評論家の吉永みち子さんからファックスで、ご自身が編集に関わって
いらっしゃる犬の雑誌に、ちょん吉くんに登場して欲しいと、
ご依頼があった。内館牧子から聞いたのだという。
そういえば、彼女にもちょん吉が去ったことは伝えていなかったのだった。
内館は、圧倒的にぎんぺーびいきで、家に来てもぎんぺー、ぎんぺーと、
かまい、ちょんきちは置き去りだった。
「あなたは人間の男はブス好みなのに、犬は美形が好きなんだねー」と
私は悪態をついた。
しかし、ちょん吉は別に私がいればいいので、この世に他に人間がいなくても
平気なタイプだった。ぎんぺーは人が好きで好きで、気質はラテン。
陽気で人懐こく、しかも飼い主の私がいうのもなんだが、
大変美しい目鼻立ちで、人間たちには圧倒的人気を誇っていた。
両親が家に来た時も、養子にちょうだいとねだられたのは
ぎんぺーで、ちょん吉に声はかからなかった。
そうなると不憫で、ちょん吉のほうを私は可愛がりすぎたかもしれない。
それでも、他の人たちに愛されていたからいいか、と私は言い訳しているのだが。
ちょん吉がもうこの世にはいないことを、吉永さんに告げると恐縮した
お詫びの言葉と共に、一度自分の飼い犬を連れてお宅を訪問したいと
仰るので、どうぞということで、吉永さんの愛犬の名を聞いて
驚いたのだが、さん吉といい、しかもちょん吉と同じくスムースのちわわだと
いうではないか。さん吉の「さ」をひっくり返すとちょん吉の「ち」である。
またシンクロ来たかなあと、吉永さんとさん吉くんをお迎えしたのだった。
聞けば、さん吉くんの子が欲しくお見合い中だそうで、生まれたら一匹は
うちの子にしてくれぬか、とおっしゃる。
私は、ちょん吉以降に飼う気はなかったので、お断りしたのだが、
吉永さんは諦めず、再びさん吉くんを連れて家までいらした。
さん吉くんは気立てのいい子だし、私の心は揺らいだ。
でも、ちょん吉は私一筋の子であった代わりに独占欲も強く、
私が他の子を飼うのを喜ぶとは思えなかった。
それ以上に、この先何匹飼おうとちょん吉以上に相性のいい子に
巡りあうことはないという確信があった。
しかし、一方名前の似通いといい同犬種であることといい、
これもちょん吉がもたらしたご縁か? とも思い、もし
吉永さんから3度目のプッシュがあったら、さん吉くんの
子をうちの子にしよう、と思い定めていた。
が、3度目はなく、残念なような、これでよいような気がした。
私は余儀なく匹、とか飼うとかいう言葉を用いているが、
匹という感覚も飼うなどと思いあがった考えも持ちあわせてはいない。
一緒に暮らしてもらう相手、暮らしを分かち合う命だと思っている。
共に犬と暮らした経験がある人は、彼らが単なる動物ではないことは、
よくご存知だと思う。
だから、ぎんぺーが去った後区役所に届けを出すときの名称が
「廃犬届け」であることに胸が塞ぎ、ちょん吉は申し訳ないのだが、
届けぬままである。「廃犬」の廃の字は痛い。廃車扱いなのだろう。
刺された盲導犬は「器物損壊」だという。法律擁護にしても冷たくないか。
相手は命であろうに。しかも飼い主の心にしてみれば、分身でもあれば
時に肉親以上でさえあり、盲導犬の場合は命綱でもある。
・・・・・盲導犬の事故をきっかけとして、犬たちの話を書き継いでいるが、
政治他の話題を期待している人たちには退屈だろうか。