には日本軍について動いていた慰安婦は単なる売春婦で、

自由が拘束されていたわけではない、という聞き取り調査が残っています。

ベトナムでの慰安所の他に、朝鮮戦争の時は、米軍相手の慰安所が他ならぬ

朴槿恵大統領の父上(朴正煕・元大統領)の関与で開設されていたことも

史実に明らかです。

日本の慰安所に比べ衛生面も、慰安婦の扱いも悲惨であったことも資料が残っています。

北朝鮮からの拉致女性も使役されていたという説もあります。

それより、ベトナム戦争時に慰安所に行く兵士はまだしも、そこらで

少女を含めた現地の女性たちを強姦してまわったこと、これは他ならぬ

韓国の新聞社で明らかにされています。

この新聞社は暴徒に押しかけられていますが。

 

以下、ベトナム戦争時の被害者の画像です。

残虐なのもあるのでご注意ください。

 

 

 

 

 

韓国では、慰安婦切手を作りそれを日本はじめ、世界へ送る運動を

始めるそうです。

韓国政府の主導で従軍慰安婦映画の制作もするそうな。

「シンドラーのリスト」といもしなかった「性奴隷」を同次元に並べる、これは頭の悪さなのか、確信犯なのか、いや韓国は特殊だと思わざるを得ません。

いつか自らのやらかしたことが数倍の恥辱になって

返って来、それを韓国民は受け取らねばならなくなるでしょう。

慰安婦像も然り。いずれ真実が明かされたとき、彼らのやらかした

日本への侮辱は、ブーメランとなり自ら贖わねばならぬ恥辱として彼らを苛(さいな)むでしょう。

 

朝鮮戦争時の韓国での慰安婦たち

 

こちらは日本軍に付いて行った慰安婦たち。服装や表情を比べてみてください。

 

下の画像は、”自称”従軍慰安婦たちの「偽証」リハーサル中

「ジープはダメだよ」

つまり、このオバアさんは朝鮮戦争当時のアメリカ軍に売っていた。

だから「ジープ」とつい言ってしまったのです。(日本軍にジープはなかった)

だったら、アメリカに金よこせとか反米やればいいのに、日本に向かって来るのです。

お人好しで、調べもせずに謝ってくれお金までくれるからです。

たまたま、どなただったか、このリハーサルに出くわした日本人がいて、こういうものが証言とともに残ったわけです。

そして偽証慰安婦たちが、安部総理に向けて謝罪せよと、抗議の広告。

 

ついでに、靖国もサゲてみる。

日本もいいかげん、性根を入れて言い返し、相手の虚偽をあげつらわないと
いいように、やられてしまいます。

日本への濡れ衣晴らしに地道な努力をしてくださった、TBSワシントン支局長の山口敬之氏に感謝と敬意とを捧げます。


立ち上がれぬように日本の足を折って去ったGHQ(占領軍)

2015年03月25日 | 歴史・政治

一国を侵略、その国の国民を奴隷化するためのノウハウのひとつに、
放送局を押さえるというのがありますが、まずGHQはNHKを押さえました。
新聞と雑誌には、プレスコードを適用。要するにあれ言っちゃいけない、
これ書いちゃいけないという報道管制です。

敗戦後の被占領期に連合軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策の一環として、NHKの第一、第二放送を使って『真相はこうだ』という番組を10回にわたって放送させました。

脚本はアメリカ人が多かったGHQ担当。登場人物は軍人と、民主主義者である文筆家という、ワルモノ、イイモノ対比の構成だったよう。
音楽を多用して、満州事変から終戦に至るまで「軍国主義者の犯罪」を
暴く、というドキュメンタリータッチのドラマだったそうで、聴くだけでお腹いっぱいな内容のようですが、敗戦当時の打ちひしがれていた日本人に「日本が悪かったのだ・・・」と、力なく思わせる効果は絶大だったかと思われます。

再放送を繰り返し、毎日流された30分の洗脳番組ですね。

毎週日曜日、夜8時からの放送でその前にかならず、当時の人気番組を持ってきてその流れで、日本国民が必ずGHQのこのプロパガンダ放送を聴くようにするという、GHQ政策はどれも細心の注意が施されています。

こうしてみると、NHKは昔も今も国民が毎日無意識に読む「教科書」だということですね。時々フィクション、ノンフィクション、報道を問わず偏向を指摘されていますが、厳正に中立を守って欲しいと思います。

アメリカはこうした放送媒体を洗脳の道具として使うかたわら、盗聴などの通信傍受を行っていました。

わたくしの友人であった台湾出身の人は、父上が外交官であったので、
電話盗聴など日常茶飯事であったと、語ってくれたことがあります。
亡くなってしまいましたが、もっと詳しく聞いておくのでした。

占領下の日本で開通された手紙は2億通に上るとされていますから、
占領軍がいかに細心に日本弱体化のための布石を打っていたか
わかりますね。

不穏日本人の動向を探るための告発者が日本人から4千人採用され、
彼らは終生、同胞を売ったという良心の呵責に苛まされたようです。
暮らし厳しく、人が飢えていた時代に仕方なかったこととはいえ・・・・。

1945年12月には、GHQの指令により「民主化」の名目で、教員組合が編成されました。むろん「日本は悪い国でした」という、子供たちへの刷り込み教育が目的です。いまだに続いているのが、脅威ですね。GHQの長期の読みの的確さ。

ただGHQが困惑したのは、考えていたような野蛮国では日本はなく、アメリカよりも教育制度が優れていたことなのです。東アジア諸国では軍を抜いていたのですが、女子の教育に関しては古代中世から行われており、アメリカよりも先進国であったのです。

日本語を、ローマ字にしようとしたアメリカ人が、事前調査を15歳から64歳まで1700人を任意抽出、漢字の読み書きテストを行ったところ、出来なかったのがわずか2,1%。識字率ではなく、「漢字の読み書き」です。これは世界でも脅威のトップクラスなのでした。

仰天したGHQは、日本側にテスト結果の改竄を日本に要求しましたが、
調査官であった言語学者の柴田武が毅然として、はねつけます。
あの時代になんという勇気だったでしょうか。
柴田武が、命を賭けて拒否してくれていなければ、カタカナひらがな漢字で構成される、姿も美しい日本文字はこの世から消え果てていたかもしれません。

言葉の滅亡は民族の滅亡でもあります。
日本語が国の防波堤である、とわたくしが主張するゆえんです。

思うに日本語の良さは、響きと調べ、姿(書き文字)の三要素からなっているというのが、わたくしの持論ですがこれはいずれ、述べてみたいと思います。

GHQが日章旗掲揚、国歌斉唱を禁じたのは1945年、終戦の年に即です。
国旗国歌を軽視する人が多くいるのですが、一国を守っていくのにこの二つの象徴的存在が、いかに大事かGHQの禁止で逆証明されているのではないでしょうか。

いずれにしても、1945年の国旗国歌の禁止、教員組合の結成、1947年の教育基本法により、日本はそれから70年間、自国を自ら蝕んで行くこととなります。
GHQがそういうふうに仕掛けて去ったのです。
反日の本体が日本人であるという、自虐の種子を植えこんだのです。