井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

楽しいバスタイム

2015年01月31日 | 日記

入浴は桶と椅子と、すのこをヒノキにして遊んでいるが、
入浴剤は炭酸系のあれこれ、無論目につく限り試し済み、

他に日本酒、生姜入り甘酒、精油と塩混合・・・・・
など、やってみているが、今のところ一番しっくり来て
回数が多いのが、薬草風呂でこれは5種類ほどの薬草を
乾燥させ、ティーバッグ上にしたものがネットで買える。

以前はもっと多種類の薬草使用の商品を使っていたが、
それはネットでは手に入らないので、手軽に手に入る製品で
済ませているが、他種類薬草のは、お湯にまったり感が出て、
ひときわ湯心地がいいので、また探してみようと思う。

海外で薔薇風呂にも入ったことはあるが、花びらを傷めるというので
ほとんど、水に近いぬるま湯。その割に薔薇の香りがするわけでなく、
さして好きではなかった。

稼いでいる頃は馬鹿高い、ローズオットーという薔薇から抽出した
精油をバスタブに垂らして遊んでいたが、もう出来ない。

ジャスミンの精油も好きだが、これも高い。

もともと、自分で工夫してあれこれやるのが好きなので
育毛剤も自分で作っている。ローズマリー、柑橘系などを混ぜ、
そこに、せんぶりを入れる。

花と小鳥がフェティッシュに好きなのは、前世と関係有るのだろうか。
やたらエジプト時代の記憶があるので、精油はまあ分かるのだが、
小鳥はなんだろう。

花といえばそういえば、寒い地方に生まれた記憶がない。
いずれも暖かい、ないしは暑いところばかり。

もっとも、美輪明宏さん指摘によれば日本での転生もあるそうだが
私の記憶にはない。美輪説によれば(初めて人に話すが)
人に恨まれて死んだ芸者だったとかで、超面白く無いので
エジプト時代の神官とか、格好のいいのだけ自分では
「視る」のだろうか。

突拍子もない話だが、以前マツケンサンバの振付師である
マジさんこと真島さんと食事していたら、真島さんが
いきなり箸を止め、涙ぐんで私を見つめる。驚いて訳を尋ねると、
私がいきなりエジプトの帽子をかぶり、笏を持った手を
胸の前で交差している姿が「視えた」そうだ。

あれ? なんの話がこうなった?

ま、いっか。


猫ふんぢゃった 袴ふんぢゃった♪

2015年01月29日 | 日記

「わが家」の小説版を出していただいた竹書房の担当のAさんと
お会いするので、着物を着た。
人様にお会いする時はこのところ、なるべく着るようにしている。
回数勝負で着物は躰に馴染むし、着るのが一番の手入れと聞きもする。

ふと思い立って袴をつけてみたら、着流しから2,3段は格が上がって
驚いた。・・・・・のはいいのだが、袴をつけると私の脳裏には
「猫ふんぢゃった」の旋律が、かすかによぎるのである。

というのも、「母。わが子へ」が賞を頂いたのだが、その授賞式に
袴をつけたのである。場の格式から、袴がいいと
思ったからなのだが、実はつけ慣れていず不得手である。
なんでだか、ゆるゆる落ちて来るのである。

会場がある六本木までは無事付き、途中でスタッフの人たちと合流、
大沢樹生ちゃんと久々にぱったり遭遇したりなどしながら、機嫌よく
会場に向かっていたら、不意に草履の足先に違和感、と共に、
ビっと微かに布の避ける悲鳴がして、私の足に裾を踏みつけられた
袴のどこかが、微妙に裂けていた。

裂けて垂れ落ちてくる袴を素知らぬふりで手で押さえたまま、私は会場入りし、
階段を上がり、エレベーターに乗り、今思えば人に気づかれぬよう、なんという高等テクニックであったろう。

会場のあるフロアに着いた私は、その足で洗面所に向かい、
幸い無人の洗面所で素早く、裂けた袴を脱ぎ捨てたのだった。
会場では、ステージ上での挨拶もあり、裂けたのが壇上でなくて
本当に助かった。テレビカメラが入っていて、NHKが全国放送
していたのである。後で録画したDVDを見たら、裂けた袴の
ショックの色も見せず、エールを頂いた宮城県知事さんに
感謝を述べつつ、ちゃんと挨拶していて、観客席から
薬師丸ひろ子さんが拍手してくださっていた。

それ以来、私の脳裏には「セーラー服と機関銃」の歌声と共に
「ふんぢゃった」つながりで、袴を見ると
「猫ふんぢゃった」が鳴るのである。それもピアノではなく、
古びたオルガンで、ふがふがと鳴るのである。

今日は無事だったが、それでもやはりずり落ちてくる。
サスペンダーを使ってみようかとふと思った。羽織を
着れば隠せるかもしれない。サスペンダーがバレたら、
これ、新しいファッション、とでもうそぶいてればいい。

竹書房のAさんとは今後書きたいかも知れない小説の材料について
幾つか喋らせて頂いて、喫茶店にはジュースやカフェオレを
お代わりしつつ、4時間間近くも座っていた。
ひと通り話し終わったら、Aさんが小説だけではなく、
ノンフィクションもいかがかと、仰る。
私に書けるノンフィクションってなんだろうと、きょとんとしていたら
たとえば「愛国心について」やさしい言葉で、と仰り
ああそのラインなら書けなくもないか・・・・と思った。
ブログでそれっぽいことを、たまに書くのを読んでくださっていての
提言であった。中高生にも解る国家論や日本語論をいつか
書いてみたいと思ってはいた。国家論と日本語論は合体も出来る。
・・・・・何を書かせて頂くか、いまだ頭の中は混迷の霧が漂っているが
いずれ整理したい。小説とノンフィクションと平行して書くというのも
面白そうだ。

Aさんからは、珍しいせんべいを頂戴した。
醤油味ベースだと思うが、付属の山椒の粉を
まぶして頂くのである。午前中に売り切れる人気せんべいなのだという。
癖になる味だった。


蘇る

2015年01月28日 | 日記

人様にお会いする時は、帝国ホテルのラウンジが多い。
理由は誰も道に迷うことのないことと、私が日比谷公園を
歩きたいからだ。

昨日は帝国ホテルではなく、日比谷公園内の松本楼を
指定させていただいた。

約束の時間まで、小一時間ゆったりと公園内を散策して
普段は飢えている、土の感触を足元に踏みしめ、地のエネルギーを
頂きつつ、木々の放つフィトンチッドを浴び、小鳥の声を
楽しみながら、細胞が蘇るようであった。

松本楼では、戸外のテラス席に座って、雀にパン屑を投げ与えながら、こちらでも緑陰を楽しんだ。

以前、世田谷の緑深い辺りに暮らしている頃、忙しさの最盛期でもあれば
体調も崩していたので、ほとんどエリアから出ず、物書きとしては
都会の息吹から遠くなり、まれに街に出るとその空気を精一杯、
体内に取り込んだものだが、今は逆。
緑のエリアに足を踏み入れると細胞を前回に空気を取り入れる。

いい作品を観ることも、エネルギー補填になるが、このところ
追いかけているコン・ユの「サスペクト」を見たが、圧倒的な
力作で、次から次息苦しくなるほどの展開で、コン・ユが
圧倒的によく、また北の元特殊工作員設定のコン・ユを追うパク・ヒスンが
圧巻で、この俳優を知らなかったので調べてみたら、むしろスラリとした
美男でほとほと驚いた。映画ではアクの強い、男っぽい骨格の
「おじさん」だったので。もの凄まじいほどの演技の力であり、
コン・ユもまた顔つきからいつもとは異なり、躰はこのために
鍛えなおかつダイエットしたのであろう、見事であり彼がいかに
禁欲的な役作りをしたか、よく分かる。

韓国の俳優はほとほと凄い人がいるなあ、というのが偽らざる実感である。
脚本、監督ともに素晴らしかった。監督は単なるアクションだけではなく、
美意識をも持っていらっしゃる方でそこが凄い。

シーンの派手さから巨額予算だろうと思っていたら、インディーズ並みの
低予算だと聞いてまた絶句。役者スタッフ打って一丸、魂を込めた
作品のエネルギーのほとばしりを、ほとんど、襟を正すようにして拝見、
終わったら滅多にしない拍手をしていたのだった。

実作者でもあれば、現場も多少は知っているのでおそらく
この映画の凄みとエネルギーは、一般の方々より
感知できていると思う。

こういう作品を見せていただくと、ふと日韓の関係もいずれは
分かり合える日も来るのではないかと、普段は決して思わぬ
望みを抱いたりもする。心がさほどかけ離れているわけでもない、
いわく言いがたいが、絶望的に離れている部分もあるが万国共通の情は
お互いに分かち合える部分ではあろう。

と言いつつ、夜が明けまた眉を吊り上げるような韓国発の
情報を目にすることになるのだろうが。

 

追記 お会いした方はお嬢様が佳子様のご学友である。
スマホの画面で学習院内に於ける成人式で、佳子様のお着物姿を拝見したのだが、
柄からして、お母様のお下がりであろうとのこと。

それと友人同士のメールでの文言もちらっとお聞きしたが、
会見における談話をご学友たちに褒められて、佳子様の
レスポンスが、若い娘さんらしい闊達さと、はじけ方で、微笑ましかった。
というより、ユーモラスで笑った。

もともと可愛らしいお方だったが、急に美しく変容された。
これからは、今までのような気楽さでは接しられなくなる・・・・と
ご学友の娘さんを持つその方は言っていらした。


古代紫

2015年01月27日 | 日記

今日、いつも着物の相談に乗って頂いている笹島式着付け「衣香」の、糸賀文音さんに

古代紫の反物を見て頂いて、単衣がいいだろうということになった。

長襦袢用の、お坊さんの法衣のごとき、鮮やかな紫は、

白生地を染めていただくことにした。

サンプルに鮮やかな、というより「けざやかな」紫の布をお持ちいただいたのだが、

それを半襟に使おうという有難い話になった。

紫の長襦袢に、色合いの微妙に異なる紫の半襟。和の色彩が得意な、
微妙なグラデーションの世界である。

グレーや茶、黒の多い男物の着物に、僅かに覗く半襟が

紫というのは、面白いかもしれない。

あと緋色も準備中。

長襦袢はむろん外からは見えず、これは心意気。

古代紫の着物が単衣と決まったところで、さて今度は

それに合わせる羽織の思案である。

皆さまからも色々、アイディアを頂いた。

着物が仕上がったら、コメント欄で紹介頂いた銀座の店に

持参、相談して生地を選び、仕立ててもらうのもいいのかもしれない。


なんのために生きるのか?

2015年01月26日 | 日記

コン・ユのDVDを見ようと、テレビをつけたら着物の洗いをなさる
職人さんが映っていて、思わず見入ったのだった。

着物が、解くと反物に戻るようになるように「設計されている」という
表現も面白かったし、専門の着物の洗い職人さんの繊細な
技は拝みたいほど。

色変わりした着物に、思いもしない色彩をかけて修復する凄技。

更には、どうしても修復出来ないシミの箇所には、着物の柄に絵を合わせて
描き入れるという絶妙の技で、これはもうお一人しかいないということで、
はたの私が心配で残念なことである。

それにしても、着物の凄さ。世界のあらゆる衣装の中で、これまで
使い倒し、着倒し、しかし価格は天井知らず・・・・・という美術品の
ごとき存在は唯一ではないか。

それにしても、職人さんは若き頃より着物と向き合い、人様の
着物の修復に一生を費やされるわけである。
凄いことだと思う。
言ってみればそれがなくても、人が生きていくに困るわけではない
世界で職人を全うするというのは、こわいし勇気の要ることだし、
むろん根気は言わずもがな。

私の仕事とて、世の中になければ人が困るというものでもなく、
思えば儚い仕事であろう。しかし、半生をそれに捧げることになる。

人はなんのために生まれ、なんのために生きるのか。

まず己が何者かを知るために。知ったら人様のお役に立てる仕事をするために。
この2つが1セットで、人は生きるのではあるまいか。

書けなくなったら、命を絶ちたい。自死は選ばないので、生き延びるかと思うが
書かない時間が延々と続くのは、緩慢な地獄のようでつらい。
書ける僥倖を噛み締め感謝しつつ。