井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

新作「母。わが子へ」に向けて

2013年02月28日 | 井沢満の脚本講座
番組宣伝用に、作者からの言葉をと言われて書いた短文です。


世の中には傷ついた親子関係に苦しむ人も多く、肉親ゆえに憎しみの淵は深いのです。しかし愛の対局は憎しみではなく、無関心です。憎しみの裏には愛に転じる何かが息づいています。本作における親子には、普通の親子なら誰でも持つ程度の葛藤があるだけですが、母親は死を目前に心が澄み渡っていて、息子たちもその穏やかな光を浴びつつ、親子や生と死の本質を見つめます。
 親を憎んでいる人の胸にも届くよう、思い込めて書いた、これは母恋いの書でもあれば、この世を去りゆく者への鎮魂歌でもあります。
 そして鎮魂歌はとりもなおさず、この世を、なお生きていく者たちへのエールでもあるというのが、人生の素敵なパラドックスなのかもしれません。死を見つめることは、生を見つめることです。
 たくさんの浄化の涙を流して頂き、そして少し笑って頂けたら、脚本家冥利に尽きます。

             __________

雑誌「ドラマ」に書いた短文は、セリフを省くことの大切さについてです。
発売前なので、こちらは転載を控えますが、
私は、執筆にあたってせりふは「何を書くか」よりも「何を書かざるべきか」に
エネルギーを集中します。

過剰なせりふは、視聴者から想像力を奪い、作品の底が浅くなります。
俳句と同じ余白がせりふにも欲しいのです。
これを言いたい、というのを黙ってこらえるからこそ伝わるエネルギーがあります。
優秀な役者はそこを敏感に察知、尊重してくれますが凡手の役者ほど
余計なことを喋りたがり、困惑することもあります。現場に常に
いるわけではないので、余計な一言を勝手に付け加えられて、
それが現場での動きとその役柄の性根に即し
自然に出た、こちらがウン、と膝を打つセリフであれば
いいのですが、所詮セリフの素人の考えること、余白を消すことのほうが多く
また本当は法的にはそのことにより、脚本を引き上げ放送中止させ得るぐらいの
著作権侵害なのですが、昨今は現場がルーズになっていて困りものです。
また、いじられても仕方のない脚本が多いとも聞きます。

脚本家が育ってないのかなぁと残念ですが、お互いにせりふにルーズだから
育たないのだとも言えそうです。さんざん言われて来たことですが
ドラマがいつしか・・・・2,30年ぐらい前からでしょうか、企画先行、
スター先行になってから脚本が尊重されなくなる傾向が日々大きく、
またそれだから新たな作家が育たなくなってもいるようです。
作家の文体というものが消え失せ、誰が書いているのかわからない本が
多くなりました。昔は作品のにおいといおうか気配、せりふのタッチで
誰の作品、と解る人がいて、その人達はまた群を抜き優秀でした。
・・・・いなくなりました、本当に。
それでもいい作品が生まれればいいのですが、刑事物やサスペンスといった
お話の「仕組み」で見せる作家で優秀な人はいますが(見ているとやはり、
これも相当のベテランであることが多いのですが)、せりふと心理で
見せる作家が僅少になって来て残念で、しかしふと思えばそういう作品が
求められる場もまた少ないのですね。

でも、またそういう作品が望まれる時代になりつつあるのか、と思うのは
昨年の「花嫁の父」の成功であり、また今年で言えば「とんび」の
好成績でしょうか。


お勉強中

2013年02月28日 | ドラマ
今日は、「真相報道バンキシャ!」で出すコメントを考えつつ、
資料を読んでいました。
以前は、打ち合わせの席でトピックが与えられ、それについて語り、それを
ベースに台本が作られ、オンエアの時はその台本からあまり逸脱も出来ず、
詳しくない分野がトピックの時は、冷や汗ものでしたが
今回はメールでトピックを頂いたので、多少の準備ができます。

といっても、脚本家の私に専門家としての意見が求められているということでもないので、
硬すぎず多少は面白い切り口で問題を見なければなりません。
場合によっては、私の関心が深く結構それなりに知識のあることもあり、
専門的に語りすぎて、困惑されることもあります。

生放送でコメントをしゃべる時間は短く、言葉を凝縮する緊張感が
好きです。脚本家としての勉強にもなる。

資料読みの他は、雑誌「ドラマ」4月号に「母。わが子へ」の脚本が掲載されるので、
それに添えて掲載される「作家の言葉」と、同じく番宣用に、メッセージーを
書いていました。





出演のお知らせです

2013年02月28日 | ドラマ
日本テレビ系「真相報道バンキシャ!」、3月3日(日)18時、
出演予定です。ご一緒させていただくのが、元総務大臣で現在元岩手県知事で
いらっしゃる増田寛也氏で、ちょうど被災地を舞台にしたドラマ
「母。わが子へ」の撮影がINしたばかりの時に、これもご縁なのだろうか。

ドラマで取り上げたのは宮城で、取材に出かけたのも宮城だったのだが。
撮影隊も間もなく宮城を訪れる。

余談だが、心を集中してドラマを書いているといくつもSynchronicity(シンクロ)が起きる。偶然の域を超えて、それは不思議なくらい起きる。そしてシンクロが多いドラマは
成功する。というのが私のジンクスである。
「花嫁の父」の時もたくさんあった。そして今回の「母。わが子へ」でも。

いったんをご紹介すると、八千草さんの孫の名を瑛太と名付けたのだが、
八千草さんは連ドラに出演中で、その孫をやる役者が瑛太さんで、
私はそんなことは事前知識を持っていず、ふと瑛太とした。
弟役の玉村鉄二さんが兄役の仲村トオルさんに語りかけるシーンで
こんなセリフを書いた。
「おれ、前世は旅芸人だった気がするんだよね」
仲村さんマネージャーさんとロケの合間の立ち話でいわく、
「仲村は前世が旅芸人って言われたことがあって、せりふにびっくりしてましたよ」

ドラマを書くことに集中すると、どうも妙なアンテナを張ってそこに
空(くう)を伝わって、情報がひっかかるようだ。潜在意識が何か
感じるのだろう。




「母。わが子へ」 ロケ現場より

2013年02月27日 | ドラマ
さて午後からのロケ現場レポートです。
ドラマ前半の一つの山場、次男と母親再会のシーンです。
八千草さん圧巻。八千草さんの代表作になることを
確信しました。
詳細を書くとドラマを見た時の感興を削ぐかもしれないので、
控えますが、現場は涙、涙。
本読みの席でも涙だった、という珍しい現場になりました。
誰もが気迫を持って臨んでくれています。
仲村トオルさんは記者発表の席で「脚本を読んで、この作品へ出なかったら
罰が当たる」とまで言ってくださって、脚本家冥利に尽きることでした。
脚本は雑誌「ドラマ」の4月号に載りますので、シナリオを勉強中の方は
読んで画面を見ると参考になるでしょう。

午前中、アダルトグッズ専門店でのロケ現場にはTさんご夫妻がいらして
くださいました。夫人は公人なのでお名前を出しますが、下田市議会副議長の田坂富代さん(議員としてのお名前)で、「花嫁の父」の時はご主人が東京エリア中心の、田坂さんが下田市のほうの私設宣伝隊を買って出てくださいました。他にも私設応援隊がいて宣伝をしてくださるので本当にありがたいことに思っています。
私設応援隊は政治家にもいて「花嫁の父」は永田町きっての読書家であると言われている、自民党の政務調査会調査役、田村重信氏が原作「ゆきの、おと」を読まれツイッターで紹介してくださったのがきっかけで、髭の隊長こと佐藤正久議員、宇都隆史議員と宣伝隊を務めてくださいました。田坂富代さんもその一連のご縁です。明治記念館の荒谷館長にもご助力を賜りました。

ロケの合間に八千草さんのマネージャーさんと雑談していたら八千草さんが私の脚本のセリフがすっと心に入り覚えやすい、と言ってくださったとか。実は橋爪功さんにも同じ事を言っていただいているのですが、さすがベテランのマネージャーさんだなと思ったのが、「井沢先生は声を出して書いていらっしゃるんでしょう?」とおっしゃる。
鋭いなあと思ったというのは、今でこそ音読はしませんが、初期は読み上げていました。
脚本が小説と基本的に異なることの一つは、音声として成立していなければならない点です。
長く書くうち、わざわざ声に出さなくても書きながら耳で聞こえるようになったので、
今は声に出して言ってみることはしなくなりましたが、常に「音」は意識しています。
役者の肉体的な生理を前提としたセリフなので、覚えやすく言いやすいのだと思います。

ある意味その逆の感想をおっしゃったのが、故緒形拳さんです。
斉藤由貴ちゃんとの父娘でNHKに連ドラを書いた時のこと。
「ホームドラマなんで、普通に喋ってりゃいいんで楽だと思ったら、いや、
特殊なせりふだね」
・・・・これも、役者さんの鋭い感覚がうかがわれる感想です。
ホームドラマは日常会話に見せかけてはいますが、実は練りに練った
人工的な、非日常会話です。ドキュメントに見せかけたフィクションですから。
書くほうはそれを心得ねばなりません。ホームドラマだからといって、
だらだら普段の会話を交わさせていては、だれます。
かといって、いかにもドラマドラマした会話もまずい。ホームドラマは
実は脚本家の腕が如実に試される場でもあるのです。

ロケの話が脇道に逸れました。

「母。わが子へ」ロケ速報 3

2013年02月27日 | 日記
朝8時都内ロケ開始。雨で戸外ロケは中止で、場所は何と言えばいいのか? 大人のおもちゃ的グッズやコスプレ衣装の販売店で、これだけで一つのビルを専有しているのだから凄い。

八千草薫さんの演じるお母さんが行方不明の次男を探し歩くシーン。
場違いの効果を狙って、そういう空間を脚本では選んだのだが、それにしても
凄い。アヌス用◯◯とやら、ゴムで緊縛快感とやら、あられもない浮世絵の
◯◯画像が明かりに照らされ浮き上がっているわ・・・・。
「これは八千草さんには見せられない」と演出の竹園さん。
エレベーター直行で比較的「温和な」フロアであるロケ現場へとご案内
するそうだ。

シナリオハンティング(取材)の時は別口の、量販店内にあるソレ系フロアを
見て回ったのだが、ロケ先に選ばれた店はビル全体がその専門店で中身がはるかに
濃い。
中国語での案内板もあるので、「好きな人」はどこにもいるのだろう。
物書きでもあるし、また人としても私は人の欲望や本能のいっさいを
否定はせず、とりあえず受け入れる。理解しようともする。
ゴム緊縛の快感も浣腸プレイも解らないが、まあ人の潜在意識下にある
何らかの欲望にリンクしてあるものなのだろうなという程度の理解はある。
試着した人には20%offという張り紙が不思議だったのだが、店内の
あちこちに股間だけ繰り抜いた、コスプレ衣装その他をつけて写っている素人マニアの
写真が飾ってあり、その展示と引き換えの20%offなのだと思う。

人間って面白いもんだ・・・・。汲めども尽きせぬ興味がある。自分も含め、
清濁、正邪、聖性邪性含めて面白く、時には直面するのがつらいこともあるが、
それでも興味が尽きない。だから脚本や小説を書いていられるのだろうか。

「特殊H」のデパートの後は、そこから徒歩数分のミニ劇場へとロケ場所を移す。
「地下アイドル」と呼ばれる人たちのパーフォーマンスと、それを応援する
いわゆるオタクファンの様子を撮影。応援隊には、実際にかつて応援隊の
リーダーをしていた人も指導に混じっていて、どの世界でもリーダーになる人って
それなりの風格を備えているのが、本当に面白かった。

午後はそのステージの楽屋での撮影になる。それは後ほど。