井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

浄化ダイエット

2014年07月31日 | 日記

テレビショッピングをぼーっと見ているのが好き、というほどでもないが
半端に目覚めた夜明けとか、徹夜気味でベッドに入った時とか
単調で催眠剤代わりになるのと、売り子さんたちの口ぶりが面白く
相当私は見ているほうかもしれない。

個人的に存じ上げている歌手の方がおやりになっているのを見て
あ、買おうかなと思って成分を調べたら私は個人的に避けている
パラベン入りだったので、諦めたことなどもある。

つい最近、酵素液で3日間ダイエットというのをやはり通販番組で見て
そう言えば、昔高名な音楽プロデユーサーの方から酵素液は
始終頂いて飲んでいたなあ、と思いだし、たばこをやめてから
割に身体がいいものを嗅ぎ分けるセンサーを備えたようで、
そのセンサーはかなり高い点数を弾き出したので、とりあえず飲んでみることにして
取り寄せたら、100種類以上もの植物や野菜の酵素が入っているとかで
頼もしい上に、パッケージが私の好みなのだ。
酸味が不得手で余り食べないのに果物がつややかに描かれている絵柄それも、複数の組み合わせが好きなのだ。
あと小鳥と果物の取り合わせの絵が好きである。

余談に逸れた、濃厚な特有の甘み(黒糖)のある味はすでに経験済み、平気なので
今日は酵素のみで過ごしてみているが、さして空腹感はない。
やはり粉末状の酵素を豆乳に溶かして飲んでもみた。

これだと、3日間ぐらいは酵素ダイエットも平気かもしれない。頭で
最近はまり始めたエスニックレストランのカレーなどを
思い浮かべない限りは・・・・・。余り無理せず、当座1日だけでも
よいとして、たまたま明日も続けばやってみよう。


1日遅れの土用の丑の日

2014年07月31日 | 日記

ああ今日は土用の丑の日か、と思ったというのが普段は置いてない
コンビニに、うな重が置いてあったからで。一昨日のことである。

産地を見たら日本産だったんで、買おうかなと思ったのだが、
どうせなら本物をと、翌日昼ごはん時を外して出かけたのに、
なんということ、うなぎ屋には行列。

さらば、次の一手、と高価格の店に行くもまだ3時前でランチタイム内であろうに
「準備中」の札、早々と。さては大賑わいして、高価なうなぎもはけて
しまったか。

というわけで、元の店に戻りテイクアウトを頼み、これなら待つこと少なし。
帰宅するまで冷めるのを承知で待つ。

ここまでして、うなぎにこだわることもないのだが、前の晩から脳は
うなぎになっていて、こうなるとギアチェンジが難しいのだ。

テイクアウトのうなぎを下げて帰る道すがら、この間スタジオに某女優さんが
差し入れてくださったうな重を思い出していた。あれは極上であったなあ。


言葉の防波堤

2014年07月30日 | 日記

言葉も生き物なので、日々生まれ死に絶えて行くが古来より人の世に
定着した言葉は出来る限り残しておきたいものだと思い、その意味で
私は漢字制限や、分かち書きなどには反対している。

漢字はパターン認識であるし、人の思考は言葉によって
なされるので、思想であれ政治であれ、発明であれ商売であれ
「言葉」がベースである。

過去の日本人たちが・・・・・児童たちが優秀であったのは、言葉の
豊かさも土台にあったからではないか。

私はめったに名指しで人を撃つことはしないが、国や文化を損ねる
者たちは実名で糾弾する。実のところ、敬称すらつけたくない。
国壊す悪人につける敬称を私は持ち合わせぬ。(普段は我慢して
つけているものの)

村山富市、河野洋平、鳩山由紀夫、舛添要一。

そして今日上げねばならぬのは、ゆとり教育の 寺脇研である。

この者が、いったい日本語をどれほど痩せこけさせ児童の
頭脳を低下させたか。
ゆとりと称して日本人の子供から学習の時間を奪いながら、
本人は受験の詰め込み教育で世界に冠たる韓国系の学校の
理事か何かに平然と収まる恥知らず。

日々廃れ行く言葉を絶滅から食い止めるのが皇室の御役目の
一つであろうかと愚考している。おもうさま、おたたさまとお呼びくださいとは、
申し上げぬが、パパママは止めていただきたい。
秋篠宮家のごとく「お父様お母様」を、せめてお守りいただきたいと思うのだ。

言葉は意識に働きかけ、影響する。
親への尊崇はパパママという呼称にはない。せめてお父さん、お母さんと
日本の家庭では呼びならわしたい。

皇室でなにゆえ連綿と古式にのっとった歌会始が催されているのか
その意味もわからぬでは、皇族としてのお暮らしはおつらかろう。

言葉を守ることは実に伝統を守ることであり、伝統を守ることは
国を守ることなのだ。


烈火

2014年07月29日 | 日記

ここ数日どうしてくれようかと思っているくらい、憤っていることがあって
一つは言うにはばかるが、もう一つは舛添都知事の韓国でのことである。

いや実のところ、両者「戦後GHQが施策した日本弱体化政策の結実」という
点では共通しているのだが。

外交という政府の専権事項を都知事がやる越権行為も不快であるが、
都民の90%以上が韓国が好きと嘘までついて、韓国におもねる
この男を私はもはや日本人とは思わぬし、また日本人のヘイトスピーチに
ついて述べているが、JAPを殺せというたぐいのヘイトスピーチを
長年浴びせかけられて来たのは日本人であるのに、ここ1年ほど
堪忍袋の緒が切れた日本をなぜ一方的に叩けるのか。
殺せというたぐいの言葉を日本人の感性は発しない。
デモの告知には必ず「ヘイトスピーチ禁止」の条項がある。
なぜそこを伝えぬのか。日本人に成りすました、日本人貶めの
やり口であるのは、騒音をまき散らして走る街宣車と同じく、なりすまし外国人の
しわざだろうに。

もし通名廃止他の主張をヘイトスピーチとするなら、それは違うだろう。
日本人としてのまっとうな主張であろうに。

それにつけても、こうなると最初から読めているのにこの男に投票した
都民のレベルが口惜しい。東京都は日本のひな形であるから、都内の
衆愚の割合は、日本のそれであろうか。有権者数のうち棄権した半数オーバーも
舛添氏に入れた都民と同じレベルで意識が低過ぎる。ドラマのフィールドであるので
実名を出しづらいが山本太郎を選出するごとき稚拙な都民が多すぎる。

しかし一番悪いのは自民党であろう。とにかく、選択肢のなかった選挙であり、
田母神氏などはよほど政治に関心あり、内情を知る者でなくては
入れぬ。自衛隊出身の戦争好きの危ないおじさんという印象を
広められてもいたし、となると上位3人の候補者の中では
「押しが強く弁がたち、オンタイムで知名度がある」舛添氏を都民が
選ぶであろうことは当初から読めていたことで、いったい何のための、
都税を莫大に使っての選挙なのか。
自民党が、本心から立てたいと思う候補を全力で全面に出すべきであった。

リコールとなっても、メンツが同じでは結果は暗い。舛添氏以外の誰かが
なってくれるだけでも成仏とはならない。それでも舛添氏よりはましであろうが。

舛添氏は東京都だけでなく、これから国を損ねて行く。
この男は確信犯である。韓国に貢ぎ、中国に与え、日本を損ねる。
写真一枚が全てを物語っている。日頃は傲岸な面構えの
この男が、朴槿恵大統領に浮かべた、恭順の目つき。奴隷の
目である。

普段は著作権法に触れる画像はアップしないのだが、ここ数日限定で
置いておく。いずれ消す。見るたび胸が悪くなる。

都庁に電話したかったのだが、弟が石原氏の秘書をやっていたので、
私の存在も多少知られていて、弟の立場上まずいし、かといって
仮名でかけるのも、気に食わない。それで我慢しているわけである。
抗議メールも電話も殺到していると聞くが、もっともっと数が
必要だ。これでもかというぐらいに。

デモも、リコール運動も双方、立ち上がってくださった方々がいるようで、ありがたいことである。就任以後1年間経過しないとやれぬので、リコールのための署名集めは来年2月からしか開始できぬのが残念だが準備期間だと思うしかない。2ヶ月間で約184万人の都民限定で署名が必要となるから、相当数の都民が立ち上がることを期待するしかない。

竹田恒泰氏の東宮問題に関する発言を私は受け入れぬけれど、今回に関しては
正論だと思う。詳細は忘れたが「せっかくいい感じに韓国と仲悪くなりかけていたのに、
余計なことをしてくれた」と、ストレートで私は思わず笑ったのだが。
「韓国と関わってこの2千年間よかった試しがない」とも。ここもその通りである。
(ことばの正確な表現は忘れた。大意である。詳細をチェックされたければ
竹田氏のツイッターを見られたい)

距離を置き置き続けることが今後の日韓の基本である。出来るだけ関わらぬこと。日本は少なくとも困らない。福沢諭吉の「脱亜論」は実に正しかったのである。

私は、ずっと日本人が気づかぬよう仕組まれた奴隷として働かされ
貢がされる構造について述べて来た。戦後アメリカが仕組んだ日本弱体化
政策の一環である。「生かさぬよう殺さぬよう」日本人から搾り取る構造が
出来上がっているのだ。貢ぐ相手は中韓米、国連である。
気づいて立ち上がらない限り、末代まで搾り取られる。
搾り取られながらある程度豊かでいるのだから日本人は優秀なのだ。
だが自虐の催眠術にかけられながら、いっこうに目覚めようとせぬのは
愚鈍である。

 

■東京都庁代表 

03-5321-1111

■都知事への提言・要望等

http://www.metro.tokyo.jp/POLICY/TOMIN/iken.htm

東京都議会では、皆様からのご意見やご要望をお待ちしています。

■東京都議会へのご意見・ご要望 (全角300字以内)

http://www.gikai.metro.tokyo.jp/FormMail/demand/FormMail.html

■デモ

【(仮) 舛添リコール街宣⇒舛添都知事やめろ!街宣in都庁】

http://calendar.zaitokukai.info/skantou/scheduler.cgi?mode=view&no=529

 8月11日(月)16時〜 17時30分
集合場所:大江戸線都庁前A2出口

【舛添都知事やめろ!デモin 銀座 】
8月24日 (日)16時〜17時30分 16時坂本町公園集合

主催:日本侵略を許さない国民の会


皇室とはなにか 2

2014年07月27日 | 日記

コメント欄に頂いたコメントにお答えしようとしたら、長くなりそうなので
記事で書くことにした。といって、皇室は踏み込めば膨大。
駆け足でさらっとお答えするにとどめる。

皇室に関してご主人と考え方が異なるという方からで、ご主人は
「旧弊なものは改めるべき」というお考えだそうで、その点が筆者の方と
違う、と。

ご主人のおっしゃる旧弊が何を指すのか判然とせぬが、おそらく
「伝統」か伝統に準ずるものであろうかと思われる。

結論から申せば、皇室から旧弊という名の伝統の要素を抜き取ったとたんに
皇室は瓦解に向かう。不要論へとつながる。

皇室の存在意義raison d'etreとはなにか。

一に祭祀、ニに祭祀、三四が祭祀で五が伝統。国事行為やいわゆる公務は
付加的なものでしかなく、それがなければ皇室が瓦解するというものではない。

そもそも、神武天皇という「神話」を発端として皇室はあり、この神話を共有するところから
日本の皇室は存在する。神話は信じてもよいし、信じたふりでもよい。
共有さえするならば。神話というフィクションをドキュメントとするために
神武天皇陵はあると考えるか、実在だからこそ陵(みささぎ)はあると
考えてもよい。あるいは実在だが、神話性は後世に付与されたものである、しかし
信じたふりをしていよう、というのでもよい。

共産国を束ねるのが共産思想なら、中韓の国体を束ねるのが反日思想、
アメリカをまとめるのは、世界の警察としての大国という誇りないしは自惚れ、自由という
「概念」であろう。国家を形成するには束ねる力が要る。
日本という扇の要は常に天皇陛下であった。

「制度」としての天皇制を善用も悪用するのは民のほうであり、天皇は天皇でしかない。
受け取りての問題であろう。

神話は合理性の対極にある。
祭祀の必要性の有無は、神を感知する能力の有無に関わることなので、
感知能力の無い者には、無意味な呪術でしかなくそもそも論じる資格はない。
神界はある、と見え聞こえする者が祭祀を云々する資格があるが、しかし
資格あらばそもそも、祭祀の必要性の有無を論じること自体が烏滸の沙汰(論外)であろう。

神を感知する能力は本来誰にもある。日本の古代人は皆有していた。西欧流二元論と
プラグマティズム(実質主義)に浸らされて見失っているだけである。
そもそも神の出現し給うのは、合理主義の庭ではなく非合理の庭であり、
神そのものが西欧合理主義に相対する存在である。

神をいささかでも体感したければ伊勢神宮に行くと良い。玉砂利を踏んで歩むにつけ
神の息吹を感じる。もし日本人なら。外つ国(とつくに)の人であれ、感受性鋭敏に、
心直き人であるなら、感受する。

西欧がその価値観において行き詰まっているのは、神と人、物と精神、自然と人間というごとき対立概念による行き詰まりであり、神と人、自然と神と一体化で考えるというよりは、
自然に体得していた大和民族の感受性が神道を生み出し、というより発見し、
その神道の最大の祭主が天皇陛下である。
天皇陛下の別名は、日本最大の神官であり、祭祀王であり、皇居は最大の神社、日本の中の巨大な結界である。

皇居という名の結界の中には、更に神域があり、いまだ衣冠束帯や十二単におすべらかしの神官や巫女たちが古代より連綿と燃え続ける神の火を守り神事を明け暮れ行う。
天皇陛下も相当数の神事を年間こなされ、表に見えるいわゆる国事行為や
公務は祭祀の膨大さに比べれば一端に過ぎぬ。
旧弊というなら皇居内の神域に住まう神官や巫女たちで、たとえば巫女は
歯を痛くして宮内庁病院に行くために、神域をいったん離れたら、改めて
身を清め、おすべらかしを新たに結い神事に戻る。
旧弊というなら、これに尽きるので、しかしこれを否定し去れば神道の儀式そのものが
崩れ去る。儀式というものは、神と向かい合う所から、自ずと編み出されていった
「必然性」なのであり、「形」を守ることで中身を代々引き継ぐものが感得するというべきものである。神への敬意の凝ったものが祭祀の手順であり決まり事といってもよい。
これらは全て旧弊の衣をまとう。

皇居内の旧弊と見えるものは、実に全ては祭祀に行き着くのであり、これを
否定し去れば皇室は崩れ不要になる。海外に向けてはもっと効率のいい
「機関」を設置、それこそ国連大使日本版のような、見目麗しくIQの高い男女を
その都度選出すればよろしい。何も東京の真ん中に大きく敷地を取って
何かを守ることもない。神域を置くこともない。

 十二単や衣冠束帯の重みは、即ち伝統の重みであり、さればこそ世界は瞠目し、ひれ伏す。実際に世界は息を呑みひれ伏したのが今上の即位の礼であった。

[1/4]【今上天皇御即位】正殿の儀Celebration parade His Majesty the Emperor

皇太子が天皇に皇太子妃が皇后に即位する時の即位の礼が、皇室のまた日本の最大の
神事であるが、その荘厳さのよってきたるものは、伝統の深みに尽きる。伝統はその都度の必然性から編み上げられてきたものであり、さかしらげな合理主義で簡便に変更のきくしろものではない。

男子一系というシステムも、旧弊の範疇に属するのであろうが、しかしながら
世界の歴史の栄枯盛衰の中で、天照大御神という神の子孫であるという「神話」による男子一系を守りぬいて2673年続いている「家」は無く、それゆえにこそ世界の稀種であり、貴種としての尊崇を得る。男系であるからこそ神の系譜であるという自負心であろうか。

神武天皇を初代として始まる一家の存在を
信じるか信じないかそれはどちらでもよい。信じるか、信じたふりをする、それが
「様式」ということなのであり、様式は「約束事」でありそれが伝説を守り、伝説を更に
守るのが皇統である。男子一系は神を先祖として仰ぐ世界で唯一の家である
皇室の約束事なのである。
神事に基本的に女性は向かぬ。差別的見地ではなく、生理、妊娠、出産と
祭祀に安定性を欠くからである。むろん、神を感知する能力そのものは概ね
女性のほうが秀でているし、祭祀の柱は男子にあるが、女性側の祭祀も
ある。

衣冠束帯と十二単を旧弊であるからとして排除するとする。すると神事における
お手ふり(所作)とリズム感が、ことごとく狂ってくる、というのは判るだろうか。
というのは衣装もまた必然なのである。それは洋の東西を問わぬ。
カトリックにおける儀式を見れば判る。魂を見失えば儀式も形骸化するが、
それは別問題。

皇室における旧弊の最たるものが神事であるが、それを排除すればそもそも
皇室が不要になる。なぜなら皇居内の一見旧弊と見えるものは
全て神事に行き着き、神事に端を発するものなのである。
神は非合理の中にこそ住まわれるのである。それゆえ天皇を継ぐべき
長子は人としてより神候補として育て上げるべきなのだ。
非人間的である。だから戸籍はない。人格もない。その代償として
莫大な特権と富があがなわれる。運命である。逃れたいなら
道がないわけでもなかろう。

天皇は国家と民にかかりくる、あらゆる災厄を我が身を通せと祈る者。
実際新年の四方拝ではそれが祈りの中心である。

西欧合理主義はとうに行き詰まったまま21世紀を世界は迎え、行き詰まりはいまだ
打破されてはいない。日本の神道イズムの中にこそその回答があると私は
思っている。そして、その神道の最大の祭主が天皇である。
祭祀を疎かになさるなら、言葉を変えれば旧弊を保つ覚悟がなければ、
その方たちはもはや皇室の継承者ではないだろう。

非合理を愚直に守り重んじる者の前にこそ、神は姿を顕される。
さかしらげな人間の科学も文明も、宇宙の森羅万象を司る存在から見れば
芥子粒に過ぎぬ。

まとめてみる。
宮中で明け暮れ神事に仕える巫女は、おすべらかしに近い髪をしていて
洗髪に二時間かかるやに漏れ聞く。結うにもおおごと。
また神事に使う忌火は、御火鑚具(みひきりぐ)を使用。
ヒノキの板にヤマビワ製の心棒を摩擦して発火させるのであるが、
この「発火の儀式」に権祢宜(ごんねぎ)の職の者が、前夜から
参籠斎戒(さんろうさいかい)してきりだす。

これを「旧弊」として簡素化するか? というのが命題であろう。

髪は短髪、シャンプー3分に切り詰め、火に至ってはライターで一瞬である。
しかし、それでよいのか?
膨大にかかる時間の中で、人は神へと心を集中し練り上げていき、そこに
神が感応するのだという考え方もあるのではないか。
儀式というものは、人のしどけない心を粛然と人間以上の存在に
向かわせるためにある。

皇居内のあれこれ「旧弊」とされるものの中にこそ、日本の神が
息づく、という言い方を解って頂けるだろうか。それを理解せぬ者は
皇室の暮らしに適応叶わぬ。

思う所あらまし述べてみたが、個人的世迷い言に過ぎぬかもしれぬ。
それに、神を感受する能力などと偉そうに書いたが、さしたる
感受性ではない。多少「見聞き」することもあった、という程度の
微弱なものである。この程度の霊感、人の役にも立たぬのになんで
半端にあるのだろうと自嘲したこともあるけれど、高次元や、天使といった
存在を概念でなくぼんやりとでも「知っている」ということで、その分
神事への理解は早いかもしれない。

表題に2とナンバーを振ったのは過去に一度同じタイトルで文章を書いていたからだ。

皇室とは何か・・・・・

http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/48146c0e5cdfb20238a4dc8b4e4b0324