井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

都知事選。戦後レジウムの脱却とは、自虐史観の檻からの開放である。

2014年01月31日 | ドラマ

私はイルカやクジラが好きで、それを見たくて片道20時間以上を船に揺られ小笠原に行き、海原往くクジラの影に目を見張り、潜って野生のイルカの群れに感激した人間である。だから彼らが殺されることは歓迎しない。

が、しかしケネディ新大使にイルカ漁のことをとやかく言われる筋合いにはない。
このところ、靖国参拝を始め、アメリカは、一体何を筋違いのことを日本に押し付けて来るのだろう。

クジラ漁は燃料取りのために、アメリカでこそ盛大であったのであり、
メルヴィルの「白鯨」という小説もある。用がなくなったからアメリカは
もう獲らぬ。だから日本も獲るな? 身勝手な、道理の外れた言い分であることの
自覚はないのだろうか。

こうなれば、言わせて頂くが、クジラとイルカの大量殺戮はアメリカのしわざである。

「犯人」は、米軍の潜水艦から発せられる大音響のソナー音であり、これについては
米海軍がこのほど認めた。クジラやイルカの大量座礁の、原因は米海軍の潜水艦にある、と。海軍の訓練や実験による大音量は、イルカやクジラたちの器官に気泡が生じせしめるほどであり、方向感覚を失わせ、体には亀裂、脳内出血を起こさせるという無残さなのだ。

*ソナーSONAR、Sound navigation and ranging、ソーナー)=水中を伝播する音波を用いて、水上船舶や潜水艦、水中や海底の物体を捜索、探知、測距する装置。超音波探信儀。

米海軍は2014 ~2019年の間に行う、アメリカ海洋大気圏局プログラムのための模擬実験で、アメリカの東海岸、メキシコ湾、ハワイ、南カリフォルニアに生息する海の哺乳動物に及ぼす影響を試算した環境影響研究報告を発表したが、それによると、この模擬実験によるクジラやイルカの死は、東海岸沖で186頭、ハワイや南カリフォルニアで155頭。

重症を負うものは11267頭、方向感覚を失うなどの異常行動をきたす個体は2000万頭。

ケネディ新大使よ、赴任した早々、日本に文句をつける前に、自国海軍にクレームを入れられたらどうか。あなたは何をしに、日本にいらしたのか。

しかしながら、米海軍は正直であり、そこは買う。どことは言わないけれど、都合の悪いことは知らん顔して隠す国もある。

だが・・・・アメリカの「悪」こそは巨大であり、だからこそ自らの日本における原爆や大空襲などのジェノサイドから目を逸らさせるため、中国や韓国に加担して日本をドイツと並ぶ大虐殺の悪者に仕立てあげ、けろっとしている。痛む良心はないらしい。

が、何度もいうようにこの国には、わずかでも真実をいう人達は一握りいて、それらの意見は封殺されない。そこはいいところである。

しかしながら従軍慰安婦もそうであるが、日本がアウシュビッツと並ぶ大虐殺をした国であるという濡れ衣は、着せられたままいつまでも黙っていてはいけない。先祖に失礼、顔向けの出来ないことである。私たちの父や祖父は犯罪者ではない。

村山談話がいかにその後の日本を傷つけ、自縄自縛の苦しみに追いやったか、濡れ衣に対して釈明すら出来ぬ情けなさに囲われてしまったか、その村山富市氏が自省すらなく、
安倍総理の靖国参拝を、あろうことか「(安倍氏)本人の気持ちを守るために国を売るような首相があるか。これは間違いだ」とおっしゃたそうで、私はご本人がもし目の前にいらしたら、まじまじと顔を見つめただろうと思う。いったい正気なのか。ご高齢で見当識を失った状態にはいらっしゃらぬのか。国売りはあなただ。阪神淡路の震災の時、初動ミスで失われなくてもいい大量の生命を消し去ったのは、村山さん、あなただ。

次いで、河野洋平氏と国売り人が続き、日本はいよいよ自虐の狭い檻に追い込まれてしまった状態にある。

安倍総理のおっしゃる「戦後レジウムの脱却」とは、畢竟この自虐の檻からの
脱出なのである。そしてそれを、理想論で終わらせず、現実のものとするには、
今回の都知事選の結果にかかっている。

すなわち、総理と阿吽で息を合わせつつ、都政で片輪を回し、一方で総理がもう
片輪を回すことで檻からの脱出の車はやっと整う。

国政は対アメリカ、対中韓の自縄自縛で、総理はものもろくに言えず、建前だけの嘘をつき続けるつらさを強いられる。さてその時、地方自治体の長として都知事がどれほど、総理の心を汲みつつ、発言が可能か。それは誰なのか。

国政の長と、都政の長が同じ方向へ顔を向けた時、日本は再生への第一歩を踏み出す。
あるデータと、もの書き的直感とで断言する。安倍総理の真実の盟友は田母神俊雄氏である。
安倍氏の、うわべとぼけた嘘芝居を見抜かねばならぬ。本心見せず心にもない芝居を
せねばならぬほど日本は病み、政界はねじれ淀んでいる。
一見支持した国民を裏切るごとき総理の芝居に軽々に憤り、軽挙妄動せぬようにと
願いたい。水面下の駆け引きあり、はじき出された勝率に乗り、与党はコントロール下に新都知事を置く魂胆。しかし、ことはそう単純に運ぶだろうか。
完璧にコントロール下に置けるとはまず思わぬし、都政を下支えする人たちの士気は落ちる。明確に過ぎることを書くことは避けているので、隔靴掻痒であるかもしれぬが、
分かる人には分かると思う。今回は単なる都の選挙ではない。終戦以来、日本の真の独立なるかならぬか、再出発なるかならぬか、大変な緊張感を伴う選挙なのである。祈るような思いで日々を過ごしている。

 

 

 


人生はつかの間の

2014年01月30日 | ドラマ

小津安二郎の「父ありき」を見た。昭和17年制作というと、太平洋戦争の只中である。
が憲兵もいないし、戦争を報道するシーンもない。
穏やかな市民の明け暮れの中に、父一人息子一人の情愛が
淡々と描かれるばかりで、当時の日本人の言葉の美しさ、礼儀正しさ、情のきめ細やかさに、
ため息をつくばかりである。

戦争当時、日本全体が刺々しく、文化も失っていたかのような言われ方が
定番であるが、何らかの意図を帯びた刷り込み、思い込みに過ぎないのではないかと、
強く感じた。

憲兵たちの横暴も、竹槍、もんぺ、愛国婦人会の狭量なヒステリーと、それもまた
事実であったろうが、一方で本来の日本人らしい、まったりとした暮らしも営まれて
いたのである。

映画の中の父子に葛藤はない。唯一、父が息子に説教するのは、父と暮らしを
共にしたいばかりに、息子が教師の勤めを辞めて父のいる東京に行くというのを、
人には持ち分というものがある。その持ち分をまっとうせよと、説くくだりだけである。
父も息子と暮らしたいのであるが、その気持が分かるだけに、穏やかに説く
父の言葉が重い。

父と息子は、葛藤もなくただお互いがとても好きで、思い合い大切にする。
父の晩年、僅かな数日、暮らしを共にするが、その日々が輝いていた、と
息子は述懐する。

日本人が日本人として優しかった時代の映画であった。しかもそれが戦争中であるという
ところに、ある種の凄みがある。

映画というものが、フィクションであるだけに、物語としての嘘の向こうに
時代背景が正確に透けて見えることがある。
鈴木清順先生の「春婦伝」が、戦争期のいわゆる慰安婦を描いていたが
あっけらかんとしていて、これもまた真実の一側面であると思われる。
小野田寛郎氏も同じことを、同時代を生きて現場近くにいた人として
語り遺されている。

NHK新会長籾井氏の見解は、言葉使いが惜しむべきはお上手ではなく
過不足はあるが、ごく基本に絞り「強制性はない」というのは間違いはない。

先般、日本維新の会の三宅博議員が国会で指摘されたごとく、NHKの時として驚くべく
偏った思想で作られる、それも少なくはない番組をスルーして、会長の
基本においては事実を語ったに過ぎない談話があげつらわれるとは、
日本もつくづく病んだ。

そして、敗戦とともに失われた日本の佳き側面を潰して行ったのは結局、
アメリカの未熟で乱雑な精神文化を浴びせられたせいでもあれば、施策としてのWAR GUILT INFORMATION PROGRAMでもあった。

マッカーサーは日本人の精神年齢を12歳だと言い捨てて去ったが、笑止である。
アメリカのとりわけ当時の建国以来歴史の浅い、ガキ文化の尺度をもってして、
わびさびまで洗練され尽くした日本の文化を理解できるものか。

しかしながら、日本の戦争が侵略戦争などではなく、やむを得ない自衛のための
戦争であったことを率直に本国で表明したのも、またマッカーサーである。
それはアメリカの率直でフェアな部分であろう。

マッカーサーはまた、駐留のアメリカ軍がいかに日本でレイプを行ったか、また
日本人売春婦の施設に列をなしたか、その目で見ていた証言者であるが、
彼はそれは言わずに去った。なぜなら当時、そのような売春システムが問題になど
なっていなかったからである。(日本の施設は米国の婦人団体の抗議で閉鎖されたが、
また巷での強姦が増えた)その頃、朝鮮半島には、朴槿恵大統領のお父さんである
朴正煕元大統領が米兵相手の慰安婦施設を作りつつあった。

従軍慰安婦などという、ありもしなかった呼称で言われ、非難され始めたのは
最近のことである。吉田清治という稀代の詐欺師が書いた捏造本に端を発した
フィクションであり、外交カードに使われているに過ぎない。

それにしても、「父ありき」に出ている俳優さんたちは、子役を含めてもう
この世にはいない。モノクロスタンダードの画面に明滅する彼らの人生の、
過ぎ去ってみればなんと、儚(はかな)い。
実人生もまた一場の幻であるとその思いが日増しに募る。
終わればすべては夢。

父役の笠智修さんとは仕事でご一緒させていただいたことがあり、短く言葉を
交わしたことがあり、息子の佐野周二さんは高崎山のロケ地で遠い昔、
お見かけしたことがある。記憶の霧にかすみがちの思い出のような映画の中のお二人を
眺めながら、自分がつかの間そのお二人とご縁を持ったことが不思議で、
そして私も遠からずこの映画の中の一員のように、この世を去る。
それは、実は見終わった夢の後の覚醒であるかも知れず。

 

備考に置いておく。強制された慰安婦どころか、事実は逆である。
朝鮮半島において行われていた女性の違法な強制売買を日本の官憲が
救い出していた。


気が散る都知事選

2014年01月30日 | 日記

書かねばならぬ原稿があるのに、都知事選の動向が気になって
集中できず、これはまずいので、プロデューサーお二方に
ご足労願って、雑談がてら頭をドラマのほうに切り替えた。

切り替えたが、気になるものは気になる。
今度の選挙は単なる都だけの問題ではなく、日本の行方に影響を及ぼす
選挙である。時には都が主導して、政府を牽引することもある。

さて、打ち合わせが終わって「蟹、食べに行かない?」と
誘ったら、お二人共夕方はふさがっていらっしゃるとかで残念。

タラバ蟹と毛蟹の盛り合わせを出す店を新橋に見つけていたのに。

暖かくならぬうちに、ふぐも食べに行かないと。


ハリウッドが示す反日

2014年01月28日 | ドラマ

ハリウッドスターの政治発言は昔からのことで、最近日本の芸能人が
真似をしたのかどうか、いっぱし発言するようになったのはいいとして、浅学が
透けて見えて恥ずかしい。発言は基礎程度は対象を勉強してからにして欲しい。

スピルバークがいわゆる「南京大虐殺」について、中国サイドに立った
発言をしているが、困ったことである。なぜ、冷静に客観的に検証してみないのだろう。
当時の中国は南京の諸状況を鑑みるに、喧伝されているごとき
大虐殺は物理的にあり得ない。不可能である。

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/01/28/kiji/K20140128007474130.html

ジェノサイドを言うなら、第二次大戦中における、赤ん坊女性まで含めた市民への、
無差別攻撃である東京大空襲をはじめとする空襲、そして人体実験的要素を多大に含む広島、長崎への原爆投下を何故言わぬのか。
アウシュビッツどころではないのに。それをアメリカで言えば、身の安全に支障をきたすからか、日本ならおとなしく黙って打たれているから、言い放題なのか。
戦時下であろうと、非戦闘民への無差別大量虐殺は、国際法上も大違反である。
それを隠蔽する目的もあっての、中国韓国両国の反日運動を仕掛け煽ったのも
アメリカである。自国への国際的非難から目を逸らすためである。・・・というごときことを書くと、すわ反米と区分けする軽い人がいるので困るのだが、単に事実を述べている。日本人への濡れ衣を晴らすためには、アメリカの仕掛けたトラップについて言及せざるを得ない。

当方、日米同盟は肯定している。あの事後法による悪裁判を非難するアメリカ人もいるし、
原爆投下の非を知るアメリカ人も少数ながらいる。そういう国民も無事に生存できるのは、アメリカのいいところである。

いずれにしても、スピルバーグの指摘する「南京大虐殺」は中国側の捏造肯定論でしかない。聞き取りをしたというが、相手は当時の反日中国人だろうに。捏造の張本人たちである。聞き取り調査を錦の御旗にするなら、なにゆえ「なかった」と証言する者達の聞き取りを行わぬのか。

大虐殺を言い立てるなら、その一方の日本軍の中国人への友情や優しさにも
触れねばフェアではない。資料も画像も残っているのに、なぜそちらは見ないのか。

http://mainichi.jp/select/news/20140128k0000e040194000c.html
米エネルギー省:原爆の人体影響報告書を公開

毎日新聞 2014年01月28日 11時14分(最終更新 01月28日 11時54分)

広島と長崎への原爆投下直後、日米の研究者らが両市内などで原爆の人体への影響などについて調査した内容をまとめた報告書を、米エネルギー省が27日までにインターネット上で公開した。長崎大の長瀧(ながたき)重信名誉教授が明らかにした。

              ーーーー引用ここまでーーーー

アンジェリナ・ジョリも、反日映画の制作に手を染めているらしい。
それは自由であるが、よくまあしれっと日本に映画の宣伝に来られるものだと、
驚く私が、日本人的なのであろうか。

確かに、スピルバーグにしてもアンジェリナ・ジョリにしても、日本人はその
反日を気にもとめず、喜んで両者の映画は見に行くし、来れば歓声を上げ、
ご本人たちはにこにこと、商売にいそしむのだろう。
とにかく愚かしいぐらいに、いい人で、無邪気である。
ケネディ新大使を歓迎するために沿道に居並んだ日本人の群衆を見て
誰が驚いたかといって、アメリカ国民である。大使のレベルは知っているので。
私も驚いたくちである。オバマ大統領への論功行賞と、ケネディ・ブランドだけで
日本に送り込まれた本国では無能の烙印を国民から押されている方であり、
そんなことは、ちょっと調べれば事前に分かるではないか。
なぜ、人となりをチェックする前に、歓声で歓迎するような軽率な真似をするのか。
お人好しも度を過ぎれば、相手に軽侮の念を与え、なめられるだけのことであり、
結果国家毀損につながる。
ケネディ氏を送り込むことじたいが、オバマ大統領の日本軽視であると
言われても仕方がないくらい、この方はレベルが低い。

私はいかほどの愛国者でもないし、長年の刷り込みによる洗脳で
私もまた「愛国」という言葉に蕁麻疹が出るくちである。
私は単に日本語が好きで、日本の伝統文化に敬意を持っていて、
それゆえ、日本が好きな者であるに過ぎない。

好きな国だからといって、事実なら受け入れ直視もする。

しかし、南京「大虐殺」と強制による従軍慰安婦は捏造である。


 


九条は単なる紙切れです

2014年01月27日 | 日記

平和憲法を護るために、それを保持する日本国民に対してノーベール賞をください、とノーベル賞の選考委員会に出す署名が始まったとかで、随分色んなことを
考えるものだなあ、と感心するが、平和憲法は日本国民の手柄ではない。

マッカーサー率いる日本弱体化政策の一環として、突貫工事ででっちあげられたのが日本国憲法であり(だから悪文でもある)、もし九条故にノーベル賞の受賞対象になるのであれば、授賞すべきはマッカーサーであり、当時のGHQで平和憲法を作ったアメリカ人チームである。

ここまでは論理として間違いないと思うがいかがであろうか。

平和を願う心は尊重するし、私とて人後に落ちないが、しかし
九条は紙に印刷された文字に過ぎない。それ自体が平和を守ってくれるというのは過剰期待、勘違いである。

 

戦後69年、日本の平和を守ってくれたのは、九条でもなく、平和を守ったのは
日本国民でもない。日米同盟であり、結局はアメリカの「核」である。
平和憲法と平和が70年近く守られたがゆえに、ノーベル平和賞の授賞対象になるというのであるなら、与えられるべきは日本国民ではない。
アメリカ軍とアメリカの保有する核であろう。・・・・という皮肉が不快な人も
おそらく、いるのであろう。だが、事実である。

平和平和と念仏を唱え、平和憲法を拝んで平和が実現するなら、
世の中はとっくに、平和である。

尖閣にリアルに覇権膨張主義の国が虎視眈々と近づいているのだが、
ノーベル賞授賞願いに署名した人々は、いざその現実に直面した
時には平和憲法を水戸黄門の印籠のように、侵略者にかざすのであろうか。
平和憲法など、一発のミサイルの前に何の力もない。

しょせん、アメリカの核を背後に控えての安楽さであるということを
どうやったら、解っていただけるのか。
アメリカの核とアメリカ人の流す血とを引き換えに、日本が平和、平和と
唱えていても、それが本当の平和でないことぐらいは、解って
いただけるのであろうか。

こういう署名運動で、日本国民にノーベル賞が授与されることなど
ありはしないが、要するに署名を集める過程が、そのまま憲法改正
反対の運動になるのであろう。

反原発運動もそうであるが、動機のいかんを問わず、なぜか「外国人」が
相当数混じっている。
早急な原発廃止が国を廃らせることは、先のブログで説明した。
一見、美しいキャチフレーズの陰に、悪意が潜んでいることもある。

「九条は紙切れ」と書いたが、それは侵略を狙う国家にとってであり、
日本国民にとっては、自縄自縛のハンディである。

平和憲法改正は即、侵略戦争肯定、開始と勘違い、短絡する人たちも
多いのかもしれないが、それは盛り込む文言の問題である。
現状の九条では、日本は両手両足を縛られただるまさん状態。
だるまは突き転ばされても、起き上がるが、国家はそのままへたる。