私はイルカやクジラが好きで、それを見たくて片道20時間以上を船に揺られ小笠原に行き、海原往くクジラの影に目を見張り、潜って野生のイルカの群れに感激した人間である。だから彼らが殺されることは歓迎しない。
が、しかしケネディ新大使にイルカ漁のことをとやかく言われる筋合いにはない。
このところ、靖国参拝を始め、アメリカは、一体何を筋違いのことを日本に押し付けて来るのだろう。
クジラ漁は燃料取りのために、アメリカでこそ盛大であったのであり、
メルヴィルの「白鯨」という小説もある。用がなくなったからアメリカは
もう獲らぬ。だから日本も獲るな? 身勝手な、道理の外れた言い分であることの
自覚はないのだろうか。
こうなれば、言わせて頂くが、クジラとイルカの大量殺戮はアメリカのしわざである。
「犯人」は、米軍の潜水艦から発せられる大音響のソナー音であり、これについては
米海軍がこのほど認めた。クジラやイルカの大量座礁の、原因は米海軍の潜水艦にある、と。海軍の訓練や実験による大音量は、イルカやクジラたちの器官に気泡が生じせしめるほどであり、方向感覚を失わせ、体には亀裂、脳内出血を起こさせるという無残さなのだ。
*ソナー(SONAR、Sound navigation and ranging、ソーナー)=水中を伝播する音波を用いて、水上船舶や潜水艦、水中や海底の物体を捜索、探知、測距する装置。超音波探信儀。
米海軍は2014 ~2019年の間に行う、アメリカ海洋大気圏局プログラムのための模擬実験で、アメリカの東海岸、メキシコ湾、ハワイ、南カリフォルニアに生息する海の哺乳動物に及ぼす影響を試算した環境影響研究報告を発表したが、それによると、この模擬実験によるクジラやイルカの死は、東海岸沖で186頭、ハワイや南カリフォルニアで155頭。
重症を負うものは11267頭、方向感覚を失うなどの異常行動をきたす個体は2000万頭。
ケネディ新大使よ、赴任した早々、日本に文句をつける前に、自国海軍にクレームを入れられたらどうか。あなたは何をしに、日本にいらしたのか。
しかしながら、米海軍は正直であり、そこは買う。どことは言わないけれど、都合の悪いことは知らん顔して隠す国もある。
だが・・・・アメリカの「悪」こそは巨大であり、だからこそ自らの日本における原爆や大空襲などのジェノサイドから目を逸らさせるため、中国や韓国に加担して日本をドイツと並ぶ大虐殺の悪者に仕立てあげ、けろっとしている。痛む良心はないらしい。
が、何度もいうようにこの国には、わずかでも真実をいう人達は一握りいて、それらの意見は封殺されない。そこはいいところである。
しかしながら従軍慰安婦もそうであるが、日本がアウシュビッツと並ぶ大虐殺をした国であるという濡れ衣は、着せられたままいつまでも黙っていてはいけない。先祖に失礼、顔向けの出来ないことである。私たちの父や祖父は犯罪者ではない。
村山談話がいかにその後の日本を傷つけ、自縄自縛の苦しみに追いやったか、濡れ衣に対して釈明すら出来ぬ情けなさに囲われてしまったか、その村山富市氏が自省すらなく、
安倍総理の靖国参拝を、あろうことか「(安倍氏)本人の気持ちを守るために国を売るような首相があるか。これは間違いだ」とおっしゃたそうで、私はご本人がもし目の前にいらしたら、まじまじと顔を見つめただろうと思う。いったい正気なのか。ご高齢で見当識を失った状態にはいらっしゃらぬのか。国売りはあなただ。阪神淡路の震災の時、初動ミスで失われなくてもいい大量の生命を消し去ったのは、村山さん、あなただ。
次いで、河野洋平氏と国売り人が続き、日本はいよいよ自虐の狭い檻に追い込まれてしまった状態にある。
安倍総理のおっしゃる「戦後レジウムの脱却」とは、畢竟この自虐の檻からの
脱出なのである。そしてそれを、理想論で終わらせず、現実のものとするには、
今回の都知事選の結果にかかっている。
すなわち、総理と阿吽で息を合わせつつ、都政で片輪を回し、一方で総理がもう
片輪を回すことで檻からの脱出の車はやっと整う。
国政は対アメリカ、対中韓の自縄自縛で、総理はものもろくに言えず、建前だけの嘘をつき続けるつらさを強いられる。さてその時、地方自治体の長として都知事がどれほど、総理の心を汲みつつ、発言が可能か。それは誰なのか。
国政の長と、都政の長が同じ方向へ顔を向けた時、日本は再生への第一歩を踏み出す。
あるデータと、もの書き的直感とで断言する。安倍総理の真実の盟友は田母神俊雄氏である。
安倍氏の、うわべとぼけた嘘芝居を見抜かねばならぬ。本心見せず心にもない芝居を
せねばならぬほど日本は病み、政界はねじれ淀んでいる。
一見支持した国民を裏切るごとき総理の芝居に軽々に憤り、軽挙妄動せぬようにと
願いたい。水面下の駆け引きあり、はじき出された勝率に乗り、与党はコントロール下に新都知事を置く魂胆。しかし、ことはそう単純に運ぶだろうか。
完璧にコントロール下に置けるとはまず思わぬし、都政を下支えする人たちの士気は落ちる。明確に過ぎることを書くことは避けているので、隔靴掻痒であるかもしれぬが、
分かる人には分かると思う。今回は単なる都の選挙ではない。終戦以来、日本の真の独立なるかならぬか、再出発なるかならぬか、大変な緊張感を伴う選挙なのである。祈るような思いで日々を過ごしている。