井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

しゃぶしゃぶと虹

2013年11月30日 | ドラマ

「命」のロケ先での、矢田亜希子さんの「しゃぶしゃぶ」ブログを見て以来、
口がしゃぶしゃぶになったまま、ずっと日にちが経過していたのだけど、
ブログには書いてみるもんだ、その「命」の監督・プロデューサーである
竹園さんが、連れて行ってくださるという。

東京駅は丸ビル内の高級和食に、サププロデユーサーの方、
制作会社の方と連れ立って。

高層階から皇居がお堀をひっくるめて、全体が俯瞰で見え、大変な迫力。
それにしても、伊達ではない偉容。
それに、皇居を中心に放射状に広がる「気」の澄んだ清らかさは
皇居内の神殿に常時詰めて、明け暮れ神事に勤しむ、神官、
巫女の皆様方の祈りの浄化力か。
皇居のあるエリアを訪れるたび、不思議の感に打たれるのである。

もっとも、そのパワーも私の居住エリアになると、とたんに
パワレス、不浄の気がまじり始めるのであるが。
(皇居まで徒歩圏内ではある)
帝国ホテル、日比谷公園、東京駅界隈が澄んでいる。
あと、さすがと思うのは国会議事堂界隈の気の澄み方である。
政治が清らかなわけもないが、要所は狙ってか偶然か
非常に気の高い場所にある。
ミッドタウンに暮らしている頃、私の住処は防衛庁ビルの
後に建てられたレジデンスであったが、六本木の猥雑な空気から
そこだけ切り離されて澄んでいた。隣接するH公園のある一隅だけ、
あ、ここは何かあったな・・・というスポットがあったけれど。
防衛庁内の建物でも、ある一隅は妙なところもあったが、
気はそんなものである。

京都のお店であるという、口に入れる端からとろけていく、肉も
京都米も、身震いが来るほど、美味かった。

食後、同ビル内の喫茶室に場を移し、次の作品のあれこれを
語っているうち、左手に見える空の一角がやたら気になって、
ちらちら横目で見ていた。
何か龍神っぽいエネルギーを感じるのである、その空の辺りから。
といっても、龍神そのものを私は見たことがあるわけではなく、
雲である。ただエネルギーと形態から私自身は竜神だと
思っているが。

しかし、龍神ではなく私にしきりに「呼びかけて」いたのは、虹であった。
話しながら、無意識に視線がそちらへ向かうのである。
雨は朝から降っていぬ快晴の日に、しかも縦の虹は初見である。
竹園さんの携帯で撮っていただいて、送っていただいた。
(機械が不得手で、自分の携帯では撮れない、という以前に億劫、実は)

 

 

実際はプリズムに反射した具合で、虹色がもっと明らかだった。

手前のビル群が黒いのは写り方のレベルで、辺りが暗かったわけではない、
竹園さんが虹を際だたせるべく、明度か何かいじってくださったのだろうか。

これまで「花嫁の父」「母。わが子へ」「命」と連なる作品をめぐって話している時、
金粉がいずこからともしれず降るのが習わしで、全て何か良い兆候(受賞も含め)であったが、今回は虹。どんなめでたい反響が得られるのだろうと、楽しみである。
楽しみの前には、書くという苦しみがあるのだが。
ただ苦しみは、どう書こうか照準を定めかねている時であって、腰が定まって、
(意識をアクセスするポイントを探り当て)
書き始めたら、ほとんど自動書記状態、むしろ快感である。

書くのも(いったん乗ったら)速いが読むのも速いほうである。
今朝は、例の矢作直樹教授のご著書を4冊、3時間半で読了。
もっとも、必要な部分は再読前提での速読である。

ところで、雲として現じる竜神はこんな感じである。舌、目、鼻、角も明確なので
載せてみた。ただしネット内流出画像で、撮影者不明でお断りが出来ない。
なので、1日か2日後には、削除する。
つかの間拝借、すみません。

そう見えるだけ、という捉え方もむろん、ある。否定はしない。
ただ私はエネルギーも併せて感じるので、そうかな、と思っている。
龍神さんは(あるいは龍形の雲は)わりに、見る。
私の守り本尊は不動明王で、眷属が龍神であるせいか。

そういえば、世田谷に住んでいる時、家ごとすっぽり龍神のエネルギーに
包まれたことがある。雨も降っていないのに雨雲の中に家がある塩梅だった。
それも、その前段階の一件があるのだが・・・・書くとますます怪しげになるので、
このへんで。この文も削除することだし、書かないでおく。
目に見えぬ何かというのは、この世と共存してあるのだよ、とそれだけ。


私淑  矢作直樹教授

2013年11月29日 | 日記

矢作直樹教授のご著書を2冊併読している。
併読というのも妙な言い方かもしれないが、長年の
訓練で速読である。一昼夜で5冊読み上げるごときことを
やっていたので、慣れている。ソフトカバーの軽い本なら
1冊読了するのに、1時間を要しない。3,40分程度である。
ただし精読からはむろん遠く、本全体の要旨をぱっと
つかみ捕り、加えて著者の人となりみたいなものの
察知である。その言葉を信用するに値する人物かどうかのリサーチ。

そういう読み方をして、気になると更に読み、立ち止まるべき箇所に
来ると深く読み、考え脳に刻みつけ、もっと気になれば3度目の
速読をする。いずれにしても、じっくり満遍なくどのページも同じ速度で読むことはない。

併読というのはそういうことで、矢作教授のご著書も「天皇」を
サーッと流し読み、ついて「お別れの作法」(死に面した人、送る人の
ための本である)を同じ読み方で,2冊に
1時間かけてはいないと思う。
その結果、両著共に2度3度の再読の欲求を感じ、とりわけ
「天皇」は勉強の意味も含めて何度もページの上の重要箇所を
渉猟することになろうかと思う。この過程も2冊を併読である。
3冊のこともある。頭の訓練にいい。柔軟にもなる。

矢作氏は東大の医学部の教授でいらっしゃり、天皇陛下の主治医であらせられる。
一読、思想の双生児ではないかと思うくらい、私の思考と相似形である。
という言い方もおこがましいので、知識も頭脳のレベルも霊的体験も
私を遥かに上回る方である。ただ思考や感性が驚くべく似ている。

矢作教授の論説に思いを寄せやすいのは、教授が頭脳だけで
書いていらっしゃらず、自らの、そして多くの死に臨む患者さんたちを
看取って来た体験から、霊的なことをご存知での著述であるからだ。
頭脳プラスハートの書き方で、これは人間性に帰するところだろう。

霊的なことだけは、どうにも、一端でも体験がないと、通じない。
通じない以前に拒絶反応を示す人も多い。
だが、それはある、としか言いようがない。ひとたび体験すれば、
実にあっけなく、異次元への扉が開くていのものであるが、
経験がなければ錯覚や妄想のたぐいに貶められてしまう。
その点、私のようなぼんくらと違う、医学の世界のそれも
トップクラスにある方が、淡々と述べてくださることはありがたいことである。
スピリチュアルな知識を持つと、てきめん現実の、例えば政治観などに
歪みを来す例が多いのだが、矢作教授の素晴らしい点は、霊的世界と
現実双方に、公平な視座を据えていらっしゃる点で、神秘主義に走り過ぎず、
唯物論に堕さず、霊的世界、現実と等分に見つつ、政治と歴史に対しては
冷徹に押さえて論じていらっしゃる点である。

思想は相似形ではあるが、知識において矢作教授が
勝る。霊的体験も私は、ごく基礎をひと通り・・・物質化、天使の可視化、予知映像、輪廻転生の垣間見、死者との対話、体外離脱、高次元訪問(意識で)、テレパシー・・・・などなど浅く体験しているのだが、たとえば体外離脱もせいぜい天井止まり、というふうで体験がどれも初歩、半端であり人を救えるほどの霊能力でもなし、せいぜい、この世に並行して、あるいは重なるようにして、あの世があるよね、程度の認識に役立った程度である。あの世というよりも、次元の異なる世界。幾つもある。
高い次元の世界は光と言おうか、細かい波動で全てが出来ている。一度だけ、
ちらった見たことがある。なつかしさに胸がしめつけられ、目ににじむものさえあった。

矢作教授も「気」に触れていらっしゃるが、私は「気(プラーナ)」(気功の気である)だけは突出して強く、インドに赴いたおり、そういうたぐいの聖者だかなんだかともかく、そういう地位のインド人に、「あなたほど強烈な『気』を有する日本人に私は会ったことがない」と言われた。何千人か、いわゆる魂の修行を志す日本人に会っているグルである。
「ええ。私も強いと思います。ただその使い方を知りません。教えてください」と
頼んだのだが「いいよ」と請け負ってはもらったのだが、そこへ通うことも
その後無く、教えてもらってはいず、相変わらず、マグマのごとく強い「気」を
体内に抱えながら、使い道を知らずにいる。
気はこれも、体感したことのない人は一言もとにそんなものはあり得ない、と
退けるのだが、それはある。見えさえする。たまにだが、可視化することがある。
白い煙か霧状のもので、体から1,2メートル範囲に立ち込めている。
話さなくても何となく好もしい親しみを感じる人物を「気が合う」という。これは気持ちの気ではない。昔の人は知っていた。

日本が危うくなった時、一番狙われる区をたまたま転々と転居しているので
それを人に苦笑交じりに喋ったら、「浄化のお役目があるのでは」と
言われ、「そんな力はござんせん」と答えたのだが、ふと今思い出したのだが、
ミッドタウンに暮らしている頃、歩きながら意識で(という言い方しか出来ないが)界隈を浄化して回っていた、そういえば。

そして今、実を言えば住んでいるエリアが不浄のエリアである。
霊的な意味である。越してきて間もない頃、いきなり、どよんとしたものに
遭遇したので・・・なんだろうといぶかしく、界隈を探ってみたら、江戸時代の、
要はそういう場所なのであった。住んでいるのが
、だからきつい。
不浄の中心部に暮らしているわけではないのだが、穢れた風が
吹いてくるのである。某駅に向かって歩くと、相当きつい。物欲が
刺々しく渦巻く界隈でもある。
この界隈の地下を走る電車もきつい。だから、必死にエリアを浄化していたが、全然追いつかない。
電車が少しましになったような気がする。なんだかくたびれ果てて、浄化の
意識も失せていたが、ぼちぼち再開するか、そのための気なら、だが。
妄想レベルのことである。

防空識別圏の設定で、きな臭くなった時、そういえば都内で一番危ういエリアに暮らしているなと、改めて意識した。安全圏内の世田谷の穏やかな緑深い住宅地からわざわざ標的になりやすい港区、千代田区へと移動しているのだから世話はない。せめて浄化のお役目でもあると妄想するほうが楽かもしれぬ。

さて矢作教授の思想との類似性もそうだが、史観も私と全く同じ、という言い方も鈍才が大秀才に対して不遜であるけれど、本当にそっくりそのままである。
ただ不遜なので繰り返すが、知識の支えが教授は私の数倍である。

東京裁判という不当裁判に端を発したGHQの日本弱体化政策の中でも
教授が指摘するのが、天皇陛下の存在を稀薄にして行ったやり口である。
これは全くもってその通りで、日本人の精神性と共に霊性を根こそぎ
脆弱化させる企みであった。新嘗祭などの宮中内祭祀にちなんだ国民の日も、
呼称の変更で、新嘗祭とは何も関係のない勤労感謝の日となって、
実態は覆い隠されたまま、もはや定着している。
こういうことを書き始めると即反米のレッテルを貼りたがる早計な人がいるので
言っておくが、尖閣の守り、すなわち国土の防衛は米軍の協力無しにはやれないし、このたびの中国の軍事的恫喝も、アメリカの脅し返しがなければ、リアルに剣呑な事態に立ち至る可能性もあった。だから反米など、
そういうチープな次元で何かを言うのではない。日本や日本人の名誉と気位、そして心が壊されぬためには、アメリカによって何が行われたのか、ことの経緯(ゆくたて)を直視しなければ、そこからの立ち直りが出来ないから言うのである。東京裁判は過去で終了したことではない。悪しき裁判が立てた瘴気は今なお日本人の心に吹き付けているのである。だからこそ矢作教授も厳しくそこに触れる。裁判に端を発したGHQの仕組んだWar guilt informationという日本人の洗脳政策は、今に尾を引いて続いているのである。
中韓との厄介な問題も、根っこはしょせんアメリカ発である。友好と利害の一致で手を結ぶことと、過去に行われ現在に尾を曳く悪しき企みを直視することは、必ずしもバッテイングはしない。日本は国として、永遠にアメリカの傘の下にいるわけにもいかぬのだし、不必要に子羊でいることもない。いずれの日か独立自立しなければならぬのだし。かといって離反の道を歩めという主張でもない。協力関係も、精神的帰属にならぬように、ということである。和を図りながら、自主の領域をじわじわと広げていくためにも。

矢作教授の凄いところは、国際銀行家の悪事を暴く一方、天皇家との関わりもおめず臆せず淡々と著述していらっしゃる点である。
こういう姿勢も私と共通する。それはそれ、これはこれ。事実は事実として見る。
見た上で何を選択、価値観として、どう進むかという道筋が視えるのであって、事実に目隠ししたところから、正しい道は見えず迷路に踏み迷って右往左往するだけである。
矢作教授もラベリング好きな世の中からは右翼に分類されるのだろうが、
人の思想に本来右も左もない。現実と霊的世界とバランスよく見極めて得る
思索がより正しい、というだけである。唯物も違うし、かと言って浅いスピリチャル
ブームに生息する人たちの現実認識の幼稚さ
も、厳しく見極めるべきである。
歴史観、政治観、外交観におそろしく、幼稚な人がスピリチャル系に多い。かといって、現実一辺倒は違うし、唯心唯物の中道でバランスの取れている人が理想であるが、稀少なのである。ただ若者に霊的感性に対して素直な人が増えてきているかもしれない。

矢作教授の著作2冊を咀嚼出来た時点で、また感想を述べたいと思う。
これから教授の著作を全て読むことになると思う。
過去に1冊読んだ記憶があるのだが、機が熟していなかったのだろう、
矢作教授が心に錨を下ろすには至らなかった。思えばその当時、
私は天皇陛下の役割にも無知であったし、そもそも皇室に無関心であった。

矢作教授は天皇の祈りで日本は今まで救われてきたと喝破なさっている。
過酷な時期はあったが、最悪は免れてきた。
その通りである。天皇陛下のなさる祭祀は形式ではない、パワーを
帯びている。皇后陛下もまた祈り人でいらっしゃる。
思えば私が天皇の行う祭祀に対して価値観を見出したのも、
私が霊的体験を幾つか経た後のことであるので、祭祀の意味を見出せない
人がいるのは分かる。皇后陛下が、祭祀が次世代に引き継がれるのかどうか
案じていらっしゃると報道で漏れ聞いたが、現状いささか心もとないことではある。天皇陛下は(皇后陛下もだが)精進潔斎なさり古式の装束に威儀をただしての厳しい神事を長く執り行われていらっしゃる間には、神秘体験を
なさっているかと拝察する。私ごとき、なまくらに暮らしている者ですら、
something greatの片鱗にちらっと触れることがあるのだから。
またその御身で、神を体感なさっていなければあのご年齢に至るまで厳しいお作法を伴う祭祀を、厳寒の早朝から執り行われ、それを何十年とお続けにはなれないと愚考するのだ。しかし、さすがに加齢の限界は押し寄せ先ごろの
新嘗祭は短縮して行われたと漏れ聞く。祭祀に関しては先の展望が見えづらい心もとない状況ではあるが、次代への祭祀の存続を願いたい。
それありてこその、天皇陛下であり、皇族なのだから。

昭和天皇は開戦に反対でいらっしゃり、敗因も実に冷静に分析していらして、
当時の皇太子殿下(今上陛下)に宛てて書かれた書簡にそれは明記されている。かといって、あの戦いを果たして受けて立たずに済む選択肢があったのか、どうか、受けねばどうであったのか、まだ学習の余地がある。
しかし、結果論としては白人による有色人種支配の時代が終焉し、評価を与えてくれる国のほうが圧倒的に多いのは、事実ではある。
過酷な犠牲を伴ったが、「神の目」から俯瞰すれば必要な過程であったという
見方もあるのかもしれない。いずれにしても先人への尊崇は忘れたくない。
靖国神社に、一度は足を運んで頂きたいのである。

念のため記しておくが、パールハーバーの奇襲は、実質的に
奇襲ではなかった。すなわちアメリカは事前に知っていた。
日米双方が知っておくべき基礎的事実も、矢作教授はさらっと
書いていらっしゃる。それで奇襲攻撃が正当化されるものでもないが、
アメリカの謀(はかりごと)は、無邪気な日本の思惑を常に超える。
シナリオの書き手としては彼らが遥かに上である。優秀なシナリオライターには、
善人にはなれない。根性の悪さも持ち合わせていないと。
おのれを含めての実感である。だが現実のシナリオライターは底意地の悪さは
秘めているが、基本は善人である。だが政治の世界の脚本は善人では
書けない。今この世界の現実の中では。

以前、「金の日 銀の月」というタイトルの長編小説を書き、これは
死後の世界まで入れ込み、一部熱心な読者を得たが、いかにも
時代に早すぎた。いずれ小説かドラマかわからぬが、もし役目があるのなら
改めて書く場もあるのかもしれない。
学術の分野で矢作教授がお書きなら、私に参与部分があるとすれば
フィクションの世界である。それでしか描けない部分もあるだろう。

しかし、この世には外見が自分に酷似する人が3人いるというけれど、
思想にも、それはあるようだ。いや、驚いた。
お会いしたら、一晩語り明かせそうだ。いやかえって、言葉寡なく
心地よく酒を酌み交わしているだけかもしれない。考え方に相違点がなければ、
そういうことだろう。この世に精神的な兄弟を得た思いである。
私のような頭の悪いのが、天下の秀才に対して言うことではないけれど。
だから密かに私淑。

*私淑=「孟子」離婁下の「子は私(ひそ)かにこれを人よりうけて淑(よし)とするなり」から・・・・・直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと。


サーベルの鞘を鳴らす

2013年11月27日 | 歴史・政治

防空識別圏設定の一件で、東京でも最もやられる可能性のあるエリア、つまり
国会議事堂や皇居がわりに近い・・・エリアに居住している私は、
情報のごく初期では実のところ、リアルに緊張し、一瞬避難のシミュレーションを
考えたが、そんなもの無論ありはしない。
それに不謹慎だが、非常に誤解を招きやすい言葉だが、ミサイルなら須臾の間に
蒸発で、苦痛はなくむしろ歓迎という気分も、ごく個人的レベルながらないではない。己1人の死生観に関わることで、人を巻き添えにしていいということでは、むろんない。

リアルに身構えたのはしかし短時間で、離島問題には関わらぬと表明していた
アメリカが、おそらく中国には予想外の強さで介入を宣言したので、
ほぼ緊迫状況は回避出来たと思う。

この間の状況を上手くまとめたコメンテーターの方がいらした。
お顔はなんとなく存じ上げているが、お名前は疎くて解らない。

「英語に軍事的挑発行為にサーベルを鳴らすという言葉があるが、
中国が鳴らしたのだが、アメリカはもっと強く鳴らしたので、危機は去った」
と言葉遣いはうろ覚えで、全くいい加減だが内容はこんなふうである。

このサーベルの鞘を鳴らすという表現を知らなかったので調べてみた。

名詞としては saber rattling

動詞は rattle one's saber

軍事的威嚇である。

しかし、緊迫状況は去ったが、勝手に尖閣諸島を入れ込んで引かれた
ラインは残る。竹島の李承晩ラインを当然想起して、甚だ愉快ではない。
どう言い立てようと、尖閣は歴史的に日本の領土であり、これは
いずれお互い落ち着いたら史料を持ちだして検証しなければならないだろう。
それこそ、竹島と同じくハーグに裁定を委ねてもよいが、むろん中国も
韓国と同じく、応じはしない。負けは判っているのだから。

これを機に日本の人びとも尖閣について調べ、日中いずれの主張が
正しいか、学んでくれるといいのだが。竹島もそうなのだが
「韓国には韓国の言い分があるし」などと、大真面目な顔で言う
日本人が、それもいい大人がいるので、へたり込む思いを
味わうことがある。
勉強もしていないのは一目瞭然で「何となく感じ」で物申しているに過ぎず、
こと領土問題で、何となくこんな感じ、はご法度である。
領土に関して事実は一つきりである。

おそらく「韓国には韓国の言い分が」という如きことをいう人達は
日本人のモラルを無意識に基準にしている。
嘘を述べてまで自国領だと言い張るようなことはしない、という
思い込みである。
虚偽を述べても狙った土地は手に入れるべきという思考形態の
国は存在するのである。国のトップは嘘と心得ているが
国民には嘘を真実と言いくるめて教育し、歳月が流れるうちにトップも
ほんの上澄みの人たちだけが、嘘と自覚している状態になる。
朴槿恵大統領は、側近でももはや真実を知る人は少なく、
日韓併合時代に生きていた高齢の人たちが肌で真実を心得ている
のみであろう。それもうっかり「日本の統治時代はよかった」と口にした
老人がステッキで叩き殺されてしまったが。殺すことはなかろうに、痛ましいことだ。
これに対する反応も、殺した側への批判よりも共感が上回るというから、
安重根という殺人者を奉る価値観と共通するものがあるかもしれない。
真実を圧殺する国に長期的発展はない。己を知らぬものに成長が
ないのと同じことである。

国内の統治が脆弱化、反日で統率をはかろうとする政策が、防空識別圏設定という説もあるが、しかし振り上げた拳を今更引っ込めもならぬだろう。
防空識別圏設定ラインは残る。李承晩ラインは消えたが、竹島は
独島と名を変えられ、韓国の手にあり、ついこの間近づく日本人を
殺すための軍事訓練が行われた。これに対しては、アメリカは

America didn't rattle his saber.

サーベルの鞘は鳴らさなかった。しかし従軍慰安婦の捏造は言われっぱなしでは日本はいけないと思う。先祖と国の名誉に関わる。かといって、政府はアメリカから圧力をかけられれば、従わざるを得ない。
しかし民間まで言論封殺されることはない。
こういうことを言うと反米と短絡する向きがあるのは承知なので、日米同盟は堅持、と書き添えるのだが、そこはどうやら目に入らず誤読する人がいる。
それを避けるためには、いくつか項目を立てて逐一説明を添えておけばいいのだが、個々論で対米批判をするたびそれをやっていたら、日が暮れる。
大体基礎前提として、現在の状況でアメリカとの円滑な連携なくして、外交の荒波を渡れぬのは殊更言うまでもなく、自明の理であろう。
ただしそれは国家間のことである。個人レベルでは、理不尽に対してはノーを言い続けるべきであろう。

後記 ついでに、中国が敷いた防空識別圏には、在日米軍の訓練空域や射撃場が含まれる。それに日本の防空識別圏はそもそも戦後アメリカが敷いた。サーベルの鞘を思わぬ強さで鳴らした背景にはこれもある。日本のためだけではない。友情のためだけに、国は動かぬ。日本を護ることは自国を護ることにつながるから護る。そこはクールに心得ておきたい。

このところ中国に擦り寄っている韓国だが、防空識別圏に関しては無視を決め込むようだし、習近平中国は、メンツを失いつつある。

 

 


おめでとう 三田佳子さん

2013年11月27日 | ドラマ

「外科医 有森冴子」の時のプロデューサーの方から、電話で「三田佳子さんが今年度の文化庁長官の賞を受けた」とお知らせ頂いたので、ネットで情報を確認してから、
ご本人に電話を差し上げて、久々だったので、しばらくお話をした。

賞の話から、三田さんが都民栄誉賞を受けた時の思い出話。
鈴木都知事の頃で、私が花の贈呈役を務めさせて頂いた。
その話から、今の都知事のお話まで飛んだ。

「あなたのドラマを、かじりついて見たわよ」とおっしゃるので、しばらく
話していたら、どうも食い違う。そしたら「母。わが子へ」の話で、
そういえば、「命」のオンエアはお知らせしていなかったんだった。

三田さんの絶頂期、そして最もおつらい時期に私はずっと身近に立ち会っている。
ご縁なのだろうと思う。
間柄でいうと「戦友」という言葉が浮かぶのはなぜだろう。
今の医学もの、そしてタイトルに主人公の名前が織り込まれるドラマの
先鞭をつけた形で、ずっと共に戦って来たような感覚があるのかもしれない。

だから受賞が私も嬉しい。

電話でお話しながら、ふと気づいたのだがお声が若い。トーンが年齢より高く張りがある。それは八千草さんも同じで、声にも若さの秘密があるのかもしれない。


「国防動員法」について

2013年11月26日 | 歴史・政治

「防空識別圏」の設定で尖閣沖縄が、少々きな臭くなっているので、身辺に
「国防動員法」を知っているか聞いてみたが、案外
心得ていない人が多い。

2010年の施行だった、と数字に弱い私が記憶しているのは、民主政権下だったが国防動員法の発令とほぼ相前後して、中国人へのビザ緩和が
行われ、おやおや・・・・と思ったので。月も7月と覚えているのは
よほど印象が強かったのだろう。

簡略にまとめると、

中国国内で有事発生の際、国内外の中国人が武器を手に、人民解放軍戦士として立ち上がる法律。(だと私は解釈しているが)

以下、細部はWikiがまとまっていたので、一部転載させてもらう。

  • 中国国内で有事が発生した際に、全国人民代表大会常務委員会の決定の下、動員令が発令される
  • 国防義務の対象者は、18歳から60歳の男性と18歳から55歳の女性で、中国国外に住む中国人も対象となる
  • 国務院、中央軍事委員会が動員工作を指導する
  • 個人や組織が持つ物資や生産設備は必要に応じて徴用される
  • 有事の際は、交通、金融、マスコミ、医療機関は必要に応じて政府や軍が管理する。また、中国国内に進出している外資系企業もその対象となる
  • 国防の義務を履行せず、また拒否する者は、罰金または、刑事責任に問われることもある。

身辺の日本人は知らない人も多かったが、中国の人にはリサーチしていない、
最も訊いてみたい人たちであるが。
仲良しの中華料理のおっちゃんに、訊いてみよう。今夜は中華だな(笑)

ああいや、笑っていられるほどのんきな局面でもないのだろうが。
日米ともにむろん、紛争から戦争レベルへと対応シミュレーションをアップしていると思う。
これが憲法改正論にどう関わってくるか来ないか、推移を見てみることにする。

最近とみに増えている中国人旅行者は対象になるのかどうか、「中国国外に住む中国人も対象となる」。この表現だと「居住者」限定だが、原文をチェックしていないので、わからない。中国からの旅行に対して、あちらから厳しい渡航制限が
かかって来たりなどしたら、要警戒ということなのかもしれない。