井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

犬たちとの暮らし 3

2014年08月31日 | 日記

評論家の吉永みち子さんからファックスで、ご自身が編集に関わって
いらっしゃる犬の雑誌に、ちょん吉くんに登場して欲しいと、
ご依頼があった。内館牧子から聞いたのだという。
そういえば、彼女にもちょん吉が去ったことは伝えていなかったのだった。

内館は、圧倒的にぎんぺーびいきで、家に来てもぎんぺー、ぎんぺーと、
かまい、ちょんきちは置き去りだった。
「あなたは人間の男はブス好みなのに、犬は美形が好きなんだねー」と
私は悪態をついた。

しかし、ちょん吉は別に私がいればいいので、この世に他に人間がいなくても
平気なタイプだった。ぎんぺーは人が好きで好きで、気質はラテン。
陽気で人懐こく、しかも飼い主の私がいうのもなんだが、
大変美しい目鼻立ちで、人間たちには圧倒的人気を誇っていた。
両親が家に来た時も、養子にちょうだいとねだられたのは
ぎんぺーで、ちょん吉に声はかからなかった。
そうなると不憫で、ちょん吉のほうを私は可愛がりすぎたかもしれない。
それでも、他の人たちに愛されていたからいいか、と私は言い訳しているのだが。

ちょん吉がもうこの世にはいないことを、吉永さんに告げると恐縮した
お詫びの言葉と共に、一度自分の飼い犬を連れてお宅を訪問したいと
仰るので、どうぞということで、吉永さんの愛犬の名を聞いて
驚いたのだが、さん吉といい、しかもちょん吉と同じくスムースのちわわだと
いうではないか。さん吉の「さ」をひっくり返すとちょん吉の「ち」である。
またシンクロ来たかなあと、吉永さんとさん吉くんをお迎えしたのだった。

聞けば、さん吉くんの子が欲しくお見合い中だそうで、生まれたら一匹は
うちの子にしてくれぬか、とおっしゃる。
私は、ちょん吉以降に飼う気はなかったので、お断りしたのだが、
吉永さんは諦めず、再びさん吉くんを連れて家までいらした。

さん吉くんは気立てのいい子だし、私の心は揺らいだ。
でも、ちょん吉は私一筋の子であった代わりに独占欲も強く、
私が他の子を飼うのを喜ぶとは思えなかった。
それ以上に、この先何匹飼おうとちょん吉以上に相性のいい子に
巡りあうことはないという確信があった。

しかし、一方名前の似通いといい同犬種であることといい、
これもちょん吉がもたらしたご縁か? とも思い、もし
吉永さんから3度目のプッシュがあったら、さん吉くんの
子をうちの子にしよう、と思い定めていた。
が、3度目はなく、残念なような、これでよいような気がした。

私は余儀なく匹、とか飼うとかいう言葉を用いているが、
匹という感覚も飼うなどと思いあがった考えも持ちあわせてはいない。
一緒に暮らしてもらう相手、暮らしを分かち合う命だと思っている。
共に犬と暮らした経験がある人は、彼らが単なる動物ではないことは、
よくご存知だと思う。

だから、ぎんぺーが去った後区役所に届けを出すときの名称が
「廃犬届け」であることに胸が塞ぎ、ちょん吉は申し訳ないのだが、
届けぬままである。「廃犬」の廃の字は痛い。廃車扱いなのだろう。

刺された盲導犬は「器物損壊」だという。法律擁護にしても冷たくないか。
相手は命であろうに。しかも飼い主の心にしてみれば、分身でもあれば
時に肉親以上でさえあり、盲導犬の場合は命綱でもある。

・・・・・盲導犬の事故をきっかけとして、犬たちの話を書き継いでいるが、
政治他の話題を期待している人たちには退屈だろうか。

 


犬たちとの日々 2

2014年08月31日 | 日記

いずれ遠からぬ日に、ぎんぺーに続いてちょん吉も去る・・・・・
という時期に差し掛かる頃、私がしきりに言い聞かせていたのは
「もしお前がこの世を去って、あちらの世界があるのなら、
何らかの形でお父さんに知らせてくるんだよ」

と、今思えばなぜそんな常識で考えればおかしなことを
言い聞かせていたのか、また言い聞かせて通じると思い込んで
いたのか。変とも思わず言い聞かせていたのだった。
言葉に出すことはまれで、心の中の言葉である。
ちょん吉は、大きな目を見開いて私を見つめていた。
ちわわのくせに気が強く、眠っている時に雷が
うるさいと、むっくと起き上がり空に向かって
吠え、文句をいうような子だった。雷にクレームをつける
ちわわも珍しいと私は笑った。

そして、その日は来た。

自分でその事実に直面するのに時間がかかりそうで、
誰にも知らせたくなかったのだが、預かっていただいたり
可愛がって頂いていた向こう三軒両隣り数名の方々には、
伏せておくことは出来なかった。

私はその日のうちに、食器から衣類から根こそぎ、ちょん吉の
使っていたものは、処分した。冷たいという人もいたけれど、
体温の残るものが身辺にあるのが逆につら過ぎたし、
その時が来たらそうしようと、生前から決めていたことだ。
物は処分したところで、心にちょん吉は刻印されているのだし、と。
時間が経過して心が落ち着いて現実を認められるように
なってからは、取っておくべきだったと後悔したのだが。

それでも、カーペットにはしばらく毛が残り、数年後に
セーターに一本発見したりした。

カーペットから毛も見えなくなった頃、ぎんぺー、ちょん吉たちの思い出が染み付いている家も土地も捨てて、六本木という都会の只中での
暮らしを選んだのも、執着から離れる意味もいくぶんか
あったのだが、しかしムダだった。
あの道、この路地、あの公園、と彼らと毎日毎日、
数時間歩き続けた場所は心から離れることはなかった。
たぶん一生消えることはない。

ちょん吉が去って数日後のことだ。
私は生前、彼に言い聞かせていた言葉は忘れていた。
それほどの心のゆとりもなく、今思い出そうとしても
どうのような心境にあったのか、分からない。

そんなある日、電話が鳴った。
知人からで、いきなり「ちょん吉くん、亡くなりました?」
と言う。

なんで、知ってるの・・・・? そう訊き返したら、

「ちょっと待って。今、日記を取ってきますから」

私はその知人に誰かが知らせたのか、と頭のなかで
思い巡らしていたが、心当たりは皆無である。

そして日記を見ながら知人は、ちょん吉の去った日を
正確に言った。

「喫茶店で人と話していたら、いきなり、ちょん吉くんの
匂いがしたんです。挨拶に来てくれたんですよ」

瞬時、言葉が出ない私に知人は言った。


「ちょん吉くん、井沢先生のこと、心配してましたよ」

霊感の強い人である。
私にもそれは、なくはないが微弱である。
思うに私に語りかけても通じないので、挨拶がてら
生前に何度か会ったことのある知人のもとを
訪れたのであろうか。

そんな形で、ちょん吉は約束を果たしてくれたのだった。

もともと生にまったく執着がなく、むしろ短縮したくて
ヘビースモーキングをやっていたような人間なので、
これで、いつでももういいなあ、とちょん吉の死以降は
気功の教室に通って気を紛らわし入り浸り、体を疲れさせて
夜は倒れこむようにやすむ、そんな暮らしが続いた。
仕事もしたのかしなかったのか、記憶が無い。
これといった思い出もない。

そして、ちょん吉のちょうど一周忌のその日、私は偶然、
道で人に再会し、その人がその後私の心の虚を埋めつつ、何くれとなく
助けてくれることになる。
思えば不思議なことであった。心配している、と知人は伝えてくれたが、
心配した挙句、私のために動いてくれたような気もした。

今思えば、ぎんぺーもある形でメッセージはくれていた。

生前ギンペーを可愛がっていてくれたご近所の人が、ある日
「今日商店街で、ぎんぺーという名のワンちゃんに会いましたよ」

かなり珍しい名前なので、へぇ・・・・同じ名を付ける人がいるんだ・・・と思いながら郵送で届いた書類を何気なく開いてみたら、そこに刻印されていたある日付は
ぎんぺーの命日であったり、そういうふうで偶然なのかもしれないが、
まだ逸話はある。

ぎんぺーという名前に関しては、2匹がまだ元気でいる頃愛犬の雑誌に
カラーで4ページほど取材を受けて、「親子」で載ったことがあり、
それを見た方が同じ名を愛犬に与えてくださったのかもしれぬのだが、
そのワンちゃんとご近所の人がたまたま遭遇して、また私が命日の数字を
書類に発見して・・・・と重なると、偶然の域は超えていると
思ってもいいのだろうか。

続く・・・・


犬たちとの日々 1

2014年08月30日 | 日記

盲導犬のことを書いたら、コメント欄にたくさん書き込みを頂き、
つらい思いをしているのは自分だけではないと、いくらか
慰められた。ありがとう。

犬達は子供の頃からそばにいて、オーストラリアにいるころも
「ちょうちょう」という日本語名のパピヨンの子を預かったり、
「花」とこれは私が名づけた女の子のミックスを育てたりしていた。

自分だけの責任で面倒を見たのは二匹に過ぎず、上の子が「ぎんぺー」
これは最初のテレビ小説の主人公「銀平」から取り、
オーストラリアで面倒を見た経験から飼うならパピヨンと
決めていた。

下の子が「ちょん吉」で、上の時代劇みたいな名前に合わせ、
洋風の格好のいいのも気恥ずかしいので、敢えて変な
名前をつけた。

最初はぎんぺーだけだったのだが、深夜の番組の司会の話の
打診があり、もし決まればその時間帯、留守番が死ぬほど嫌いな
ぎんぺーを家に残すことになり、不憫なので二匹目を飼ったのがちょん吉である。

結局司会の話は実らず、ちょん吉が居着いた。
その頃の手伝いに頼んだら、ブリーダーからケーキの箱に入れて
バイクで運んできたのは、スムーズのちわわで、私はちわわを
それほど好きではなかったが、でも箱から一目散に
私に向かって走って来た時、こりゃあお互い縁あって出会ったな、
と直感し、あちらも私を生涯のパートナーとして瞬時に見分けたようで
その日から濃密な日が始まったのだった。
人にもソウルメイトと呼びたいほど、深い縁を感じる関係があるが
犬にもあるようだ。

ぎんぺーのお付きで来たちょん吉であったが、赤ちゃんだという特権もあり、
ぎんぺーが二歩も三歩も譲って暮らしてくれたので、図に乗り最大に
大きな顔をするようになった。

ギンペーを見送り、さほど遠くない時期にちょん吉も見送るだろうという日々、
私はちょん吉に言い聞かせていたことがある。

「もし、お前がこの世を去って、もしあの世があるなら、あちらから
お父さんに分かる形でメッセージを送ってくるんだよ」と。

そしてその日は来て、ちょん吉は思わぬ形でメッセージを
送って来たのだった。

続きは明日・・・・


つらすぎる話題

2014年08月29日 | 日記

私はこれでも性根は強いほうで、あらゆる問題を直視するほどの
胆力はあると自負しているが一つだけだめなのが、犬猫話題であり、
とりわけ犬がだめである。

それがいかに美談であろうと、犬の健気さを描いたものであろうと
目を背けて見ない。つらすぎるのだ。純粋で無防備で心が痛くなる。
だから盲導犬のドキュメントなども見ない。健気で
不憫なのだ。必要な存在なのだが、ストレスが多く
短命な子が多いと聞けば尚更、悲しくて見ない。
(後述 短命というのはない、とご注意を頂いた)

そういう、犬に関しては臆病者なので、盲導犬が刺されたというニュースは
避けて来た。見ぬふり聞かぬふり、なかったふり。
他のことなら私が弱虫、現実は直視せよと檄を飛ばすのに、
ここだけは、だめである。

ところが書かざるを得なくなったというのは、刺された子が日の丸の
模様のシャツを着ていたそうで、となると日の丸ヘイターの
仕業も可能性としては考えられるからだ。
ヘイトクライムの可能性に関しては、どの局も言及していないようだが、
多くの人の脳裏にはその可能性がよぎったのではあるまいか。

犯人が捕まったらその正確な国籍を報道して欲しいと思う。
日本人と報道されて日本人ではない犯罪が余りにも多すぎる。
・・・・・・その後、日の丸ではなく「りんご」だという説が耳に届いて来た。
犯人がりんごを日の丸と誤認して刺したのか、無関係なのかは
不明。

刺された子が回復に向かっているそうで、それは
救いだが、日頃騒がぬよう躾けられているので、
刃物を複数箇所、躰に突きつけられても声も
上げず耐えた、ということを聞くときつい。

回復したら、また盲導犬として黙々と働くのであろうか。
私は二匹の排泄の面倒も見てきたので、盲導犬の場合は
尿意を必死に耐えることもあるのだろうと、それもまた
せつない。

しかし、それでもなお日々連れ添った人間のそばに
いることが彼らの幸せなのだ。なまなかの人間より
きれいな魂を持っていると思うことがあり、尊敬の念を
抱くことさえある。人はあれほど一途にはなり得ない。


言葉

2014年08月28日 | 日記

日本語について書いたら、私のブログを読みに来たのは政治的関心が動機で
あったけれど、言葉遣いにも興味があるとコメントを頂き、ありがたいことである。

しかしながら、思うに政治もまた言葉とは不可分であるとも思う。
なぜなら政治的思惟もまた言葉で形作られるからだ。

たとえば言葉を簡素化した余り、豊穣ではない言語で
思考するので、驚くべく幼稚な政治意識を持つ国がある。
元々さして豊かな言語を持つ国ではないのに、更に
簡素化してしまった結果である。

言葉は伝達の「道具」ではないのだ。美意識であり、文化であり、歴史であるという側面を忘れると、すべてが貧しくやせ細る。

道具と侮るから、言葉の簡素化を目指す愚を犯す。日本も心しないと、
時々妙な手合が現れ、過度に日本語をいじろうとする。

だが高度の言葉を有するからと言って、日本の政治が高度かと
問い詰められれば、残念ながら否と言わざるを得ない。
政治家の言葉の拙さに首を傾げることがあるから、
彼らもまた言語においては劣化しつつある日本人に属するのかもしれない。

以前、政治家を志す方を紹介され、何を政治信条とするかと
問うたら「党是を実現すること。即ち憲法改正」という答えであったので、
もろもろアドバイスを始めたのだが、まずもって発する言葉の
拙いことに加え、こちらの言葉の通じぬことに嘆息した。

その人は一度の落選を経て、政治家にはなったが、発する言葉、書く日本語の粗略なこと、眼と耳を覆わんばかりに稚拙で、おそらく政治家生命もさして長くない。
言葉もまた、政治家の商売上の大切なツールではあるだろう。
美文は必要ないが、端的な言葉の連打は必須。
言葉はまた人としての佇まいでもあろう。

かつて安倍総理は「美しい日本」というフレーズを口にされ、
それはよいことであったが、何をもって美しいとされるか
具体的姿の提示がなかったので、説得力は希薄だった。
たとえば、美しい日本語を護ることは、日本を護ることと、具体的に
提示して頂きたかった、と今も残念に思う。
「美しい日本」というフレーズは短期に発せられ消えて、
使われなくなった。

政治を含め、浮世は雑駁であるので、皇室こそは日本語の防波堤であらましい。
おもうさま、おたたさまは、時代的リズムにもうそぐわしくはないが
「お父様」「お母様」レベルは保って頂きたいと願う。
なんのために歌会始があるのか、理解が行き届かないのだろう。
この現代に歌詠むことの意義が分からぬのは、
祭祀の意味を心得られぬことにも繋がろう。
口うるさいようだが、主語の格が崩れると述語(暮らし)まで格落ちするのだ。
庶民が我が子にパパ・ママ呼ばわりさせるのとは、意味が異なる。

というごときことを以前書いたら、秋篠宮家と東宮を比較して
東宮を貶めるなと抗議を頂いたが、そういう次元のことではない。
皇室は言葉と日本の伝統の防波堤であらまほしい、というのが拙文の
趣旨であって、禁裏に住まうお方個人の批判が旨ではない。

主語により、暮らしが格落ちするというのはこういうことだ。
「あなたさま」という出だしで始まる言葉は、それに相応しい言葉が
後に続き、「てめえは」で出ると、罵りに行き着くということである。
日本語の一人称や三人称が何種類も豊富なのは、使い分けを心得て
いる日本人が主流を占めていたればばこそだ。
それゆえ、日本の言葉を護って頂きたい皇室で言葉が、
やせ細っていくのを見るのは残念である。

「パパ・ママ」と父母を呼べば、足を投げ出す暮らしがそこに続き、
父母ヘの尊崇の念薄く、「お父様・お母様」と呼べば正座が暮らしの中にあり、和服がそこにあり親への敬愛がある。

日本の精神性と文化を守る意志の有無を私は言っている。

ジャージーは楽だが、そればかりだと、伴う仕草が日々しどけなくなる。
言葉も同じことである。時と場で言葉も絹をまとわないと、日本人としての品格と誇りを忘れる。