井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

日本人なら知っておきたい「践祚」と「即位」の違い

2020年03月19日 | 日本語

践祚(せんそ)は、三種の神器を継承して天皇の御位につかれることを意味する。

即位は、皇位につかれたことを国内外に宣明することであり、先立って践祚ありきの即位であることを心得たい。


「八咫の鏡」
「天叢雲の剣(草薙の剣)」
「八坂瓊曲玉」
 の継承を受け、皇太子は初めて天皇となる。神武天皇以来の脈々たる霊的系譜の継承である。

 ところが、近年報道はほぼ「即位」に統一。「践祚」が消えた。

 要するに即位という物理的人事のごときニュアンスでのみ伝えられ、そこから三種の神器継承という「神事」が消えた。

 旧皇室典範にはある「践祚」が 戦後に作られた現典範からは消えた。

 

 天皇は言わずもがな神道の頂点におわす祭祀王であられるが、政教分離の名のもとに、日本国の精神性を体現する天皇と「神ごと」との分離を狙ったのはGHQのみではない。

 そもそも神道はいわゆる宗教とは一線を画することを心得ない人々が日本人にもいる。無論占領軍にはそこは解らない。しかし占領軍並みの知識レベルにある日本人が増えて来たように思う。

 皇室典範から践祚の文字が敗戦後に消されたのと軌を一にして「大嘗祭」の文字も拉し去られた。

 

大嘗祭は、天皇陛下が御位につかれてから初めて行われる新嘗祭という新天皇一世一代の大神事である。

この皇室最大の、ということは日本最大の神事を粗略に扱い述べる人が多くなった。言葉を変えれば「国家の丈」の祭祀であり、私的行為のレベルに矮小化すべきものではない。そもそも天皇に私的祈りなどありはせず、御身を贄に祈るのはひたすら国家国民の繁栄と安寧、五穀豊穣、世界平和であるのだから。

皇室から神を追放してはならないという言い方は日本から神を消してはならない、と同義であろう。

 祭祀は本来国事行為であった。それを皇室の私的行事として貶めた占領軍の意図は、天皇から神の剥奪であり、日本人の精神の背骨瓦解である。

 新天皇が神々と相対して、国家・国民の安泰と五穀豊穣を感謝し祈る。ならば「私的行事」などでありはしない。「国家の身の丈に合った」祭祀であらまほしい。

 天照大神は、孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が日本を治めることになった時に、「日本がとこしえに平和でゆたかな国であるように」と、稲をお授けになった。

爾来、日本は「豊葦原瑞穂国とよあしはらのみずほのくに」と称する。 神意により稲穂が豊かに実る国である。

大嘗祭他の神事にお米は欠かせない。

遥か奈良時代以前より続く神事を、神話と共に私達は大事にしたい。

ちなみに、稲作は陸稲として縄文時時代より日本と不即不離にあった。

稲の大陸伝来は誤りであることを心得ておきたい。米には神の息吹がこもる。

春分の日はもともと春季皇霊祭と分かちがたくある。

グレゴリオ歴に基づく春分の日をなにゆえ日本の国民が寿ぐのかその本来の意義を見失ったのは占領軍施策による。秋分の日も本来は秋季皇霊祭である。

 建国の日と改称された紀元節の日付は、本来神武天皇即位の日である。

改称も占領軍による日本語破壊、つまりは日本人の精神の脆弱化の目論見による。

 神話はいわゆる歴史ではないにせよ、日本人の「精神史」であり、事実を超える真実が記されている。

日本人とは何か

 

 拙文中の瑕疵については後ほど